【やっつけ映画評】牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件

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     昨年、台湾に行く前にある程度まとめて台湾映画を見たのだが、本作は見ることができないでいた。ひとつは4時間もの長尺だからで、帰省したとき偶然にも故郷の映画館(メトロ)で上映していて、これは行かねばと思ったものの、4時間の都合をつけるのは無理だった。

     2つめは、なぜ帰省先の劇場に行こうとしたのかと関連しているが、DVD等のソフト化がなされていない犖犬虜酩吻瓩世辰燭らである。なんでも、版権を持つ会社が倒産したとかそんな事情らしい。映画あるある、といえばそう。映画は誰のもの?というか、著作権関連の権利とはなんぞやというか、その辺の問題提起としては典型的なケースだろう。とにかく、そういう事情なので上映をやっているときに行くしかない。

     

     それがとうとう、ありがたいことにDVD化され、レンタルで見ることができた(狄刑遶瓩世らか台湾映画にしては珍しく、近場のツタヤにたくさん置いていた)。

     

     1960年の台北が舞台だから「悲情城市」の続きくらいの時代関係になる。あの映画の冒頭で生まれた赤ん坊と、本作の主人公の少年たちがだいたい同世代になる勘定だ。
     そして「悲情城市」が、いわゆる本省人を描いていたのに対して、こちらは外省人、つまり国共内戦の結果、大陸から台湾に移住してきた人々の社会である。登場する大人たちはしばしば「青島はドイツが作ったからきれいな街だ」とか「これだから上海人は頭でっかちと言われるんだ」とか、何かにつけて出身都市を懐かしんでいるし、子供たちは「いざ大陸反攻だ」などとふざけあっている。

     望郷といえばそれまでのことだが、台湾はあくまで仮住まい、という感覚がそこかしこに漂っている。紆余曲折の経緯を抱えて台北で暮らす「外省人社会」が作品の背景となっているわけだ。このあたりは東山彰良「流」とも重なってくる。

     

     ついでに彼らが住む住居の多くは日式だ。外国の話なのに画面はしばしば昭和日本になる。屋根裏には日本の軍人が残していった日本刀があったり(それが重要なアイテムにもなっていくのだが)、冷凍庫の金属製製氷皿のような一定世代以上の日本人がノスタルジーを感じる日用品も出てくる。こういう生活史のような歴史の断面が画面のあちこちに当たり前のように登場する点も「悲情城市」と似ていて、日本史が絡んでいる以上、余計に引き付けられる。


     主人公たちは中学生で、必然学校の場面が多い。学校や制服の雰囲気、抑圧的な教師なんかは、「飲食男女」「あの頃、君を追いかけた」ともよく似ている。ただしこれらの作品と違って、少年たちの荒れ具合がひどい。大人たちが牴晶擦泙き瓩涼呂如∪茲慮通せない不安の中暮らしているせいか。あるいは生活道路を戦車が通行していく軍政真っ只中の殺伐とした空気のせいか。あどけなさだらけの顔つきとした子供たちが、ヤクザの抗争の相似形をなぞって争っている。アンバランスこの上なく、たまに滑稽にすら映る。


     彼ら非行少年たちは日本の不良同様、群れてグループを形成している。主人公・小四らは「小公園」に属しており、「217」と名乗る派閥と対立している。ネット上の感想で多くの人が述べているのと同じく、俺も当初は、小公園がどうのこうのといきがっている台詞を見て、公園の縄張り争いでもしているのかと思った。「二丁目の人間でもないやつが勝手にこの公園のブランコで遊ぶな」というような。でもそんな可愛い話ではなかった。


     217は「眷村」のグループだと台詞中で説明されている。眷村とは国民党が大量の移住者向けに作った公営住宅群のようなもので、野島剛によると旨い食堂が多いらしい。確かに217のリーダーがむしゃむしゃ食っている料理はなんだか旨そうではあるが、当人の肉付きがいいからそう見えるだけかもしれない。なんとなく、小公園組の住環境に比べ、217組は貧しい印象を受けるのだが、これは大陸での社会的地位をそのまま反映しているのだろう。大陸全土から集まった異質な人々が、九州と同程度の面積の島で暮らすのだから、差異が圧縮配置されることになるから必然目立つようになる。それがまた対立を生むということだろうか。


     この小公園と217の対立抗争の中、小四が恋をしたり、兄や親が厄介ごとに巻き込まれたり、恋の相手の小明に不幸が訪れたり、と複数の登場人物のそれぞれの日常が同時並行的に語られる。必然、登場人物が非常に多く、わかりにくい。このごった煮感も「悲情城市」と似ている。ただしあちらよりややこしい。本名と通称の2つが入り乱れて、誰のことを言っているのかわからなかったり(小四も当初は「小学四年生」のことかと思った。「小四を舐めるなよ」という台詞が、まえだまえだの漫才のギャグ「小5舐めんな」と重なったから余計)、子供が全員同じ制服に、似たような髪型なので区別がつきにくい。

     日本の中学も、髪の規則がうるさく制服着用が一般的だが、生徒の見分けが付きにくくなることをわざわざ課してどうするのだろうと今更ながら教育現場の労働効率に疑問に思った。いや学校だけではない。今時の大学生が就職活動に臨むときのスタイルは、俺のとき以上に統一規格化が激しい。特に女性。喪服の方がまだバリエーションがあるんじゃないかとすら思う(服装というより髪型が大いに貢献しているとは思う点、丸刈り中学と似ている。あとベージュのトレンチコート)。企業側も採用する人をうっかり間違えそうでこれも効率が悪い気がするが、こちらは学校と違って誰かが強制しているわけではない。なので余計に質が悪い。折に触れ、やめようぜくらいの助言はするが、学生は「外野はお気楽ですな」くらいの反応だから難しい。


     


    教材その2

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       たまたま図書館で韓国の小説を2冊借りてきて読み始めたのだが、今一つ趣味に合わず断念していたところ、話題の本書を書店で見かけて買った。ページ数は少なめだが、背負った罪を自覚させられるような内容だったので、幾度か中断して息を吸ったり吐いたり、うむむと唸っているうちに寝たりして、ようやく読み終えた。読み終えて改めて思ったのは、これは自分の過去を振り替えさせられるからキツいだけでなく、日常の中で目にする嫌なことといちいち重なってくるから陰鬱になるのだということだ。


       「バトル・オブ・ザ・セクシーズ」を見終わった後だけに、たまたま内容がちょっとカブった。あと「ニュルンベルク合流」から受けた印象とも少々カブった。

       

       タイトルにある女性ジヨン氏の半生を人物事典か冒頭陳述の身上経歴のように(で言い過ぎなら吉村昭のように)無機質な筆致で書き綴っていく内容だ。冒頭、ジヨン氏の体に他人が憑依する不思議な現象が起こり、夫が慌てふためくコミカルな様子が描かれる。このとぼけた雰囲気は、韓国のコメディ映画をほうふつとさせるが、笑えるのはここまで。いったい彼女に何があったのか、を探るため、ジヨン氏の生い立ちが時系列に沿って語られる。ここで明らかにされるのが、男尊女卑社会における矛盾だったり悔しさだったり怒りだったりである。

       

       儒教色が濃い社会のせいか、日本よりも男尊女卑が強い印象を受けたが、せいぜい誤差の範囲で本質的には日本も変わらない。最近でも松本人志しかり(放送に載せられないからカットする、という普段山ほどやっている作業の範疇内にあれが入っていないという感覚が凄い)「SPA!」しかり。もっと日常生活レベルでも、SNSの発達で本書に描かれているのと同種の疑問や憤りを目にすることはいくらでもあるし、それにぶら下がっている男性側の反応も、本書に出てくる景色と似たようなものだ。

       

       大まかには「バトル・オブ・ザ・セクシーズ」で出てくることとも重なるが、映画と違って文章は、より細かなところまで表せるから本書の方が問題提起としては余計に突き刺さる。あちらは割と男性側があからさまに敵意を持っているケースばかりなのに対し、こちらは悪意のない無邪気な女性差別が多い。そして無邪気で悪意のないケースは、わが身にいくらでも覚えがある。

       

       ビリー・ジーンと違ってジヨン氏は、ほとんど言い返すことができないでいるので、読んでるこちらも鬱屈がたまるという困難さもある。だからこそ、ビリー・ジーンのような女性が声を大にすることがいかに意義があり、尊敬すべきことなのだ。そう改めて確認させられるわけだが、あれは彼女がことさらに強かったり、立場があったりするから出来ることで、真似をするのはなかなか難しい。それだけに、言い返せない人が主人公の本書の方が、スカっとはしない代わりに、より共感を得そうには思う(だから売れているのだろう)。

       

       ジヨン氏の不可思議な症状を診断した医師の報告、という形態を取っており、記述の仕方は既に述べたように観察記録のような無機質な調子だ。ちょいちょい出典表記付きで統計データも登場するから余計にレポートか報告書のようで、ドキュメンタリーと小説が同居している格好。「ニュルンベルク合流」とカブっているというのはこういった点である。無機質な文章(案外そうでもないのだが)は、好き嫌いが分かれるところだろうが、個人的には最近、こういったジャンルの枠組みを越えるような読み物に興味があるので楽しんだ。


       


      【やっつけ映画評】バトル・オブ・ザ・セクシーズ

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         中学のころ、体育は男女別だった。別といってもグラウンドや体育館のあっちとこっちに分かれているだけだが、とにかく別々だった。この体育の授業が、教育と苦行を混同している内容で、とにかく走る走る。ただそれだけ。指導といえば、実技をわかりやすく教えることではなく、罵倒と懲罰を指していた。


         俺は短距離走は比較的速い方だったが、中距離以上となるとどうしてみんなそんなハイペースに走れるのか不思議で仕方がないくらい置いて行かれた。心臓に障害でもあるのだろうかと思ったくらい短距離との落差が激しく、肥満体の男子とえっちらおっちら周回することになる。結果、なまじ短距離が速いものだから、教師にはサボっているか、反抗しているかと誤解されてしまう。


         それであるとき「お前はもう女子と走れ」と命じられた。同じグラウンドで女子も1500m走をしていて、そちらに加えられる。お前なんか女の腐ったやつだ、といったセクシズム丸出しの懲罰だったのか、それとも体力差を考慮した教育的配慮だったのかは知らない。とにかくそれで女子とともにスタートし、予想通り早速4、5人に追い抜かれた。そのうち1人がお尻の丸っこい女子で、中学生で既にエロいことを考えていた年齢だったので、この魅惑の尻についていこうと必死だったがやっぱり引き離された。まあそれでも全体の中では上位の方には入っていたが、あの遠ざかる尻のせいで、男子どころか女子にも勝てんという事実が見事に刻まれ、その点では妙に教育的内容だったような気もする。

         

         劇場に見に行き損ねた作品がレンタルされていたので見た。タイトル通り、男女の性別間の戦いを描いている。テニス界の女王と、かつての男子チャンピオン(20歳以上年上のおっさん)の戦いである。

         

         予告編で見たことも相まって、そういう内容の映画だろうと予断をもって臨んだら、早速雰囲気がおかしい。女性の権利をはっきり主張する主人公ビリー・ジーンに対し「尊敬します」と言いながら髪をセットする女性美容師。ただでさえ蠱惑的な雰囲気をまとっているのが、あからさまに秋波をウェーブさせてきて、主人公も思い切り反応している。あれれ?と思っているうちに、いかにも過ちが起きそうな思わせぶりな展開になり、予想通りといおうか期待通りといおうかやっぱりベッドイン! 男性の女性蔑視だけがテーマではなく、同性愛もテーマだったとは。テニスファンなら周知の事実だろうけど、よく知らなかったので驚いた。


         それにしても、周りの勘がよすぎやせんか。ホテルの同じ部屋から同性の二人組が出てきても、通常特段不思議とも思わない気がするのだけど、すぐに周囲は感づく。元々この人が、レズビアンぽい雰囲気だったということだろうか。
         同性愛浮気をされた伴侶が見せる反応は「ボヘミアン・ラプソディー」のメアリー(フレディの恋人)と同じようなものだった。他人事なので、美女同士のベッドシーンは、あちゃーエロい!とアホ丸出しで堪能したが、さてこれが当事者だったらと考えるとどうなんだろう。持って行き場がないといおうか、自分に足らないものを見せつけられたような気になるというか。想像がつきにくい点も多々だが、それだけに見ていて実にやるせない気分になった。

         メアリー同様、この夫ラリーも極めてイイやつで、だからこそ余計に見ていて辛い。ラリーはラリーで、バトルオブセクシーズというか悩みオブセクシーズというか。救いは、フレディの相手が、独占欲と依存心の強い「そいつに行ったらアカンで」タイプだったのに対し、ビリー・ジーンの相手は結構まともな女性だった点。

         

         さて本作は、差別問題やセクハラの教材としてもよくできている。昨今、様々な職場で業者の作ったセクハラ防止のためのビデオ教材鑑賞だとかセミナーだとかが行われていると思うが、この映画を見てレポート書かせるのが効果的なんじゃないかろうか。商売柄俺もその手のビデオを見たことがあるが、通り一辺倒の内容で、ぬるい仕事しやがってと画面に向かって毒づいた記憶がある。

         

         ビリー・ジーンは相当に頭の良い人なのだろう。どこに問題点があるのかをしっかり見定めていて主張は一貫して合理的である。これに対して、彼女に批判されたり彼女に食って掛かる側は何が問題なのかが今一つわかっていない。毎度おなじみの差別の構図である。
         例えば冒頭、大会の賞金について、女子が男子よりゼロが1個少ないほど差があることを不当だと協会幹部に訴えるシーン。女子の試合もチケット売上は男子と差がないのだから、この格差はおかしいと、抗議の論旨は実に明快である。

         これに対して協会幹部のおっさんたちは、男子の方が試合がパワフルで面白いだとか、男子は家族を養わないといけないとか、それっぽい理屈を持ち出し来るも異議への反論にはなっていない。ビリー・ジーンはすかさず「論点が違う」とピシャリ言い放つが、幹部はただただ半笑い。

         

         おそらく、主張が理解できないというよりは、そもそも聞いていないのだろう。聞く耳というのは相手に最低限の敬意を払って生まれるものだから、この態度自体が差別そのものでもある。「今日も綺麗だねえ」などと言う幹部に、彼女が「やめて」と釘を指すのも、この文脈でとらえれば、何が問題なのかよりわかりやすいのではないだろうか。

         

         あるいは、ビリー・ジーンに喧嘩腰の男性記者(?)が「そんなに男をやりこめたいのか」などと食って掛かるシーン。ここでも彼女は「同等の敬意が欲しいだけ」と端的に「論点」を示す。2人分の座席を1人占めしている男に、1人分空けてくれと要求しているだけなのに、「俺の席を奪うのか」と怒り出すのと同じ。なぜか我は被害者設定になる。これもまた毎度お馴染みの構図だ。


         ところで性差の問題とは離れるが、これらビリー・ジーンの振舞いの中で「なるほど」と最も教材めいていたのは、解説者の人選のくだりだ。
         


        映画の感想:舟を編む

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           テレビでやっていたのを見たので感想を。
           出版社の辞書制作の話だ。最初に思ったのは、学園モノみたいだなという違和感である。高校が舞台だと、秀才とドヤンキーがクラスメイト同士といった設定がしばしばあるが、高校の場合は偏差値で輪切りされるので、一時期の兵庫県のような制度でもやっていない限りは現実にはなかなかお目にかかれない。

           本作の主人公・馬締は、口下手なせいで営業部のお荷物状態だったのが、大学院で言語学を修めたという経歴を買われて辞書編集部にスカウトされる。だけど、こんな人、最初からそこに配属されるんでは? 一方で辞書部門の先輩社員・西岡は、こんなやつ出版社の入社試験に受からんやろというくらいものを知らない。人当たりと要領はよさそうなので、彼こそ営業向けだろう。

           

           適材適所をハズすというのは会社ではよくあることだから、秀才とヤンキーの同居よりはあり得る。ついでに、専門的な題材を扱うときにバカを一人登場させておくと、このキャラクターに「どういうこと?」と質問させることによって説明台詞を自然に挿入できる利便性がある。フィクションの定石ではある(のだが、個人的にはウンザリな手法)。まあ辞書作りの途方もない作業のため、時間がどんどん流れてこの違和感自体もすぐに消し飛んでしまうところは、作業の膨大さを間接的に示しているとはいえる。


           松田龍平に小林薫にと魅力的な役者がそろっていて、中でも晩年の加藤剛が「死期が近づいている」という設定で泣かせる。古臭い編集部の佇まいがインスタ映えなのもあり、それなり楽しめる仕上がりにはなっていると思う。ただ、肝心の題材が全く活かせていない点、かなり拍子抜けした。

           

           以前に、辞書作りを志望する学生のインターンシップを題材にしたドキュメンタリーを見たことがある。彼女も院卒だったっけか。かなり優秀な学生で、言葉や文章に対する思い入れも溢れ返っているような人だった。なので試しに語釈を書いてごらんとやらせてみると、素人目にはそれっぽい形で仕上げることができる。だけど担当社員からすると脇がガバ甘な記述で、この説明だとこれが駄目、これが抜けているなどと的確過ぎる指摘が飛んでくる。記憶も朧気だが、確かそんな内容だった。小銭稼ぎの原稿書きとは次元の違う厳密性と、インターネットの普及で存在意義がぐらぐらにぐらついている中での葛藤と模索がひしひしと伝わってきて刺激的な内容だった。

           

           というのを見ているので、余計に残念な内容に感じた。辞書作りは、ただただ背景としてしか登場しない。せいぜい既に述べたように、作業の性質上、主人公たちの半生のような長い時間をまたぐ物語になっている点が「辞書ならでは」としてあるだけか。

           

           たとえば、馬締が恋をすることで、監修者の「松本先生」が恋の語釈を書けと命じてくるくだり。恋の行く末に応じて語釈が仕上がる流れなのだが、この記述が馬締の恋物語とあまり関係があるとも思えず、肩透かしをくらう。ついでに「読めないラブレター」を書くくだりも、辞書の話なんだから「達筆過ぎて読めない」じゃなくて「言葉が難しくて読めない」であるべきなんでないのかな。それをヒロインかぐやが必死に辞書を引いて理解するでもいいし、オタクの馬締が「言葉を知ってるって、そういうことじゃないよね」と気づくでもいいし、人と思いを寄せあうっていうことと言葉の関係を何やかし示す必要があるでしょう、この設定なら。


           終始この調子なので、馬締がチャラ男の西岡に「言葉のなんたるかを教わりました」などと頭を下げるシーンも、え?そんなやりとりあったっけ?となってしまうし、「新語や誤用もどんどん載せるぞ」という新辞書の編集方針も忘れたころに台詞にチラっと出てくるだけだし、話運び全体も雑だった。

           見終わった後で、久々に辞書を引いてみようかしらと思わせられると映画としては成功なんだろうけど、違い意味で引きたくなってしまった。辞書ってもうちょっと面白いものだよね、という確認で。


           ま、面白い話の運び方なんてのは、辞書引いても載ってないけどね、と書いておけばとりあえずのまとまりがつきそうなものだが、案外そうでもない。例えば「文学」なんてのを引いてみると、結構勉強になる。「新明解国語辞典」限定かもしらんけど。手元にある人は是非。

           

          2013年日本
          監督:石井裕也
          出演:松田龍平、宮崎あおい、オダギリジョー


          楽しき玩具

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             ギターの練習をしているうちに、こんなメカに手を出してしまった。ギターアンプとエフェクターがセットになったアプリで、右に写っている銀色のアイコスみたいなメカを通してエレキギターと端末を接続する。

             アイコスどころか、かるーい、しぼーい外観・手触りにつき、実際手に取って「14000円です」って言われたらまず買わん気がする。店頭に売ってなかったのでネット経由で購入したから、そういうためらいとは無縁だった。

             ネット通販は実物が見れないからというデメリットが、メリットとして働くことがあるとは。ついでに正札よりかはだいぶ安く買えた。

             

             口コミにボロクソ書いている人もいたが、思ったよりかは全然楽しめる。最もポピュラーなエフェクターであるディストーションが別売なのはセコ過ぎだろとは思ったが、オーバードライブとコーラスは標準装備だからまあよい。ある程度、それっぽい音が出る。


             エレキギターとアコギでは、弾いていて楽しい曲が別なんだなと知った。8ビートのオーソドックスなロックはアコギで弾いてもあんまりおもしろくないが、エレキだと楽しいものだ。個人的には、エレキのミュートで刻む音が好きで、ああいうのはエレキならでは。あとエフェクターのせいで、意図せず格好いい具合に残響してて巧くなったような錯覚も味わえる。ギターの練習はアコギからやれというのは非常に正しいと思う次第。

             

             ただし相変わらず和音を弾いているだけである。アコギの場合はそれでもあまり不満がないけど、エレキでコピーしてると「コードなぞってるだけやん」とにわかに惨めになってくる。音源の音と似通ってくる分、差異が目に付きやすくなるせいだ。


             このアプリ、ベースアンプもついている。試しに使ってみたら、あれ?結構楽しい。ベースは自分のバンドの曲しかほとんど弾いたことがなかったから、人様の曲をなぞるのが妙に新鮮なのだ。


             こうして遊びの幅が3倍に広がってしまい、キリギリス化がますます進むことになる。受験生だったらセンター試験で完全にしくじってるな。おや、よく見たら机の上に在宅仕事の山が出来ているぞ・・・。



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