【やっつけ映画評】ボヘミアン・ラプソディ

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     冒頭の20世紀フォックスお馴染みのファンファーレからして「おお」とちょっと感動させられる。見終わった後に妙に元気が出てきたところと、50代以上のおっさんが総じて涙していた点、「ロッキー・ザ・ファイナル」を思い出した。第1作の焼き直しでしかない脚本ながら胸を熱くさせられる見事な作品だったが、本作も同様。おそらくこれ、脚本はそう大した出来ではないと思う。


     大河ドラマの総集編のような、要領よくかいつまんだようなまとまり具合で、要領がいいだけにテーマにとって大事な要素は概ね出ているようには思うが、あまねくなでただけに終わっているような印象を受ける(日本ツアーの成功によって本国イギリスでも逆輸入的に人気が出たという日本のファンが後生大事にしている物語は影も形もない)。監督が途中で変わったらしいので、その辺も影響しているのだろう。バンドの結成〜栄光〜失速〜再生と、15年間くらいを2時間にまとめているのでまあそうなるかあと思いつつ、指折り数えたら我らがバンドも似たような年月がたっているのだった。比べるのもどうかと思うが、「時の流れだけは平等だ」という巷間よく言われる言葉は本当だろうかとつい考え込んでしまった。

    「MUSIC LIFE」1976年3月号。リアルタイムで「日本から逆輸入」をアピールしている。誌面を見る限りでは、クイーンを推しているというよりはロジャー・テイラーを追いかけているだけのような印象も。リアルタイムのファンではないくせに、後付けでこういうのを入手する頭でっかち習性があるわけだが、ようやく陽の目を見たような。

     

     それでも本作は惹き込まれるし胸が熱くなる。いうまでもないが曲の力がそうさせる。冒頭のファンファーレが、いかにもクイーン風エレキギターなところしかりであるし、フレディの孤独と音楽性とのつながりが、脚本としては希薄な描かれ方しかしていないように映るが、それらは歌に全部乗っかっているので、曲が流れるとなんとなく納得させられる。本作はつまり、「ラッシュ」「ボルグ/マッケンロー」と同種の作品ということになろう。


     スポーツにおける試合同様、音楽におけるコンサートは広く人々に見てもらうものだけに(下積み時代はさて置き)映像資料がしっかり残っている。そして映画の物語の大枠はどちらもこのハレ舞台がクライマックスになる。このため、映画のクライマックス制作は、本物をいかになぞるかが重要になる。本作の場合、ライブエイドがそれになるが、元の映像はYouTubeでも確認できる。そしてかなり本物に寄せていることがわかる。

     

     サウンド自体は本物を使用しているが、それ以外は作り物だ。このためやっていることは、はるな愛が以前やっていた松浦亜弥のモノマネと本質的には大差ない。あれとの違いは再現性が超高度な点だ。ステージは、ピアノの上に載っている飲料のカップまで再現しているし、俳優陣は当人にかなりそっくりに仕上げている(個人的にはボブ・ゲルドフが変に似ていて笑った。本作で唯一登場する「クイーン以外の有名ミュージシャン」だけど、ただの電通の人のように登場している)。

     

     本物を再現して何が面白いのかといえば、見ている側が当時を演者側の視点から疑似体験できる点だ。「ラッシュ」あるいは、「ブラックホーク・ダウン」でも似たようなことを書いた。実際の現場とは違って好きにカメラを構えられるように、犖充足瓩鮃イに切り取れる。加えて舞台裏の物語によって人物の内面を知っているから、どういう心持で演奏しているのかが窺い知れる。はるな愛は笑いのために誇張していたが、本作の場合は、バンドの魅力なり歌の力なりを伝えるために一種の誇張をしていたといえる。

     

     俺の場合はリアルタイムでもコアなファンでもなく、19のころ、友人のちょびのアパートで無理やり聞かされたのが最初だった。「『ママ〜』だけ聞いてくれたらいいから」と懇願調に言われ、この世界遺産のような曲と初めて出会った。前奏的合唱が終わり、メインボーカルが「ママ〜」から歌い始めるから、もうちょっと聞かせろよとまんまとちょび君の術中にはまり、「ガリレオ、ガリレオ」って何だろうと考え込んでいた。そのころフレディはとうに死去していたから、当然ライブエイドの映像も、後になってたまたまYouTubeで「へー、やっぱうまいなあ」と見ただけだった。そういう立場からすると、映画によって当該ライブパフォーマンスの価値なり意義なりがようやく理解できるという感動がある。

     

     コアなファンの場合はどうなのだろう。探偵ナイトスクープでたまにある「死んだ父に会いたい」の類の依頼(死んだ家族のそっくりさんと対面する内容)と同じような心境なのだろうか。言ってしまえばただの他人だが、似ているというのは霊力とでもいうような力があるようで、どのケースでも依頼者は号泣して悩みやら言えなかった謝意やらをぶつけている。
    なので面白く感じるかどうかはクイーンのファンの度合いに思い切り比例しそうな作品で、よく知らない人が見た場合、おそらく俺が「ボルグ/マッケンロー」を見たときのような感覚になるのではと想像する。あの作品に比べると、より散漫な内容に映るかもしれないが。まあでも「歌はすごかったなあ」と思う人は多いだろうから、制作側、もっといえば生き残りメンバーにとってはそれで満たされるような気も、と想像するとちょっとつらい。

     

    蛇足:アルバムを売りまくり、チャリティで100万ポンドかき集め、死後には財団まで出来てしまうのだから、おそろしく「生産性」のあるゲイの人だ、と例の落書き言説のおかげで余計なことを考えた。無論それはフレディ一人の力でないことはこの映画で描かれているのだが、だから余計に排除してどうするんだということである。まあ、あれらの人は、自分の好きな人がゲイだったり出自が外国籍だったりしても、それとはパラレルにテンプレのアレな言説を垂れるものだが。要するに自分の頭では何一つ考えとらんのよね。
    つまらん話に逸れたので、蛇足2:フレディが他のメンバーと喧嘩になって「僕がいなければお前は歯医者になって週末にブルースを演奏していた程度だ」などとなじるも、ジョン・ディーコンには「君は・・・、思いつかない」で終わったところに吹き出した。

     

    「BOHEMIAN RHAPSODY」2018年アメリカ
    監督:ブライアン・シンガー
    出演:ラミ・マレック、ジョセフ・マッゼロ、ベン・ハーディ 

     

    可哀想なので、ミュージシャン・ボブ・ゲルドフの雄姿を。「バンド結成の日に遅刻したから誰もやりたがらないボーカルを割り当てられた」と、いかにも後付け臭いエピソードをちゃっかり用意してしまうあたり、電通屋としての才覚が現れてしまっていると思う。

     

    やはり本家も添えておこうか。比類なき歌唱力のおそろしさはは言うまでもなく、ピアノマンとパフォーマーを忙しく行ったり来たりする自由自在さも注目。この曲はハチロクのドラムと、あとなにげにベースのフレーズが心地よい。


    四十の自主手習い

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       ライブどころかスタジオ練習すら遠ざかっているので、久しくベースギターを触っていない。ただの趣味の話につき、触ろうと触るまいと好き好きなのだが、楽器のような「継続は力なり」を地で行く類の趣味は「やらない」がイコール「サボる」に思える程度の罪悪感は漂う。そもそも「趣味」のくせに「やってない」とはどういうことだと矛盾すら感じる。ま、釣り好きが全員浜崎伝助になれるわけではない。その点、浜崎伝助はとても偉大だといえそうなのだが、現実の浜崎級釣り好きは、あんな快活ではなく、むしろ闇か病みくらい感じさせられるヤバめのケースが多い。趣味とは元来そのような悪魔的なものかもしれない。


       ところが先日来、どうしたことかアコースティックギターの練習に余念がない。もう2週間ほど毎日触っている。基本のコードも少しずつ頭に入ってきたし、これまた少しずつスムーズにコードチェンジの運指ができるようになってきている。

       

       そもそもベースを弾き出したのは、弦が少ないから「これならいけるかも」と思ったからで、つまり6本も弦があるギターに最初は挑戦してさっさとわけがわからなくなった経緯による。加えてエレキギターを買った二十歳のころ、5〜6音のコードは「フォークじゃあるまいし」と、ハナから見向きもせず、5度コードばかり練習していた。2音だけのコード(弦2本だけ弾く)でロックではよく使う。初心者がまずぶつかる「Fが押さえられない」も2弦しか使わないので無縁。

       

       あれから二十余年、ようやく基本に立ち返った。5〜6音のコードは、左手はあちこちフレットを押さえないといけないのでややこしいが、右手は「どの2弦を弾くんだっけ?」と考える必要なく、全部をまとめてはじけばいいので楽だ。今更も今更、そんなことを発見している。キース・リチャーズ曰く「ギターはアコギから練習しろ」なのだが、アンプにつながなくても音が鳴るので楽しい、とこれもまた今更中の今更なことを実感している。ちなみに所有のアコギは、昔行きつけの居酒屋で常連客のUDさんから「今日の飲み代払ってくれたらあげる」と言われて5000円足らずで譲り受けた品である。俺と同じく、彼にも今ごろアコギ熱が到来していたりして。

       

       練習が飽きずに続いている理由の1つは、今時は便利なサイトがあるからだ。曲に連動してTAB譜が横にスクロールして、どのタイミングで何を弾くのか教えてくれる仕様が大いに貢献している。曲を流しながら紙の譜面を見るのと大差ないようにも思えるが、視覚的に明示されるのは想像よりは役割が大きいようだ。英文を目で追うより、文節レベルで1個ずつ表示していく方がすんなり理解できると以前、学者か誰かが紹介しているのを読んだことがあって、実際その通りなのだが、あれを思い出した。ただし、サイトの側が全部明示してくるので、曲構成がちっとも頭に入らない。頭の中に全体図ができにくいんだろうな。

       

       まあでも、今はゼロからのスタートなので上達がはっきり実感できる分楽しいんだけど、できるようになるにつれて上昇幅も狭くなるだろうから、そうなってから続くかどうか。振り返ってみると、ベースもそうだった。バンドの曲は、自分でフレーズを考えているだけに弾けることは弾けるのだが、音の悪さはまったく改善していないし、どうすればああいうベースっぽいいい音がなるのが、いまだ全く五里霧中。なのでとりあえず綺麗っぽい音がなるアコギが余計に楽しい。


      自著「書きたくなる〜」その後

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         某大学で、大衆に情報を提供する媒体産業への就労を希望する学生を対象にした授業が開かれている。学生が集まらず不開講続きだったのが、今季はどういうわけか最低人数が集まったとのことで両手で足りる少数の若人を相手に久々の講義をすることに。聞けば多くが2回生で、時代だなあと思う次第。

         

         せっかくのこういう機会なので、最近思っていることを書き留めておこうと以下ダラダラと。

         

         この仕事をまさに業としてやっていたのは10年くらい前のことだ。閉鎖になったのは5年ほど前(現在は既に述べたように、大学への出張講義的なスタイルで、コマ数もぐっと少なくライトに実施したりしなかったり)。かつての受講生は概ね30代、要は現場の中核をなす年代だ。それぞれどうしているのかはいちいち知らない。意に沿わない部署に異動になったり、育休に入ったり、実はもう転職していたり色々だろう。そういう年月がたった上で、現在の、特に放送のありさまを見ていると、なんとなく自身の責任も感じるところがある。

         

         まるで自分が彼らの人格形成に大いに寄与したような物言いだが、別に俺と出会わなくても合格しただろうという人ばかりなので、まさか「俺が育てた」的なみっともないことは考えていない。ただ以前に「否定と肯定」のところで書いたのと同じようなことで、何かの物事に対して関心を持たなかったり、持っているのに積極的に表明しなかったりすることは、その後の時代の流れにちょっぴりは加担している気がする。その程度といえばその程度の責任であり、反省だ。

         

         あの頃、多くの若人諸君が「やりたいこと」として書いてきた典型例の一つが、芸人を使ったニュースなりニュースバラエティなりだった。M−1グランプリ華やかりしころで、現在中堅どころとされる芸人たちが続々と登場していた時期だ。彼らのツッコミのセンス=批評眼をもってすれば、ややこしいニュースも切れ味鋭く分析して、おもしろく視聴者に提供できるのでは、という発想だった。
         まあ、当時としては「誰でもまず真っ先に思いつく」くらいの発想なので、面接対策的な観点からいうとまずこれでは通過しない。せめてもっと内容を詰めていく必要がある。その程度のことは助言したが、この発想自体は積極的には否定しなかった。内心駄目だろうと思っていたのにもかかわらずだ。


         常人には思いつかない芸人の笑いの着眼点というのがニュースにも当てはめ可能なのでは、という発想は俺も考えたことがあったが「あ、これは無理だ」と気づかされたのが松本人志だった。最近、彼がやっているニュースバラエティでの発言がしばしば物議を醸していて、批判的な人の中には「松本も年食って衰えた」と残念がっている元ファンもいるのだが、あの人は急にああいうことを言い出したわけではなく、昔からああいうことは言っていた。週刊誌連載とテレビ番組の伝達力の差だろう。自分の才覚でのし上がってきた人によくある「成らぬは成さぬなりけり」原理主義とでもいうような他者へのまなざしの貧しさが、読んでてすごくつまらなく、隣のリリー・フランキーのエロ話ばかりの人生相談の方が余程スリリングだった。なんぼお笑いで天才ぶりを発揮しても、でけへんこともあるんやなあと、当たり前のことに気づかされたものだった。ついでに学生に「芸人を起用したニュース番組」という記述がブームに達していたころ、爆笑問題が政治バラエティー番組のようなものをやっていて、彼らは普段の漫才が時事ニュースに基づいている分、もう少しできるのかと思ったがそうでもないと感じたものだった。

         

         というわけで、個人的には「無理がある」と判断したのだけど、学生が考えて書いたことを頭ごなしに否定するのもどうかという思いもあり、「僕個人の意見では、大しておもしろいものにはならんよ」くらいは言った記憶があるが、それ以上は言わなかった。こう書くと教育者のような物言いになるけど、実際のところはいかに無理があるか、当時俺が感じていたことを論理的に言語化する作業をサボっただけともいえる。

         くだんの松本の連載を愛読していて「先生も読んだ方がいいっすよ」と猛烈に薦めてきた学生もいた。まあ「ゴーマニズム宣言」を愛読していたころの俺みたいなものだろと思って、あんまり強く否定するのもなあと、やんわりと「あれは実は社会評論としてはすごい手前の話を言っている」くらいのことを諭すにとどめた。これまた説教親父になるべきだったかも、と後付けながら思うのは、あれから10年以上たった今、まんまと情報番組に芸人たちが跋扈して、結構な惨状を呈しているからだ。

         

         影響力のある人が貧しい意見を言って、それに若人が感化されて、というのがあんまりよろしくないなあくらいに思っていたのが、実際は想像以上だった。影響力はある門外漢が素人意見を述べるにとどまらず、大坂の場合は政治、芸能、放送の三者がまるで軍産複合体のような結合を見せるところまできている。ここまでの予想を立てる知見は当然ありもしなかったが、多分よくないだろうなあと思う程度には俺もうっすらとはカッサンドラだったわけで、別に俺が何しようと何の影響力もないことは自明だとしても、統計学みたいな話で自分がもう少し何かしていたら、同時に他でも似たような人がいたんではという少々オカルトがかった発想はつきまとうのである。

         

         もちろん一方で勉強不足だったこともいくらもあった。「バラエティ番組は抗議を恐れて萎縮すべきではない」という言説に対する態度がその際たるものの1つで、これは当時大した問題意識も持てずに呑気に構えていた。お笑いの好きな学生が当時よくこういうことを書いていて、なんでもやりゃあいいとはさすがに思わなかったが、バラエティが危ういところに挑戦すること自体は「努力してしかるべきかなあ」くらいに考えていた。大事なのは委縮か冒険かという二択ではなくて、ちゃんと考えましょうねということで、これをサボってきた結果、居直りや暴論が「ホンネ」の名を頂戴することを大いに助けたと思う。これは完全に勉強不足だったと反省している。

         

         といったことをたまにボサーっと考えるような日々、再びそういうところに関心があるという学生に授業をしろとなると、さて何をすべきだろうかと身構えてしまう。

         今時わざわざ斜陽ともいわれるところを志望するのは、よほど思うところがあって、というわけではまったくなく、10年前と大してかわらず「何だか楽しそう」くらいの様子で、2回生多いので、様子見半分のところもあるようだ。本来はこの程度のノリで全然いいはずなのだが、現状をちゃんと知っているかね、と余計であるはずの老婆心を抱いてしまう。困ったものだ。

         

         問題点が多いというのは、ある意味改善するべきことがたくさんあるということなので、面白いことだと見ることもできる。そういったことメインにすれば、授業の土俵にも現状の問題点を乗せることは可能かもしれない。そんなことを考えて、あれこれ内容を練ってみて、でまあ学生諸君の取り組みのおかげで少しは手ごたえを感じつつこれまでとは違う試行錯誤をやってみて、そしてライトなプログラムなので間もなく終わる。


        あっさり終わった十月とダルビッシュの戦場

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           今季のMLBが早くも終了してしまった。半ば予想していたことだったが、レッドソックスが強すぎてドジャースは完敗。予想なり予感なりがちっとも覆されないのはつまらないものだ。どっちに転ぶか全くわからなかったワールドシリーズが何年か続いていただけに、あれは幸せなことだったのだと振り返ることしきり。102年前と同じく4−1の結果で、第3戦のみレッドソックスが敗北したのも同じだそうで。ちなみにワールドシリーズは、北米だけで開催していて何が「ワールド」なんだというお決まりの批判があるが、MLBの選手は現在20何か国から来ているそうなので、十分にワールドになっている。

           

           1戦目でカーショウが打たれるのは想定内として(直前のリーグ優勝決定戦第7戦で、最後に抑えで投げさせるという星野仙一罪容疑のせいだと思う)、2戦目は柳賢振(リュ・ヒョンジン)が思いのほか好投した。だが、途中ピンチを迎えた際、何度もタイムを取り、マウンドにも集まり、慎重に慎重を期して投げた結果が暴投(パスボール?)。世の会議のほとんどが無駄、というのは野球界にも当てはまるんだな。後をつないだマシソンが1個もストライクが入らず、これでゲームが壊れた。

           

           第3戦は意外にも投手戦。1−0のリードを守るため前倒しで投入した抑えのジャンセンが打たれて延長に。最長記録の18回まで行ったから丸々2試合やった格好。カーショウも代打で出るほどの総力戦となり、どうにかドジャースが勝利。

           

           同じころ日本では、広島×ソフトバンクが延長12回で引き分けとなっていた。かたや延長18回だから、ヌルいことやってるなあとつい思うわけだが、そろばん勘定からいくと、1試合で2試合分よりかは引き分けの方が儲かるから、こっちの方が賢いのかもね(ま、結局8戦目をやる必要なくこちらもアッサリ片付いたが)。

           

           そして同じころダルビッシュは、安田純平氏の件で自己責任教のテンプレツイッタラーと戦っているというよくわからない戦場にいたのだった。今季はひとつもいいところのなかった七色の変化球男であるが、テンプレ非難にはフォーシームストレートをひたすら投げ続けていた。それが来季復活の鍵なんじゃねえか?

           

           このダルビッシュの奮闘ぶりを青木理氏あたりもテレビで讃えていたが、かつてイラクで若人3人が人質になったときに比べると報道の論調はかなり慎重にはなっている。ただあのときは、新聞社の編集委員クラスの人間もテレビで自己責任論的な批判をしていたと記憶しているから、その辺の反省からしっかり振り返るべきなんではないかね。一方、情報番組レベルになると、両論併記的な伝え方になっていて、安田氏の記者会見でも謝罪的な話を詰め寄っていたのもいたようだが、ああいうのは「威張る元請け/堪える下請け」の構図とまんまカブるので見ていられない。
           ま1個だけ補足しておくと、日本が敗戦のとき、満洲なんかに残された残留日本人は、好きでいったのだから自業自得でしょ的な非難に苦しんできた。今でいう自己責任とピッタリ重なる。なので、この手の非難に淫する人にとっては切り捨てて安心できればいいだけなので、これは別に危険地帯の報道という特殊な立場に身を置く特殊な価値観の人の話ではなくて、仮に安田氏がどんだけツマラン人だったとしても、彼を責めるのは結局は自縛の紐でしょうよ。国民と国家の話なので。残留日本人と重なるのもそのせいなわけでしょ。

           

           閑話休題。延長18回をサヨナラで勝って意気上がるドジャースだが、4戦目で勝てる試合を落とした。これがデカかった。4−0から3ランで1点差に詰め寄られ、ジャンセン前倒し投入がまたもや裏目に出て同点弾を浴びて振り出しに戻る再放送状態。継投が悪い。前田を出せ前田を、と思ったら前田が前日とは別人のようにポコスカ打たれた。あれがなければ裏でヘルナンデスの本塁打で逆転サヨナラだったが、まあ監督の判断が敗因だね。

           

           第5戦は、その幻の?サヨナラ弾を放ったヘルナンデスを3番に置いたら好機でことごとくブレーキとなっていた。監督業はつらいよ。優勝の遠ざかる年月が着実に呪いの域に近付きつつあるが、負け方としてはまったく呪いは関係なさそう。
           過去にはバスケのレブロン・ジェームズが応援にきたインディアンズが負けて、今季はノーラン・ライアンとビジオ&バグウェルの大物OBが見に来ていたアストロズが敗れていたので、来季のドジャースはコービー・ブライアントとマジック・ジョンソン、ラソーダ元監督を全員出入り禁止にしたらどうかしら。マジック・ジョンソンはオーナーだけど。

           

           優勝したレッドソックスの監督がインタビューで「Congratulations!」と言っていたので、監督が「おめでとうございまーす」というのはもうこれ当たり前のことなんすね。知りませなんだ。


          リーグ優勝決定戦備忘録

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             ア・リーグの太空人隊×紅襪隊のAB対決は、ブラッドリーJrとベニンテンディのB2名の活躍で4−1で紅襪隊が勝利した。ブラッドリーは守備の人で打線は9番あたりなのが満塁弾を放ち、逆に上位を打つベニンテンディはシーソーゲームの第4戦で、太空人隊のMVP候補ブレグマンのあわやサヨナラ打を好捕で防いだ。どっからでもヒットが出るし、総じて守備が巧いから、そりゃまあ強いよね。

             にしても4−1は意外。スプリンガー、ひざ痛のアルトゥーベ、グリエル等々、結構打っていたはずだけど、セールが自滅した初戦以外落とした。接戦をものにできなかった格好。シーソーゲームを落としたのと、太空人隊の抑えが満塁弾を食らったのと、あと第5戦の先発がプライスだったので、当然太空人隊のABC打線が爆発して6戦目行きかと思いきや、ピシャリと抑えたのが大きかった。

             紅襪隊はエースのクリス・セールが胃炎で入院という意外な災厄に見舞われたが、5戦で終わったので助かった格好。クリス・セールは、クスリのセールベールを飲んで静養に努めてもらいたい。

             

             一方の釀酒人隊×道奇隊は7戦までもつれた。初戦でエースのカーショウが投手に本塁打を打たれたせい。何やってんだ。しかし、これでどうやってレギュラーシーズンで活躍したのだろうというくらい空気を切り続けていたベリンジャーの活躍で2−2のタイに戻したのが大きかった。素人目には酷いスイングにしか見えないのだけど。

             

             2度目のカーショウは見事だったが、2度目の柳賢振が打たれまくった。どうも安定しない。7戦目はたまにしか活躍しないプイーグが爆発して道奇隊が再度のワールドシリーズ進出を決めた。前田はシャンパンを浴びながら「ワールドシリーズに進出させてもらって」と、俺の嫌いなさせてもらう語を使っていたが、確かにこのシリーズの前田のぱっとしない出来からいうと、させてもらった感も漂う。ワールドシリーズでは活躍してもらいたい。

             

             あと隻眼の左投、MLBの土佐丸・犬神ことウリアスにも注目。今のところ前田同様、なんか危うい。手術で多少視力は戻ったそうなので、犬神というより白新・不知火かもしれない。にしてもドカベンは片目の投手が多くないか。
             釀酒人隊は、左投げのシンダーガードことヘイダーに尽きる。投手というより、打てない球を投げる人。だが、監督にヘイダーと心中する覚悟が足らなかったような。アーシア、ブラウン、ケインと太空人隊と同じ打線にABCが揃っていた側が負けた格好。イエリッチが完全に抑え込まれたのが痛かった。いつの間にか加入していたグランダーソンのポストシーズンもここで終了。

             

             台湾に行ったとき、スポーツニュースで「太空人隊」がどうのこうのという字幕が出ていたのを見て、多少時間がかかって「おおアストロズのことか」と印象深かったので、今回はこのような表記に。

             

             というわけで、ワールドシリーズはレッドソックス×ドジャースの、BB102年ぶり対決。結局3年ごしで王道の赤青シリーズになった。ボストンとロサンゼルスなので、アメリカ横断対角線シリーズでもある。寒暖差もひどい。おそらく本拠地が最も遠いのはマリナーズ×マーリンズの組合せだと思うが、どっちがどっちかわかりにくい方が目立つ。今のところちっともありえなさそうな組合せだが、もし実現の折はイチローは両チームとも出場(ずっと打ってるorずっと守ってる)という特別ルールで。

             

             2014-2015のロイヤルズ同様、前年に敗れたチームが雪辱を果たす展開でドジャースに期待したいところだが、これまでの戦いぶりを見ているとレッドソックスにまったく勝てそうにない。だが昨年のリーグ優勝決定戦は、ドジャースが4−1で勝ち上がり、アストロズが7戦までもつれたから、ちょうど今年は逆。勝機あり。



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