映画の感想:パラサイト 半地下の家族

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     猛烈に感動した。現実を皮肉ったコメディ&スプラッターだから落涙するシーンは何もないのだが、帰宅して眠りに落ちるまで結構放心していた。何がそんなに、というとこれはだいぶ個人的な話になる。とりあえずは内容紹介を。


     半地下の家に住むキム一家が、文字通り他人の家庭に寄生していく。寄生先は山の手の豪邸に暮らすパク一家だ。
     この辺の社会背景は、「国家が破産する日」の〈それから〉になる。国策(というかIMFの差し金)で新自由主義に突き進んだ結果の格差社会だ。「弁護人」「タクシー運転手」「1987」「黒金星」と、冷戦構造&軍政の崩壊、その結果の民主化ひゃっほーい、の先に待っていたのは、まさかの19世紀社会だった。この格差社会は日本も同じだが、韓国の場合、本作のような半地下賃貸に暮らす人がそれなりいるといい、格差がビジュアル的にわかりやすい。

     

     なんでも、元は北の攻撃に備えた地下シェルターらしく、それを賃貸用に改装して貸し出しているとのこと。湿気はひどいし、便所虫が跳ねてるし、下水管より下に部屋があるからだろう、トイレは天井高にある。なかなか強烈な絵面だ。俺が韓国人ならこの時点で見るのがキツかったかもしれん。「万引き家族」では、あの貧困家庭のやけにリアルな部屋の様子にに息が詰まってしまったものだった(なのでテレビ放映を録画したが序盤で停止したまま)。本作の場合、よその国の情景なので、露悪的に戯画化された舞台美術のように見え、心理負担は少なかった。

     まあ「万引き家族」に難癖つけてた人々と韓国罵倒好きは結構重なり合ってるだろうから君らにいうとくと、本作は韓国の恥部を晒して韓国を「貶めている」映画につき、ぜひ見たら溜飲が下がるんじゃないかな! ご存じないと思うけど、韓国映画おもしろいよ。

     

     閑話休題、そんな一家が、家庭教師だ、専属運転手だ、家政婦だ、と次々パク家に雇用され寄生していく。その詐欺的過程は、スパイものかオーシャンズのような盗人もののようなトリッキーさが楽しい。キム家の人々が総じて優秀なのも笑える。初心者的なドジでスリルを演出するのが嫌いなので見ていて気持ちがよいし、優秀でも機会に恵まれないのが格差社会であるという社会の断面をえぐっているともいえる。


     一番驚いたのは家政婦として寄生する妻で、半地下で暮らす序盤は格好も口も汚いおばさんだったのが、家政婦になりすますと途端に気品のあるマダムに化ける。そのギャップがさすがのベテラン役者だ(この妻が元ハンマー投げの選手だったというのはどういう意味があんの?)。序盤で兄の大学在籍証明を偽造する妹に、父が「ソウル大学に文書偽造学部があったらお前は主席だ」とおかしな感心の仕方をするギャグシーンがあるが、この妹は文書偽造「が」得意なのではなく、文書偽造「も」できるだけで、他にもっとマシなこともできるはずだ。能力の発揮のしようがない不幸と、それが犯罪に向かう不幸が、端的に現れていると思う。

     

     一方のパク家。西島秀俊風の父が、なぜか鼻にかかったテノール声で話すところがマンガチックで可笑しいが、彼らはわりに普通の善良な一家である。劇中の台詞にもあるが、金持ちは大抵割といい人が多いという典型をなぞっている。豪雨で多くの被災者が出た翌日に奥方が「雨のお陰で空気が綺麗ね」と言うときも、そこに悪意はない。ただ無邪気なだけだ。だが被災した側からすればひどく配慮を欠いているように聞こえる。この辺りの鼻持ちならなさ加減も絶妙である。

     

     さて寄生に成功したキム一家だが、この後正体がバレそうになるスリリングな展開にならないこともないが、そこがメインディッシュではなく、全くもって意外な展開を見せる。自分たちの鏡というかフラクタルというか、そういうものを用意するのはトリッキーなストーリー運びの常道とはいえ、実に見事な脚本だ。

     ちなみにリビングがとっちらかったのを慌てて片付け、片付けきらないうちに家主が現れるも特にバレないシーン(ガラスまで飛び散ったのに)はいかにもドタバタコメディ風ご都合主義に見えるが、あのふるまいが家政婦を抱える金持ちなんだろうな。一定以上のホテルに泊まるとき、よもやつい先ごろまでその部屋で誰かが酒盛りをしていたなんて考えだにせず、当然部屋は片付いていると思っている。それと似たような感覚なのだろう。

     もひとつついでに、この優秀なキム一家が、後半のまさかの展開の中では「うっかり階段から落ちる」というドジをやらかしているのだが、これも好意的に解釈すれば、「上層」に上るときは逞しく悪知恵が働くのだけど、「下層」に下がるときは、上を欺くときの器用さが発揮されず、結果ドンくさくなるということか。

     

     さて何に感動したのかといえば、まるでよくできた舞台作品を見たときのような感覚になったこと、もっと正確にいうと、そのような感覚に日々突き動かされていたころを思い出したからだ。
     キム一家とパク一家、どちらも4人家族で男女比も同じ。基本はこの8人で展開し、場面の多くはパク家の豪邸、つまり限定的な閉鎖空間である。コメディ的な展開を牽引力としながら、そのくせスプラッターが交わり、すんなりジャンル分けできないごった煮感ないしははちゃめちゃ感。実に舞台的である。

     残念ながら大抵の舞台作品は、このごった煮はちゃめちゃが悪い方向に作用して、ぎゃーぎゃーわめいているだけのわけのわからん内容になってしまい、それを見た俺は「何だこれは」とストレスを溜め、後日映画館やDVDで「舞台みたいな映画」を見て、これだよこれ、こういうの舞台でやったらええねん俺はやったるぜ、と意気込む。そんなことを繰り返していた時期が確かにあった、と思い出したのだった。思い出したというか再確認、追体験、まそんな感じの濃いめの感慨。それに襲われて、放心してた。
     それが何なんだといわれれば、それだけの話。個人的なことにつき、オチはない。15年くらい前だったら、思い切り影響されて、「パラノイド」とかいうタイトルで出来の悪い剽窃をしていたかもしれない。本家パラノイドの人は難病を告白したとニュースでやってた。71歳かあ。でもコメントは前向き。話が散らかっている。では。

     

    「기생충(寄生虫)」2019年韓国
    監督:ポン・ジュノ
    出演:ソン・ガンホ、チャン・ヘジン、チェ・ウシク

     

     


    映画の感想:フォードvsフェラーリ

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       案の定、見終わった後にシャドウボクシングをしたくなるロッキー現象が起こった。やりたくなるのはボクシングじゃなくて車の運転だが、我がスーパーカー・ランボルギーニエスプリデロリアンストラトキャスタークレイジーソルト、別名フェアレディZ(記事下写真参照)はとうの昔に手放してしまったのでブウンブウンと口で言うだけ。大体、車の運転は嫌いではないが割とゆっくり走るタイプで高速走行は苦手なのだった。


       主人公の一人がレース用マシンにフォードの社長を乗せて爆走した後、助手席の社長が、感情が混線して泣いてるのか笑っているのか怒っているのかよくわからない顔をするシーンがあり、あれの気分はよくわかった。中国でタクシーに乗ったとき同じような顔になった。最高速度140〜150くらいなのでレースの半分も出ていない勘定だが、元レーサーが操るレーシングマシンに対して結構な年寄りが操る整備不良音を轟かせる10何年落ち乗用車だから、辻褄は合う。

       

       主な舞台はアメリカだが、決戦の地ル・マンはフランスで、ライバル・フェラーリはイタリアの会社だから時たまヨーロッパの映像が出てくる。殺風景なだだっぴろい田舎とは似ても似つかぬ、味わい深いこじんまりした石造りの街並みは、文化や歴史におけるアメリカのコンプレックスを疑似体験できる。この街並みの違いは、効率だけが支配している流れ作業のフォード工場と、クラフトマンシップに溢れ、工房という呼び名が似つかわしいフェラーリの工場との違いにもそのまま対応してくる。エンツォ・フェラーリが買収の提案に来たフォードの幹部に「クソ汚え工場で一生クソダセえ車作ってやがれカッツォ!」と罵倒した気分は、なのでわかる。


       今でも自動車メーカーごとのイメージはそれなりにあるのだろうが、技術の差が大きかった時代はそれがより激しかった。
       新入社員のころ、研修で外部講師の話を聞く機会があった。その人はかつて「BC戦争」のころ自動車セールスマンだったという。日産ブルーバードとトヨタのコロナ、同タイプ車種のシェア争いだ。その講師はコロナを売る側だったが、「性能で何一つ勝てなかった」から、売るためにあれこれ知恵をひねったと面白おかしく話していた。


       コロナの性能が悪いかどうか乗り比べたことがないので知らないが、少なくともその時代は「日産>トヨタ」という世評が浸透していたのは確かなようだ。俺が子供のころのトヨタの地位はもう少し上がっていたと思うが、エンジンスタート時の音がキャンキャラキャッキャンキャンと、甲高くてうるさいチワワのごとしで(向かいの家のマーク兇そんな音だったと記憶)、子供心にもダサいと感じたものだった。我が家は日産で、キュキュキュッ、ブン!と、もっと低く貫禄があった。

       

       フォードも同様、大衆車を初めて生み出した自動車業界の革命児だが、それだけに安っぽいイメージはついて回ったのだろう。そこへいくとフェラーリは、昔も今も「最も速くて赤い車を作っている」というイメージがゆるぎないので大したものだ。ま、そんだけ客を選んでいる鼻持ちならない高級ブランドってことだけど。


       本作は、若い層にウケるスポーツカーを売りたいフォードが経営戦略としてレースに参戦し、絶対王者フェラーリに挑む実話をもとにしている。車に詳しくない人にこのアンバランスを例えれば、ユニクロ対ベルサーチ、パイロット対モンブラン、ヤマザキ対江川の水ようかんと似たようなものだ。実に無謀な対決だが、ポイントは経営規模だけは敵方よりずっとデカいということである。資本力はある。だがこのなめらかさは出ない。いやようかんの話ではなかった。町山智浩によると、エンジン音は本物の録音を使用しているらしいのだが、フォードのただの爆音に対して、フェラーリのエンジン音の美しいこと。


       ただし、作品の2/3ほどは「フォード対フェラーリ」ではなく「現場の俺ら対副社長」になっている。現場の油まみれツナギ組はみんな有能で純粋でイイやつらばかりなのに対して、スーツ組は体裁と社内政治ばかり考えている馬鹿。ベタベタな構図。つまるところ本作は物凄く金のかかった池井戸潤ドラマなのだった。道理で2時間半あっても楽に見れると思った。

       

       見どころはすでに述べたエンツォ・フェラーリのキレるジジイぶりのほかは、やがて強力なF1チームを作る当時はまだレーサーのマクラーレンが超脇役で出ている点、そしてコブラ! バカ高いとはいえそれでもたまに街中で見かけるフェラーリに対して、まず見かけることのないモンスターマシンをしっかり拝める稀有な体験ができる。世界中のコブラをかき集めないと撮影できないんじゃないか。なにせリッター辺り300メートルくらいしか走りそうにない。

       

       そして序盤は主役級だが中盤以降ロクに登場しなくなるスーツ組のアイアコッカは、後に社長に就任する御仁だと見終わってから知った。カルト的スーパーカーにしてスーパーカー界のピザハット(イタリア風アメ車)であるデトマソ・パンテーラに肩入れしすぎて首になり、代わりにクライスラーに移って本作の主人公シェルビーとともにダッジ・バイパーを生み出すのだとか。ただのうさん臭いマッチョ野郎ではなく、どうやらかなりの変態らしい。この車も結局は一部のマニアにしか受けていないから、やっぱりフェラーリには勝てんということか。
       テスト走行中、コースの一番遠くで車が見えなくなって事故るくだりは、「F」のピーポーを思い出した。

       

      「Ford v Ferrari」2019年アメリカ
      監督:ジェームズ・マンゴールド
      出演:マット・デイモン、クリスチャン・ベール、カトリーナ・バルフ

       


      【やっつけ映画評】バジュランギおじさんと、小さな迷子

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         インド×パキスタンの対立をテーマにしている時点で俄然興味が湧く作品だが、前半のツラさは「パッドマン」と似ていた。ご都合主義が酷い分、本作の方がよりキツい。インド映画はあまり本数を見ていないが、聞くところによると大抵こういうものらしい。ベタベタな展開に呆れていたはずがいつの間にか引き込まれ、最後は感動している。
         裏を返すと前半は耐えるのみ。つまり、北米や西欧、韓国の映画などではある程度共通している物語の組み立て方や端折り方が、インドでは通用しない、だいぶ違う発想で作られている、ということだろう。やたら踊るところもまたしかり。異文化交流の難儀さを簡単に味わえる。そこへいくと「めぐり逢わせのお弁当」はインド映画のくせにやけにシンプルな展開だったと思わずにはいられないのだが、改めて確認すると「インド・フランス・ドイツ合作」となっていた。道理で。

         

         パキスタンの少女が政治的に対立する隣国インドで迷子になり、偶然出会った男が苦心惨憺国境を越えて少女を家に送り届ける。そういう温かな物語だ。

         

         序盤、国境を横断する鉄道から少女が迷子になる過程は、まるで「銀河鉄道999」だ。あのマンガ、わざわざトラブルになるために主人公・鉄郎は停車駅の惑星で下車している感がある。まあ子供というのは往々にしてわっかりきったミステイクを無邪気にやるものであろうが、この少女、利発そうな外見とは裏腹に、興味関心に引きずられてすぐどこかに姿を消したり、手癖悪く盗んだりする。日本だと難しい漢字かアルファベットが並んだ病名を付けられてしまいそうなレベルに見えるが、それもこれも物語に起伏を作るためのご都合主義に見えてツラい。


         そしてこの少女は発声できない障碍を抱えていて、そのため家探しも難航する展開なのだが、ラストで去っていく「バジュランギおじさん」に向かって呼びかけたい一心でとうとう声を発するあたり「北斗の拳」だった。そして印パ対立は必然宗教の違いが絡むわけだが、相手の宗教の作法で敬意を示すくだりは「ブラック・レイン」を思い出さずにはいられない。

         

         というわけで本作は、銀河鉄道999で始まりブラックレインを経て北斗の拳で終わる「日本が世界の中心で輝く」映画、「日本が南アジアの平和と安定の架け橋」である映画といえよう。ブラックレインはアメリカ映画だが、そういう意図に沿わない事実は無視しなければ、日本万歳利権のおこぼれには預かれないのである。


         さて高校世界史レベルで歴史を振り返っておくと、第二次世界大戦後、英領インド帝国は独立することになるが、その際宗教対立から西のパキスタン(イスラム教)と東のインド(ヒンドゥー教)に分離独立することになった。不法入国を手伝う業者の男が「ジンナーの札を寄越せ、ガンジーのは要らない」と言う台詞があるが、ジンナーはこの分離独立の際のパキスタンの代表者である。両国は印パ戦争に代表される激しい対立を繰り返し、現在に至るわけだが、中でも帰属を巡って話がややこしくなっているのがカシミール地域だ、というのが試験の定番である。ついでに昨年、モディ政権はジャム・カシミール州の自治権剥奪を行って混乱が広がり、再び注目が集まった。ここの時事の試験で出るから要チェック。

         

         迷子の少女シャヒーダーは、このカシミール地方のパキスタン側の山村の出身という設定である。冒頭、ゴタゴタとしたニュースからくるイメージとは程遠い実に美しい景色に圧倒される。急峻な山の白と丘陵の草の緑が映えること映えること。これぞ「深夜特急」冒頭で触れられている白いカシミールというやつか。

         

         このシャヒーダーが旅先のインドで親とはぐれて迷子になるのだが、かような政治対立のため、やすやすと両国間が渡航禁止状態になったりで容易に帰国できない。日本も戦後、長く大陸と国交がなかったから残留日本人もなかなか帰国できなかったから遠い国同士の奇異な出来事ではない。
         彼女を救うのがバジュランギおじさんことパワンだ。気は優しくて力持ちという御伽噺的な設定の主人公で、篤い信仰心がその源泉である。ハヌマーンという神を折に触れ拝んでおり、要するにヒンドゥー教徒だろう。熱心な信者過ぎて「正直であること」が常軌を逸しており、これがまた物語のドタバタを生んでいる。その最たるものが不法入国の場面だ。
         隠密行動が基本なのに「こそこそしたくない」と、正々堂々国境警備隊に「通ります!」と宣言する。当然「ふざけてんのか」とボコボコにされるのだが、ついにはパワンの信念が勝り、根負けした警備兵が見らんふりしてやると温情をかける。だのに「見ないふりとかそういうんじゃなくて、こそこそしたくないので許可下さい」と一切の妥協がない頑固なブレのなさを見せる。警備隊にすれば最大限の譲歩をしてやっているのにたまったものではない。ついでにこのやりとりも結構長くてしつこく、うんざりする。


         


        【やっつけ映画評】運び屋

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           悪事が淡々と進行していく様子が、なぜか滑稽に見えてしまうのと、アンディ・ガルシアのようなビッグネームが結構しょーもない役で出ている辺り、北野武映画に似たものを感じた。


           「90歳の運び屋」の物語を、90近い人が監督・主演している。二重にすげー爺さんの作品だ。「人の皮をかぶった殺人ロボット」の説得力を出すにはシュワルツェネッガーが肉体が必要だったのと同様、この役を演じられる外貌を持つ役者はなかなかいないだろう。妻を演じていた人が、この爺さんの妻にしては若いように見えてしまったのがそれを示しているように思う。


           「グラン・トリノ」と共通点の多い作品だ。主人公が家族に嫌われた偏屈で、無邪気に差別用語を口にし、従軍経験があり、車がよく出てくる。ラストも似ているようにも見えるが、これは後で述べるとしよう。「グラン・トリノ」を見たとき、人間には年を取ってからでないと作れないものがあると感じたものだが、よくよく振り返るとあの作品から10年も経過しているのだった。関ヶ原合戦から大坂の陣まで実は15年も間が空いている事実を思い出した。どっちの徳川家康も同じ風体の爺が演じるが実はそんだけ年を取っているという。

           

           主人公アールは仕事第一で一切家庭を顧みず、娘の結婚式すら出なかった偏屈男である。大手商社かメーカーの人を想像するが花農家というのが勉強になった。農家は一見腰を落ち着けきった仕事に思えるが、アールの場合は品評会等々でとにかく出張が多い。それで優勝するほどの凄腕なのだけど、時代の波にのまれて廃業。困窮する中で、薬物の運び屋をやって大儲けすることになる。前科なし、違反歴ゼロの90歳なのが功を奏し、こちらも凄腕の運び屋になるという展開である。

           一方、薬物捜査で実績を上げてきたベイツの捜査も進められていくのだが、彼が主役の場面を見ると、人がいかに予断を持って他人を見ているのかがよく実感できる。ベイツの視野に入る人間は、だれもかれもがアールの100倍怪しく見える。

           


          【やっつけ映画評】さよならテレビ

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             会社員時代のこと。気難しいおじさんにインタビューをする機会があり、同行した後輩に写真撮影を任せた。ほうほうへえへえと話を聞いている傍らで後輩がカシャコンカシャコンとシャッターを切っている。黎明期のデジタル一眼レフだったのでシャッター音がダサかった。終わって帰社するとその後輩がニヤニヤしながら撮ったばかりの写真を表示したPC画面を見せてきた。写っていたのは実に陳腐な愛想を浮かべている俺だった。これぞブン屋の欺瞞だという決定的瞬間を激写したと、大意そんなことを言われ、まさしく嘘まみれの作り笑いだったからぐうの音も出ず、自戒も込めて記念にありがたく頂戴した。


             本作はいわば、この後輩と似たようなことを戯れ抜きでやったドキュメンタリーといえる。単に同僚にカメラを向けたのが同じ、というだけではない。「正体捕えたり!」とばかりにゲラゲラ笑っていたあの後輩自身に、どれくらい自分と重ねる視点があったのかという点含め、似ていると思った。


             自社の報道部門が被写体だ。日々の仕事ぶりを写している。テレビ局がテレビ局にカメラを向けるのは地震発生時の社内の様子くらいなものなので、映し出されているもの自体、それなりに貴重な内容である。報道という括りでは、知らないこともない現場の様子であるが、新聞とは結構カラーが違う。くだらないところでは、全体的に服装がチャラい、というほどでもないが、とにかくシャツのストライプ率が高い。会議の際に常にマイクを握って発言する(フロアが広いから?)のは不思議な文化だと思った。
             もう少しまともな話だと、やはり文字媒体と映像媒体との違いである。制作過程がまるきり異なるので、同じ報道といっても会社内の雰囲気だとか社員の基本スタンスはかなり違う。何というのか、報道をやっているというより番組を作っているという方が表現としては正確な印象を受ける。作中、社内で問題になるのは、抜いた抜かれたの報道合戦ではなく、放送事故や「お詫び・訂正」だったり視聴率だったりする。この辺のことは本稿の本題ではないので深くは触れない。1つだけ、「人が多い」というのは後で触れる。

             

             本作の趣旨は、自らを撮影対象とすることで、凋落が言われて久しいテレビメディアについて改めて批判検討するといったところだろう。事前の原稿通り綺麗にまとまったことしか言えないメインキャスターの福島、ジャーナリズムの鈍化に危機感を覚えつつもスポンサー絡みの提灯記事ばかり振られる契約社員で記者の澤村、同じく契約の立場につき何とか成果を出したいと意気込むも、どうにも要領が悪くミスばかりしている若手記者の渡辺。この3人の男性を主役格に据えて(元々見られる仕事の人と正社員でない人2名という人選に若干もやもやしたがそこは言いがかりかもしれない)、テレビの現実を炙り出す。

             

             その個々のエピソードはそれなり興味深いものの、全体としてこれは何をエグろうとしているのだろうと疑問符がついて回ったところで、最後に犖事な瓮チが待っている。爿疉佞で勿体ぶった書き方をしているのは、俺自身はあまり見事には思えなかったからだ。急に森達也にカブれた人が作ったようなオチだった。言いたいことはわかるしそれも一つの大きな課題だろうが、いま問うべきは「そこ」ではないんじゃないのと強く思った。

             

             

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