ぐだぐだと復帰

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    晩白柚と黄色いボール

     

     3月末でひと段落ついたように書いたが、全然そんなことはなく、月月火水木金金的な週が続いた。ついでに在宅仕事も多く、学生が書いた文章を4月だけで500本ほど見る羽目になった。すごく単純に見積もると、普通サイズの書籍2冊程度といったところの文字数。こう書くと大したことはないように見えるが、何せ本ではないので、そりゃもう・・・・・・。仕事とはいえ、精神的にかなりすり減る。


     この感覚は何かに近いと思って、何度か書いている昭和30年代のマンガをまとめ読みしたときだとわかった。当時の少年雑誌に連載されていたマンガは、どれもこれもが判で押したような工夫のないワンパターン。黎明期だからそんなものだろうし、それをわざわざ調べると自分で決めてやっているから文句をいう筋合いは全くないのだが、ちっとも面白くないので、マンガを読んでいるだけのことなのに実にすり減ったものだ。そしてたまに手塚治虫作品と遭遇して格の違いに「おぉ!」となる。
     これと似たような感じだ。手塚治虫のような学生はいないが、たまに「よく書けてるやん」というのはいる。ただし若干名。あとはひたすら似たような具合。ただしテキトーにやってるのは若干名で、大方は真剣に取り組んだ末での結果ではあるから、こちらも真摯に添削。

     

     大学の1年だったか2年だったか、とある授業でレポート課題が出て、ろくに講義を聞いてなかったこともあり、何を書けばいいのかさっぱりわからない課題だったから、さあ困った。結局よくわからないままよくわからないことを書いて提出したらば、後日の授業で教授が「みなさんまあまあよく書けてたと思います。ひとつだけ怒りを覚える内容のがありましたが。よほど不可にしようと思ったけど、可にしときました」とコメントし、案の定その授業の俺の成績は「可」だった。
     大学関係の仕事をするときには、常にこの自分史を定期点検するようにしている。自分だってその程度の阿呆だったのだと。ただし「怒りを覚える」とあのとき教授が言っていた気持ちもよくわかるようになってもしまっている。

     

     この作業の中で直面したのは、難しい話になると若人の年齢設定が老化するという現象である。例えば「環境問題と経済」というなかなか難しそうなテーマで文章を書くとすると「経済活動が環境破壊を生み、さりとて環境保護を進めれば経済活動が立ち行かなくなる」という昭和の公害企業の経営者みたいな二律背反を書いてくる、といった具合である。彼らは二十世紀末の生まれなので、物心ついたときから環境への取り組みをPRする企業ばかり目にして育っているはずだから、そういう前提の話をいかにも書きそうなものだが実態は違う。不思議なものだと思ったが、「今の子供は外で遊ばなくなった」とか「近年、近所づきあいが希薄になった」とか書いてくる学生は、学生相手の仕事をするようになってから継続的に存在しているので、「定型として確立しているものをなぞるからそうなる」というのが真相か。

     

     こうして4月が終わり、5月に入っても色々追い立てられるまま。テレビをつけると記憶力に著しい難があることを自ら進んで吹聴する御仁や、コミュニケーション力に著しい難があることを自ら進んで吹聴する御仁、ついでに経営者としての手腕に著しい欠如があることを自ら進んで吹聴する御仁等々で埋め尽くされていて、「SHERLOCK」のシャーロック風に言うと「部屋のバカ指数が上がる」から大変に困る。くだんの監督氏は除名になったようだが、内閣のみなさんも「処分はジョメー」だよホント。ごく一部の人間にしか伝わらない内輪の冗談です。

     

     「ドカベン」に出てくる明訓高校のライバル校の中には、「ブルートレイン学園」に代表される、名は体を表す(というより名しか体がない)学校がある。ブルートレインだけにナイターに強い、という馬鹿馬鹿しい設定なのだが、一方で「クリーンハイスクール」のように、ちっともプレーがクリーンではない逆のパターンもある。さて日本大学はブルートレイン学園なのかクリーンハイスクールなのかと考えることやや。

     

     日大の学生の会見では、顔のアップはなるたけ控えてくれという申し出をちっとも受け付けない報道側の姿勢も一部で批判されていたが、あれはさきほど紹介した学生と同じで、寄るべきフォーマットが1つしかない(会見の撮影の仕方が1つしか頭にない)からああなる。同じことを以前から感じているのが国会のニュースで、野党が質問して首相ないしは担当の大臣が答える、というフォーマットで仕立てるわけだが、少なくとも首相に関してはそもそも会話が成立していないやり取りがかなりを占める中で、意味の通るところだけ取り出していつも通りに仕立てるので、いかにも議論が拮抗しているように見えるが実のところは大部分そうなっていない。これもまた、目の前のものをちゃんと観察して認識しましょうやという点で学生の文章と大差ないんである。難しいもんね。わかるわかる。ま、あんたがたの場合は学生じゃないんだけど。
     


    MLB2018

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       先日、知人から久しぶりに電話がかかってきて、生きていく希望を自らどうにか作り出さないと潰れてしまいそうだとか何とか、中年の危機を話していた。「お前はどうよ」と言われ、さて最近希望に満ちたことって何かあるかしらと考え、「大谷の打席ですかね」と答えたら、「お前もお前で重症だな」と言われた。


       だけど、「マンガでも没になる」と評されるほどの鮮烈デビューを飾った大谷は、その記録というよりは、体の柔らかさを活かしたしなやかなバッティングが見ていて楽しい。アルトゥーベ、ベッツあたりに次ぐ魅力的な打者だ。誰かに似ていると思って見ていたのだが、一球さんもしくはスラッガー藤娘だな、と気付いた。どっちも右打者だけど、例によって水島大先生であるから、野球といえばそれしか知らないのかという話である。下馬評の低かったエンジェルスがアストロズに伍しているのも、彼の存在が大きいだろう。是非ワイルドカードに進んでもらうと、一発勝負を投手か打者がどっちで?という話でしばらく持つと思う。

       

       エンジェルスのいるア・リーグ西地区は、昨季優勝のアストロズが盤石。立憲制の国王のような存在にイチローを収めて「若手を使え」の批判を抑え込んだマリナーズが追撃している。

       中地区は低調な滑り出しだったインディアンズが首位に浮上。なにせ呪いの元凶たるお馴染みのロゴマークを廃止すると表明したので、いよいよ呪いが解かれるのか、実際に廃止される来季以降になるのか、いずれにせよ近年はポストシーズンで奮闘したチームが優勝するのがパターンであるから一番の注目チームといえよう。

       東地区はレギュラーシーズンは勝っているのにポストシーズンで負けたからと、ちょっとかわいそうな格好で監督の首を挿げ替えたレッドソックスが好調。余計に前監督がかわいそうな気もしないでもないが、ハリルホジッチ首→その後、の惨状に比べれば何の問題もない。台湾の林がこの隙のないチームでどれほど活躍できるか注目。

       同じく監督が若手に交代したヤンキースは、マーリンズのオーナーに就任し、その実ヤンキースの回し者疑惑があるジーターからスタントンを仕入れ、マリス&マントル以来およそ半世紀ぶりの王者っぽい打線を擁している。しかし、優勝が至上命題的なチームがちっとも優勝できていない状況が続いているのに、ここのGMは20年くらい続投し続けているのは何でなんかね。過去のヤンキースであれば、オリオールズからマチャードを引き抜いて節操のない強力打線の上乗せをやりそうだが。いつの間にかブルージェイズにオ・スンファン(呉昇桓)が加入していた。

       

       ナ・リーグは、西地区の本命ドジャースが怪我人続出で出遅れ。カーショウ、ターナーを欠くと激弱になる点、現代野球とはとても思えない古典ぶりが魅力である。やはりこの2人がチームの核か。ヒルもリュもDL入りで前田に期待が集中するある意味燃える状況だが、彼もお尻の辺りが痛そうで不安が残る(その後DL入り。先発全員故障でYuを呼び戻すしかないと思ったら彼もDL。松坂でも獲るか)。ダイヤモンドバックスは主砲をレッドソックスに放出したが、両チームとも強くなったからなんと気持ちの良い取引か。ロッキーズも着実に力をつけ混戦模様。一方、偶数の年なのにジャイアンツは下位に沈んでいる。そんな中、かつての名捕手イバン・ロドリゲスの息子、デレック・ロドリゲスがデビュー。ただし投手である。まるでバンド解散後に、ドラムからギター&ボーカルに鞍替えしたデイブ・グロールのようであるが、このデレックもデイブ同様見事な長髪だ。というかジャイアンツは長髪でないといけない規定でもあるのか。

       

       中地区は下馬評が高いブリュワーズが強いが、ポストシーズンの常連だったカージナルスも復調の兆し。低迷とみせかけいつのまにか上位に食い込むカブスのしたたかさも定番化している。大谷の登場で徐庶のように存在が薄くなってしまったYuの快投が望まれる。
       東地区は監督を代えたチームが多い。このうち優勝が指定席化しているナショナルズは相変わらず強く、あやうく100敗が何年か続いたフィリーズも急に強くなり、一方メッツは低迷。監督を代えていないブレーブスがまさかの好調で、赤3チームの混戦模様である。ハーパーがいるうちに優勝したいナショナルズだが、少なくともワールドシリーズ出場をそろそろ決めたいところ。一方、ジーター、マッティングリーのヤンキースコンビが支配するマーリンズは、まるで巨人の天下り先たるかつての横浜であるが、かつての横浜同様、独自の勝率を堅調に維持している。最弱チームは翌年のドラフトで1位指名の権利がもらえるため、今季は負けるのが任務との評もあるが、それは八百長ではないのか。ブラックソックス事件ならぬ、クロカワカジキ事件也。


      【やっつけ映画評】ラッカは静かに虐殺されている

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         イスラム国に制圧され犲鹽圻瓩砲覆辰薪垰圓凌諭垢怜綟饋俵譴鯢舛い織疋ュメンタリーだが、見ていて「バタリアン」を思い出した。

         

         コメディ風味のB級ソンビ映画という評も見たことがあるホラーである。本作の内容からすると、不謹慎にも思えてきてしまうが、まあお付き合いを。先にオチも含めて「バタリアン」の内容について。軍がひそかに開発したゾンビが間違って移送されて、というご都合主義な展開から、誤って献体の遺体がゾンビ化し、どうにかとっつかまえて焼却処分したところ、その煙が折からの雨で大地にまき散らされ、墓地の遺体が甦ってしまう。こうして町がゾンビだらけになり、にっちもさっちもいかなくなったところで事態を察知した軍がミサイルを発射。町ごと壊滅させて映画は終わる。

         

         ゾンビから必死に逃げ回っていた登場人物たちもまるごと破壊される何の救いもないラストである。「それしか方法がなさそうな事態だ」ということが描かれてはいるから、まあそうなるよなあと同意しつつ、結局そんなオチかよ、と工夫のなさに呆れつつ、だったように覚えている。それと同時に、核で全滅させてもキノコ雲から黒い雨が降ったら、また墓場の人々が甦るんじゃないか?とも思ったものだった。「核は燃やすんじゃなくて一瞬で蒸発するんだよ(=だから雨が降っても焼却炉の煙とは結果が違う)」と誰かが得意気に講釈を垂れていた記憶がある。小学生だったはずだが、誰がそんな高度な解釈を披露していたのだろう。

         

         以上を前提に本作について。
         序盤で混乱前のラッカが登場する。普通の地方都市といった趣で、人々が平和に暮らしている様子を見せられるが、その後の展開を知っているだけに、見ていて辛く、かつ貴重な記録でもある。この町に、やがてアサド政権の圧政に抗議する政治運動が波及してきて、激化とともに軍の制圧が始まる。投石する人々に軍が発砲し、という場面は「タクシー運転手」を彷彿させる。しかし本作を見ると、光州事件はまだマシだったとついつい思ってしまう。何せ第三の勢力として、もっと残虐な連中が現れるからだ。統治の揺らぎに乗じて、イスラム国がやってくる。

         

         彼らはアサドの圧政からの「解放者」を自称しているが、かつてのドイツにとってのソ連みたいなもので、ナチス政権からの解放者として現れ、代わりに余計にひどい東ドイツを作った。東南アジアにおけるかつての日本軍も解放者を称しつつ、であるから縁遠い現象ではない。とにかく、ラッカを手中に収めたイスラム国は、気に入らない人間をどんどん捕まえて晒し首にしていく(モザイクなしで出てくる)。武器を持った多勢に抗うことは一般人には到底無理だ。でも「服従か死か」の過激で残虐な連中である。白旗を揚げたところで安穏と暮らせるわけでもない。一部の人々は、素人記者としてラッカの様子を撮影し、世界に発信することにする。本作は彼らの戦いを描いている。世界に知れ渡ることで各国首脳が反応し、イスラム国を追い出してもらう、というのが狙いである。

         

         もうそれしか方法がないのだ、というのがまずもっての絶望だ。一定数の武装勢力がいて、政府の統治機能が期待できない状況では、そこで暮らす住民にできることは何もない。イスラム国より強い武器を持った勢力を頼むよりほかはない。ただし周辺国や米英等が腰を上げたところで、対策としては爆撃になる。町は荒廃し、住民も巻き添えになる。これが「バタリアン」を思い出した1つめである。

         

         ネットを使って撮影した写真や動画をアップしていく報道集団の活動は、必然的にイスラム国にも知られることになる。彼らは死刑宣告を受け、実際に仲間やその家族たちが命を落としていくことになる。「我々が勝つか、皆殺しにされるか」という緊張感の中で、ペンは剣よりならぬ、スマホは銃より強しとばかりに彼らはデジタル端末を使ってラッカの実態を告発していく。今春、学生にスマホをテーマにレポート課題をやらせていたが、ほとんどの学生が「スマホのし過ぎによる睡眠不足」や「歩きスマホの危険性」についてまとめていた一方で、こちらは「告発スマホのし過ぎによる晒し首の危険性」だから、言葉を失う。ドキュメンタリーだから現場の音声を全部拾う分、鼻息がやけに聞こえる映画であるが、それがまた緊張感を生んで寒気がするのである。

         

         そうして他国のメディアが取り上げ注目が集まっていくとどうなるかといえば、すでに述べた通りの空爆であるが、当然主人公たちは素直に喜べず、むしろ余計に深刻な顔で頭を抱えることになる。「イスラム国とは人ではなく思想だから、殺しても滅びるわけではない」というのが彼らの考えだ。イスラム国自体が、恐怖の独裁政権を崩壊させたところに出現のきっかけがあるから、指摘は全くその通りである。これが「バタリアン」を思い出したその2で、ミサイルで壊滅させてもまた雨が降って墓場の人々が目覚めるんじゃねえの? いやあ蒸発するから焼却とは、という理屈は核を使用しているわけではないから当てはまらないが、仮に使用して国際政治が認諾したとしても(無理のある仮定だが)、過激派が全部いなくなるとは思えんわね。実際バタリアンも続編が続くのであるが、こちらはただの金の事情。

         

         原題は「CITY OF GHOSTS」。「シティ・オブ・ゴッド」のもじりか。双方人がたくさん死ぬ絶望的な街の話だ。冒頭で「ここはゴーストの街だ」というノローグも出てくるが、ゴーストとは主人公たちがいう殺しても死なない「思想」のことか。それともバカ売れしたラブストーリーがごとく、こちらからは見えているけど手が下せない主人公たちの隔靴掻痒をいうのか、逆に向こうからは見られているが、こちらからは存在が見えない恐怖をいうのか。いずれにせよ、あまりいいタイトルとは思えない。というのも、本作の半分は監督が撮った記者の面々への密着映像だが、半分は彼らRBSS(Raqqa is Being Slaughtered Silently=ラッカは静かに虐殺されている)が撮った映像であり、監督の便情感はどうしても抱いてしまう。その点、本作については邦題の方が正解という気がする。配給にはアマゾンが関わっているようで、これは金のゴーストによる便乗か、それとも売れそうにない作品に手を貸すゴーストなりの矜持か。救いのない内容だけに、脇の話に逸れて終わる。

         

        「CITY OF GHOSTS」2017年アメリカ
        監督:マシュー・ハイネマン


        【やっつけ映画評】タクシー運転手 約束は海を越えて

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           テロリスト気取りが正義の英雄になってしまう「タクシードライバー」とは正反対に、髪型も服装も全く地味で、不当な抑圧に抗議しているだけがテロリスト扱いされて軍から狙われるタクシー運転手の物語である。軍事政権時代は、南北分断と並んで韓国映画で何度も取り上げられているテーマで、いわゆる鉄板だ。この抑圧と抵抗の時代を経たから、韓国民には政治は変えられるという意識が育ったのだとか、誰かがそんなことを言っていた。文在寅をニュースでしょっちゅう見る東アジア情勢であるが、あの大統領からもそんな雰囲気が漂っていて、延命のために不思議な国語を駆使するだけの本邦の内閣の面々とはダイナミックさにずいぶんと差がある。


           こういう差は自ずと社会の成熟度に関わってくるだろうから参ってしまう。毎年春先に担当している某大学の授業には今年も留学生が数名いて、余計なお世話だがほっとする。あまり関心できない留学生の集め方をしている大学もあると聞くし、おそらくそうだろうという大学も実際に見たことがあるが、こちらはかなり厳しい条件をへて入学しているので、全員語学レベルは高い。昨年は日本の学生より日本語の文章が上手い空恐ろしいのが一人いたが、今年はそこまでではなくとも、それでもなかなかのレベルである。わざわざ他所の言葉を覚えて来ようとする若人がいるのはめでたいことだ。

           彼らの中には一見態度が奔放に見えるのもいるのだが、話しかけると総じてやたらと礼儀正しく、ああそうか俺は「先生」だから、彼らの国では「老師」なのかと鏡で白髪をじっと見つめてしまう。このような年長者に礼節を示す若人がいかにも好きそうな連中が、「儒教の国、残念!」みたいな悪口本を書いているのは、党派性がいかにロゴスの不調を生むかという実例だろう。完全に話が逸れた。とにかく彼ら留学生がやってくるのは、この国に学ぶことがあると期待してのことだから、日本も一定以上の成熟国家であるのは間違いない。


           ただし過去の貯金で生きているという清原的感覚は否めず、分野によってはとっくの昔に残高ゼロになっている。その一つの例が映画界だと思う。是枝裕和がカンヌを獲ったとように、優秀な人は無論いるのだが、少なくとも国内では「脇の方にいる風変りな人」の位置に置かれているのが残高ゼロと評す所以である。大金が動く中央大通りの幅が狭い。

           


          半分でやめた。

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             思い切り途中からなのだが、なんとなく「半分、青い。」を見たら面白くて録画して見続けていた。東京篇になって興味が薄れてしまい、その後はあまり見ていない。
             興味を持ったのは、主人公の年齢設定が俺の兄と同じで、つまり同世代の懐かしさというのがまずある。どうやら自分が生きていた時代は、現在との連続性の中で生きていた分、今とあまり大差ないように受け止めてしまう傾向があるようで、見始めた当初は「こんな古臭かったっけ」と思ったものだった。だが、よくよく振り返るとあんなものだったように思う。友人の「ブッチャー」の髪型なんかはなかなか絶妙で、ああいう出来損ないのLAST GIGSみたいな髪型をしていた男子は多かった。俺もおおむねあんな具合だった。

             というような、言われてみればあんなんだったという感覚に惹きつけられたのが入口だった。こういう現代史的な舞台設定は、なまじっか「時代を象徴するもの」を知っている分、あれこれ盛り込みたくなるのだが、しばしば鼻について制作者の狙いほど共感できなかったり逆効果になることもある。共感する/しないに大きく作用するのは、個々人の個人史だと思うので、作り手側にしてみればしったこっちゃあないのだが、たっぷり調べて控え目に使用するというのがコツなのだろうと思う。


             特に懐かしく感じたのは地域の豊かさといえばいいのか、その点だ。例えば主人公は就職先が決まった後、近所で知り合いのおばちゃんが営んでいるテーラーでスーツをしたてる。これはイタリア製だからいいものよ、などと言いながらおばちゃんは試着を見てウエストをもう少し搾った方がいいなどと調整するのであるが、モノを買うときに、近所に個人経営の専門店があって、品ぞろえは大したことがないのだが、扱っているものはまあまあ上質で融通も利く、という世界は、少なくとも地方都市ではもはや失われた景色だ。都会のごく一部だけで残っているくらいではないだろうか。

             俺はこのドラマと同じく地方都市の産で、このドラマと違って商店街がある歴史的な町ではない昭和の新興住宅地の育ちであるが、それでも個人商店の類は当時たくさんあった。飲食と美容室の残存率は高いが、それ以外の業種はほとんど消えた。彼らがもっていたささやかな市場を、大手のチェーンが全部さらっていった格好だ。それを望んだのは商店主以外の地域住民で、住宅地だとその傾向はより強くなるよね。そうしてこのドラマの主人公たちが大人になって、新自由主義的な価値観を強く支持していくから、律くんたちはこの商店街がつぶれていくことにやがて賛同していくことになるのだろうと想像すると見ていてツラいものがある。

             

             この律くんという男子は、東大がDやE判定で、それで京大にすると言いだすので、おいおい受からんぞと冷や冷やしたが、結局東京の私立に行くことになった。実家は地方のプチブルで、洋館風の内装をした家に上品なナリをした父母がいる。「地方にこんなやついるか」というネット上の感想を見、ちょっと前にはこんな記事が話題になっていた。この記事の筆者も、「地方にこんな金持ちいるかよ」と、同じような感想を抱きそうだが、俺の感覚では当時こういう家は地方にもいくらもいたと思う。

             実家の近所にも、目立って豪邸というわけではないが、自家用車はドイツ車、くらいの家はあった。所得と学力には特段相関関係はうかがえず、大して勉強できないのもいたし、妙に出来たのもいた。「マクドナルド」と言われても何のことかさっぱりわからないくらい「(当時の)都会的なもの」とはとんと縁のないまちだったが、豊かな社会を生きていたのだろうと思う。

             

             さきほどの記事は大いに賛否を読んだようだが、文化格差の部分は俺も昔から感じていたことである。このドラマでいうと、律くんのような若者が、進学で東京にいくか京都にいくかと考えるのは、俺自身にも身に覚えのある選択で、こうしてふるさとを離れた人も実際大量にいたわけだが、一方で主人公のように「漫画家を志して東京に行く」という地方在住の18歳は、ちっともピンとこない。そういう人もすくなからずいたろうし、大学進学者よりは少ないだろうから当たり前ともいえるのだけど、都市部の在住者に比べ「そういう発想自体を持てるかどうか」はかなり差があるとは思う。

             主人公も、たまたま憧れの漫画家に会う機会があったから、その道に進むという選択肢が見えたわけで、つまりそのような機会や可能性との距離が、リアリティを持てるかどうかに大きくかかわるのである。

             

             というわけで、東京篇にはさして興味が持てず、主人公があのまま農協に就職して、傍ら家でマンガを描き続け・・・、という展開だと今も怠りなく録画していたと思う。
             



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