よく出来た曲が弾けないスタジオ入り

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     今年初めてのスタジオ入り。引き続きオアシスの練習をメインに。
     もともとは「ギター覚えたての俺と遊んでくれる会」として始まったが、ドラムが退屈すると合わせていても面白くないことに気づき「やいココロックこれは叩ける会」になっている。

     

     このオアシスの代表曲「Don't loook back in anger」は、一見地味なドラムが実はまあまあ凝っていて難しい。そして同様に、ギターもコードだけなぞっていればそれっぽくなりそうに聞こえて、実際はそうでもない。例えば冒頭のピアノのところで、だらしなく「ずんちゃらら〜〜ん」とギターが鳴っておって、こういう部分もトレースしないと気分が出ない。しかし弦1本ずつの単音弾きとなると、ベースの4弦であっぷあっぷの身、さらに2弦増えて何が何やら。

     

     ちょうど、そうそうこういう風に弾きたいのでありますよという動画があった。最近、勉強のためにこの手のコピーしちゃいましたよな動画をよく見るのだけど、女性陣が目立つ。一見華奢なのにめちゃパワフルにドラム叩いてる女性の動画もある。男性の場合、いかにも社会不適合者それがロックだぜな風体が目立つのであるが、女性の場合は多くがふつーの真人間ぽい人ばかり。だもんで、ロックとも楽器演奏とも無縁だろうと勝手に決めつけついマンスプふっかけて大恥かくの図まで脳裏をよぎる。いい社会勉強にもなるのであった。

     

     この女性のように、コードをシンプルに刻みながら、Bメロだけ変則に刻んで、さらにボーカルが切れたところでオカズの旋律をプラス、という格好で弾けるとようやくこの曲をコピーしているという実感が得られるわけだが(間奏のギターソロはさしあたり知らんふり)、本日の練習では想像通り、オカズのところでぐっちゃぐっちゃ。しょうがないので、勢いでテキトーに弾いて気分だけ満足させて済ませた。まあ、滝井―土居間くらいは進歩したかしら。

     

     もう一つ気づいたことは、この曲は構成が非常にしっかりしていて、我々はそういう曲をあんまりやったことがないのではないかということだった。まあ単純に曲の長さの話もあるのだが、1番と2番の微妙な違いとか、各インターバルのつくりとか、終わり方とか、単にメロディがいいとか以外にも、なんやかし、ちゃんと仕上げてはりまんなあという曲で、教科書通りといえばそうかもしれんが、教科書なんて読んだことないので、いちいち「へえ〜」となりながら、どこ弾いてるかわからんくなって混乱する。ボーカル不在のままコピーしてる限界でもあるんだろうが、要するに、こういうベタによく出来た構成、パクリてー、というだけの話。

     

     ところでこの動画のコメント欄をよくよく見ると、「ちっきしょー、コード弾きしかできねーよ」(原文英語)と書いている人がいて、まあみんな一緒なんだなと「音楽は国境を越える」をおかしな方向で実感したのだった。
     


    映画の感想:ある日どこかで

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       ラジオでたまたま本作を知った。隠れた傑作との世評らしく、興味が湧いたのだ。映画データベース的なサイトに寄せられたコメントを見ても、公開当時見た人の熱い感想に溢れている。だが、見終わって俺個人の感想はそれらとはちっとも重ならなかった。何より、幸せ絶頂から一転悲劇的展開となったところで、当然ながら世にいう「からの?」を期待したのに、そのまま終わってしまってしまったから肩透かしを感じて仕方がない。このリアルタイム鑑賞組と後から鑑賞した俺との感想のギャップが、本作の内容と重なっているようにも思った。つまり初恋の輝きのようなものだ。

       

       タイムリープもの、というやつか。大学生で演劇をやっている主人公リチャードが、ある日客の老貴婦人から唐突に「戻ってきて」と話しかけられ懐中時計を渡される。それから8年後、脚本家として成功したリチャードは、新作が行き詰まって逃走した先のホテルで、展示してあった半世紀以上前の女優の写真を見初めてしまう。彼女について調べるうち、それがかの懐中時計の貴婦人と知る。リチャードは、タイムスリップしてその女優マッケナに会おうとする。

       

       序盤のサクサク進んでいく展開は見事だ。タイムスリップ先の20世紀初頭のセットや衣装も素晴らしいし、リチャードが着ていった「20世紀初頭の衣装」が、古臭いねと笑われてしまう辺りも、歴史に対する一定の見識がうかがえてよい。歴史的な過去にだって、当時の「今」があり、「過去」があるんだよね。ついでに、古い記録をたどっていく辺り、しつこく繰り返すが記録は捨てるな。

       

       まず本作のポイントのひとつは、タイムトラベルの方法の斬新さだろう。まさかのイメトレ。リチャードはホテルの部屋にこもって「今は1912年だ、信じろ〜〜」というメッセージを繰り返し録音したカセットテープを再生させながら、自分に強く言い聞かせ続ける。カセットテープという1912年には存在しない家電製品を使ってもダメなんじゃないかと思ってしまうが、「イメトレで時間旅行」のトンデモ展開に比べれば些細なことだ。「バック・トゥ・ザ・フューチャー」が公開されるのは本作の5年後だが、当時の最先端特撮を駆使してタイムトラベルの説得性を表したあの映画も「マシン」を使っている時点で発想が凡庸なのだと思わされる。なんてったってこっちはカセットテープ自己暗示だから。

       

       でも古い建物、それも史跡等ではなく現役で使われ続けている建物であれば、タイムスリップしそうな気は確かにしてくる。この辺の話は「ミッドナイト・イン・パリ」を見たときにも思った。あの映画の場合は何もしなくてもタイムスリップしているから、親鸞聖人の境地に達している。

       

       こうしてリチャードは、「駄目だ!うまくいかない!」(そりゃそうだ)を何度か繰り返したのち、見事タイムワープに成功してマッケナと出会っていくのだが、ここから先の展開は、やがてもとの世界に戻ることを含め、夢とほぼ同じようなものだと思った。
      恥ずかしながら、好いた女性と実に都合のよいことになる夢を何度か見たことがある。なんでかいつの間にか向こうもこちらに惚れていて、「なーんだ、早く言ってくれればいいのに」などと調子づきながらいちゃついていると、YouTubeの広告のようにまるで前後の配慮なしにハッと目覚める。

       

       リチャードとマッケナの恋もほとんど脈絡がない。マッケナはなぜか最初からリチャードを憎からず思っている様子で、まるで俺の見た夢と同じだ。そもそもリチャードも、いつの間にお前そんな惚れたんや、と困惑させられる。写真を見てすっかり虜、というのは10代のころは俺も覚えがあるが、リチャードは推定30前後のいい大人である。

       

       まあ好意的にとれば「唐突に現れ懐中時計を繰れた謎の貴婦人」「たまたま逃亡した先のホテルで写真と再会」という偶然の重なりが恋心を生んだのだろう。昔入り浸っていた喫茶店の主の長女が「男女で一番大事なんはタイミングやで」と言っていた。そう考えると、マッケナにとってもリチャードは「タイミング」がよかったのだろう。


       そうして、恋が燃え上がったところで夢が覚めるがごとくリチャードは元の時代に引き戻される。「あんまりだー!」とジタバタジタバタ悶絶するのだが、その気持ちはわかる。俺も自己都合の夢から目覚めたとき、「夢か……」というドラマでしか言わなさそうな台詞を口にしてしまったものだ(そして布団の中で悶絶)。

       

       しかし、その後タイムパラドックスを逆手にとって大逆転!などという期待する展開も特になく、フランダースの犬のごとく悲劇的なまま終幕となる。序盤では若干タイムパラドックスを使ってるのに。例えば記録保管に優れたこのホテルに何か史料が残っていて、タイムトラベル後に読み直すと全部意味がわかるようになるとか、あってもよかったのではないかしら。貴婦人が時計をくれるくだりの回収も含め。

       

       と、この原稿も肩透かしのまま終わりそうだったところ、たまたま読み始めた本に色々考えさせられ、その話を続ける。

       

       


      【やっつけ映画評】シリアの花嫁

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         シリアとイスラエルの対立を舞台装置として、そこに家族や夫婦の不和や和解を描いている。よその地域の縁遠い話のようでいて、普遍的な物語に昇華できているなかなかの傑作だった。

         

         第三次中東戦争によって、イスラエルに支配されることになったゴラン高原を舞台としている。レバノン、シリア、ヨルダン、イスラエルに囲まれた大阪府くらいの面積の丘陵地で、日本の地図だと点線だらけで国境線のはっきりしないややこしい表記となっている。大方をイスラエルが占領し、一部をシリアが支配しているといった具合。住民は「無国籍」の扱いで、シリアに復帰を目指すデモがしょっちゅう行われ、それをイスラエルの警察が監視している。そんな場所に暮らす一家の結婚式の日を描いている。

         

         以前にバラエティ番組で、このイスラエル―シリア国境を紹介しているのを見たことがある。草の生えた丘に轍ができていて、これが国境線ですよ嘘みたいですよねーと、その牧歌的な様子を強調していたが、本作に登場する「国境」はごっつい鉄柵が張り巡らされ、ガチガチに管理されている(といっても、兵士が花嫁に「どうぞ」と椅子を持ってきたり、割とのんびりした雰囲気なのがシュールなのだが)。

         

         主人公の一家は、イスラエル側で暮らし、二女の嫁ぎ先はシリア側。嫁に行ってしまえば出入国法的に戻ってくることは二度と許されない。ハレの日なのに、今生の分かれがついてくるから、どういう顔をしていいかわからない(この二女の夫は、シリアで人気のコメディ俳優という設定で、彼が出演しているドラマの映像が、「テルアビブ・オン・ファイア」に出てくるドラマにそっくりのチープな雰囲気で笑った)。

         

         そのうえ、家族全体にも諸々問題がある。
         この家の家族は、女2、男3の5人兄弟。男兄弟3人のうち1人はシリア側にいてあまり出番がない。残り2人は外国から帰省してくる。ロシア人と結婚してモスクワで暮らす弁護士の長男と、イタリア辺りであやしげな商売で稼いでいる遊び人風の二男である。大抵この二男と親父が不和で、帰郷しても親子喧嘩、という展開がファミリードラマの定石といったところだが、本作の場合、いかにも真面目でちゃんとしてそうな長男と父が対立している。

         なんでも彼らが信仰するドゥールーズ派というイスラム教の少数派は、異教徒との結婚を禁止していて、長男の行為は信仰に背く禁忌ということになるらしい。そういうわけで、村の長老たちも結婚式を欠席する一方、二男のチャラさ危うさについては一切不問。このシビアさが、まさにレバントだなあと。


         この父親、エルドアン風の外見がいかにも家父長的ガンコ親父でぴったりの配役なのだが、政治運動で投獄経験があり、警察からも危険人物として監視されている。デモ参加はおろか、国境地帯に近付くこともまかりならんと命令されているので結婚式にも影を落とす。新郎が「向こう側」にいるせいか、それともドゥールーズ派の挙式の仕方がそうなのかよくわからないのだが、家族は親戚や地域の人々とともに新婦のみで結婚を祝い、越境を見送るという手順となっている。このため家族は国境地帯で二女を見送る格好になるのだが、父はその臨席を禁じられているということだ。

         

         だったらデモ参加を控えて、警察に「俺もう危険人物じゃないっすよえへへ」と媚を売って警戒を解かせて国境に臨むのが手っ取り早そうなのだが、「逃げるわけにはいかない」と父はデモに参加する。父が家族よりも自身の社会的居場所やメンツを重視するのは馴染み深い風景であるが、先ごろ発表された男女平等ランキングで、日本121位、シリア150位(153か国中)と両国はドベ仲間なので合点がいった。


         この妥協の出来なさが分断のややこしさでもあり悲劇であろう。ところで最近の日本の国際ニュースは、「分断が広がっています」などと〆る例が多く、「今後の行方が注目されます」同様の紋切型の感も強まり、意味わかって使ってんのかと疑ってしまう。単なる差別とか単にそいつが悪いというような話でも「分断」と言うとるときがあるから、わかってないやつが国際報道部門に最低1人はいる。


         さてしかし、このエルドアン似頑固親父はまだマシな方だ。この映画に登場する男性陣は総じてろくでもなく、一方で「抗う」女性の姿が印象的だ。
         結婚する二女の姉で主人公格の長女アマルは夫と不和で、この夫はシリア150位の象徴のような威張りん坊である。要は自分より優秀な妻への劣等感が威張り散らす態度を生み出しているのだが、その半分以上は対面を気にしてのことであるから(「お前の妻はスカートをはかずにズボンばかりはいていると俺は笑われている」などと嘆いている)、彼だけを責めるのは酷だろう。社会全体がそうなのだ。

         また遊び人の二男は、赤十字の女性職員たちに「きゃわいねえ〜」としか言わない(&ソデにされると逆恨みする)。国境管理の役人(軍人)は、まったく融通が利かない妥協のなさで戦争を仕掛けているようなものだし、結婚式の準備も、男性陣が手伝ってないこともない場面もあるが、ほとんどは女性が切り盛りしていて、長男のロシア人妻も巻き込まれ、その間男たちは猥談している。まったくもってこれ日本じゃねえか。男女不平等のケーススタディ見本市のようになっている。あのランキング、結構批判もあるけど、かなり当たってるぞ。


         そういう中で、アマルは大学進学の道筋をつけて夫の願望とは正反対に進もうとするし、二女の越境をサポートする赤十字の女性職員はメンツばかりこだわるガチガチの役人たちに「もう知るか!」と激昂して放り出す。そうして二女は……、というラストがなかなかにまぶしい。

         

         まぶしいのではあるが、本作の10年後の未来をこちらはもう知っている。映画の中でもアサドの就任が描かれている。時代設定は2000年ごろだ。そしてシリアへの帰属運動をしている父は、アサドに期待して支持している。そしてそのアサドが引き起こす地獄は周知の通り。うーん、本作でここまで日本とのドベ共通点をみせられると、男女平等の改善は、男女平等以上の重大な意味を持つように思えてきた。まじで急ぎ考え直しませんかね。とりあえず俺は、女性にマンスプレインの悪癖をしないよう、どうしてもしたくなったら「マンスプしていいっすか」と断るようにしている。小さなことからこつこつと。自分で「急ぎ」と書いといて矛盾している。

         

        「The Syrian Bride」2004年イスラエル/フランス/ドイツ
        監督:エラン・リクリス
        出演:ヒアム・アッバス、クララ・ルーリ、マクラム・J・フーリ


        【巻ギュー充棟】ネット右派〜、歴史修正主義と〜

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           テーマ的には非常に興味が湧くが、気が滅入りそうでなかなか手が伸びないでいたところ、先に読了した知人から面白かったとの感想を聞いて背を押され、ついでに両書の著者が登壇する書評会があったので、まとめて読んだ。


           世の中の変化というのは、肌の変化や薄毛の進行と似ている。薄毛の自覚はあるのだが、基本的には昨日と同じ今日を過ごしているつもりでいる。それがあるとき「何か妙に減ってないか?」と気づく。大抵は写真に写る自分を見るときなのだが、うわ俺、こんな老けてたっけ?などと驚愕しつつ、全く身に覚えがないわけでは当然ない。ただし、毎日自撮りしているわけでもないから、いつからこうなっているのかはよくわからない。

           在特会のような武闘派的な差別者集団が現れたとき、その恥知らずぶりに驚きつつも、「不思議」とまでは思わなかった。こういうのが出てくる素地について全く心当たりがないわけでもなかったからだ。百田とか竹田とかケントとか、あの界隈の跳梁跋扈についてもしかり。大手出版社までもが差別扇動的ビジネスに手を出すことに驚きはあっても、こういう連中が一定の支持を集める土壌はそりゃすでに醸成されとるだろうとは思ったものだ。

           

           じゃあそれがいつからどうして、といわれると個人的感覚以上のことはわからない。フランス革命が起きたとき、国外に亡命した特権身分の人々は、何が起きているかさっぱりわからず深く考えようともしなかったので、あれは新教徒の陰謀だとかフリーメーソンの暗躍だとか陰謀論で片付けようとした、というのは内田樹のブログに書いてある話だが、俺もつい同じように、小林よしのりのせいかなとか、MSN産経のせいかななどと単純に片付けたくなるのでこの特権階級を嗤えない。

           

           左の黒い本は、これらの動きについてネット普及以前のころからさかのぼり、様々な場面で様々な方向性を持って現れた「ネット右派」が、離合集散を繰り返す2010年ごろまでの動きを細かく追いかけている。「ゴーマニズム宣言」を愛読する人々という、まんま身に覚えのある話も出てくるし、ネット黎明期のよく知らなかった掲示板コミュニティの話も出てくる。書評会で増田聡氏が「大河ドラマのよう」と言っていたが、確かに、そのうち信長は出てくるに決まってるのだがまだ織田信秀しか出てこない「麒麟がくる」のような射程の長さが印象的な本だ。


           そして扱う対象がインターネットだけに、史料の集めにくさが容易に想像されるから、それだけでもすげーなと思う。デジタル媒体と紙媒体ではどちらが保存がきくかというと、ハードディスクと紙の耐久性の違い、ではなく、保存する枠組みがあるかどうかの違いである。著者はインターネット黎明期から仕事と個人的興味の両方でこの界隈にかかわってきたらしいから、なかなか真似のできない蓄積がある。


           で、やはり個人的には「ゴーマニズム宣言」のくだりが、自身がまさにそこを並走していたリアルタイム感があり、身につまされつつも面白かった。まあ俺の場合は、彼が教祖的になっていく直前くらいで読者をやめているのだが。それがなぜか、という話を後述の懇親会で著者の伊藤氏に話出来たのは楽しかった。あと、右の赤い本の著者は俺より年下なので、いわば後になって「かつて流行ったマンガ」を見た世代になり、そういう人と話せたのも面白かった。「あー、雨宮処凛のパターンすね」と言われて、なるほど年下にはそうくくられるのかと知った。雨宮については黒本の方にもちらっと登場する。


           さてこの右の赤い本は、タイトルにも表れている通りもっと論点を絞った黒本に比べればずっとコンパクトな内容だ。黒本がなるべくフラットな立場からの記述を心掛けているのに対し、本書の序文はなかなか戦闘的で、若い研究者だけにさすがに勢いがあるなあという印象。書評会に登壇した著者は、この序文から受ける印象通りの風体をしていたのでちょっと可笑しかった。


           本書を読んだ多くの人が述べているが、「ディベート」のところがやはり面白く、ディベートについては個人的に思うところもあり(例えばこういうこととか)、それを重ねながら読んだ。これまた「否定と肯定」の世界であり、リビジョニストしぐさの典型として腑に落ちるところ多々である。


           もう一つは「コンバージェンス」で、こちらは大塚英志のメディアミックスの本を読んだときに感じたことを思い出した。ロードス島戦記や翼賛一家のごとく、与えられた枠組みの中でいろんな人が派生作品をせっせと生み出す。この仕組みそのものとリビジョンはよく似ている。


           書評会には、ツイッター上だけで知っている人がわんさと来ていて、オフ会状態だった。ネット上に顔出してる人は見れば、お、あの人か、とわかるし、そうでない人も、「この件に詳しい〇〇さんが本日いらっしゃってるので」などと聴衆側に司会者が振るものだから、あれがあの人か、なんてな具合で、ただの一読者でしかない部外者からするとミーハー的な気分も盛り上がるのだが、一方でこの劇団ころがる石の公演の客層のような内輪感(出演者の知人と向井の親族のみ、みたいな)はどうなんだという疑問も。同行のK氏も「今これ以上に大事なテーマなんかなかろうに、この集まり具合じゃ寂しいだろう」と言うておった。書評会で、赤本の著者が言った「やつらに〈言葉〉を与えるな」は印象的だった。


           90分2コマのプログラムで、これは普段俺が仕事で毎日のようにやっている長さなのだが、聞き手に回るとなげーし疲れるなあと感じてしまい、当然それは寝ている学生を叱れないという形で己に返ってくる。
           そうして厚顔無恥にも会の後の懇親会に参加した。両書を出した出版社の人が幹事をやっていたが、この人から「どっかの研究者」だと間違われ、それくらいには面の皮厚く平然としていたのだろう。
           ただし、研究者だらけの会だったから、飛び交う会話がその界隈のそれである。これまでの人生でも学者と酒席をともにした経験は何度かあるが、いずれも「学者と学者でない人との酒席」であったから、学者が学者の言葉そのままにしゃべることはなかった。だがこの日は研究者たちの飲み会に部外者が勝手に参加した格好だから容赦がない。聞いてるだけであまり経験のない種類の疲れに目いっぱい襲われた。

           

          「ネット右派の歴史社会学 アンダーグラウンド平成史1990-2000年代

          伊藤昌亮 青弓社2019

           

          「歴史修正主義とサブカルチャー」

          倉橋耕平 青弓社2018

           

          会の始まる前に昼飯を食べた大阪工大の食堂より。ビュッフェ形式なので多少お得感があるが、味は同大学の普通の学食の方が旨かった。景色はこんな具合で壮観。普段は迷惑にしか思わないスマホの超ワイドレンズを、初めてワイドが足りんと思った。


          映画の感想:ハーツ・ビート・ラウド たびだちのうた

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             父子家庭の娘が、大学進学で家を出るまでのわずかな期間を描いている。父子の接着剤は「音楽」で、この2人が曲を演奏するシーンが作品を彩る。音楽モノは曲の出来さえよければ一定の盛り上がりを生み出すことができるもので、本作の曲はかなりいい出来につき、それだけでもういいんじゃないと思えてしまう。

             

             「接着剤」と書いたが、主人公親子は別に仲が悪いわけではない。フランクは微妙にだらしないけど基本は立派な父親で、サムは若干口うるさく生意気だがこれまた父を愛する娘。特段何の摩擦もないむしろ幸せな親子関係といえる。無論、親子である以上、多少の衝突やすれ違いはあるものの、マトモな関係性がちゃんと基礎に横たわっているので、演奏がなくても父子が互いに通じ合うことはいくらでも可能ではないかと思う。だとすると本作における音楽の役割は何なのだろう。演奏がないとさすがに劇映画にならないというのもあろうが、それだけではあるまい。

             

             ニューヨークの郊外で暮らすこの親子は、それぞれ転機を迎えている。フランクは、17年間営んできたレコード屋を閉じようとしている。サムは医学部に合格し、大学の授業に向けてすでに猛勉強している。
             本作の舞台はアメリカなので、もしこれが日本だったら女であるサムは医学部に受かったかどうかわからない。ついでに学力ではなく差別で不合格にされたことで、音楽の方向性も、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンのような攻撃的な爆音と歌詞になっていたかもしれない。それはそれで聞きたい気もする。ところでサムは同性愛者で、編み込みヘアのすっ飛んだ雰囲気の女子と恋に落ちるのだが、特にそれを悩んでいる風はない。このためフレディ・マーキュリーやエルトン・ジョンのような苦悩とも無縁だが、それでも哀切の曲が作れるのは結局は境遇より実力が曲を生むということか。
             ついでに「娘に彼女ができた」と知ったフランクも、「あそう、よかったじゃん」くらいの反応で動揺の欠片すらない。これがニューヨークスタイルか! 日本にはニューヨークと名乗る漫才コンビがいるが、この手の女はムカつくというような内容の漫才をしているので、そんなにニューヨークスタイルではないのだろう。

             

             本作は、事情説明を断片的に小出しに、ささやかに話の中に忍ばせるのがなかなか巧いのであるが、それらをざっくり総合すると、どうやらフランクは元ギタリストで、死別した妻は元ボーカルのようだ。サムはその母親の才能を受け継ぎ、なかなかの歌唱力と作曲センスを持っている。というわけでフランクは娘とセッションすることが楽しくて仕方がないのだが、サムにとっては父親の子離れできない態度が煩わしい。ついでに勉強と恋に忙しい。

             

             それでも父とセッションするのは、なんだかんだで父が好きというのもあろうし、ネットにアップロードしたらバズったので多少はその気になったというのもあろう。あるいは恋が創作の源泉というのもあろう。だが一番は、母、つまり死者との対話なのではないか。亡き母の才を受け継いだ娘、亡き母とかつてセッションしていた父、彼ら親子にとっての音楽なり演奏なりは、母の不在と向き合うのことなのだろうと思う。

             

             それにしても、市井の我々にとってもいくらでも覚えがありそうな、日常の些細な出来事をうまくドラマに仕立て上げている作品である。フランクと大家との関係など、なかなか絶妙だ。そこによく出来た音楽が乗っかれば間違いないわけだが、音楽だけは凡人にはどうにもならんのがミソである。この主題歌をコード解析サイトで見てみたら、序盤のバースっぽいところ、ずーっとCのワンコードで表示された。解析がショボいのかそれともこういうものなのか、詳しくないのでよくわからんが、どっちにせよ、こんな曲作れねー。当然歌えねー。なんだかんだ、映画は「常人が出来ない部分」に憧れて見る要素がでかいんだな。

             

            「HEARTS BEAT LOUD」2018年アメリカ
            監督:ブレット・ヘイリー
            出演:ニック・オファーマン、キーアージー・クレモンズ、トニ・コレット

             



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