【やっつけ映画評】ホテル・ムンバイ

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     「ホテル・ルワンダ」のインド版のようなタイトルである。ホテルが武装勢力に襲われるのは同じ。といっても「帰ってきたムッソリーニ」ほどには同じではない。本作で襲ってくるのはイスラム過激派のテロリストなので、交渉の余地なく問答無用で殺してくる。限定的な空間内で、命からがら逃げまわる様子は「新感染」の方が近いといえそうだ。


     機関銃を持ち、かつ操れる人間相手に抵抗できることは「逃げる」「隠れる」くらいしかない、という現実を本作はよく表している。テロリストと警察以外の登場人物はとにかく逃げるか隠れるかしている。インド映画界にこの人以外イケメン枠の俳優はいないのか、というくらい毎度おなじみとなっているデーヴ・パテールも、手際のよさやコミュニケーション能力に卓越したところを見せるものの、基本は逃げて隠れてばかりだから、主人公要素は少ない。


     それでもぐいぐいと惹きつけてくるから見事な作品である。この緊迫感は実にインド映画らしからぬテンポ&展開だと思ったら、案の定、豪米との合作だった。踊りもしなければ聖人的バカも登場しない。こういうのは当のインド人にとってはどう見えるんだろう。


     テロリストたちは劇中「まだ子供じゃないか」と言われているので、かなり若い。若さゆえの潔癖さと貧しい生育環境を、どっかのおっさんに上手く利用されて実行犯に仕立て上げられているように描かれている。この辺の、それほど深入り・同情するわけでもなく、さりとてダイハードの悪役のようには描かない演出は上手い。

     おそらく彼らの話をじっくり聞けば、ある程度頷ける部分もあるのだろう。一方で被害者側は高級ホテルに泊まれる所得階層で、言動も若干鼻持ちならない人々が目立つ。だからどうというわけではないが、少なくとも背景まで踏み込まないと、毅然と断固たる態度、だけではなくならんわなあと思わされる。


     と書いて気づいたけど、「逃げる」「隠れる」以外に、もう一つあった。それこそ毅然と断固たるの類。「命をかけて抵抗する」である。

     


    【やっつけ映画評】帰ってきたムッソリーニ

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       ムッソリーニはヒトラーと並ぶ20世紀の悪役でかつ、ヒトラーが真似したファシストの先駆け男でもある。だのに知名度、注目度はずっと低く、例えば大阪市立図書館の蔵書検索では「ヒトラー」1942件(図書のみ)に対して「ムッソリーニ」151件、Movie Walkerの映画検索では同129件に対して40件と如実に差がついている。

       おかげでムッソリーニの方が先輩なのに、ついヒトラーの二番煎じのようなイメージをもってしまうが、本作においてその印象はさらに確定してしまったといえる。パクリでもパロディでもなく、モンテクリスト伯→巌窟王のような翻案作品といってよかろう。それくらい元作の「帰ってきたヒトラー」と同じだった。


       なぜか唐突に現代に甦ったムッソリーニが、物まね芸人と間違われてテレビでスターになる。大枠だけでなく、当初キヨスク的な売店の主に助けられてそこで新聞を読んで学習したり、旅先で犬を射殺したり、極右団体を訪問して論争したり、戦中世代の高齢者だけが本物と気づいたり、細かいエピソードも一緒である。なんならテレビ局の名前も同じで、この徹底ぶりは元作に敬意を表してということか。


       もちろんヒトラーではなくムッソリーニなので、当人の言動は当たり前だがそちらに合わせてある。そこで改めて気づかされるのは、どうしてヒトラーに影響を与えた男なのに二番煎じ格になってしまったかだ。言動がヒトラーに比べてそこまでキテレツではなく、ただの極右ポピュリストといった様子。見かけも、それなりの異形の相ではあろうが、ヒトラーほど特徴があるわけではない。

       

       なので裏を返せば、今もいくらでも現れる可能性がある御仁といえる。「右も左も力を失う中で俺しかいない」というような台詞を言うシーンがあるが、これなどまさしくトランプや、ブラジルのボルソナーロあたりとカブって聞こえる。大阪維新も同様。「新しい第三極」だとの期待が支持につながった勢力である。

       なので本家より「今でもありえる」という観点からゾッとする風刺に仕立てることができる題材だと思う。そこまで仕上げられると本家とはまた異なる傑作になりえたのでは、と想像すると惜しい。


       まあこれは、こちらがついテレビと政治にまつわる日本の状況を当てはめて見てしまうことからくる筋違いの期待かもしれない。とは思うものの、既視感を覚えるシーンもある。

       

       ムッソリーニを、ただのギャグ、ただの視聴率稼ぎ装置としてとらえるテレビ局社員たちの態度に業を煮やしたスタッフの1人が、ある日の会議で激昂しながら倫理観のなさを非難する。すると彼女に対してほぼ全員が「冗談の通じないやつ」「いやそういう話ちゃうやん」といった調子の半笑いを浮かべる。どこに既視感があるかといえば、俺自身がかつてそういう表情を浮かべたことがあるからだが、同じような態度を取るであろう業界人にもいくばくか心当たりがある。高須や百田らを面白がってご意見番扱いしているスポーツ新聞辺りも同じようなものだ。


       そこにあるのはメディア側の見識の浅はかさによる共犯関係であるが、それと松本人志の薄っぺらい時事放談や橋下徹のようなその場その場で言うことがまるで違うことを厭わない空虚な御仁に対して「一理ある」とみなす視点はごく近いところにあることが日本の事例からはわかる。

       

       これと同じく、甦ったムッソリーニ自身が政界で力を持つ展開は想像しにくくても(現実の彼も、ヒトラーに比べるとかなりアクロバティックな過程を経て政権の座についている)、彼が破壊して生まれた亀裂や穴ぼこに、別の人間が大穴開けて入り込むということはいくらでもあるのだと思う。「歴史は繰り返す」というのは、こういう形で行われるのだろう。

       

       そして日独伊三国同盟の最後の一角日本であるが、わが国の場合、現実世界がとっくに「帰ってきた」状態であるのがコロナ禍によって顕在化している。同じ感染症だから他国の成功例・失敗例を踏まえりゃいいのに他国に学ばない。それは日本が特殊だと思っている=他国を見下しているからで、つまりは科学軽視、数字軽視。なので個々人の心がけ(=精神論)偏重で、必然兵站軽視。まっとうな指摘は「頑張っているときに水を差す」と排除され、撤退できなくてずるずる。最後は神頼み。当然誰も責任なんて取らん。全部、「昭和陸軍の研究」あたりに出くてる話である。

       

       これら諸々の態度をひと言で表せという超難題に、「マスク2枚」という満額の答えをさらりと示してみせる彼らはある意味天才としかいいようがない。「帰ってきた誰それ」ならぬ、「返ってきたのがマスク2枚」である。そして本作のムッソリーニのように、唐突に何の脈絡もなく突然現れたわけではなく、ずっとそういうことをブレずにやってきて、それを積極的なり消極的なり支持してきた、そのただの必然の帰結である。カミュ「ペスト」の次にバカ売れしそうな本が見えてきたよジュンク堂の皆さん。


      「SONO TORNATO」2018年イタリア
      監督:ルカ・ミニエーロ
      出演:マッシモ・ポポリツィオ、フランク・マターノ、ステファニア・ロッカ


      【やっつけ映画評】新感染 ファイナル・エクスプレス

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        劇中何度も登場するデッキ部分の写真をかつて撮っていたのだった。

         

         未見だった数年前の話題作について、こういうご時世につきにわかに関心が湧いた。カミュ「ペスト」がバカ売れしているのと同じだ。ペストについてはNHKの「100分de名著」のテキストを読んで読了した気になっている。


         しかしながらパンデミック下の今、本作を見ると「いや感染症の怖さっててそういうことじゃないんだよ」と思えてしまって、ちょっと損した気分になった。コロナ禍以前に見ておくべきだったな。


         「ゾンビもの」といえるだろう。噛まれると感染し、間もなく人格を失いケダモノのように非感染者に襲い掛かってくる。そういう感染症が韓国内で流行する。主な舞台は韓国版新幹線のKTX車内で、ホラーというよりハイジャックやマシントラブルのパニック映画に近い。

         「新しい感染」という邦題(韓国に「新幹線」という特急列車はない上、感染と幹線は発音が異なる)と違ってこれといって新味はなく、よくあるモチーフを組み合わせただけといえばそうなのだが、そこは安定の韓国印、手垢のついた設定でおもしろく見せるのがすこぶる旨い。夜中に見始めて、眠くなったところで一旦停止しようと思っていたら、最後まで一気に見てしまった。

         

         ひとつは、この手の映画によくある「スリルを盛り上げるための予定調和的どん臭さ」がない点だ。電車内というスペースの限られた舞台設定とゾンビ風なくせに感染者の動きが俊敏なので、わざわざ転ぶ必要がないからだろうか。主人公の娘がやけに賢いのと、マ・ドンソクの安定の怪力ぶりが見ていて楽しい。

         

         リアルだなあと思ったのは、感染者がバイバイン式に一気に膨れ上がることがまずある。これは現在各国で見られることとも一致している。いうても3桁でしょ、と高をくくっているうちに5桁になる。ゾンビ風感染者があまりに一気に増えるので、ホラー性より不条理コメディのような滑稽さすら漂っている印象だ。

         政府が「感染者」ではなく「暴徒」と呼んでいるところの方が薄気味悪さがあって、こういう定義づけは政治の狡知というか権力そのものの現れの1つだと思わされる。感染者なら治療の必要があるが、暴徒だったら鎮圧するだけでよい。

         

         


        映画の感想:ファースト・マン

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           昨年、50周年記念だとかでアポロ11号が月面着陸した際の当時の中継を再放送していた。中継というのは、結果を知っている後代の人間にとってもリアルタイム感を感じられるものなんだなと割と感動した覚えがある。それと同時に、有名な出来事でも後の時代に伝わるのは一連の中のごく一部、という真理を再確認した。


           着陸に至るまでに、まあまあ細かくピンチがあったのは知らなかったし、着陸の際の台詞が「The Eagle Has Landed」というのも、これは有名だそうだが、恥ずかしながら知らなかった。字幕が「イーグルは舞い降りた」となっていたから、有名なスパイ小説&映画である「鷲は舞い降りた」(格好いいタイトルだが、結構地べたを這いずり回る物語である)を文字って言ったのかと勘違いした。「鷲は〜」の方が月面着陸の後に出版されているから、このスパイ小説がアームストロングの台詞をパクってタイトルにしている。

           ただ、字幕を「着陸した」ではなく「舞い降りた」にしているのは、おそらくこのスパイ小説の邦題の逆輸入だろう。おかげでまたどっちが先かこんがらがる。ちなみに本作の字幕も、「舞い降りた」になっていた。「風と共に去りぬ」同様、ほぼ直訳とはいえ印象に残るという点で見事な邦題である。


           本作も、その中継同様、当時のリアルタイムを疑似体験できる。ただし視点は中継ではなく、アームストロング当人。狭苦しい宇宙船内の顔面アップと手元アップの連続だけで描いている演出が功を奏している。これぞ実話をフィクションでやることの醍醐味といえよう。

           

           それにしてもこの息苦しい船内の様子が怖い。アポロに至るまで、アームストロングは何度か宇宙に行っているが、どのシーンも船内のきしみがすごくて今にも壊れるんじゃないかと思わされる。旅客機でも、特に離着陸のとき機体がギシギシいうたり、あと船でも海が荒れてるときなんか船体と海面がぶつかってバーン!と音がするものであるが、俺はああいうときに「南無阿弥陀仏」とにわか浄土真宗信者になる性質だもんで、ああ怖い。遣唐使船とまではいかなくても(造船技術が未熟だったので航海はほぼ博打だったとか)、リンドバーグの大西洋横断くらいの危うさはある。

           と思ったが、よくよく数えるとリンドバーグからアームストロングまで、40年くらいしか間はない。空を飛ぶことの発展てめちゃくちゃ早いんだなと思ったが、「Apple I」からiPhoneまでが30年だから、そんなものなのか?

           

           宇宙飛行士の家族たちはNASAの近くに集住しているのだが、同僚たちが事故で死んでいくから、近所づきあいが相当にキツい町内である。トップガンにおけるマザーグースがごとく、仲のいい同僚が命を散らし、2番目に月に降りたオルドリンは、その結果昇格(?)した超脇役だったというのが驚きつつ苦笑した。口さがないザコキャラ的な登場人物で、本作を見ると、こいつと月に行くのかよと若干絶望的な気分になる。当人は本作見たのかしら。


           当時、必ずしも世論は好意的ではなかった点が描かれているのも興味深い。中でもカート・ヴォネガットが反対していたシーンは、へえ〜と貴重な資料を見た気分だった。

           妙ちきりんなSFを書いてた御仁なのに、「税金はもっと暮らしに使うべきだ」とかって、えらく真面目な発言をしていた。それは別の人に任せればという気もせんでもないが、低所得者層が反発するのはよくわかる。戦争に使うよりはマシなのではと思いつつ、じゃあ五輪と比べるとどうなんだろうともなるわけで。そして現在、地球上には月に行けるロケットは存在していない。まあそれくらいの金食い虫ってことではあるのだろう。


           月のシーンもなかなか圧巻だった。夭折した娘をアームストロングが思い出すところで、がんは治せないのに月に行けるってのはどういう不条理なんだと思わされる。誰もいない、音もしない、岩と砂しかないひたすら荒涼とした景色に、「時間なるものは本当にあるのか」という「タイムトラベル」で読んだ話を思い出した。

           月面上で時間を意識しているのは、アームストロングとオルドリンの2人だけで、月にとってはただの珍客でしかない彼らがいなくなれば、同時に時を刻む存在も月面上にはいなくなる。誰のためでも何のためでもなく、月はただそこにあるだけだから、やはり時間というのはただの概念で、本当はそんなものないんじゃないかという気にさせられた。


          「FIRST MAN」2018年アメリカ
          監督:デイミアン・チャゼル
          出演:ライアン・ゴズリング、クレア・フォイ、ジェイソン・クラーク


          映画の感想:ブラックパンサー

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             テレビでやっているのを見た。マーベルコミックのヒーローものだが、主人公がいったんは悪役に敗れて地位を失い、その後復活してやり返す展開。まさかロッキーを見せられるとは思わなかった。ついでに、負けるときに育ての親みたいな人が死ぬので「ロッキー3」である。

             ところでフォレスト・ウィティカー演じるこの宰相みたいな人が、序盤の昔のシーンにちらっと出てくる間抜けな雰囲気の二重スパイ若人と同一人物設定だったというのが中盤でのどんでん返しだった。この頼りない雰囲気の若造が、その後こんなに貫禄出るのか。逆にフォレスト・ウィティカー当人の若いころがどんなんだったのかが気になってしまった。

             

             ロッキー要素はこれだけでなく、主人公が一旦敗れる悪役を演じているのが、「クリード」シリーズの主人公役の人だった。モチーフかぶりなくせに主役が悪役につき、ややこんがらがる。短髪のクリードと違って、ツーブロックのくせっけ長髪で、ワルを演じているせいか動きがくねくねしており、まるで中邑真輔だった。


             タイトルから当然想像するのは黒人解放の急進左派であるが、前半はそれとは正反対の王族の話だ。主人公ティ・チャラはアフリカのワカンダ国(という架空の国)の王子で、父の死によって国王に即位する。ワカンダは農業くらいしか産業がない貧しい国、というのが世を忍ぶ仮の姿で、実際には特殊な鉱物に恵まれ、そのヴィブラニウムというよくわからんがとにかくスゴい鉱物でもって最先端のテクノロジーを有したプレスター・ジョン伝説を地で行く超文明国である。

             そのような物凄い国力を持つ国の元首に主人公は就任するわけだが、話としては王族内のあれやこれやのファミリーストーリーで展開しており、為政者にとっての最大の問題が「一族」である点、王政を理解するのにうってつけの教材となっている。


             そういう中で、王族でありながら孤児としてアメリカで育ったキルモンガーが、天一坊よろしく王位継承権を主張してワカンダに現れる。ここから割と面白くなった。


             


            【やっつけ映画評】レ・ミゼラブル

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               こういう世間一般にはそれほど知名度がないが、映画好きなら総じてチェック済というような作品は、上映館が少ない分混む(封切間もない日に見たから余計だが)。混むといっても知れた人数ではあるのだが、誰も咳をしてなかったのは余計なことを考えなくてすんで何より。ただ、映画で描かれるのが貧困区域なだけに、こういうご時世、彼らは今大丈夫なのかしらと制作者の意図していない心配がむくむく。


               昔「人間失格」ならぬ「人間・失格」なるドラマがあったが(太宰の遺族から抗議があって変更したんだとか)、本作はそのまんま「レ・ミゼラブル」で、19世紀でもなければジャン・バルジャンも出てこない。ところでついジャン・バル・ジャンと読みたくなる。問題は「MIゼラブル」か「ミSERAブル」かであるが、グーグルで音声を聞いたらどっちも違った。


               パリ郊外を舞台にしたフランス版「シティ・オブ・ゴッド」ないしは「デトロイト」。アフリカ系があまた暮らすいかにも貧しい世帯が多そうな地域で、住民と彼らを取締る警察官との対立いざこざが描かれている。
               撮影好きのオタク少年が重要な役割を演じる点はまさに「シティ〜」と同じだが、特別公務員暴行陵虐罪を繰り出しまくる警察官を延々見せられる構図は「デトロイト」と同じで結構キツい。ついでに後味の悪さも「デトロイト」に同じ。一方で次から次へと登場人物が死んでいく「シティ〜」と違って、本作は死人が出ない。理由は単純で、誰も拳銃を持ってないから(警察官は所持しているが、基本は催涙スプレーとゴム弾を使っている)。フランスの銃規制はそれなり厳しいらしい。数少ない本作の救い(ただしラストの暗転以降はどうなったかはわからないが)。

               

               「デトロイト」と異なるのは、先ほどアフリカ系と書いたが、本作の場合、白人/黒人のような単純な二項対立ではない点だ。漆黒の肌の人もいれば、アラブ系っぽい人もいるし、ロマもいる(ロマの登場人物の全く人の話を聞かずに自分のいいたいことをまくしたてる様子は、しかるべき団体から抗議が来るんじゃないのかというくらいのエキセントリックさだった。とにかくうるさい)。宗教的にも、敬虔なイスラム教徒がいたり、不真面目そうなイスラム教徒だったり、色々だ。
               これが実際のフランス社会なんだな。英国に次ぐ植民地帝国だった歴史を再確認させられる。マクロンかエアバスの工場か農家のおじさんくらいしか登場しない日本の国際ニュースでは見えにくい世界である。唯一つながりを感じるのはサッカーのフランス代表チームで、本作の舞台モンフェルメイユには、いかにもこの混沌から這い上がったアメリカンドリームならぬレッフランセな選手がいそうだと思ったが、wikiで見る限りは俺程度では知らない選手の名前しか出身者の記載がなかった。

               

               とにかくこのような多様な人々がいる町を見るにつけ、社会の安定のためには法治しかなさそうだ、というかしばしば人治と揶揄される日本社会は結局のところ単一性の高さゆえに可能なんだろうと思った。興行やめろ、補償はない、五輪はやる、で納得する人間ばかりで構成されている社会かそうでないか。本作を見る限り、少なくともこの町の人々が全員「それで仕方ねえな」と言うとは到底思えん。麻生とか、日本会議系の議員が「単一民族」をやたら強調したがるのも、地位を失う恐怖のようなところから発しているのかもな。

               

               


              【やっつけ映画評】1917 命をかけた伝令

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                 疫病禍の中での数少ないいいことが確定申告の締切延長だった(もう一つは小学館の「まんが日本の歴史」が無料公開されていること)。作業を始めた当初は「どうして昨年はあんなにあっぷあっぷだったのだろう」と自身の余裕が不思議だったが、しまいに「どうして昨年は期日までに提出できたのだろう」と絶望的な気分になっていた。助かった。いい加減学習しないと……。


                 ついでに休講措置に踏み切る大学も出てきて多少スケジュールに余裕が出てきて(しまい)、ようやく本作を見に行くことにした。映画館はがらがらでむしろ安全との話も聞くが、いざ当日券を買おうと券売機の画面を見ると、かなり埋まっていてあらびっくり。上映期間終了間際の駆け込みかしら?と思わぬ盛況に疑問を覚えつつ購入。ところが実際の客席はがらがらである。

                 どうやら観客同士が席をあけて見るよう、あらかじめ購入できる座席に制限をかけていただけのことらしい。他の客も意味がわからなかったのかどうなのか、とにかく5、6人全員が、がらがらの会場で近い席を購入しているのが不条理喜劇。本編開始と同時に移動してゆったりと鑑賞した。予想通り、スクリーンで見るべき映像の作品であった。

                 

                 第二次に比べると映画化の少ない第一次世界大戦を扱った作品が立て続けに上映されているのはどういうわけなのか。とにかく「彼らは生きていた」に引き続き、西部戦線の話である。タイトル通り、「彼らは〜」でメインとして描かれるソンムの戦いのその後が舞台であるが、状況はちっとも変っていない。

                 

                 全編ワンカット、に見える長回しの連続が特徴(ないしは売り)なのだが、その狙いとするところは冒頭早速わかる。塹壕が、そこを歩く人物視点で延々と続く様子に第一次世界大戦を象徴するキーワード「塹壕」のリアルさを体感できる。「彼らは〜」を見た後なので、写真で見た観光地に来たような、お〜これが有名なあれか、という感慨があった。

                 

                 ここで、デジタル処理された実映像と、よく出来たセットを組んだ劇映画ではどちらがリアルかという問がやすやすと浮かぶ。大戦の実映像が20世紀初頭のモノクロ不鮮明映像だから成立する比較のようで、これは現代でも変わらない。本物も、撮りたいものを撮りたい場所から撮影できるわけでは必ずしもないから、作り物の方がその点では突き詰められるところがある。昔「ブラックホーク・ダウン」を見たとき、戦場カメラマンが撮りたい絵面のオンパレードだと感じたのを思い出した。

                 

                 戦争モノとはいえ、本作はちょっと変わった作品だ。ドンパチのシーンはあまりない。伝令としてある戦線から別の戦線に行くことを命じられた主人公が、ドイツ軍が撤退したエリアをずーっと歩いていくためだ。最初は2人だったのが途中から1人になるので、台詞も少なく、まるで「戦場のピアニスト」であるがあの作品より敵が出てこない。ただし本当に撤退していて不在なのかどうかわからない状況で移動していくので、いつどこから襲撃されるかわからず、ついでに意外な格好でピンチに見舞われたりするから、戦争映画というよりホラー映画のスリルがある。「ゆったり鑑賞」と書いたが、結構緊張させられっぱなしであった。ここでも、長回しを多用した主観的な映像が功を奏している。

                 

                 とはいうものの、伝令に行ってくるだけの話で、途中にドラマチックな起伏がそうあるでもない展開なのに、100分しっかり見せてくる作り手の技量が物凄い。何が凄いって、脚本だよなあ。文字段階だとこの作品、面白さの保証を全く実感できないと思う。
                 一方で景色はどんどん変化する。砲弾で草木が消え去り、穴ボコだらけの死の谷みたいな場所から始まり、草原、石造りの街、渓谷、森、といかにもヨーロッパ大陸な景色が続いていちいち印象的である。最後の最後にはようやく大勢の兵隊が出てくるスペクタクルもあり、映画を見たなあという気分を堪能できる。

                 

                 それはそれとして、本作が描く戦争なり第一次世界大戦なりとは何なのだろう。

                 

                 


                映画の感想:翔んで埼玉

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                   子供のころ、テレビのバラエティでは、ある地域を田舎だと見下すことがギャグとしてまかり通っていた。その筆頭が埼玉県で、俺はそのたび東京の隣なのになぜ田舎扱いになるのだろうと不思議で仕方なかった。埼玉は田舎なのかしめしめと同じ土俵に乗らなかった己の賢明さを誇りたいところだが、ピンと来ていないのだからそもそも乗っかりようがない。これはつまるところ、首都圏だけで通じるギャグなのだなと理解したのが中学生のころか。


                   要するに関東から遠く離れた我が故郷は、この「田舎/都会」の論争の枠にすら入れていない辺境なのだと、より深い理解をしたのが高校のころだ。というのは、高校になると小中の学区を離れ、より広い範囲からやってきた人々とクラスメイトになる環境変化がある。その結果、自身の居住地は市内の中でも僻地扱いになっていることを知り、かつ「〇〇町は市内じゃない」「うるせー」というような市境じゃれ合いお約束にすらカウントされない存在感のなさも併せて自覚させられたものだった。そこには「埼玉=田舎」を理解できず、ぽかーんとテレビを眺めている構図の小さな相似形があったわけだ。


                   このため、テレビでやっていた本作を眺めながら、あのころの疎外感をまたも今更再確認していた。原作マンガがまさしく俺が子供のころの作品なのだから、元ネタは埼玉見下し全盛期に描かれた格好だが、映画は昨年ヒットしているから今でも通用する観念なのだろう。「月曜から夜ふかし」を見ていると、定期的にその手の話題を嬉々として語る地域住民が登場している。

                   

                   個人的感慨はこの辺にして、本作がギャグとして成立する牧歌的さについて考えた。


                   戯画化された設定で県民アイデンティティのようなものを描いている。絵面が「パタリロ!」みたいだなと思っていたら、元はパタリロの人のマンガだった。作風が徹底かつ確立している。すごい人だ。中性的雰囲気の美男子同士が愛し合う調子がパタリロと同じなのだが、だとするとガクト演じる麻実に恋する百美(女子風男子という設定)は女優ではなく男優を起用すべきな気がするが、そっちの方がむしろ男女の枠に囚われているのだろうか。どっちなんだろ。

                   

                   貴族的に振舞う都民に虐げられている埼玉県民という図がまず描かれる。県民が都内で遊んでいると治安当局に拘束される。主人公が入学する学校では、より都会っ子が威張れるヒエラルキーの中で、埼玉県からの生徒が惨めな扱いを受けている。そういうデフォルメされた県民の悲哀の中で埼玉の復権を画策する主人公は、やがて千葉県なんかとも対立しつつ、そして埼玉県民同士も浦和だの大宮だの言い合う対立に翻弄され、といった混沌とした対立図式の中で奮闘することになる。


                   このいがみ合いは、日本社会では常に他人事として語られる世界各地の民族対立を身近なものとして理解する助けになりそうな気もするが、裏を返せばそういう地域では本作はしゃれにならんのではないかと思う。

                   

                   これが爐靴磴譴砲覆覘瓩里蓮現実にはどこの道府県民であれ、東京に移り住むのは自由で何ら権利が制限されているわけではないからだ。ついでに宗教対立が絡むわけでもなく、言語系統や肌の色が違うわけでもない単一性の高さも一役買っている。
                   ただし、本作では通行手形がないと都内には入れないという権利の制限が設定されているから穏やかではない。そして差別された側が陰で世界を制していくラストは、排除される側が黒幕で排除する側が被害者、というユダヤ陰謀論ないしは在特会の理屈と重なってくる。どうも落ち着かない。

                   

                   おバカな映画に何を真面目くさって、とも言い切れないのは現実のエグい差別も元はこういう無邪気さから始まっているからである。そしてたまたま俺が本作を見た時期と重なっただけのことではあるが、さいたま市が市内の幼稚園、保育園向けにマスクの配布をはじめたけど朝鮮幼稚園は除外というニュースがつい先日あった。感染症の前には何の合理性もないまるで百科事典に載せたいような差別事案である。こういう現実だもんで、埼玉だ東京だいうてるのは実に牧歌的に映るし、どうせ差別だの同胞愛だの扱うなら、もっとほかに描きようがあるんじゃないのとは思うんだよな。端的にいえば、古いなあってこと。


                   一方、不正が発覚したことで悪の権化たる都知事が失脚していく展開は、本作の方が現実世界より上だった。残念ながら今の日本社会では不正が発覚しても為政者は失脚しない(まあ地方の首長の場合はちゃんと失脚するのかもしれないが。ただし大阪はあやしい)。完全に詰んでるのに、盤の外に王将逃がしてなぜかそれで対局が続いていることになっている。こういう現状につき、都知事の失脚という大団円は、また別の意味で牧歌的に見えてしまった。前にも書いたが、政治がぽんこつになると物語が作りにくくなるので大変に困る。

                   

                  2019年日本
                  監督:武内英樹
                  出演:二階堂ふみ、GACKT、伊勢谷友介


                  【やっつけ映画評】彼らは生きていた

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                     新型コロナの関連で、最近何度か「スペイン風邪」という言葉に出くわした。第一次世界大戦中に起きたインフルエンザの流行であるが、人類最初の世界大戦中の出来事なだけに、人類最初のパンデミックともなり、5000万人以上、一説には1億人という物凄い数の人が死んだ。先日美術館で見たクリムトやシーレもこれで死んでるんだな。


                     本作は第一次世界大戦をテーマにしているが、変な具合にプレイバックした「スペイン風邪」は登場しない。それもそのはず、主題となっているソンムの戦いの時点ではまだアメリカは参戦しておらず、このインフルエンザはアメリカが発生地である(といっても映画は終戦までを描いているのだが、米軍はちっとも登場しない)。

                     

                     名前の由来は大戦参加国が情報統制下にある中、中立国だったスペインが感染情報を公開したためで、別にスペイン発祥というわけではない。こんな歴史好きの豆知識のような話をTwitter上でやけに見かけたのは、病名に武漢の名を積極的に冠して語る連中がテレビに出ているからで、そういう密命を背負っているのか、当人の世界認識によるものなのかは知らないが、どっちにしたって恥知らず(差別をまき散らすやつは、殺人か傷害を教唆しているようなもんだから、靴か腐ったトマトくらいぶつけても、豆腐の角でなくてよかったねと温情に感謝されこそすれ文句を言われる筋合いはない)。ネットは大手メディアと違ってチェック機能が働かないからマズい、などとかつては主に業界関係者が語っていたものだったが、もはや「缶詰が発明されたとき缶切りはなかった」みたいな、「その後のスタンダードにかき消された知られざるかつての認識」になってきておる。大手メディアの「識者」選別のチェック機能の働かなさすぎといったら。そいつは識者じゃなくてただの業者だ。仕事しろ。


                     とにかくスペイン風邪はスペインにとってはいい迷惑のような名前だが、爆発的に感染拡大したのが戦争に伴う人口移動や情報統制等が関係しているから、逆説的に名が体を表しているともいえそう。

                     

                     一方、現在のコロナ流行では、戦争中でもないのに情報が伏せられたり対策が遅れたりで拡大している。中国では独裁体制の弱点と強みをまとめて見せられたようになっている。最初の告発が不届者扱いにされ隠蔽されたが、いざマズいことになると一気に社会統制して病院まで作ってしまう。
                     日本の場合はネオリベ・カルトスピ政権が長く居座ればそりゃこうなるわな、というトンマな対応の総力祭になっている。そりゃこうなるわさ。何の驚きもない。


                     記者対応をまともにやれば諸々追及されるし、それが不測の事態ともなると場合によっては火だるまになる。現政権はそういう民主党政権の轍を踏むまいとしているのか、それとも単に元々やる気がないだけなのか、とにかく災害のたびに首相が消えろくに対策を打たない、というのを繰り返してきた。場合によっては「アンダーコントロール」に代表される言い繕いでやり過ごし、ついでに記録の廃棄等で情報を隠す。隣国をパブリックエネミーにして見下すことで我が国スゴいの自己暗示をかける。戦争でもないのに情報伏せて、スペインに向けてスペインのせいだ的呼ばわりをしているのだから、はて一体だれと戦っているんだ?

                     

                     これがある程度通用してきたのは第一にはNHKを筆頭とする大手報道機関のせいであるが、もう一つは自然災害は大規模であっても列島全体からみれば、一部の人しか被害を受けないからだと思う。以前に「共犯者たち」のところで書いた話だ。被害者(被災者)に同情はすれども所詮は他人事、怒りに共感するところまではいかない。ところが感染症というのは災害など比べものにならないくらい実に広範なんだなあ。なるほどこういう災厄があるのかと、自分の不勉強を恥じた。歴史は人の営みだが、そこに実は自然も大きく作用していることを忘れがちだ。

                     

                     本作は、第一次世界大戦の実映像をつなぎあわせて制作した異色作である。当時の映像資料に証言者の声を重ねている。NHK「映像の世紀」とやっていることは似ているが、大きく違うのは映像を加工している点だ。モノクロをカラーにし、カクカクした早送りのような動きを修整し、音を付け加えている(初のトーキー映画が登場するのが大戦のおよそ10年後につき、元映像に音声はない)。

                     

                     序盤は未加工のモノクロ映像によって兵士訓練の様子が語られ、うつらうつらとしてきたところで訓練終了、若人たちが戦地に赴くところで画面の縦横比がヒュイ〜ンとワイドに広がり、カラーの音付きに変わる。この演出は憎い。さんざん古臭い映像を見せられた後なので、タイムスリップでもしたような錯覚を体験できる。思わず「お〜〜」と声が漏れてしまった。

                     

                     カラー化の威力については前にも述べた。映像の加工によって「歴史」から「ニュース」に変わる迫真性というか、自分の居場所からの地続き感のようなものを感じられる。無論、そのホントっぽさの危険性はあって、例えば映像の中の若者と証言者の音声が同一人物だと誤解してしまいそうになるミスリードは、元のモノクロカクカク映像を見せられるよりも遥かに高いと思う。とはいえ一方で、薬師寺の東塔と西塔はどっちが奈良時代の姿を伝えているかというのに似ている投げかけも多分にある。映像の魔力ってところかね。
                     年端もいかない英国のあんちゃんたちが、まったくドラマチックでなくバタバタと戦死していく無機質な残酷さはまさに戦争といったところだが、最も目を背けたのは凍傷でぼろぼろになった足の映像だった。これ以外にも塹壕の居心地の悪さやトイレの様子など、自然要件同様、歴史を語るときにはついつい脇にどけてしまうような話が結構出てきて、戦場のリアルを描く切口が吉田裕「日本軍兵士」と似ている。ただし、日本軍と全く正反対なのが、全体的にカラっとしているところ。精神論の跋扈と陰湿ないじめは無縁である(ただし戦後に帰還するとランボーばりに社会から排除されたらしい)。ついでに敵方であるドイツ帝国の捕虜とも和気あいあいとしていて、なんでもういっぺん戦争になるかねと疑問がもたげてくる。


                     その後のドイツについてはさておき、とにかくこの戦争は2000万ともいわれる多くの戦死者を出し、その悲惨さの一端は本作にもよく現れている。その結果、戦後各国は国際協調、平和主義に舵を切るわけだが、大戦にまともに関わったわけではなかった日本は、いまいちその時流をつかめず19世紀的帝国主義に突き進み孤立していく。何となくこのズレ具合が今と似てるな。そういう制作者の意図とは異なり変な具合に今につながる作品でもあるのだった。

                     

                    「THEY SHALL NOT GROW OLD」2018年イギリス=ニュージーランド
                    監督:ピーター・ジャクソン


                    映画の感想:ある日どこかで

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                       ラジオでたまたま本作を知った。隠れた傑作との世評らしく、興味が湧いたのだ。映画データベース的なサイトに寄せられたコメントを見ても、公開当時見た人の熱い感想に溢れている。だが、見終わって俺個人の感想はそれらとはちっとも重ならなかった。何より、幸せ絶頂から一転悲劇的展開となったところで、当然ながら世にいう「からの?」を期待したのに、そのまま終わってしまってしまったから肩透かしを感じて仕方がない。このリアルタイム鑑賞組と後から鑑賞した俺との感想のギャップが、本作の内容と重なっているようにも思った。つまり初恋の輝きのようなものだ。

                       

                       タイムリープもの、というやつか。大学生で演劇をやっている主人公リチャードが、ある日客の老貴婦人から唐突に「戻ってきて」と話しかけられ懐中時計を渡される。それから8年後、脚本家として成功したリチャードは、新作が行き詰まって逃走した先のホテルで、展示してあった半世紀以上前の女優の写真を見初めてしまう。彼女について調べるうち、それがかの懐中時計の貴婦人と知る。リチャードは、タイムスリップしてその女優マッケナに会おうとする。

                       

                       序盤のサクサク進んでいく展開は見事だ。タイムスリップ先の20世紀初頭のセットや衣装も素晴らしいし、リチャードが着ていった「20世紀初頭の衣装」が、古臭いねと笑われてしまう辺りも、歴史に対する一定の見識がうかがえてよい。歴史的な過去にだって、当時の「今」があり、「過去」があるんだよね。ついでに、古い記録をたどっていく辺り、しつこく繰り返すが記録は捨てるな。

                       

                       まず本作のポイントのひとつは、タイムトラベルの方法の斬新さだろう。まさかのイメトレ。リチャードはホテルの部屋にこもって「今は1912年だ、信じろ〜〜」というメッセージを繰り返し録音したカセットテープを再生させながら、自分に強く言い聞かせ続ける。カセットテープという1912年には存在しない家電製品を使ってもダメなんじゃないかと思ってしまうが、「イメトレで時間旅行」のトンデモ展開に比べれば些細なことだ。「バック・トゥ・ザ・フューチャー」が公開されるのは本作の5年後だが、当時の最先端特撮を駆使してタイムトラベルの説得性を表したあの映画も「マシン」を使っている時点で発想が凡庸なのだと思わされる。なんてったってこっちはカセットテープ自己暗示だから。

                       

                       でも古い建物、それも史跡等ではなく現役で使われ続けている建物であれば、タイムスリップしそうな気は確かにしてくる。この辺の話は「ミッドナイト・イン・パリ」を見たときにも思った。あの映画の場合は何もしなくてもタイムスリップしているから、親鸞聖人の境地に達している。

                       

                       こうしてリチャードは、「駄目だ!うまくいかない!」(そりゃそうだ)を何度か繰り返したのち、見事タイムワープに成功してマッケナと出会っていくのだが、ここから先の展開は、やがてもとの世界に戻ることを含め、夢とほぼ同じようなものだと思った。
                      恥ずかしながら、好いた女性と実に都合のよいことになる夢を何度か見たことがある。なんでかいつの間にか向こうもこちらに惚れていて、「なーんだ、早く言ってくれればいいのに」などと調子づきながらいちゃついていると、YouTubeの広告のようにまるで前後の配慮なしにハッと目覚める。

                       

                       リチャードとマッケナの恋もほとんど脈絡がない。マッケナはなぜか最初からリチャードを憎からず思っている様子で、まるで俺の見た夢と同じだ。そもそもリチャードも、いつの間にお前そんな惚れたんや、と困惑させられる。写真を見てすっかり虜、というのは10代のころは俺も覚えがあるが、リチャードは推定30前後のいい大人である。

                       

                       まあ好意的にとれば「唐突に現れ懐中時計を繰れた謎の貴婦人」「たまたま逃亡した先のホテルで写真と再会」という偶然の重なりが恋心を生んだのだろう。昔入り浸っていた喫茶店の主の長女が「男女で一番大事なんはタイミングやで」と言っていた。そう考えると、マッケナにとってもリチャードは「タイミング」がよかったのだろう。


                       そうして、恋が燃え上がったところで夢が覚めるがごとくリチャードは元の時代に引き戻される。「あんまりだー!」とジタバタジタバタ悶絶するのだが、その気持ちはわかる。俺も自己都合の夢から目覚めたとき、「夢か……」というドラマでしか言わなさそうな台詞を口にしてしまったものだ(そして布団の中で悶絶)。

                       

                       しかし、その後タイムパラドックスを逆手にとって大逆転!などという期待する展開も特になく、フランダースの犬のごとく悲劇的なまま終幕となる。序盤では若干タイムパラドックスを使ってるのに。例えば記録保管に優れたこのホテルに何か史料が残っていて、タイムトラベル後に読み直すと全部意味がわかるようになるとか、あってもよかったのではないかしら。貴婦人が時計をくれるくだりの回収も含め。

                       

                       と、この原稿も肩透かしのまま終わりそうだったところ、たまたま読み始めた本に色々考えさせられ、その話を続ける。

                       

                       

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