映画の感想:日本のいちばん長い日(2015版)

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     季節柄、テレビでやっていた。映像は綺麗だ。全国各地の古い建築物でロケ撮影して映像上集約すると、戦前の東京の中枢部が出来上がるという面白い実験のように思えた。お見事。ちょうど金沢で「空爆されなかった町」の実感をぼーっと感じたばかりだったのでイメージしやすかった。役者もなかなか素晴らしい。東条英機は似過ぎて笑ってしまった。昭和天皇を演じた本木雅弘は、演技と物真似の境界を行く様子がさすが。そして安定の怪優ぶりの山崎努。

     

     で、全体としては何でこんなに面白くないのだろうと考えながら見ていた。ずーっとクーラーが効いているような雰囲気だなあと思ったが、自分がクーラーを効かせた部屋で見ているからあまり強くはいえない。

     旧作との熱量の違いについて比較するのは不公平だとは思う。旧作監督の岡本喜八は二十歳前後のころ戦争の絶望的末期を経験している。戦後生まれでは太刀打ちできない怒りか怨念が制作の背景にあったのは間違いない。主人公格の三船敏郎も相当えぐい経験をしている。三船と同じ役を演じた役所広司が嘉納治五郎にしか見えないのは「いだてん」に基づく言いがかりだけど、あのわけのわからん迫力と比べるのはさすがに酷だろう。同じ尺度からは物足りなく見えるのは必然だ。
     裏を返せば、同時代の人間しか生み出せないものを、形として遺しているのは後世の人間にとってとても有難いことだといえる。ともかく旧作と本作を熱量で比較してもあまり意味はなさそうだ。しかし、そこを差し引いても面白くない。面白くないというより何かひっかかる。

     

     あえて同名の作品に臨む以上、後世の人間が作る意味は、違う切り口を模索することにあるだろう。監督も公開時のインタビューでそんな意気込みを述べていた。その別の切り口が「家族」かあ〜という「226」パターンに、まず肩を落としてしまう。どうしてそちらに行くのだろうと呆れるのは簡単だが、その理由について考察することこそ、どうも重要なのではないかという気がしてきた。

     

     同時代人しか作れないものがある一方で、後世の人間だからこそ描けるものもある。
     本作における代表例が昭和天皇の登場だろう。旧作では影のようにしか登場しないが、本作では一登場人物として出てくる。新版を作るにあたっての制作側の意気込みが窺える部分だ。「工作」における金正日について書いたことと同じで、「歴史上の人物」として消化される時間が経過したからこそ可能になったと思う。

     同時代だと制作側が「菊のタブー」にビビる、というよりは、見ている側が引いてしまうのを恐れるから描きにくいのだと思う。存命中の人間を別人が演じるのは、それだけでちょっとシラけがちなものだが、加えてめちゃ地位のある存在だから、「ええんかな?」と観客が周囲をきょろきょろしてしまいそうだからだ。しかし死後20年以上もたてば、それはあまり考える必要がない。

     

     そして既に述べたように、本木雅弘の演技力に改めて感服させられる分、一定の成功は収めているとは思う。だがこの昭和天皇は、ただひたすらに思慮深く徳高く、勇気をもって「聖断」を下す格好いい人物として登場する。その素晴らしい君主を、衝突や軋轢はあるにせよ全体的には粛々と戴く閣僚たち、という構図になっている。これを見ていると、戦争は起こらなくね?と思えてくる。少なくとももっと早く終わっているんじゃないか。
     イタリア、ドイツと異なり日本の場合は戦争に導いた明確な個人が特定しにくく、なんとなく全体的にそっちに向かってしまった不気味さがある。そして自国に都合のいい甘っちょろい見積りと精神論への過剰な傾倒で、ズルズルと戦争を続けて破滅に向かってしまった(「日本軍兵士」によると、戦没者310万人のうちの実に9割が1944/1〜1945/8の最後の2年弱の間に集中していると推計)。その誰も止められなかった負け戦をいよいよ終わらせる段が本作の描く日々である。

     何せ明確な「始めた人」がいないから、終わらせるのも一筋縄ではいかない。そして政府首脳と天皇には、大なり小なり、積極的なり消極的なり戦争遂行に加担してきた事実があり、それを背負って白旗の揚げ役を担わないといけない。その感覚はどんなもんなんだろうか。それを改めて描くのは、現代でも意義深い面白いことだし、より歴史になり、ついでに新資料もあったりで、今改めて描けることもあるはずだ。作り手としてはわくわくする部分だろう。

     

     この「終わらせる」部分が、本作ではせいぜいが企業倒産程度のやり取りで描かれている。いや山一の社長を思い出せば、それ以下だ。旧作を見れば、ここに描かれているのが決して過去の特異点の話ではないことがわかりそうなものだと思うが、本作制作陣が現代の我々とのつながりを見出したのは「家族」であり「企業人的苦悩」であった。その方向でしか捉えられない貧しさは、そのまんま日本のフィクション屋界の貧しさを現わしているんじゃないか。

     

     そんなことを考えたのは、ちょうど最近、過去に傑作を生んだ映画やアニメの作り手たちが隣人の差別をまき散らして騒動になっているからだ(少し前にはマンガ家や小説家で話題になった御仁もいる)。これが意味するのは、現実に対して底の浅い認識しかないまま、そちらを見ないで人気作を生み出せていたということだ。そういうある意味牧歌的なありようと本作は、どこか重なって見える。

     アメリカ映画にしろ韓国映画にしろ、自国の過去を見事に描く作品がどんどん生み出されている中で、手練れの俳優集めて金かけてこれ、というのはだいぶシビアな現実だなあ(そりゃあ拙作も評価されなモゴモゴ)。

     

    2015年日本
    監督:原田眞人
    出演:役所広司、本木雅弘、松坂桃李


    【やっつけ映画評】ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス

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       「泉南石綿村」よりもさらに長い3時間半近い長尺ドキュメンタリー。図書館好きとしては気になる内容で、世評もそれなり高い。夏のクソ暑い日に、暗がりで長々と過ごすのもそれはそれでかなり贅沢だろうと思って足を運んだ。うーん、しかしこれ、こんなに長く要る内容かなあ。

       観察映画というのか、日々の営みの断片を並べているシンプルな構成で、明確な展開があるわけではないので興味の持続が難しい。隣のおっさんはソファーの射殺体(ヤクザ映画なんかに出てくる座ったキリスト像のような姿勢)のように寝入っていた。俺も二度ほど寝落ちした。逆説的に大変贅沢な時間の過ごし方となったな。


       アメリカの図書館のレベルの高さについては以前も書いた。読んだノンフィクションに登場するアメリカの図書館司書がどれもこれも優秀だった。友人の研究者が調査に行った際も同じような感想を述べていた。いかにも先進国だ。日本でも国会図書館の司書は優秀な人が多い。地域の図書館にもそういう人はいるだろうが、いるとかいないとかとは別の位相に行ってしまっている。本作を見ると、日米では根本的なあり方が違うと痛感させられた。

       

       「公共図書館」という名前なのは、市の予算だけでなく、民間の寄付からの2つのリソースで運営されているからで、市立図書館というわけではない。だが「民間の活力」というペラペラスカスカの理屈は登場しないし、税金を使っている以上反米はダメだというアホな話も出てこない。ただし、人気の高い本を購入するか専門書に予算を使うかとか、ホームレスの利用者に対する苦情にどう対処するかといった日本と同じような議論は登場する。


       日本との違いとして目につくのは、図書館機能の幅の広さだろう。子供向けの教室のような日本にもあるような取組だけでなく、就労支援にパソコン教室、学者や物書きの講演会、演奏会、朗読会、読書会など実に幅広い。エルビス・コステロやパティ・スミスのような有名人も登壇している。著名人を呼んで「にぎわいづくり」という安い発想ではなく(「にぎわい」=何か上手くっている風を味わえるマジックワード)、知的側面からの機会提供ないしはセーフティネットといったところから来ている。

       例えば会議の中では、自宅にインターネット環境がない市民をどうサポートするか、うまくやってるシアトルに比べてニューヨークは心もとないぞと熱弁している男が登場し、市民が取り残されないためにはどうするかということを繰り返し強調している。

       

       これらから見える日本との最大の違いは、登場する職員が総じて誇り高い点だ。なので今年の予算の使い道の話でも議論に熱を帯びる。日本の場合、司書は保育士や介護士などと同様、資格職なのに待遇が悪い。悪いどころか指定管理になっているところが多いので、従来型の司書が消えつつある。それを一手に請け負っている会社の名前が、協賛として作品冒頭にどーんと出てくるから悪い冗談のように見えた。

       こちらのインタビューを読むと言っている内容がいかにも薄っぺらい。そして薄っぺらいとはあまり感じない人の方が多いと思う。記事自体も好意的に取り上げていて、これが世の平均的な反応だろう。だが本作に出てくる職員と比べると彼我の差はかなりのものだとわかる。あちらさんの社会は、諸々問題含みとはいえ、少なくとも学術分野は先進国なんだなあと思う。こちらはすっかり後退期。そんなインタビュー記事でっせ、これは。

       

       というようなことがわかる点、いいドキュメンタリーだとは思うが、さすがに長いと感じた。会議のシーン何回入れんねんといったように、大体わかったと思っているのにまだやるかというくらい似たような場面が繰り返される。とにかく出てくるのは人、人、人。上映前、後ろの親子(?)が、知り合いの誰それが全然本読まんくせに本棚が好きという変わり者で、なので本作を観たいといっていたという笑い話をしていたのだけど、そんなに本棚は出てこない。

       アーカイブの潤沢さを窺えるシーンや、それがハイレベルで活用されていることをうかがわせる優秀な司書による運営のシーン、あるいは返却図書のシステマチックな整理の場面など、この図書館自体についてわかるシークエンスもあるにはあるが会議や催事に比べるとかなり少ない。ええい本を出せ、貴重資料を出せ、と後半は結構イライラしてしまった。

       

       しかし制作側にしてみると、そんなものはとっくにわかりきっていることなので撮ってもしゃあないということなのだろうか。だとすれば、彼我の差は周回遅れの勘定になる。まいったなあ。

       

      「EX LIBRIS - THE NEW YORK PUBLIC LIBRARY」2016年アメリカ
      監督:フレデリック・ワイズマン


      【やっつけ映画評】ニッポン国VS泉南石綿村

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         少し前に、裁判所の採用試験を受ける学生の面接練習を受け持った。裁判官ではなく事務職員の試験。日程的に受験可能なので一応、という人もいれば、第一志望な人もいる。なのに全員判で押したように同じようなことを言うから、おいおいちょっと待ちなさいと、まあそんな仕事をしてきたわけだが、その「同じような話」のうちのひとつが、困った人が最後に来るのが裁判所だ(から私は困った人のために働きたく云々)ということだった。

         おそらくパンフレットや説明会でそういう話を知ったのだろう。まさしく裁判所とはそのような場所であるから別に間違ったことを言っているわけではない。のだけれども、現実の姿としては、さてどうなんだろう。

         

         大阪・泉南のアスベスト被害者の国賠訴訟をテーマにしたドキュメンタリーだ。国は危険性を知っていたのに適切な対応を取らなかったと、石綿工場の元労働者や家族、近隣住民らが訴えた日々を撮影している。3時間もあるから長えなあと思ってみていたが、訴訟は8年もかかったから3時間ぐらいでガタガタいうなよという話である。日本では2005年にクボタの工場における被害が大々的に報道されて有名になったが、アメリカではその30年前にとっくに問題が顕在化していて、スティーブ・マックイーンも死んでいる。その上国も50〜60年代には危険性を把握していたらしい。


         監督は原告の一人一人と会って話を聞いていくが、その傍ら、どんどん死んでいく。急に静止画になって「〇年〇月〇日、死去」と字幕が出てくるからまるで「仁義なき戦い」だが、「仁義」よりたくさん死んでいく。こんな撮影していたら、そのうちメンタルやられて寝込むんじゃないかと思いつつ、亡くなる人のほとんどが俺の母親より長生きだったから、なんだかなーとこぼしたくなる自分もいる。不謹慎なボヤキだが、この監督自体、不謹慎でお馴染みの、である。

         

         本作でも婆様の入浴シーンを撮るし、亡くなった原告の死に顔を撮るし、「出たな全身ドキュメンタリー作家」といった様相に膝を打つ。つい笑ってしまったのは、夫を亡くした女性が「大変真面目でいい人だった」としんみり回想しているところで、「酒もバクチもやらず?」と監督が聞き、「いえ、やってましたよ。競馬、競輪、パチンコ」と女性があっけらかんと答えるところ。あんたそれ言わせたんちゃうのん?とつい穿ってしまった。


         この地で石綿産業に従事していた人の多くは在日コリアンで、狷本だった畛代に仕事を求めてやってきた歴史がある。監督はその歴史にも関心を抱いたようだが、話はあまり広がらない。この映画は淡々とこの調子のまま裁判の過程をたどるだけなのだろうかと思ったところで、一人の男が奥崎健三ほどではないにせよ、なかなかのアグレッシブな行動に出る。

         

         


        映画の感想:search/サーチ

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           映画館で見るよりもパソコン画面で見た方がより楽しいという珍しい作品だった。全編パソコン画面上だけで構成されている異色サスペンス、という売り文句がどういう意味なのかよく理解できなかったのは、自分のPCの使い方がいかにアンシャンレジームなのかという証。20代の監督による作品だそうで、なるほどこれがデジタル世代の感性か!と思ってしまいそうになるが、スマホの普及で今時の学生はPCに不慣れなのも珍しくないから時代はすでに次のステージに移っているのだった。


           伏線をしっかり貼って見事に回収している非常に出来のいいサスペンスで、「パソコン画面」の枠内で収めている割にはプロット自体にことさらデジタル感があるわけではない(モデルに気づくシーンはいかにもインターネット的で面白いが)。宣伝用の惹句は「手がかりは24億8千万人のSNSの中にある」で、いかにもSNS社会の病理!みたいな印象を抱いてしまうが、全然そんな内容ではなかった。これもまた時代の流れ、デジタルの浸透度合いといったところか。


           高校生の娘が行方知れずとなり、手がかりを求めて父親が娘のSNS等々を調べていくと、父の知らない娘の姿が明らかになってきて…、といったストーリーだ。いざいなくなってみると、娘について知っていることがほとんどないことを痛感させられていく様子が、同世代のおっさんからするとなかなかにツラいものがある。

           この父親は愛妻家で、割とマイホームパパでもあると察せられるから、世間基準では全然ましな父親だと思うが、それだけに余計。父親が娘の期待を思い切りハズすことを言うシーンなんか、ぎゃーって言いそうになった。この辺りの家族の描き方がしっかりとしている点が作品に厚みを持たせている。そしてそれが真相部分にもしっかりと関連しているため、本作は傑作たりえている。以下ネタバレ。

           

           


          【やっつけ映画評】パッドマン 5億人の女性を救った男

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             文学部の出のくせに、理系学部の大学生相手に授業をしたことがある。1回生が相手なので俺でもどうにかなった(と思う)。その中で、学生自身に何がしかの科学的検証を、自分で方法を考えてやるよう課題を出した。「ためしてガッテン」あたりでやっているようなことと似たような行為をイメージしてもらえばいい。

             すると、多くの学生にとってはまず、何を検証するのかのテーマを見つけるのが難しいわけだが、さらに難しいのは、どうやって検証すればいいのかの方法を考えることだった。

             

             差し障りがあるのでたとえで説明すると、「飲酒運転の危険性を確かめるため酒を飲んで運転する」といったようなそのものズバリの方法が試せない場合にどうすればいいのかというようなことだ。

             この場合、別に運転しなくても酒に酔った状態で何らかの認知検査や運動検査をすれば一定程度証明できる。こんな程度なら言われなくても最初からわかると思うかもしれないが、フリーハンドで考えようとするとかなり難しい。その上、酔った状態で四則演算テストのようなことをして「ほら、しらふより正答率が低いでしょ」という結果になったとしても、それが運転とどう関連するのかとなると途端に怪しくなる。科学的方法とはなんぞやを問う、我ながらなかなか面白い課題だと思ったものだ。

             

             パッド=生理用品を作るインド人の物語だ。冒頭、「事実に基づくが脚色してます」といったような但し書きが示される通り、特に中盤以降わらしべ長者的な展開がとても楽しい。クライマックスの演説シーンも、一人芝居よろしくかなり長々と喋る&単調な編集で演出少な目なのにぐっと惹き込まれ、劇中の聴衆とともに拍手したくなる見事な場面だった。


             というのもこれが単なる発明物語ではなく、月経をケガレと見るインド社会の因習との戦いのドラマこそがメインテーマだからだ。簡単にいえば人をたくさん救う話で、だから有名ヒーローになぞらえたタイトルになっている。女性を抑圧する因習VS科学。だけどそれをやろうと思ったら、科学的態度とは何ぞやがまずは問われるこになるんだなと思いながら見た。

             

             工場の腕利き工員ラクシュミは相当の愛妻家で、妻が玉ねぎを切って涙を流しているのを見て玉ねぎ切りマシーンを作るくらいやさしい。その延長線上の愛情(もしくは義侠心)で新婚の妻のために安価な生理用品を作ろうと決意する。当時の(30〜40年くらい前の話かと思ったら2001年の話だったのでビックリ。それでももう20年近く前かあ…)インドには輸入物の高級品しか存在しない上、妻はじめ多くの女性が雑巾状態の布をあてがっていたため不衛生で感染症の危険性もある。その上、生理期間中は家に入れず座敷牢ならぬベランダ牢のようなところで過ごさなければならなかった。
             何もかも不合理なのでラクシュミは「妻を救うぞ」と奮起するのだが、ここでまず難関になるのが試作品がちゃんと機能するかどうかのテストだった。

             

             最初の試作品は、ロリエのCMのまさに正反対の結果となり大失敗。妻は「恥ずかしいからもうやめて」と協力してくれなくなるので、ラクシュミは町ゆく女性に「試してくれ!」と体当たりし、変質者扱いになる。序盤のこの苦闘シーンは、ラクシュミの純粋まっすぐぶりが危う過ぎて見ているのがツラい。
             ここでの彼の態度、すなわり製品テストを行うためには生理中の女性の協力が不可欠と思い込んでいるのは、飲酒運転の検証のために実際飲酒運転をするようなものだ。別に運転しなくても確認のしようがあるのと同様、他に試す方法はいくらでもあるはず。優秀な工員なら気づきそうなものだが、彼は学校を出ていないので部分に分解して足し合わせればよいという要素還元主義的な科学の基本姿勢みたいなものが発想できないのだろう。授業を受けてきたはずの学生でもそうなんだから難しいのは当たり前だと思う。

             後に大学教授から製造機を紹介されたとき、それを部分に分解して理解したり、圧縮の方法に悩むときにチャパティ的なものが凹むのを見て閃いたりするシーンは、それだけにかなり象徴的なシーンになっていると思う。

             

             


            映画の感想:この世界の片隅に

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               話題作をテレビ公開でようやく見るいつものパターン。綺麗に描かれた戦前の街並みだとか抽象画的な死のシーンだとか印象的な場面が多く、さすが日本のアニメだと思った。 

               

               日常の延長線上に戦争があったという本作の描き方は、戦争をとらえる上で重要だと思う。

               NHKの朝ドラが代表格だけど、戦時を描く場合によく批判されるのが、主人公たちの言動が戦後の価値判断に沿って描かれている点だ。大抵は戦争や戦時体制について疑問を抱いていたり反発していたりする。だけど、特に実在の人物がモデルの場合、事実は正反対だったということがある。「いだてん」でも、満洲事変後、主人公が勤務する朝日新聞が軍部の突き上げを恐れて反戦的な論調を取りやめる判断を下したシーンがあったが、現実には当時の報道機関は積極的に賛同していて、そこに保身のポーズがゼロだったとは言い切れないにしても、それがメインの理由ではなかった。


               本作の場合、現代からの視点を極力排除して当時のリアルな様子を描くことに腐心していて、事実の取材ぶりも徹底している、らしい。特に軍備関係は疎いので、あれが現実の様子だったかどうか俺には判断できないが、監督インタビューなんかを読むとそうらしい。
               俺でも知っているようなことについてもろくに説明がないので、よくわからないまま見過ごした点もたくさんあるだろう。終盤で太極旗が掲げられるシーンは奇しくもタイムリーになってしまっているが、その後主人公が言う割と重要そうな台詞の意味は、当時の半島支配の目的の一つが「米」だったという事実を知らないとよくわからない。たまたま知っていてよかった。精読のように精鑑賞する教材としては格好の作品だな。

               

               「戦時中」というとつい殺伐とした統制社会を想像してしまうが、世の中がああいう様子になったのは大戦末期のこと。現実には、今まで通りの日常生活が、いつの間にかこれまでより苦しくなっていき、いつの間にか物資が入手しにくくなっていき、いつの間にか物言えば唇寒し秋の風になっていき……、といった具合だった。

               主人公の義姉はモダンガールだったという逸話が序盤で「古きよき時代」的な調子で紹介されているが、実際には、都市部ではああやって華やかな洋装に身を包み、フォークとナイフでカツレツなんかを口にする傍らで、「国民精神総動員」といったいかにも戦時な垂れ幕が掲げられていた。相反しそうなこの2つの要素はある時期までは同居していたのである。

               

               同時代感を出そうという描き方の意義は、この時代が特異点でも何でもなく、今後もいくらでも起こり得ることだと感じれることにある。奇しくも其之二、この放送があった日、愛知県の芸術祭で、「展示が中止になったり不許可になったりした作品の展覧会」が中止になるという悪い冗談のような出来事があったが、展覧会の主旨から明らかなように、すでに「展示できなかった」という事実が日本社会に積み重なっているので特に驚く事態ではない。それこそ今の日本も「いつの間にか物言えば〜」になっているわけだ。

               

               どうしてそうなるかといえば、国民がそれに積極的に加担するか黙認するからだ。本作の主人公すずは、「いつもぼーっとしている」という設定で、「鈍感力」よろしく控え目ながらも逞しいキャラが魅力的なのだが、現状に大して特段疑問も文句もなくつましく暮らしていることで黙認ないしは消極的に加担していることになる。それが玉音放送を聞いた後の、戸惑うくらいの彼女の激昂につながっている。
               あのシーンまでは、戦争が天災のような抗えない仕方のないもののように描写されている点が本作の弱点だなあと思いながら見ていたのだけど、あの喚き散らすシーンを見て、彼女自身も初めてこれが「人間の判断でどうにか出来ることだった」と知った、もしくはうすうす感づいていて加担していたことについて明確に自覚的になったかしたのだろうと思う。

               

               くだんの展示企画では、市長が中止を求める、それも展示内容が自分の主義主張と相容れないから、というの内容の是非とは別次元で完全アウトな行為を堂々とやらかしている。それ憲法違反じゃん、という点でここが最大の問題点だが現時点で非難は弱い(「野党がだらしない」ならぬ報道がだらしない)。こういう一個一個の積み重ねなんだよなあ。現代アートはそもそも人気がないし、慰安婦と聞いて沸騰はしなくても何か面倒臭そうだから避けておこうくらいの忌避感を持っている人は多いだろうから、さして関心を持たれない案件だと思う。だけど、こういうのが積み重なってそのうち自分の守備範囲も浸食してくる。そしてそれは天災でも何でもない。と、本作は教えているのである。


               


              映画の感想:金子文子と朴烈

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                 あちらさん風にいうと「日帝」がテーマだ。「南北分断」にハズれなしといった韓国映画も「日帝」は今のところ傑作と縁がない。本作も黒金星を見た直後だったこともあり、やたらと退屈に感じてしまいながら見た。


                 タイトル通り、2人の男女が主人公で、彼ら無政府主義による大正末の「朴烈事件」をモチーフにしている。「工作 黒金星〜」がイデオロギーを乗り越えようとするおっさんたちの物語だとすると、こちらはイデオロギーに活路を見出す若い衆の話。必然、主人公たち無政府主義者グループに甘いサークルのノリみたいなものが漂い、演出もそんな具合だったので、どうも受け付けなかった。


                 金子文子を演じた役者は韓国人なのに、ネイティブな日本語を話す&日本語訛り風の韓国語を話すという離れ業を見せている上、笑顔もイケてるかなり魅力的な役者だと思うのだけど、キャラ造形がダメな演劇によくあるマンガチックな風味で、非常に勿体なく感じた。あと朴烈は、実物の写真と比べると非常によく似ていてそこは評価できる。

                 

                 事件そのものはかなり地味だ。政治的思惑によるでっち上げで逮捕された朴烈と文子が、自らのイデオロギーに基づき「天皇と皇太子を暗殺するつもりだった」とでっち上げに乗っかる格好で猖典牒瓩鮗白し、そのことで大逆罪で死刑になる。結果が死刑なのでことは重大なのだけど、事件自体は本当かどうかもあやしい謀議を吐露する取調と裁判だけなので、事件を巡る紆余曲折のようなストーリー上の起伏やスリルはない。


                 本作は、この2人の性別や出自を超えた同志的連帯(恋愛込み)に着目する格好で描いているのだけど、皇太子を襲うことを言い出す辺りから「どうしてそんな過激なことを考えるのか」に触れざるを得ず、不幸な幼少期等、無政府主義に共鳴するまでの来歴が完全なる後出しじゃんけん的に語られる。構成が悪い。文子の半生は、これはこれでかなり重厚なので手に余る扱いにくさはあると思うけど、それにしてもこの扱いはどうかね。
                 加えて、重いテーマなのに男女間をクローズアップしている切り口が、五社英雄「226」に代表される日本映画でちょこちょこ見られる、重いテーマをぬるく描く悪癖と重なって見えた。

                 

                 事件は地味だが、事件周辺は濃い。本作の中で面白く見たシーンのひとつが、虎の門事件が起こるところだ。半ばでっち上げの猿芝居がごとき取調べを進めているよそで、本当に皇太子が襲撃される事件が起こる。犯人は朝鮮人どころか衆院議員の息子。捜査機関にすれば本当にバカげた失態だし、朴烈にしても上を越されている。かなりドラマチックだと思うが、本作の中ではそれほど重大には扱われていない。関東大震災の朝鮮人虐殺を煽るのが、本作では水野練太郎になっているが、正力松太郎にした方がよかったんじゃないか。ちょうど虎の門事件で首になるし。


                 さらに映画の中では触れられないが、朴烈はこの後、思想的転向を繰り返すことになるらしい。彼を英雄視する立場からすると不都合な事実になるからやり過ごしたのだろうか。しかし文子との対比で「お前は生きろ」が強調されているのだから、生き残るとはどういうことなのか、彼がその後辿る道は、是非を超えた面白いテーマなんじゃないかと思うけどなあ。

                 

                 以上のように、切り口によってはいかようにでも面白い材料になったと想像される点、結構もったいない作品だと思った。ま、それをいうなら日本側で作らないといけないテーマだけど、というのは前も書いたけど。
                朝鮮人をスケープゴートにすることに乗っかって安心を得ている本作の時代から20年後、国民総スケープゴート状態になる。20年て考えてみると、あっという間だ。そして本作前半で描かれる震災時の虐殺は今やなかったことにされかかっていてそれに都知事も乗っかる末法エポック。留飲下げてると20年で他も全部なかったことにされっぞ。

                 

                蛇足:本件を取り調べた予審判事の息子が、本田靖春「不当逮捕」の主人公・立松和博なんですって。あのエース記者の特異なキャラクターは、ある程度父親譲りなんだろうなと思った。

                 

                「박열」(朴烈)2017年韓国
                監督:イ・ジュンイク
                出演:イ・ジェフン、チェ・ヒソ、キム・インウ


                映画の感想:ライ麦畑の反逆児/ひとりぼっちのサリンジャー

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                   文豪映画を立て続けに見た際に見逃した新作をようやく拝見した。公開当時に見ていたら、「この本の主人公は僕ですよね?」と、サリンジャーに声をかけてくるネジのはずれたようなファンのシーンにただ苦笑していただけだったと思う。京都の惨事があったので、心底ゾッとした。いやになるな。


                   サリンジャーの半生を描いた内容だ。「ライ麦畑でつかまえて」はすぐ挫折して読んでいない。その後仙人のように隠遁生活をしていたという話は訃報のときに知ったのだっけか。今一つ興味を抱きにくい人物と思っていたが、なぜか映画には興味が湧いて見たわけだけれども、なかなか面白い作品だった。地味ながらもテンポがいいせいだろうか。


                   特に序盤はものを書いてみたい人間にはよき参考書だろう。よい作品は作家の声が聞こえてこないといけないが、声が大きすぎると自己満足となって読者を邪魔する。というサリンジャーの師匠の教えは(ケビン・スペイシーが演じているから引っかかりを感じてしまうのだけど)結構響いた。出版元が指摘する「君の文章は説明過剰。もっと読者を信じろ」なんかも耳が痛い。書くことに覚悟を決めた人間だけが作家の資格がある、とか、とにかく「確かになあ」という台詞が多い。本作自身も、説明の削り方が上手いと思う。特に第二次世界大戦の従軍シーンは、それほど長くなく台詞も少ないが、彼の精神を蝕む説得力が充分に出せている。いかにも手練れの監督だなあという印象を受けたが、年が一緒だった。俺はまだ説明過剰から抜け出せん。

                   

                   序盤はイケてない青年が作家になるまでの成長物語で、中盤で戦争後遺症による困難期を挟み、そこからの復活⇒「ライ麦畑」出版、というよくできたサクセスストーリーを辿るものの、終盤からは邦題をなぞるように、どんどん一人の世界に籠もっていく。

                   いかにも「周りを不幸にする芸術家あるある」だなあと思って見ていた。書くことに救われてきたはずの男が、書くことの囚われ人のようになり、これだから芸術は恐ろしいなどとも思ったのだけれども、この人が91歳まで生きていることを踏まえると、これが彼にとっての正しい生き方だったといえる。

                   つまり、人気作家でいることが彼の人生だったわけではなく、一人で書き続けることが着地点だったということだ。作家になる覚悟を問うてきた師匠のウィット先生も、まさかこういうライフスタイルを想定はしていなかっただろうが、これがサリンジャーにとっての「作家」ということか。あまりにもスッキリし過ぎている。ただでさえ少々不細工な振舞いに陥ってしまった師匠のその後との対比が悲しい。


                   しかし俺には、世に出さない前提で書き続ける行為が想像できない。このブログは基本は個人の趣味で、読んでいる人も数えるほどしかいないと推測されるが、それでも書いているときにはその若干名を思い浮かべてはおり、結局のところは人に見せる前提で書いている。見せないのならブログにアップせずに手元に保存しとけばいいだけのことなので当たり前だ。そして、ただ手元に保存するだけだったらこんなに長々と書くはずもなく、せいぜい箇条書きのメモ書き程度にとどまるはず。

                   選考に最終的に漏れたときも、最初は名前が選評が雑誌に載っているだけでうれしかったが、自作が人の目に触れる機会がないのだと冷静になって実感すると、にわかに「この世に存在しないことになっている」くらいの喪失感は抱いたものだった。本が一冊出ただけで金持ちになったり有名になったりするわけではないし、そのアテがはずれてガッカリしたわけでもない。もっと手前の「他人の目に触れる機会がない」ということが、こんなにも割に合わん気分にさせてくるのだなあと思ったものだった。

                   

                   では人に見せなくても満足するような行為が他に何かあるか。俺の場合は料理が該当しそうだ。自分で作って自分で食べて美味しくできればそれで満足している。作る過程もまあちょっとしたストレス解消になっている。しかしこれとて、プロ並みに綺麗な盛り付けが出来る腕があったらこれ見よがしにSNSにアップしているような気がする。

                   

                   つまり人に見せられるレベルではない「趣味レベル」の自覚があるときは自己満足で済ませられても、一定程度の腕が出てくるものは披露して誇示したくなるということで、全くそうではないサリンジャーはまるで解脱者だ。そういえば映画の中では仏教に傾倒して座禅を組むシーンが何度もあるのだった。つまり彼はもはや小説家ではなく、仏教を極めた阿羅漢だったのかも。そりゃあ必然、一人で隠遁するわなあ。……、こんな結論でいいのか?


                  「REBEL IN THE RYE」2017年アメリカ
                  監督:ダニー・ストロング
                  出演:ニコラス・ホルト、ケヴィン・スペイシー、ゾーイ・ドゥイッチ


                  【やっつけ映画評】工作 黒金星(ブラック・ヴィーナス)と呼ばれた男

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                     南北対立のスパイもの。工作活動のスリルという表通りをしっかり押さえつつ、それだけに終わらせていない傑作だった。こういう重厚なドラマを作れるのは世界中でも韓国だけではないのかという気がしてくる。まあそれだけ民族分断の不幸な歴史を負っているということでもあろうから、手放しで称賛するのはさすがに後ろめたいのだけど。
                     あちらさんはこういうのが作れる社会である、というのはもっとはっきり認識した方がいい。日韓関係がかまびすしいから余計にそう思う。政権に批判的な論客も、こと韓国になるとアレ界隈と大差ない認識具合でもって沸騰している。事態は結構深刻だ。

                     韓国を批判するなというのではない。批判などいくらでもしたらいいし(今回の件でそれがどれくらいできるかというのは無論ある)、外交には時に喧嘩も必要(同)だろうよ。問題は「あっちが通常の政治経済摩擦から大いに逸脱している」という設定になっている当方の逸脱ぶりだ。本当にどうかしている。なので、むこうさんはこんな映画が作れてしまう社会でっせというのを強調したいわけである。こんなもん、「設定」通りの幼稚な社会で生まれるかよ。

                     

                     90年代末を舞台に、実在した工作員をモデルにしている。ベルリンの壁はとっくに崩壊しているが、38度線は冷戦絶賛継続中の様相だ。なので主人公も北への工作を命じられる。はずなのだけど、実態としては冷戦が継続しているわけではなく、冷戦を継続させたい存在が南にも北にもいるという時代の変化が段々明るみに出てくるところがポイントだ。
                     90年代末は「1987」のおよそ10年後になる。あの時代では容共の超危険人物扱いされていた金大中が、いよいよ大統領に上り詰めるかという時期である。それはつまり、反共を唱えれば愛国者になれた時代の終焉でもある。「弁護人」で登場するような「アカ」の撲滅に異常な執念をみせるあの手の刑事の存在意義は消えてしまう。だもんで、どうにかこの冷戦構造を維持できないものかと旧来の勢力圏にいる人々は戦々恐々としている。

                     

                     一方、北は北で変化を余儀なくされている。東側諸国の宿命(?)たる経済危機を乗り切るため、外貨獲得の手段を求めてビジネスマンに扮した主人公パクに接近してくる。

                     ちょうどこの時期は、餓死者が大量に出て、脱北者も膨れ上がった時期だ。自作で扱うために、関連書籍をたくさん読んだものだが、あれらで描かれている様子がそのまんま映像に出ていると圧倒された。もちろん、隠しカメラ撮影に成功した一部報道以外、実際の様子など見たことないのだが、文字で読んだものがそのまんま映像になっていると思わされるくらいのリアリティがあって、まるで昔見た景色と再会したような錯覚に陥った。

                     


                    【やっつけ映画評】新聞記者

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                       「日本映画でもこんなのが作れるのか」と話題の作品。確かに「前川」に「伊藤」に「国家戦略特区&大学」にと、現政権を巡るあれやこれやを全部ぶっこんでやがる。最もきわどいのは、「都銀の疑惑を巡る自死」で、実際「都銀」を巡る疑惑を追いかけた記者が複数人「自殺」している。

                       だけど実際のところは、これで「全部」ではないよね。というか、現政権の場合は疑惑云々もさりながら、先般のG20の体たらくも案の定なように、本業の政治における異次元の節度緩和が酷過ぎて、疑惑の類も霞むほど。というわけで「全部ぶっこんだ」ではなく、論点を絞った内容といえてしまい、困ったものだ。


                       韓国映画のような暗く重い映像と、日本映画得意の淡々ぶつ切り展開が合わさっている。ついでに主演の2人も韓国と日本。女性記者の方は、ヒロイン風味がひとつもなく、ただ性別が女性なだけといった風に描かれている点がホントっぽくて好感が持てる。一方の内閣情報調査室職員は、松坂桃李の善良で甘い雰囲気があまりホントっぽくないのであるが、まあ「フィクションですよ」を担保しているとはいえそう。超余談だが、この内閣情報調査室は、「いだてん」でリリー・フランキーが演じている緒方竹虎が原型を作ったのだそう。田中哲司の役は、リリー・フランキーだと余計怖かったかもね。

                       

                       個人的には、「日本の黒い夏 冤罪」で軽薄な下っ端記者を演じていた北村有起哉が、本作では主人公・吉岡記者の上司を重々しく演じていて、出世したのうというか老けたのうというか。かつての俺の同期だった人々も、現在似たようなポジションに就いているのが多いので感慨深いものがある。同世代の俳優だろうから余計に真に迫るものが、と思って検索したら、生年月日がほとんど同じだった。ペネロペ・クルス以来の親近感が急に湧く。ペネロペ同様、直に会う機会があっても一個だけは話題に困らずに済むな。


                       序盤は割と退屈だ。内調松坂こと杉原の汚れ仕事の方は面白いが、吉岡記者はテレビ見てTwitterしているだけ。あと付箋に英単語を書きつけ貼り付けを繰り返しているが、TOEICの勉強でもしてるのか?という意味不明な作業である。既に述べた淡々ぶつ切り演出が相まって、疲れていると眠りに落ちてしまいそう。だが後半は見事に疾走していき楽しめた。そうして賛否の分かれそうなラストになるが、これは後で書く。


                       まず吉岡記者や杉原が見ているテレビ番組に前川喜平や望月記者が出ている点についてだ。
                       序盤に前川をモデルにしていると思しきショボい狃絞広瓩描かれているのだが、その横で本物が登場している(実際にあった討論番組の映像が劇中のテレビに流れている)。前川2人いるじゃんというのが少々可笑しいのであるが、このテレビを見ている主人公の吉岡記者も、必然画面の中の望月記者と重なる。「原案」に思い切りクレジットしてあるので嫌でも同一視する(ただし彼女を有名にした官房長官記者会見のシーンはない)。この演出には、現実のトレースの生臭さを和らげる効果があると思う。どういうことか。

                       本作では「東都新聞」「毎朝新聞」といった新聞社が登場する。フィクションではお約束の陳腐さが漂う名前であるが、脇役のライバル社を読売だ朝日だと実在名にすると、嘘臭さがいくばくか回避できる。これと似たような手法、といっても余計わかりにくいか。とにかく現実をモデルにした嘘モノと、モデルにしたそのものを併存させると嘘臭さが少し和らぐという理屈である。

                       

                       だけどそれだけが目的ならあんなに何度も登場させる必然性はない。結果、生臭さの中和というより生臭い党派性を感じ取る人の方が出てきそうとはいえる。そもそも「本人登場」の瑣末なことより、実際の出来事を思い切りなぞることに疑問を持つ人は(現政権に批判的な人にも)一定数いると思う。本作が絶賛されたとして、その評価は実際の出来事を扱った政権批判によって何割か嵩上げされているのであって、純粋に映画としてどうなんよという批判である。トランプが報道を「フェイク」と安易に否定することに危機感を覚えたスピルバーグが、ニクソンといういわば歴史上の政権を題材にしたのは、おそらくその方がすんなり受け入れられると判断したからだ。


                       だがアメリカと異なり、本作でモデルになっている数々の疑惑は、大手メディアではちっとも報道されないか報道されてもちょびっとであることがしばしば(本作でもちらっとそういうシーンがある)。その危機的状況を踏まえると、問題は本作にあるのではないよね。だからこれくらいやっても丁度だと思う。本作が矛先を向けているのは現政権それ自体よりは、むしろ「いや〜どうなんだろうねえあの映画は」と事情通のしたり顔で苦笑しているあんたがただ、ということである。


                       さて音楽映画のクライマックスが演奏シーンなら、新聞記者モノのクライマックスは稼働する輪転機である。本作もそのお約束は踏襲している。改めて見ると、もの凄い装置だ。印刷屋で働いた経験がある身からすると、より一層、信じられない高性能なんである。そこから吐き出される記事は、別にスクープじゃなくても常に上質の者であってほしいと願うばかりであるが、本作ではこの輪転機が稼働して大団円とはならない。問題のラストについてである。

                       

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