寿司友面談

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     出張に行くことになり、同行の営業の人が「せっかくですので」と寿司屋のランチ接待を施してくれた。そしてその人は「大好きだ」というバッテラを注文している。おごってもらっておいてなんだが、この海産を売りにしている町の寿司屋でなぜになれずしだ、と思ったのだが、思っていたのと全然違う物凄いバッテラが出てきた。そして普通の握りに比べ、これがこの店では一番うまかった。飯がぎゅうぎゅうなので腹パンパン。


     さて某大学の課外講義を受注するにあたり、担当講師と面談したいとの先方の希望により、この日はわざわざ出向いての対面であった。「わざわざすみませんねえ」と営業担当氏は俺に気を遣ってくれるが、わがとこの学生を託すのだから、どこの馬の骨ともわからん講師屋に会わせろというのはまあ当然の反応といえばそう。

     ついでに俺がよほどのアウト人物でなければ受注は既定路線。俺が受注の成否を決めるわけではないので気楽でもある。逆にいえば、研究者逆境のこの時代、公募にも俺にとってのこの営業氏のような代理人がいてしかるべきなんじゃないかと無駄口を想像した。まあ俺自身も昇給の交渉の際には代理人がいてほしいと思うが。


     ありがたいことに、向こうさんの担当者とは指導に対する考え方が似ていたこともあり、話はすんなり終わった。予想されうる「俺とは正反対の姿勢」だった場合を想定して受け答えを一応用意をしていたが、出番はなかった。

     

     大学教授たち研究者のTwitterを見ていると、就職関連の講師屋が蛇蝎のごとく嫌われているのがよくわかる。それもそうだろうと、我ながら思う。

     学生の就職活動がシューカツと名乗りを変え利権構造化する中で、俺がこの業界に首を突っ込みだしたころに比べて狷蔚伴圻瓩凌瑤呂阿辰帆えた。俺が行く大学にも、しばしばその手の業者の講演会だのなんだのが開かれているのをよく目にする。そういう業者さんの中には真偽不明の法則を金科玉条詰め込ませたり、ただの企業側の勝手な理屈を世の真理のように説く奴隷商人ぶりを見せたり、そこまでいかなくても猝枠浪鯏瓩鬚覆召蕕擦燭蠅垢襪里珍しくない。これらの行為は、どれもこれもアカデミズムとは相容れない姿勢である。というわけで嫌われる。


     かような理路や方法論は採ってほしくない、とこの日先方が言うので、もとよりそんなことやったことないですよと返答してそれでほとんど話が終わってしまった。

     俺がその手の方法論を採らない理由は単純で、そうやって仕上げられた文章なり文言なりを俺が読んだり聞いたりしないといけないからだ。そういう内容は100%全然おもんないと決まっているので、苦痛でしかない。

     

     先日も某所で、俺が講義を担当したわけではない学生諸君の面接練習をやることになり、全員見事に雛型穴埋め文で同じことを言うのにのけぞっていた。「主戦場」の市議会のシーンを思い出した。

     説明会に参加させていただきさしすせそといった、こんな取り繕った内容の話を聞きたい人っているのかね。というのが素朴な疑問。彼らが同じようなことを言うのは、誰かがそう教えたからだろうが、教えた人間は仕上がったものを読んだり聞いたりしたことはあるのかな。5人聞くとガックリ疲れて、10人で後は何もする気がなくなる。以前に、同様の雛型穴埋め文で仕上がった「論文」を百枚読んだことがあるが、あの時は誇張でなく本当に頭がおかしくなりそうになった。これも平気で読める人がいるのかね。いるんだろうな。学生よりもそっちの方が心配だ。

     

     若人諸君には、そんな嘘くさい話より他にもっと話すことあるんじゃないのと水を向けると、何だそれでいいのかと楽になったような顔をして武装をやめることも多い。こういうときはひとつ社会貢献をしたような気分になるのだけど、中には「こいつの言っている模範解答は何だろう」と単に視点を変えてくるだけの、当方の意図が伝わらない人も少なくない。さしづめ俺は、一定数には「わかりにくい模範解答を求めてくる人」と受け止められている。なので若人全員に歓迎されているわけではない。

     

     補足しておくと、正課の授業がしっかりしている大学(学部)の場合、学生の書く内容もしっかりしているところはあって、そういう点、こちらがどうこう言ってどうにかなる部分よりも、大学生活の中で鍛え上げられている部分はやはり大きく、その点やはり教授連中に分があるとは思う。


    マナー警察と天動説

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       というようなことを知人若人の愚痴を発端につらつらと考えたわけだが、己の仕事でも、同じジャンルの話に直面することになった。
       就職試験の論文の採点を依頼されることがたまにある。その設問が外国人観光客関連だったのだけど、学生が書いていた内容が無邪気な偏見の満開桜だった。酷いのになると、「外国人観光客の増加で、日本に麻薬の流入が増える」などと、観光客が全員ヤクの密売人に見えている内容のものも。由々しき事態である。

       

       この学生が、実際にそう思い込んでいる可能性は低いとは思う。社会現象について論じさせると、何を書いていいのかわからずに、思いつきを支離滅裂なまま、とりあえず指定の文字数を埋めるかのようにひたすら並べるだけで済ませようとする学生は多い。結果、書いている当人も「相当あやしい内容」と自覚しているケースが多い。
       とはいえ、放っておくわけにもいかない。いわば連想ゲームで思いついたことを並べているということは、外国人とヤクの売人がこの学生の脳内では(無自覚だとしても)同じ棚に収まっているということになるからだ。

       

       加えてタチの悪いことに、そもそもこの論文の設問に「〜インバウンド需要が見込まれる一方、トラブルも起きている。そのような中〜」などと誘導尋問めいた一節がある。出題者の頭の中も、学生同様無邪気な書棚状態になっている、もしくは明確に偏見を持っていると推察される。この出題者にしてこの解答者ありではないか。これはいかん。

       

       なので、自分が講義を担当しているクラスでも似たような設問で論文課題を書いてもらうことにした。当然トラブル云々の一文は外して。
       案の定、提出者の半数程度がマナー警察になっていた。「彼らも悪気があるわけではなく、文化が違うのが原因だ」などと、一定配慮を見せている分まだマシといえるかもしれないが、それにしても、である。
       講義を終えた帰途、あちらこちらの居酒屋では、いわゆる「新歓コンパ」の時期だからか、酔っぱらった学生が集団で道路をふさいでいたり、騒ぎ倒していたりで、いったいどの口が「マナー」を言うんだという矛盾甚だしい。

       

       別に外国人がすべて清く正し人だといいたいわけではない。観光だけで3千万人も来ている。中にはおかしな人もいるだろうし、学生がいう生活文化のすれ違いによるトラブルの類はもっと件数があろう。俺が引っかかるのは「日本天動説」とでもいえばいいか、とにかく日本社会に絶対の基準があって、あとは異物という発想である。

       例えば学生は、日本人より「マナーのいい」外国人は一切想定していない。基準がこちらにあるから、理論上想定されるはずもない。自分たちだって(「の方が」というのが正確か)馬鹿騒ぎして「マナーが悪い」事実に目がいかないのも、こちら側は基準なのだから必然そうなる。

       

       そういえば、以前大学の食堂で留学生の歓迎会を開いているところと遭遇したことがある。一部を貸し切りで使用していて、俺は残りの席の方で魚フライ定食を食っていた。それで担当課の課長みたいな人があいさつしていて、是非みなさんには日本のよいところを学んでいただき、そして同時に日本の悪いところは見ないようにしてくださいなどと言っていて、俺はアホかこいつはと呆れていた。

       「悪いところは教えてくれ」だろうに。「悪いところ」が具体的な当人の被害だったらどうするんだ。それでなくても大学もあろうところが事実の見らんふりを推奨するなど言語道断である。でもこれが日本天動説の平均的な気分なんでしょうよ。

       

       というわけで次の授業で説諭した。とはいえ学生にしてもマナーしか思いついたことがないから書いたか、もしくはそういう猝枠浪鯏瓩鯑匹鵑世で、明確な主張に基づいているわけではないのがほとんど。本心ではない内容について説教されても馬耳東風であろう。

       しっかし思いつくことが「マナー」ってのもな。法令違反ならともかく、むしろくそくらえじゃん。問題は外国人への偏見等ではなく、気兼ね気兼ねの塊で、不便な方不便な方に帳尻を合わせようとする現代日本社会の特色にこそあるという話かもしれん。


      読者からの注文

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         年度が変わって正月気分の花見シーズンだった。なぜか知人からの誘いが続いた。今夜一杯どう的な急な誘いがすっかり珍しくなっている昨今、「慣れないことをする」ことになってしまったせいか、まんまと体調を崩して、一件不義理をする羽目にもなった。プラスマイナス帳尻だ。

         

         そのうち1人は、最近企業のCMの炎上が続く中で、自身の勤務先でも「チェック体制を強化することになった」という。法務の専門家以外にも、大学の先生なんかにも意見を聞いて炎上につながる要因がないかを探るわけだが、こんな話はあんたがチェックするのが一番早いんじゃないかと言われた。

         

         当人は数少ない当ブログの継続読者。このブログでたまに書いている差別関連の話を読んでの言である。別に俺なんかに尋ねなくても、今時のSNSは、在日外国人や働く女性や体のどこかに障碍がある人などなど自分が普段過ごしている位相とは別のところにいる人々からの直接の指摘がいくらでもあるから、そちらを見ればいいだけのことに思うが、そこはさて置き、俺がそんな話をここでくり返し書いているのは、そういう映画を見たからに過ぎない。なのでとりあえず「グリーンブック」でも「ドリーム」でも見たらどうかと思うのだが、裏を返せば洋画でも見なければ、日本社会の中ではその辺りの感覚を磨くフィクションに触れる機会が極めて限定されているということになる。身近にないから、それなり高学歴で勤務経験の長い大人が少なからず関わっているのに誰も気づかないという事態になるのだろう。

         ま、まったくないわけでもなく、例えば女性差別関連の「あるある」は一部のマンガやそれを原作にしたドラマなどで目にすることはある。そういえばこのブログでも、日本のマンガ作品についてこんなことを書いていた。差別問題についての基礎知識的な内容になっている、と自分で書いて自分で賛辞をつける。

         

         あんたがやれば、と言ったその若人によると、勤務先の会社は炎上しないことばかりに気を取られているといい、「人を傷つけないという本質部分をおろそかにしている」とコボしていた。まあ「会社員が考えることは常に目先の付け焼刃に留まるやれやれ」といった話であるが、「人を傷つけない」というのは考え出すと全部疑わしく思えてきて「これじゃ何も表現できない〜〜」と頭を抱え、迷走の末に松本人志辺りの言に救いを感じて「傷つけない表現なんてこの世にはないんだ!」と薄っぺらに格好よく居直りを決め込むの図が社内で蔓延するのではないかと、長ったらしい心配を勝手にしてしまった。

         

         CMの場合はやはり、ステレオタイプに注意を払うのが最初になすべきことだろう。
         そもそもは、わかりやすさのためにパターン化をするのがステレオタイプの機能である。このパターン化が、固定化された観念と結びつきやすいため、場合によっては差別や偏見や無自覚・無理解につながる。例えば洗剤のCMは、いかにも皿を洗っていそうな人が登場するのがわかりやすく、意外性を狙ってダースベイダーあたりが出てきても、そちらにばかり目がいって、何のCMかわからなくなる恐れがある。ただしその「いかにも洗いそうな人」が30〜40代の女性ばかりだと、性別と役割の固定化を助長するおそれが出てくる。

         

         こういうわかりやすさが固定化したいわゆるパターン化は、フィクションの世界ではしばしば「手垢にまみれた古臭い描き方」となり、「つまらない」とか「いまさら」といった低評価につながる。「金にうるさい男=関西弁」のように、パターン化はしばしば、そう語られる側が辟易していたり、「常人離れして心の美しい障碍者」のように、そんなやつは実際にはそうそういないというケースも珍しくないから、場合によってはそれこそ「人を傷つける」。

         

         逆にいえば、差別を題材として扱うのは、既存の価値観を揺さぶることにつながりやすいことになる。俺がその手の映画を好んで見ているのも、その辺りのトンガリ具合を期待してのことだ。

         

         そして広告でもそういうのが本来ありがたがられる現場ではないの?とも思うのだが、これはおそらく牧歌的な発想なんだろうな。実際は、もっと情けない事情なんだろう、炎上広告の背後にあるのは。なのでチェック体制の強化も結構だが、鈍感に固定化されたイメージに基づく発想が優先されて、斬新なアイデアが出てこない組織の仕組みそのものを考え直した方が効果的だと思う。


        年の瀬2

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           知人から夜に電話があり、そのまま夜中の3時くらいまで長電話だった。年齢上立場上、鬱屈しているものが鯨肉くらい在庫が貯まっているからだろう。そういう俺も個人事業主につき気の置けない間柄と暖簾をくぐって・・・、なんてことがまったくないので遠隔忘年会だなと内心思いながら、電話に応答しつつウイスキーを舐めていた。

           欠員が出たのに補充がない、と今時どこの企業でもありそうな愚痴をこぼすので、広河隆一でも採ったらどうかと助言した。少なくとも写真は巧いんじゃないか?(そうでもなかったりして)。すると翌日「茨城県庁がセクハラ処分の官僚を採用」というニュースが流れていて、おいおいホントにやってるやつがいるのかよ。

           

           さて話の流れで、本やサイトの選び方という議題になった。インターネットサイトが玉ゴミ混交なのはその本質上必然のことなのだが、書籍の世界でも同様の事情となっており、見分ける姿勢、いわゆるリテラシー的なものが重要になっている。大学1回生だと、検索結果のトップに出てきたものを何の疑いもなく引用してレポートを書いたりするものなので、引用可能なサイト、そうでないサイトの説明から始めなければならない。

           こういう事態に年寄りが呆れるのは勝手だが、物心ついたときからネット上にサイトが溢れている環境でまっさらなまま育っているのだから、きちんと教えるのがおっさんの責務である。そうでないとまとめサイトから引用してるくせに大口叩いている破廉恥な大人と、それを回収しない破廉恥な出版社を横行させるだけである。


           個人のブログ、まとめサイト、フリー素材の写真だらけで「いかがでしょうか」で終わる記事を引用するなとか、そんなことを教える。最近、ネット素材のテキトーな張り合わせで出来ている記事の末尾に「いかがでしょうか」がないケースも出てきているのだが、あれはよくない。この記事はせいぜい暇つぶし用ですよと明示する意味で、最後に「いかがでしょうか」と必ず書いてほしいものだ。

           

           書籍についてはもう少し難しい。青林堂の本だと表紙がいかにもあやしげだから、あれはあれで良心的といえるかもしれない。名のある出版社が酷い本を出しているのは、話題の幻冬舎しかり講談社しかり。まあ本がすべて良心的ではないというのは昔からあることで今に始まったわけではないが、まず数の問題がある。書店の「歴史」「政治」「海外事情」といったコーナーは、昨今、アレ界隈の書籍で汚染が激しい。いよいよ資格試験の分野にも浸食してきたという話は以前に書いた

           

           脱線するが、ちょっと前に稲田朋美の「日本は聖徳太子のころから民主主義」という衆院での演説が話題になったが、かの試験の問題文に使われていたのも同じような趣旨の文章だった。この界隈は、狭いサークル内で互いに受け売りし合っているもので(だから労せずどんどん出せるという強みがある)、その一端が衆院という結構な表舞台に顔覗かせた格好であり、別に彼女の持論というわけではない。なので発言の是非を云々するよりも、このサークル内受け売りもたれあい構造を解明していく方が重要なのだが、幻冬舎の件でそれが続々と詳らかになっているのは素晴らしいことだ。

           

           話を戻すと、向学心旺盛かつまっさらな若人(年寄りもそうだが)に見分けるリテラシーを身につけろというのも無責任な話だ。書店の側も売るならせめてコーナーは分けてほしいものだ。どうせ購買層は共通なのだから、ジャンルに分けられているよりも買いやすい。分類名が「アレ」くらいしか思いつかないのだが、何か適当な名称はあるだろうか。「お目覚め」だろうか。そしてその書棚は、ツタヤのエロビデオコーナーのようにカーテンの奥に設置するといい。隣国を罵倒したくてしょうがないという隠微な欲求を持つ人にとっては、より興奮する演出ともなるだろう。知人曰くは「そのうちマトモな本の方がカーテンの奥においやられそうだが」とのことだが。

           

           ただし新書の場合は、新書という規格に含まれる分、単行本のように単独には扱いにくい。というか、書店の対応に頼るばかりでなく、こちらも爛螢謄薀掘辞瓩鮗けなければならない。結局は出典の明示という論文レポートの作法にたどり着く。ただしこれも万能ではない。ライトな読者層を想定している場合には省くこともあるからで、これはこれで一部で議論になっている。

           

           学生に対しては「本を読んでいない」という前提で説明するので、まずは新書・選書あたりから入ってはどうかという助言になる。その際に一定程度信頼のおける新書と、玉石混交度合の高い新書、ほとんど泡沫、と出版社ごとの概要を示したことはあるが、平均値の話でしかないのも確か。あとは「帯に腕組みした著者の写真があるやつはとりあえずやめとけ」と言ったら、後ろで見ていた教授だけ爆笑していた。これだとアレ界隈ではない人も一部含まれるが、まあいい。

           

           結局は「薦める」に行き着くのかもね。自分だって「これを読め」と周囲の薦めの積み重ねがあったものだ。年末なので張り切って図書館で色々借りたが、電車移動が多いときほど読み進むといういつもの矛盾にぶつかっている。

           とりあえず↓これ

          から取り掛かっているのだが、上下巻分のボリュームだ。どうやら新しい才能が続出してるっぽい雰囲気の韓国の小説も借りてきたけど、たどり着けるのやら。


          おせっかい

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             いつも世話になっている美容師が、給与の話でオーナーと対立して店を移ったのが今年の夏ごろ。年に2回くらいしか散髪しない無精者につき、期間は長くとも圧縮すると1,2年程度の付き合いになるような気がするが、見習いのころから見知っていて、いつのまにか美容師に昇格し、いつのまにか店を任され、いつのまにか給与でもめるまでに成長していたのだった(たまにしか来ないので、ホントに「いつの間にか」と感じてしまう)。で激励に訪れ、「もう来ーへんぞ」と言っていたのが、結局また来ている。

             

             「地震は大丈夫でしたか」と、久々なので古いところから話が始まるのが毎度のこと。まだブルーシートをたくさん見るよねえなどと話しながら、そのうち話題も変わり「万博決まって大坂もまた賑やかになるんすかねえ」などと牧歌的なことをいう。やはりこれが世間の平均的な受け止め方なのだろうか。

             

             どうだかねえなどとやり過ごしておけばいいのかもしれないけど、まあ待ちなさいアゼルバイジャンに決まってたら行ったかいなというか愛知のとき行ったかいなというかブルーシートがまだ多い状況で躍起になることかいななどと諭すように語ってしまった。これも「華氏119」なんかを見たせいだろう。小さなことからコツコツと、だ。なるべくやんわり与太噺を言うような調子で相手が引かないように心がけるのであるが、彼の場合は引くどころか周りにこういう話をする人間がいないせいだからだろうか、おーなるほどと食いついてきた。

             

             「ゴーンの件もようわからんのでYoutubeなんか見るんすけど、何かようわからんすね」と、彼は俺もよくわからないニュースのことを持ち出してくる。まずニュースを確認するのにYoutube、という発想からして、おいおい&なるほどなあなのであるが、最近はネット民の尽力で悪質なチャンネルが続々と凍結されたし、当人も陰謀論めいた話は話半分で受け取っている様子につき、まあよかろう。とりあえず、地検特捜部のやる事件は本気にするなと説明した。なんだったらあやしげなネット情報より陰謀論なんじゃねえかという気すらする。

             

             「ま、僕らみたいなのにはまったく無縁の別世界の話っすけどねえ」と彼は適当にまとめようとしたが、大人げなく「そうでもないよ」と延長戦に持ち込む。ここからはただの私見。従業員リストラしまくって自分は10億だなんだともらって「これが世界の相場だ」と平然としていたのは、社会に少なからず「あ、いいんだ」感を与えたと思う。これをちっちゃーいレベルまで落とし込んだのが、君とオーナーの給与騒動なんじゃない?と言った。自分がそんだけもらうんなら、社員の給与ももっと奮発しろよってことでは一応構図はカブる。まあ彼にはこじつけのブラックジョークくらいに聞こえたかもしれないが。

             

             こういう説明したがり野郎を英語で「mansplain」というらしい。女性にも説明したがりはいるだろうけど、男の場合は相手が女性というだけで自分の方が詳しいと自動的に思い込んで語りたがる傾向が強いので、それを指摘している言葉だ。女性、あるいは年下、というだけで講釈を偉そうに垂れるととても恥ずかしいことになるので(経験済み)、やめた方が互いに過ごしやすい世の中になるだろう。油断するとやってまうんすけどね。

             今回の場合は、相手の出方を注意深く見ていたので該当しないつもりだけど何事もほどほどにと自戒しつつ、お茶を濁しとくのが大人、とは必ずしもいえない世相になっているのは確かじゃないかしら。


            自著「書きたくなる〜」その後

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               某大学で、大衆に情報を提供する媒体産業への就労を希望する学生を対象にした授業が開かれている。学生が集まらず不開講続きだったのが、今季はどういうわけか最低人数が集まったとのことで両手で足りる少数の若人を相手に久々の講義をすることに。聞けば多くが2回生で、時代だなあと思う次第。

               

               せっかくのこういう機会なので、最近思っていることを書き留めておこうと以下ダラダラと。

               

               この仕事をまさに業としてやっていたのは10年くらい前のことだ。閉鎖になったのは5年ほど前(現在は既に述べたように、大学への出張講義的なスタイルで、コマ数もぐっと少なくライトに実施したりしなかったり)。かつての受講生は概ね30代、要は現場の中核をなす年代だ。それぞれどうしているのかはいちいち知らない。意に沿わない部署に異動になったり、育休に入ったり、実はもう転職していたり色々だろう。そういう年月がたった上で、現在の、特に放送のありさまを見ていると、なんとなく自身の責任も感じるところがある。

               

               まるで自分が彼らの人格形成に大いに寄与したような物言いだが、別に俺と出会わなくても合格しただろうという人ばかりなので、まさか「俺が育てた」的なみっともないことは考えていない。ただ以前に「否定と肯定」のところで書いたのと同じようなことで、何かの物事に対して関心を持たなかったり、持っているのに積極的に表明しなかったりすることは、その後の時代の流れにちょっぴりは加担している気がする。その程度といえばその程度の責任であり、反省だ。

               

               あの頃、多くの若人諸君が「やりたいこと」として書いてきた典型例の一つが、芸人を使ったニュースなりニュースバラエティなりだった。M−1グランプリ華やかりしころで、現在中堅どころとされる芸人たちが続々と登場していた時期だ。彼らのツッコミのセンス=批評眼をもってすれば、ややこしいニュースも切れ味鋭く分析して、おもしろく視聴者に提供できるのでは、という発想だった。
               まあ、当時としては「誰でもまず真っ先に思いつく」くらいの発想なので、面接対策的な観点からいうとまずこれでは通過しない。せめてもっと内容を詰めていく必要がある。その程度のことは助言したが、この発想自体は積極的には否定しなかった。内心駄目だろうと思っていたのにもかかわらずだ。


               常人には思いつかない芸人の笑いの着眼点というのがニュースにも当てはめ可能なのでは、という発想は俺も考えたことがあったが「あ、これは無理だ」と気づかされたのが松本人志だった。最近、彼がやっているニュースバラエティでの発言がしばしば物議を醸していて、批判的な人の中には「松本も年食って衰えた」と残念がっている元ファンもいるのだが、あの人は急にああいうことを言い出したわけではなく、昔からああいうことは言っていた。週刊誌連載とテレビ番組の伝達力の差だろう。自分の才覚でのし上がってきた人によくある「成らぬは成さぬなりけり」原理主義とでもいうような他者へのまなざしの貧しさが、読んでてすごくつまらなく、隣のリリー・フランキーのエロ話ばかりの人生相談の方が余程スリリングだった。なんぼお笑いで天才ぶりを発揮しても、でけへんこともあるんやなあと、当たり前のことに気づかされたものだった。ついでに学生に「芸人を起用したニュース番組」という記述がブームに達していたころ、爆笑問題が政治バラエティー番組のようなものをやっていて、彼らは普段の漫才が時事ニュースに基づいている分、もう少しできるのかと思ったがそうでもないと感じたものだった。

               

               というわけで、個人的には「無理がある」と判断したのだけど、学生が考えて書いたことを頭ごなしに否定するのもどうかという思いもあり、「僕個人の意見では、大しておもしろいものにはならんよ」くらいは言った記憶があるが、それ以上は言わなかった。こう書くと教育者のような物言いになるけど、実際のところはいかに無理があるか、当時俺が感じていたことを論理的に言語化する作業をサボっただけともいえる。

               くだんの松本の連載を愛読していて「先生も読んだ方がいいっすよ」と猛烈に薦めてきた学生もいた。まあ「ゴーマニズム宣言」を愛読していたころの俺みたいなものだろと思って、あんまり強く否定するのもなあと、やんわりと「あれは実は社会評論としてはすごい手前の話を言っている」くらいのことを諭すにとどめた。これまた説教親父になるべきだったかも、と後付けながら思うのは、あれから10年以上たった今、まんまと情報番組に芸人たちが跋扈して、結構な惨状を呈しているからだ。

               

               影響力のある人が貧しい意見を言って、それに若人が感化されて、というのがあんまりよろしくないなあくらいに思っていたのが、実際は想像以上だった。影響力はある門外漢が素人意見を述べるにとどまらず、大坂の場合は政治、芸能、放送の三者がまるで軍産複合体のような結合を見せるところまできている。ここまでの予想を立てる知見は当然ありもしなかったが、多分よくないだろうなあと思う程度には俺もうっすらとはカッサンドラだったわけで、別に俺が何しようと何の影響力もないことは自明だとしても、統計学みたいな話で自分がもう少し何かしていたら、同時に他でも似たような人がいたんではという少々オカルトがかった発想はつきまとうのである。

               

               もちろん一方で勉強不足だったこともいくらもあった。「バラエティ番組は抗議を恐れて萎縮すべきではない」という言説に対する態度がその際たるものの1つで、これは当時大した問題意識も持てずに呑気に構えていた。お笑いの好きな学生が当時よくこういうことを書いていて、なんでもやりゃあいいとはさすがに思わなかったが、バラエティが危ういところに挑戦すること自体は「努力してしかるべきかなあ」くらいに考えていた。大事なのは委縮か冒険かという二択ではなくて、ちゃんと考えましょうねということで、これをサボってきた結果、居直りや暴論が「ホンネ」の名を頂戴することを大いに助けたと思う。これは完全に勉強不足だったと反省している。

               

               といったことをたまにボサーっと考えるような日々、再びそういうところに関心があるという学生に授業をしろとなると、さて何をすべきだろうかと身構えてしまう。

               今時わざわざ斜陽ともいわれるところを志望するのは、よほど思うところがあって、というわけではまったくなく、10年前と大してかわらず「何だか楽しそう」くらいの様子で、2回生多いので、様子見半分のところもあるようだ。本来はこの程度のノリで全然いいはずなのだが、現状をちゃんと知っているかね、と余計であるはずの老婆心を抱いてしまう。困ったものだ。

               

               問題点が多いというのは、ある意味改善するべきことがたくさんあるということなので、面白いことだと見ることもできる。そういったことメインにすれば、授業の土俵にも現状の問題点を乗せることは可能かもしれない。そんなことを考えて、あれこれ内容を練ってみて、でまあ学生諸君の取り組みのおかげで少しは手ごたえを感じつつこれまでとは違う試行錯誤をやってみて、そしてライトなプログラムなので間もなく終わる。


              災害と災難(とホームラン)

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                 近所の店舗の屋根がバリバリとはがれて落下したのでマジかと驚愕したが、府内どこでも見られた程度の被害で、場所によってはもっと深刻だと後で知った。後日、出勤した先で職員から「大丈夫でしたか?」と気遣われ、近所の店の屋根が吹っ飛んだくらいですと答えたら「ああ、どこでもあるやつ」と言われた。停電にならなかったのはかなりラッキーだったことも知った。

                 風力というピンとこない要素の恐ろしさが可視化された格好だが、電柱が軒並み踏切の遮断機みたいになっている様子とか、エグ過ぎてやはりピンとこない。電車を止めたのは英断だったが、その英断が出来る理由の一つは予報の精度が高いからで、「バック・トゥ・ザ・フューチャー2」の言う通り、気象庁は発達したものだ。同時に石原裕次郎が出てたレーダーをつける映画を思い出した。このレーダーが出来れば台風の死者が減らせるんだという熱意でプロジェクトX的に任務遂行する人々の物語だが、確かに台風当日も直前までただの呑気な曇り時々腫れだったから、生活の知恵だけで対応するのは困難だ。ひと月前に関空を利用したばかりなので、外国人観光客は日本人以上にさぞ不安だろうと同情する。台湾では俺も逆の立場をショボ〜いレベルで軽く経験した。連載の終盤辺りで登場する。


                 翌日は新幹線が動いていたので、予定通り出張講義だった。所在地が関西ではないので混乱と無縁だからこうなる。こちらは在来線が混乱続きで新大阪までたどり着くのがほうほうのていだった。平常時の3倍ほどかかったので、会社が予約した新幹線の時間に間に合わなかったのだが、駅に着いたら当該のぞみも遅延していて形式的には間に合った格好になった。先方に電話して、かくのごとき状況につき遅刻になる旨伝え(関西の企業ではないのでこちらの状況はよく知らない)、「到着までどうにかこっちでつないでおきますのでお気をつけて」などと気遣われたが、開始時刻ぴったりに教室に到着した。「つなぎますと言ったものの喋ることが思いつかず助かりました」と、あちらもあちらで軽く追い詰められていた。

                 

                 こうしてオッサンが悶絶しているのをヨソに、呑気に遅刻してくる学生(関西ではないので町は平常通り)を見ると、いつもは何も思わないのが、この日は苦々しかった。まあ遅刻だけど熱心だったり皆勤賞だけど寝ていたり、学生は色々なので舌打ちのしどころは難しい。一方、遅刻どころか何もしない大阪府市の対応はほぼ既定路線となってしまっている。突発事案で予定が変わることに堪えられないんだろうかね。突発事案で休みが消える仕事を少しだけしたことがあるので、外部要因が自分の意志を変えてくることのストレスは少しはわかる。過剰な忌避反応を見せるのもたまにいるが、そういう人は決まった予定事は大好きだったりする。あれと同じなんかね。とにかく彼らの何もしてなさは被害対応だけでなく、後々たたるという点でもホントあかんことやと思うで。

                 

                 最近は、授業中にスマホに没入している学生を注意することにした。大学生だし、私語のような他の学生の邪魔になる行為でないなら当人の勝手やろと無視していたが(あとスマホの場合、レアケースながらわからないことを調べているケースもある)、こういうのはオッサンの責務として釘指してやらなあかんのちゃうか、まだ間に合ううちに、などと考えるようになった。加齢だけでなく社会状況も関係してると思う。面倒だしアホくさいし、昔から怒るの下手なんで脳内で台本書いて脳内で演技の練習しないと出来んしで嫌なんだけど、これも後々たたるんちゃうかという懸念が上回っているので。しかし大阪府市はトップがこれで採用試験に「災害対策に何が必要か」というよくあるお題の論文を出題するのだろうか。

                 

                 それで今朝は電車は大丈夫かしらと朝テレビをつけたら地震だった。こりゃ酷い・・・。ついこの前見た「なんしょうと」北海道篇で出てきた白ワイン屋は大丈夫かね、と若干名いる知人よりそちらを先に思い出してしまった。農業の中心地だからこちらのような遠隔地にも影響大きいだろうなあ。この地震でこちらの台風被害の報道は一気に少なくなり忘れられた感が漂ってくるが、全国各地の「忘れられた災害」の復旧はいずれも目下継続中である。
                 北海道も外国人に人気の観光地だから、関空と似た状況。以前、外国人観光客が増えている中で彼ら向けの災害対策は何が要るかというような論文の題もあった。この題もブラックジョークにならなければよいが。

                 

                 そういう中で大谷が再度の故障。道民を心配させつつホームランは打つというよく出来た息子っぷりをまたもいかんなく発揮している。マンガでも書かないと言われた派手なデビューを飾った今季だが、左投手をからきし打てないというやはりマンガでも書かないわかりやすすぎる弱点を露呈していたところ、左投手から打った。多分、鏡を見てスイングするとか、マンガでも書かない秘密の練習をした成果だろう。

                 ア・リーグ西地区はアストロズかアスレチックスで決まりでエンジェルスの芽は今季とっくに消滅しているので(勝率5割で終えるのが目標)、大谷を登板させることはないと思っていたが、監督がソーシアだったのを忘れていた。イイ人なので選手の意志を尊重してしまう。最もストレスを感じてるのは間違いなく当人だろうが、例によって爽やかに冷静に記者会見をしている様子に、再びボルグとマッケンローの生きづらさを思い出してしまった。同種目の大坂なおみは、全体的に強くなった感じですね。

                エンジェルス県立野球場


                W杯備忘録、というよりK氏備忘録

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                   直前によくわからない理屈で監督が解任となったせいで、引っかかりを覚えながら日本代表を応援していたファンも多いようで、身の回りにも同様の知人が何人かいる。ただ、FIFA自体が汚職まみれだと以前にこの本で読んだり、開催国のその後が「つわものどもがゆめのあと」になっているとテレビで見たりなので、JFA云々にとどまらず、W杯そのものについて、何かしら釈然としないものを覚えてしまう。といいつつ見てしまっていた。


                   今回はドイツ×メキシコを筆頭に、強豪の苦戦が目立って面白く見た。まあ4年たつからね。例えばドイツなんか前回優勝メンバーと顔ぶれは結構共通しているから、いざ始まってしまうと前回大会がついこの前のことのように錯覚してしまうが、MLBの2014年はワールドシリーズがジャイアンツ×ロイヤルズで、両チームとも去年、今年とパッとしない。4年てのはそういう時間なんだろう。

                   一次リーグでアルゼンチンを華麗に撃破したクロアチアに目を奪われ、トーナメントでこれまたアルゼンチンとマンガみたいな試合をしたフランスにくぎ付けになり、結局この2チームが決勝で相まみえたのだが、アルゼンチン戦以降はさして面白くなかったフランスが、さして面白くない勝ち方で優勝した。優勝するチームというのはこういう底意地の悪さみたいなのがあるよね。モドリッチは我らがナカノッチに似ていると思って見ていたが、ロシア戦のときプーチンにも見えた。ロシアの脅威の粘りは元首の幻影に恐怖を覚えたからかしらとくだらないことを考えてしまった。あと大変申し訳ないのだが、イングランドのケインは破廉恥記者の山口某にうっすら似ていると思ってしまった。

                   

                   WSと違ってW杯は32とはいえ世界中のチームが集まるから、若人相手に世界史や地理の講釈を垂れている身からすると格好の教材に映る。五輪の方が圧倒的に参加国は多いが、W杯は団体競技かつ一種目だけの激突なせいか、教材的印象は五輪より強い。主には名前の雰囲気(言語圏に通じる要素)や肌の色とその構成であるが、今大会ではその他、スイスのシャキリが罰金を受けた政治メッセージ的ポーズとか、プッシーライオットの乱入とか、表彰式でプーチンだけ即座に傘が出てくるところとか、勉強になる事件も多かった。

                   そういえば、フランス代表がアフリカから優秀な選手をかき集めていてズルいというような頓珍漢なコメントがネット上で話題になっていたが、大阪人をかき集める強豪校と勘違いしている。知人K氏がいうには、シャルル10世がアルジェリア遠征をしたとき(1830年)からW杯優勝を超長期的に見据えた強化策の成果ということらしいのだが、かき集め型の強豪校を抱える地域は、卒業生をどうにかとどめる政策を進めていけばフランス化を実現できるといえる。

                   

                   さて抑えのエースが不在のせいで逆転負けを喫した日本だが、現場の頑張りは大いに称賛されるべき一方で、JFAについては大いに議論の余地があるのはあまたの人が指摘している通り。つまり「それはそれ、これはこれ」であるが、この言葉は大抵、何かをウヤムヤにするときに使われるような気が。色々言われたポーランド戦について、知人K氏が「西野朗が馬淵史郎になった日」と評していたのだが、基準が世界大会より甲子園にある氏の観点に敬服したのでここにメモしておくとする。あれはしかし、普段やったことのないことをやった分、やり方が下手で余計に目立ったということかしら。よく知らないので勝手な想像だが。


                  ぐだぐだと復帰

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                    晩白柚と黄色いボール

                     

                     3月末でひと段落ついたように書いたが、全然そんなことはなく、月月火水木金金的な週が続いた。ついでに在宅仕事も多く、学生が書いた文章を4月だけで500本ほど見る羽目になった。すごく単純に見積もると、普通サイズの書籍2冊程度といったところの文字数。こう書くと大したことはないように見えるが、何せ本ではないので、そりゃもう・・・・・・。仕事とはいえ、精神的にかなりすり減る。


                     この感覚は何かに近いと思って、何度か書いている昭和30年代のマンガをまとめ読みしたときだとわかった。当時の少年雑誌に連載されていたマンガは、どれもこれもが判で押したような工夫のないワンパターン。黎明期だからそんなものだろうし、それをわざわざ調べると自分で決めてやっているから文句をいう筋合いは全くないのだが、ちっとも面白くないので、マンガを読んでいるだけのことなのに実にすり減ったものだ。そしてたまに手塚治虫作品と遭遇して格の違いに「おぉ!」となる。
                     これと似たような感じだ。手塚治虫のような学生はいないが、たまに「よく書けてるやん」というのはいる。ただし若干名。あとはひたすら似たような具合。ただしテキトーにやってるのは若干名で、大方は真剣に取り組んだ末での結果ではあるから、こちらも真摯に添削。

                     

                     大学の1年だったか2年だったか、とある授業でレポート課題が出て、ろくに講義を聞いてなかったこともあり、何を書けばいいのかさっぱりわからない課題だったから、さあ困った。結局よくわからないままよくわからないことを書いて提出したらば、後日の授業で教授が「みなさんまあまあよく書けてたと思います。ひとつだけ怒りを覚える内容のがありましたが。よほど不可にしようと思ったけど、可にしときました」とコメントし、案の定その授業の俺の成績は「可」だった。
                     大学関係の仕事をするときには、常にこの自分史を定期点検するようにしている。自分だってその程度の阿呆だったのだと。ただし「怒りを覚える」とあのとき教授が言っていた気持ちもよくわかるようになってもしまっている。

                     

                     この作業の中で直面したのは、難しい話になると若人の年齢設定が老化するという現象である。例えば「環境問題と経済」というなかなか難しそうなテーマで文章を書くとすると「経済活動が環境破壊を生み、さりとて環境保護を進めれば経済活動が立ち行かなくなる」という昭和の公害企業の経営者みたいな二律背反を書いてくる、といった具合である。彼らは二十世紀末の生まれなので、物心ついたときから環境への取り組みをPRする企業ばかり目にして育っているはずだから、そういう前提の話をいかにも書きそうなものだが実態は違う。不思議なものだと思ったが、「今の子供は外で遊ばなくなった」とか「近年、近所づきあいが希薄になった」とか書いてくる学生は、学生相手の仕事をするようになってから継続的に存在しているので、「定型として確立しているものをなぞるからそうなる」というのが真相か。

                     

                     こうして4月が終わり、5月に入っても色々追い立てられるまま。テレビをつけると記憶力に著しい難があることを自ら進んで吹聴する御仁や、コミュニケーション力に著しい難があることを自ら進んで吹聴する御仁、ついでに経営者としての手腕に著しい欠如があることを自ら進んで吹聴する御仁等々で埋め尽くされていて、「SHERLOCK」のシャーロック風に言うと「部屋のバカ指数が上がる」から大変に困る。くだんの監督氏は除名になったようだが、内閣のみなさんも「処分はジョメー」だよホント。ごく一部の人間にしか伝わらない内輪の冗談です。

                     

                     「ドカベン」に出てくる明訓高校のライバル校の中には、「ブルートレイン学園」に代表される、名は体を表す(というより名しか体がない)学校がある。ブルートレインだけにナイターに強い、という馬鹿馬鹿しい設定なのだが、一方で「クリーンハイスクール」のように、ちっともプレーがクリーンではない逆のパターンもある。さて日本大学はブルートレイン学園なのかクリーンハイスクールなのかと考えることやや。

                     

                     日大の学生の会見では、顔のアップはなるたけ控えてくれという申し出をちっとも受け付けない報道側の姿勢も一部で批判されていたが、あれはさきほど紹介した学生と同じで、寄るべきフォーマットが1つしかない(会見の撮影の仕方が1つしか頭にない)からああなる。同じことを以前から感じているのが国会のニュースで、野党が質問して首相ないしは担当の大臣が答える、というフォーマットで仕立てるわけだが、少なくとも首相に関してはそもそも会話が成立していないやり取りがかなりを占める中で、意味の通るところだけ取り出していつも通りに仕立てるので、いかにも議論が拮抗しているように見えるが実のところは大部分そうなっていない。これもまた、目の前のものをちゃんと観察して認識しましょうやという点で学生の文章と大差ないんである。難しいもんね。わかるわかる。ま、あんたがたの場合は学生じゃないんだけど。
                     


                    チャンス到来転がり込んで真面目な反応

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                       更生と更正は漢字テストに出やすい紛らわしい2つの熟語だ。非行少年のコウセイという場合、正しくなるから更正、ではなくて、更生が正解。「生まれ変わる」と覚えるべしと問題集は助言している。じゃあ更正はというと、こちらは法制度の用語なので、そういう仕事でもしてない限り、あまり縁はなさそう。
                       と思っていたら、縁が出来てしまった。

                       

                       一通の封書から話が始まる。ちょうど、確定申告の還付金がまだ振り込まれていないのにどうなったのだろうと思っていたところだった。還付金の通知は、シールをぺろんと剥がす形式のハガキで通知されるのだが、届いたのはちょっと厚手の封書。この時点で不審がむくむくしてくる。開封したら、以下の額を支給払えという納税の督促だった。
                       おかしい。還付があるはずなのに払えとはこれいかに。ついでに「3/15時点で支払いがないので早急に払うように」的な督促の文言があるのだけど、その日付けは確定申告の締切日である。締切日までにどうにか書類を仕上げて申告して向こうさんの反応待ちの状態なのに、まだ払ってないのはどういうことだという督促は、いかにも筋が違うように読めて腹が立ってきた。セクハラ否定してんじゃねえぞこの野郎と怒りの矛先がおかしな方向に向かってしまう。世の中には部下に真剣告白してセクハラになって処分くらう男だっておるんやぞ。

                       

                       翌日早速電話したのだが、一晩寝た時点で、俺が書類の書き方を間違えた可能性が高いんじゃないかという気がしていた。電話口に出た職員は心なしか疲れている様子で、同種の電話が鳴りっぱなしなのだろうかと想像しつつ、公の機関の人間はしばしばこちらの説明が下手くそという前提で接してくるという偏見だか危機管理だかが作用して、物書きの端くれ、なるたけ少ない文字数で要点を伝えんと努める。そうすると受話器の向こうで「はあはあなるほど」とてきぱき端末を確認している様子。「確かにおかしいですね。一旦確認します」と電話は切れ、割と早くにかけ直してきた。やはり俺の提出書類に記載漏れがあり、自分で〇〇円の税金を払いまーすという記述になっていたようだ。意味もわからず会計ソフトのまんまに数字を書くからこうなる。
                       「ですので、こちらにおいでいただいて、ちょっと馴染みのない言葉になりますが、更正の請求というのをしてもらわないといけません」
                       これはまさしく、「そっちで狃颪換え瓩靴箸い討茵廚箸いΕ船磧璽鵐垢療来ではないか。しかし、自分で書類を間違っているという負い目がすでに青菜に塩、「へえ、すぐ伺います」と善良な民の対応をしてしまった。自分のことは棚に上げるのが政府公認の作法であるというのに。立派な大人にはなかなかなれんもんだ。

                       

                       早速税務署に行ったのだが、中年の危機、「更正の確認に来ました」と受付で高らかに告げたらば、「それなんですか?」と目を白黒された。正しくは「更正の請求」で、モノの二時間ほどで記憶が霞んで思い切り間違えた。融通の利かない昔のネット検索のようにちょっと間違えただけで通じないこの頑強な正確性こそ役人の役人たる所以であろうから、それを捻じ曲げられれば、そりゃあ中には死ぬほど追い詰められるケースもあろうて。いや、「すんません間違えました、書き換えに来たんでした」というチャーンスだったんだな。いかんなあ、厚顔無恥ってどうやって身につけるんだろう。



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