展覧会の感想(ではない)

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     開館した大阪中之島美術館に初めて(ようやく)行った。

     「佐伯祐三展」。前にも見たが、初めて見に行くにはちょうどいい画家だろう。大阪出身の画家なので。「15年ぶりの大回顧展」という謳い文句を見て、まさか前に観たのが15年前か?と驚いたが、本ブログを検索したらその通りだった。2008年に行っている。「あれがもう15年前」というよりは、「2008年から15年たっている」ということにピンと来ていない。


     前回の自分の記述を読み返すと、結構感動している風な内容になっている。確かにそういう記憶はある。今回は「今一つ」という感想で終わった。

     前回は、画家の一生をたどりながら見たという感覚が強かったが、今回はそこが希薄だった。加齢のせいで新鮮な驚きと縁遠くなってしまったせいかもしれない。そのくせ「年を取ると涙もろくなる」は本当なんだよなあ。


     最近は美術展に行く目的が「Tシャツを買う」になっている。本展覧会は、有名な郵便配達員の絵を、線画のイラストにリライト(リドロー?)したデザインで、なかなかよくできている。買って帰ってさっそく着たら、色が悪いと気づいた。クラフトの封筒のような薄い茶色。ちょうど自分の皮膚の色と同じなので、裸に郵便配達員の絵を描いているような、どうかしている(=同化している)輩に見えてしまう。


     早速染めた。

     

     ここ数日、久々に染色をしていた。最初に染め物に手を染めたのは何年前だったのだろうと検索したら6年前だった。どこか安堵した。あれから何度かやって、失敗もしたので多少は要領を覚えたような気がする。


     市販の染料は、英国のダイロンと、京都の「みやこ染め」の2種類が売っている。後者の方が色の種類が豊富で値段も安い。ただし、ダイロンの方が綺麗に染まって持ちもいいような気がするが、こちらの染め方の問題かもしれない。
     いずれのメーカーも、熱湯を用いるのとぬるま湯でよいのとの2種類がある。みやこ染めはどちらも値段は一緒だが、ダイロンは両者の価格差がまあまあある。ついでにダイロンは、ぬるま湯の場合は使う塩の量が格段に多い。塩は触媒として作用するらしいのだが、触媒は本体の量より少ないイメージがあるところ、水戸泉ばりに投入しないといけない。熱湯を使う方のは、大さじ3杯程度なので、「触媒」のイメージに近い量で済む。ただし、熱湯だと用意するのがやや面倒だし、染めるのも厄介。熱いから。


     染料を溶かした湯の中に衣類を投入したら、洗濯のごとくしっかり揉んだ方がよい。説明書にもそう書いてあるが、これまではついサボってしまっていた。説明書の指示通り、しっかり揉み込みかき混ぜていくと、綺麗に染まる。染め終わったら、一旦すすいで、今度は色止め剤に浸す。結構面倒くさい。


     同化していた佐伯のTシャツは、期待通り、なかなかいい具合の辛子色になった(黄色が元の黄土色と混じって少しくすんだ具合になる)。黄ばんだ白シャツを藍に染めたら、想定外のしゃれた具合になった。繊維の違いで、襟と袖口、ボタン周りがあまり染まらなかったせい。


    展覧会はしご

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       「幕末土佐の天才絵師 絵金」。こちらはハルカスだったので、仕事で天王寺から電車に乗るついでに見た。連休の谷間だったので人が多かった。そこまで人気がある画家とも思えず、完全に場所アドバンテージの集客だろう。


       江戸期の歌舞伎調、講談調の絵がまったく好きではないのですぐ見終わった。講談調の絵というのも変な表現だが、講談本の挿絵によく見られるタッチのこと。講談の言葉遣いそのままに、人物の描き方も決まりきっていて面白くないんだよなあ。江戸や上方の絵師ではないせいか、タッチが少々泥臭いのが面白かったのと、大地震の記録として描いた絵が興味深かった。

       


       「ピカソとその時代」(国立国際美術館)。ピカソ、ブラック、マティスといった人気者が集まる企画だったので、平日なのに人が多かった。ブラック以外は撮影可だった。撮影可だとつい撮ってしまうが、ピカソはデカい絵が多く、デカい絵は、写真に撮っても今ひとつな印象。映画館同様、デカい画面は、デカい様をその場で楽しむのがよい。無論ついでに写真撮るけど。

       ピカソの作品の周囲は人だかりができていたが、ルオーの展示コーナーになると、急に混雑が解消されていた。気持ちはわかる。

       こういう展覧会は、グッズ売り場のTシャツが楽しみなのだが、なかった。ジャコメッティの細人間をシルエットにした図柄の筆入れが売っていて、この図柄をTシャツにプリントしてくれるだけでいいんだが。


       「修理のあとのエトセトラ」(中之島香雪)。所蔵品の修復を紹介した内容。掛け軸や木造、陶器、刀剣等の破損や汚れを修復する方法や、前後の比較なんかを展示していて見ごたえがあった。ただし、修復の方法の説明は、半分も意味がわからなかった。
       学生の一団がいて、ちょっと懐かしい気分になった。大学生のころ、毎週どこかの展覧会にいっては、作品を鑑賞してレポートを書くという授業があって、遠足気分で参加していた。目の前の学生のグループが、それと重なって見えたのだった。聞けば、修復を学ぶゼミの所属とのこと。今時だと、修復をやっている工房に就職する大学生もそれなりいるらしい。そういや『ハチミツとクローバー』の主人公もそうだったな。


       京阪特急に乗って京都に。京阪の特急はほんとによく寝れる。国立博物館の親鸞展。仏教美術はあまり興味がなく、その遠足ゼミでもよく仏像を見たものだったが、結局何が面白いのかよくわからなかった。このためろくに興味がなかったが、意外と楽しんだ。

       一番は、親鸞直筆の文書が結構残っていること。教科書に題名が載っているような古い書物は、往々にして現物は残っておらず、写本だけが伝わっているというのが定番で、著者の直筆というのは初めて見たように思う。親鸞の『教行信証』に加え、蓮如の『歎異抄』も直筆が残っているのか。


       親鸞の生涯を伝える絵伝もなかなか面白かった。絵金と違って、人物がいきいきと描かれている。どこかユーモラスでかわいらしくもある。いかにも布教に長けてた真宗という感じのポップさだ。ただ、掛け軸、巻物の多くは、修復がいるんじゃないかと、香雪を見た後だったので気になった。

       展示室の端に、ストレッチャーに横たわった人と看護師らしき人がいたので、鑑賞の途中で倒れたのかと思ったら、もともと寝たきりの鑑賞者だったようだ。介助者に案内され、親鸞像の前に横付けしたストレッチャーから、じっと鑑賞していた。さすが宗教だなあと思った。


       俺は蓮如の勢力圏の産だから、父方も母方も真宗だ(宗派は違うが)。両親とも信心深くはなく、親戚も似たようなものだが、それでも倫理観ないしは生活習慣の根底に真宗が横たわっている雰囲気はあった。子供のころの父親の実家の雰囲気なんかをどこかしら感じながら見た。そういうわけで、親父に図録を送ってやろうとグッズ売り場をのぞいたら、親鸞Tシャツが売っていた。マンガ風の親鸞の顔は悪くないが、黒というのが芸がなくて気に入らない。だけどジャコメッティTシャツがなかったので、これで我慢するかと買った。


      恐竜の鑑賞

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         締切までに仕事を終わらせ、次の仕事がどっさり届くちょうど間に日に、ここしかない!とばかりに遊びに出かけた。美術館に行くくらいしか思いつかない。


         「恐竜図鑑」。恐竜の絵の変遷をたどる趣旨なので、化石や骨格ではなく絵画展である。「実は羽毛が生えていたらしい」というので21世紀の恐竜はカラフルに描かれるようになっているが、こういう変遷は、19世紀末に恐竜の化石の発掘が進められて以降、繰り返されてきたらしい。俺世代が子供のころに図鑑で見た恐竜の絵は、チャールズ・ナイトとズデニェク・ブリアンという2人の画家によって描かれてもの、もしくはその真似だった。たった2人か、というのは驚きだが、パブリックイメージの構築が1つの作品に拠っているというのはそんなに珍しいことでもない。


         恐竜の絵というのは、ヨーロッパ絵画の写実技法と、ヨーロッパが築いてきた自然科学と科学的なものの見方、そして世界を制していく奢った冒険心が全部乗っかったような美術だなあと思った。

         

         恐竜といえば、気鋭の恐竜学者というような位置づけでNHKのドキュメンタリーでも取り上げられていた小林氏という学者を、「兄の高校の同窓生」という文脈で知った。そして兄が激しく嫉妬していて、50もとうに過ぎてアホかこいつはと呆れた。
         高校卒業後に入学した大学の知名度を比べると、兄の方がかなり格上なので、高校時代の学力はだいぶ開きがあったと推測する。ついでに小林氏が役者や政治家ではなく理系の専門職というのが大きいのだろう。兄もメーカーで開発業務に従事してきたから、大雑把には似たような土俵だけに、「ま、負けた〜〜」と痛切に感じるんだろう。
         その兄は50を過ぎてから転職した。その会社を選んだ決め手はアメリカでの販路拡大を狙っている事業内容だったそうで、この春知らないうちにアメリカ出張に行っていた。アメリカで学んだ小林氏に対抗しているに違いない。嫉妬を原動力に変換してちょびっと実現にこぎつけてるから大したもんだ。連休で帰省したときに「ボストンの吉田に次ぐ県民の米国進出だ」と言ったら、うるせえ黙れと言われた。

         

         話が逸れた。恐竜の化石発掘の黎明期に活躍した1人が女性だと知ったのが一番勉強になった。

         隣では、ゴッホに関連した展覧会をやっているようで、若人を中心にそこそこの行列ができていた。なんでもゴッホの絵を壁一面に投影したりで、体感できるという趣旨の、展覧会というよりはアトラクションだった。「今は《体感する》が重要なんです」とさかしらに語る広告代理店の口調が脳裏をよぎった。

         まあ、鑑賞するだけだと何が楽しいのかわからないという若人は多いと思う。嫌味たらしい口ぶりだが、半分は嫌味で半分は学生と接する際の実感。俺も中学生のころまで小説を読めなくて、ゲームブックばかり読んでいたから似たようなものだ。中2か中3のときに『三国志演義』と『水滸伝』を読んで、あれが大部の読み物を初めて読了した体験だった。ま、中学生のころの話なんだけど。


        寒い日(中)_アンディ・ウォーホル展

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           実は足回りは黒長靴を装着してきていた。やりすぎかと思ったが正解だった。

           高校生のころ、雪が降ると教師も含め周りの大人は「長靴はけよ」と言ってて、そんなダサいものはけるかと頑なに短靴に執着して、よく足元をずぶぬれにしていた。ジャージ高校生とはまるきり逆だ。彼女たちの方がサバイブ能力がある。

           とっくにあのころの教師や親たちと同世代になった上、裏から目線がバチバチに作動しているので、見せつけるように黒長靴を履いている。今日の俺は無敵だフハハハハ。

           しかし最近は、雨の強い日だと、しゃれた長靴を履いている女性をよく見かけるが、そういう人はこの日ひとりも見なかった。なんでだろう。

           

           喫煙所には、ここでよく見かける先輩がいた。おそらくホームレスの人だと思うが正確なことは知らない。普段は割とブツブツなにか喋っていたように思うが、ほとんど身動きをしていなかった。積雪だとさすがに心配もよぎる。「寒波をこれだけ騒ぎながら、ホームレスの話がニュースにひと言も出てこないのはさすがにどうにかしている」という趣旨の意見を見かけたが、まったくその通りだと思う。手前味噌、「パブリック」のリンクでも貼っておこう。


           とりあえず八坂神社の写真を撮って、さて美術館に向かおうと京阪に乗ろうとしたらまったく来なかった。この時点で伏見稲荷に行くという選択肢は消える。地上に戻って三条まで歩いた。なんとなく面倒くさくて電車に乗ろうとしてしまったが、長靴の力を信じるべきだった。といいつつ、三条で地下鉄に。こちらは動いていた。


           人気者なので予想はしていたが、展覧会は今一つだった。作品解説のパネルがやたら小さくて、ひどいのになると、ただでさえ暗い照明の陰になっていて、ほぼ読めなかった。

           つい先日、「後輩の学芸員の展示がなってなかったのでついガミガミ言ってしまった俺はダメだ〜」などと陶磁器先生(時宜に鑑み壺先生から呼称変更)の自己批判を聞かされたばかりだった。やつがこの展示を見たら日野皓正みたいになるんじゃないか。これは俺もガミガミ言うかもな。「赤、緑、青、群青色!」って。ついでにミュージアムショップの商品もトホホだった。ポップアートの展覧会の商品なのにこれ、というのはだいぶ矛盾してないか。


           あと、写真撮影可だったが、なぜかスマホ限定だった。カメラを構えたら、待ってましたとばかりに角っこにいる係の人が寄ってきた。スマホだったらインスタとかに上がって宣伝になるからとかいうことなのかしら。悪いね、こっちは何の宣伝効果もないブログに載せるだけだ。といいつつ大した写真もないので載せない。そのうち、全然関係ない記事のときにシレっと載せることにしようか。

           

           かくのごとき次第で、予想はしていたとはいえ、まったくの消化不良になってしまった。ちょうど目の前にバスが停まっていたので乗った。座席に埋まって思案する。うーん、仕事もあるし、午前中だけで帰るつもりだったが…。

           


          鏑木清方展その他

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             日曜美術館で紹介しているのを見て興味を持ったパターン。予想したより混んでいた。人気の人なんだな。
             「上村松園と並び称された美人画家」と紹介されているが、ざっくりそんな感じの作風の人。明治生まれで俺が生まれるころくらいまで生きた長寿の人だが、展示作品は明治大正が中心だった。ただし江戸時代に題材を求めた作品も多い。いずれも女性のたおやかさみたいなものを描いた作品で、結構アクロバティックな姿勢をとっている女性の姿勢が流麗に描かれているのが面白い。


             ただし、顔が判で押したように同じで、割と早くに飽きてしまった。「美人」の書き方が決まりきっているからなのか、それとも実際にみんなこういう化粧をしていたからなのか、とにかく一緒だった。


             ただし、実在の人間を描いた作品は別で、樋口一葉像とか、三遊亭円朝像とかは、パターン化された顔つきではなく、おそらく当人にそっくりなのだろう、生命感があって、またもや画家の「描こうと思えば描ける」を見た。藤田嗣治もそうだったけど、美女の絵を売りにしているやつがおっさんの絵を描くと猛烈にうまいな。


             常設展は、これに関連させたのだろう、同時代の別の美人画家の作品を展示していて、それを見ると、「顔が一緒で退屈とかいってすんませんでした」といいたくなった。比べるとすごさがわかるというのは美術鑑賞の基本ですね。

             

             こちらはポスター展も同時に開催されており、造形大の学生かしらという、シュッとした若人がたくさんいた。往年の名画のポスター展、かと思ったら、往年の名画のポスターをモチーフにした新しい作品だった。

             

             色んなタッチのがあったが、シンプルに記号化されたようなデザインのが面白く感じ、一方で巧い絵のはあまり魅力を感じなかった。「犬神家の一族」で例えると、巧い絵で金田一を描いたのより、スケキヨのマスクだけをシルエットで画面に配置している方が、何か格好いいですやん。そんな感じ。

             往年の名画というのは、すでに見ている(ないしは語られていることに触れている)のを前提としているので、その共感できるエッセンスをいかに拾い上げられるかにかかっているからだろうか。


            庵野秀明展

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               ヱヴァンゲリヲンを1つも見たことがないので、特に興味がなかったが、タダ券を頂戴した。

               何ひとつ作品を見たことがないと思ったが、そういえばシンゴジラは見たのだった。そして展覧会を見てそれもそうかと思ったのは、アニメというのは、特に若いころは自身の名前が大々的には出ない形でかかわっていることが多く(有名なところだと、若手のころの宮崎駿が、ルパン三世のテレビシリーズの何話かを担当している等)、それと知らないうちに触れていた作品もそれなりにあるということだった。それらを見ていて、ああこんな感じだったと思った。


               80年代末だから中学生くらいのころだ。ちょうどPCゲームの技術力が向上してきて、アニメのような絵によって物語を描くようなゲームが次々と登場していた時期だ。そういうゲームを好んでやっていて、雑誌も定期購読していた。

               ゲーム自体がアニメ風なので、雑誌でも両方扱うことになる。必然、雑誌の中でも色んなイラストだのマンガだのが載るわけだが、それらを描いている作者は少年ジャンプ等のメジャーなマンガ雑誌で連載を持っている漫画家とはまた別の人々だった。彼らが描く絵はどれも似たようなタッチで、それと同じような絵が目の前に展示してある。ああ、あのころはこういう絵が多かったと思ったというわけだ。


               今のオタクの人々が好むマンガだのラノベだのの、あの手の絵の源流のようなタッチだと思うが詳しくないのでよく知らない。あれらとは似ているが異なる。もう少し泥臭いというのだろうか。この手の絵が、萌え絵と呼ばれた一連の絵のように変化していくところまではリアルタイムで見たような記憶がある。同時にこういう世界に興味をなくして見なくなった。このため余計に古い記憶と再会したような感覚を覚えた。

               庵野氏というのはこの現場の中にいた人なんだな。丸々と太った字体のレタリングも、当時本当によく見た。

               

               あと、氏が中学生のころに描いた風景画が展示してあり、それがやけに上手かった。落書きみたいなタッチの現代美術家も、写実的に描こうとすればいくらでも描けるというあれを思い出した。


              兵馬俑展

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                 続けて兵馬俑展。こちらも撮影可。中国は大抵の博物館が撮影可だったから、自ずとそうなるのかしら。
                 ポンペイからさかのぼること300年ほど前の時代だ。ただし発掘されたのはポンペイより何百年も遅く、俺の誕生日と大して変わらん。より長期保存の、ポンペイ以上に奇蹟的な遺跡だ。中国はヨーロッパに比べると歴史の連続性が高くて、例えば知識人は「孟子」だの「史記」だの知ってて当たり前、というのはどの時代にも当てはまる。それでもこうして巨大建築物が忘れ去られるわけだから、人間と土地は印象よりは一体ではないってことだ。自然現象がもたらす影響はそれだけ大きい。


                 さてこうポンペイ展と立て続けに見ると、中国の先進ぶりが際立つ。兵馬俑は初めて見たのだけど、こんな飽きないものなんだなあ。かなり長々と眺めた。隣には記念撮影用のレプリカが並んでいるのだが、全然できが違う。レプリカの方が凛々しい顔つきだが、記号っぽいせいか、すぐ飽きた。


                 おそらく誰もが抱く感想だろうが、こいつ絶対知り合いの誰かやんという生々しい感じがある。エピクロスの像は、エピクロスだと説明書きがあるので、おーエピクロスか、と思って凝視するわけだが、兵馬俑は偉人の像ではない。全部「誰やねんこいつ」の一般人が元だが、惹きつけられる。それくらい出来が素晴らしい。


                 他に、鼎なんかも展示があったが、改めて大阪市美が持ってるのはかなりいいものなんだなと思わされた。やっぱりあそこは大英博物館なんかな。

                 

                 

                下がレプリカ。顔は凛々しいが、生きてる感じがまるで違うからすぐ飽きた

                 

                 少し前に神戸でやっていたミイラ展も見たのだが、あれは秦よりさらに1000年前とかだから、より古い時代の高度な文明になる。だけど割とさっさと飽きた。似たような神像ばかりだったからだと思う。

                 どちらかというとたまにしか公開しない所蔵品のザビエル像を見に行ったから、そもそも興味が薄かったというのもある。ザビエル像も結構見入った。神戸市博もいいもの持ってるんだなあと思ったが、こちらは「神戸」のイメージと異なり、国内の文化財の所蔵が多い。


                華風到来

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                   仕事のついでに寄った。コレクション展だが、ポスターがよく出来ている。かわいらしいポップなデザインだと思ったら、真ん中の女子像は収蔵品(島成園「上海娘」)からの引用だった。これが現代のイラストだったら、ただのステレオタイプのトレースだが、大正時代に画家が上海で見た女性を描いたものだというから、「当時そういう風に見ていた」というまなざしの記録ということだ。「エキゾチックチャイナ」とキャッチコピーのようなものが添えてあったが、学芸員がつけたとすれば、言葉の選び方が無邪気だ。

                   

                   コレクション展だからか入場料が安く、撮影可だった。カメラを持ってくればよかった。

                   大阪市美所蔵の中核は、戦前に関西の財界人たちが集めたコレクションだ。ここからまずいえるのは、大阪が商都だったころ、財界人は教養があったということだ。「商」も「教養」も、今となってはどちらも影が薄い。江戸/東京以上に、当時の大阪と今の大阪は別の町という気がしてくる。


                   多くは中国美術である。当時の中華民国は統治が安定せず、混乱していたから、中国側から流出しやすかったし、日本側も中国美術への憧れがあってあれこれ買い付けていた。「混乱の中で失われないよう、我々が中国人に代わって保全しよう」という義侠心的理屈が、買い漁ることを正当化したらしい。


                   これは二重性があると思う。中国文化を慈しむ姿勢は、「暴支膺懲」と矛盾しないという意味だ。集めた美術品は全部古い時代のものだから、目の前の中国人とは乖離する。三国志が大好きでかつ、中国に対するステレオタイプな蔑視を垂れる人間は今もいくらでもいる。本コレクションの中核をなす阿部房次郎や山口謙四郎ら、個々の人々がどういうまなざしを持っていたのかは知らない。結構興味がある、と前から思いつつほったらかしになっていて、調べたことはない。

                   


                   金持ちかつ目利きだったので、結構いいものがそろっている。普段、仏像には大して興味が湧かないが、北魏時代の龍門の石仏と言われるとしげしげと眺めてしまう。ものによっては相当デカい。どこに片付けていたのだろう。デカいのは収めるガラスケースがないからか、むき出しで展示してある。仏の頭をこれだけ間近で見ることもないし、照明の当たり具合もよいから、やはりカメラを持ってくるべきだったと後悔が再び。


                   こんな文化財が大阪に収蔵されているのは、まるで大英博物館とエジプトみたいだ。大英博物館の場合は、詐欺か強盗のような経緯で分捕ってるものが多いから、事情はだいぶ違うだろうが。コレクションした戦前の財界人も、いつか中国から返還を言われるかもなくらいのことは想像してたと思うが、よもや内側から攻撃されるとは思わんかっただろうなあ。展示を見れば見るほど維新政権への反論のアピールに思えて仕方がなかった。
                   この古く味のある建物だけ残して美術館つぶして、壁に仏頭はめ込んで装飾にして、テキトーにラテアートのコーヒーでも出したら人がようさん来て「にぎわいが創出」されて、在阪局が「あの誰も来なかった場所が今ではこんなに活況に」のような安いストーリーで好意的に取材してくれるよ。


                  写真祭と写真展(3)

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                     平間至展。写真祭とは関係がないが、写真ついでに写真展。ミュージシャンのポートレートが中心だった。広告とか雑誌とか、何かの商業媒体向けに撮ったような作品が多く、見ていてどうも落ち着かなかった。こそばゆい。

                     

                     被写体の人々は、ちょうど自分が熱心にCDを買ったり借りたり、音楽雑誌を買ったり立ち読みしたりしていたころのが多い。いわば「同時代」。当時人気だったミュージシャンが、どっかの街角になんとなく佇んでいる、という写真なんかまさしく余白の部分に新譜のタイトルか記事のタイトルかが入りそう(というかおそらくそういう商材として使われた写真だろう)。だもんで既視感を覚えながら見た。


                     通常ならノスタルジーが満たされそうなところだが、そうはならなかった。あのころ一所懸命チェックしてたのは英米のロックスターだからというのもあるけど、一番は「平成に格好よかったもの」の凋落だと思う。

                     わかりやすい例だとダウンタウンで(ミュージシャンじゃないけど写真があった)、90年代は「最先端の格好いい人」で、実際にそうだったと思うが、現在のダサさといったらない。そしてこれは彼ら個人の問題ではなく「その時代に格好よかった姿勢」が年月とともに通用しなくなった、ないしは元から持ってたマイナス側面の方が表に出てしまったという現象だと思う。

                     このため、自分自身も無縁ではなく、だからこそ居心地が悪くなる。こういう写真の「格好よさ」を真似して学生劇団のチラシ写真を撮ったりもしてたからこそばゆくもなる。こう考えると、「中学時代の恥ずかしい自分を思い出してそわそわする」という現象と似たようなことだな。


                     この平間氏は写真館の倅で、現在も写真館を運営しており、展覧会の後半は写真館で撮った一般人のポートレートや家族写真だった。こちらの方が遥かに面白く見た。


                     タダ券があったので、高島屋の上でやっていた調度品のデザインの展覧会を見物した。座りたくなる椅子・ソファーというのは、デザインとは無縁なのかと思った。落ち着かさなそうなのばかりだった。座ったら案外しっくりくるのかね。


                    写真祭と写真展(2)

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                       岡崎に移動してアーヴィング・ペン。こちらはちょっと昔の著名な人の作品を、美術館で展示しているから、普通の美術展に行くのと変わりない。保守的な人間は落ち着いて見ていられる。

                       費用の関係で、あえて雑多にパネルを立てたようなことを日曜美術館で言っていた。こういう暗い空間に、グレーのパネルが、裏面がちょこちょこむき出しになっている格好で設置されていると、またもや演劇みたいだ。

                       写真は著名人のポートレートや静物など、なじみやすいモチーフが多い。一角に、作者が好んで用いたポートレートのセット(V字型に立てられたパネル)を模したコーナーがあり、来場客が記念写真を撮っていた。

                       楽しい趣向だが、一人で来た身としてはどうしようもない。誰かに撮ってもらえよという助言は意味をなさない。ポートレートを見た後は、ロッキーを見た後のシャドウボクシング同様、こちらが撮りたくなるからである。そしてカメラをぶら下げてるやつはたいてい一人だから矛盾である。


                       昼飯のために一駅分ほど歩いて、ポーランド料理なる店に入った。時間があるときの外食は、なるべく食べたことのないものを食べようと最近考えるようになった。店の人が、本棚にいっぱい本があるからとやけに勧めてくる。いや俺カバンの中に読みかけの本が入ってるんすけど。とは言い出せず、結構な熱量に押されて本棚を眺めた。ブックオフみたいな本棚だったら閉口したが、箱入りの学術書系が並んでいて格調が高い。ほっとする。ただし、飯の前に誰が読むんだ。


                       というわけで、まだ一般書寄りの一冊を。良知力『青きドナウの乱痴気 ウィーン1848』。昔読みかけて挫折した本だ。非常に文章がうまい人だと思うが、割と容赦ない書き方なので、素人がついていくのは大変だ、と改めて思った。そして店主には大変申し訳ないのだが、マスタードが最も美味しく感じてしまい、自分でも輸入モノの粒マスタードを買った。大手メーカーのなんてことないソーセージでも何割増しかで美味しく楽しめるようになった。


                       さてあと一軒、建仁寺で、こちらも少々昔の人が撮った禅寺の坊さんの写真を。

                       早春に永観堂にいったときと同じく、建仁寺も四半世紀ぶりくらい。日本史の教科書に載ってる寺は、実際訪れるとそれなりに感動するものだが、禅寺はそうでもないんだなと当時思った記憶がある。改めて訪れると、祇園のウインズの喧騒の隣に、これだけ大きくて静かな空間があるのは、さすがは京都というべきか。贅沢なもんだ。



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