外国の料理が好きだ

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     4月だったか、K氏と共通の知人Y氏が大阪に異動してきたので、おっさん3人でピクニックに行きましょうやと提案した。「久々だから一席設ける」だと芸がないというか、違うことをしてもいいんじゃないかコロナだし、くらいの発想である。「おっさん3人でピクニック」というフレーズが我ながら笑える。


     却下された。しばらく出張続きだったY氏が一段落して、夜に梅田辺りでと、芸のないことをいう。それで、駅から少々離れるがモロッコ料理の店を予約した。

     

     梅田に出るなら、用事を抱き合わせようと携帯屋で壊れかけのスマホを新調することにした。近所にも携帯屋はあるが、たまにはこういうのもいいだろう。車に興味のない人が代理店でテキトーに値段と用途だけで選ぶがごとく、スマホに興味がないので家電屋で吟味するという発想がない。


     さすが近所の店と違って、広々としたしゃれた店内で、あか抜けた感じの店員が対応してくれた。1時間が1.5時間くらいで終わると予想し、それだとモロッコ料理屋の予約時間までまあまあ時間が空くから、ほかに何か用事なかったっけなどと考えていたのだけど、2.5時間もかかって遅刻確定になってしまった。椅子を立ったとき、2.5時間の映画を見た後と同じ腰の疲れを感じて、その疲労感の類似性に少し感動した。


     「スマンちょっと遅れる!」と慌てた様子で電話してきたY氏の方が先に店に着いてしまっていた。平謝りで到着。Y氏によると、携帯の機種変更はなんだかんだでかなり時間を要するものだということらしいが、5年前なので忘れていた。
     ただし時間がかかった大きな原因は、IDとパスワードを入力する作業に何度も間違えたせい。今までのやつと、入力方式が微妙に違っていたことに加え、老眼のせいでどこが間違っているのかもよくわからず、若い店員に「私が変わりに入力しましょうか」と言われてしまった(それでもパスワードはこちらで入力しないといけないのであまり意味はなかった)。

     悲しい話だ。ただしその悲しさや恥辱を誤魔化すために、若者相手に「いやあ、てへへ」と言い訳自虐を語ってはいけない。お待たせしましてすみません、くらいにとどめ、あとは悲しみ恥辱を一人で抱え込むのみである。

     

     Y氏は、なぜわざわざ駅から遠い店なんだお前はそんなにモロッコ料理が好きなのかと不思議そうな顔をする。「テキトーな居酒屋は嫌なので」と答えると、「一生のうちの食事回数には上限があるからとかそういうやつ?」と食道楽スノッブが言いそうな理屈を持ち出してくるから頑強に否定した。理由は2つあって、1つは自炊ばかりしているので自分でも作れるような料理は嫌だからで、もう1つは人と酒を飲む機会が大変少ないのでこういう機会は貴重だからということで、何でこんなことをムキになって説明しているんだ俺は。「ベルベル人シェフの店」という謳い文句が大変魅力的じゃないか。
     「で、最近は、演劇は」
     「やってません」
     「映画はもう撮らんの」
     「あんな手間のかかる面倒なこと、やれたことの方が奇蹟です」
     「それで今は染め物職人かいな」
     とY氏は、さっそく着ていった佐伯のTシャツ@一点ものの辛子色バージョンを見て苦笑している。


     送れてK氏が到着した。職場から出ようとするタイミングで仕事の問い合わせが来たとかで、その間の悪さに大変ご立腹だった。本をあげたら喜んでもらえたのでよかった。とうとう「同じ本を2冊買う」をやってしまっていたのだった。自分が読書家の部類だとは思っていたが、買ったことを忘れてうっかりもう1冊買うという「読書家あるある」を今までやったことがなかったので、ようやく一人前になったような気はした。さらに上級者になると「持っていることは確実なのだが、探す手間が惜しいので買う」をやるらしい。この場合はPDFにしてしまえば解決する。


     ジンバブエのソムリエの映画を見たせいで、ワインが飲みたくて仕方がない。いうても地中海料理だし、勝手なイメージで、モロッコの白ワインは甘口でジュースみたいなガブ呑みできそうなやつじゃないか。店員に尋ねたら「置いてるモロッコの白は全部辛口です」。はい偏見解消。


    自力校正

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       月末締切で送信した原稿の校正が送られてきた。といっても、プロの校正がチェックしたわけではない。市販の出版物ではないため、安上がりに内輪で済ませている。
       届いた指摘の量が知れていたので、そんなはずはないだろうと思って自分で見直したら、平均で1ページに1つ弱くらいの訂正箇所を見つけた。


       校正は結構な特殊技能だ。舞台上演のときのこと。宣伝チラシとか当日配布のパンフとかチケットとか販売DVDのジャケットとか、上演のたびにそれなりの量の印刷物を作る。その版下を、出演者全員に見てもらっていたが、彼らからの指摘は毎回ほとんどなかったものだった。つまり、見落としている。

       結局、作った自分が一番たくさん間違いを見つけていたが、それでも見落としはある。刷り上がってから、「この人の名前を間違えてるんだけど」などと責めるように言われたときなど、「チェックで見落としたおぬしも責任を自覚してくれ」と呪ったものだった。本来校正は、厚生や更生と同じく当人の自助努力だけじゃあかんのですよ。やっぱり四人組くらいでやらないとあかんのですよ、って、四人組は君、校正ちゃうがな江青やがな。

       

       会社員時代に、仕事として校正(業界内では「校閲」)を毎日のようにやっていたから、常人よりは技能が身についている。間違いを発見する見方、読むのではなく、一文字一文字眺めるような感じとでもいうのか、そういうのが身についた。そして間違いというのは一定のパターンがあるので、パターンを覚えると目が肥える。自分が書いた文章の場合、間違えそうなところについて想像がつくから、見つけやすいのだと思う。ただし、書いた直後は気づかない。日にちを開けると、書いたときの自分が少し他人になるのだろう。とたんに目聡くなる。


       印刷屋で働いていたときも、日々校正作業があった。数人しかいない小規模事業所だったので、手が空いている人がやるくらいの対応だったが、俺のチェックが一番細かいので、そのうち冊子などの文章モノは俺が任されるようになった。

       文章モノといっても、小規模作業所につき、市販の書籍や雑誌のようなプロが書いた文章と出くわすことはまずなく、サークルの会報とか会社の事業報告とか個人の歌集とか、要するに素人が書いた文章だ。

       こういう場合、誤字・脱字はいいとして、文章そのものが意味不明で、校正というより文章添削みたいになるようなケースが多い。無論、そこまで付き合う義理はないからなるべく知らんふりをするのだけど、「てにをは」の間違いくらいは指摘しておこうかなどと考え出すと、結局線引きがよくわからなくなる。


       まこと校正という仕事は大変だと思うが、世の中的には軽くみられている。と、プロの校正の人がコボしているのを見かけたこともある。世間的には「誤字を探すだけでしょ?」みたいな感覚だろう。一度、誰かが書いた専門的な内容を扱った数百ページあるテキストを「1週間くらいで校正できます?」と打診され、即答で断ったこともあった。どうして無理なのかを噛んで含めるように説明して、間接的に「非常識な依頼でっせ」と釘を刺したつもりだったが、あんまり伝わってなかった。仮に「知識面でのチェックは無用で、誤字脱字だけ見てくれ」という場合でも、表記の正確性は見ないといかんだろうし、そもそも分量が多い。


       しかしそれにしても、自分で原稿を書いて、さらにそれをインデザインで組版までしているから、いわば何度も自分でチェックしながらの作業だったはずだが、改めて見直すとクソダサイ間違いが多い。


      今年の桜

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         大晦日が終わり、正月気分で春うらら。子供のころ、この時期になるとブンブンうるさいバイクが走り出し、そのうち何人かは事故る(大抵「桜の木に激突して死んだ」と語られる)のだが、解放感を何かの形に実践したいという感覚はわかる。そして田舎だとすることがないので、ブンブンいわせることになる。


         そういう俺も、はて何をしたものだろうかと悩んでしまうのは同じ。バイクか車を持っていたら、これといって目的もなく走り出していたような気がするが、どちらももはや持っていない。仕方がないので目的もなく電車に乗るわけだが、目的を設定しないとどの電車に乗るのかが決まらない。とりあえず宇治に行くことにした。平等院の桜でも写真に撮ろう。


         去年も桜の写真を撮ったから、いい加減飽きている。ついでに今年はもうとっくに散り始めているから、わざわざどこかに行くきもしなかった。ところが、所要で某所に行ったときのこと。ソメイヨシノ以外の桜がたくさん植えてある並木道に遭遇して、へえこういう場所があるのかとカメラを持っていないのが少々悔しかった。ソメイヨシノの元である大島桜(写真上)とエドヒガン(写真下)は初めて見たと思うが、花のつき方や向きが違うのがおもしろいし、開花時期も微妙に遅いのか、ちょうど見ごろくらいだったしで楽しんだ。じゃあ種類の違う桜がある景勝地でも行こう、ついでにベタな有名どころの写真を改めて撮っておくか、くらいの調子で向かった。


         奈良線はだいたいいつも混んでいる印象があるので、予想はしていたがエラい混みよう。それも若いのが多いからちょっと困惑していたら、全員稲荷駅で降りて行った。伏見稲荷が人気というのは本当なのだと知った。一気に地元民しか乗ってなさそうな雰囲気になった。


         到着すると、ベニシダレザクラが満開だったが、鳳凰堂とうまく収まる位置には咲いていなかった。ここはどっちかいうと紅葉メインのようだ。仕方がないので別々で写真を撮ったが、あまりおもしろくなかった。小学生のころ修学旅行で見たとき、圧倒されたような覚えがあるが、こんなこじんまりした建物だったっけという印象だった。

         消化不良のまま京阪電車の駅に向かったら、目指せ中井精也的な1枚が撮れたのでまあいいでしょう。

         

         

         

         

         ついでに京都文化博物館の展覧会「知の大冒険」を覗いた。東洋文庫の所蔵品を紹介する内容で、主に大航海時代から帝国主義時代に至るまでの、東西交流に関連した文献や地図の展示だった。東方見聞録の17世紀の出版本とか、教科書に載ってるマテオ・リッチの肖像とか、メルカトルの地図とか、高校生のころ、世界史を勉強していて一番面白いと思ったのが、こういういかにも「世界」っぽいところだったよなあと思い出しながら見た。


         本の展示が多いので、どうしても「情報」的に見てしまう(読めんけど)わけだが、そういう中でビジュアル的に最もインパクトがあったのは、マテオ・リッチの肖像でもメルカトルの地図でもなく、殿試(科挙の最終試験)の合格答案だった。毛筆で活字のように書ける技術は、官僚に必須の能力だったのだろう。すさまじいな。まあ写本も大抵こんな感じだから、これくらい書けるやつはそれなりにいたのだとは思うが、高校の同窓生で東大に受かったやつの中に、字がきれいなやつは誰もいなかった気がする。クリアファイルになっていたので、つい買ってしまった。
         


        パン屋があってもパンがない

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           大学が春休みに入ると、こちらは仕事が立て込んでくる。特に疲れた日なんかは、少々無駄遣いをしたくなるが、コロナとか、在宅仕事がようさんあるとかで、酒を飲みに行ったり、映画を見に行ったりとかはせず、おとなしく帰っている。だがそれだと気が済まない。どうしたものかと考えて最近見つけたのは、「高いパンを買って帰る」だ。


           朝はパンを食べているが、舌が肥えたせいか、それとも俺が一生のうちで食べることができるヤマザキパンの許容値を超えてしまったからか、スーパーに売っている山崎や神戸屋の食パンを受け付けなくなった。食えないこともないが、なるべくなら別を選択したいと思ってしまう。スーパーには大抵、すました包装の、やや高額なタカギのパンも売っているが、こちらは信条の理由で食べなくなった。「高級生食パン」のブームは衰退している様子だが、こちらは多くの人の感想同様、「一度食べたらもういい」であった。


           今時は、パンの専門店はいくらでもある。ただし、どの店も総菜パンや菓子パンの豊富さに比べて、食パン等のプレーンのパンの品ぞろえは大したことがない。今住んでいる家から、自転車で少し遠出したところにかなり人気のパン屋があって、たまに買いに行くと10人家族くらいなんだろうかというくらいトレーを過積載にしている客が珍しくないくらいなのだが、俺が欲しいプレーン系は食パンとフランスパンくらいしかない。


           そういうわけで、仕事であちこち行くたびその辺のパン屋を覗いてみるのだが、どこも似たようなもの。ずいぶん昔に、あれはテレビで見たのか誰かから伝聞で聞いたのかすっかり忘れたが、ヨーロッパから日本に来た人が「味付きのパンばかりでびっくりした」と言ったとか、そんな話を思い出した。そして食パンは総じて「もちふわ」を押し出しているのだが、厚労省は国民のアゴの強度を調査した方がいいのではないか。俺はあまり好きではない。結局、自宅の近くで売っているハードトーストが最も美味いという結論になる。


           近場で気に入ったものが手に入るのは幸せなことであるが、もっと違うものが食べたい。裁縫するときの「まんじゅう」みたいな、麺にする前のうどん玉をそのまま焼いたみたいな、ああいう形状のやつが欲しい。

           結局、阪急百貨店の地下の店が、今のところ最も求めている品ぞろえに近いと知った。百貨店の面目躍如だ。本格的な黒パンを初めて食べた。酸っぱいとは聞いていたが、なるほどこういうことか。美味いもんだな。

           黒パンは、小学生のころ、翻訳推理小説の子供向けのやつを読んで知った。渦中のあやしい人物を目撃したというパン屋が、「その客なら〇日前に黒パンを買いに来てました」とか探偵に語る場面で、黒パンという文字面に、妙に旨そうな印象を覚えたものだった(こういう細かいことを覚えている割には、その作品が何だったのかはまったく覚えていない)。40年近くたってようやく食べれた。子供のときに食べてたら、マズいものとして記憶されただろうな。


          出張

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             連泊の出張だった。行先は、先ごろ逝去した先輩の勤務校。前にも行ったことがあるが、そのときは土曜だったかで大学に誰もおらず面会はかなわず、今度は平日だったので人はいるのだが、当の先輩がいなかった。献花台とはいかなくても、何かしら告知的なものでもあるのかと思ったが見当たらず、研究室棟を覗いたら、まだ表札が出ていた。あれ?訃報はガセネタ?と割とマジで思った。


             当地はラーメンで有名だ。造船所があるせいだろう。『ラーメンの知られざる歴史』という本によると、ラーメンは工場労働者とともに発展してきたという歴史がある。タイトルが宝島社っぽいが、国書刊行会から出ている重厚な内容だ。著者はアメリカの歴史学者で、日本の社会史は外国人が書いた本の方がおもしろいという法則がまた裏付けられたと読みながら思ったものだった。

             

             仕事が終わってバスで駅に戻ると、ちょうど晩飯時。ラーメンでも食おうかと考えたが問題点が2つ。すっかりラーメンが苦手になっていることと、当地のラーメンを20代のころ食べたときの思い出が最悪だったことだ。

             前者については、正確にいうと、食べて大丈夫なラーメンとそうでないのがあるという状態。あるときから急にマズく感じることが増えた。こういう話をすると、「脂がキツくなったよね」と判で押したような反応が返ってくるものだが、脂の問題ではなく麺の問題。ただ、まぜそばや汁なし坦々麺が大丈夫なことから考えると、脂っこい汁に漂う麺が駄目なのかもしれない。

             

             後者は会社勤めをしていたころの話だ。多少まとまった休みがあり、さりとてすることも思いつかなかったので、できたばかりのしまなみ海道を車で走った。在四国だったので、今治から尾道に北上する格好。で、着いたはいいが、どうしよう、とりあえず有名だしラーメンでも食うかとテキトーな店に入ったら、観光地の殿様ビジネスの典型のような態度の悪さで、極めて気分を害したのだった。もう20年も前の話なので、どこの店だったか全然覚えていない、と思ったら、確かここだったとすぐに見当がついた。小さな街だもんで。やってなかったので入りはしなかった。

             結局、ラーメンも置いてる居酒屋という体裁の店に入った。適当に焼鳥をつまんでビールをいただき、ラーメンを食べたのだけど、かなりおいしかった。評価が上書きされて恨みが消えた。よいことだ。

             

             研究室の表札を取っ払うのは遺品の処分と似たようなもので、ちょっとためらわれる行為なのに対し、ちんけな思い出はさっさと上書きされた方がいい。なるほど生きるとは上書きが歓迎できる状態なのだなと無理やりつなげてコラムっぽくまとめた。

             

             さて通常、出張というのは、こうして満腹になったらすぐそこのホテルにチェックインする、というのが相場のように思うが、ホテルはここから電車で20分ほど揺られた先だった。観光地で安いホテルがないということなのか。駅から大学までバスで30分ほどかかるので、出勤に都合1時間ほどかかる。これだと「いつもの仕事」と変わらん。ラッシュ時の電車に乗らないといけないし、損をした気分だった。確実に座れるからまだマシだが。

             

             なぜ座れるかというと、人口の問題もあるが、田舎の人間はパーソナルスペースが広いので、2人掛けの椅子に誰か1人座っていると、そこには座ろうとしないからだ。俺も高校生のころ、東京や大阪で、知らない人間同士が平気で隣り合って座る様子に結構驚いた覚えがある。

             だけど、座らない客たちは全員乗降ドアのすぐ近くに立とうとするから、そこだけ都市部のように混み合っている。立っている場合のパーソナルスペースは狭いらしい。

             

             終わって新幹線に乗ろうとしたら、大幅にダイヤが乱れていた。指定席なので来た列車に乗るというわけにもいかず、みどりの窓口の行列に並ぶ気にもなれず、ではせっかくなのでゆっくり贅沢に飲食するかと駅の周りをうろうろしたが、うーむ決め手に欠けるなあなどと迷っているうちに列車が来てしまった。悩み過ぎだ。


            寒い日(下)

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               とりあえず何か食べよう。バスを降りて、客の少なそうな喫茶店でランチをいただき、コーヒーを飲みながら、行くしかないかあと決意を固めた。それにしてもこの喫茶店、前にも一度来たことがあるけど、こんなにショボいランチだったっけ。インフレのせいだろうか、そうだろうな。

               

               再びバス停に。アクセスはよくないし、ド定番だから人も多そうだし、あまり行く気はなかったが、まあしかし、こういう機会もなかなかないから行くしかない。京都の積雪はそれほど珍しくないが、出勤ラッシュが終わったころには溶けているというパターンが多いので、昼飯を食べた後も屋根行きがしっかり残っている今日は絶好のタイミングといえばそうだろう。今しかない。イマ人を刺激する!

               

               バス停は結構な列ができていた。バスは見た目の印象よりも収容能力があるから、実はそれほどの行列でもない。ただしそれはバスが空っぽの場合の話である。なかなか来ないバスがようやく現れたと思ったら、案の定すでに満員だった。呑気に次を待っていると、日が沈んでしまうかもしれない。第一、寒い。


               というわけで、次に来たバスに乗った。途中まで乗って歩いた方が多分早い。何しろ今日の俺は無敵の足回りをしている。道路の混雑はそれほどでもなく、快調に北上した。このバスは手前で曲がってしまうので、そこで降りて歩く。軽い積雪はこういうとき有難いもので、「お、なんかいい具合」などとスナップを撮っているうちに到着した。


               写真のような人だかりであったが、予想よりは大したことがなかった。それにしても、すっかり洋の東西から観光客が来ている。道中、晴れのタイミングは何度かあったが、到着してからはあまりお日さんには恵まれず、そのうちデカいボタン雪が激しくなってきた。さて帰ろう。気が済んだ。勿体ぶった一枚を掲載。

               


              寒い日(上)

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                 寒波が来るぞ来るぞとかまびすしかった。雪が降ったところで自分自身は慣れたもの、と上から目線ならぬ裏から目線を気取ってはみるものの、インフラが駄目になるから、個人の慣れはそれほど役に立たない。案の定JRがエラいことになっていた。山間部ならともかく、他の私鉄がそこまで往生していない都市部でどうしてそうなる。


                 北陸在住経験のある知人は「何が最強寒波だ、裏から目線からすれば大したことないやろ」と言っていたが、後で父親に聞いたところでは、実家の水道はことごとく凍結して、ついでに空気も凍り付いて、玄関あけたら真っ白の風が吹き込んできたらしい。

                 父親は半世紀以上今の家に住んでいるが、そういう事態は初めてというから、この寒波が最高ないしは最低なのは間違いない。最強かどうかは価値観の問題だが、最弱ではなさそうだ。ちなみに白い風は、通気口に入り込んで、そのうち融けて雨漏りのようになったとか。

                 

                 軟弱な関西にいる身としては、考えることはどこに行って写真を撮るかだった。大阪が積もると大変珍しいので貴重な写真が撮れそうだが、いざ出かけて何もないというのは「寒い中意味もなく出かけた」というだけになるから自ずと京都に目が向く。ちょうどアンディ・ウォーホル展をやっているからそれを見に行こう。


                 翌日、JRは止まっていたが、阪急は動いていた。駅の構内で、女子高生たちがスカートの下に体操着をはいている。ちょうど、Twitter上では、全国各地の保護者が怨嗟の声をあげていたから、ああこれかと思った。何の合理性もない規則と、生きるための防御行動との矛盾にどうにか辻褄を合わせている高校生たちの姿を見ていると、ソ連てこんな感じだったのだろうかと思う。

                 こんな無意味な規則をうるさく言う側もよくやっていられる。以前、ある大学で学生の面接練習をする仕事があって、ノックの数なんかどうでもいい1回だとノックだと気づかれないかもしれないし10回だと頭がおかしいやつだと思われるそんだけの話だよだいたい仮に「ノック2回はトイレ」だとしてなぜそれが失礼になるのか合理性がないノックの目的はトイレでも会議室でも同じだ、というような話をしたら、後日大学側から「ノックは3回」と指導しろとろお達しがきた。俺、これだけで結構神経に障った。ジャージはくなという立場になったら寝込むに違いない。


                 そんなことを考えているうちに着いた。美術展に行くなら、一つ前の烏丸で降りるべきだが、終点の河原町で下車。とりあえず、全国屈指の風流な喫煙所で喫煙するとしよう。

                 


                新春

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                   買ったブランデーが、値段の割にピリピリとした刺激が強かった。知らない人向けに補足すると、ブランデーでもウイスキーでも、安物ほどピリピリする。高いやつは、舌に触れたときはマイルドで、アルコールの刺激は喉を通過するときくらいにくる。ニッカブラックやVAT69がピリピリするのはそういうものだから何の文句もないが、まあまあの値段だったからちょっとがっかりする。


                   それで久々にかき混ぜた。10年以上前に、父親がどっから仕入れてきたか、ウイスキーを茶筅で百回かき混ぜると高級になると言い出し、試すと本当にその通りだった。茶筅は姪が、茶道で使うとか何かで持って行ってしまって無いというので、ミニサイズの泡だて器を使った。茶筅より脚が少ないので三百回ほどかき混ぜた。


                   「どうや」と父親がいうので、「高い酒の味になった」と、父親の盃にも注いだ。「比べなわからんやろ」というので、かき混ぜ前のも注いで、「おー、確かに変わった」などと父も俺も飲み比べを繰り返したので、結局2倍の量、飲酒してしまった。


                   父親によると、茶筅より銀の匙がより効果的らしい。銀の匙をくわえて生まれるような家柄ではないので、そんなものは持ち合わせがない。「俺はプラスチックのスプーンをくわえて生まれた I was Born with a plasuitic spoon in my mouth」はThe Whoの名曲の歌詞だが、プラスチックのスプーンでも、五百回くらいかき混ぜれば同じくらいの効果はあると思う。貧富の差とは何ぞやを端的に表しているような。

                   

                   「昔、トリスに砂糖をまぜてかき混ぜて、『課長、ジョニ黒が手に入りました』って悪戯したやつがおって」と父親が昔話をしている。渡された課長も一口飲んで「おお、高い酒は美味いなあ」と感心していたという笑い話だが、そのジョニ黒自体、関税が下がったら高級酒ではまったくなかったと判明してしまった(円相場もあるだろうが)。国の経済政策の強大さに比べれば、砂糖を混ぜるなんてのは大した詐術ではなかったということだ。

                   当時のジョニ黒は1本1万円くらい。物価の変動を考慮すると、百回かき混ぜなくてもよい酒が2本以上は買えそうだ(ちなみに、1万円以上するブランデーがちょびっとだけあったので、試しにかき混ぜたが、味はまったく変化しなかった)。

                   

                   写真のこいつがどこの出なのか知らないが、アンデルセン童話がもとになっているからデンマーク語を使った。知人何人かに年賀状がてらメールで送ったら、1人だけ「え?ここどこ?スウェーデン?」と、まんまと引っかかった(?)のがいた。


                  年末

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                     少し前のこと。研究者の友人がラジオに出演するという。番組の録音がアマゾンで聞けた。自身の専門について、おもしろおかしく話すような内容だった。彼の講演会も一度見たことがあるが、それと異なり不特定多数が聞くラジオ番組の企画だから、内容的にはだいぶ緩く、既知の話がほとんどだった。気になったのは内容よりも、彼の話し方だった。


                     会社員時代の影響で、「知人が大手メディアに出て喋る」という場面には何度かお目にかかったことがある。NHKの記者が自前のニュース番組の中でスタジオ出演して解説するとか、フリーになった知人が「ナントカ問題に詳しいジャーナリストの誰それ氏」として、インタビューに登場するとかだ。当たり前の話、皆さんかしこまって喋っている。ニュース番組だから必然そうなる。そもそも人前で話すとはそういうものだ。


                     ところが友人の語り口調は、仲間内で話しているときと、語尾が「ですます」になっている意外はほとんど一緒だった。「笑える箇所を紹介するときのおどけた口調」なんかがまったく普段と同じ。ニュース番組ではないし、ラジオだから余計リラックスするしというのもあるのだろう。ただ、大手の放送局で、著名人(宇多丸)相手に、いつもと同じ話し方をしているというのは、少々不思議な気分になった。

                     大袈裟にいうと、仲間内の雑談に宇多丸が参加して一緒に笑っている感じ。芸人を友人に持つ人は、しょっしゅうこういう感覚と出くわすのかしら。それとも芸人は芸人でやはりよそ行きの話し方をしているから、「ニュース番組でコメントする知人」と変わらないのか。

                     

                     今月、東京在住の別の知人が、大阪で講演会するというから見に行った。ここでも時たま登場している土偶関連の単著をいくつか出している物書きだ。講演の趣旨は、土偶なり縄文なりの面白さについて。のんびり平和に暮らしていたという縄文人への憧れのようなものを語るのを聞きながら、「野蛮」というのは人類史で見ると新しい概念なんだなと思った。あと縄文人について、「我々日本人は」というくくりでとらえているのは、何か違うんじゃないかという気がしたが、そこは本稿の本題ではない。

                     会場の規模も参加人数も、学生相手の俺の仕事と似たような具合だった。必然、喋るの巧いなあとか、自分の仕事と比べながら聞いてしまう。いや、形式的には「授業」と似てるけど、喋ってる側も聞いてる側も、好きでここにいるという前提がそもそも丸きり違う。これはかなり自分にとっては根源的な違いを目の当たりにした感覚だった。「いやあ、こっちだって仕事だよ」とかって話ではない。


                     さらにもっと前のこと。ある大学での仕事で、担当の営業の人が新入社員の人を同伴していた。入ったばかりなので、研修がてらあちこちの現場を見学してもらっているのだという。帰途、その新入りの人と電車内で雑談した。中途入社だったので、前職の話なんかを聞いているうちに、「実は今、マンガを書いてまして」と意外な方に話が転がっていった。勝手な想像だが、世間の大多数よりは俺の方が、「フィクションを創作する」ということについて話が通じる部分があったのだろう、色々と話してくれて、なかなか愉快だった。それで雑誌の新人賞を採ったというので、後日買って読んだ。マンガをすっかり受け付けなくなってしまったので不安があったが、楽しくさらさらと読めて助かった。
                     それぞれ皆さん、「生きて」はりますなあ、とわが身を振り返った。このブログのレベルですら、書きたいことを書くということがまったくできていない。主に多忙との付き合い方が下手なせい。ほんまにどうにかせなあかんな。と、思ったという話で今年も暮れていく。


                    メッセージの書き方

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                       高校の同窓会(オフィシャルなやつ)からちょこちょこと連絡が届いていた。今年は卒業何周年とかで、そういう持ち回りということらしい。正月のUターン時期に合わせて一席設けるようだが、コロナなので遠慮した。個人事業主は会社員より行動が慎重なのである。


                       会合のほかに、メッセージを寄越せとか、アンケートに答えろとか色々いうてくる。出席しない代わりに協力した。

                       アンケートは、高校時代を振り返るような質問がいくつも用意されていた。「思い出」とか「秘話」とか、まるでバラエティ番組に出演するタレントへの事前調査のようだ。

                       思い出は、ないことはないが、どれもこれも些細な話なので、いざ1つ寄越せと言われると、わざわざ書くようなことはない。ただ、改めて振り返るに、中学時代は「あれすんなこれすんな」ばかりで、対照的に高校時代は「あれせえ、これせえ」が多かった。そしてそのほとんどは、本人のための「せえ」だったように思う(そのほとんどが勉強関連だから自ずとそうなる)。その後の人生においては、「あれせえこれせえ」ほとんどが金(仕事)のためか、よくてせいぜい人のためである。自分のことだけ考えときゃよかったんだから、考えてみると幸せな時期だった。まあ、40手前のころ、知った人から「あんたって自分のことしか考えてないヤなやつじゃん」と面と向かって言われたことがあるけど。


                       そのほか「好んで聞いていた音楽」「見ていたテレビ番組」など。ご丁寧に、インターネットから拾ってきたのか、当時はやったものをジャンルに分けて列記した資料まで添付してある。
                       だけどこういうのは「正史」みたいなものだから、個々人の正確な回顧を妨げるようにも思う。なので見ずに振り返ったわけだが、なかなか思い出せない。

                       音楽については、そういえばクラスメイトに熱心にCDを買い集めているのがいた影響で、チャゲ&飛鳥をよく聞いていたと思い出したが、もはやあまり書きたいと思えない名前である。今聞いてもある程度聞ける、いわば時代を乗り越えられている曲を書こうとついしてしまう。流行歌が苦手な要素だから、ないものねだりだ。結局パーソンズということにした。今だと、いわゆる「一周回って」というやつで、楽しく聞ける。当時それなりには聞いたから、ぎりぎり偽史ではない。

                       

                       テレビ番組については大河ドラマくらいしか思い出せるものがなく、しょうがないので「野球」と回答した。ついでに「憧れた人」は「バリー・ボンズ」と書いた。当時のMLBで一番好きな選手だったのは間違いないが、野球選手になりたいと思ったことは一度もないので「憧れ」だったかどうかはあやしい。送信し終わってから、テレビについては「マジカル頭脳パワー」と書くべきだったと思い出した。番組開始当初は、多湖輝『頭の体操』みたいな内容のクイズ番組で、視聴者からクイズを募集していた。思いついたので送ったら採用されたんだけど、千堂あきほが「正解よりもいい解答をした」とボーナス点をもらっていたので、クイズを考えた側からするとさみしい結果となった。

                       

                       それにしても、進学校だったくせに「夢中になった本」という質問がないのはいかがなものか。といっても、俺も島田荘司とか綾辻行人とか、そんなのしか読んでなかった。母親が「高校生の読書ではない」とあきれていたのをよく覚えている。

                       

                       「夢中になったマンガ」という質問はあった。「ドカベン」と書いた。野球ばっかだな。高校生になって、「古本屋に行く」という行為を覚えて、少々古いマンガを集めるのが趣味になっていた。『ドカベン』と『釣りキチ三平』は割と必死で集めたものだった。こちらの方が、「新本格推理小説」より、少なくとも人間はよく描けている。ドカベンの後期は、蛸田蛸とか、上下左右太とか、酔っぱらって考えたようなひどい登場人物が目立つが、中盤までは、貧困が結構色濃い。

                       三平の場合は、毛針山人とかメカ政のアニキとかキャプテン・エイハブとか、奇人変人大集合なのだが、大人になって釣りをするようになって、ああいうのは本当にいると知った。こちらも長期連載の常、終盤は退屈なのだが、最後の一平爺さんの葬式のくだりは、震えるような感動がある。


                       話が逸れた。悩ましかったのが200字程度でメッセージを書けという依頼だった。「近況などお聞かせください」とあるけど、卒業して何十年も会っていないような人々に向けて書く近況って何だろう。


                       こういう場で、毒にも薬にもならないようなことをサラっと書けてしまう人は尊敬する。

                       先日、大学の友人同士のSNSで、「ワールドカップの日本代表の活躍に大興奮でした」などと近況を書いているのがいて、ちょっと尊敬した。仮に自分が日本代表の試合を楽しんでいたとしても、こんなことは書かない。特に内輪のコミュニティで、ひねくれた友人ばっかだから余計にそう。

                       彼がもし高校の同窓会にメッセージを送るとなったら、「お久しぶりです。お元気ですか。現在私は●●会社で営業をしています。接待ばかりですっかりおなかが出てきました。最近娘が相手をしてくれなくなりさみしい限りです(笑)。高校時代は大変懐かしく〜〜」などと当たり障りのない凡庸なことを何の苦も無くサラサラと書いてしまうのだろう。


                       こういう書き方が出来るのは、当人の性格もさることながら、モデルケース的な暮らしを送っているというのも大きい。俺の場合は、少々の逸脱があるので、説明不要の了解可能な範囲内でさらりとまとめられることが乏しい。さりとて誰も求めていない詳細な自分語りをしても仕方がない。


                       あれこれ考えてようやくわかった。不特定多数の読者に向けてコラムを書くようなものと考えればいいのだ。そうして書き終わって気づいた。これって披露宴の挨拶で、上司あたりが谷川俊太郎か吉野弘の詩を引用しだすのと同じだ。家族でも友人でもない、ただの形式的関係性。だけどそれだけに挨拶を求められてしまう。その矛盾を解決する手段が「結婚全般の話」に逃げて「不特定多数の読者に通用するいい詩の話」でやり過ごす、という方法なんだな。「部下の披露宴に呼ばれる」という経験がないから、今更ようやく理解した。



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