数珠を買う

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     昔々、親が買ってくれた数珠をどこかにやってしまって久しい。急に必要になって適当に量販店で買った安物も行方不明のまま。信心深くないどころかずぼらこの上ない。その後何度も必要なときがあったが、実家にあるやつを借りる等でテキトーにやり過ごしてきていた。


     しかし盆を前に、さすがにアカンやろという気がにわかにしてきて、手ごろなものを買おうと思い立った。多分、体の細胞がすっかり入れ替わって軽く別人になったのだろう。検索すると梅田周辺よりも京都の方が店が多そうだった。イメージ通り。仏教勢力がそれだけ強かった名残りだろうか。商人は今宮戎に代表されるようにどちらかいうと神社好きだし。

     

     数珠を手首につける趣味もないので自分で買うのは初めてだ。暑すぎるせいか予想よりも人が少ない四条通を歩き、お、あそこだと敷居をまたいで店の奥にいる主人に「数珠下さい」と話しかける。
     「えーっと、どんなやつ」
     「高くないやつで」
     「略式?」
     と早速話が噛み合わない当方の無知ぶり。ついでに略式の意味もよくわからず、「ですね」と頷いている。「略式ならこの辺」と、店主が示す先には、千円以下のもあれば、3千円程度のものもある。ガラスケースに入っているのはゼロが1個多いやつだろうから最初から見ない。
     「宗派の違いって何かあるんすか」
     「宗派の違いがないから略式」

     

     横浜国立大学って私立ですか?っていうくらい阿呆な質問をしてしまったようだ。店主は「宗派の違いでいうとこっちなんですけど」と別の方を指し「何宗?」と聞いてくる。「浄土真宗です」と答える俺は、浄土真宗などちっとも信仰しておらず、単にイエがそうだからという日本社会そのままの立ち位置に過ぎない。世界史で、カトリックとルター派が対立したとき、個人ではなく領邦単位で信仰の自由を認めるアウグスブルクの和議というのが出てくるが、案外合理的なのかもしれないという気がしてきた。


     「浄土真宗の場合はちょっとややこしくてね」と、宗派別の数珠を取り出し、これがそうなんだけど女性用しかない。なので男性は必然的に略式になる、とのことだった。そういえば母親だけこういう玉が小さくて輪っかがやたらとデカいのを使ってたな……。
     というわけで晴れて略式を物色することに。値段の違いは何なのか尋ねると、房の素材が絹かレーヨンか、が一つ。「ほら、手触りが違うでしょ」と言われて「なるほど」と頷くけどイマイチわからない。化学の力! 「あと間に石が入ってます」。そういや数珠は山手線の東京駅と新宿駅に該当する場所に素材の違う色のついた玉が入ってたな。


     不信人者には安物で全く構わないのだが、せっかくこんな店に来て勉強して「じゃあこの最安値のやつで」はないだろう。なので絹&石の方を購入した。「今すぐ使いますか?」と聞かれ、盆に慌てて間に合わせに来た客と思われたようだがそれも当然といったところ。

     

     いやあいい加減、自分でそれなりちゃんとしたのを買わないといけないと思いましてえへへうふうと何の言い訳かよくわからないことを言ったら、「値段よりもちゃんと使うかどうかでっしゃろ」と御説御尤も。なんだか久々に買い物らしい買い物をした気分だった。


    小島一丁

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       わけあって実家で一人終日留守番することになった。この年にして初めての出来事である。十代で家を出ているので、帰省するときは必然(少なくとも夜には)誰かがいるときだったからだ。

       

       普段、帰省したときに外食することがほとんどない上、行くとしても親の希望でそば等のさっぱりしたものになるため、いい機会だし、周辺の店を探訪した。

       DIY風掘立小屋の店構えの、いかにもスパイス調合してますよなカレー屋を覗くと、ココロックに似ている店主が出てきた。スキンヘッドにひげ。パン屋の店主がジャムおじさん風の外見だったのと同じような、やらせでしょと言いたくなる取り合わせで、かつ知人に似ているとくれば、可笑しくて仕方がない。これが昼飯。

       

       夜は自転車で少し行ったところにある中華に入った。ネット上の評価によると本格的らしい。実家の周辺の飲食店を、グルメサイトでチェックするのも不思議な感覚だ、というのは故郷を出た人間の安易なノスタルジアだろう。

       

       カウンターに通されメニューを見ると、あれれ、エビチリだの酢豚だの、いかにも日式中華な料理ばかりである。どこが本格中華なんだと困惑していたら、中国語のメニューも置いてあるのが目に留まった。そちらには中国や台湾でうっすら見覚えのある文字列が並んでいる。日本人客と中国人客それぞれに合わせて別々のメニューを用意しているということか。だとすればうまい商売だな。しかし言葉がわからないくせに中国人向けから頼もうとする斜に構え日式男もいるのである。

       というわけで、現地で食べて以来すっかりファンになってしまった干し豆腐の炒め物と、残念ながら羊がないというので、口水鶏、日本名よだれ鶏をいただくことにした。
       うん、実に本格。うまいうまいと食べているうちに、満腹ではないのに気持ち悪くなってくるところまでこれぞ中華であった。

       

       さて帰阪し、例年春先に担当している某私大の講義。1回生前期の授業という入口も入口につき、特に留学性はまだ不安も多かろうと気を遣い、世話を焼く。だって「さすが日本の大学はいい先生がいる」と思ってほしいやん。例年そうエエ恰好しいを意識しているが、東京福祉大の件なんか見るにつけ、ますますムキになるよね。

       

       彼ら彼女らが年を取って社会の一角を担うようになったとき、留学時代は楽しかったと振り返られるのは極めて重要なわけで、そういう長いスパンで俺様はとらえとるわけですよ。1回生前期の講師芸人などすぐ忘れ去られるだろうけどね。学位のない講師芸人風情ですらこれくらいのことは考えるよ。

       

       とはいえ例年、彼ら留学生はレポートの出来が悪い。俺の日本語をあまり理解できていないせいだろう。なるべくわかりやすい表現を選んでいるつもりだが、授業回数が進んで内容がどんどん込み入ってくるとなかなかそうもいかなくなってくる。そういうわけで今年は前年以上に授業についてこれてるかと確認した。大抵「はい」と返事はいいのだが、その実そうでないことはもう学習済みである。授業内容の骨子を伝えて少しでも理解の助けとなればと期待したが、大して意味がなかった。

       

       甲斐ねーなと少々落胆したのだが、こうして「セデック・バレ」の小島は生み出されるんだなと我が身を振り返ったのだった。台湾総督府の日本人警察官で、何かと原住民たちにやさしく声をかけて面倒を見るのだが、後にその「善導」が裏切られたことで豹変する男である。恩を仇で返しやがったといった怒りであるが、原住民にしてみれば、別にその恩、頼んだわけちゃうしというすれ違いである。ま、こちらの場合は望んでやってきた留学生相手に、教えるのが仕事の人間が接しているだけなのでまるで状況は違うのだが、根底にエエ格好しいがあるという点では俺も小島も同じなのだった。


      犹草畍物

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         連休に連休らしいことでもしようかと、舞洲にネモフィラを見に行った。連休のこの時期がシーズンで、最近できた新名所とのふれこみである。

         

         桜島駅もしくは西九条駅からバスに乗る。少々アクセスは悪い。予想はしていたが、バス停に並ぶ長蛇の列が早速見えた。ただ、普段から「大学行きのバスに乗る」という行為をしているため、人数としては大した数ではないことは見てすぐわかる。印象よりはバスってたくさん人が乗れるものである。

         問題はどれくらいのペースで車両が来てくれるかだが、盛況を見越してか、次から次へとやってくる。バス運転手のなりて不足が深刻な昨今、ありがたいことである。

         

         おっさん一人、列に並ぶのもどうかと思ったが、おっさん1人の客はそれなりにいた。インスタの生まれる遥か以前より、おっさんは写真映えすると聞くやバズーカ砲のようなレンズを装着したキャノンかニコンをぶら下げてはせ参じるのである。

         

         割とあっさり乗れて運よく座れもした。途中で舞洲の各施設前で停車するから会場まではそれなりにある。かつて草野球を楽しんだ野球場が、大阪シティ信用金庫スタジアムという名前になっているのをようやくにして知るところとなった。命名権の売買だろうが信用金庫というのは企業名というより施設名の印象が強い印象が個人的にはあるので、あたかも「図書館スタジアム」とか「公民館スタジアム」と同じく、何の施設か一瞬わからなくなる響きがある。

         ただし金融機関という点では、アメリカでは珍しくない。バンクワン・ボールパーク(現チェイス・フィールド)は、何か傾斜がついている球場ではなく、直訳すれば第一銀行球場。グレート・アメリカン・ボールパークは、国粋主義的命名ではなく、そういう名前の保険会社による命名。日本に無理やり当てはめれば富国生命球場か。そういや日生球場があったな。イチローのおかげで広く知られるセーフコ・フィールド(現T−モバイルパーク)も保険会社のネーミングライツである。

         

         くだらないことを考えているうち到着した。海の青とネモフィラの青が対照的に映えますよといった触れ込みだったが、曇りなので海は青くない。インスタ女子がそんなことをコボしながらスマホを構えている。花自身も晴天じゃないと今一つだよね。
         しかし心なしか雑草が目立つな。青に交じって緑が多い。そんなことを義姉に言ったら「ネモフィラ自体が雑草みたいな草やん」と身もふたもない返答だった。やはり本家(?)ひたちなかはひとつ上を行くな。


        年度末

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           例年、自転車操業的に追い立てられる2月3月が終了し、こうして駄文を書く余裕が戻った。一気更新。

           いやあ、今年も疲れた。これも野党がだらしないからだ。3月30日に、花見スポットの近くにある大学に行く予定があり、多忙な日々のしめくくりに桜を期待していたが、寒い日々が続いたせいか大して咲いていなかった(写真はトリックです)。土曜日なので花見客もあちこちにいたが、あてがはずれた上に雨が降り出し、それもかなりの本降りに。これも野党がだらしないからだ。31日には、我らの演劇のセンターフォワード・クローゼ黒瀬の結婚2次会に招待いただき、男前と何年ぶりかの再会を果たしたが、見バとは裏腹に相変わらずてへへてへへと照れ笑いだらけの喋り方でまったく締まらない挨拶をしていた。これも野党がだらしないからだな。

           「野党がだらしない」を言い出すテレビ出演者のだらしなさに過剰にむかっ腹が立つのは、パワーワード頼みで体裁だけ整えているところに、いわば「授業準備不足」を感じるからだ。なんせこっちは自転車操業授業準備に追われていたから。実務家教員がしくじる構造もこの辺にあるんじゃねえの。

           

           自転車操業になる理由は色々ある。例えば3月のこの時期は確定申告があるので、毎度書いている通り、苦手な会計にあっぷあっぷする。「更正」を強いられた去年の轍は踏むまいと臨んだが、やはり毎回、作業内容のほとんどを忘れていてゼロからの作業になる。まあそれだけに、終わらせて出したときの爽快感たるや。書き上げて郵便局から発送した直後の爽快感とちょっと似ているのだが、共有できる青色申告仲間がいないのが寂しいところだ。


           あと3つほどある理由のうちの1つが、前も書いたが「時事」という科目だ。科目の性格上、他にも色々混み合うこの時期にやるしかなく、科目の性質上、毎年大量の予習が必要になる。大学によってはコマ数の関係で練習問題を作らないといけないのだけど、これもまた科目の性質上、昨年のを流用できない。

           

           テキストは業者が出してる市販の試験対策本を使う(俺に決定権はない)。複数の業者が出しているが、最も有名なのが実務教育出版が出している「速攻の時事」。これが難儀な本である。前にも書いたが、昨年の法改正や新制度、統計を紹介しているだけの内容で、例えば「働き方改革」の項目ページには、時間外労働の上限規制や有給取得義務化などと並んで高度プロフェッショナル制度が紹介されているのであるが、明らか矛盾する制度が併存している疑問点も政府の主張も書いていないので、この本だけ読んでも、正直なんのこっちゃである。

           まあ、試験対策としては、とにかく単語を頭に入れておけというのは1つの方法であるから、あれこれ背景を説明してあるよりこれくらい無味乾燥な方が受験生には手ごろだということもできよう。


           しかしこの本、各項目見出しの下に、ポップさを出して親しみやすさを持たせようという演出なのか、くだけた雰囲気のキャプションがついていて、これがちょこちょこ酷い。

           例えば北朝鮮の核・ミサイル開発〜国連の制裁についてまとめたページには「暴挙」だの「怒れ」だのの煽情的な単語を交えたキャッチが添えてある。そりゃあ確かに暴挙だろうし、怒りを覚えるのもまたしかり。だけど週刊誌じゃあるまいし、仮にも教育を名乗る会社の試験参考書なんだから節度ってもんがあるでしょうよ。その他、イギリスのEU離脱については「記念出題があるかも」、児童虐待では「ネグレクトは命取り」。

           この軽薄さは、「防衛政策」のキャプションに「依然として「重大な脅威」にさらされる日本」と、思い切り政権の言い分に乗っかったことを書いている感覚と同一線上にある。要するに無邪気だ。まさに「右でも左でもない」の典型だな、これは。

           

           この出版社、他の科目のテキストは、いたって真面目なつくりになっている安定感があるのだが、「時事」になった途端ネジが狂ってるこの二重性は、本省課長が韓国の空港でくそしょうもない事件を起こしたり、司法の話をわかりやすく解説する弁護士が差別をまき散らしたりしてるのと重なって見えてくる。大袈裟?だといいけど、そうでもないと思うよ。

           ちなみに、賃金の統計を解説したページには「アベノミクスの成果!」などと添えてあったが、いい面の皮になってしまった。役所がちゃんと四角四面に仕事しないと、こういう地味な世界でも迷惑をこうむるのである。

           

           


          新春飲酒Show

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             「黒いダイヤ」をただの正月の決まり事のように数切れ口に入れながら新年。珍しく快晴。
             ここ数年は、毎回若干値の張る洋酒を買って帰るのが習慣化している。先々月くらいに、同業の先達氏に誘われて久々にバーに行ったとき、酒道楽のこの方に薦められ、ポールジローなるブランデーをちょびっと舐めたら、まあ芳醇。これを買ってみようかしらと思っていたところ、三宮を訪れたときにやけに品ぞろえの豊富な酒屋と出くわし、早速物色したら、置いていた。


             うーん、しかしさすがに値が張るね。価格に若干たじろいで、今回はまあ・・・、とあっさり方針転換。代わりにポールジローの葡萄ジュースなるものが売っていたのでそれを購入したけど、これもジュースにしては馬鹿馬鹿しいくらい高額なので、まさしくこれ安物買いの銭失いなんじゃないか?


             というような話(言い訳)を帰省して家族にしていると、「ポールジローは美味い」と兄が威張り気味に言う。知ってたんかい。
            ついでに遠方の親戚が、「みんなでいい酒でも飲め」とお年玉?を送ってきたので、近所の酒屋を物色しに行った。店頭にあった高額候補はブランデーのクルボアジェ・エクストラなんたら、スコッチの有名ブランドの上位ランクのやつなど。兄に「どれがいい?」と聞いたら、「クルボアジェは美味いぞ」と、今度はさも普通のことのように言う。知ってるんかい。


             ところで俺が三宮で買って帰った洋酒は、台湾ウイスキーの「KAVALAN」。現地でやたらと宣伝していたので多少気にはなっていた。同じ店にいた会社員2人組が、こんだけ品ぞろえ豊富なのに、「えー、竹鶴これしかないんすか、じゃあ山崎は」などと品薄の日本製ばかり店員に質問していて、「他のこれらもウイスキーやで」と言いたくなるくらい、視野が狭かったので、日本でも英国でもなくあえての台湾がクールでしょ、とよくわからない見栄を張ったのもある。
             ただ残念ながら、価格の割に味は普通であった。マズイわけではなく、クセに乏しいのが不満というか。それでも従弟が「すげーうめー」とパカパカ飲んでいたので、甲斐はあった。


            年の瀬1

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               外形上の仕事納めで、某私大へ。年に2度ほど依頼がある単発の講義で、たまにしかないので毎度担当営業の人が同行してくる。
              この若い男性とは、ことさら気が合うわけでもなく、ことさら合わないわけでもなく、つまり仕事上はスムーズに話が進む相手であるが、それ以上の付き合いや会話は特にないという間柄。なので毎回、講義前後の事務作業の打合せとか、仕事の延長線上の雑談くらいしか話したことがなかった。

               

               ところが、ちょっと前に、彼の同僚たちと話す機会があったときに、どうやらロックバンドをやっているらしいと聞いた。「詳しくは知らないが、パンクバンドで絶叫しているらしいですよ」。これは当人が「ロックバンド」にはちょっとそぐわない非常に真面目臭い、カタブツ的な印象さえある外見をしているせいだろう。反動で過剰なイメージが独り歩きしているに違いない。それにしても気になってくる。

               

               というわけで、この日、ちょっとした空き時間の間に頃合いを見計らって尋ねことにした。
               「あの・・・、ちょっと小耳にはさんだんですけど、バンドやってるんすか?」
               「はい」
               独り歩きしている噂のせいだろう。俺の尋ね方はやや慎重さ多めだったのだが、彼の返答は実にあっさりしたものだった。「大阪市内に住んでるんですか?」「はい」くらいの軽い調子。
               「どんな感じの?」
               「どう、ですかねえ、まあ、普通の感じの・・・」
               「ハードコアパンクなんじゃないかと噂している人がいたんですが」
               「まあ、ギターのやつがメタルとか好きなんで、リフがそっち系の感じはありますが笑」
               本人はもうちょっと軽めのものが好きっぽい印象で、ついでに担当はベース。ステージの中央で髪を逆立て中指を立てながら四文字英単語を絶叫しているわけでもなんでもなかった。やはり噂は噂。若干の真実を含みつつ、全体的には相違が多いのだった。

               

               それで彼と、帰りの電車もやけに話し込んでしまった。ライブの頻度や全体の技量は我らより断然上という印象なので、色々質問しつつ、今年の持論の「台湾でライブやるべし」を語りつつ。まあバンドに限らず趣味は社会の潤滑油だよね、とまとめようとしてふと考え込んだ。それは果たして本当だろうか。

               

               例えば音楽を「聴く」だけの趣味だったら、ここまで話は盛り上がらなさそう。そもそも細分化されたジャンルごとに趣味に合う/合わないがある上、年齢にもしばしば相関するから、年が離れている分あまり重なるところがなさそう。これは読書とか映画とかにも同じことがいえる。

               

               じゃあ「やる」趣味の場合はというと、草野球とかフットサルの場合、特に仕事関係の間柄だと「試合しようよ」という話になったら面倒くさいから黙っておこうという深謀が働きそうな気もする。やってないので知らないが。知ってる世界でいえば、演劇だと変な警戒心が働いて黙るというのはよくある。「映画好き」と名乗る片方がタイタニックしか知らなくて、片方が小津安全部見た人だと、互いが互いに舌打ちをする。「タイタニックしか知らなくて映画好き自称すんなよ」「うるせえよスノッブエリート野郎」といった具合。これと似たような状況を避けたがる警戒心、といえば少しは伝わるだろうか。この場合、必ずしも作品の話ではなく、立場のある誰それさんを知っている知らないというケースの方が多いかも。いずれにせよ面倒臭いので適当に誤魔化してやり過ごすことも珍しくないものだった。
               そう考えると、こうしてリラックスして話せるのは音楽の特性だろうか。などと考えつつ年の瀬。


              遠方より友来りて事業拡大の予感

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                 遠方で暮らす知人の子供が関西の私立高に入るというので、久々に会った。既に推薦枠を取っているので、あとは親子の面接を受けるだけという。よほど問題のあるケース以外は合格するとはいうものの、多少の不安がよぎるのが人情というもの。「お前、明日の面接大丈夫か?」などと知人は子供を心配している。

                 

                 しかし、当の知人は大丈夫なのだろうか。試しに、いつも仕事でやっている面接官キャラを身にまとい、「お父さんから見て、お子さんはどのような子供ですか」と質問したら、知人は「はうあ」と息を呑んで、「えー、大変素直で元気な明るい子です」と、若干しどろもどろと答えた。
                 なんやそのクソみたいな回答は!

                 

                 学生相手にこんなことをいうと、即始末書ものか首になると思うが、知人だから(先輩だけど)遠慮なし。
                 一応解説すると、この情報ゼロの答えだといかにも「子供のことをろくに見ていない親」にしか映らないので「クソみたい」という評価になる。当の知人も時間差で気づいてにわかに顔を紅潮させ「急に聞くからじゃねえか。汚えなあ」と慌てている。同席していた別の知人が、先ほどまでの日常会話で折に触れて披露していた親馬鹿自慢のいくつかを思い出してつなぎ合わせ、模範解答を口伝している。ささやき女将かあんたは。

                 

                 で、翌日の本番、面接官がこの知人に尋ねたのは俺が聞いたことと同じような質問だったとか。「お前のおかげで万事うまく済んだ」と半分嫌味の謝意があり、俺こっち方面(親の面接練習)も仕事イケるなあと手ごたえを感じたのであった。


                秋晴れの日

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                  こう見ると的までまあまあ遠いでしょ。

                   

                   地元で国体をやっていた。
                   実家は、前回国体のときに、競技場建設と合わせて造成されたかつての新興住宅地である。同世代の親たちがそこに暮らし出し、同世代の子供であふれかえった。なので幼馴染含め我々は国体の子といっていい。それからおおよそ半世紀たち、単純計算でも自ずと持ち回りの順番が来る。

                   

                   すぐそこにスポーツパークがあるため、国体に合わせて施設のリニューアルが進められているのは勝手に目に入る。何年も前からあちこちが閉鎖されて重機が入り・・・、というのを見てきて、いよいよ今年かあというような感覚は嫌でも醸成されるのであるが、いざ開幕となると全国的な注目のなさを痛感することになる。確かに毎年どこかで必ず開かれているのだろうけど、気に留めることがないからそりゃそうだ。皆既日食みたいなものか。地球上のどこかではかならず見られる勘定になるが、日本で見れるときだけ大騒ぎになる。

                   

                   帰省すると、駅周辺はあちこちに結果が張り出されていたり、土産物屋が増設されていたり、会場行きのシャトルバスが発着していたりでまあまあそれなりの雰囲気だった。終了間際だったので、競技の大半は終了していたし、県内全域に会場を設けているので、競技によっては行く気が起きないくらい遠い。地元の英雄たる五輪選手が出場するバドミントンは、彼女の地元での開催だったので、距離的にいって着いたころには終わっている時間帯だった。

                   

                   とりあえずはアーチェリー決勝を見物するとしよう。実家から自転車を10分ほどこいだところにどういうわけかもうひとつスポーツパークがあって、そこでやっていた。五輪選手の古川が出ていたので得した気分だ。

                   

                   俺も国体に出たことがある。高校時代アーチェリー部にいて、マイナーな貴族スポーツにつき田舎には4校しかなくうち1つは女子だけ。必ず3位以内に入る状況だった。そんな中で他の2校が男子部員不足で団体戦をろくに戦えない状況とぶつかり、棚ぼた的に優勝した。特に俺に関しては団体戦のメンバーにも入っていなかったので棚ぼたもいいところなのだが、とにかく「インターハイ出場」ということになった。

                   

                   それでいざ会場についたら、あらゆる表示に「国体」と書いてある。聞けばインターハイは全く別の県でやっていて、アーチェリーは当時含まれていなかった。ただの高校の全国大会が国体会場で行われていたということらしい。結果はわざわざ書くまでもなく、「出れるから出た」以外の何者でもない。

                   

                   さて時を戻して、大阪対愛知の男子決勝だ。古川が10点(的の真ん中)を連発するのを、へえ〜と眺めて終了後に周辺をぶらぶらすると、各県選手の控え場所のテント群があった。よくある白いテントが林立する下にテーブルがずらーっと並んでいて、試合を終えた選手たちが弁当を食ったり茶を飲んだりしながら談笑している。そういえば自分のときも、こんなテントの下で飯食ったなあと思い出した。急に過去の記憶が生々しく甦ってノスタルジックになるあの感覚ね。ただし惨憺たる結果に「はよ帰りてー」としか思ってなかったから思い出しても全然楽しくない。

                   

                   再び自転車をえっちらおっちらこいでメイン会場へ。普段はフリーパスで自転車ですいーっと通れる田舎のおおらかさを体現したような公園だが、さすがに多くの門が閉じられていて、臨時の駐輪場に移動させられる。外周の柵には、特産品や景勝地などをモチーフにした47都道府県ののぼりがはためいている。地元の児童生徒が動員されたのだろうか、手書きの絵なのだが、我らの地元ののぼりは超雑なカニの絵で済まされていた。わかるぞ、その気持ち。行ったことのない県のシンボルを調べて描く作業でキャッキャ言ってる傍らで、なんで自分だけ地元やねんという不貞腐れだろう。愛郷心より未知の世界に触れることの方が圧倒的に優先される。こうして俺のようなワールドクラスの人材を輩出する土地柄なのである。

                   

                   桐生のお陰で9.98スタジアムとデカデカと掲げる競技場で陸上(少年の部)を見た。高校生たちか。結構親も来てる様子である。外には売店のテントも並んでいて、今時っぽく凝ったメニューのあれやこれやを売っていて、まあまあ繁盛している。その向こうには、クラスメイトの実家が営んでいるレストランの看板が見えるのだが、少しは特需に預かったのだろうか。というか、チェーンが席巻する時代にあって、特にこれといった特色もない「レストラン」がしぶとく生き残っているのだから敬服する。

                   その向こうには、かつて県教委だか市教委だかの建物があったのだが、潰されて巨大駐車場になっていた。築地市場ミニ版。小さいころは子供向けの事業に参加するため何度も足を運んだ場所だから、これまでの人生で場外で一度だけ寿司を食っただけの築地よりは遥かに縁がある分、寂寥感も勝る。

                   

                   まあまあ大がかりなくせに特段メディアから注目もされず、それでも続いている大会というのもすごいもんだと改めて考えさせられたのだが、あえていえば「この程度」の大会でもこんだけ手間暇かかるんだから、オリンピックを考えるとなかなかの恐怖をリアルに体感できる。貴重な体験であった。


                  盆備忘録

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                     中学校時代の同窓会、それもオフィシャルな同窓会主催の宴に顔を出した。
                     ベビーブームに伴い、当時新設された学校だった。校舎に生徒を収容しきれず、仮設のプレハブで教室をまかなっていた時代だ。クーラーもなく、今だった死者が出ている気もするが、そういうわけで学区を分けて新しく作ったのである。
                     俺は新一年生で入学したから、吉本興業の芸人養成所風にいうと3期生ということになる。2年前に公式の同窓会がようやくのようやく発足したのは、この中学のずっと後輩に当たる球児が春の選抜で優勝投手になった盛り上がりに後押しされてのことではないかと邪推している。とにかく2年前に、1、2、3期生の同窓会が開催され、昨年は2、3、4期、今年は3、4、5で、要するに今年で我々年代はロケット鉛筆が如く押し出される最後の同窓会であった。

                     

                     2年連続日程が合わず不参加だったが、最後なので顔を出すことにした。いかにも面倒そうな作業を3年間やってくれた人々に対して、せめて出席で応える義務くらいはあるだろうという義理人情的動機が9割を占める。

                     

                     中学時代を幸福な気持ちで振り返れる人は世の中にどれくらいいるのだろう。なにせ思春期ど真ん中だから、未熟さが剥き出し過ぎて振り返るだけでもやりきれなくなる。俺もよくいる面倒くさい男子の典型例の1つ、自己防衛のためにひねくれてひねくれてひねくれすぎて、勝手に息が詰まってしまっているクチだった。当然、ロクな思い出がない。

                     卒業式の後の最後のホームルームだったか、担任が「中学生活を振り返ってどうだったか」という質問をして、一人の男子が「性格変えたかった」と答えてクラス中爆笑していたが、俺は目から鱗だった。その手があったか、といえばいいか。とにかく進学先では己を変えようと誓ったものだった。いわゆる「高校デビュー」の類といえばそうだが、あれはどちらかというと贖罪ないしは、共産主義者のいう改造のようなものだったように思う。

                     

                     というわけで旧交を温めたい人間は特にいない。むしろヤな奴が来ちゃってごめんなさいくらいの感はある。当時の教員も来ると聞いていたが、体罰の横行していた時代につき、恩師と仰ぐ人も特にいない。無論、卒業後、こういう場は初めてだ。30年ぶりの再会になる。言葉は悪いが「怖い物見たさ」が残り1割の動機付けだ。
                     オフィシャルなので、なんちゃら会館の鳳凰の間みたいな宴会場で開催される。学年ごとに指定された立食になっていて、胸に渡された名札を貼って遠慮気味にその辺に立っていると、「人間の顔って変わらないなあ」という懐かしい顔ぶれが揃ってきた。まあ名札があるからわかるんだろうけど。苗字が変わった女性陣は、化粧も手伝って誰かよくわからない人もちらほら。こういうときは旧姓にした方がいいのでは。いちいち「●●です」と名乗る羽目になるし、苗字が変わってない女性は余計な想像が付きまといそうだし。


                     どうせ無駄だと思って卒業アルバムによる予習はしてこなかったが、「物忘れは記憶が消えたのではなく引き出しが開かなくなっただけ」というドラえもんの解説を実感した。顔と名前を見た瞬間、そういう人がいたことはすっかり忘れていたのに、一気に記憶が戻る。ただし、校歌は見事なくらい忘れていて、手渡された歌詞を見ても全く歌えなかった。どちらかというと、子供のころ覚えた歌は記憶に残りやすい素材だと思うのだが。まあひねくれていたので朝礼でもほとんど歌わなかったのだろう。

                     

                     とっくに地元を離れ、かつ俺の記憶力がよい方だということもあり、忘れているより忘れられている方が圧倒的に多かった。まあでも、その「忘れてるゴメン」的部分も含め、40も過ぎると、当たり障りなく和やかに盛り上がれる世間知を皆さん装着しているようで、思いのほか楽しく過ごせた。

                     出席者は3回目なので少なかったが、多いよりは楽だったかもしれない。ただ教諭陣が少なかったのは残念だった。というのも、当時最も武闘派だった手足口暴力病の教員が昨年出席して「あの頃は申し訳なかった」と謝罪していたと聞いたからで、出席すべきは昨年だったようだ。

                     

                     どちらかというと遠慮気味になりやすい男性陣より、屈託なく遠慮なく話かけてくる女性陣の方が気を遣わず楽だった。当時は接し方がわからず、女子と話した記憶はほとんどないのに。
                     その大らかな女性の1人が、すっかり忘れていたが、高校も同じだった。そしてたまたま今日、高校時代のクラス会も開かれているという。すっかり忘れていたくらいなので、彼女のクラスメイトともほとんど接点がない。だのに「この後一緒にどうよ」と誘ってくる。普通ならばアホかと一蹴するところだが、とっくにアウェイの同窓会場に来ているから遠慮を覚える理由がなくなっている。それも面白いかも、と快諾して、二次会に向かう中学同窓生たちに「後で戻る」と別会場に向かった。

                     

                     ちょうど中締めで、当時のこのクラスの担任と早く帰りたい人々が店を出てきたところだった。この担任というのがいかにも「進学校の名物教師」といった変わった人で、とても人気のあった人だ。俺はほとんど習ったことがないが、一つだけ記憶がある。
                     2年生から理系文系に分かれる進路を選択するときのことだった。わら半紙の粗末な書類に「理系」「文系」と書いてあって、希望に〇をつけて提出する。紙と印刷がショボかったせいだろう、俺は仮希望調査くらいに勘違いしていて、まさかこれで本決まりになるとは思わず、テキトーに文系につけて提出したら、それで本決まりだという。

                     これは参ったぞ、と冷や汗が出てきたのは、提出後に「理系の方が大学受験の際に潰しがきく」と知ったからだった。当時、理系の学部は大学受験に理科が2科目必要なところがほとんどだったのに対して、社会が2科目必要な文系学部は東大と京大くらいだった。そして高校の文理の別は、理系が「理科2、社会1」で、文系が「理科1、社会2」の履修。つまり東大・京大を受ける気が無ければ、理系に所属していた方が文理どちらの学部も受験できる勘定になる。そして俺は当時、何学部に行けばいいのかなどサッパリわからず、ついでに5教科とも総じて良くもなく悪くもない、まさに「ちゃらんぽらん」の漫才のような中途半端さだった。

                     

                     担任に「変えてくれ」と申し出ると、担当がくだんの名物教師M教諭だから「M先生に言え」という。そこでM教諭を訪ねて変更を申し出ると、理由を聞いてくる。「いやああの後考え直しまして」とか何とか適当な返事をしたのだと思うが、この先生は理由の重要性を滔々と説明した。
                     曰く、文理のコース決定は校長や教頭のハンコがつく重大事だ。つまり俺の一存で変更できるわけではなく、俺が校長教頭に、こういう理由でお前の変更をお願いしますと言わねばならない。当然そこには説得力のある理由が要る。校長がなるほどと納得する理由を、いついつまでに考えろ。

                     

                     さすがに「決裁」という言葉は使わなかったが、大人の世界はそういう事務手続きで回っていることをお前もボチボチわかれと言わんばかりの説明だった。このオッサン、無茶苦茶言うな、と呆れつつ、なるほどそういうものかと得心したのも事実で、俺はまるでエントリーシートの志望動機のような「説得力のある理由」を考えたのだった。
                     曰く、昨日NHKスペシャルの宇宙の番組を見て、もの凄く興味を覚えた。宇宙を知るには物理と化学と微積分が要る。聞けば文系は、理科が少ないだけでなく、数学も微積の入門くらいしかやらんそうじゃないですか。是非理系でこれらを学びたい。
                     という話を、翌日だったか三日後だったか、正確には覚えていないが、再び教諭の前で披露すると、心のどこかで「我ながら嘘くせえ」と思っていたことも見抜かれていたのだろう、鼻で笑って「まあええわ」と手続きをしてくれた。

                     

                     そうして俺は、まさしく物理と微積分で躓いたのだった。微分方程式が何をやっているのか全くもってわからない。あ、俺にはこっちのドアは開けられないんだなと悟った結果、文系学部の受験を決めたら、受験前の特別補修は文系クラスに合流しろと命じられ、その補修の担当教師の一人がM氏だったから気まずいこと気まずいこと。その上落ちてるし。

                     

                     すっかり白髪になった以外は、相変わらず(俺より遥かに)フサフサを維持した変化のない外見を見つけ、「ややっ、どうも」と握手をした。教諭は「えーっと、誰だっけ」と記憶を手繰る渋面を作り、「もう喉元まで名前が出かかっている」くらいの演技をしている。
                    「お忘れでしょうが森下です」
                    「あー、覚えてる覚えてる」
                     絶対嘘やろ。といいつつどこか説得力があるその物言いは、これぞ教師の凄みか。

                     

                     まだ何人かは残っているという座敷に足を踏み入れると、当然「?」が部屋中に充満する。かくかくしかじかで彼女に無理やり付き合わされて、などと説明して名乗ると、さすが進学校だ。一人がすぐさまアルバムを出してきて、ああ君か、いたいたこんな人と人定確認している。

                     当時の俺のクラスメイトに、昭和のゴシップ好き主婦のような、人物評価と噂話の好きな男がいて、彼のおかげで概ね顔と名前は知っていた。ただし付き合いらしい付き合いはないのだが、それでも話し出すとそれなりに盛り上がったのは加齢に伴う世間知と郷愁のおかげもあるが、巷間いうところの「社会階層」が大まか同じというのもあるのだろう。ことさら話が合うわけではないが、十九二十歳以降の人格形成が似たような環境下でなされている分、話が通じやすくて楽というのは厳然たる事実として痛感するほかない。

                     

                     俺の場合は、会社を辞めた後、出自や経歴が色々な人々と出会える幸運に恵まれたので了見が狭くならずに済んだ(逆にそのせいで、県庁職員だの弁護士だの元高校生たちの堅実度合にクラクラしたが)。この日も短時間ながら同じような貴重な場だった。高校よりも中学の方がより一層。中学の同窓生はいってみれば、生まれた年以外には、実家がほどほど近いことしか共通点のない人々である。40も過ぎて皆さんそれぞれ地に足つけて頑張っているということもあり、改めて世間はこうして回っているのだと、普段の生活では見えない距離まで見渡せたような気になった。

                     

                     それにしてもあの人は誰だったっけと、何人か思い出せなかった女性陣を確認しようと帰宅後卒業アルバムを開いたら、個人写真のページには誰が誰か名前が一切記載していなかった。資料的利便性低! 会場に持参しても使えねえや。これは報道対策すか?やらかしたときに卒アル写真を晒される社会的制裁を阻止するためとか?


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                       観劇。近場だと西宮と滋賀、そして津での公演がある。日程に迷っているうち売り切れになり、強制的に津に行くことになった。観劇のためにちょっと遠出。なかなか贅沢じゃないか。


                       大阪から津までのルートは近鉄特急が一般的だと思うが、乗ったことのない路線でいこうと、JRで京都方面に向かった。京都は素通りして草津で草津線に乗り換える。背もたれが垂直の古式ゆかしい車両で伊賀方面に南下。車両は鄙びているが沿線は新しめの宅地が多い。ほとんどの客は貴生川で降りるがそこからさらに南下して柘植に到着。ここから関西線に乗り換える。さすがに緑が濃い。多少風も涼しくて旅行気分も出てくるのだが、それで嬉しがって写真を撮っているうちに亀山行き車両が俺を置いて出発進行してしまった。時刻表を見間違えて、もっと余裕があると勘違いしていた。

                       

                       次が来るのはちょうど1時間後。やってもた・・・。いい写真が撮れていれば少しは大義名分も立とうものだが、大したものは撮っていない。とりあえず外に出た。目の前に喫茶店があり、仕方がないので本来津で食べる予定だった昼飯をとることにした。火野正平がこころの風景にとうちゃこする前に、なんてことない喫茶店でなんてことないカレーを食うのと同じパターンだ。そう考えると少しは気がまぎれる。
                       客が俺しかおらず、入店するなりエアコンにスイッチを入れたので長居するのも申し訳なく、食べ終わってアイスコーヒーをさっさと飲んで出た。観光案内板を見ると楽しげな史跡等いくつか書いてあるが、こういう賑やかなイラスト風地図を真に受けて「じゃあちょっと寄り道するか」と歩き出すと日が暮れる。

                       

                       おとなしく駅のベンチで読書しているうち汽車が来た。
                       緑を切り裂いて延びる単線は、すぐにも鹿か猪が飛び出してきそう。残念ながら季節柄蝶は飛んでいない。容赦ない山中なので駅間が長いから、やがてうつらうつらとしてきて、気づいたら亀山に着いていた。
                       今度は時間を間違えずに無事乗り換え。ここから先は周囲が開けて人間の営みが景色の中に復活する。途中で高校生が大量に乗ってきてすっかりうるさくなると、間もなく行く手にビルが見えて津に着いた。
                       来訪するのは母親の納骨以来だ。JRと近鉄が接続する要衝ながら県庁所在地とは思えないこじんまりした雰囲気で味がある。味といえば、炊き込みご飯を当地では味ご飯と呼ぶそうだが、我が家でもそうだった。これは真宗高田派的なつながりの何かなのだろうか。
                       駅前には味ご飯ではなく鰻の香ばしい煙が立ち込めていた。昼飯がカレーだったことに対してにわかに後悔が立ち込める。三重県は牛にしろ鰻にしろ、あるいは伊勢海老、真珠、とにかく値の張りそうなものが有名だが、鰻絶滅キャンペーン絶賛開催中のわが国であるから、贅沢四天王(今名付けた)の一角は、昨今なかなか大変そうである。

                       

                       開演までまだ相当に時間がある。俺は近鉄で一駅移動し、津新町で降りた。JRの本社エリアが違う地域まで来たのに、日常利用している私鉄に乗っているというのは不思議な気分である。さすが路線延長日本一の私鉄だ。
                       さてこちらも高度成長期のような味のある駅前であるが、ここから少し歩くと城跡と官庁街がある。その一角にあるのが図書館で、熱中症の被害が相次ぐ昨今、おとなしく空調の効いた屋内で時間つぶし。の予定が、目的の視聴覚コーナーが満席だった。
                       怖れていた事態が・・・、と途方に暮れてベンチに佇む間に一気に空いた。事前に所蔵をネットで確認していたある作品を見つけ出し、閲覧を申し出る。レーザーディスクという鰻より先に絶滅したメディアにつき、棚から探すといっても中古レコード屋を物色するような手つきになった。LDだと借りたところで見れないから必然ここで視聴することになる。というかそういう事情のせいだろう、そもそもLDは貸出禁止でついでに俺は市民でも通勤者でもないので借りれない。だが肝心の図書館の再生機械はいつまでもつのだろう。

                       

                       2時間40分の大作である。LDだと収まらないから3枚組になる。3枚目に移ったところで、時間があやしくなってきたのと疲れたのとで視聴を終了した。自分で操作するのではなく、すべて係の人がやっているので「こらえ性ないんかい」と思われていそうで申し出るのがやや恥ずかしい。だけどヘッドホンなので耳が痛いし、椅子も普通のただの椅子なので映画館のようにはいかない。
                      そのころ国会では、枝野幸男が同じく2時間40分の長広舌を披露していた。フィリバスターというには短いのかもしれないが、少なくとも図書館で視聴できる時間より長い。我ながら情けない。いや時間が迫っているのだから仕方がないじゃないか。

                       

                       津まで戻ってバス停へ。すでに演劇ファンと思しき風体の人々(第七藝術劇場に来る層と概ね一緒の風体)であふれだしている。特にこの西口の駅前ロータリーは主要駅とは思えないくらいロータリーが狭苦しい。夕方のラッシュと重なりバスが現れても一周して乗り場に来るまで時間のかかること。ようやく乗り込み宅地を抜け、でかいコンクリート群に到着した。地方都市でよくある文化ゾーン的な再開発であろう。博物館だのホールだのが林立している。少々複雑な構造をしている巨大な建物の奥に、目的の中ホールはあった。



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