公用の合間に私用で紅葉

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     仕事で京都に赴き、時間があったので近場の寺に紅葉を見物に行った。紅葉の季節は10月くらいのイメージがあるのだが、関西だと概ね11月中頃くらいの場所が多い。日光とか有名な観光地の影響か、それともカレンダー辺りの10月の挿絵に紅葉が描いてあるのを何度も見たということかしら。まあ、それほど興味がないというのが最大の理由だろう。仕事場が右京方面なので嵐電で有名どころに行った。平日なので観光客は少ないが、それでも短い車両につき、まあまあ満員になっている。


     近くで座っていたのは中国人と思しき家族連れであるが、このお父さんが、年寄りが乗ってくるのを見るや、脚気の検査のように反射的に立ち上がる。「構わん構わん」と断る爺様もいれば、こりゃどうもと座る人もいる。客の乗降が結構活発で、すぐ空席が出来るから空いたところにお父さんは座るが、また年寄りを見るや立ち上がる。吉野弘の有名な誌を思い出した。優しい女の子が席を譲るのを繰り返すが、しまいにとうとううつむいて唇を噛んで譲るのをやめる内容である。善人が損をかぶることに最後は抵抗した女子は、しかし善人だからそれも辛そうというやり切れない内容だが、このお父さんは全くそんな繊細なことを考える素振りもなくからっと晴天に親切を繰り返し、これが大陸かと大袈裟なことを考えてしまった。向こうは積極的に譲る文化だと複数の文章で読んだことがあるし、俺も現地で実際見たので、そういうことなんだろう。

     さて詳しい人だと、これだけでどこの寺かわかるのだろうか。俺自身は20年ぶりくらいだ。若かりしころに、古文の教科書に登場する(正確にはここの法師が石清水を訪れ間抜けなことをする話だが)というだけの理由で訪れた。でっかいだけでつまんねー寺だな、と阿呆な感想しかなかったが、いったい何を期待していたのだろう。寺ってこんなもんだろ。


     今回の目的は紅葉の撮影で、ごっついカメラをぶら下げたおっさんも、うようよハンターの眼でうろついている。花鳥風月を撮らせると、彼ら高級機材を持つおっさんたちはものすごく綺麗な写真を撮る。それでニコンサロン的なところに出品するわけだが、往々にしてマッチ箱のパッケージのような、ただただ綺麗な写真なので、個人的にはあんまり魅力を感じない。じゃあ、ってんで一応頑張って工夫を考えてみるが、何も対案は見つからないのが毎度のこと。おそらく、「紅葉を撮りに名刹に来る」という選択の時点で、未知の土俵なんてないんじゃないか。といいつつ、くだんの石清水に参拝した法師のように、大事な箇所を思い切り見逃していたりして。

     しかし、宗教施設が花鳥風月憩いの場というのも考えてみると不思議な文化だ。手くらい合わせておかねばばちが当たるだろうと、南無阿弥陀仏と唱えてみたが、ここ真言宗だった。ここしばらく旅行ブログのようになっている。さて仕事に戻るとしよう。

    上着もカバンも赤い人だけの方が面白い写真になった気がする。


    要するに麺をすすったというだけの瀬戸内

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       隣の家に囲いが出来たんだってね。へえー。あっちの大学に認可が下りたんだってね。はーん(判)。

       その学園から見下ろす夕焼けが秋を感じさせる。先般の台風のせいか、土砂崩れがあり、エスカレーターが停まっていたので徒歩で登山する羽目になった。これがホントのとほほ。関西だと関大や大阪教育大なんかがそうだが、高台にキャンパスがある場合、屋外にエスカレーターが設置してある。

       それで当該今治市在住の知人が近くまで来るということもあり、海を越えて、地元民の反応を聞きつつ、彼の特異な仕事の話を聞きつつ、うつぼのたたきなんぞ食べつつ、南海道にしかないカクテル「マダムロゼ(マダムロシャス)」を飲みつつ、当時俺が「絶賛していたあのラーメン屋に行こう」と言われ、初めて訪れる店で麺をすすった。俺は俺で、あんさんはあっちの店のラーメンが好きでしたなというと、食べたことがないと言われ、お互い記憶がバグっている。

       翌朝、めちゃくちゃ久々に有名店の麺をすすることにした。日曜やっている店は少数派だが、一応いくつかはある。

       嗚呼久々のありがたや。うまい、うますぎる。という十万石饅頭のような感想しか出ない。

       もう一軒。火野正平も眺めた富士を称する山の麓。今年ブームの井伊谷ならぬ飯野山。うまい、うますぎる。観光客には相変わらず釜玉が人気のようだが、やはりうどんはかけですよ。ええそりゃ認可も下りますわいな。

       

       さて、きちんと批判をするには、論点を明確にしないといけない。批判に反論する際には、この論点に基づかないと本来噛み合わず、きちんとした議論が成立しないのだが、裏を返すと論点をブレさせるといかようにでも反論できてしまう。無論その場合は、雑だったりズレていたりするのだが、形の上では何となく反論しているようになる。そして世を見渡すと、噛み合っていない方が圧倒的に多く、中にはわざとそうしている御仁もいるが、おそらく大半は当人も気づかずやっている。得意がって披露している猗刃性瓩まったくピントがずれているのは、そのこと自体も見ていてつらいが、それが世間的になんとなく受け入れられたり、何なら鋭い意見くらいにまかり通っていたりするので倍つらい。学生が書く文章も、多くはその辺りが無茶苦茶。帰りの電車でため息つきながら採点するが、学生の場合、大抵「我ながらわけのわからんことを書いている」という自覚があるのでまだマシだが、なので今のうちにほんのちょっとでもわからってもらうのが当方の務め、ということになる。とうほうにくれる。

       


      要するに酒を飲んだというだけの西国

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         出張で九州だった。最後に来たのは10年近く前か。当時工事中だった駅周辺は様変わりしていたが、駅舎はしっかり残っているところが好感が持てる。裏手、つまり新幹線が停まる側は新調されていて、まるで哈爾浜駅と哈爾浜西駅のようだ。

         

         

        前に来たときの写真

         

         「さくら」のような山陽新幹線とダイレクトにつながっている車両は「のぞみ」と同じだが、博多発着の各停「つばめ」はデザインが違う。大分行きの「ソニック」に似ているし、何ならフランスのTGVにも似ている。車内は妙に和チックだった。個人的には先代の特急つばめが味があって好きだったのだが、あの車両は現在長崎行きの「かもめ」で現役続行している。

        つばめ

        ソニック(@博多駅)

        TGV(@中国)

        先代つばめ。そういえばこのころは、社内販売の女性が総じてびっくりするほどの美女揃いだった記憶があるが(待機所のビュッフェみたいな車両に男乗客どもが、さも何かの用事があるテイを装って意味もなく集っていた。俺も)、今回売り子の人自体をちっとも見かけなかった。経費削減でっしゃろか。

         

         せっかくなので時間を見つけて城を訪れた。復興工事中で多くが立ち入り禁止だが、内堀の周りをぐるりと周回するような恰好で一部開放されている。こうやって被害を公開しているのは英断であろう。

         

        加藤清正像。イメージと違い土井先生のような佇まい

        修復前の石垣。番号が振ってある。

        有名なやつ。

        比較にちょうどいい横写真がなかった。

        谷干城像とクレーン

         

         城の正面には市役所があり、その最上階から見下ろすことができる。14階なので高さは若干中途半端な印象はあるが、復興関連の市民へのお知らせがあれこれ貼ってあるので神妙な気分になる。

         仕事を終えて適当な渋い居酒屋にはいったら、間もなく隣に座った知らない地元のおじさんがやけに歓待してくれ飲むばい飲むばいと焼酎をどぼどぼ注がれデロンデロンに酩酊した。馬のホルモンて美味いんですね。あと馬は牛と違ってまだ生レバーがある。なぜかおじさんのボトルは地元の米焼酎ではなく薩摩の芋焼酎であった。確かに芋がメジャーだが、個人的には米の方が好きだ。おごってもらっておいて何けど。

         

         せっかく来たので寄り道をして博多で知人と会った。野球が最終戦にもつれ込むと、優勝に備えて出勤しなければならなかったらしいのだが、土壇場で追いついてサヨナラで決めたので無事合流できた。凋落がいかに言われようと、野球で社会が動いているのは間違いない事実のようだ。

         

         福岡には有名な食い物が色々あるが、今回の選択は焼鳥だ。鳥以外の焼き物がいろいろあって、多くの人が鳥以外をせっせと食べる一風変わった焼鳥であるが、大阪の串カツと同じようなものだと考えると理解が速い。あれもカツといいつつ、豚や牛以外を割とせっせと食べる。キャベツ食い放題も同じ。揚げているか焼いているかの違いであるが、当然、揚げより焼きの方が体にマシなものを食べているという言い訳が成立しやすい。

         あとはごまさばなど。九州の醤油の特徴は割に有名だが、そういう醤油がありつつ、こちらはごまさば以外も、割と刺身をゴマダレで食べるようだ。海鮮丼なんかを頼むとゴマダレがついてくる。刺身をコチュジャン的なみそダレで食べる韓国と多少似ている。博多華丸は「刺身は醤油を舐める口実」と言っていたが、ゴマダレとの住み分けはどうなっているのだろう。

         

         知人は生まれも育ちも大阪だが、すっかり言葉が博多弁風味である。知らないうちに結婚していたから余計にそうなるのだろうが、時の流れを感じざるを得ないからつい不景気なことを言いそうになる。

         翌日どうするのかと問われ、「はやかけん」を買うくらいしか思いついていない。福岡市営地下鉄のICカードだが、ネーミングが素晴らしいので前から欲しかった。「あんなもの、地下鉄の券売機でピってやったら終わりじゃないすか」と呆れられる。確かに作業にすれば1分もかからない。「おすすめは」と聞くと、彼は「うーん」と絶句した。すっかり地元民である。熊本でも隣のおじさんに「見といた方がいいものありますか」と尋ねたが、同じ反応だった。地元を知らないのが地元民である。

         結局、太宰府に向かった。姪が受験だからちょうどいい。人間、誰かのために行動するときは足取りも軽いものだ。JR、西鉄と、地元ローカル線に乗るのもうっすら鉄の俺としては楽しい。到着すると、清水寺のごとくであった。お守り売り場の巫女の女子の顔がすっかり壊死しているほど人であふれている。関西各地の観光客層に比べ韓国系の割合が高いのが福岡ならではか(写真はおそらくいずれも中華系だが)。名物の梅ケ枝餅を買おうとしたら店員も器用に多国籍語を使いこなしている。必要は習得の母なりとそっと合格守を鞄にしまった。


        片道20分の船旅

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           「敷居が高い」という慣用句は、高級な寿司屋やイタリアブランドの服屋のような高くて気取って入りにくいことを指すのではなく、不義理のせいでその場に行きにくい状態をいう。正式な意味は、あまり用途がない。だったら高い寿司屋も「敷居が高い」でいいじゃないかと思うが、その珍しい正しい方の用途に直面した。

           

           出張ついでに瀬戸大橋を渡ったのは、骨付鳥を食べて、行きつけのバー「C」に行くのが半分であるが、もう半分は古い知り合いへの挨拶であった。
           会社員時代に世話になった人々のうち、若干名とは今も年賀状のやり取りがある。そのうちの一人Y氏は、最も恩のある一人である。自分の父親よりはるかに年上の御高齢であったが、とうとう今年の正月は年賀状が来なかった。亡くなったのか体調を崩したのか、ちょうど現地に気安い人が転勤になったので確認してもらったらちょうど1年ほど前の昨夏、永眠されたとの由。「私が生きてるうちに早くデビューして読ませてくれ」と昨年の年賀状にはあったが、間に合わなかった。

           

           せめてこの機会に線香をあげてこようと思ったが、会社を辞めて十余年、会いに行くこともなく不義理をぶっこいてきたから、実に「敷居が高い」。しかし、行くしかあるまい。どうせ後悔する。俺は朝から桟橋に立った。小ぶりの客船が接岸する。台風が近づいているせいか、停泊中の船はやけに揺れる。乗り込んだ途端、早速気持ち悪くなってきた俺はすぐに降りた。船員のおっさんが笑っている。定刻が近づいたので、とりあえず乗船し、ギリギリまでデッキで立って待った。客室よりはマシだ。しかし一向に出航しない。どうやら「職員が銀行に寄って遅れている」からだそうだ。これはそういう船なのだ。

           

           自転車の向かい風で整髪が乱れた中年男が現れ、ようやく船は離岸した。当時はもっと粗末な船で、航行中にデッキにいてもよかったが、今は客室内にいなければならなくなっていた。窓から遠ざかる街並みを眺めた。

           

           そうして20分。船は小島に接岸した。時間も距離も全然大したことはないが、海を隔て、1日4往復の便で結ばれるから、近いのか遠いのか、ちょっと微妙なところはある。そこがまた絶妙な絶望をもたらす島だったのだろうと毎度想像させられる。
          勝手知ったるはずの目的地には、迷いながらたどり着いた。久しぶりというのもあるが、狹臾鵜瓩旅睥隹修砲茲辰峠撒鑄分が色々改築され、景色がちょっと変わったというのもある。まあ十余年ぶりだから当たり前だ。

           

           「自治会」と看板を掲げた建物の敷居をまたぐと、事務机に森さんはいた。挨拶すると一瞬だけ怪訝そうな顔を挟み、すぐさま「ああ〜」と屈託なく迎えてくれた。敷居はまたいでみると思いのほか低いこともある。高くしているのは己の心なのだが、問題自体も相手の態度より己の心にあるから、森さんのウエルカムな対応によって何かが解決したわけではない。
           Y氏の件で、と用向きを述べると、「去年の8月だったねえ」と少し寂しそうな顔をした森さんは、「じゃあ早速いっておいでよ」と電話を取り、係の人に便宜を図ってくれた。

           

           この島の人たちは、ほとんどが亡くなると島内の納骨堂に収められる。現れた職員氏は、俺より少し年長と思しき女性で「どういうお知り合いで」と尋ねてくる。


           ここでも何度書いた話だ。会社員時代、自分の知っている範囲の世界がいかに狭かったのかを思い知らされた場所である。当時Y氏は森さんとともにここの島の自治会長を交代で務めていた人で、理知的で肝も座っていて、それでいて茶目っ気があり、俺はすっかりこの人の大きさに魅せられてしまっていた。
           「おかしな言い方ですが、なんというか、ウマが合う方でした」
           そういうと係の女性は「ああ、何か、わかります」と笑った。


           納骨堂にはたくさんの遺骨が亡くなった年月順に整然と並べられている。当然ながら順調に数が増え、その分生きている人は減っている。現在は50人ほどだというから、俺がよく訪れいていた十余年前の2割ほどになっている。Y氏の遺骨はたまたま棚の端の最上段に収まっていて、女性は「いかにもYさんらしい場所でしょ」と言った。随分弱ってはいたが、船に乗って買い物に出歩くくらいの元気はあったというが、風呂場で倒れてそのまま、という突然の出来事だったらしい。

           「線香をあげる」とはいうものの、線香の持ち合わせはなかったが、納骨堂なので常備してある。「お供えを買う」という世間知が、乗船前にギリギリで発動し、慌てて買った栗饅頭を備えて手を合わせた。自分でも驚くくらい長く手を合わせていた。「またいつでも来てくださいね」と言われ、敷居がどうとか余計なことを考えず、また来ようと思った。


          仕事でかけまわる(駄洒落)

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             駅からバスに揺られること20分程度の丘陵地にある。途中の市街地には、地元国立大の結構広大なキャンパスがあり、かつ今時らしく、国立といえど、私立の有名大学のようなシャレた趣をしているのが車窓からもわかる。乗り合わせた若人のうち、きらびやか組は大抵ここで降車し、今一つ冴えない組が居残り、坂を上ることとなる。

             

             そんなある意味パンクロックな諸君は、みんな真面目で熱心で、こちらも熱が入った。理系の大学につき、歴史の話は敬遠されるかと思ったが、杞憂だった。通常、学生の興味を喚起するため、いくつか歴史豆知識的小噺を挟むのだが、面白がっているのは自分だけというお寒い状況になりがちなところ、ここでは総じてウケた(よくてクスクス、せいぜいニヤっとする程度だが、通常そんな反応は超希少)。大変に心地よいのであるが、可能性としては2つ考えられる。1つは、何事にも興味を覚える質の高い学生が揃っている説。もう一つは、知的好奇心が満たされることがあまりないので、やたらと飢えている説。当然前者だと願いたい。 ちなみに、その分野の学問に関連した小噺がウケるのは、しゃべる側の技術の問題もさることながら、学生の知性が多いに関係しているという。これはどこかの大学の先生が言っていた話だが、なるほどそうかもしれない。その先生はこのため、「この話は面白いから笑うように」と前置きしてから披露するという。形から入ることで、理解力を高める狙いである。面白い試みだと思うが、自分自身でこれを実行する勇気は出ない。

             

             学食のカツカレーは美味かった。俺の数少ないサンプル調査による偏見によると、理系の大学はカレーが美味い傾向がある。実験等々で、大学にいる時間が必然的に長いからだろうか。ただし、今時の学生は、やたらと「唐揚げマヨネーズ丼」の類を食べ、カレーを食べている人は少ない。

             

             国立大が私立大のような雰囲気だったのに対して、こちらの校舎はかつての国立大のようだ。個人的には古臭い方が雰囲気があって気分的にも落ち着くところがあるのだが、今時はどこの大学も常にどこかを新築か改装工事している。見栄えを随時更新しないと客が入らないラブホテル経営をつい思い出してしまうのだが、とにかく綺麗じゃないと学生が集まらないらしい。そこへいくと、この大学は最近珍しい印象である。地元自治体がたんまり払うスキームを他で採用して展開しているからだろうかとか余計なことを想像してしまうが、それはさておき、とにかく退場いただくおっさん連中にはご退場いただいて、若人には存分に学んでいただきたいものだ。


            模範盆

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              当家の墓ではない。

               

               姪が中3で受験を控える身となっている。こうなると親としては急に信心深くなるようで、「ご先祖様にお願いせねば」と、親族の墓を訪ね歩くことになった。それでなぜか俺が姪を連れて行くことになった。
               

               父方祖父母の墓は、父親の実家の裏手の山にある。今は伯母が一人だが、盆なので親戚が来ていた。うち1人は従兄の娘で、前に会ったのは高校生のときだったか、もう大学生になっていたか、とにかくずいぶん月日がたっている。年を聞いたら25と言われてのけぞった。まあ、俺が四十を超えているのも、伯母にすればのけぞることだろうが。

               

               年を取ると親戚に会うのが平気になる。若いころは何を話せばいいのかわからず、ときに結構苦痛を感じることもあったが、最近はすっかり気楽なもんである。要は何も考えなくなってアホになってきているということかもしれない。思春期真っただ中の姪は、まずどういう顔つきをしていいかから悩んで苦しそうである。25になったという従兄の娘氏も、屈託なくよく喋ってくれる。理学部の博士課程にいるという。昔、兄が大学に入ったときは、別の親戚の伯父さんが「末は博士か大臣かやな」と純度100%の昭和な喜び方をしていたが、結局兄は博士にも大臣にもなっておらず、ただの清く正しい会社員である。そこへいくと、彼女は本当に博士の道が開けている。ただし理屈上はというだけで、研究職は席が少ないから厳しいのは周知の通り。しかし、特に理系の場合は海外も視野に入るだろう。と無責任な外野は「海外行こうぜ海外」と煽るのである。

               

               この親戚に限らず、わが一族は算数理科が得意な人間が多い。その中にあって俺は文系分野の仕事を選んでいるが、高校時代は理系クラスに所属していた。さかのぼると、目の前の墓に眠る祖父に行き当たる。姪にとっては曽祖父に当たるが、大抵の人間にとって曽祖父は記号にしかすぎず実態を伴って想像するのは難しいものだ。「数学が得意な人やったんやで」と吹き込むも、姪は「ふーん」と相槌を打つのみである。姪も算数が得意なようだが、反面国語や社会は嫌いな様子。俺にとっては残念なことだ。問題集を見て、日本史の問題を振ると迷惑そうな顔をする。それでもこういう場であるからお節介叔父は歴史講談を続ける。

               

               ちょうど昨日見た姪の塾の宿題は、満洲事変の辺りだった。満洲国の建国後、当地には五族協和の実験場たる建国大学が創立された。「虹色のトロツキー」「五色の虹」の世界であるが、こんなことは中学の日本史には(高校でも)登場しない。試験に通れば学費無料で通えるとあって、全国の貧しくかつ優秀な若人が海を渡った。そして目の前のこの祖父も、学問を志し、この大学への入学を希望したのだが、家の事情で受験もかなわず、その上なまじお役所で働くものだから、大卒の人間を相手にずいぶん嫌な思いもしたらしい。

               

               こんな話をすると、さすがに姪の中でも多少は曽祖父のイメージに血肉が通い出したのか、いくつか質問してきたが、俺も祖父の死後に父親から聞いた話だからロクに補足できることもなく「とにかく挑戦できなかった祖父は悔しかったのだから、挑戦権のあるお前は大いに努力するように」と体よく激励につなげて取り繕ったのであった。

               

               翌日、今度は一人で早世した友人の墓参りである。これまで全くそんな機会はなかったのだが、今年は初めてご家族とバッティングした。正確には、俺が先に着いてお参りを済ませたら、見覚えのある壮年の男性率いる家族連れが現れたという流れである。うっかり線香を忘れたのにロウソクはあったので、まあいいやとロウソクだけ灯して花を添えて帰るつもりが、見たことのある家族連れが、今しがた参ったばかりの墓石の前で足を止める。線香はないのにロウソクだけついているから父上が「???」と困惑の表情を浮かべているのが遠目にも見えた。

               やってしまった。

               知らない顔をして去ろうかとも考えたが、こういうのは後で気持ち悪くなる。挨拶に向かったが、「いやあ生来ガサツもので、えへへうふふ」と実に不細工な醜態をさらした。姪に偉そうに説教しても、己の外交辞令は少しも成長しない蝉時雨。


              自己点検翻訳

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                 ここ数年この時期は、某大学の正課の授業を担当している。今年は少し内容が変わった。立場が低いので、俺が決めているわけではない。とにかくそのせいで、昨年までだと授業についてこれずに早々にいなくなる留学生が、今年はまだ何人も残っている。留学生を相手に授業をするのは実質初めてで、外国から来た彼らが俺の話に「なるほど」といった表情で頷いているのはなかなか新鮮な気分だ。


                 レポート提出は当然日本語なので、微妙におかしな文章を書いてくる。とはいえ、9割方意味はわかるので大したものだ。大抵は助詞や助動詞の間違いで、逆にいうとその程度にとどまる。ある一人の学生にいたっては、日本の学生より遥かにしっかりした文章を書いていて、名前が外国風なだけで日本人なのかとすら思った。話しかけたら普通に外国訛りの日本語で返答してきた。英語教育に物申す人間は読み書きを軽視するのが定番だが、この学生を目の当たりにしたら、「会話重視」が実にちゃちな意見に思えた。ま、少なくとも俺にはまともに文章を書ける外国語の持ち合わせはない。そしてまともに会話できる外国語もない。

                 

                 正確な国籍は知らないが、多くは中華圏の名前をしている。中国のデキる人間はえげつないほど賢いという先入観があるのだが、語学はさておき、レポートの内容は日本の学生同様未熟だったのでほっとした。俺の出番もあるということだ。そんなことを考えないと、教壇に立っている時点で偉そうなのに、外国人にこちらの言語で聴講、会話をさせているという立場に落ち着かなくなるのだ。初心者につき。

                 

                 彼らは日本語での授業を前提条件として入学してきているので、こちらは普通に日本語で授業をすればいいのだが、やはりそこは少し考える。喋る速度や発音の明瞭さもさることながら、わかりやすい表現や、より正確な表現を選んで話そうとしている。こう書くと、子供に話しているような言葉を想像するかもしれないが、そこまでではない。文章の推敲のようなもので、ほんのちょっとした違いだ。

                 

                 「日本人の知らない日本語」というマンガで、日本語を解する外国人に日本語で通訳する滑稽なシーンがある。医者が患者に「どうしました」と聞いても通じないが、「どこが痛いですか」と狡面瓩垢襪板未犬襦これと同じような話で、より厳密な表現をなるべく選ぶ。「じゃ、やりましょか」ではなくて「では始めてください」とか。話し言葉は書き言葉に比べて、使う意味の範囲が広いこともあり、日常会話は深く考えなくてもだいたいの言葉の選び方で通用する。それをいちいち見直すのは、自己点検のような作業だから、教える内容についての自分自身の理解が、改めてちょっと深くなる発見にもしばしばつながり、自身の修練にも都合がいいのである。このようなことは、よりわかりやすく正確な説明を書こうとして文章の推敲を重ねた経験のある人なら、多かれ少なかれ身に覚えがあるのではないだろうか。

                 

                 こちらがそこまでしなくて、「どうしました」「じゃ、やりましょか」といったいつものスタイルで通す方が、生きた日本語に触れられるし、何よりそういうことも込みでの留学ではないのか。という指摘も一定の合理性はあるだろう。だが、自分が楽をする方向性の正当性は、教壇に立つ場合にはあまり役に立たないというのが個人的な経験則である。会社員時代に話の合わなかった先輩が、教育部門に異動になって大学に出入りするようになったら俺と同じ意見をいうようになっていたのでおそらく一定の真理であろう。こっちは学位を持たない講師芸人につき、余計にそうなるのだ。

                 

                 このため作業量が増えてしまい、結果、すでに書いたようなところにぶつかるという一面もあるのであるが、大学側の担当教授が「今年も冴えてるね!」と過分に褒めてくれるので収支はプラスのような気がしてくるのだった。結局、褒められたいだけなのか。まあそうだろう。


                達成感

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                   毎年年度末は忙しい。それで4/1になると一気に潮が引いて正月のような気分になるのが例年のところ、今年はさらに多忙になった。俺の場合、忙しいとダイレクトに収入に反映されるので、ありがたい話といえばそう。というか、ラッシュ時を抱える鉄道のように、繁忙期ありきでようやく成り立つ家計なのだが。
                   それはそれとして、やたらと忙しくて疲労困憊したのに、達成感がちっともないのが問題だ。仕事なんてそんなもの、とはいうものの、勘違いでも達成感がないと、自己嫌悪とか自虐とか孤独とか余計なことが頭をちらほらする。こういうのが積み重なって閾値を超えると、そりゃあ病むよなあと、ちょっと身近に感じてぞっとする夜もあったりなんたり。

                   それで4月に入って大学への出勤回数自体は減ったので、出かけることにした。大量に抱えた在宅仕事を自宅で処理するのに全然集中できないから、いっそ外でやるかという主旨である。電車に乗って、適当に遠出して戻ってくる。行きと帰りでルートが違うとなおよし。この日は天王寺から近鉄で橿原神宮〜京都と乗り継いだ。ひたすら車内で作業をしつつ乗り継ぐだけで観光をするわけではない。こういう気軽な遠出が電車でできるのは、都市部ならではだ。田舎だと、電車は終点もしくは隣県に向かって真っすぐ進むだけしか路線がないし、本数が少ないから下手をすると帰ってこれなくなる。

                   車内の吊り広告を見ると、東寺で夜桜ライトアップというのをやっているらしい。作業のためといいつつ、実のところカメラは持ち歩るいている。なぜと言われれば「いざというときのため」というしかないが、おあつらえ向きのお知らせといえる。18:30かららしいが、大体その時刻に最寄り駅につきそうなので、せっかくだしと足を運ぶことにした。東寺はそのまま「東寺」という駅があるくらいだから、アクセスがよろしい。

                   予想通りではあったが、すでに開門待ちの行列だった。花鳥風月にかける日本人のこの熱量は何なのだろうと思いつつ、俺も並んでいる。やがて次々と人が現れ、振り返ると優越感を感じる並び位置になるのにそう時間はかからなかった。

                   境内は広いので入ってしまえば楽である。ただし、霧雨みたいだった雨が強くなってきた。こういうタフな状況でシャッターを切るのは、マゾヒズム的仕事ダンディズム、つまり自己満足には十分だ。ただし、あえての言い方だが、所詮は桜である。写真の腕に覚えありというわけでもなく、ま、大したことのない、フツーの夜桜の写真を、戦場カメラマンじゃあるまいし、ずぶ濡れで撮っている。我に返ると、何をしているんだろうと急速に冷めてくる。濡れて寒いから冷めたのかもしれないが。

                   この構図は、忙しくてむなしくなる構図と似ているのだが、特段病みそうな気配はない(風邪はひきそうなくらい湿ったけど)。遊びだから。それともうっすら達成感を覚えたからか。いや、遊びだから達成感を得やすかっただけだ。こういうダンディズムだけで仕事をしているとやがて限界がくる。じゃあ何が要るのかというと、答えは実にシンプルなところに行きついてしまう。角が立つから書かないが、かねがね思っていることである。いいやそれはお前が思い上がっているだけだ、ということにすれば収支は合うが、話の全てが縮小縮小になる。こうして今の社会が回っているんだろう。そう、これは個人の話ではなく、社会正義の訴えなのだな。


                  Yへ。

                  0

                     人づてに、高校時代のクラスメートが病没したと聞いた。彼とは卒業以来、付き合いは途絶えていた上、これまでにも同世代の人間の訃報はいくつかあったから、驚きはあってもさして珍しくもないニュースのひとつ、だと思ったが、報に接して想像以上に気分が重くなった。「重い」という表現が合っているのかもしっくりこないが、とにかく2時間ほど仕事が手につかなくなって、煙草ばっかり吸っていた。死亡事故の報道のように、死の恐怖を身近に感じたわけでもなく、大事な人間を失った喪失感というのでもなく(なにせ20年以上会っていない)、これは何なのだろうと不思議な気分にさえなった。

                     知人からの要領を得ないメールが断続的に語ったところを総合すると、余命宣告されていたらしいから、詳細不明ながらその手の病気なのだろう。妻子がいて、その妻によれば残りの日々を泰然とすごしていたのだそう。で、彼女が、夫の過去について(例えば高校時代のエピソード)知りたいと、フェイスブックか何かで募っているのだという。そういえば、何かそんなドキュメンタリーがあったような。いずれにせよ、ちょっとした短編小説のような話だ。

                     俺がまず思い出したのは、実にくだらないエピソードだったが、思うところあって、それを知人に返信した。故人のエピソードというのは、当たり前の話、家族にとっては大事なものだ。もうこれ以上、思い出を紡ぐことはできないが、知らなかった過去のことに広げることはできる。俺の話が妻氏に届いたのかどうか知らないが、仮に届いたとして、「彼らしい」にしろ「彼の意外な一面」にしろ、何がしかの意味くらい持つだろう。

                     加えて「他人が語っている」という点にも意味があると思う。人は単体ではなく、他人から見た像の複合でできている(他人からそれぞれ違って見えるというだけでなく、自分自身の側も相手によって違っている)。その人について、家族がどこかの誰かから話を聞くというのは、単に聞いたことがないから知らない話なのではなく、そうしなけば聞けない話になる。仮に友人が家族に見せる顔を見たいと思っても、家族にしか見せないので自分が見れない。家族と自分が同席しても、自分がそこにいるのだから、厳密には見れない。こういう話になるとすぐ量子力学みたいな話だ、と例えたくなるのだが、量子力学についてはもちろんよくわかっていない。

                     もっと単純な話、人が語るということは、確かに彼はこの世界で生きていた(いる)のだということを再確認させられる。すでに書いたような理屈で、存在が奥行を持って感じられるというか。

                     色々と振り返っているうちに、つくづくけったいないいやつだったなあという気がしてきた。先のエピソードとは別に、こんなこともあった。

                     球技大会でクラスの男子をチーム分けしているときだ。雪国なので冬はバスケとバレーの屋内球技2択になる。バスケ部とバレー部の人間を優先的に配置し、あとは運動神経のいいのが上位チーム、鈍くさいのがBチームないしはCチームになる。俺自身は「運動神経悪い芸人」ほどの犲体廊瓩呂覆い里世、どちらもフツーにヘタクソだ。それでクラスの「運動神経悪い芸人」並みの男子たちとバレーのCチームを構成した。足を引っ張るより、この方が自分にとっても若干オイシイという世間知を身につけた17の昼だった。メンバー5人。バレーなのであと1人必要だが、こんなモテないチームに入りたがる男子はいない。

                     それで、どうする?と微妙な空気になる中、彼が屈託なく「俺が行く」と言った。彼はスポーツ万能なので、むしろ上位チームで活躍してもらわなければ困る側。みんな当然「は?」となる。俺も「なんで?」と戸惑うと、「だって面白そうじゃん」(←方言が希薄な話し方だったと記憶)と言った。で、彼を中心にポンコツたちが役割を与えられ、がんばれベアーズ的にチームが動き出した。お陰でいつも陰鬱な顔をしていたマッチャマ君も結構楽しそうにしていた。戦績はちっとも記憶にないが、俺の中では強豪に割と善戦したことになっている(おそらく偽史)。

                     こんな話も、赤の他人にとってはどうってことない十把一絡げだろう。それでも価値を覚える人間がいて、その中には妻氏のように俺が全く出会ったことのない人もたくさんいる。そしてこういう話をより多くの人と共有できるのが、フィクションを作る醍醐味でもある。そのうち彼も拙作に登場するだろう。


                    申告は青く、警告は赤い

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                       2〜3月は確定申告シーズンである。確定申告についてはすでに何度か書いているが、俺の場合は複数の会社からの支払調書を申告会場に持参して、「何にもわかりまへんねん、えへへ」と頭を掻けば、優秀な税務署職員諸兄が淡々とくれる指示に従って終わり、だった。しかし昨年、「そろそろ青色にした方が・・・」と年配の職員氏から遠慮気味に助言され、今年からブルーサンダー青色申告に切り替えたのだった。

                       これを読んでいるごく少数の読者のほとんどがサラリーマンという前提で説明を加えておくと、いわゆる個人事業主の申請を税務署にすると、青色申告になる。青色の方が一般の白色に比べて控除額が大きい反面、書類が繁雑になる。損益計算書とか貸借対照表とかをこさえて提出せねばならない。支払調書を持参して「えへへ」では済まなくなる。

                       税務署もよくできたもので、無料の講習会というのを開いてくれる。税理士が基本をあれこれ説明してくれるのだが、要するに会計ソフトを使えば楽ちんだということと、領収書の整理をやってしまえば作業は半分終わったようなものだというのが要点だった。俺の場合、店舗を営んでいるわけではないので、在庫を抱えるわけでもなし、日常的に代金の小銭が出入りするわけでもなしで、そういう事業の人々に比べればずいぶんと単純である。

                       それでも、領収書を整理して会計ソフトを買ってきて、いざ入力となると、要領がさっぱりわからず往生した。高校までの勉強はそこそこ出来る方だったし、算数も物理もそれほど苦手意識もなかった方だが、昔から会計だけはどうも駄目だ。古臭い紋切表現でいうところの「じんましんが出る」というやつで、会社員時代も、企業の決算発表とか、経済事件の逮捕起訴とか、よくわからないままテキトーにお茶を濁していたものだった。会計なんて、基本は四則演算しているだけなのに、おかしな話だ。

                       公務員家庭という商売とは無縁の環境で育ったせいだと育ちのせいにするのは楽だが、どっちにしたって書類を片付けないと控除が受けられない。たしかにソフトはよく出来ているのである程度はお任せにできるが、当たり前の話、大元の入力自体は自分でやる。金額と、会計処理上の項目を選択するのが基本操作だが、例えば源泉徴収されている収入の入力はどうすればいいんだとか(これは無料講習会でも説明があったが)、わかっていないと入力の仕方すらわからないことも少なくない。ついでに金額の入力も間違ったりで、馬鹿馬鹿しいほど手間取った。それでようやく入力作業を終えて、税務署で提出する書式への書き出しをやると、ソフトが勝手に書式の項目に応じて、あっちの数字とこっちの数字を足したり引いたりして埋めてくれる、はずなのだが、「合計額が合いません」というエラーが真っ赤な文字で表示された。いやいやいやいや、足したり引いたりして書類の帳尻合わせるのはそちらの仕事でしょうが。
                       というような不毛なフィードバックを2週間ほど繰り広げてしまった。ほうほうのていとはこのことだ。会計操作でちょろまかせる人は、相当だな。フォトショップでおっさんの写真を美女に変換できるくらいのテクニシャンだという実感である。出来る人間にはわけもない作業という点含め。

                       俺ができることといえば、何でもかんでも経費に繰り入れることくらいだろう。税務署の講習会では、「説明を求められて説明できるものだけにしましょう。あとは皆さんの良心です」とのことだった。「良心」といわれると、つい「両親」の顔が浮かんで真面目につけてしまうのが、所詮保守な俺であるのだが、それでも結構色々なものを経費に入れられる制度になっているというのが正直な感想であった。何せ世の中ときたら、「交通費は報酬に含まれております」とか、「宅配費用は報酬に含まれております」とか、せこい事業者が平気でおりますやん。学生のアルバイトなんかだともっとひどい話が転がっているようだけど、それに比べると、国の制度ははるかにマトモだな。そんだけ昨今の世間が、色んなもん捨ててるんだろうな。

                       書類をそろえて税務署に持参したら、予想通り一瞬で終わった。商売やってるわけでもなく、所得も大したことないから、税務署側も全然興味がないのだろう。ジャスラックもこの脱力感を見習った方がいいよ。

                       後日、還付金の通知が届いたが、額面的には増えるは増えたが、元が元なので、大したことはなかった。期待はしてないといいつつ、がっかりするあたり、自己都合退職の退職金と似ている。がっかりする理由の1つは、青色初心者がしばしば勘違いする「65万円」という謳い文句の意味で、65万円まるまる還ってくるわけではなく、税額対象になる金額から差っ引かれるだけの話なので、当然、還付金の額面は65万円からはずっと少なくなるのだった。



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