仕事でかけまわる(駄洒落)

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     駅からバスに揺られること20分程度の丘陵地にある。途中の市街地には、地元国立大の結構広大なキャンパスがあり、かつ今時らしく、国立といえど、私立の有名大学のようなシャレた趣をしているのが車窓からもわかる。乗り合わせた若人のうち、きらびやか組は大抵ここで降車し、今一つ冴えない組が居残り、坂を上ることとなる。

     

     そんなある意味パンクロックな諸君は、みんな真面目で熱心で、こちらも熱が入った。理系の大学につき、歴史の話は敬遠されるかと思ったが、杞憂だった。通常、学生の興味を喚起するため、いくつか歴史豆知識的小噺を挟むのだが、面白がっているのは自分だけというお寒い状況になりがちなところ、ここでは総じてウケた(よくてクスクス、せいぜいニヤっとする程度だが、通常そんな反応は超希少)。大変に心地よいのであるが、可能性としては2つ考えられる。1つは、何事にも興味を覚える質の高い学生が揃っている説。もう一つは、知的好奇心が満たされることがあまりないので、やたらと飢えている説。当然前者だと願いたい。 ちなみに、その分野の学問に関連した小噺がウケるのは、しゃべる側の技術の問題もさることながら、学生の知性が多いに関係しているという。これはどこかの大学の先生が言っていた話だが、なるほどそうかもしれない。その先生はこのため、「この話は面白いから笑うように」と前置きしてから披露するという。形から入ることで、理解力を高める狙いである。面白い試みだと思うが、自分自身でこれを実行する勇気は出ない。

     

     学食のカツカレーは美味かった。俺の数少ないサンプル調査による偏見によると、理系の大学はカレーが美味い傾向がある。実験等々で、大学にいる時間が必然的に長いからだろうか。ただし、今時の学生は、やたらと「唐揚げマヨネーズ丼」の類を食べ、カレーを食べている人は少ない。

     

     国立大が私立大のような雰囲気だったのに対して、こちらの校舎はかつての国立大のようだ。個人的には古臭い方が雰囲気があって気分的にも落ち着くところがあるのだが、今時はどこの大学も常にどこかを新築か改装工事している。見栄えを随時更新しないと客が入らないラブホテル経営をつい思い出してしまうのだが、とにかく綺麗じゃないと学生が集まらないらしい。そこへいくと、この大学は最近珍しい印象である。地元自治体がたんまり払うスキームを他で採用して展開しているからだろうかとか余計なことを想像してしまうが、それはさておき、とにかく退場いただくおっさん連中にはご退場いただいて、若人には存分に学んでいただきたいものだ。


    模範盆

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      当家の墓ではない。

       

       姪が中3で受験を控える身となっている。こうなると親としては急に信心深くなるようで、「ご先祖様にお願いせねば」と、親族の墓を訪ね歩くことになった。それでなぜか俺が姪を連れて行くことになった。
       

       父方祖父母の墓は、父親の実家の裏手の山にある。今は伯母が一人だが、盆なので親戚が来ていた。うち1人は従兄の娘で、前に会ったのは高校生のときだったか、もう大学生になっていたか、とにかくずいぶん月日がたっている。年を聞いたら25と言われてのけぞった。まあ、俺が四十を超えているのも、伯母にすればのけぞることだろうが。

       

       年を取ると親戚に会うのが平気になる。若いころは何を話せばいいのかわからず、ときに結構苦痛を感じることもあったが、最近はすっかり気楽なもんである。要は何も考えなくなってアホになってきているということかもしれない。思春期真っただ中の姪は、まずどういう顔つきをしていいかから悩んで苦しそうである。25になったという従兄の娘氏も、屈託なくよく喋ってくれる。理学部の博士課程にいるという。昔、兄が大学に入ったときは、別の親戚の伯父さんが「末は博士か大臣かやな」と純度100%の昭和な喜び方をしていたが、結局兄は博士にも大臣にもなっておらず、ただの清く正しい会社員である。そこへいくと、彼女は本当に博士の道が開けている。ただし理屈上はというだけで、研究職は席が少ないから厳しいのは周知の通り。しかし、特に理系の場合は海外も視野に入るだろう。と無責任な外野は「海外行こうぜ海外」と煽るのである。

       

       この親戚に限らず、わが一族は算数理科が得意な人間が多い。その中にあって俺は文系分野の仕事を選んでいるが、高校時代は理系クラスに所属していた。さかのぼると、目の前の墓に眠る祖父に行き当たる。姪にとっては曽祖父に当たるが、大抵の人間にとって曽祖父は記号にしかすぎず実態を伴って想像するのは難しいものだ。「数学が得意な人やったんやで」と吹き込むも、姪は「ふーん」と相槌を打つのみである。姪も算数が得意なようだが、反面国語や社会は嫌いな様子。俺にとっては残念なことだ。問題集を見て、日本史の問題を振ると迷惑そうな顔をする。それでもこういう場であるからお節介叔父は歴史講談を続ける。

       

       ちょうど昨日見た姪の塾の宿題は、満洲事変の辺りだった。満洲国の建国後、当地には五族協和の実験場たる建国大学が創立された。「虹色のトロツキー」「五色の虹」の世界であるが、こんなことは中学の日本史には(高校でも)登場しない。試験に通れば学費無料で通えるとあって、全国の貧しくかつ優秀な若人が海を渡った。そして目の前のこの祖父も、学問を志し、この大学への入学を希望したのだが、家の事情で受験もかなわず、その上なまじお役所で働くものだから、大卒の人間を相手にずいぶん嫌な思いもしたらしい。

       

       こんな話をすると、さすがに姪の中でも多少は曽祖父のイメージに血肉が通い出したのか、いくつか質問してきたが、俺も祖父の死後に父親から聞いた話だからロクに補足できることもなく「とにかく挑戦できなかった祖父は悔しかったのだから、挑戦権のあるお前は大いに努力するように」と体よく激励につなげて取り繕ったのであった。

       

       翌日、今度は一人で早世した友人の墓参りである。これまで全くそんな機会はなかったのだが、今年は初めてご家族とバッティングした。正確には、俺が先に着いてお参りを済ませたら、見覚えのある壮年の男性率いる家族連れが現れたという流れである。うっかり線香を忘れたのにロウソクはあったので、まあいいやとロウソクだけ灯して花を添えて帰るつもりが、見たことのある家族連れが、今しがた参ったばかりの墓石の前で足を止める。線香はないのにロウソクだけついているから父上が「???」と困惑の表情を浮かべているのが遠目にも見えた。

       やってしまった。

       知らない顔をして去ろうかとも考えたが、こういうのは後で気持ち悪くなる。挨拶に向かったが、「いやあ生来ガサツもので、えへへうふふ」と実に不細工な醜態をさらした。姪に偉そうに説教しても、己の外交辞令は少しも成長しない蝉時雨。


      自己点検翻訳

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         ここ数年この時期は、某大学の正課の授業を担当している。今年は少し内容が変わった。立場が低いので、俺が決めているわけではない。とにかくそのせいで、昨年までだと授業についてこれずに早々にいなくなる留学生が、今年はまだ何人も残っている。留学生を相手に授業をするのは実質初めてで、外国から来た彼らが俺の話に「なるほど」といった表情で頷いているのはなかなか新鮮な気分だ。


         レポート提出は当然日本語なので、微妙におかしな文章を書いてくる。とはいえ、9割方意味はわかるので大したものだ。大抵は助詞や助動詞の間違いで、逆にいうとその程度にとどまる。ある一人の学生にいたっては、日本の学生より遥かにしっかりした文章を書いていて、名前が外国風なだけで日本人なのかとすら思った。話しかけたら普通に外国訛りの日本語で返答してきた。英語教育に物申す人間は読み書きを軽視するのが定番だが、この学生を目の当たりにしたら、「会話重視」が実にちゃちな意見に思えた。ま、少なくとも俺にはまともに文章を書ける外国語の持ち合わせはない。そしてまともに会話できる外国語もない。

         

         正確な国籍は知らないが、多くは中華圏の名前をしている。中国のデキる人間はえげつないほど賢いという先入観があるのだが、語学はさておき、レポートの内容は日本の学生同様未熟だったのでほっとした。俺の出番もあるということだ。そんなことを考えないと、教壇に立っている時点で偉そうなのに、外国人にこちらの言語で聴講、会話をさせているという立場に落ち着かなくなるのだ。初心者につき。

         

         彼らは日本語での授業を前提条件として入学してきているので、こちらは普通に日本語で授業をすればいいのだが、やはりそこは少し考える。喋る速度や発音の明瞭さもさることながら、わかりやすい表現や、より正確な表現を選んで話そうとしている。こう書くと、子供に話しているような言葉を想像するかもしれないが、そこまでではない。文章の推敲のようなもので、ほんのちょっとした違いだ。

         

         「日本人の知らない日本語」というマンガで、日本語を解する外国人に日本語で通訳する滑稽なシーンがある。医者が患者に「どうしました」と聞いても通じないが、「どこが痛いですか」と狡面瓩垢襪板未犬襦これと同じような話で、より厳密な表現をなるべく選ぶ。「じゃ、やりましょか」ではなくて「では始めてください」とか。話し言葉は書き言葉に比べて、使う意味の範囲が広いこともあり、日常会話は深く考えなくてもだいたいの言葉の選び方で通用する。それをいちいち見直すのは、自己点検のような作業だから、教える内容についての自分自身の理解が、改めてちょっと深くなる発見にもしばしばつながり、自身の修練にも都合がいいのである。このようなことは、よりわかりやすく正確な説明を書こうとして文章の推敲を重ねた経験のある人なら、多かれ少なかれ身に覚えがあるのではないだろうか。

         

         こちらがそこまでしなくて、「どうしました」「じゃ、やりましょか」といったいつものスタイルで通す方が、生きた日本語に触れられるし、何よりそういうことも込みでの留学ではないのか。という指摘も一定の合理性はあるだろう。だが、自分が楽をする方向性の正当性は、教壇に立つ場合にはあまり役に立たないというのが個人的な経験則である。会社員時代に話の合わなかった先輩が、教育部門に異動になって大学に出入りするようになったら俺と同じ意見をいうようになっていたのでおそらく一定の真理であろう。こっちは学位を持たない講師芸人につき、余計にそうなるのだ。

         

         このため作業量が増えてしまい、結果、すでに書いたようなところにぶつかるという一面もあるのであるが、大学側の担当教授が「今年も冴えてるね!」と過分に褒めてくれるので収支はプラスのような気がしてくるのだった。結局、褒められたいだけなのか。まあそうだろう。


        達成感

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           毎年年度末は忙しい。それで4/1になると一気に潮が引いて正月のような気分になるのが例年のところ、今年はさらに多忙になった。俺の場合、忙しいとダイレクトに収入に反映されるので、ありがたい話といえばそう。というか、ラッシュ時を抱える鉄道のように、繁忙期ありきでようやく成り立つ家計なのだが。
           それはそれとして、やたらと忙しくて疲労困憊したのに、達成感がちっともないのが問題だ。仕事なんてそんなもの、とはいうものの、勘違いでも達成感がないと、自己嫌悪とか自虐とか孤独とか余計なことが頭をちらほらする。こういうのが積み重なって閾値を超えると、そりゃあ病むよなあと、ちょっと身近に感じてぞっとする夜もあったりなんたり。

           それで4月に入って大学への出勤回数自体は減ったので、出かけることにした。大量に抱えた在宅仕事を自宅で処理するのに全然集中できないから、いっそ外でやるかという主旨である。電車に乗って、適当に遠出して戻ってくる。行きと帰りでルートが違うとなおよし。この日は天王寺から近鉄で橿原神宮〜京都と乗り継いだ。ひたすら車内で作業をしつつ乗り継ぐだけで観光をするわけではない。こういう気軽な遠出が電車でできるのは、都市部ならではだ。田舎だと、電車は終点もしくは隣県に向かって真っすぐ進むだけしか路線がないし、本数が少ないから下手をすると帰ってこれなくなる。

           車内の吊り広告を見ると、東寺で夜桜ライトアップというのをやっているらしい。作業のためといいつつ、実のところカメラは持ち歩るいている。なぜと言われれば「いざというときのため」というしかないが、おあつらえ向きのお知らせといえる。18:30かららしいが、大体その時刻に最寄り駅につきそうなので、せっかくだしと足を運ぶことにした。東寺はそのまま「東寺」という駅があるくらいだから、アクセスがよろしい。

           予想通りではあったが、すでに開門待ちの行列だった。花鳥風月にかける日本人のこの熱量は何なのだろうと思いつつ、俺も並んでいる。やがて次々と人が現れ、振り返ると優越感を感じる並び位置になるのにそう時間はかからなかった。

           境内は広いので入ってしまえば楽である。ただし、霧雨みたいだった雨が強くなってきた。こういうタフな状況でシャッターを切るのは、マゾヒズム的仕事ダンディズム、つまり自己満足には十分だ。ただし、あえての言い方だが、所詮は桜である。写真の腕に覚えありというわけでもなく、ま、大したことのない、フツーの夜桜の写真を、戦場カメラマンじゃあるまいし、ずぶ濡れで撮っている。我に返ると、何をしているんだろうと急速に冷めてくる。濡れて寒いから冷めたのかもしれないが。

           この構図は、忙しくてむなしくなる構図と似ているのだが、特段病みそうな気配はない(風邪はひきそうなくらい湿ったけど)。遊びだから。それともうっすら達成感を覚えたからか。いや、遊びだから達成感を得やすかっただけだ。こういうダンディズムだけで仕事をしているとやがて限界がくる。じゃあ何が要るのかというと、答えは実にシンプルなところに行きついてしまう。角が立つから書かないが、かねがね思っていることである。いいやそれはお前が思い上がっているだけだ、ということにすれば収支は合うが、話の全てが縮小縮小になる。こうして今の社会が回っているんだろう。そう、これは個人の話ではなく、社会正義の訴えなのだな。


          Yへ。

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             人づてに、高校時代のクラスメートが病没したと聞いた。彼とは卒業以来、付き合いは途絶えていた上、これまでにも同世代の人間の訃報はいくつかあったから、驚きはあってもさして珍しくもないニュースのひとつ、だと思ったが、報に接して想像以上に気分が重くなった。「重い」という表現が合っているのかもしっくりこないが、とにかく2時間ほど仕事が手につかなくなって、煙草ばっかり吸っていた。死亡事故の報道のように、死の恐怖を身近に感じたわけでもなく、大事な人間を失った喪失感というのでもなく(なにせ20年以上会っていない)、これは何なのだろうと不思議な気分にさえなった。

             知人からの要領を得ないメールが断続的に語ったところを総合すると、余命宣告されていたらしいから、詳細不明ながらその手の病気なのだろう。妻子がいて、その妻によれば残りの日々を泰然とすごしていたのだそう。で、彼女が、夫の過去について(例えば高校時代のエピソード)知りたいと、フェイスブックか何かで募っているのだという。そういえば、何かそんなドキュメンタリーがあったような。いずれにせよ、ちょっとした短編小説のような話だ。

             俺がまず思い出したのは、実にくだらないエピソードだったが、思うところあって、それを知人に返信した。故人のエピソードというのは、当たり前の話、家族にとっては大事なものだ。もうこれ以上、思い出を紡ぐことはできないが、知らなかった過去のことに広げることはできる。俺の話が妻氏に届いたのかどうか知らないが、仮に届いたとして、「彼らしい」にしろ「彼の意外な一面」にしろ、何がしかの意味くらい持つだろう。

             加えて「他人が語っている」という点にも意味があると思う。人は単体ではなく、他人から見た像の複合でできている(他人からそれぞれ違って見えるというだけでなく、自分自身の側も相手によって違っている)。その人について、家族がどこかの誰かから話を聞くというのは、単に聞いたことがないから知らない話なのではなく、そうしなけば聞けない話になる。仮に友人が家族に見せる顔を見たいと思っても、家族にしか見せないので自分が見れない。家族と自分が同席しても、自分がそこにいるのだから、厳密には見れない。こういう話になるとすぐ量子力学みたいな話だ、と例えたくなるのだが、量子力学についてはもちろんよくわかっていない。

             もっと単純な話、人が語るということは、確かに彼はこの世界で生きていた(いる)のだということを再確認させられる。すでに書いたような理屈で、存在が奥行を持って感じられるというか。

             色々と振り返っているうちに、つくづくけったいないいやつだったなあという気がしてきた。先のエピソードとは別に、こんなこともあった。

             球技大会でクラスの男子をチーム分けしているときだ。雪国なので冬はバスケとバレーの屋内球技2択になる。バスケ部とバレー部の人間を優先的に配置し、あとは運動神経のいいのが上位チーム、鈍くさいのがBチームないしはCチームになる。俺自身は「運動神経悪い芸人」ほどの犲体廊瓩呂覆い里世、どちらもフツーにヘタクソだ。それでクラスの「運動神経悪い芸人」並みの男子たちとバレーのCチームを構成した。足を引っ張るより、この方が自分にとっても若干オイシイという世間知を身につけた17の昼だった。メンバー5人。バレーなのであと1人必要だが、こんなモテないチームに入りたがる男子はいない。

             それで、どうする?と微妙な空気になる中、彼が屈託なく「俺が行く」と言った。彼はスポーツ万能なので、むしろ上位チームで活躍してもらわなければ困る側。みんな当然「は?」となる。俺も「なんで?」と戸惑うと、「だって面白そうじゃん」(←方言が希薄な話し方だったと記憶)と言った。で、彼を中心にポンコツたちが役割を与えられ、がんばれベアーズ的にチームが動き出した。お陰でいつも陰鬱な顔をしていたマッチャマ君も結構楽しそうにしていた。戦績はちっとも記憶にないが、俺の中では強豪に割と善戦したことになっている(おそらく偽史)。

             こんな話も、赤の他人にとってはどうってことない十把一絡げだろう。それでも価値を覚える人間がいて、その中には妻氏のように俺が全く出会ったことのない人もたくさんいる。そしてこういう話をより多くの人と共有できるのが、フィクションを作る醍醐味でもある。そのうち彼も拙作に登場するだろう。


            申告は青く、警告は赤い

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               2〜3月は確定申告シーズンである。確定申告についてはすでに何度か書いているが、俺の場合は複数の会社からの支払調書を申告会場に持参して、「何にもわかりまへんねん、えへへ」と頭を掻けば、優秀な税務署職員諸兄が淡々とくれる指示に従って終わり、だった。しかし昨年、「そろそろ青色にした方が・・・」と年配の職員氏から遠慮気味に助言され、今年からブルーサンダー青色申告に切り替えたのだった。

               これを読んでいるごく少数の読者のほとんどがサラリーマンという前提で説明を加えておくと、いわゆる個人事業主の申請を税務署にすると、青色申告になる。青色の方が一般の白色に比べて控除額が大きい反面、書類が繁雑になる。損益計算書とか貸借対照表とかをこさえて提出せねばならない。支払調書を持参して「えへへ」では済まなくなる。

               税務署もよくできたもので、無料の講習会というのを開いてくれる。税理士が基本をあれこれ説明してくれるのだが、要するに会計ソフトを使えば楽ちんだということと、領収書の整理をやってしまえば作業は半分終わったようなものだというのが要点だった。俺の場合、店舗を営んでいるわけではないので、在庫を抱えるわけでもなし、日常的に代金の小銭が出入りするわけでもなしで、そういう事業の人々に比べればずいぶんと単純である。

               それでも、領収書を整理して会計ソフトを買ってきて、いざ入力となると、要領がさっぱりわからず往生した。高校までの勉強はそこそこ出来る方だったし、算数も物理もそれほど苦手意識もなかった方だが、昔から会計だけはどうも駄目だ。古臭い紋切表現でいうところの「じんましんが出る」というやつで、会社員時代も、企業の決算発表とか、経済事件の逮捕起訴とか、よくわからないままテキトーにお茶を濁していたものだった。会計なんて、基本は四則演算しているだけなのに、おかしな話だ。

               公務員家庭という商売とは無縁の環境で育ったせいだと育ちのせいにするのは楽だが、どっちにしたって書類を片付けないと控除が受けられない。たしかにソフトはよく出来ているのである程度はお任せにできるが、当たり前の話、大元の入力自体は自分でやる。金額と、会計処理上の項目を選択するのが基本操作だが、例えば源泉徴収されている収入の入力はどうすればいいんだとか(これは無料講習会でも説明があったが)、わかっていないと入力の仕方すらわからないことも少なくない。ついでに金額の入力も間違ったりで、馬鹿馬鹿しいほど手間取った。それでようやく入力作業を終えて、税務署で提出する書式への書き出しをやると、ソフトが勝手に書式の項目に応じて、あっちの数字とこっちの数字を足したり引いたりして埋めてくれる、はずなのだが、「合計額が合いません」というエラーが真っ赤な文字で表示された。いやいやいやいや、足したり引いたりして書類の帳尻合わせるのはそちらの仕事でしょうが。
               というような不毛なフィードバックを2週間ほど繰り広げてしまった。ほうほうのていとはこのことだ。会計操作でちょろまかせる人は、相当だな。フォトショップでおっさんの写真を美女に変換できるくらいのテクニシャンだという実感である。出来る人間にはわけもない作業という点含め。

               俺ができることといえば、何でもかんでも経費に繰り入れることくらいだろう。税務署の講習会では、「説明を求められて説明できるものだけにしましょう。あとは皆さんの良心です」とのことだった。「良心」といわれると、つい「両親」の顔が浮かんで真面目につけてしまうのが、所詮保守な俺であるのだが、それでも結構色々なものを経費に入れられる制度になっているというのが正直な感想であった。何せ世の中ときたら、「交通費は報酬に含まれております」とか、「宅配費用は報酬に含まれております」とか、せこい事業者が平気でおりますやん。学生のアルバイトなんかだともっとひどい話が転がっているようだけど、それに比べると、国の制度ははるかにマトモだな。そんだけ昨今の世間が、色んなもん捨ててるんだろうな。

               書類をそろえて税務署に持参したら、予想通り一瞬で終わった。商売やってるわけでもなく、所得も大したことないから、税務署側も全然興味がないのだろう。ジャスラックもこの脱力感を見習った方がいいよ。

               後日、還付金の通知が届いたが、額面的には増えるは増えたが、元が元なので、大したことはなかった。期待はしてないといいつつ、がっかりするあたり、自己都合退職の退職金と似ている。がっかりする理由の1つは、青色初心者がしばしば勘違いする「65万円」という謳い文句の意味で、65万円まるまる還ってくるわけではなく、税額対象になる金額から差っ引かれるだけの話なので、当然、還付金の額面は65万円からはずっと少なくなるのだった。


              積雪の日

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                 積もる年もあれば少しも積もらない年もある中途半端な雪国で生まれ育った。子供のころ、積雪の朝は目覚めた瞬間、積雪を感じたものだった。体感的には目覚める直前に積雪を感じて目覚めるような具合で、寝小便で目覚めるとか自分の寝言で目覚めるとかに似ている。
                 翌朝の積雪など、天気予報をちゃんと見ていればわかるのだが、子供だったせいか生来計画性がなかったせいか、朝起きて、障子を開けて初めて知るのが毎度のことだった。気温と光の具合と、雑音が消えてシンとなることなんかが、この「予感」を生むのだろう。ただし、積雪を感じて目覚めて障子をあけてもハズレていることはよくあったので、あまりアテにはならない。

                 さすがに大人なので天気予報は見ている。寒波が来て、近畿地方の平野部でも積雪があるでしょう、と言っていたので、もしかしたら積もるかもなあと考えて寝た。翌朝思い切り寝坊して目覚めた瞬間、「出遅れた」と思った。外を見ると案の定うっすら積もっている。雪国基準では積もったうちに入らないくらいであるが、大阪なので白くなっただけで立派な積雪である。出遅れた俺は、さっさと着替えて外に出た。
                 何がどう「出遅れた」のかというと、実のところは何も出遅れていない。雪が降って寒いので出る必要もない。感覚的にはほとんど子供である。これが仕事の日だったら面倒くさいなあ、くらいの気分だったと思うが、休みなのでカメラを持って駅に向かった。さて、京都に向かうか大阪にするか。

                 土地勘のない人に説明すると、日本海側と山間部を除いた都市部だけでいえば、近畿地方は京都と滋賀のみ積雪が恒常的にある。大阪、神戸、奈良市等はほとんどない。大阪でいえば、一定量積もるのは、おそらく10何年に一度あるかどうかというくらいだと思う。大学生のころ、積雪の上をバイクで走ろうとして、独楽かコンパスのように水平にぐるぐる回った経験があるが、個人的経験ではあれくらいしか覚えがない。もし大阪市内が積もっていたら、それこそ稀有だから写真の撮り甲斐もある。逆に京都は確実だが、あまり珍しくないのでありがたみも低い。

                 そんなことを考え、大阪市内に向かったが、まったく期待外れだった。降雪すら見えない。やはり京都に行くべきだったと後悔すると同時に、大阪市内で用事を思い出し、ちょっとだけ慌てて某所へ向かった。結果的にはこれでよかったのだが、用事を済ませてネットを見てみると、京都の名刹で綺麗な写真を撮っている人が何人もいて、やっぱり後悔した。

                 こういうお気楽な話の最中で、受験生はセンター試験である。ネットを見ると、「センター試験の時期になるとオッサンが自分のセンターの話を振り返り出すのがウザい」というような意見があった。そういう現象&反発があるのか。ならば語るしかあるまい。確か、俺の兄がセンター試験の1期生だった。俺は4期生ぐらいに相当する。2人ともすっかりオッサンである。ウザく語る資格は十分にあろう。

                 俺はわけあって2回受けているが、1回目は故郷での受験だったので雪だったように覚えている(おぼろげ)。大した積雪ではなかったはずなので、関西でいえば「雨だった」くらいのことである。むしろ会場がやけに遠かったのが難儀だった。あと風邪をひいていた。これは個人の問題である。

                 多少の雪ではどおってことない国柄であるが、さすがにドカンと降ればエラいことになる。こんな日に試験をやること自体どうかしていると思って、ウィキペディアを見たら「センター試験の日は大きく報道されるので積雪が多い印象があるが、実際には東京ではこれまで試験の日が雪だったのは5日しかない」と書いてある。出た、東京=日本地理感。だからどうかしてるんだよ。

                 しかし一方で、東京や名古屋の様子をニュースで見ていて思ったのは、太平洋側であっても、雪がいうほど珍しくはない都市も多いということだ。大阪に比べれば、東京も名古屋も雪が積もること自体は特殊ではない。だったらもう少し対処をしておけばいいのに、と思うが、雪対策は一定のコストがかかる。年に数度、あるかないかの積雪に金を使うくらいなら、毎度「こんな場所でも積雪が!」と異常気象に驚いた風を装って対症療法にとどめておくことを選択しているということか。それはそれで一つの選択だろうが、実に馬鹿馬鹿しいようにも思う。


                初志貫徹

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                   日付性がどうのこうのと長々書いておいて、結局日付的な話を書くとする。
                   今年の正月に紹介した郷土料理の作り方が知りたくて、帰省してきた。「サバ寿司」と呼んでいるが、寿司といっても、なれ寿司、それも古代のなれ寿司のように漬物のごとくがっつり漬け込んでいる。かといって鮒ずしのような強烈なものではなく、寿司というよりどちらかというニシン漬けに近いような気もする。いずれにせよ、とにかく美味い。そしてどうやって作っているのか知らない。

                   毎年作ってくれる伯母に電話すると、まず1日で作ると思い込んでいた己の認識の甘さを知った。まずはサバを開いて頭と骨を取って、2日ほど酢につける。それから中身を詰めるのだという。さすがに両方は顔を出せないので伯母の勧めもあり、中身を詰める作業の方にお邪魔した。

                   俺と同じ理由で、伯母の知人が2人参加していた。まずは詰め物を作って、それを開いたサバに詰めるというか挟むというか、していくわけだが、漬けるから当然1匹2匹の話ではない。差しあたってはサバ30匹。桶に炊き立てご飯を2升分ドーンと入れる、そんな給食室のような分量の調理である。

                   2時間くらいで作業は終わったが、とりあえず30匹が終わったというだけで、総数はどれだけあるかよくわからない。とにかくまだ大量のサバがある。こんなもの、親が子供のころのような大家族だから成立する料理だ。しっかり分量もメモしたし、工程も撮影したが、それで俺一人で作れるかというと、「まさか」だ。伯母はマシーンのごとく高速に作業をしていて、こちらがほうほうのていで一匹仕上げる間に3匹くらい完成させていたから、一人でもやり遂げてしまうのだろうが。でもまあ、こうして美味さに引き寄せられて、3人集まったのだから、食い意地が他人同士の連帯を生んで継承されていくということか。

                   ただ、漬け込む場所も大切だというのはある。山間の寒い場所だから美味くなるのは間違いなさそう。少なくとも大阪のぬるい冬じゃ話にならない、と寒い国からやってきたスパイを気取りたいところだが、最近体がすっかり関西化しているようで、ぬるいはずの大阪の冬でもぶるぶる震えている。

                   とにかくこれで、今年の課題だった「東京でライブ」「訪中」「サバ寿司学習」を無事澄ますことができた。唯一完遂できていないのが文筆。あかんがな。
                   


                  虹色の番外編的なレンガ三昧

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                     ライブ終わりで一泊して帰阪したのだが、せっかくの交通費をどう活かそうかと考えても、あまりいいアイデアもなければ、体力もない。

                     昨夜は対バンだった年上バンドの超絶スキルの人々と打ち上げになった。千日前の箱でやったときは、ホールの方針で半強制的に出演者全員で打ち上げになったものだが、あまり打ち解けた記憶はない。遠慮と営業だけが空回りする場だった記憶しかないが、今回は同じオッサンバンドだったせいか、向こうさんの年上&上手いという余裕のせいか、割と屈託ない酒席となって楽しかった。

                     おかげで二日酔いになったので、うろうろする気がなくなってしまっていた。ま、世界報道写真展にでも行こうとしたら、休館日だったというのが大きいのだが。

                    駅舎内に掲示してある開業直後の写真

                     それで帰るついでに東京駅を見物することにした。旧満州国巡りで歴史建造物づいているせいだ。よく考えれば、改札を出てまじまじと見物したことはない。

                     

                     これは、旧奉天駅、現瀋陽駅。中国お得意のパクりではない。設計したのは日本である。この写真だとわからないが、東京駅と同じく、レンガ調の平屋が両翼に広がっている。リフォームの仕方のせいか、安っぽい雰囲気に見えてしまうのが残念。


                     

                     こちらは以前に行った旧ソウル駅との比較。瀋陽駅と違って、現在は近くにできた新駅を使っているので、駅舎としての役目は終えている。芸術祭みたいなものが中で開かれていた。

                     あっちゃこっちゃで似たようなのを作ったということは、東京駅というのは、当時の日本人にとってよほど特別だったんだろうな。


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                       豆腐の角に頭をぶつけて死ねという言葉がなぜか頭の中をぐるぐるしていた。死ねといいつつ、死にそうにない物体を持ってくるあたりに優しさを感じつつ、お前にはそれくらいのヤワな凶器がお似合いだという嘲りも漂う。知性があふれているが、ただのリズムだけで言っている気もする。意味はよくわからないがとにかく勢いのある枕詞をつけるのが、江戸っ子の修辞法、と勝手に定義している。

                       これを、「そいつは豆腐の角に頭をぶつけて死ぬくらいありえないことだな」と、うまいこといおうとしてやや失敗している偽エスプリのように仕立てると、にわかにアメリカ風になる。「あいつは豆腐の角に頭をぶつけて死んだらしいぞ」と、投げやりな冗談にするとイギリス風になる。

                       さらに投げやりに、かつ少し理屈っぽくして「死ななくていいし豆腐でなくてもいいから、とにかく何かの角に頭をぶつけてほしい」とすると、今吉になる。

                       無理やり導入としてつなげた。劇団の今吉が大阪を去るというので、たまには劇団ブログらしく劇団員について書いてみようと思う。

                       学生劇団時代に知り合った間柄だが、学生時代には大した付き合いはなかった。それがともに劇団の前衛を二人で担う関係になるとは不思議なものだ。当劇団は、後衛の人数はそれなりにいるのに、肝心の、コンスタントに舞台に立つ人間は、俺と彼だけだった。それで特に仲が良いかというと、サシで飲みに行ったのがこの日初めてだったから、そんな関係である。

                       俺は昔、誰かに対して、この2人の関係について「黒夢みたいなもの」と説明したらしい。記憶力のいい今吉にこの日指摘されて、そういえばそんなことを言ったなあと思い出した。ボーカルとベースの2人組のバンドだったが、何かの狙いがあってそういうメンバー構成なのではなく、単に他のメンバーが去っていって残ったのがこの2人だけだったという事情による。

                       劇団を続けるのは難しい。およそ10年で二十数本の上演をしたが、その間、若干名が加わり、多くが去っていった。ちなみに俺がこの劇団に加わったのは、公演の本数で言うと10本目からだ。そこへいくと、今吉は旗揚げからだから、見送った人数はもっと多い。彼が出ていない作品もいくつかあるが、大抵の作品には出演している。実績だけでいくと、まさに看板なのだが、周りも、そして何より当人自身が自らを看板などとは考えていない。看板になるべきは「あいつらだったろうに」と、俺も今吉も同じ顔を想像していて、だから正確にいうと、我ら二人はボーカル以外の二人が残った黒夢ということである。それじゃあバンドじゃないじゃないか、となるのだが、劇団はバンドではない。

                       コンビニのアルバイト店員という、何かしら王道的身分の長かった彼であるが、会社員に転身してからそこそこの年月がたつ。だのに、いまだに人からは心配されると嘆く。確かに、事故で指をすっ飛ばしたのに、他人には悲壮な顔をちっとも見せず、すっかり左手を器用に使っている様子は、心配どころか強烈な逞しさであるはずなのだが、おそらくはいまだあか抜けていないネクタイ姿と、この日も焼肉のタレをまんまとワイシャツにこぼしてしまったどんくささのせいだろう。

                       その今吉の突出した点は、人の話をちゃんと聞ける能力だ。誰の話も、かなりの精度で受け止めることができる。
                       話が合う/合わない、だけでなく、仲がそれなりにいい間柄でも、互いの話は、自分の価値観の範囲内でしか受け止められないものだ。ある種の話題は気持ちいいくらい通る相手でも、別種の話題になった途端に頓珍漢な反応が返ってくる、なんてことは珍しくない。この男の場合はその範囲がやけに広い。いや、範囲がないのではないかというくらい、良くも悪くも冷めている。まかり間違えば、というか、まかり間違えなければ、優秀な会社員になっていたように思う。間違ったかあるいは間違ってなかったせいで、演劇をやることになったのだが、こと演技に関しては、うまくもないし下手でもない、というのが自他認めるところである。これまた作品をきちんと受け止めようとする姿勢は、やけに高い。

                       そういう男と、この日二人で話したのは、思い出話の類ではあるが、思い出を共有して盛り上がれるほど仲がいいわけでもない上、かくのごとき特性を持っているので、ひたすら思い出に対する分析・評価であった。あのときのアレは、これがよくなかったとか、こうするべきだったとか、あのときのヤツは、こんなことを考えていたはずだとか、今から思えばアレが不満だったのだろうとか、そんな話に終始した。過去の出来事について、そんなこともあったなーあっはっはっは、と笑い合う、昔話の模範は皆無だった。二人しかいないし。

                       こういう間柄は戦友というのだろうか、同志というのだろうか。戦友だとしたら、我々は何と戦ったのだろう。
                       ま、また同じフィールドに立つ日も、ないことはないだろうから、その時になったらわかるのかもね。

                      写真:当人が思い出深いというので、「裏切りの犬」より。最早、若気が至った恥ずかしい写真にも見えてくるが、誰が恥ずかしいかというと、真ん中で赤毛になっている本人ではなく、やらせている俺である。



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