秋晴れの日

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    こう見ると的までまあまあ遠いでしょ。

     

     地元で国体をやっていた。
     実家は、前回国体のときに、競技場建設と合わせて造成されたかつての新興住宅地である。同世代の親たちがそこに暮らし出し、同世代の子供であふれかえった。なので幼馴染含め我々は国体の子といっていい。それからおおよそ半世紀たち、単純計算でも自ずと持ち回りの順番が来る。

     

     すぐそこにスポーツパークがあるため、国体に合わせて施設のリニューアルが進められているのは勝手に目に入る。何年も前からあちこちが閉鎖されて重機が入り・・・、というのを見てきて、いよいよ今年かあというような感覚は嫌でも醸成されるのであるが、いざ開幕となると全国的な注目のなさを痛感することになる。確かに毎年どこかで必ず開かれているのだろうけど、気に留めることがないからそりゃそうだ。皆既日食みたいなものか。地球上のどこかではかならず見られる勘定になるが、日本で見れるときだけ大騒ぎになる。

     

     帰省すると、駅周辺はあちこちに結果が張り出されていたり、土産物屋が増設されていたり、会場行きのシャトルバスが発着していたりでまあまあそれなりの雰囲気だった。終了間際だったので、競技の大半は終了していたし、県内全域に会場を設けているので、競技によっては行く気が起きないくらい遠い。地元の英雄たる五輪選手が出場するバドミントンは、彼女の地元での開催だったので、距離的にいって着いたころには終わっている時間帯だった。

     

     とりあえずはアーチェリー決勝を見物するとしよう。実家から自転車を10分ほどこいだところにどういうわけかもうひとつスポーツパークがあって、そこでやっていた。五輪選手の古川が出ていたので得した気分だ。

     

     俺も国体に出たことがある。高校時代アーチェリー部にいて、マイナーな貴族スポーツにつき田舎には4校しかなくうち1つは女子だけ。必ず3位以内に入る状況だった。そんな中で他の2校が男子部員不足で団体戦をろくに戦えない状況とぶつかり、棚ぼた的に優勝した。特に俺に関しては団体戦のメンバーにも入っていなかったので棚ぼたもいいところなのだが、とにかく「インターハイ出場」ということになった。

     

     それでいざ会場についたら、あらゆる表示に「国体」と書いてある。聞けばインターハイは全く別の県でやっていて、アーチェリーは当時含まれていなかった。ただの高校の全国大会が国体会場で行われていたということらしい。結果はわざわざ書くまでもなく、「出れるから出た」以外の何者でもない。

     

     さて時を戻して、大阪対愛知の男子決勝だ。古川が10点(的の真ん中)を連発するのを、へえ〜と眺めて終了後に周辺をぶらぶらすると、各県選手の控え場所のテント群があった。よくある白いテントが林立する下にテーブルがずらーっと並んでいて、試合を終えた選手たちが弁当を食ったり茶を飲んだりしながら談笑している。そういえば自分のときも、こんなテントの下で飯食ったなあと思い出した。急に過去の記憶が生々しく甦ってノスタルジックになるあの感覚ね。ただし惨憺たる結果に「はよ帰りてー」としか思ってなかったから思い出しても全然楽しくない。

     

     再び自転車をえっちらおっちらこいでメイン会場へ。普段はフリーパスで自転車ですいーっと通れる田舎のおおらかさを体現したような公園だが、さすがに多くの門が閉じられていて、臨時の駐輪場に移動させられる。外周の柵には、特産品や景勝地などをモチーフにした47都道府県ののぼりがはためいている。地元の児童生徒が動員されたのだろうか、手書きの絵なのだが、我らの地元ののぼりは超雑なカニの絵で済まされていた。わかるぞ、その気持ち。行ったことのない県のシンボルを調べて描く作業でキャッキャ言ってる傍らで、なんで自分だけ地元やねんという不貞腐れだろう。愛郷心より未知の世界に触れることの方が圧倒的に優先される。こうして俺のようなワールドクラスの人材を輩出する土地柄なのである。

     

     桐生のお陰で9.98スタジアムとデカデカと掲げる競技場で陸上(少年の部)を見た。高校生たちか。結構親も来てる様子である。外には売店のテントも並んでいて、今時っぽく凝ったメニューのあれやこれやを売っていて、まあまあ繁盛している。その向こうには、クラスメイトの実家が営んでいるレストランの看板が見えるのだが、少しは特需に預かったのだろうか。というか、チェーンが席巻する時代にあって、特にこれといった特色もない「レストラン」がしぶとく生き残っているのだから敬服する。

     その向こうには、かつて県教委だか市教委だかの建物があったのだが、潰されて巨大駐車場になっていた。築地市場ミニ版。小さいころは子供向けの事業に参加するため何度も足を運んだ場所だから、これまでの人生で場外で一度だけ寿司を食っただけの築地よりは遥かに縁がある分、寂寥感も勝る。

     

     まあまあ大がかりなくせに特段メディアから注目もされず、それでも続いている大会というのもすごいもんだと改めて考えさせられたのだが、あえていえば「この程度」の大会でもこんだけ手間暇かかるんだから、オリンピックを考えるとなかなかの恐怖をリアルに体感できる。貴重な体験であった。


    盆備忘録

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       中学校時代の同窓会、それもオフィシャルな同窓会主催の宴に顔を出した。
       ベビーブームに伴い、当時新設された学校だった。校舎に生徒を収容しきれず、仮設のプレハブで教室をまかなっていた時代だ。クーラーもなく、今だった死者が出ている気もするが、そういうわけで学区を分けて新しく作ったのである。
       俺は新一年生で入学したから、吉本興業の芸人養成所風にいうと3期生ということになる。2年前に公式の同窓会がようやくのようやく発足したのは、この中学のずっと後輩に当たる球児が春の選抜で優勝投手になった盛り上がりに後押しされてのことではないかと邪推している。とにかく2年前に、1、2、3期生の同窓会が開催され、昨年は2、3、4期、今年は3、4、5で、要するに今年で我々年代はロケット鉛筆が如く押し出される最後の同窓会であった。

       

       2年連続日程が合わず不参加だったが、最後なので顔を出すことにした。いかにも面倒そうな作業を3年間やってくれた人々に対して、せめて出席で応える義務くらいはあるだろうという義理人情的動機が9割を占める。

       

       中学時代を幸福な気持ちで振り返れる人は世の中にどれくらいいるのだろう。なにせ思春期ど真ん中だから、未熟さが剥き出し過ぎて振り返るだけでもやりきれなくなる。俺もよくいる面倒くさい男子の典型例の1つ、自己防衛のためにひねくれてひねくれてひねくれすぎて、勝手に息が詰まってしまっているクチだった。当然、ロクな思い出がない。

       卒業式の後の最後のホームルームだったか、担任が「中学生活を振り返ってどうだったか」という質問をして、一人の男子が「性格変えたかった」と答えてクラス中爆笑していたが、俺は目から鱗だった。その手があったか、といえばいいか。とにかく進学先では己を変えようと誓ったものだった。いわゆる「高校デビュー」の類といえばそうだが、あれはどちらかというと贖罪ないしは、共産主義者のいう改造のようなものだったように思う。

       

       というわけで旧交を温めたい人間は特にいない。むしろヤな奴が来ちゃってごめんなさいくらいの感はある。当時の教員も来ると聞いていたが、体罰の横行していた時代につき、恩師と仰ぐ人も特にいない。無論、卒業後、こういう場は初めてだ。30年ぶりの再会になる。言葉は悪いが「怖い物見たさ」が残り1割の動機付けだ。
       オフィシャルなので、なんちゃら会館の鳳凰の間みたいな宴会場で開催される。学年ごとに指定された立食になっていて、胸に渡された名札を貼って遠慮気味にその辺に立っていると、「人間の顔って変わらないなあ」という懐かしい顔ぶれが揃ってきた。まあ名札があるからわかるんだろうけど。苗字が変わった女性陣は、化粧も手伝って誰かよくわからない人もちらほら。こういうときは旧姓にした方がいいのでは。いちいち「●●です」と名乗る羽目になるし、苗字が変わってない女性は余計な想像が付きまといそうだし。


       どうせ無駄だと思って卒業アルバムによる予習はしてこなかったが、「物忘れは記憶が消えたのではなく引き出しが開かなくなっただけ」というドラえもんの解説を実感した。顔と名前を見た瞬間、そういう人がいたことはすっかり忘れていたのに、一気に記憶が戻る。ただし、校歌は見事なくらい忘れていて、手渡された歌詞を見ても全く歌えなかった。どちらかというと、子供のころ覚えた歌は記憶に残りやすい素材だと思うのだが。まあひねくれていたので朝礼でもほとんど歌わなかったのだろう。

       

       とっくに地元を離れ、かつ俺の記憶力がよい方だということもあり、忘れているより忘れられている方が圧倒的に多かった。まあでも、その「忘れてるゴメン」的部分も含め、40も過ぎると、当たり障りなく和やかに盛り上がれる世間知を皆さん装着しているようで、思いのほか楽しく過ごせた。

       出席者は3回目なので少なかったが、多いよりは楽だったかもしれない。ただ教諭陣が少なかったのは残念だった。というのも、当時最も武闘派だった手足口暴力病の教員が昨年出席して「あの頃は申し訳なかった」と謝罪していたと聞いたからで、出席すべきは昨年だったようだ。

       

       どちらかというと遠慮気味になりやすい男性陣より、屈託なく遠慮なく話かけてくる女性陣の方が気を遣わず楽だった。当時は接し方がわからず、女子と話した記憶はほとんどないのに。
       その大らかな女性の1人が、すっかり忘れていたが、高校も同じだった。そしてたまたま今日、高校時代のクラス会も開かれているという。すっかり忘れていたくらいなので、彼女のクラスメイトともほとんど接点がない。だのに「この後一緒にどうよ」と誘ってくる。普通ならばアホかと一蹴するところだが、とっくにアウェイの同窓会場に来ているから遠慮を覚える理由がなくなっている。それも面白いかも、と快諾して、二次会に向かう中学同窓生たちに「後で戻る」と別会場に向かった。

       

       ちょうど中締めで、当時のこのクラスの担任と早く帰りたい人々が店を出てきたところだった。この担任というのがいかにも「進学校の名物教師」といった変わった人で、とても人気のあった人だ。俺はほとんど習ったことがないが、一つだけ記憶がある。
       2年生から理系文系に分かれる進路を選択するときのことだった。わら半紙の粗末な書類に「理系」「文系」と書いてあって、希望に〇をつけて提出する。紙と印刷がショボかったせいだろう、俺は仮希望調査くらいに勘違いしていて、まさかこれで本決まりになるとは思わず、テキトーに文系につけて提出したら、それで本決まりだという。

       これは参ったぞ、と冷や汗が出てきたのは、提出後に「理系の方が大学受験の際に潰しがきく」と知ったからだった。当時、理系の学部は大学受験に理科が2科目必要なところがほとんどだったのに対して、社会が2科目必要な文系学部は東大と京大くらいだった。そして高校の文理の別は、理系が「理科2、社会1」で、文系が「理科1、社会2」の履修。つまり東大・京大を受ける気が無ければ、理系に所属していた方が文理どちらの学部も受験できる勘定になる。そして俺は当時、何学部に行けばいいのかなどサッパリわからず、ついでに5教科とも総じて良くもなく悪くもない、まさに「ちゃらんぽらん」の漫才のような中途半端さだった。

       

       担任に「変えてくれ」と申し出ると、担当がくだんの名物教師M教諭だから「M先生に言え」という。そこでM教諭を訪ねて変更を申し出ると、理由を聞いてくる。「いやああの後考え直しまして」とか何とか適当な返事をしたのだと思うが、この先生は理由の重要性を滔々と説明した。
       曰く、文理のコース決定は校長や教頭のハンコがつく重大事だ。つまり俺の一存で変更できるわけではなく、俺が校長教頭に、こういう理由でお前の変更をお願いしますと言わねばならない。当然そこには説得力のある理由が要る。校長がなるほどと納得する理由を、いついつまでに考えろ。

       

       さすがに「決裁」という言葉は使わなかったが、大人の世界はそういう事務手続きで回っていることをお前もボチボチわかれと言わんばかりの説明だった。このオッサン、無茶苦茶言うな、と呆れつつ、なるほどそういうものかと得心したのも事実で、俺はまるでエントリーシートの志望動機のような「説得力のある理由」を考えたのだった。
       曰く、昨日NHKスペシャルの宇宙の番組を見て、もの凄く興味を覚えた。宇宙を知るには物理と化学と微積分が要る。聞けば文系は、理科が少ないだけでなく、数学も微積の入門くらいしかやらんそうじゃないですか。是非理系でこれらを学びたい。
       という話を、翌日だったか三日後だったか、正確には覚えていないが、再び教諭の前で披露すると、心のどこかで「我ながら嘘くせえ」と思っていたことも見抜かれていたのだろう、鼻で笑って「まあええわ」と手続きをしてくれた。

       

       そうして俺は、まさしく物理と微積分で躓いたのだった。微分方程式が何をやっているのか全くもってわからない。あ、俺にはこっちのドアは開けられないんだなと悟った結果、文系学部の受験を決めたら、受験前の特別補修は文系クラスに合流しろと命じられ、その補修の担当教師の一人がM氏だったから気まずいこと気まずいこと。その上落ちてるし。

       

       すっかり白髪になった以外は、相変わらず(俺より遥かに)フサフサを維持した変化のない外見を見つけ、「ややっ、どうも」と握手をした。教諭は「えーっと、誰だっけ」と記憶を手繰る渋面を作り、「もう喉元まで名前が出かかっている」くらいの演技をしている。
      「お忘れでしょうが森下です」
      「あー、覚えてる覚えてる」
       絶対嘘やろ。といいつつどこか説得力があるその物言いは、これぞ教師の凄みか。

       

       まだ何人かは残っているという座敷に足を踏み入れると、当然「?」が部屋中に充満する。かくかくしかじかで彼女に無理やり付き合わされて、などと説明して名乗ると、さすが進学校だ。一人がすぐさまアルバムを出してきて、ああ君か、いたいたこんな人と人定確認している。

       当時の俺のクラスメイトに、昭和のゴシップ好き主婦のような、人物評価と噂話の好きな男がいて、彼のおかげで概ね顔と名前は知っていた。ただし付き合いらしい付き合いはないのだが、それでも話し出すとそれなりに盛り上がったのは加齢に伴う世間知と郷愁のおかげもあるが、巷間いうところの「社会階層」が大まか同じというのもあるのだろう。ことさら話が合うわけではないが、十九二十歳以降の人格形成が似たような環境下でなされている分、話が通じやすくて楽というのは厳然たる事実として痛感するほかない。

       

       俺の場合は、会社を辞めた後、出自や経歴が色々な人々と出会える幸運に恵まれたので了見が狭くならずに済んだ(逆にそのせいで、県庁職員だの弁護士だの元高校生たちの堅実度合にクラクラしたが)。この日も短時間ながら同じような貴重な場だった。高校よりも中学の方がより一層。中学の同窓生はいってみれば、生まれた年以外には、実家がほどほど近いことしか共通点のない人々である。40も過ぎて皆さんそれぞれ地に足つけて頑張っているということもあり、改めて世間はこうして回っているのだと、普段の生活では見えない距離まで見渡せたような気になった。

       

       それにしてもあの人は誰だったっけと、何人か思い出せなかった女性陣を確認しようと帰宅後卒業アルバムを開いたら、個人写真のページには誰が誰か名前が一切記載していなかった。資料的利便性低! 会場に持参しても使えねえや。これは報道対策すか?やらかしたときに卒アル写真を晒される社会的制裁を阻止するためとか?


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         観劇。近場だと西宮と滋賀、そして津での公演がある。日程に迷っているうち売り切れになり、強制的に津に行くことになった。観劇のためにちょっと遠出。なかなか贅沢じゃないか。


         大阪から津までのルートは近鉄特急が一般的だと思うが、乗ったことのない路線でいこうと、JRで京都方面に向かった。京都は素通りして草津で草津線に乗り換える。背もたれが垂直の古式ゆかしい車両で伊賀方面に南下。車両は鄙びているが沿線は新しめの宅地が多い。ほとんどの客は貴生川で降りるがそこからさらに南下して柘植に到着。ここから関西線に乗り換える。さすがに緑が濃い。多少風も涼しくて旅行気分も出てくるのだが、それで嬉しがって写真を撮っているうちに亀山行き車両が俺を置いて出発進行してしまった。時刻表を見間違えて、もっと余裕があると勘違いしていた。

         

         次が来るのはちょうど1時間後。やってもた・・・。いい写真が撮れていれば少しは大義名分も立とうものだが、大したものは撮っていない。とりあえず外に出た。目の前に喫茶店があり、仕方がないので本来津で食べる予定だった昼飯をとることにした。火野正平がこころの風景にとうちゃこする前に、なんてことない喫茶店でなんてことないカレーを食うのと同じパターンだ。そう考えると少しは気がまぎれる。
         客が俺しかおらず、入店するなりエアコンにスイッチを入れたので長居するのも申し訳なく、食べ終わってアイスコーヒーをさっさと飲んで出た。観光案内板を見ると楽しげな史跡等いくつか書いてあるが、こういう賑やかなイラスト風地図を真に受けて「じゃあちょっと寄り道するか」と歩き出すと日が暮れる。

         

         おとなしく駅のベンチで読書しているうち汽車が来た。
         緑を切り裂いて延びる単線は、すぐにも鹿か猪が飛び出してきそう。残念ながら季節柄蝶は飛んでいない。容赦ない山中なので駅間が長いから、やがてうつらうつらとしてきて、気づいたら亀山に着いていた。
         今度は時間を間違えずに無事乗り換え。ここから先は周囲が開けて人間の営みが景色の中に復活する。途中で高校生が大量に乗ってきてすっかりうるさくなると、間もなく行く手にビルが見えて津に着いた。
         来訪するのは母親の納骨以来だ。JRと近鉄が接続する要衝ながら県庁所在地とは思えないこじんまりした雰囲気で味がある。味といえば、炊き込みご飯を当地では味ご飯と呼ぶそうだが、我が家でもそうだった。これは真宗高田派的なつながりの何かなのだろうか。
         駅前には味ご飯ではなく鰻の香ばしい煙が立ち込めていた。昼飯がカレーだったことに対してにわかに後悔が立ち込める。三重県は牛にしろ鰻にしろ、あるいは伊勢海老、真珠、とにかく値の張りそうなものが有名だが、鰻絶滅キャンペーン絶賛開催中のわが国であるから、贅沢四天王(今名付けた)の一角は、昨今なかなか大変そうである。

         

         開演までまだ相当に時間がある。俺は近鉄で一駅移動し、津新町で降りた。JRの本社エリアが違う地域まで来たのに、日常利用している私鉄に乗っているというのは不思議な気分である。さすが路線延長日本一の私鉄だ。
         さてこちらも高度成長期のような味のある駅前であるが、ここから少し歩くと城跡と官庁街がある。その一角にあるのが図書館で、熱中症の被害が相次ぐ昨今、おとなしく空調の効いた屋内で時間つぶし。の予定が、目的の視聴覚コーナーが満席だった。
         怖れていた事態が・・・、と途方に暮れてベンチに佇む間に一気に空いた。事前に所蔵をネットで確認していたある作品を見つけ出し、閲覧を申し出る。レーザーディスクという鰻より先に絶滅したメディアにつき、棚から探すといっても中古レコード屋を物色するような手つきになった。LDだと借りたところで見れないから必然ここで視聴することになる。というかそういう事情のせいだろう、そもそもLDは貸出禁止でついでに俺は市民でも通勤者でもないので借りれない。だが肝心の図書館の再生機械はいつまでもつのだろう。

         

         2時間40分の大作である。LDだと収まらないから3枚組になる。3枚目に移ったところで、時間があやしくなってきたのと疲れたのとで視聴を終了した。自分で操作するのではなく、すべて係の人がやっているので「こらえ性ないんかい」と思われていそうで申し出るのがやや恥ずかしい。だけどヘッドホンなので耳が痛いし、椅子も普通のただの椅子なので映画館のようにはいかない。
        そのころ国会では、枝野幸男が同じく2時間40分の長広舌を披露していた。フィリバスターというには短いのかもしれないが、少なくとも図書館で視聴できる時間より長い。我ながら情けない。いや時間が迫っているのだから仕方がないじゃないか。

         

         津まで戻ってバス停へ。すでに演劇ファンと思しき風体の人々(第七藝術劇場に来る層と概ね一緒の風体)であふれだしている。特にこの西口の駅前ロータリーは主要駅とは思えないくらいロータリーが狭苦しい。夕方のラッシュと重なりバスが現れても一周して乗り場に来るまで時間のかかること。ようやく乗り込み宅地を抜け、でかいコンクリート群に到着した。地方都市でよくある文化ゾーン的な再開発であろう。博物館だのホールだのが林立している。少々複雑な構造をしている巨大な建物の奥に、目的の中ホールはあった。


        手作業

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           仕事で来ているワイシャツが、総じて古くなってきた。擦り切れとか型崩れとかが目に付く。それで何枚か買うことにした。夏のノーネクタイが定着している昨今、ネクタイなしでもサマになるシャツを選ぶわけだが、相変わらずボタンダウンが嫌いで、色シャツも汗が目立つので敬遠。自ずと選択肢が絞られるわけだが、なぜかボタンダウン以外の白シャツはボタンも白いのが多い。ネクタイなしだと白シャツに白ボタンは締まりがない気がして、そうすると自分で換えるしかない。シャツを買った足でユザワヤに向かい、ボタンを物色することになる。ポイントは、ボタンの色だけでなく、付ける糸の色との組み合わせが生じるところ。例えば濃紺のボタンにオレンジの糸でつけると、アストロズみたいで格好いいじゃないか。


           なぜこういうお金をもらえるわけでもない地味な作業は向きになって集中してしまうのだろう。全部で5枚ほどのボタンを付け替えた。我ながら何をしているのだろうと思いつつ、一定の自己満足も味わいつつ。
          そうして仕事にいったときに、スタッフの女性陣に「これ付け替えたんすよ」なんて言って、人は見かけによらず意外にマメな一面もアピールをする自分がなんともあさましい。

           

           DIYついでに、靴底も補修した。
           人より足が疲れやすいと思っているので、先日アシックスの足を計測するサービスを受けることにした。仕事終わり等の足が臭気を放っている状態だとさすがに失礼だろうと、休みの日に直行したらば、「むくんでいる状態の方がいいのに」と口惜しそうにするプロフェッショナルオタクぶりがすさまじい係の人に感服しながら計ってもらった。

           すると自覚している披露症状からなんとなく予想していたが、足の骨格の角度が一部、平均値より大きくズレている点があるとわかった。それを矯正する格好で中敷きを調整してもらうと多少なりともマシになると痛感したのであるが、靴の健康側面についてとても神経質なプロフェッショナルオタク店員氏に、医者か看護婦の説教のような助言を受けているうちに感化されてきて、普段履いている靴の底のすり減りを放っておくことがとてつもない罪悪に思えてきた。疲れやすい分、補修屋に持っていこう持って行こうと考えて後回しになっていた。

           

           それでホームセンターに行くと、自前で出来るパテのようなものが売っている。使ってみると、補修屋ほどではないにせよ、それなりサマになる格好ですり減りが元に戻った。履き心地もずいぶん復活している。これは素晴らしいと、またボタンのごとくムキになり、持っている靴をことごとく補修した。履き心地だけでなく、直したこと自体の充足感が物凄い。なんだろうこれは。


          舌が肥える

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             「舌が肥える」という言葉は、プラスマイナスどちらの意味だろうか。辞書でも二通り紹介されている。モノの違いがわかるようになるというプラスの意味と、好みが贅沢になるというどちらかというとマイナスの意味合いを込めた使い方だ。
            知らないことだらけだった若いころは、前者の意味がケースとして多かった。大阪のたこ焼き、香川のうどん、高知のカツオ、どれも最初食べたときは、これまで食べたものとのあまりの違いに心底驚いたものだったが、しかしこれはモノ自体があまりに違うので、舌が肥えるという話かどうかは疑わしい。

             

             ここ何年かは、人と酒を飲みに行く機会がひところに比べてぐっと少なくなったため、外で何か美味いものを食う食事芸人みたいな行為は縁遠くなったのだけど、それと反比例するように舌の肥えを実感している。基本的には地味な食材についてで、これまで気にもとめなかった違いが急に気になりだすという形として現れている。

             

             例えば去年くらいから、俺は料理酒を変えた。これまでは、合成清酒を使っていた。いわゆる「料理酒」より安い酒である。日本酒版発泡酒みたいなもので、清酒風だが清酒ではないので税金の関係で安い。調味料だから、こんなもので構わないだろうと使っていて、長年特に不都合も感じていなかった。
             しかし、昨年くらいから、自分で作った煮物がやたらとマズく感じ出し、原因(=マズさの味成分)を考えるに、これは料理酒のせいではないかと結論づけ、安物の清酒に切り替えた。多少値段は上がることになるが、マズいのだから仕方がない。結果、マシな味付けになった。
             そういえばこんなこともある。納豆は、発酵のせいか、冷蔵庫に長々と入れっぱなしにしていても案外大丈夫で、消費期限ではなく賞味期限と書いてある通り、期限をとっくにすぎても昔は平気で食べていた。ところが何年前からだろう、そう昔ではないのだが、古い納豆は豆がジャリジャリして歯ごたえが気持ち悪くなるということに気づいてしまい、それ以来古い納豆が嫌いになった。昨年出張でホテルの朝食をいただく機会が何度かあったが、バイキングの納豆がまさしくそうなっていたので、二度と取らなくなった。周囲は気にせず食べている人が多いので、己が過度に神経質に思えてきていい気分はしないのだが。

             

             それで最近困っているのが、朝食のパンだ。朝はトーストに、その日の気分と冷蔵庫の中身によって、卵が乗ったりハムが乗ったり何もなかったりする。この食パンに対しても、昨年くらいから段々と嫌気がさしてきた。昔は業務スーパーの60円くらいのやつで平気だったが、やがて受け付けなくなり、10年ほどは大手の百数十円のやつをその日の安売り次第で買っていたのだが、それも限界が近づいているようだ。それで少々値の張るパン屋の食パンを買ってみたり、大手の商品でも若干高額なライ麦パンだの玄米パンだのを買ったりする。すぐに売り切れると評判の店の食パンも食べてみた。いずれも100何十円食パンより美味しいのだが、エンゲル係数はかさんでくる。昨今は、エンゲル係数がかさむのは経済成長の現れらしいから(これは閣議決定されてないんだっけ?)立派な行為なのかもしれん。

             

             それである日気づいたのは「マーガリンをバターに変える」である。元凶はパンでなくマーガリンなのかもしれない。と考えて、改めて値段に少々びくつきながらバターを買ってみたが、予想通りカチカチで塗りにくい塗りにくい。それでマーガリンと混ぜたやつを試すと、味と扱いやすさがちょうどよかった。これなら、元の食パンに戻してもよさそうな気がする。

             

             昔母親と買い物に行ったときに、安売りや半額シールには目もくれず、居並ぶ商品の中でも高めのもの(例えば80円の豆腐の隣にある130円くらいの豆腐)を躊躇なくカゴに放り込んでいく様子を見て、はぁ〜自分は食に関しては金持ちのボンだったのかと驚いたことがある。父親を筆頭に、気に入った商品を食い続けたがる保守的な性向のせいで、「いつもの豆腐と違う」等と文句を言われるのが面倒でそうしていたと理解していたのだが、今の俺と同じく「気にならなかったはずの差異が妙に気になりだした」せいだったのかもと想像した。つまりは、この親にしてこの子というだけのことかもしれん。


            花鳥風月課長風月サブリミナル

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               久しぶりに在宅仕事を何もしなくても済む休みの日が訪れ、朝から快晴だった。レジャー気分が膨張しているが、何をするのかも思いつかず、思いついたのは花鳥風月だけだった。正確には花花風花といったところか。とにかく桜の写真を撮るという、写真としては大して面白くないが何だかんだ気分は晴れやかになるお遊びに出かけた。冒頭の写真は仕事で訪れた関大の桜。大学にしろ小学校にしろ学校にはほぼ確実に桜があるものだが、なぜだかありがたみが少し下がる印象がある。最もありがたみを感じないのはマンションの敷地内にある桜だ。

              写真は復路。始終こんな具合。

               とりあえず京都に。京福電鉄の「桜のトンネル」というのを一度見てやろうと嵐電に乗った。結構な人手である。本線から帷子ノ辻で北野白梅町行きに乗り換えて、鳴滝から宇多野の駅間にあるらしい。車両の先頭に早速人々が陣取り出すので俺もその中に混じった。隣にはEOS70Dをぶら下げて猟犬のような目をした婆様二人組が出発前から鼻息を荒くしている。前には小学生くらいの女の子がいて、母親から借りたスマートフォンで撮影しようとしていた。


               出発進行。窓に張り付いている初老男性がテスト撮影とばかりにEOSのもっと高そうなやつを構えてサララララとシャッター音を響かせている。ホンマのシャッター音は、携帯みたいにカシャーンとはいわないよね。俺のミラーレスはカシャっていうけど。

               そうして一つ目の駅を過ぎたころからにわかに緊張が高まり出す。前の女児もスマホでテスト撮影しようとしたのだが、使い方がわからなくなったのか、一歩ほど後ろにいる母親に近付いて使い方を再確認していた。つまり持ち場を離れてしまったわけで、その空いた空間にすかさず猟犬婆が体を割り込ませた。戻ろうとした女児はすでにその場が奪われていることにようやく気付き、目を丸くしていた。花鳥風月に全身全霊を捧げる年寄りの執着心の物凄さを、彼女は目の当たりにしたのだった。写真撮影とは、機材でも露出でもフレーミングでもなく、第一に場所取りだったりする。

               にしてもあまりに大人げない。頃合いを見計らって女児のために場所を空けてもらうよう頼もうかと思ったが、鳴滝駅に着いた途端、猟犬フォトマダムたちは何にセンサーが反応したのか、慌てて降りて行った。解決。

               さてくだんのトンネルというのは、想像したよりは短かった。こんなものか。EOSのおじさんに首尾を尋ねると、このまま次は仁和寺ですよと意気込んでいた。このため何となく俺はおじさんを見送り、仁和寺の次の龍安寺駅で降りた。たまたま降りただけなのだが、この駅の桜の方がはるかに見ごたえがあるような・・・。

              チューリップも楽しめる。
               どうせ混み合う名刹に行く意欲もなく、そのまま引き返し、四条通で本屋を覗いて京阪に揺られることにした。鴨川べりにもそれなりに桜があるようで、こちらも人が多い。

              日本で1、2位を争う風流な喫煙所

              国際化しておる。

              どちらかというと隣の見事に桜色なパンツに目が行く。
               普通電車に揺られながら読書と昼寝、という贅沢な時間を過ごすつもりが、ほとんど寝入ってしまった。そういえば天満橋にも桜があったっけ。昔は仕事でしょっちゅうあのあたりを通っていたので、個人的にはなじみ深い桜並木がある。


               日を改めて、出張。早めの新幹線に乗って、仕事の前に桜見物をした。福山城の桜を眺めるが、こちらはあちこち散発的に植えられている印象。昔仲間内よくやっていた大阪城の花見を思い出すにつけ、あの城はやはり天下人の居城なのだなあと感心することしきり。聞くところによると、大阪城敷地内は切り売りされて、最近大きな開発が始まっているらしい。徳川軍に内堀を埋められて以来の受難であるが、それでも余りある敷地を有している。ということは二三匹めのドジョウを狙う連中もいくらも出てくるのかもしれないが。

              右は由利公正像。橋本左内はすでに大河に登場したが、彼の出番はありやなしや。

               仕事的に怒涛の3月が終わったこともあり、帰省。久しぶりに地元の桜を見ることにしよう。関西よりちょっと遅いはずだし。
              我が故郷は、市内の真ん中を流れる川の堤防に、見事な桜並木がある。結構な距離にまたがっているのでなかなか壮観である。法規制で、現在はこのような堤防の桜並木は作れないらしいから、年々珍しい存在にもなっているといえる。

               高校生のころは、下校時にこの堤防の上を自転車で走ったものだった。いつか女子と青春な二人乗りが出来るのかと夢見たが、現実には幹の陰から棍棒で武装したヤンキーがカツアゲに現れる悪夢と遭遇するだけだった。
               休日なので家族連れでにぎわっており、さすがに武装集団の出番はない。人は多いが、押し合いへし合いにはならないのが地方都市のいいところである。しかし、人の密度も高くないと同時に、花の密度も低くはないか? 高校生のころの記憶だともっとトンネル状になっていたはずだが、花のつきが悪い印象。豪雪の影響か。それとも木が老齢になってきたからか。

              水仙も楽しめる。


               しかし実家の近所の桜並木は元気だった。同じく幹が総じてかさぶたようになっている老齢の木ばかりだが、こんもり花をつけておる。


               それでもののついでに、車で5分もかからないところにある桜並木を見に行ったのだが、こちらはまだ咲いていなかった。不思議。


               


              サンクな男

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                 朝、出勤中の電車内でふと旧友に似た男を見かけた。なんせ15年ぶりくらいだ。当人かどうか判断がつかない。
                 人の顔を判別するのは得意な方で、例えば梅田の人込みで知り合いに気づいた、なんてことは結構ある。その人全体の雰囲気が群衆の中から浮き上がって見える、といえばいいのか。だけどこういうケースもある。


                 知人男性B氏は、頻繁に会っていた当時で30手前くらいだったと思うが、若いのにすっかり禿げあがって、その代わりといっては何だが、立派なヒゲを蓄えていて、要するにインパクト大な外見だった。去年だったか一昨年だったか、十数年ぶりに某駅でそれらしき外貌の男性を見かけて、あれはまさかB氏ではと思ったのだけど、当時あれほどインパクトのあった外見も、40も過ぎると割とフツーになってしまうようで、ついでになぜこんな駅にいるのかの合理的説明も思い浮かばず、まったく確証が持てなかった。後で共通の知人に聞いたら、その辺の出身だからいても不思議ではないとのこと。何年も前の風聞で海外にいるようなことも聞いていたしで、勝手に東京か海外にいるものと思っていたのだった。

                 

                 これは知識が邪魔をしたケースだと思うが、さて目の前の旧友である。
                 確証が持てないという以上に、なかなか気づかなかった。ぼけーっと椅子に座っていて、向かいに座る乗客はさっきから視界に入っているのに何も思わず、ずいぶんとしてから、あれ?となった次第だ。最後に会ったときの記憶と、今の目の前にいる人間との間に差異があるからか。

                 以前よりちょっと贅肉がついている印象がある。そのせいかどうか、他人の空似という感触の方が強い。ずっと会っていないから、覚えているようで、その人が持っている雰囲気のような部分を色々と忘れてしまっているから確証が持てないのだろうか、などと推測する間、彼はずっと寝ている。もしかすると先に俺に気づいて、寝たふりをして面倒を避けているのかもしれない。別に金の貸し借りがあるわけではないが。

                 

                 すると彼の頬に見覚えのある線があるのに気付いた。傷跡なのか何なのか知らないが、彼は頬に線が入っていて目の前の男にもそれがくっきりと見える。記憶と重なったというよりは、見た瞬間思い出したような感じ。顔をまじまじ見ても、あいつこんな顔だったっけ?と記憶がグラグラしていたのが、何気ない身体的特徴でピンとくるというのもおかしな話だ。遺体の身元確認じゃあるまいし。などと考えていたら、寝ている彼が喉を「ん゛」と鳴らす。昔から呼吸器系がよくないのか、これもまた覚えのある彼の癖で、2つ揃えば完全に確定である。


                 それで声をかけそびれているうちに彼は途中で下車した。同じ電車を利用しているのなら、もしや何度目かの邂逅で本日ようやく気付いたのかも。我ながら薄情だ。しかし頬の線に「ん゛」で確証を得るってのもおかしな話だ。その人をその人たらしめる要素って、もっと大事なことであってほしいものだ。俺の場合何だろう。喉仏に生えてる毛かな。


                新水俣で親身にマターを考えた(友人もいると尚よし)

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                   取材という名の観光、というよりは社会科見学その2。今日は仕事前に、新幹線に乗った。20分超で新水俣に到着、下車した。
                  九州新幹線は、既存の駅とつながらない「新〇〇」という駅だらけだ。何もないところに新駅を作っているから、予想通り駅前には国道があるのみ。コンビニがあるところがさすが新幹線というところか。駅舎の立派さと周辺の殺風景さは、まるで中国の新駅である。バスが来る前の間、客のいない土産物屋を見物していると、饅頭がばら売りしていたので、かるかん饅頭を一ついただいた。美味い。


                   雪が舞う中、ようやくバスが現れ、山村のようなところを走り抜けると、水俣市街が現れた。ひなびた街なのだろうが、駅しかないようなところにしばらくいたので、やけにアーバンな印象を受けた。バスの窓ガラスが全部スモークなので、写真を撮る気が起こらないのが残念。

                   

                   やがて海が見え、バスは「エコパーク」という広大な埋め立て地へと進んでいく。道の駅があり、グラウンドがあり、貨物の荷上場のようなところがあり、とにかく広い。これの何がどう「エコ」なのかというのがミソである。

                   エコパークをずんずん進んだところでバスを降りた。ここにあるのが、水俣病資料館である。入場無料。広さは西南戦争資料館と同じくらいか。パネル展示がメインで、この公害病の発覚から検証、認定に至る歴史を解説している。ある1つのテーマについて詳しく知るとき毎度思うことであるが、教科書程度の認識には、実際の紆余曲折や費やした時間の長さが欠落していることを痛感させられる。格闘した人がおり、別の理屈に依拠して牾米瓩靴真佑おり、さぼった人がおり、そうしていくつもの思惑がぶつかりあってすれ違って、ありえたかもしれない分岐点を正解もしくは不正解の側に通過して、今のこの結果があるのである。水俣病に限らず、同じような格好で翻弄され尊厳を毀損された人々は歴史の中にたくさんいて、水俣病について詳しくなくても、そういう悔しさを想像できる程度には己も勉強してきたのだろう。患者の人々の顔写真を並べたパネルにぐっときてしまった。

                   

                   ところで水俣病といえば、ユージン・スミスが有名で、ちょうど生誕百周年でもあるが、館内には展示がない。権利関係のことか、事情は知らない。一番有名な写真(社会の教科書にも載っていた入浴のやつ)は、互いの遺族の話し合いで非公開にしたらしい。過去に展覧会で見たことがある。一番印象に残っていたのは、さして有名ではない「怨」の旗が翻っている写真だったが、その旗を展示で見れたのはちょっと興奮した。ちなみにユージン・スミスは重ね焼きとかトリミングとか、作り込みを写真に積極的に適用したことで知られる。そうすると「水俣の真実」みたいな部分と、どう折り合いがつくのか、最初に聞いたときは、ちょっと困惑してしまったものだった。その点で「客観報道」などと、受け売りレベルでスカしたようなことを言う立場には強烈なカウンターとなっていて、とても魅力的な写真家だと思う。

                   外に出ると海が見える。チッソが排出した汚泥を処理するために埋め立てたのがこの公園で、かつてはここが水俣湾であり、だから名前が「エコ」ということのようだ。ぱっと見、各地によくある(大阪にもある)失敗した臨海開発夢の跡、みたいな場所に見えるこのむやみな広大さが、ある意味最も強烈な狹玄┃瓩世隼廚辰拭3い鮓下ろすと、荒天の影響で波がしらが立っていて、まるで日本海のようで怖い。

                   

                   1時間に1本もないバスに乗り、熊本に戻った。昼食は太平燕。昨夜は有名店でラーメンを食うも、やはり麺が受け付けず気持ち悪くなってしまったが、こちらは春雨なので存分楽しめた。

                   

                   そうして仕事に向かい教壇に立った。昭和史の新興財閥が出てくる辺りで、「そのひとつがチッソの前身日窒コンツェルンです」と余談を披露したが、ちっそも何の反応もなかった。耳タコだから聞き流された、ということにしておく。


                  病み上がり出張

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                     出張で九州。天気予報が「荒れる」と警告しているので遅延に怯えながら乗車したが、早速「電線に飛来物が」とのアナウンス。ただし1時間以上前の話だったので数分程度の遅延ですんだ。

                     

                     しかし、寒い。予報では関西より格段に気温が低いと出ていて、案の定雪もちらついている。でも積雪がないのはなにより。というのも、これからレンタカーに乗るからである。会社に頼んで早めの列車にしてもらい、先に取材という名の観光をする魂胆である。
                     向かった先は西南戦争資料館。まんまと大河に乗っかったお上りさんになってしまった。おそらく西南戦争は48、49話くらいの扱いになるだろうから、ずいぶん先取りしてしまっているが。

                     

                     ここはホームページの案内も車で来ることを前提にしているほどアクセスはよろしくない。熊本市内から小一時間ほど北上すると、田園地帯が現れ、やがてナビは山道へといざなう。どうやらここが有名な田原坂付近らしい。ところが、借りた車に搭載されているこの案内係は「目的地」の片鱗も伺えない辺りで「目的地周辺です、案内を終了しますブチッ」とガイドを放り投げてしまった。ナビってこんなんだっけ?
                     そうしてまんまと道を間違えたらしい。田原坂の「三の坂」「二の坂」と下るうち、絶対反対方向だったと確信したが、何せ道が狭いし退避スペースもないしで進むしかない。結局「一の坂」を下ったところにある駐車場のような場所でようやく引き返すことができた。

                     それにしてもなかなかの急坂である(わかりにくい写真しか撮れなかった)。沿道には竹が生えているので気にならないが、道路の下は急崖で、ガードレールもない。対向車が来ると結構怖い。いや、対向車はほとんど来ないようなところだが、全体的にどこかしら怖いというか何というか、とにかく独特の雰囲気がある。ここで激戦があったという知識による後付け作用でそう感じるのか。それとも、激戦の残滓は百年そこらでは消えないのか。しかし、なんでこんな狭いところに進軍したんだ、というのは現代人の発想で、たどり着いた資料館の説明によると、当時、付近では最も道幅が広いルートだったとか。

                     

                     話が前後したが、坂を戻り、反対方向へ行くと、広い駐車場にたどり着いた。この田原坂公園の一角に資料館はある。
                     小ぶりな建物で、展示資料はさほど多くもないが、なかなか面白かった。薩軍寄りの説明記述をしているような箇所もありつつ、そうでもない箇所もありつつ、この揺らぎが西南戦争の特徴を表しているようにも思う。

                     何せ狒蔚稔甍靴い気譴討い訶殍訛Δ割れて戦った戦争だ。「抑圧頑迷閉鎖的矛盾だらけ幕藩体制を、開明派の若者たちが打倒した」。「竜馬がゆく」だとこの爽快な図式で物語を閉じるから安心していられるが、その後はこの図式が当てはまらない。旧武士を率いて挙兵したのだから、守旧派の反動勢力と見なすこともできる。「八重の桜」で格好いい役どころだった元会津藩士の山川大蔵は、政府軍の軍人として「今こそ戊辰の恨みを」と奮闘したとか何とか、何かの本で読んだ覚えがあるが、どっちも元あんたの敵だし、何なら旧武士勢力という点で薩軍の方があんたの側だろと混乱してくる。

                     

                     ついでに西郷自身も、時代によって評価は二転三転しているようで、旧武士を率いて挙兵した守旧派とみなされた時期もあれば、資本主義による富の独占を嫌い、原子共産主義に近い考え方を持っていた点でもって革命家と持ち上げられた時期もあるそう。発想としてはポルポトと重なってくるから、すっかり流行らない持ち上げ方である。思想はさておいても、かならずしも太陽のような人ではないという描かれ方が昨今は主流で、「八重の桜」でも謀略家的側面が強調されていた。まあとにかく、とらえどころの難しい人であり、戦争であったということだろう。維新の志士を気取る輩が総じて胡散臭くて信用ならんのは、捉え方が「竜馬がゆく」止まりだからだ。彼らは往々にして「ぶっ壊す」の爽快さしか見てはいない。さて「西郷どん」はどうなるのだろう。今のところは青年期の実直な全力男として描かれているが、その後変わるのか変わらないのか。

                     館の外には展望台のような広場があって、戦場が一望できる。館のある側に薩軍がいて、向こうの山から官軍が攻撃した。隣には慰霊碑があって、死者の名前が両軍とも刻んである。ちょうど行きの新幹線の車中で「征西従軍日誌」を読了していた。西南戦争に従軍した一巡査の日記で、まるで朝顔の観察日記がごとく、ろくに感情を交えず淡々と事実の記録をしていた我が母親の育児日記のごとく、冷静な筆致が面白い本だった(漢文書き下し調なので、慣れるまでかなり読みにくかったが)。そんなものを読んだせいで、刻まれた名前一人一人に、なんとなく体温を感じたのだった。


                    滑って転んで寝正月

                    0

                      伊吹山。車窓から撮ると電線が邪魔っすなあ。

                       

                       年末に帰省すると駅前の広場に仮設のスケートリンクができていて、たいそうな賑わいである。受験を控えた姪に、「先にスベっておくか」と冗談半分で持ちかけると「行く」との返答。「やったことがないので」という理由である。彼女は兄の娘らしく全体的に保守的なのだが、兄と違ってたまに予想外にチャレンジ精神旺盛なところを見せる。そういうわけで連れて行くことにした。


                       義姉が「あんた滑れるの?」と聞いてきて、「わからない」と答えた。実のところ、脳裏には、学生時代に何度か訪れ「見た目の印象より簡単だな」と思った記憶がよみがえっていたのだが、慎重を期して誤魔化した格好である。この判断で正解だった。
                      実際リンクに立ってみると、あれは記憶の美化/捏造だったのかというくらい滑り方がよくわからなかった。派手にすっころんだし。そのうち疲労で脚が動かなくなった。右足を踏み出して滑ろうとしても左脚がついてこないので、コンパス状態でくるくるその場で回ってしまう。

                       

                       一方の姪は、「怖い」となかなか外周の手すりを離そうとせず、そのくせ根気強くカメの速度で周回していた。その根性は大したものだ。

                       

                       そうして正月を迎えると、胃腸がおかしくなってついでに熱を出し、医学的に寝正月だった。スケートで転んだことは無論、関係なかろう。正月は油断すると寝込む、という自身の学習を、加齢が追い越している印象である。

                       

                       姪は熱心に勉強していた。第1志望校の判定は現在のところ芳しくないらしい。足を引っ張っているのが国語という。いわゆるすべり止めで受ける私立校の過去問を見せてもらうと、確かに簡単ではなさそうだった。何より、60分でやる分量とは思えないボリュームで、現代文は本文自体がかなり長い。難易度はともかく、長い文章とそれにまつわるたくさんの設問を、短い時間で解くことそれ自体にどれくらいの意味があるのか、ちょっと考えてしまった。

                       

                       試験なので制限時間の設定は必然だし、限られた時間の中で要領よく正解を導くという作業も重要だろう。でも現代文の場合、大意をつかむことよりは、細かい読解を要求していて、設問もそうなっている。その一方で、要領よくやらないと終わらない時間設定では、文章を読むときに、ざざっと読む、つまり「大意をつかむ」に寄ってしまうのではないかと思うのである。

                       

                       こんなことを考えるのも、人工知能の先生が提唱しているリーディングスキルテストの話を読んで、間に受けてしまっているからで、確かに「読めない」学生をしばしば相手にしている立場からすると、あの先生の言っていることは当を得ていると感じる。要は、「それ」が指しているのは何か、とか、そんなレベルのことが読み取れるかどうかで、文意をつかめるかどうかが分かれる。中高の国語の試験は大事な点をきちっと押さえているといえよう。

                       

                       これは「読めている」と思っている人も当てはまる部分があって、何より自分自身、教える立場になってみて、結構色々すっ飛ばして雰囲気で文章をつかんでいたと自覚させられた。文章は読むより書くのが難しいと思っている人も多いと思うが、そもそもちゃんと読めてないから書くのもうまくできないということではないかとも思う。

                       

                       だから、普段の読書でそんなことしねえだろ、っていうくらい細かい読解を、時間をかけてやる方が、試験としても何かと有益ではないかと思ったと、そういう話である。熱が出ているときに考えることではない。



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