新春飲酒Show

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     「黒いダイヤ」をただの正月の決まり事のように数切れ口に入れながら新年。珍しく快晴。
     ここ数年は、毎回若干値の張る洋酒を買って帰るのが習慣化している。先々月くらいに、同業の先達氏に誘われて久々にバーに行ったとき、酒道楽のこの方に薦められ、ポールジローなるブランデーをちょびっと舐めたら、まあ芳醇。これを買ってみようかしらと思っていたところ、三宮を訪れたときにやけに品ぞろえの豊富な酒屋と出くわし、早速物色したら、置いていた。


     うーん、しかしさすがに値が張るね。価格に若干たじろいで、今回はまあ・・・、とあっさり方針転換。代わりにポールジローの葡萄ジュースなるものが売っていたのでそれを購入したけど、これもジュースにしては馬鹿馬鹿しいくらい高額なので、まさしくこれ安物買いの銭失いなんじゃないか?


     というような話(言い訳)を帰省して家族にしていると、「ポールジローは美味い」と兄が威張り気味に言う。知ってたんかい。
    ついでに遠方の親戚が、「みんなでいい酒でも飲め」とお年玉?を送ってきたので、近所の酒屋を物色しに行った。店頭にあった高額候補はブランデーのクルボアジェ・エクストラなんたら、スコッチの有名ブランドの上位ランクのやつなど。兄に「どれがいい?」と聞いたら、「クルボアジェは美味いぞ」と、今度はさも普通のことのように言う。知ってるんかい。


     ところで俺が三宮で買って帰った洋酒は、台湾ウイスキーの「KAVALAN」。現地でやたらと宣伝していたので多少気にはなっていた。同じ店にいた会社員2人組が、こんだけ品ぞろえ豊富なのに、「えー、竹鶴これしかないんすか、じゃあ山崎は」などと品薄の日本製ばかり店員に質問していて、「他のこれらもウイスキーやで」と言いたくなるくらい、視野が狭かったので、日本でも英国でもなくあえての台湾がクールでしょ、とよくわからない見栄を張ったのもある。
     ただ残念ながら、価格の割に味は普通であった。マズイわけではなく、クセに乏しいのが不満というか。それでも従弟が「すげーうめー」とパカパカ飲んでいたので、甲斐はあった。


    年の瀬1

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       外形上の仕事納めで、某私大へ。年に2度ほど依頼がある単発の講義で、たまにしかないので毎度担当営業の人が同行してくる。
      この若い男性とは、ことさら気が合うわけでもなく、ことさら合わないわけでもなく、つまり仕事上はスムーズに話が進む相手であるが、それ以上の付き合いや会話は特にないという間柄。なので毎回、講義前後の事務作業の打合せとか、仕事の延長線上の雑談くらいしか話したことがなかった。

       

       ところが、ちょっと前に、彼の同僚たちと話す機会があったときに、どうやらロックバンドをやっているらしいと聞いた。「詳しくは知らないが、パンクバンドで絶叫しているらしいですよ」。これは当人が「ロックバンド」にはちょっとそぐわない非常に真面目臭い、カタブツ的な印象さえある外見をしているせいだろう。反動で過剰なイメージが独り歩きしているに違いない。それにしても気になってくる。

       

       というわけで、この日、ちょっとした空き時間の間に頃合いを見計らって尋ねことにした。
       「あの・・・、ちょっと小耳にはさんだんですけど、バンドやってるんすか?」
       「はい」
       独り歩きしている噂のせいだろう。俺の尋ね方はやや慎重さ多めだったのだが、彼の返答は実にあっさりしたものだった。「大阪市内に住んでるんですか?」「はい」くらいの軽い調子。
       「どんな感じの?」
       「どう、ですかねえ、まあ、普通の感じの・・・」
       「ハードコアパンクなんじゃないかと噂している人がいたんですが」
       「まあ、ギターのやつがメタルとか好きなんで、リフがそっち系の感じはありますが笑」
       本人はもうちょっと軽めのものが好きっぽい印象で、ついでに担当はベース。ステージの中央で髪を逆立て中指を立てながら四文字英単語を絶叫しているわけでもなんでもなかった。やはり噂は噂。若干の真実を含みつつ、全体的には相違が多いのだった。

       

       それで彼と、帰りの電車もやけに話し込んでしまった。ライブの頻度や全体の技量は我らより断然上という印象なので、色々質問しつつ、今年の持論の「台湾でライブやるべし」を語りつつ。まあバンドに限らず趣味は社会の潤滑油だよね、とまとめようとしてふと考え込んだ。それは果たして本当だろうか。

       

       例えば音楽を「聴く」だけの趣味だったら、ここまで話は盛り上がらなさそう。そもそも細分化されたジャンルごとに趣味に合う/合わないがある上、年齢にもしばしば相関するから、年が離れている分あまり重なるところがなさそう。これは読書とか映画とかにも同じことがいえる。

       

       じゃあ「やる」趣味の場合はというと、草野球とかフットサルの場合、特に仕事関係の間柄だと「試合しようよ」という話になったら面倒くさいから黙っておこうという深謀が働きそうな気もする。やってないので知らないが。知ってる世界でいえば、演劇だと変な警戒心が働いて黙るというのはよくある。「映画好き」と名乗る片方がタイタニックしか知らなくて、片方が小津安全部見た人だと、互いが互いに舌打ちをする。「タイタニックしか知らなくて映画好き自称すんなよ」「うるせえよスノッブエリート野郎」といった具合。これと似たような状況を避けたがる警戒心、といえば少しは伝わるだろうか。この場合、必ずしも作品の話ではなく、立場のある誰それさんを知っている知らないというケースの方が多いかも。いずれにせよ面倒臭いので適当に誤魔化してやり過ごすことも珍しくないものだった。
       そう考えると、こうしてリラックスして話せるのは音楽の特性だろうか。などと考えつつ年の瀬。


      遠方より友来りて事業拡大の予感

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         遠方で暮らす知人の子供が関西の私立高に入るというので、久々に会った。既に推薦枠を取っているので、あとは親子の面接を受けるだけという。よほど問題のあるケース以外は合格するとはいうものの、多少の不安がよぎるのが人情というもの。「お前、明日の面接大丈夫か?」などと知人は子供を心配している。

         

         しかし、当の知人は大丈夫なのだろうか。試しに、いつも仕事でやっている面接官キャラを身にまとい、「お父さんから見て、お子さんはどのような子供ですか」と質問したら、知人は「はうあ」と息を呑んで、「えー、大変素直で元気な明るい子です」と、若干しどろもどろと答えた。
         なんやそのクソみたいな回答は!

         

         学生相手にこんなことをいうと、即始末書ものか首になると思うが、知人だから(先輩だけど)遠慮なし。
         一応解説すると、この情報ゼロの答えだといかにも「子供のことをろくに見ていない親」にしか映らないので「クソみたい」という評価になる。当の知人も時間差で気づいてにわかに顔を紅潮させ「急に聞くからじゃねえか。汚えなあ」と慌てている。同席していた別の知人が、先ほどまでの日常会話で折に触れて披露していた親馬鹿自慢のいくつかを思い出してつなぎ合わせ、模範解答を口伝している。ささやき女将かあんたは。

         

         で、翌日の本番、面接官がこの知人に尋ねたのは俺が聞いたことと同じような質問だったとか。「お前のおかげで万事うまく済んだ」と半分嫌味の謝意があり、俺こっち方面(親の面接練習)も仕事イケるなあと手ごたえを感じたのであった。


        秋晴れの日

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          こう見ると的までまあまあ遠いでしょ。

           

           地元で国体をやっていた。
           実家は、前回国体のときに、競技場建設と合わせて造成されたかつての新興住宅地である。同世代の親たちがそこに暮らし出し、同世代の子供であふれかえった。なので幼馴染含め我々は国体の子といっていい。それからおおよそ半世紀たち、単純計算でも自ずと持ち回りの順番が来る。

           

           すぐそこにスポーツパークがあるため、国体に合わせて施設のリニューアルが進められているのは勝手に目に入る。何年も前からあちこちが閉鎖されて重機が入り・・・、というのを見てきて、いよいよ今年かあというような感覚は嫌でも醸成されるのであるが、いざ開幕となると全国的な注目のなさを痛感することになる。確かに毎年どこかで必ず開かれているのだろうけど、気に留めることがないからそりゃそうだ。皆既日食みたいなものか。地球上のどこかではかならず見られる勘定になるが、日本で見れるときだけ大騒ぎになる。

           

           帰省すると、駅周辺はあちこちに結果が張り出されていたり、土産物屋が増設されていたり、会場行きのシャトルバスが発着していたりでまあまあそれなりの雰囲気だった。終了間際だったので、競技の大半は終了していたし、県内全域に会場を設けているので、競技によっては行く気が起きないくらい遠い。地元の英雄たる五輪選手が出場するバドミントンは、彼女の地元での開催だったので、距離的にいって着いたころには終わっている時間帯だった。

           

           とりあえずはアーチェリー決勝を見物するとしよう。実家から自転車を10分ほどこいだところにどういうわけかもうひとつスポーツパークがあって、そこでやっていた。五輪選手の古川が出ていたので得した気分だ。

           

           俺も国体に出たことがある。高校時代アーチェリー部にいて、マイナーな貴族スポーツにつき田舎には4校しかなくうち1つは女子だけ。必ず3位以内に入る状況だった。そんな中で他の2校が男子部員不足で団体戦をろくに戦えない状況とぶつかり、棚ぼた的に優勝した。特に俺に関しては団体戦のメンバーにも入っていなかったので棚ぼたもいいところなのだが、とにかく「インターハイ出場」ということになった。

           

           それでいざ会場についたら、あらゆる表示に「国体」と書いてある。聞けばインターハイは全く別の県でやっていて、アーチェリーは当時含まれていなかった。ただの高校の全国大会が国体会場で行われていたということらしい。結果はわざわざ書くまでもなく、「出れるから出た」以外の何者でもない。

           

           さて時を戻して、大阪対愛知の男子決勝だ。古川が10点(的の真ん中)を連発するのを、へえ〜と眺めて終了後に周辺をぶらぶらすると、各県選手の控え場所のテント群があった。よくある白いテントが林立する下にテーブルがずらーっと並んでいて、試合を終えた選手たちが弁当を食ったり茶を飲んだりしながら談笑している。そういえば自分のときも、こんなテントの下で飯食ったなあと思い出した。急に過去の記憶が生々しく甦ってノスタルジックになるあの感覚ね。ただし惨憺たる結果に「はよ帰りてー」としか思ってなかったから思い出しても全然楽しくない。

           

           再び自転車をえっちらおっちらこいでメイン会場へ。普段はフリーパスで自転車ですいーっと通れる田舎のおおらかさを体現したような公園だが、さすがに多くの門が閉じられていて、臨時の駐輪場に移動させられる。外周の柵には、特産品や景勝地などをモチーフにした47都道府県ののぼりがはためいている。地元の児童生徒が動員されたのだろうか、手書きの絵なのだが、我らの地元ののぼりは超雑なカニの絵で済まされていた。わかるぞ、その気持ち。行ったことのない県のシンボルを調べて描く作業でキャッキャ言ってる傍らで、なんで自分だけ地元やねんという不貞腐れだろう。愛郷心より未知の世界に触れることの方が圧倒的に優先される。こうして俺のようなワールドクラスの人材を輩出する土地柄なのである。

           

           桐生のお陰で9.98スタジアムとデカデカと掲げる競技場で陸上(少年の部)を見た。高校生たちか。結構親も来てる様子である。外には売店のテントも並んでいて、今時っぽく凝ったメニューのあれやこれやを売っていて、まあまあ繁盛している。その向こうには、クラスメイトの実家が営んでいるレストランの看板が見えるのだが、少しは特需に預かったのだろうか。というか、チェーンが席巻する時代にあって、特にこれといった特色もない「レストラン」がしぶとく生き残っているのだから敬服する。

           その向こうには、かつて県教委だか市教委だかの建物があったのだが、潰されて巨大駐車場になっていた。築地市場ミニ版。小さいころは子供向けの事業に参加するため何度も足を運んだ場所だから、これまでの人生で場外で一度だけ寿司を食っただけの築地よりは遥かに縁がある分、寂寥感も勝る。

           

           まあまあ大がかりなくせに特段メディアから注目もされず、それでも続いている大会というのもすごいもんだと改めて考えさせられたのだが、あえていえば「この程度」の大会でもこんだけ手間暇かかるんだから、オリンピックを考えるとなかなかの恐怖をリアルに体感できる。貴重な体験であった。


          盆備忘録

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             中学校時代の同窓会、それもオフィシャルな同窓会主催の宴に顔を出した。
             ベビーブームに伴い、当時新設された学校だった。校舎に生徒を収容しきれず、仮設のプレハブで教室をまかなっていた時代だ。クーラーもなく、今だった死者が出ている気もするが、そういうわけで学区を分けて新しく作ったのである。
             俺は新一年生で入学したから、吉本興業の芸人養成所風にいうと3期生ということになる。2年前に公式の同窓会がようやくのようやく発足したのは、この中学のずっと後輩に当たる球児が春の選抜で優勝投手になった盛り上がりに後押しされてのことではないかと邪推している。とにかく2年前に、1、2、3期生の同窓会が開催され、昨年は2、3、4期、今年は3、4、5で、要するに今年で我々年代はロケット鉛筆が如く押し出される最後の同窓会であった。

             

             2年連続日程が合わず不参加だったが、最後なので顔を出すことにした。いかにも面倒そうな作業を3年間やってくれた人々に対して、せめて出席で応える義務くらいはあるだろうという義理人情的動機が9割を占める。

             

             中学時代を幸福な気持ちで振り返れる人は世の中にどれくらいいるのだろう。なにせ思春期ど真ん中だから、未熟さが剥き出し過ぎて振り返るだけでもやりきれなくなる。俺もよくいる面倒くさい男子の典型例の1つ、自己防衛のためにひねくれてひねくれてひねくれすぎて、勝手に息が詰まってしまっているクチだった。当然、ロクな思い出がない。

             卒業式の後の最後のホームルームだったか、担任が「中学生活を振り返ってどうだったか」という質問をして、一人の男子が「性格変えたかった」と答えてクラス中爆笑していたが、俺は目から鱗だった。その手があったか、といえばいいか。とにかく進学先では己を変えようと誓ったものだった。いわゆる「高校デビュー」の類といえばそうだが、あれはどちらかというと贖罪ないしは、共産主義者のいう改造のようなものだったように思う。

             

             というわけで旧交を温めたい人間は特にいない。むしろヤな奴が来ちゃってごめんなさいくらいの感はある。当時の教員も来ると聞いていたが、体罰の横行していた時代につき、恩師と仰ぐ人も特にいない。無論、卒業後、こういう場は初めてだ。30年ぶりの再会になる。言葉は悪いが「怖い物見たさ」が残り1割の動機付けだ。
             オフィシャルなので、なんちゃら会館の鳳凰の間みたいな宴会場で開催される。学年ごとに指定された立食になっていて、胸に渡された名札を貼って遠慮気味にその辺に立っていると、「人間の顔って変わらないなあ」という懐かしい顔ぶれが揃ってきた。まあ名札があるからわかるんだろうけど。苗字が変わった女性陣は、化粧も手伝って誰かよくわからない人もちらほら。こういうときは旧姓にした方がいいのでは。いちいち「●●です」と名乗る羽目になるし、苗字が変わってない女性は余計な想像が付きまといそうだし。


             どうせ無駄だと思って卒業アルバムによる予習はしてこなかったが、「物忘れは記憶が消えたのではなく引き出しが開かなくなっただけ」というドラえもんの解説を実感した。顔と名前を見た瞬間、そういう人がいたことはすっかり忘れていたのに、一気に記憶が戻る。ただし、校歌は見事なくらい忘れていて、手渡された歌詞を見ても全く歌えなかった。どちらかというと、子供のころ覚えた歌は記憶に残りやすい素材だと思うのだが。まあひねくれていたので朝礼でもほとんど歌わなかったのだろう。

             

             とっくに地元を離れ、かつ俺の記憶力がよい方だということもあり、忘れているより忘れられている方が圧倒的に多かった。まあでも、その「忘れてるゴメン」的部分も含め、40も過ぎると、当たり障りなく和やかに盛り上がれる世間知を皆さん装着しているようで、思いのほか楽しく過ごせた。

             出席者は3回目なので少なかったが、多いよりは楽だったかもしれない。ただ教諭陣が少なかったのは残念だった。というのも、当時最も武闘派だった手足口暴力病の教員が昨年出席して「あの頃は申し訳なかった」と謝罪していたと聞いたからで、出席すべきは昨年だったようだ。

             

             どちらかというと遠慮気味になりやすい男性陣より、屈託なく遠慮なく話かけてくる女性陣の方が気を遣わず楽だった。当時は接し方がわからず、女子と話した記憶はほとんどないのに。
             その大らかな女性の1人が、すっかり忘れていたが、高校も同じだった。そしてたまたま今日、高校時代のクラス会も開かれているという。すっかり忘れていたくらいなので、彼女のクラスメイトともほとんど接点がない。だのに「この後一緒にどうよ」と誘ってくる。普通ならばアホかと一蹴するところだが、とっくにアウェイの同窓会場に来ているから遠慮を覚える理由がなくなっている。それも面白いかも、と快諾して、二次会に向かう中学同窓生たちに「後で戻る」と別会場に向かった。

             

             ちょうど中締めで、当時のこのクラスの担任と早く帰りたい人々が店を出てきたところだった。この担任というのがいかにも「進学校の名物教師」といった変わった人で、とても人気のあった人だ。俺はほとんど習ったことがないが、一つだけ記憶がある。
             2年生から理系文系に分かれる進路を選択するときのことだった。わら半紙の粗末な書類に「理系」「文系」と書いてあって、希望に〇をつけて提出する。紙と印刷がショボかったせいだろう、俺は仮希望調査くらいに勘違いしていて、まさかこれで本決まりになるとは思わず、テキトーに文系につけて提出したら、それで本決まりだという。

             これは参ったぞ、と冷や汗が出てきたのは、提出後に「理系の方が大学受験の際に潰しがきく」と知ったからだった。当時、理系の学部は大学受験に理科が2科目必要なところがほとんどだったのに対して、社会が2科目必要な文系学部は東大と京大くらいだった。そして高校の文理の別は、理系が「理科2、社会1」で、文系が「理科1、社会2」の履修。つまり東大・京大を受ける気が無ければ、理系に所属していた方が文理どちらの学部も受験できる勘定になる。そして俺は当時、何学部に行けばいいのかなどサッパリわからず、ついでに5教科とも総じて良くもなく悪くもない、まさに「ちゃらんぽらん」の漫才のような中途半端さだった。

             

             担任に「変えてくれ」と申し出ると、担当がくだんの名物教師M教諭だから「M先生に言え」という。そこでM教諭を訪ねて変更を申し出ると、理由を聞いてくる。「いやああの後考え直しまして」とか何とか適当な返事をしたのだと思うが、この先生は理由の重要性を滔々と説明した。
             曰く、文理のコース決定は校長や教頭のハンコがつく重大事だ。つまり俺の一存で変更できるわけではなく、俺が校長教頭に、こういう理由でお前の変更をお願いしますと言わねばならない。当然そこには説得力のある理由が要る。校長がなるほどと納得する理由を、いついつまでに考えろ。

             

             さすがに「決裁」という言葉は使わなかったが、大人の世界はそういう事務手続きで回っていることをお前もボチボチわかれと言わんばかりの説明だった。このオッサン、無茶苦茶言うな、と呆れつつ、なるほどそういうものかと得心したのも事実で、俺はまるでエントリーシートの志望動機のような「説得力のある理由」を考えたのだった。
             曰く、昨日NHKスペシャルの宇宙の番組を見て、もの凄く興味を覚えた。宇宙を知るには物理と化学と微積分が要る。聞けば文系は、理科が少ないだけでなく、数学も微積の入門くらいしかやらんそうじゃないですか。是非理系でこれらを学びたい。
             という話を、翌日だったか三日後だったか、正確には覚えていないが、再び教諭の前で披露すると、心のどこかで「我ながら嘘くせえ」と思っていたことも見抜かれていたのだろう、鼻で笑って「まあええわ」と手続きをしてくれた。

             

             そうして俺は、まさしく物理と微積分で躓いたのだった。微分方程式が何をやっているのか全くもってわからない。あ、俺にはこっちのドアは開けられないんだなと悟った結果、文系学部の受験を決めたら、受験前の特別補修は文系クラスに合流しろと命じられ、その補修の担当教師の一人がM氏だったから気まずいこと気まずいこと。その上落ちてるし。

             

             すっかり白髪になった以外は、相変わらず(俺より遥かに)フサフサを維持した変化のない外見を見つけ、「ややっ、どうも」と握手をした。教諭は「えーっと、誰だっけ」と記憶を手繰る渋面を作り、「もう喉元まで名前が出かかっている」くらいの演技をしている。
            「お忘れでしょうが森下です」
            「あー、覚えてる覚えてる」
             絶対嘘やろ。といいつつどこか説得力があるその物言いは、これぞ教師の凄みか。

             

             まだ何人かは残っているという座敷に足を踏み入れると、当然「?」が部屋中に充満する。かくかくしかじかで彼女に無理やり付き合わされて、などと説明して名乗ると、さすが進学校だ。一人がすぐさまアルバムを出してきて、ああ君か、いたいたこんな人と人定確認している。

             当時の俺のクラスメイトに、昭和のゴシップ好き主婦のような、人物評価と噂話の好きな男がいて、彼のおかげで概ね顔と名前は知っていた。ただし付き合いらしい付き合いはないのだが、それでも話し出すとそれなりに盛り上がったのは加齢に伴う世間知と郷愁のおかげもあるが、巷間いうところの「社会階層」が大まか同じというのもあるのだろう。ことさら話が合うわけではないが、十九二十歳以降の人格形成が似たような環境下でなされている分、話が通じやすくて楽というのは厳然たる事実として痛感するほかない。

             

             俺の場合は、会社を辞めた後、出自や経歴が色々な人々と出会える幸運に恵まれたので了見が狭くならずに済んだ(逆にそのせいで、県庁職員だの弁護士だの元高校生たちの堅実度合にクラクラしたが)。この日も短時間ながら同じような貴重な場だった。高校よりも中学の方がより一層。中学の同窓生はいってみれば、生まれた年以外には、実家がほどほど近いことしか共通点のない人々である。40も過ぎて皆さんそれぞれ地に足つけて頑張っているということもあり、改めて世間はこうして回っているのだと、普段の生活では見えない距離まで見渡せたような気になった。

             

             それにしてもあの人は誰だったっけと、何人か思い出せなかった女性陣を確認しようと帰宅後卒業アルバムを開いたら、個人写真のページには誰が誰か名前が一切記載していなかった。資料的利便性低! 会場に持参しても使えねえや。これは報道対策すか?やらかしたときに卒アル写真を晒される社会的制裁を阻止するためとか?


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               観劇。近場だと西宮と滋賀、そして津での公演がある。日程に迷っているうち売り切れになり、強制的に津に行くことになった。観劇のためにちょっと遠出。なかなか贅沢じゃないか。


               大阪から津までのルートは近鉄特急が一般的だと思うが、乗ったことのない路線でいこうと、JRで京都方面に向かった。京都は素通りして草津で草津線に乗り換える。背もたれが垂直の古式ゆかしい車両で伊賀方面に南下。車両は鄙びているが沿線は新しめの宅地が多い。ほとんどの客は貴生川で降りるがそこからさらに南下して柘植に到着。ここから関西線に乗り換える。さすがに緑が濃い。多少風も涼しくて旅行気分も出てくるのだが、それで嬉しがって写真を撮っているうちに亀山行き車両が俺を置いて出発進行してしまった。時刻表を見間違えて、もっと余裕があると勘違いしていた。

               

               次が来るのはちょうど1時間後。やってもた・・・。いい写真が撮れていれば少しは大義名分も立とうものだが、大したものは撮っていない。とりあえず外に出た。目の前に喫茶店があり、仕方がないので本来津で食べる予定だった昼飯をとることにした。火野正平がこころの風景にとうちゃこする前に、なんてことない喫茶店でなんてことないカレーを食うのと同じパターンだ。そう考えると少しは気がまぎれる。
               客が俺しかおらず、入店するなりエアコンにスイッチを入れたので長居するのも申し訳なく、食べ終わってアイスコーヒーをさっさと飲んで出た。観光案内板を見ると楽しげな史跡等いくつか書いてあるが、こういう賑やかなイラスト風地図を真に受けて「じゃあちょっと寄り道するか」と歩き出すと日が暮れる。

               

               おとなしく駅のベンチで読書しているうち汽車が来た。
               緑を切り裂いて延びる単線は、すぐにも鹿か猪が飛び出してきそう。残念ながら季節柄蝶は飛んでいない。容赦ない山中なので駅間が長いから、やがてうつらうつらとしてきて、気づいたら亀山に着いていた。
               今度は時間を間違えずに無事乗り換え。ここから先は周囲が開けて人間の営みが景色の中に復活する。途中で高校生が大量に乗ってきてすっかりうるさくなると、間もなく行く手にビルが見えて津に着いた。
               来訪するのは母親の納骨以来だ。JRと近鉄が接続する要衝ながら県庁所在地とは思えないこじんまりした雰囲気で味がある。味といえば、炊き込みご飯を当地では味ご飯と呼ぶそうだが、我が家でもそうだった。これは真宗高田派的なつながりの何かなのだろうか。
               駅前には味ご飯ではなく鰻の香ばしい煙が立ち込めていた。昼飯がカレーだったことに対してにわかに後悔が立ち込める。三重県は牛にしろ鰻にしろ、あるいは伊勢海老、真珠、とにかく値の張りそうなものが有名だが、鰻絶滅キャンペーン絶賛開催中のわが国であるから、贅沢四天王(今名付けた)の一角は、昨今なかなか大変そうである。

               

               開演までまだ相当に時間がある。俺は近鉄で一駅移動し、津新町で降りた。JRの本社エリアが違う地域まで来たのに、日常利用している私鉄に乗っているというのは不思議な気分である。さすが路線延長日本一の私鉄だ。
               さてこちらも高度成長期のような味のある駅前であるが、ここから少し歩くと城跡と官庁街がある。その一角にあるのが図書館で、熱中症の被害が相次ぐ昨今、おとなしく空調の効いた屋内で時間つぶし。の予定が、目的の視聴覚コーナーが満席だった。
               怖れていた事態が・・・、と途方に暮れてベンチに佇む間に一気に空いた。事前に所蔵をネットで確認していたある作品を見つけ出し、閲覧を申し出る。レーザーディスクという鰻より先に絶滅したメディアにつき、棚から探すといっても中古レコード屋を物色するような手つきになった。LDだと借りたところで見れないから必然ここで視聴することになる。というかそういう事情のせいだろう、そもそもLDは貸出禁止でついでに俺は市民でも通勤者でもないので借りれない。だが肝心の図書館の再生機械はいつまでもつのだろう。

               

               2時間40分の大作である。LDだと収まらないから3枚組になる。3枚目に移ったところで、時間があやしくなってきたのと疲れたのとで視聴を終了した。自分で操作するのではなく、すべて係の人がやっているので「こらえ性ないんかい」と思われていそうで申し出るのがやや恥ずかしい。だけどヘッドホンなので耳が痛いし、椅子も普通のただの椅子なので映画館のようにはいかない。
              そのころ国会では、枝野幸男が同じく2時間40分の長広舌を披露していた。フィリバスターというには短いのかもしれないが、少なくとも図書館で視聴できる時間より長い。我ながら情けない。いや時間が迫っているのだから仕方がないじゃないか。

               

               津まで戻ってバス停へ。すでに演劇ファンと思しき風体の人々(第七藝術劇場に来る層と概ね一緒の風体)であふれだしている。特にこの西口の駅前ロータリーは主要駅とは思えないくらいロータリーが狭苦しい。夕方のラッシュと重なりバスが現れても一周して乗り場に来るまで時間のかかること。ようやく乗り込み宅地を抜け、でかいコンクリート群に到着した。地方都市でよくある文化ゾーン的な再開発であろう。博物館だのホールだのが林立している。少々複雑な構造をしている巨大な建物の奥に、目的の中ホールはあった。


              手作業

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                 仕事で来ているワイシャツが、総じて古くなってきた。擦り切れとか型崩れとかが目に付く。それで何枚か買うことにした。夏のノーネクタイが定着している昨今、ネクタイなしでもサマになるシャツを選ぶわけだが、相変わらずボタンダウンが嫌いで、色シャツも汗が目立つので敬遠。自ずと選択肢が絞られるわけだが、なぜかボタンダウン以外の白シャツはボタンも白いのが多い。ネクタイなしだと白シャツに白ボタンは締まりがない気がして、そうすると自分で換えるしかない。シャツを買った足でユザワヤに向かい、ボタンを物色することになる。ポイントは、ボタンの色だけでなく、付ける糸の色との組み合わせが生じるところ。例えば濃紺のボタンにオレンジの糸でつけると、アストロズみたいで格好いいじゃないか。


                 なぜこういうお金をもらえるわけでもない地味な作業は向きになって集中してしまうのだろう。全部で5枚ほどのボタンを付け替えた。我ながら何をしているのだろうと思いつつ、一定の自己満足も味わいつつ。
                そうして仕事にいったときに、スタッフの女性陣に「これ付け替えたんすよ」なんて言って、人は見かけによらず意外にマメな一面もアピールをする自分がなんともあさましい。

                 

                 DIYついでに、靴底も補修した。
                 人より足が疲れやすいと思っているので、先日アシックスの足を計測するサービスを受けることにした。仕事終わり等の足が臭気を放っている状態だとさすがに失礼だろうと、休みの日に直行したらば、「むくんでいる状態の方がいいのに」と口惜しそうにするプロフェッショナルオタクぶりがすさまじい係の人に感服しながら計ってもらった。

                 すると自覚している疲労症状からなんとなく予想していたが、足の骨格の角度が一部、平均値より大きくズレている点があるとわかった。それを矯正する格好で中敷きを調整してもらうと多少なりともマシになると痛感したのであるが、靴の健康側面についてとても神経質なプロフェッショナルオタク店員氏に、医者か看護婦の説教のような助言を受けているうちに感化されてきて、普段履いている靴の底のすり減りを放っておくことがとてつもない罪悪に思えてきた。疲れやすい分、補修屋に持っていこう持って行こうと考えて後回しになっていた。

                 

                 それでホームセンターに行くと、自前で出来るパテのようなものが売っている。使ってみると、補修屋ほどではないにせよ、それなりサマになる格好ですり減りが元に戻った。履き心地もずいぶん復活している。これは素晴らしいと、またボタンのごとくムキになり、持っている靴をことごとく補修した。履き心地だけでなく、直したこと自体の充足感が物凄い。なんだろうこれは。


                舌が肥える

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                   「舌が肥える」という言葉は、プラスマイナスどちらの意味だろうか。辞書でも二通り紹介されている。モノの違いがわかるようになるというプラスの意味と、好みが贅沢になるというどちらかというとマイナスの意味合いを込めた使い方だ。
                  知らないことだらけだった若いころは、前者の意味がケースとして多かった。大阪のたこ焼き、香川のうどん、高知のカツオ、どれも最初食べたときは、これまで食べたものとのあまりの違いに心底驚いたものだったが、しかしこれはモノ自体があまりに違うので、舌が肥えるという話かどうかは疑わしい。

                   

                   ここ何年かは、人と酒を飲みに行く機会がひところに比べてぐっと少なくなったため、外で何か美味いものを食う食事芸人みたいな行為は縁遠くなったのだけど、それと反比例するように舌の肥えを実感している。基本的には地味な食材についてで、これまで気にもとめなかった違いが急に気になりだすという形として現れている。

                   

                   例えば去年くらいから、俺は料理酒を変えた。これまでは、合成清酒を使っていた。いわゆる「料理酒」より安い酒である。日本酒版発泡酒みたいなもので、清酒風だが清酒ではないので税金の関係で安い。調味料だから、こんなもので構わないだろうと使っていて、長年特に不都合も感じていなかった。
                   しかし、昨年くらいから、自分で作った煮物がやたらとマズく感じ出し、原因(=マズさの味成分)を考えるに、これは料理酒のせいではないかと結論づけ、安物の清酒に切り替えた。多少値段は上がることになるが、マズいのだから仕方がない。結果、マシな味付けになった。
                   そういえばこんなこともある。納豆は、発酵のせいか、冷蔵庫に長々と入れっぱなしにしていても案外大丈夫で、消費期限ではなく賞味期限と書いてある通り、期限をとっくにすぎても昔は平気で食べていた。ところが何年前からだろう、そう昔ではないのだが、古い納豆は豆がジャリジャリして歯ごたえが気持ち悪くなるということに気づいてしまい、それ以来古い納豆が嫌いになった。昨年出張でホテルの朝食をいただく機会が何度かあったが、バイキングの納豆がまさしくそうなっていたので、二度と取らなくなった。周囲は気にせず食べている人が多いので、己が過度に神経質に思えてきていい気分はしないのだが。

                   

                   それで最近困っているのが、朝食のパンだ。朝はトーストに、その日の気分と冷蔵庫の中身によって、卵が乗ったりハムが乗ったり何もなかったりする。この食パンに対しても、昨年くらいから段々と嫌気がさしてきた。昔は業務スーパーの60円くらいのやつで平気だったが、やがて受け付けなくなり、10年ほどは大手の百数十円のやつをその日の安売り次第で買っていたのだが、それも限界が近づいているようだ。それで少々値の張るパン屋の食パンを買ってみたり、大手の商品でも若干高額なライ麦パンだの玄米パンだのを買ったりする。すぐに売り切れると評判の店の食パンも食べてみた。いずれも100何十円食パンより美味しいのだが、エンゲル係数はかさんでくる。昨今は、エンゲル係数がかさむのは経済成長の現れらしいから(これは閣議決定されてないんだっけ?)立派な行為なのかもしれん。

                   

                   それである日気づいたのは「マーガリンをバターに変える」である。元凶はパンでなくマーガリンなのかもしれない。と考えて、改めて値段に少々びくつきながらバターを買ってみたが、予想通りカチカチで塗りにくい塗りにくい。それでマーガリンと混ぜたやつを試すと、味と扱いやすさがちょうどよかった。これなら、元の食パンに戻してもよさそうな気がする。

                   

                   昔母親と買い物に行ったときに、安売りや半額シールには目もくれず、居並ぶ商品の中でも高めのもの(例えば80円の豆腐の隣にある130円くらいの豆腐)を躊躇なくカゴに放り込んでいく様子を見て、はぁ〜自分は食に関しては金持ちのボンだったのかと驚いたことがある。父親を筆頭に、気に入った商品を食い続けたがる保守的な性向のせいで、「いつもの豆腐と違う」等と文句を言われるのが面倒でそうしていたと理解していたのだが、今の俺と同じく「気にならなかったはずの差異が妙に気になりだした」せいだったのかもと想像した。つまりは、この親にしてこの子というだけのことかもしれん。


                  花鳥風月課長風月サブリミナル

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                     久しぶりに在宅仕事を何もしなくても済む休みの日が訪れ、朝から快晴だった。レジャー気分が膨張しているが、何をするのかも思いつかず、思いついたのは花鳥風月だけだった。正確には花花風花といったところか。とにかく桜の写真を撮るという、写真としては大して面白くないが何だかんだ気分は晴れやかになるお遊びに出かけた。冒頭の写真は仕事で訪れた関大の桜。大学にしろ小学校にしろ学校にはほぼ確実に桜があるものだが、なぜだかありがたみが少し下がる印象がある。最もありがたみを感じないのはマンションの敷地内にある桜だ。

                    写真は復路。始終こんな具合。

                     とりあえず京都に。京福電鉄の「桜のトンネル」というのを一度見てやろうと嵐電に乗った。結構な人手である。本線から帷子ノ辻で北野白梅町行きに乗り換えて、鳴滝から宇多野の駅間にあるらしい。車両の先頭に早速人々が陣取り出すので俺もその中に混じった。隣にはEOS70Dをぶら下げて猟犬のような目をした婆様二人組が出発前から鼻息を荒くしている。前には小学生くらいの女の子がいて、母親から借りたスマートフォンで撮影しようとしていた。


                     出発進行。窓に張り付いている初老男性がテスト撮影とばかりにEOSのもっと高そうなやつを構えてサララララとシャッター音を響かせている。ホンマのシャッター音は、携帯みたいにカシャーンとはいわないよね。俺のミラーレスはカシャっていうけど。

                     そうして一つ目の駅を過ぎたころからにわかに緊張が高まり出す。前の女児もスマホでテスト撮影しようとしたのだが、使い方がわからなくなったのか、一歩ほど後ろにいる母親に近付いて使い方を再確認していた。つまり持ち場を離れてしまったわけで、その空いた空間にすかさず猟犬婆が体を割り込ませた。戻ろうとした女児はすでにその場が奪われていることにようやく気付き、目を丸くしていた。花鳥風月に全身全霊を捧げる年寄りの執着心の物凄さを、彼女は目の当たりにしたのだった。写真撮影とは、機材でも露出でもフレーミングでもなく、第一に場所取りだったりする。

                     にしてもあまりに大人げない。頃合いを見計らって女児のために場所を空けてもらうよう頼もうかと思ったが、鳴滝駅に着いた途端、猟犬フォトマダムたちは何にセンサーが反応したのか、慌てて降りて行った。解決。

                     さてくだんのトンネルというのは、想像したよりは短かった。こんなものか。EOSのおじさんに首尾を尋ねると、このまま次は仁和寺ですよと意気込んでいた。このため何となく俺はおじさんを見送り、仁和寺の次の龍安寺駅で降りた。たまたま降りただけなのだが、この駅の桜の方がはるかに見ごたえがあるような・・・。

                    チューリップも楽しめる。
                     どうせ混み合う名刹に行く意欲もなく、そのまま引き返し、四条通で本屋を覗いて京阪に揺られることにした。鴨川べりにもそれなりに桜があるようで、こちらも人が多い。

                    日本で1、2位を争う風流な喫煙所

                    国際化しておる。

                    どちらかというと隣の見事に桜色なパンツに目が行く。
                     普通電車に揺られながら読書と昼寝、という贅沢な時間を過ごすつもりが、ほとんど寝入ってしまった。そういえば天満橋にも桜があったっけ。昔は仕事でしょっちゅうあのあたりを通っていたので、個人的にはなじみ深い桜並木がある。


                     日を改めて、出張。早めの新幹線に乗って、仕事の前に桜見物をした。福山城の桜を眺めるが、こちらはあちこち散発的に植えられている印象。昔仲間内よくやっていた大阪城の花見を思い出すにつけ、あの城はやはり天下人の居城なのだなあと感心することしきり。聞くところによると、大阪城敷地内は切り売りされて、最近大きな開発が始まっているらしい。徳川軍に内堀を埋められて以来の受難であるが、それでも余りある敷地を有している。ということは二三匹めのドジョウを狙う連中もいくらも出てくるのかもしれないが。

                    右は由利公正像。橋本左内はすでに大河に登場したが、彼の出番はありやなしや。

                     仕事的に怒涛の3月が終わったこともあり、帰省。久しぶりに地元の桜を見ることにしよう。関西よりちょっと遅いはずだし。
                    我が故郷は、市内の真ん中を流れる川の堤防に、見事な桜並木がある。結構な距離にまたがっているのでなかなか壮観である。法規制で、現在はこのような堤防の桜並木は作れないらしいから、年々珍しい存在にもなっているといえる。

                     高校生のころは、下校時にこの堤防の上を自転車で走ったものだった。いつか女子と青春な二人乗りが出来るのかと夢見たが、現実には幹の陰から棍棒で武装したヤンキーがカツアゲに現れる悪夢と遭遇するだけだった。
                     休日なので家族連れでにぎわっており、さすがに武装集団の出番はない。人は多いが、押し合いへし合いにはならないのが地方都市のいいところである。しかし、人の密度も高くないと同時に、花の密度も低くはないか? 高校生のころの記憶だともっとトンネル状になっていたはずだが、花のつきが悪い印象。豪雪の影響か。それとも木が老齢になってきたからか。

                    水仙も楽しめる。


                     しかし実家の近所の桜並木は元気だった。同じく幹が総じてかさぶたようになっている老齢の木ばかりだが、こんもり花をつけておる。


                     それでもののついでに、車で5分もかからないところにある桜並木を見に行ったのだが、こちらはまだ咲いていなかった。不思議。


                     


                    サンクな男

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                       朝、出勤中の電車内でふと旧友に似た男を見かけた。なんせ15年ぶりくらいだ。当人かどうか判断がつかない。
                       人の顔を判別するのは得意な方で、例えば梅田の人込みで知り合いに気づいた、なんてことは結構ある。その人全体の雰囲気が群衆の中から浮き上がって見える、といえばいいのか。だけどこういうケースもある。


                       知人男性B氏は、頻繁に会っていた当時で30手前くらいだったと思うが、若いのにすっかり禿げあがって、その代わりといっては何だが、立派なヒゲを蓄えていて、要するにインパクト大な外見だった。去年だったか一昨年だったか、十数年ぶりに某駅でそれらしき外貌の男性を見かけて、あれはまさかB氏ではと思ったのだけど、当時あれほどインパクトのあった外見も、40も過ぎると割とフツーになってしまうようで、ついでになぜこんな駅にいるのかの合理的説明も思い浮かばず、まったく確証が持てなかった。後で共通の知人に聞いたら、その辺の出身だからいても不思議ではないとのこと。何年も前の風聞で海外にいるようなことも聞いていたしで、勝手に東京か海外にいるものと思っていたのだった。

                       

                       これは知識が邪魔をしたケースだと思うが、さて目の前の旧友である。
                       確証が持てないという以上に、なかなか気づかなかった。ぼけーっと椅子に座っていて、向かいに座る乗客はさっきから視界に入っているのに何も思わず、ずいぶんとしてから、あれ?となった次第だ。最後に会ったときの記憶と、今の目の前にいる人間との間に差異があるからか。

                       以前よりちょっと贅肉がついている印象がある。そのせいかどうか、他人の空似という感触の方が強い。ずっと会っていないから、覚えているようで、その人が持っている雰囲気のような部分を色々と忘れてしまっているから確証が持てないのだろうか、などと推測する間、彼はずっと寝ている。もしかすると先に俺に気づいて、寝たふりをして面倒を避けているのかもしれない。別に金の貸し借りがあるわけではないが。

                       

                       すると彼の頬に見覚えのある線があるのに気付いた。傷跡なのか何なのか知らないが、彼は頬に線が入っていて目の前の男にもそれがくっきりと見える。記憶と重なったというよりは、見た瞬間思い出したような感じ。顔をまじまじ見ても、あいつこんな顔だったっけ?と記憶がグラグラしていたのが、何気ない身体的特徴でピンとくるというのもおかしな話だ。遺体の身元確認じゃあるまいし。などと考えていたら、寝ている彼が喉を「ん゛」と鳴らす。昔から呼吸器系がよくないのか、これもまた覚えのある彼の癖で、2つ揃えば完全に確定である。


                       それで声をかけそびれているうちに彼は途中で下車した。同じ電車を利用しているのなら、もしや何度目かの邂逅で本日ようやく気付いたのかも。我ながら薄情だ。しかし頬の線に「ん゛」で確証を得るってのもおかしな話だ。その人をその人たらしめる要素って、もっと大事なことであってほしいものだ。俺の場合何だろう。喉仏に生えてる毛かな。



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