【巻ギュー充棟】牙

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     「五色の虹」に引き続き、またもや著者が中国の政府関係者にホテルで陰湿に絡まれるサスペンス型ドキュメンタリーの巻となっている。必然、中国の官憲相手に記者が1人で出来ることなど皆無に等しく、前作同様取材は核心の入口でシャットアウト。当人も末尾で述べているように、大して暴けたことはない。

     前作はそれでも歴史の話なので、他の取材先、他に書けることはいくらでもあったが、今作は現在進行形のテーマにつき取材は難航を極める。なのでボリュームも薄いわけだが、取材が難しい分、明らかになることは大してなくても読ませるところは多々あった。


     ただ、この話の流れなら、日本の現状はもう少し読みたいところだ。まあ会社員だけに、そこまで自由自在には動けんわなあ。交通費が会社持ちな分、海外取材は会社員の方にアドバンテージがあるが、どうしても範囲は所属に縛られるところはある。ジレンマだな。


     人生で象牙に接した経験は数えるほどしかなく、何でそこまで重宝されるのかは正直よくわからない素材だ。ダイヤ等宝石の類も特に興味がないが、綺麗だとは思うのでまだ欲しがる気持ちは想像つく。

     印刷屋で働いていたころ、一度だけ象牙を持ち込んで印鑑を注文してくる客を見た。先代社長のおやっさんは、「これに彫ってくれ」と客が差し出した印材を目にした瞬間「象牙か、好かんな…」とこぼしていた。海外旅行の好きな人だし自然環境問題にも関心があるからなのか、それとも不正に印材を入手していた場合の面倒ごとを嫌ってか、理由はよく知らないが、爺様世代の業界人も象牙を嫌うのかという点では意外な気がして印象に残っていた。あと独特の白さは確かに映えるものがあったのはよく覚えている。

     

     博物館でも何度か見た覚えがあるが、具体的に印象に残っているのは台湾の故宮博物院にあった象牙細工である。印材にも用いられるように、象牙は彫刻等の加工に非常にマッチしているわけだが、そのせいか細か過ぎる細工が過剰で、見ていてちょっと気持ち悪いくらいだった。

     大抵象牙の美術品にはその傾向があるが、台湾のあれは(さすが皇帝の秘蔵品といったところか)とにかく突出して細密で感動ではなく不気味さに鳥肌が立った。だけど同じものを見たことがある知人は「何で?あれ最高っしょ!」と言っていたのでやはり好きな人は好きなんだな。

     撮影可だったのであのときの写真を見返してみたが、共感できなかったせいか撮っていない。参考までにこんなやつ。改めてみると「マモー」を思い出すな…。

     ちなみに象牙の美術品を展示する場合、所管官庁に届け出がいるらしく、正直展示は面倒くさいというのが内部の率直な意見だと聞いたことがある。

     

     それで先日会った親戚からは、「死んだらこれあんたにあげる」と象牙の仏像を見せられた。1/144ガンダムくらいの小ぶりなサイズ。随分昔に東南アジアのどこかに旅行にいった際購入したという。そのせいか南伝仏教風の派手なデザインでカラフルに彩色されていて、ホンマに象牙かいな?と内心疑念が湧くが、この場合、偽物であってほしいという気もする。

     どっちにしろ、触った感じはまさに骨で、母親の骨を拾ったときを思い出した。やっぱり好かん。だいたい「死んだらあげる」っていっても、美術展示同様もろもろ面倒な手続きがあるんじゃないの、と思って調べてみたら、何もなかった。

     

     まあこの親戚同様、ありがたがる人は一定数いて、その伝統産業に従事している人も存在し、という中で国際会議で異論を唱える日本の立場はそれはそれで合理性があるのかもしれないが、果たしてホントにそれが理由か?という印象はある。伝統を主張しつつ、ホンマの伝統である沿岸捕鯨より南氷洋にこだわる捕鯨のあのわけのわからなさに通じるややこしげな何か。アフリカでヤバイ橋渡りながらの奮闘をした著者には申し訳ないが、その辺のところの方がもっと知りたい内容ではあった。

     

    『牙 アフリカゾウの「密猟組織」を追って』三浦英之 小学館2019


    【巻ギュー充棟】メディアミックス大塚2冊

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       たまたま右を読んでから左を読んだのだけど、順番がちょうどよかった。左を先に読んでいたら、意味が少々わかりづらかった気がする。
       ここでいうメディアミックスは、二次創作を生み出す枠組みのようなものだ。フリー素材になったルパン三世とかドラえもんみたいなものか。キャラクター設定や舞台設定が用意されていて、ストーリーは受け手が自由に考えられる。で、出来たものを何らかの形で公開する、というような一連を指す。


       右の新書でその例として紹介されている「ロードス島戦記」は、当時リアルタイムで雑誌連載を読んでいたから懐かしんだ。ドラゴンクエストなんかのあの手の物語性のあるゲームの大元となったアメリカ産のテーブルゲームを実際にプレイして、その様子を誌上で紹介する連載だった。このテーブルゲームは、ゲームのシステム(ドラゴンクエストで例えると敵と戦うときの仕組み等)だけが決められていて、冒険する洞窟の構造とかそこにどんな敵が待ち構えているかとかは消費者側が自由に考えて遊ぶ。

       

       何千円かの結構いい値段がしたはずだが「中身は自分で考えてね」というのも結構な丸投げ商売である。それでも物語を作るのが好きな俺からすると、とても楽しそうだと思ったものであるが、中学生かそこらでそんな回りくどいゲームを一緒にやりたがる人間などいなかったから購入したところでどうしようもない(なので買ってない)。その俺にはやりようもないゲームを、この雑誌連載では大人がわいわいやっていたから羨望の眼差しで読んだものだった。

       

       ただし、やはりというか、そういう過程で出来上がっている物語には質に限界があるとみえ、割と早く飽きてしまったような記憶がある。それとは対照的に、世の中では一定の地位を獲得し、ノベライズやアニメ、テレビゲームなどの派生商品が生まれていった。そこまで人気が出たのは、おそらく連載時の挿絵が魅力的だったからだと思うが、試しにタイトルで画像検索しても、派生商品のイラストばかり出てきて、元の作家による挿絵は出てこない。これぞつまり、メディアミックスということになるだろう。

       

       著者はこの連載企画の当事者の一人だったから、ここでいうメディアミックスを生み出したという自負があったという。だが、左の書籍のタイトルにある通り、戦前の日本でも同じような行為が行われていた。それも大政翼賛会という統治者の主導の元で。ということを明らかにしていく内容である。

       

       時代とテーマが自分の卒論とうっすらカブっているので、こちらも個人的感慨に浸りながら読んだ。戦中期、漫画家が小説家同様、戦意高揚なんかに加担していったことを含む内容だったのだけど、こんな巧妙なプロパガンダを仕掛けていたことは露知らず、学生の卒論なんてその程度のものといえばそうだけど、当時の俺は何を見てたんだろうと軽く呆れくらいはする。細かい史実を詳らかにしていく趣旨なため、本書も割と論文的な内容だから、そういう点でも自分のを思い出しながら読んだ。

       20年以上前のことを引きずっているようで我ながら気色悪いとも思うが、頑張って書いたんだよ。何ひとつ明らかにしていないくだらない内容だったが、就職活動でかつての小国民だったと思しき役員のおっさんに卒論の内容説明したらやたらと食いついてきて内定くれた、くらいの御利益があったな。辞退したけど。

       

       この本が扱っている「翼賛一家」は、フリー素材のホンワカ漫画といったところか。ただしプロパガンダにつき政治臭は強烈につきまとうわけだが、それとは感じさせないかわいらしい&誰でも真似できる単純なキャラ造形になかなかの狡猾さを感じる。戦中の政権も結構やりよるなあと、新しさのようなものを感じてしまうのは、裏を返せば使い古されているはずの手法がいまだに賞味期限を失っていないといえるわけで、その点、学んでなさ過ぎと反省するしかない。

       

       面白かったのは、昨今どこの自治体でも熱心に取り組んでいる市民協働の原型がこのころ生まれたという話。市民協働とは、市政の諸々に市民にも参加してもらう活動の総称だ。地元のありようを地元民みんなで考えようという美名もありつつ、ボランティア動員によるコストカットの側面もある。学生もその重要なターゲットで、町おこしイベントの手伝いとか、高齢者のサポートとか、防犯とか環境とか分野は多岐に渡る。そういう活動に参加した結果、市役所に就職したいと考えるようになった学生と仕事柄よく関わるので、俺にとっても身近な用語だ。

       

       自らそういう活動に参加している分、頼もしい若人が多いのだけど、協働というコンセプトそのものに表裏一体な危うさがつきまとうのを感じ取るヒネたのはさすがにいない。中には「市民みんなが関心を持つように行政は導くべきだ」くらいのことを書いてくる学生も実際いるから、さすがにそこまで極端な場合は「君それやと全体主義やで」と釘を指すのだけど、そこまででなければふうんと頷くにとどめていた。しかし、単にそういう面があるというだけでなく、過去に実際そういう運用のされ方をしていた事実を踏まえると、多少は何か指摘した方が、バラエティ番組についての後悔を繰り返さないためにも必要なんだろうなと思った。

       

      『大政翼賛会のメディアミックス:「翼賛一家」と参加するファシズム 』大塚英志 平凡社2018

      『メディアミックス化する日本』大塚英志 イースト新書2014


      【巻ギュー充棟】自転車泥棒

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         読み後わってしばらく、何かをする気が失せ切ってしまった。これ自体はごくたまあること。問題は、読み終えたのがちょうど仕事の合間にできた空き時間だったことだ。待ち構える次の仕事に全くもってやる気が持てなくなってしまったというのもあるし、2時間の空き時間の前半の1時間目くらいで読了したので、残り1時間を放心して過ごす羽目になったのがなにより困った。

         

         終わりが近づいてくるとにわかに読み終えるのが惜しくなるタイプの読書は、いつ読み終えるかの自己管理が重要だ。万難を排した状況でゆったりと最終頁を迎えるべきである。なので俺がこの合間時間にやるべきことは、読書ではなくて雑務の処理、ということは重々わかっている程度の人生経験はあるはずなのだが、我慢できなかったのだった。だって、面白くもなんともない雑務と、続きが気になる本が両方手元にあったらさ。

         

         おかげで雑務の処理もできなくなったので、とりあえずは頭の中身を吐き出そうと本稿を書き始めた。仕事の観点からみれば、さらなるサボリの上乗せである。それで世評はどうなのだろうと携帯で検索したら、本書刊行からほどなくして訳者の人が亡くなっていると今更知り、読後の放心とは別種の衝撃にまたやられてしまった。テレビドラマで衝撃の結末を迎えている場面で、著名人の訃報が速報で流れるのと同じ状況。完全に途方に暮れる。


         コアな読書家か同業者でもない限り、訳者にはそんなに意識がいかないものだと思うが、本作の天野氏の場合、まず訳者あとがきが妙に印象的で、この人おもろいな…と、経歴を見たら、「あの本もこの人の訳だったのか」といった作品が並んでいて、言われてみれば訳が見事だったな、と後付けで思い始めていたところだった(俺の場合はもちろん「読みやすい」くらいしか、その技量は汲み取れない)。さらにご高齢ならまだしも、俺の兄と同年齢、つまりは「早すぎる死」でもあるから余計にびっくりである。

         

         それでネット上にあったこの天野氏の追悼記事を、にわかもにわかで沸き上がった哀悼とともに読んでいたら、この記事の筆者が「台湾関連に興味を持つと必定出くわす」でお馴染みの野嶋剛氏であった。またもや。

         

         説明順が逆になった。台湾の作家による作品だ。台湾が舞台でかつ戦前の台湾が出てくるようだ、という程度の興味で手に取った。いかにもおもしろそうな雰囲気を醸し出している装丁も多いに手伝い、半分以上はいわゆる「ジャケ買い」の類である。内容もよくわからないまま読み始めたのだけど、自転車泥棒は登場せず泥棒される登場人物ばかり出てくる。表紙のイラストからつい子供が主人公の話かと想像していたが、そういうわけでもない。帯には「消えた自転車の行方を追っていつしか戦時下のジャングルへ」旨あるが、この文面自体、まるでラリったうわごとのようで、さっぱり意味がわからない。なのでファンタジックな冒険譚なのかとも思ったが、まったくそうではない。しかし読んでみると、これは確かに「消えた自転車の行方を追っていつしか戦時下のジャングルへ」だった。実に自由自在な内容だと思う。

         

         


        【巻ギュー充棟】通史(と痛飲)

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           ストレートなタイトルと700ページ近い大部にびびっと反応してしまい、結構値が張るが買ってしまった。いつかは読まないといけないのだろうかと思っていた佐藤賢一氏の「カペー朝」「ヴァロア朝」「ブルボン朝」の新書シリーズが、この一冊で済むのだからお買い得。

           各国通史は、新書の類でいくつかは読んだことはあるが、やはり現地の人間が書いたものにはなかなか勝てんはね、と読みながら思った。といっても記述はあっさりしたもので、機械的にサクサク話は進んでいく。扱うテーマの長大さとページ数の関係からいえば簡素な記述にならざるを得ないわけだけど、それでも無性に面白い。

           高校世界史では大して習わない合間の国王(例えば頻出度Aクラスのルイ14世、16世に対して影の薄い15世など)含め、連続的に王朝をずーっと記述しているので、点で知っている歴史が線としてつながっていくのが快感なのだな。これもひとえに概略を知っているからで、高校の授業と、たまに手に取るピンポイントの歴史の新書類に感謝せんといかん。こういう連続性の中で、ジャンヌ・ダルクのような超有名人が出てくると、その特異さが際立って伝わってきて結構感動する。

           

           日本史とは異なり、よその国と地続きで、かつ中国のような圧倒的強者がいない点も面白い。そもそも始まりが、今のフランスの地にフランスとして始まるわけではない。塵が集まり、やがて太陽系の各惑星になりましたみたいな話に近い。フランス国王なる存在が生まれた後も、王家の親戚がイギリスあたりと結託して反旗を翻したり、そうかと思えば金を払って土地を譲り受けたり、犢餠線瓩諒兪がカオスで「今ヨーロッパのどこまでがフランス?」というのはさっぱりわからない。土地勘があればもう少しマシなはずだが、島国の人間には感覚的についていけない点は間違いなくあるよね。

           

           という話のつながりで、父親の喜寿祝を名目にして実質自分も飲む高級洋酒のお買い物。
           以前に紹介したブランデー「カルロス1世」のXOを店で見かけ、予算ともうまくマッチしたので購入した。たまたま立ち寄った新地のディスカウントチェーンで見つけた。さすが場所柄か、扱っている酒の種類がかなり多い。というか、新地のクラブより遥かに美味い高級酒が、同額ないしはずっと安い価格で(相場知らん)買えるやんとつい思ってしまうのは、ここのクラブに全く縁のない人生を送っている人間の発想。

           

           カルロス1世は「フランス史」ではフラソンワ1世のライバルとして登場する。男前で社交的でただし短絡的なフラソンワに対し、美男子でもなく明るくもなく、ただし政治家としてはこっちが上手だろうなというカルロス。さあてそのお味は、というと、まずこの箱の開け方がなかなかわからずまごついてしまった。まさかの磁石でくっついて閉じております。高級ブランデーはしばしばやり過ぎなくらい瓶のデザインに凝るものだが、箱からして凝り過ぎだ。

           


           仕切り直し。実家の棚の奥にしまっているブランデーグラスをわざわざ出して、トットットットという音を聞いて、さて舐める。おフランスと違ってハードな味わい(XOだから当然まろやかな口当たりだが)。色も暗いし、確かにこれはカルロス1世だ。

           

           本の話に戻る。通史ついでにこちらは二国間通史。「袁世凱」が面白かったので、同じく岡本教授の本をと手に取った。「袁世凱」とは異なり、学術色の薄い版元のカラーに合わせた講談調(?)の文章で、器用な人だと感心した。大学の先生で文章のスタイルを使い分けられる人はそんなにいないはず。

           

           日本の歴史において、中国について詳しく知っていた時代なんかまずない、という事実を、時代を追って詳らかにしていく内容なのだけど、元、明あたりの、商業を視点とした歴史の説明が面白かった。特に明は、長い割にはよく知らない王朝だしで、キーワードしか知らないことが多少はつながった印象。

           

           新書ついでに、通史でも何でもないピンポイントの歴史についての話題の新書も読了。ひたすら日本軍兵士の死のパターンとその背景が綴られていく強烈な内容。新書にしても短めの分量のはずだが、なんどかキツくなって間を空けざるを得なかった。
           兵士の置かれた劣悪な環境もキツいが、最もしんどかったのは自殺に追い込むほどいじめをするアホの上官と、それを解決する気もない上層部の残念な実態の部分。兵士の過酷な現場に比べて、やすやすと想像がつくから余計にキツいんだろう。今の社会状況が後押しする部分もあるしで。


           著者があとがきでも触れているように、リアリストを気取って簡単に戦争を口にする真正「お花畑」に対する強烈なアンチテーゼとなっているわけだけど、こんだけしんどい話だと、そりゃあ当人たちが鬼籍入りするにつれ、なかったことにするマインドは働くわなあとも思った。
           

           

          『フランス史』講談社選書メチエ2019
          ギヨーム・ド・ベルティエ・ド・ソヴィニー
          監修:鹿島茂、訳:楠瀬正浩


          『日中関係史 「政冷経熱」の千五百年』 PHP新書2015
          岡本隆司

           

          『日本軍兵士―アジア・太平洋戦争の現実』中公新書2017
          吉田裕


          【巻ギュー充棟】好きになれない人々

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             歴史を好きになる入口は、多くの場合は英雄的な人物への憧れだ。織田信長とか関羽とか坂本龍馬とかがその代表格。でも君主だの軍人だのを「好き」といえるのは、自分が何者でもなく誇大妄想を抱ける十代くらいまでのことで、大人になるにつれ、そういった支配者層に共感を抱くのは難しくなる。一方で、年の功といおうか、かつては単に勧善懲悪風味の物語としてだけ楽しんでいた史実のあれこれに対し、いいとか悪いとかではない別の尺度でもって把握することができるようにもなる。


             そうすると、「好きな人物」はいなくなる一方で、好きではない人物は残り続け、かつ、興味の対象は後者になってくる。このちっとも好きになれないこいつはいったい何者なんだ?というような疑問に駆られるような興味の抱き方である。

             

             そういう中で手に取った1つが、「袁世凱」。特に好きも嫌いもないが、良い印象はない。清朝末期の軍人にして中華民国大総統、そして後に皇帝になろうとした時代錯誤な人。といった理解。著者の岡本教授自身も、好きじゃない旨述べており、専門家でもそうなんだなというのはひとつの発見。


             「治世の能臣、乱世の奸雄」とは三国志の曹操を評した有名なフレーズだが、この袁世凱もまあまあそんな具合の人だ。科挙に受からなかったので「治世の能臣」にはなれなかった男だが、時代の激動がこいつを押し上げたのは間違いない。科挙に落ちたのに引き上げられるところしかり、一旦政争に敗れて実家に引っ込んだのにまた呼び出される辺りもしかり。とはいえ結局、その「時代」にも置いていかれてしまったんだな。

             皇帝就任の顛末は、野心が肥大化したとか易姓革命を引きずっていたとかいうよりは、「議会制って物事決まらんやん」という反発がベースにあったように説明されている。今風にいうならポピュリストだろうが、当時の西欧型近代国家建設への希求、という時流には置いていかれてしまっていたといえる。
             曹操の時代と違って、袁世凱の死後、彼の子孫が後を継ぐことにもならず、さりとて曹操にとっての司馬一族のような抜きんでた存在もいないので、群雄割拠にも陥ってしまうし、やはり曹操と大して共通点はない。まあこの20世紀は三国時代と違って中国もよりも強力な外国がわんさといるから、国内だけの争いでは済まない非常にややこしい状況だからやむなしでもあるのだろうが。

             

             こちらは余計に時代に置いていかれた高貴な家柄のお方について。奇しくも袁世凱と年が一緒。いやヴィルヘルムは早生まれなので学年は1個上。と、時代も国も違う人間に意味ない当てはめ。


             帯にある通り、第一次世界大戦の張本人のような存在につき、袁世凱とは比べものにならないくらい世界的に評判が悪い。カイゼル髭にその名を残す特長的な外貌も、悪役感の増大に一役買っている。その上、自分が超有能だと思い込みトップダウンで政治をする、くせに部下からの報告はろくに読まず、思いつきでコロコロ方針を変え、失言も多く、メディア露出で人気を稼ごうとする。こういった辺り、彼こそ元祖ポピュリストといえる。ポピュリストと異なる点は、君主の血筋を誇っている点だと思ったが、世襲議員だらけの日本の場合は割と当てはまるか。


             意外だったのは、大戦に関してはそれほど主導的存在ではなかった点。結構蚊帳の外に置かれて気づいたら亡命を余儀なくされていたというのが実態だったらしい。開戦自体にも積極的ではなかったようだ。それでも戦争になってしまう辺り、君主制の限界だったと本書は解説している。
             ただし袁世凱と違い、失脚後もこの髭男は生きながらえた。亡命先のオランダで、それなり悠々自適の生活を送った点、敗戦後に塗炭の苦しみに見舞われた庶民からすれば割り切れない事実だが、ユダヤ陰謀論に淫していたというから余計に残念な男である。

             まるで余命某ブログにドハマリする年寄りのようであるが、彼らと違ってヴィルヘルムは元皇帝であるから、ナチスも接近してくる。ヴィルヘルムにしても己の再起につながる存在だと期待して同床異夢の付き合いをするわけだが、ナチスが党勢を拡大するとあっさり捨てられる。民族共同体を掲げるナチスにとって、高貴な家柄は邪魔だからだ。世界史の試験の「間違いの選択肢」で、「ヒトラーはヴィルヘルム2世を亡命先から呼び戻し、第三帝国の皇帝に据えた」というのを見たことがあるが、だとすればどうなっていたか。想像力を書きたてられる仮定だ。

             

             そうして血筋を排除した民主主義が選んだのが、ヴィルヘルムよりもはるかに強固で危うい専制だったという後味の悪さでもって本書は終わる。混乱の時代を招く袁世凱と結果は正反対だが、こっちの方が後味は悪い。「大日本帝国憲法はドイツ帝国憲法を手本にした」と試験にもよく出るが、実際はかなり似ていないという話と、なぜ三国干渉のロシア以外がドイツとフランスの2か国なのかという話が勉強になった。

             

             もう一人、世界史で人気のない君主といえばこの男がいる。「怪帝」とは言い得て妙。世代的には上の2人より半世紀ほど前の人。ヴィルヘルムの祖父・ヴィルヘルム1世に敗れる人である。敗れて捕虜になるという末路の一点でもって暗愚確定にされているところはあるのだが、本書を読むと、馬鹿なのか有能なのかよくわからないつかみどころのなさでは上の2人をはるかに上回るという印象。その点魅力的な人物ともいえる。無論好きにはなれないが。

             

            岡本隆司『袁世凱――現代中国の出発』岩波新書2015
            竹中亨『ヴィルヘルム2世 ドイツ帝国と命運を共にした「国民皇帝」』中公新書2018
            鹿島茂『怪帝ナポレオン三世 第二帝政全史』 講談社学術文庫2010

             


            【巻ギュー充棟】運命

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               一方で隣の国の元首の自伝を読んだ。日本で刊行されたのは大統領就任後だが、韓国ではそれ以前に発売されていたので、本書は当人が大統領になる前に終わっている。想像とは少し違う内容だった。冒頭の執筆経緯にも書いてある通り、自伝というよりは「私が見た廬武鉉」といった内容だ。ただし廬武鉉と出会う前の幼少期や学生時代、徴兵時代の話もある。


               個人的には、オバマやコービンと似たようなスマートなたくましさとでもいえばいいのか、なにがしかの迫力を感じ、気になる政治家だった。特に、光州事件等、過去との向き合い方には相当な勇気を感じる。加えて大統領就任以降、日本の報道における語られ方が、いったい何に怯えているのだろうと首をかしげたくなるくらい常軌を逸している。

               

               トランプが大統領に就任したときには、必死に正常化バイアスを口にしていた人々が、少なくとも人格的にはトランプよりはるかにマトモそうな文在寅に対しては、一転まるで狂人扱いがごとくの語り方である。本当にどうかしている。そういう事情も大いに後押しして手に取った。
               この人も、ある意味チェイニーと同じく成り上がりである。貧乏な家に生まれ育ち、それでも親が教育を諦めなかったおかげで大学まで進学し、弁護士を経てやがて青瓦台の人間となる。チェイニーと違うのは、チンピラが更生したわけではないところだが、学生運動をやっていたので、警察に捕まることだけは共通している(チェイニーの場合は飲酒運転)。

               

               本書において、文在寅の原点として位置付けられている存在が廬武鉉だ。彼と共同で弁護士事務所を構えて不当逮捕や労働問題に取り組むことが大きな出発点となっている。まさしく「弁護人」で描かれた通りだが、あの映画のラストで大勢の弁護団が1人ずつ「ネ!(はい!)」と起立するいかにも演出くさいシーンは実際にあったことなのだと知った。あとあの作品で悪名高く登場する国保法は、軍事政権崩壊とともに消え去ったと勝手に思い込んでいたのだが、そうではなかったと知った。敗戦ですべて消え去った国の人間の安易な生ぬるい発想だったようだ。


               本書で語られる廬武鉉は「原理原則の人」といった具合で「実現性を考慮して妥協する」というような選択をあまりしない。文在寅はもう少しリアリストの側面があり、しばしば廬武鉉の頑固さに閉口している。ただ廬武鉉にしろ文在寅にせよ、空っぽのチェイニーと比べると、政策の是非や評価はさて置いても、理想を語る分、政治家に備えておいてほしい資質の持ち主といえる。


               ただし、自由と公平さを追求すると、モノが言いやすくなる分、異論が百出して運営は難しくなるのが印象的だった。やたらと抑圧的だったスターリンを批判したのはいいが、おかげで東欧で民主化運動が盛んになって為政者としては厄介な事態になってしまったフルシチョフを思い出した。「共犯者たち」の冒頭では、大統領に就任したばかりの廬武鉉が、報道の自由への介入につながることを嫌って、今後は記者と距離を置くことを伝えた逸話が紹介されているが、お陰で廬武鉉は自由闊達な批判にさらされることになる。


               そこへいくと、チェイニーの狎権瓩覆鵑安定したもので、理想主義者より空っぽのパワーゲーム屋の方が勝るというのも皮肉である。政治なんてそんなもんじゃん。そう知ったかぶるのは簡単なのだが、それだと有権者の興味が湧かんから、この前の統一地方選も候補者のビラを目も合わせず無視する有権者だらけになる。そう高をくくっているうちに、特定の民族の殺戮を呼びかけるようないかれた連中が議席を獲得するなんていう目も当てられない事態に至るわけで、本気で理想を語る人間はやっぱり大事だと思うよ。

               

               廬武鉉政権が実現させようとしたことのひとつとして紹介されているのが検察改革だった。韓国の検察は政権との距離が非常に近く捜査がしばしば政治性を帯びるといい、政権からの独立性を高めたいと奔走する様子が描かれている。その中で文在寅が理想像として挙げていたのが東京地検特捜部だが(韓国罵倒に淫している人にとっては大変物足りないことに、日本について言及があるのはここくらい)、まあ、買い被り過ぎだよね。東京地検なんか褒めるようだから、日本に対する認識が歪んでいると批判されるのだ。なんてね。

               

              「運命 文在寅自伝」 2018岩波書店
              著:文在寅 訳:矢野 百合子


              オチのあるフランス文学話

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                 以前に、海外の古典に関する個人的な事情について書いた。その後、何となく心惹かれたものからチャレンジしてみようと、図書館で何冊かを借りた。うち一冊がバルザック。近代以降の歴史を題材に扱った壮大な作品は、しばしばバルザックになぞらえられる。このため興味は湧くのだけど、壮大なだけに手を出しにくいのもまた事実。それで短めの作品から読んでみようと、ちくま文庫のバルザックコレクションなる傑作選的なものを借りた。

                 

                 うーん、しかし、読めん。頑張って辛抱しながらページを繰ってはみたものの、どうにもこうにも入り込めない。
                 そんな己に多少落胆しながら、この日の仕事場である某大学へ赴き、何コマか授業をした。春休みのこの時期、正規の授業がお休みなので、俺が担当する課外授業は朝から夕方までぶっ通しになる。無論、かなり疲れる。グッタリして帰ろうとしたときである。本学主催のイベントのリーフレットが並んでいる棚の中に、バルザックの文字を見つけた。どうやらバルザックについての市民講座の類のようだった。何という偶然。さらに驚いたことに、語り部の先生は学生時代にフランス文学の授業で習った教授だった。

                 

                 正確には、記載の名前にもしやと思い検索したら、本学HPの教員紹介に行き着き、そこに見覚えのある顔がニコニコしている写真がドーンと掲載されていた次第なのであるが、メッセージ欄には「バルザックの研究をしています」とある。
                 先生、そうでしたか。俺、授業受けてたんすか。
                 いかにテキトーに受講していたか。被告人、つまりかつての俺のGuiltyが証明された瞬間であった。

                 

                 ささやかな驚きを胸に秘めて数日後、全然別の要件で大学時代の友人と電話で話すことになった。そして要件について話し終えた後「実は」と事の次第を説明し、昔話を多少楽しんだついでに、ところでお前さんはバルザックは読んだことあるのかと尋ねた。

                 

                「鹿島茂が、とにかく40ページほど我慢して読んでくれ、みたいなことを言ってたので、我慢して40ページほど読んだが無理だった」

                 

                 著名な仏文研究者の名前がさらりと登場することからもわかるように、この友人は文学作品についてはかなりの読書家で、この友人が無理だったというのなら断念してよかろうという気分になってくる。

                 

                 中編の1つの序盤をかじった程度で知ったかぶりをすれば、これはつまり山田風太郎なのだろうと思った。山田風太郎には明治小説集なるシリーズがあり、長いの短いのから連作短編まで様々な形態で明治を描いている。食い詰めた旧幕臣が主役になったかと思えば、新時代に財を成した商人が主人公になったり、夜鷹の話になったり、バルザックの「人間喜劇」がごとく、あらゆる層の人物の生きざま死にざまが綴られる。実在の人物も数多く登場し、ある作品の主要キャラが別の作品ではただの脇役になるのもバルザックに同じ。

                 

                 そしてこのシリーズ、かなりの傑作もありつつ、結構退屈なのもありつつで、出来栄えは色々である。日本が舞台で戦後の文体で書かれているから多少退屈でも読めるのだけど、海外文学だったら結構難しい。さらにこのシリーズでは、わざとらしく登場する子供が実は後年の誰それ、といった具合に作者の歴史造詣の深さの誇示も随所に見られる。トリビア的に楽しめるのだけど、これは日本史をある程度知っているから「おお」となれるのであって、知らなかったらただの意味不明の脱線でしかない。

                 

                 なのでバルザックも、研究対象としては面白いだろうし、フランス史オタクならかなり楽しく読めるのだろうが、素人が手を出すのはなかなかレベルが高そうである。などと別の知識を持ち出してきて、さも知ったかのように分析する賢しらなことをこの読書家友人に語りながら、ふと手元のちくま文庫に目をやると、この本の訳者もまた、例の先生なのだった。


                 先生、そうでしたか。俺、先生の翻訳読んでたんすか。
                 この年になってまたもやGuilty確定。


                【巻ギュー充棟】82年生まれ、キム・ジヨン

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                   たまたま図書館で韓国の小説を2冊借りてきて読み始めたのだが、今一つ趣味に合わず断念していたところ、話題の本書を書店で見かけて買った。ページ数は少なめだが、背負った罪を自覚させられるような内容だったので、幾度か中断して息を吸ったり吐いたり、うむむと唸っているうちに寝たりして、ようやく読み終えた。読み終えて改めて思ったのは、これは自分の過去を振り替えさせられるからキツいだけでなく、日常の中で目にする嫌なことといちいち重なってくるから陰鬱になるのだということだ。


                   「バトル・オブ・ザ・セクシーズ」を見終わった後だけに、たまたま内容がちょっとカブった。あと「ニュルンベルク合流」から受けた印象とも少々カブった。

                   

                   タイトルにある女性ジヨン氏の半生を人物事典か冒頭陳述の身上経歴のように(で言い過ぎなら吉村昭のように)無機質な筆致で書き綴っていく内容だ。冒頭、ジヨン氏の体に他人が憑依する不思議な現象が起こり、夫が慌てふためくコミカルな様子が描かれる。このとぼけた雰囲気は、韓国のコメディ映画をほうふつとさせるが、笑えるのはここまで。いったい彼女に何があったのか、を探るため、ジヨン氏の生い立ちが時系列に沿って語られる。ここで明らかにされるのが、男尊女卑社会における矛盾だったり悔しさだったり怒りだったりである。

                   

                   儒教色が濃い社会のせいか、日本よりも男尊女卑が強い印象を受けたが、せいぜい誤差の範囲で本質的には日本も変わらない。最近でも松本人志しかり(放送に載せられないからカットする、という普段山ほどやっている作業の範疇内にあれが入っていないという感覚が凄い)「SPA!」しかり。もっと日常生活レベルでも、SNSの発達で本書に描かれているのと同種の疑問や憤りを目にすることはいくらでもあるし、それにぶら下がっている男性側の反応も、本書に出てくる景色と似たようなものだ。

                   

                   大まかには「バトル・オブ・ザ・セクシーズ」で出てくることとも重なるが、映画と違って文章は、より細かなところまで表せるから本書の方が問題提起としては余計に突き刺さる。あちらは割と男性側があからさまに敵意を持っているケースばかりなのに対し、こちらは悪意のない無邪気な女性差別が多い。そして無邪気で悪意のないケースは、わが身にいくらでも覚えがある。

                   

                   ビリー・ジーンと違ってジヨン氏は、ほとんど言い返すことができないでいるので、読んでるこちらも鬱屈がたまるという困難さもある。だからこそ、ビリー・ジーンのような女性が声を大にすることがいかに意義があり、尊敬すべきことなのだ。そう改めて確認させられるわけだが、あれは彼女がことさらに強かったり、立場があったりするから出来ることで、真似をするのはなかなか難しい。それだけに、言い返せない人が主人公の本書の方が、スカっとはしない代わりに、より共感を得そうには思う(だから売れているのだろう)。

                   

                   ジヨン氏の不可思議な症状を診断した医師の報告、という形態を取っており、記述の仕方は既に述べたように観察記録のような無機質な調子だ。ちょいちょい出典表記付きで統計データも登場するから余計にレポートか報告書のようで、ドキュメンタリーと小説が同居している格好。「ニュルンベルク合流」とカブっているというのはこういった点である。無機質な文章(案外そうでもないのだが)は、好き嫌いが分かれるところだろうが、個人的には最近、こういったジャンルの枠組みを越えるような読み物に興味があるので楽しんだ。

                   

                   


                  【巻ギュー充棟】ニュルンベルク合流

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                     正月のお供は、この前も軽く触れたこちら。
                     書店で見かけて何だか面白そうと思いつつ、鈍器のような厚さにちょっとおののいた。どうして手に取り、知ってしまったのだろうと後悔も覚えつつ、気になってしまった以上読むしかない。まあ、この前読んだ「アメリカ語ものがたり」上下巻と似たような分量であり、一冊にまとまっている分、圧迫感があるだけともいえるが、テーマがニュルンベルク裁判だから、内容の重みで体感ページ数も増すのである。


                     といいつつ「ニュルンベルク裁判に関係した内容」という以上のことを何も知らずに読み始めた。ノンフィクションなのか、歴史書なのか、それとも小説なのかも把握しないまま。書店の配架場所からいって小説の可能性はなさそうなのだが、帯に森達也が「展開はまるでサスペンス」と書いているから若干混乱する。「これは映画や小説ではない」とあるから混乱するこちらがアホなのだが、でもニュルンベルク裁判で「サスペンス」と言われると、「手紙は憶えている」のような潜伏ナチ探しのような話かと想像してしまう。で、全然違うと。


                     副題にあるように、「ジェノサイド」と「人道に対する罪」の概念の歴史が本書の大筋だ。ジェノサイドは、歴史の出来事や国際ニュースを評論する言説、あるいは映画やマンガの台詞の中でたまに見かける言葉であり、大抵は「大量虐殺」くらいの意味で使われている。
                     これはニュルンベルク裁判の前に一人の法曹人によって考え出された造語で、正確には「大量虐殺」という意味ではない。ということを本書を読んで知った。厳密には誤用とはいえ、マンガや映画の台詞でも見かけるくらいには世間に浸透した言葉、それも法律用語を生み出したのは、それだけでも大したことだ。他の候補には「エクスターミネーション」があったそうだけど、これだとそんなに知られなかっただろう。

                     

                     人道に対する罪は、日本の場合、東京裁判のC級戦犯に該当する。C級という響きからなんとなくショボめのイメージがつきまとうが、A級、B級、C級という分類は別に罪の重大性の分類ではない。これは「級」という漢字のせいで、こちらはジェノサイドと違いネーミングをややしくじった例(A類、B類とでもした方がよかったんじゃないかと、これは別の本で読んだ指摘だ)。ジェノサイド同様、人道に対する罪も、ナチスの民族浄化的発想に基づく犯罪行為を裁くための概念として考え出されたので、東京裁判ではそんなに当てはまらず、結果、日本では馴染みが薄い。

                     

                     これらの概念を生み出したラファエル・レムキンとハーシュ・ラウダーパクトという2人の伝記が本書の主軸なのだが、これだけだとただの中公新書か講談社現代新書になりそうなところ、第一の主人公として著者の祖父が登場するのが本書のポイントだ。レオン・ブフホルツというこの祖父を一応の主人公としていることにより、本書はまことに不思議な本となっている。いうなれば、歴史書とドキュメンタリーと小説がごっちゃになったような印象を受ける点、「HHhH」を思い出し、あの本同様、後半に入ってからは一気読みだった。

                     

                     


                    【巻ギュー充棟】サカナとヤクザ

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                       前日、友人と忘年会で肉をたらふく食べたら、帰宅して腹を下した。悲しい胃腸事情だ。おかげで早起きしてノンビリ座って帰省するつもりが、出遅れて混み合う特急で立ったまま国境の長いトンネルを超えると雪国であったの羽目になった。


                       肉に懲りたわけではないが、直立姿勢の気を紛らわす旅のお供はこちら。

                       発売と同時くらいに買っていて、期待通りっぽい印象だったので、こういう事態のためにとっておいた。夢中で読んでいると立っているのも大して気にならない。

                       

                       密漁の実態に迫った内容で、必然的に暴力団も絡んでくる。というわけでこのおどろおどろしいタイトルだ。こういうヤバい世界を取材したノンフィクションは、しばしば書き手に「裏社会に通じている」と誇示するかのような肩肘張った姿勢が垣間見えてそれがどうも苦手なのだが(似たような理由でヤクザ映画やヤンキー漫画も苦手)、この著者の場合、どこかちょっととぼけたような善良な感じが惹き込ませる。


                       その一方で、このテーマが取材できる時点で当たり前なのだが、かなりの人脈と機動力に圧倒されるわけだが、突撃取材一辺倒ではなく、歴史研究的なアプローチの章もあって、こちらはちょっと予想外だった。特に北方領土近海の漁の話は、領土問題の地であるがゆえに領海って何?という前提を揺さぶる問いが横たわっていて、なるほど勉強不足だったなあ知らんことはいくらでもあるなあと多少恥じ入りながら面白く読んだ。頭の片隅で、先日見た昆布漁の写真展を思い出しつつ。

                       

                       本書に興味を持ったのは、著者自身がかなり以前に自身のツイッターで、ウナギ界隈のヤバさをほのめかしていたのをたまたま見たからだった。はてそんな恐ろしい実状なのだろうと勝手に妄想を膨らませていた分、なんとなくウナギの章に拍子抜けしてしまった感もあるが、要するにこれ、書けないことがそれだけ多いということなんだろう。それを想像するとゾッとる。

                       

                       「食べてるあなたも共犯者」と帯の惹句にはあるが、これはまあまさにその通り。非合法なマーケットの存在は、それを買う一般消費者がいるから成立するわけで、だったら買うのをやめときましょかという判断は考慮されてしかるべきだろう。無論、合法的な魚介もちゃんとあるし、それを生業にしている人々がいる以上、簡単な話ではないが、高級魚介を無邪気に喜ぶ態度は少なくとも慎むべきとは思った。映画「ブラッド・ダイヤモンド」は、まさしくそんな話だったっけか。

                       

                       そこへいくと南極海の鯨はもひとつわけのわからん話だ。市場規模と政府の強気がアンバランスな点象牙に似ているが、象牙と違ってナショナリズムが沸騰しやすいのは、食い物だからか。美味いやつは非常に美味いのだけど、美味いのが提供できる店は限られているから沸騰する人の多くは美味いのを食ったことがないと推計できる。話がわけのわからん自慢に逸れてきたのでこの辺で。

                       

                      『サカナとヤクザ: 暴力団の巨大資金源「密漁ビジネス」を追う』鈴木智彦 小学館2018



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