【巻ギュー充棟】ああ月桂冠に涙

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     大坂なおみの行動が広がりを見せていて、彼女は21世紀のジャッキー・ロビンソンやトミー・スミスになっていくのではないかという印象もあり、今こそ「スゴイニッポン!」「同じ日本人として誇りに思う」の出番ではないかと思うが当然そうはならない(と思ったら、一部そういうことを言っている人もいた模様)。人類全体への問題提起なので民族性に回帰させても意味がないのだが、内弁慶の弱点をよく表しているようにも思う。

     その文脈もあり、さらに中公新書で評伝が出たこともあり、気になって読んだのが本書である。ベルリン五輪男子マラソン金メダリスト、「日本の長距離界」初の金メダリストでもあるランナーの自伝である。

     

     ソウル五輪の前に売れ行きを見込んで出版したのだろう。盧泰愚(当時組織委員長)の序文が寄せられていて、なかなか香ばしい作りになっている。資料価値以上のことをあまり期待せず読み始めたが、ライターの腕がいいのだろう、戦前の半島の様子が活写されており、ベルリン五輪での当人の戦いぶりなんかも手に汗握る筆致で、ノンフィクションとしても読ませる本だった。

     

     驚いたことのひとつは、まず孫氏の見切りの早さである。陸上に打ち込むなんて選択肢が取れそうもない貧困家庭に生まれ育ちながら、才能を見込んだ周囲の支援で人生が転がっていくのであるが、練習に専念できないと見るや、さっさとそこを辞して別の場所を探し求める。不満足でもそこで耐える、という発想は希薄で、悪くいえば実に自分勝手なのだが、そうでないと金メダルなど取れんのかもしれん。
     もうひとつ驚いたのは、ヒトラーと握手をしている点。ヒトラーはジェシー・オーエンスのような黒人メダリストには目もくれなかったのだが、アジア人とは握手したんだな。日独が接近していたから?

     

     孫氏はそのオーエンスや、五輪の記録映画を撮ったことで知られるレニ・リーフェンシュタールとも親交を深めており、やはり金メダリストの地位ってすごいんだなと思わされる。そういうわけで、「栄光のランナー」のスピンオフ作品のようにも読める。

     

     一方、日本国内での地位は低い。当時、日本国内のマラソン大会では孫氏も含めた朝鮮人が上位を占めていた。同じ「日本人」同士、内鮮一体、ともに頑張ろう、などという発想はなく、なるべく半島出身者より本土出身者中心で代表選手を構成しようとセコい画策をしていたようだ。内鮮一体なんて所詮そんなものである。

     

     大日本帝国は、朝鮮半島や台湾を国土としていた分、民族構成の多様さは今のアメリカっぽいところがある。アメリカにおける黒人は「こちらを殺してくるかもしれないアブナイやつ」とみなされ抑圧されるわけだが、当時の日本における朝鮮人は「独立を言い出しかねないアブナイやつ」といったところで、栄冠に輝いた後の孫氏は独立のシンボルになりかねないとして警察にしつこくマークされることになる。しつこく職質されるアメリカの黒人とダブって見えてしまうが、「嫌われる朝青龍」とも少し重なって見えた。

     

     BLMやそれに続く大坂を敵視する日本人がなぜ少なからずいるのか、源流をたどるとこの辺りに行きつくのではないかという気もしてくる。当時、孫氏の優勝に歓喜した日本人はそれなりにいたと思うが、彼の民族アイデンティティの葛藤に想像が及んだ人はどれくらいいたのだろう。大坂の場合、彼女が優勝したことによって、これまで彼女の棄権やBLMについて、他人事のようにしか語れていなかった報道の中にも、ようやく「自分たちの中の差別にも目を向けないといかんのでは」という意見が出始めている。その点では「同じ日本人として誇りに思う」ならぬ「あなたが日本国籍を選んでよかった」とは思う。でも日本社会が孫基禎を改めてとらえなおす、いわばそういうところから始めないといけないんじゃないのかなあ。源流はここなもんで。

     

     本書は孫氏の幼少期から始まっていている。彼の故郷は新義州、つまり北朝鮮側の町である。この時点で戦後の苦難が予想されるわけで、さて孫家はどうなるんだろうと思いながら読んだのだけど、戦後の分断については一応触れられてはいるものの、親族や知人がどうなったのかの説明がほとんどない。いかにも不自然な記述に首を傾げ、ああそうかと序文を寄せた盧泰愚の三文字を見返したのだった。まるで伏線じゃねえか。

     

     ソウル五輪に向かっていた当時の韓国がどういう社会だったかは、「1987」にしっかりと登場する。ああいう時代であれば、こういう記述にならざるを得なかったんだろうな。戦前は日本の警察に口を封じられ、戦後独立しても、やっぱりすべてを語ることはできなかったわけだ(そのあたり、中公新書の評伝を読むと書いているんだろうか。そっちを読んでからまとめて感想を書こうとしたが、とても手が回らなさそうなので本書だけで感想を書いた)。それを考えると、「怖れがあった」といいつつも大坂がしっかりと意思表示をできたことは、それだけでも大変によいことだと思えてしまう。

     

    「ああ月桂冠に涙―孫基禎自伝」講談社1985年


    【巻ギュー充棟】東欧革命1989:ソ連帝国の崩壊

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       かなり以前に書店で見かけて何となく気になっていた本をようやく読んだ。春先、コロナの自宅待機の中、読書するぞ!と思っていたが叶わず、ようやく色々ほっぽり出してかなりの大部を読了した。1/4過ぎたくらいでゴルバチョフが登場してからは一気に読んだ印象。それでも終盤でチャウシェスクが処刑されるくだりで、あれ?あの有名な裁判のシーンはないのか?と思ってしまった。改めて見返すと、序章に書いてあったのをすっかり忘れていたのだった。長い上に登場人物がめちゃくちゃ多くて濃いので、すぐに色々と忘れてしまう。


       とりあえず、ロックの正史においては壁を壊した貢献者ということになっているデビッド・ボウイもブルース・スプリングスティーンも一文字たりとも登場しない。代わりに当時のチェコスロバキアのバンドで政治犯になってしまうThe Plastic People of Universというのが登場する。YouTubeに上がっていたので聞いた。東欧的な雰囲気+共産主義時代の陰鬱な調子で、面白くはあるが、長く聞いていたいとは思えない。本書では「音楽的に優れたバンドではない」「とても革新的とはいえない」と容赦がなさ過ぎる。


       翻訳ものではしばしば見かけるから言語的特徴なだけかもしれないが、この酷評のように、本書は基本的に断定調で文章を綴っており、それが心地いい。新聞記事ではしばしば「らしい」「という」「とみられる」と断定を避ける。100%確定できないことを言い切るのは不正確になるからだ。俺もかつてそういう訓練をつまされたのでこのブログでもしばしばそういう表現を選んでいるし、文章におけるイロハのイなところはあるから、新聞に限らずジャンルによっては書籍でもしばしばそういう書き方をする。

       

       一方本書はほとんどが断定形。お前見たんかっていうくらい断定形である。めちゃくちゃ取材しているから出来る芸当だ。読んでいて心地いいのはその取材量に支えられた確かさを体感できるせいだ。まあ仮にめちゃくちゃ取材したとしてもバンドについて「優れていない」と断定的に書く勇気は俺にはないが。


       公文書+関係者のインタビュー、その他当時の記事等々で判明している事実を、時系列通り、飾り気のない調子でずーっと綴っているだけのはずなのだが、ぐいぐいと引き込まれた。無論、文章や構成のうまさがまずあるのだが、冒頭「本書はハッピーエンドの物語である」と始まっているように、共産圏の抑圧的かつアホらしい体制が、最後は崩壊することを知っているというのが大きい。吐き気や寒気しか覚えないような統治者たちが破局に向かっていく様子に続きが気になって仕方がない。最後に待ち構えるであろう大団円が、この大部の大きな牽引力である。

       

       1980年代末、俺は中学生だったから、リアルタイムでのニュース映像の記憶はある。本書の序盤でブレジネフ死後、アンドロポフ、チェルネンコと、ボスになった途端病死が続いたドタバタが描かれているが、この辺からよく覚えている。確かブレジネフは、死から発表までにタイムラグがあって(wikiによると3日)、その間ソ連の様子が何かおかしいから死んだんじゃねえかという憶測が流れたんじゃなかったっけか。事後に「実はそういう状態だった」と報道されたんだっけ? とにかく父親が「武田信玄に比べるとずいぶん短いな」と軽口をたたいていたのはよく覚えている(おそらく当時、日本の500万人くらいが同じ感想を言ってただろうな)。その後の革命状況については、もちろん大して理解していなかったものの、「何か凄いことになってるなあ」くらいは感じたものだ。その一方で、そこまで不思議な現象には感じていなかった。


       というのも当時の「政治」なり「支配」なりに対する俺の理解が、実に単純だったからである。俺は歴史好きだったので、マンガ日本の歴史だの世界の歴史だのをよく読んでいたのだけど、例えば中国史の場合、強大な権力を持っていたはずの董卓や煬帝が、家臣が裏切ってあっさり殺されハイ終了という事例がある。なのでそれと重ねて「いくらでもあること」と見ていたわけだ。

       

       ところが大人になって社会の仕組みが見えてくるにつれ、ことはそう単純ではないと感じ始める。大体煬帝だって、暗殺自体は唐突な一瞬のこととはいえ、そこに至るまでの諸々が積み重なった結果であり、子供向けに単純化された読み物で単純に理解していただけだ。ワイダ監督の「カティンの森」「残像」で描かれる恐ろしい体制を見ると、これがひっくり返るとは全く想像がつかない。

       それも戦争で外国に負けたわけではなく、市民運動で倒れていったのある。はてどういう事情なのか。こんなことが今更気になった理由は、そもそもの歴史好きに加えて、今の日本社会が当時の東欧のようになっているのではないかと、問題意識として身近になってしまったからだ。

       

       


      【巻ギュー充棟】タイムトラベル

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         以前にも読みかけ段階で軽く触れた本についての感想。「時間についての歴史」という内容といえる。おかしな表現だ。ほとんど「日常についての日記」といっているような同語反復感がある。「時間認識の歴史」といえばまだいいのか。ただ、時間という言葉・概念がそもそもかなりあやふやな代物で、「歴史」は「時間」の一部かというとどうもそうとも言い切れない様子なのだということを本書は明らかにしている。


         すでに書いたように、ウェルズが初めて描いたタイムマシンSFを出発点としている内容だが、話はSFにとどまらず、人類が時間をどう捉えてきたかについて広範に述べている。このため哲学や神学、物理学、あるいはタイムカプセル事業(「20世紀少年」にも出てくる地中に埋めて後で掘り出すあれ)のような生活史など話はフィクションだけにとどまらない。


         その一方で、フィクションにおける時間の描かれ方も色々紹介されるから、SFだけにとどまらず、「失われた時を求めて」のような古典も登場する。この、膨大な文献を集約して概観していく感じは、サイモン・シンの数学科学ノンフィクションや、ビル・ブライソンの(どう分類していいかわからない)著作群を思い起こさせる。

         

         ただし、扱うものが「時間」ないしは「タイムトラベル」という結局正体不明 ないしは可能かどうか不明な対象物につき、読み進めるほどにただただ混迷が深まるだけの印象がある。そもそも物理学とSFが同列に並んでいる本書の構成が成立するのも、タイムトラベル、ひいては時間の正体不明さによるところが大きい。
         そして娯楽フィクションの性格上、あまり詳らかに述べることができないため隔靴搔痒の感もある。例えばタイムパラドクスのくだりで「ターミネーター」が登場するが、あの映画におけるタイムパラドクスを明確に説明すると、いわゆるネタバレになってしまうのでボカして紹介している。ターミネーターなら見たことがあるので問題ないが、よく知らないSF作品も多数登場するから、本書を読むだけではわかったようなわからないようなにしかならないので少々ストレスである。書き手もストレスだっただろう(そして無論、物理や哲学の難しめの話はしばしばついていけない)。

         

         19世紀になるまで、人類には未来を夢想したり新世紀を言祝いだりする感覚がなかった、という話は以前に紹介した。そしてタイムトラベルのSFが書かれるようになってしばらくは、未来に行く話はあっても過去に行く話はなかったらしい。この辺の感覚は面白い話だ。そういえば前に読んだ別の本には、日本語の場合、「前」とか「先」には未来と過去の両方の意味があるとの指摘があった。「先のことはわからない」「前を見て歩もう」に対して「先代のころから」「前の知事は」の用法もある。そして昔はいずれも過去の意味しかなかったとかなんとか、うろ覚えなのでやめとこう。

         

         時間は、科学の世界では物体の運動や反応を説明するために、日常生活では生きるとか死ぬとか起きるとか寝るとか昼飯を食う等の「存在」のほぼ同義として用いられる概念で、ホントに時間なるものがあるのかどうかはよくわからない。この部分を読んで、俺はビッグバンを知った子供のころを思い出した。
         宇宙には始まりがある。ではその前はどうだったのかといえば、何もないという。「何もない」状態が「ある」とはどういうことなんだ。何もないならどうして「ある」が始められるんだ。じゃあ何でそもそも宇宙は「ある」んだ? 何歳ぐらいのことなのか忘れたが、こんなことを考えて物凄く気持ち悪くなった覚えがある。というか今でも考えると気持ち悪くなる。そしてこの話は本書でも俺の中でもこれ以上先へ進めない。ホーキングによれば時間が一方向に進みだしたのがビッグバンということらしいのだが、これもテレビで聞きかじったうろ覚えでしかない。ついでに本書では、時間を線的にとらえることの疑義を呈した学者たちが登場している。

         

         


        【巻ギュー充棟】ネット右派〜、歴史修正主義と〜

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           テーマ的には非常に興味が湧くが、気が滅入りそうでなかなか手が伸びないでいたところ、先に読了した知人から面白かったとの感想を聞いて背を押され、ついでに両書の著者が登壇する書評会があったので、まとめて読んだ。


           世の中の変化というのは、肌の変化や薄毛の進行と似ている。薄毛の自覚はあるのだが、基本的には昨日と同じ今日を過ごしているつもりでいる。それがあるとき「何か妙に減ってないか?」と気づく。大抵は写真に写る自分を見るときなのだが、うわ俺、こんな老けてたっけ?などと驚愕しつつ、全く身に覚えがないわけでは当然ない。ただし、毎日自撮りしているわけでもないから、いつからこうなっているのかはよくわからない。

           在特会のような武闘派的な差別者集団が現れたとき、その恥知らずぶりに驚きつつも、「不思議」とまでは思わなかった。こういうのが出てくる素地について全く心当たりがないわけでもなかったからだ。百田とか竹田とかケントとか、あの界隈の跳梁跋扈についてもしかり。大手出版社までもが差別扇動的ビジネスに手を出すことに驚きはあっても、こういう連中が一定の支持を集める土壌はそりゃすでに醸成されとるだろうとは思ったものだ。

           

           じゃあそれがいつからどうして、といわれると個人的感覚以上のことはわからない。フランス革命が起きたとき、国外に亡命した特権身分の人々は、何が起きているかさっぱりわからず深く考えようともしなかったので、あれは新教徒の陰謀だとかフリーメーソンの暗躍だとか陰謀論で片付けようとした、というのは内田樹のブログに書いてある話だが、俺もつい同じように、小林よしのりのせいかなとか、MSN産経のせいかななどと単純に片付けたくなるのでこの特権階級を嗤えない。

           

           左の黒い本は、これらの動きについてネット普及以前のころからさかのぼり、様々な場面で様々な方向性を持って現れた「ネット右派」が、離合集散を繰り返す2010年ごろまでの動きを細かく追いかけている。「ゴーマニズム宣言」を愛読する人々という、まんま身に覚えのある話も出てくるし、ネット黎明期のよく知らなかった掲示板コミュニティの話も出てくる。書評会で増田聡氏が「大河ドラマのよう」と言っていたが、確かに、そのうち信長は出てくるに決まってるのだがまだ織田信秀しか出てこない「麒麟がくる」のような射程の長さが印象的な本だ。


           そして扱う対象がインターネットだけに、史料の集めにくさが容易に想像されるから、それだけでもすげーなと思う。デジタル媒体と紙媒体ではどちらが保存がきくかというと、ハードディスクと紙の耐久性の違い、ではなく、保存する枠組みがあるかどうかの違いである。著者はインターネット黎明期から仕事と個人的興味の両方でこの界隈にかかわってきたらしいから、なかなか真似のできない蓄積がある。


           で、やはり個人的には「ゴーマニズム宣言」のくだりが、自身がまさにそこを並走していたリアルタイム感があり、身につまされつつも面白かった。まあ俺の場合は、彼が教祖的になっていく直前くらいで読者をやめているのだが。それがなぜか、という話を後述の懇親会で著者の伊藤氏に話出来たのは楽しかった。あと、右の赤い本の著者は俺より年下なので、いわば後になって「かつて流行ったマンガ」を見た世代になり、そういう人と話せたのも面白かった。「あー、雨宮処凛のパターンすね」と言われて、なるほど年下にはそうくくられるのかと知った。雨宮については黒本の方にもちらっと登場する。


           さてこの右の赤い本は、タイトルにも表れている通りもっと論点を絞った黒本に比べればずっとコンパクトな内容だ。黒本がなるべくフラットな立場からの記述を心掛けているのに対し、本書の序文はなかなか戦闘的で、若い研究者だけにさすがに勢いがあるなあという印象。書評会に登壇した著者は、この序文から受ける印象通りの風体をしていたのでちょっと可笑しかった。


           本書を読んだ多くの人が述べているが、「ディベート」のところがやはり面白く、ディベートについては個人的に思うところもあり(例えばこういうこととか)、それを重ねながら読んだ。これまた「否定と肯定」の世界であり、リビジョニストしぐさの典型として腑に落ちるところ多々である。


           もう一つは「コンバージェンス」で、こちらは大塚英志のメディアミックスの本を読んだときに感じたことを思い出した。ロードス島戦記や翼賛一家のごとく、与えられた枠組みの中でいろんな人が派生作品をせっせと生み出す。この仕組みそのものとリビジョンはよく似ている。


           書評会には、ツイッター上だけで知っている人がわんさと来ていて、オフ会状態だった。ネット上に顔出してる人は見れば、お、あの人か、とわかるし、そうでない人も、「この件に詳しい〇〇さんが本日いらっしゃってるので」などと聴衆側に司会者が振るものだから、あれがあの人か、なんてな具合で、ただの一読者でしかない部外者からするとミーハー的な気分も盛り上がるのだが、一方でこの劇団ころがる石の公演の客層のような内輪感(出演者の知人と向井の親族のみ、みたいな)はどうなんだという疑問も。同行のK氏も「今これ以上に大事なテーマなんかなかろうに、この集まり具合じゃ寂しいだろう」と言うておった。書評会で、赤本の著者が言った「やつらに〈言葉〉を与えるな」は印象的だった。


           90分2コマのプログラムで、これは普段俺が仕事で毎日のようにやっている長さなのだが、聞き手に回るとなげーし疲れるなあと感じてしまい、当然それは寝ている学生を叱れないという形で己に返ってくる。
           そうして厚顔無恥にも会の後の懇親会に参加した。両書を出した出版社の人が幹事をやっていたが、この人から「どっかの研究者」だと間違われ、それくらいには面の皮厚く平然としていたのだろう。
           ただし、研究者だらけの会だったから、飛び交う会話がその界隈のそれである。これまでの人生でも学者と酒席をともにした経験は何度かあるが、いずれも「学者と学者でない人との酒席」であったから、学者が学者の言葉そのままにしゃべることはなかった。だがこの日は研究者たちの飲み会に部外者が勝手に参加した格好だから容赦がない。聞いてるだけであまり経験のない種類の疲れに目いっぱい襲われた。

           

          「ネット右派の歴史社会学 アンダーグラウンド平成史1990-2000年代

          伊藤昌亮 青弓社2019

           

          「歴史修正主義とサブカルチャー」

          倉橋耕平 青弓社2018

           

          会の始まる前に昼飯を食べた大阪工大の食堂より。ビュッフェ形式なので多少お得感があるが、味は同大学の普通の学食の方が旨かった。景色はこんな具合で壮観。普段は迷惑にしか思わないスマホの超ワイドレンズを、初めてワイドが足りんと思った。


          【巻ギュー充棟】フランツ・ヨーゼフ ハプスブルク「最後」の皇帝

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             ウィーンの展覧会を見て、にわかに気になり読んだ。激動のヨーロッパ近代史ど真ん中の人物の評伝ながら、ほとんど「別居状態なのに仲がいい不思議な夫婦の物語」だったような気がする。この辺りが、不釣り合いに低い知名度の原因だろうか。


             オーストリア帝国の実質的に最後の皇帝、だけにとどまらず、ヨーロッパの君主制の最後を飾ったような人でもある(本書によると自称「古いしきたりに則った最後の君主」)。

             そうなった理由の一つはムガベ大統領ばりの長い長い在位期間のせいでもある。68年。それも幼児ながら即位する安徳天皇や宣統帝溥儀パターンではなく、18歳で即位しているから現代基準でも大人になってからの在位。千原ジュニアより社会に出るのが遅い。

             それで70年近く皇帝の位にあったわけだから、長過ぎである。それだけ長生きかつ身体頑健だったわけだが、それと裏腹に家族の多くは不幸な死に方をしている。自分だけぴんぴんしていて周りはしかし…、という「グリーンマイル」を地で行く人生だ(これまた本書によると自称「われは見捨てられしものなり」)。

             

             この人が気になったのは、展覧会で見た一枚の絵画だ。タイトルも作者名も覚えていないが、ドイツ語翻訳も動員して検索しまくってようやく見つけた。何のことはない展覧会のTwitter上に上がっていた。

             「宮殿の書斎」のイメージからすると割と質素な部屋で、孤独に仕事をしている姿にも哀愁が漂うが、目を引くのは壁の肖像画。そういやこの人、嫁さんが…、あれ?なんだっけ?と、前に読んだ歴史の本のうろ覚えならぬうろ忘れ。で、評伝を手にした。

             

             ざっとおさらいすると、フランツ・ヨーゼフは長らく神聖ローマ帝国皇帝を務めたハプスブルク家の人である。帝国解体後、ハプスブルク家はオーストリア帝国の皇帝を名乗るようになる。ウィーンのイメージと相まって絢爛豪華な華麗なる一族といった趣も強いが、マリー・アントワネットのように非業の死を遂げた人もいる。それが王家の常といえばそうだが、ことフランツ・ヨーゼフの近辺は不幸な死が多い。


             まず弟マクシミリアン。ナポレオン3世の口車に乗せられ太陽の国の皇帝になれるぞひゃっほーいと大西洋を渡りメキシコ皇帝に就任。ところが現地政局は混乱の極みで、聞いてたのと違う!と困惑する。まるで南米に移民したかつての日本人のような辛酸であるが、マクシミリアンの場合は政治闘争に巻き込まれて銃殺刑になっておるから、貧乏くじの引かされ方がえぐい。損失補填を知らされないまま異例の大抜擢で社長になり涙の記者会見をやる羽目になった山一證券の最後の社長を思い出してしまった。
             もう一人の弟ルートヴィヒ。エルサレムに巡礼に行った際、何を思ったのかヨルダン川の水を飲んで感染症にかかってそのまま病没。何をしとるんだ。

             

             嫡子ルドルフ。匿名で政府批判の論説を寄稿する父子の相克の王道を行く青臭い熱血漢だったが、やがて精神が不安定となり、最後は身分の低い女性と心中。氏素性のよくわからん愛人とともに、というだけでなく、ローマ教皇との関係が密なごりごりカトリックの家なので自殺自体が御法度なので二重にスキャンダラスな死になる。仕事人間のフランツ・ヨーゼフは息子の不調を聞かされても「考えすぎだ」と一顧だにしなかったほど無関心だったといい、死の原因それだろ!とつい「元次官」の事件を思い出してしまった。

             

             妻エリーザベト。通常「エリザベート」と表記されるが、本書では「エリーザベト」。ドイツ語発音だとこの方が正確。若きフランツ・ヨーゼフが見合いに赴くと、相手の妹の方にぞっこん惚れてしまいそのまま結婚した。スピリチュアル風味漂うあやしげな健康法に凝ったり、ヨーロッパ中のあちこちに勝手気ままに飛び回ったり、それでも夫婦仲は円満という辺り、アキエの影がちらつく女性である。ただし皇后なのできっちり公人を自認。旅先で「高貴な人なら誰でもよかった」というテロリスト青年に刺殺される。現代日本で「誰でもよかった」と自供する殺人犯は決まって弱い相手を狙っているので供述は全く論理的ではないのだが、このテロ犯は少なくともその点は論理的。

             

             そしてシメが、水飲み男ルートヴィヒの息子にして、教科書に出てきた瞬間死んでいるでおなじみのフランツ・フェルディナンド。嫡男ルドルフの死により次期皇帝となるも、サラエボで暗殺される。警備が薄いと警告されていたのにそのまま視察を行って死に、第一次世界大戦のきっかけとなったから、まったくもって迷惑な御仁なのだが、最初のテロで大けがをした軍人の見舞いに行く途中でやられたという経緯だから、部下思いのいい上司とはいえる。

             

             確かに「俺、見捨てられてる」と思っても仕方のない悲惨な一族である。当人の死後即位した文字通り最後の皇帝カール1世(フランツ・フェルディナンドの甥)は、敗戦後、モロッコ沖のマディラ島に島流しになり、困窮生活の中30代で死去するからこちらも不幸な死に様である。元をたどるとサラエボ事件の後、セルビアに宣戦布告を決めたフランツ・ヨーゼフの判断が帝国の瓦解につながっているわけだから、最後の引金を引いたのも当人といえなくもない。ちなみにカール1世の妻は1989年まで生き、長男も2011年まで生きた。この長男オットーは欧州統合の提唱者として有名。

             

             


            【巻ギュー充棟】オスマン帝国

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               このブログは、自身の備忘録でもある。先日、以前に自分が読んだ本について確認したくて当ブログをたどっていったのだが、確認するのに手間取ってしまった。映画に比べると、本の感想についてはタイトルの付け方に統一性がない等、記述のお約束が雑で、デジタルアーカイブとしてうまく機能していないと感じた。

               そういうわけで、いまさらながら整理しなおすことにした。とりあえず、ワッペンでもつけよう、と考えてこれがまた悩む。「著者の腕組み」というのを思いついたが、読書なのに「著者」というのもなあ。全然思いつかんので四字熟語をもじる安直な発想で済ませた。これもこれで意味わからんな。やっぱり「著者の腕組み」の方がいいかも。

               

               買ったままになっていたのをようやく手に取って読み始めたら、かなり面白くて一気に(というほどでもないが)読了した。小アジアの一勢力に過ぎなかったオスマン1世から始まり、第一次世界大戦敗北後のトルコ革命で退位するメフメト6世まで、全36人の君主を順番通りなぞっていく通史となっている。前に読んだ「フランス史」のときも思ったが、順番通りになぞっていく歴史の記述としてはド直球なこのスタイルは案外と面白いもんだ。不勉強だからだろうな。

               

               古代ならともかく、13C〜20Cまでの新しめの時代に600年ほども続いた王朝というだけで、かなり異質な存在だ。空前の大帝国という帯の惹句も決して大袈裟ではない。必然本書も、序盤は三国志か平家物語のような軍記物の感がある。特にアナトリアに一気に勢力を広げて稲妻王の異名を取るバヤズィット1世が、1代で大帝国を築いたティムールと激突するアンカラの戦いは、そういうのを好んで摂取していた中高生のころの趣味を思い出させられた。

               

               その後、コンスタンティノープルを陥落させるメフメト2世とか、最盛期と位置付けられるスレイマン1世とか、高校世界史でも頻出度Aクラスの帝王(スルタン)が登場するが、スレイマン1世のくだりでも本書はまだ中盤一歩手前である。このあと高校世界史ではろくに触れられない時期に突入していくが、「ミドハト憲法」とか、試験に出る山川世界史用語がたまに出てきて、おーつながったーと感慨深い。

               

               さて詳しくない地域の歴史を中心に見るのはヨーロッパが相対化されて面白い。中盤まではせいぜい神聖ローマ帝国と、あとは東欧の小国くらいしか登場しなかったのが、やがてイギリスだのドイツだのが現れ、ヨーロッパ世界の膨張を感じる。何より、国民国家という枠組みが、オスマン帝国視点で見ると全く異質のパラダイムの到来だとわかる。

               日本史とてそれは同じはずなのだが、島国で国境らしきものが最初からあることと、単一性の高い民族構成につき、国民国家の異質さというのがあまりピンとこない。
               一方でオスマン帝国は、イスラム帝国でありながらアラブ人ではないし、そもそもイスラム教の支配が異教徒の存在を前提としていることもあるしで、のっけからトルコ色が薄い。加えて版図がバカでかく、時代によって増えたり減ったりするので「トルコ人とそれ以外」という区別が支配層には特にない。ムスリムか否かの方がよほど重要であるが、一定の枠内で異教徒の存在も容認している。緩やかな専制と呼ばれる所以である。

               しかし、ヨーロッパ帝国主義との対決の中で、やがてトルコ人国家を構想せざるを得なくなる。それまでの500年以上の統治のあり方をとっくり見せられた後なので、ずいぶんスケールが小さくなった印象すら覚える。以前に「THE PROMISE 君への誓い」という金貸し屋みたいなタイトルの、アルメニア人虐殺を描いた映画を見て、感想もとくに書いていないのだけど、あの映画で描かれた様子も、変質していく帝国の一側面てことなんだろう。


               そのくせ支配の中枢の歴史はやたらと血塗られている。跡継ぎのたび兄弟抗争がえげつない。長子相続とは決まっておらず、一人がスルタンに就任すると残りの兄弟は全員処刑される。正男・正恩兄弟がずーっと連続している感じである。これによっていわゆるお家騒動を防ぐわけだが、これが可能なのは生母がしばしば奴隷出身だから=母親の実家が有力者ではないからというこれまた結構珍しい風習による。

               しかし、若くして死んだら断絶するリスクもあるはずだが、そうはならなかった。一方、このぞっとする風習(カズオ・イスグロ「わたしを離さないで」を思い出した)が廃止になると、病気等で若くして死に、弟が継ぐというパターンが現れるから不思議だ。そうなると当然、スルタンに反対する勢力が別の兄弟を担ごうと画策するよその国でいくらでも見かける政争が起こるから、何がいいのかわからなくなる。


               これら権力争いの中で高官たちもしばしば粛清される。以前、第2次ウィーン包囲を題材にしたB級映画を見たことがあるが、オスマン帝国軍を率いた大宰相が敗戦の責任を問われて処刑されるラストに処分が厳しすぎとちゃうかと思ったものだったが、あれがスタンダードだと知った。


               教科書を読むだけではいまひとつ理解できなかった「カピチュレーション」についてようやく腑に落ちたのと、日本人が大好きなエルトゥールル号がどうして和歌山沖にいたのかを知れた。
               

              「オスマン帝国 繁栄と衰亡の600年史」小笠原弘幸 中公新書2018


              【巻ギュー充棟】牙

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                 「五色の虹」に引き続き、またもや著者が中国の政府関係者にホテルで陰湿に絡まれるサスペンス型ドキュメンタリーの巻となっている。必然、中国の官憲相手に記者が1人で出来ることなど皆無に等しく、前作同様取材は核心の入口でシャットアウト。当人も末尾で述べているように、大して暴けたことはない。

                 前作はそれでも歴史の話なので、他の取材先、他に書けることはいくらでもあったが、今作は現在進行形のテーマにつき取材は難航を極める。なのでボリュームも薄いわけだが、取材が難しい分、明らかになることは大してなくても読ませるところは多々あった。


                 ただ、この話の流れなら、日本の現状はもう少し読みたいところだ。まあ会社員だけに、そこまで自由自在には動けんわなあ。交通費が会社持ちな分、海外取材は会社員の方にアドバンテージがあるが、どうしても範囲は所属に縛られるところはある。ジレンマだな。


                 人生で象牙に接した経験は数えるほどしかなく、何でそこまで重宝されるのかは正直よくわからない素材だ。ダイヤ等宝石の類も特に興味がないが、綺麗だとは思うのでまだ欲しがる気持ちは想像つく。

                 印刷屋で働いていたころ、一度だけ象牙を持ち込んで印鑑を注文してくる客を見た。先代社長のおやっさんは、「これに彫ってくれ」と客が差し出した印材を目にした瞬間「象牙か、好かんな…」とこぼしていた。海外旅行の好きな人だし自然環境問題にも関心があるからなのか、それとも不正に印材を入手していた場合の面倒ごとを嫌ってか、理由はよく知らないが、爺様世代の業界人も象牙を嫌うのかという点では意外な気がして印象に残っていた。あと独特の白さは確かに映えるものがあったのはよく覚えている。

                 

                 博物館でも何度か見た覚えがあるが、具体的に印象に残っているのは台湾の故宮博物院にあった象牙細工である。印材にも用いられるように、象牙は彫刻等の加工に非常にマッチしているわけだが、そのせいか細か過ぎる細工が過剰で、見ていてちょっと気持ち悪いくらいだった。

                 大抵象牙の美術品にはその傾向があるが、台湾のあれは(さすが皇帝の秘蔵品といったところか)とにかく突出して細密で感動ではなく不気味さに鳥肌が立った。だけど同じものを見たことがある知人は「何で?あれ最高っしょ!」と言っていたのでやはり好きな人は好きなんだな。

                 撮影可だったのであのときの写真を見返してみたが、共感できなかったせいか撮っていない。参考までにこんなやつ。改めてみると「マモー」を思い出すな…。

                 ちなみに象牙の美術品を展示する場合、所管官庁に届け出がいるらしく、正直展示は面倒くさいというのが内部の率直な意見だと聞いたことがある。

                 

                 それで先日会った親戚からは、「死んだらこれあんたにあげる」と象牙の仏像を見せられた。1/144ガンダムくらいの小ぶりなサイズ。随分昔に東南アジアのどこかに旅行にいった際購入したという。そのせいか南伝仏教風の派手なデザインでカラフルに彩色されていて、ホンマに象牙かいな?と内心疑念が湧くが、この場合、偽物であってほしいという気もする。

                 どっちにしろ、触った感じはまさに骨で、母親の骨を拾ったときを思い出した。やっぱり好かん。だいたい「死んだらあげる」っていっても、美術展示同様もろもろ面倒な手続きがあるんじゃないの、と思って調べてみたら、何もなかった。

                 

                 まあこの親戚同様、ありがたがる人は一定数いて、その伝統産業に従事している人も存在し、という中で国際会議で異論を唱える日本の立場はそれはそれで合理性があるのかもしれないが、果たしてホントにそれが理由か?という印象はある。伝統を主張しつつ、ホンマの伝統である沿岸捕鯨より南氷洋にこだわる捕鯨のあのわけのわからなさに通じるややこしげな何か。アフリカでヤバイ橋渡りながらの奮闘をした著者には申し訳ないが、その辺のところの方がもっと知りたい内容ではあった。

                 

                『牙 アフリカゾウの「密猟組織」を追って』三浦英之 小学館2019


                【巻ギュー充棟】メディアミックス大塚2冊

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                   たまたま右を読んでから左を読んだのだけど、順番がちょうどよかった。左を先に読んでいたら、意味が少々わかりづらかった気がする。
                   ここでいうメディアミックスは、二次創作を生み出す枠組みのようなものだ。フリー素材になったルパン三世とかドラえもんみたいなものか。キャラクター設定や舞台設定が用意されていて、ストーリーは受け手が自由に考えられる。で、出来たものを何らかの形で公開する、というような一連を指す。


                   右の新書でその例として紹介されている「ロードス島戦記」は、当時リアルタイムで雑誌連載を読んでいたから懐かしんだ。ドラゴンクエストなんかのあの手の物語性のあるゲームの大元となったアメリカ産のテーブルゲームを実際にプレイして、その様子を誌上で紹介する連載だった。このテーブルゲームは、ゲームのシステム(ドラゴンクエストで例えると敵と戦うときの仕組み等)だけが決められていて、冒険する洞窟の構造とかそこにどんな敵が待ち構えているかとかは消費者側が自由に考えて遊ぶ。

                   

                   何千円かの結構いい値段がしたはずだが「中身は自分で考えてね」というのも結構な丸投げ商売である。それでも物語を作るのが好きな俺からすると、とても楽しそうだと思ったものであるが、中学生かそこらでそんな回りくどいゲームを一緒にやりたがる人間などいなかったから購入したところでどうしようもない(なので買ってない)。その俺にはやりようもないゲームを、この雑誌連載では大人がわいわいやっていたから羨望の眼差しで読んだものだった。

                   

                   ただし、やはりというか、そういう過程で出来上がっている物語には質に限界があるとみえ、割と早く飽きてしまったような記憶がある。それとは対照的に、世の中では一定の地位を獲得し、ノベライズやアニメ、テレビゲームなどの派生商品が生まれていった。そこまで人気が出たのは、おそらく連載時の挿絵が魅力的だったからだと思うが、試しにタイトルで画像検索しても、派生商品のイラストばかり出てきて、元の作家による挿絵は出てこない。これぞつまり、メディアミックスということになるだろう。

                   

                   著者はこの連載企画の当事者の一人だったから、ここでいうメディアミックスを生み出したという自負があったという。だが、左の書籍のタイトルにある通り、戦前の日本でも同じような行為が行われていた。それも大政翼賛会という統治者の主導の元で。ということを明らかにしていく内容である。

                   

                   時代とテーマが自分の卒論とうっすらカブっているので、こちらも個人的感慨に浸りながら読んだ。戦中期、漫画家が小説家同様、戦意高揚なんかに加担していったことを含む内容だったのだけど、こんな巧妙なプロパガンダを仕掛けていたことは露知らず、学生の卒論なんてその程度のものといえばそうだけど、当時の俺は何を見てたんだろうと軽く呆れくらいはする。細かい史実を詳らかにしていく趣旨なため、本書も割と論文的な内容だから、そういう点でも自分のを思い出しながら読んだ。

                   20年以上前のことを引きずっているようで我ながら気色悪いとも思うが、頑張って書いたんだよ。何ひとつ明らかにしていないくだらない内容だったが、就職活動でかつての小国民だったと思しき役員のおっさんに卒論の内容説明したらやたらと食いついてきて内定くれた、くらいの御利益があったな。辞退したけど。

                   

                   この本が扱っている「翼賛一家」は、フリー素材のホンワカ漫画といったところか。ただしプロパガンダにつき政治臭は強烈につきまとうわけだが、それとは感じさせないかわいらしい&誰でも真似できる単純なキャラ造形になかなかの狡猾さを感じる。戦中の政権も結構やりよるなあと、新しさのようなものを感じてしまうのは、裏を返せば使い古されているはずの手法がいまだに賞味期限を失っていないといえるわけで、その点、学んでなさ過ぎと反省するしかない。

                   

                   面白かったのは、昨今どこの自治体でも熱心に取り組んでいる市民協働の原型がこのころ生まれたという話。市民協働とは、市政の諸々に市民にも参加してもらう活動の総称だ。地元のありようを地元民みんなで考えようという美名もありつつ、ボランティア動員によるコストカットの側面もある。学生もその重要なターゲットで、町おこしイベントの手伝いとか、高齢者のサポートとか、防犯とか環境とか分野は多岐に渡る。そういう活動に参加した結果、市役所に就職したいと考えるようになった学生と仕事柄よく関わるので、俺にとっても身近な用語だ。

                   

                   自らそういう活動に参加している分、頼もしい若人が多いのだけど、協働というコンセプトそのものに表裏一体な危うさがつきまとうのを感じ取るヒネたのはさすがにいない。中には「市民みんなが関心を持つように行政は導くべきだ」くらいのことを書いてくる学生も実際いるから、さすがにそこまで極端な場合は「君それやと全体主義やで」と釘を指すのだけど、そこまででなければふうんと頷くにとどめていた。しかし、単にそういう面があるというだけでなく、過去に実際そういう運用のされ方をしていた事実を踏まえると、多少は何か指摘した方が、バラエティ番組についての後悔を繰り返さないためにも必要なんだろうなと思った。

                   

                  『大政翼賛会のメディアミックス:「翼賛一家」と参加するファシズム 』大塚英志 平凡社2018

                  『メディアミックス化する日本』大塚英志 イースト新書2014


                  【巻ギュー充棟】自転車泥棒

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                     読み後わってしばらく、何かをする気が失せ切ってしまった。これ自体はごくたまあること。問題は、読み終えたのがちょうど仕事の合間にできた空き時間だったことだ。待ち構える次の仕事に全くもってやる気が持てなくなってしまったというのもあるし、2時間の空き時間の前半の1時間目くらいで読了したので、残り1時間を放心して過ごす羽目になったのがなにより困った。

                     

                     終わりが近づいてくるとにわかに読み終えるのが惜しくなるタイプの読書は、いつ読み終えるかの自己管理が重要だ。万難を排した状況でゆったりと最終頁を迎えるべきである。なので俺がこの合間時間にやるべきことは、読書ではなくて雑務の処理、ということは重々わかっている程度の人生経験はあるはずなのだが、我慢できなかったのだった。だって、面白くもなんともない雑務と、続きが気になる本が両方手元にあったらさ。

                     

                     おかげで雑務の処理もできなくなったので、とりあえずは頭の中身を吐き出そうと本稿を書き始めた。仕事の観点からみれば、さらなるサボリの上乗せである。それで世評はどうなのだろうと携帯で検索したら、本書刊行からほどなくして訳者の人が亡くなっていると今更知り、読後の放心とは別種の衝撃にまたやられてしまった。テレビドラマで衝撃の結末を迎えている場面で、著名人の訃報が速報で流れるのと同じ状況。完全に途方に暮れる。


                     コアな読書家か同業者でもない限り、訳者にはそんなに意識がいかないものだと思うが、本作の天野氏の場合、まず訳者あとがきが妙に印象的で、この人おもろいな…と、経歴を見たら、「あの本もこの人の訳だったのか」といった作品が並んでいて、言われてみれば訳が見事だったな、と後付けで思い始めていたところだった(俺の場合はもちろん「読みやすい」くらいしか、その技量は汲み取れない)。さらにご高齢ならまだしも、俺の兄と同年齢、つまりは「早すぎる死」でもあるから余計にびっくりである。

                     

                     それでネット上にあったこの天野氏の追悼記事を、にわかもにわかで沸き上がった哀悼とともに読んでいたら、この記事の筆者が「台湾関連に興味を持つと必定出くわす」でお馴染みの野嶋剛氏であった。またもや。

                     

                     説明順が逆になった。台湾の作家による作品だ。台湾が舞台でかつ戦前の台湾が出てくるようだ、という程度の興味で手に取った。いかにもおもしろそうな雰囲気を醸し出している装丁も多いに手伝い、半分以上はいわゆる「ジャケ買い」の類である。内容もよくわからないまま読み始めたのだけど、自転車泥棒は登場せず泥棒される登場人物ばかり出てくる。表紙のイラストからつい子供が主人公の話かと想像していたが、そういうわけでもない。帯には「消えた自転車の行方を追っていつしか戦時下のジャングルへ」旨あるが、この文面自体、まるでラリったうわごとのようで、さっぱり意味がわからない。なのでファンタジックな冒険譚なのかとも思ったが、まったくそうではない。しかし読んでみると、これは確かに「消えた自転車の行方を追っていつしか戦時下のジャングルへ」だった。実に自由自在な内容だと思う。

                     

                     


                    【巻ギュー充棟】通史(と痛飲)

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                       ストレートなタイトルと700ページ近い大部にびびっと反応してしまい、結構値が張るが買ってしまった。いつかは読まないといけないのだろうかと思っていた佐藤賢一氏の「カペー朝」「ヴァロア朝」「ブルボン朝」の新書シリーズが、この一冊で済むのだからお買い得。

                       各国通史は、新書の類でいくつかは読んだことはあるが、やはり現地の人間が書いたものにはなかなか勝てんはね、と読みながら思った。といっても記述はあっさりしたもので、機械的にサクサク話は進んでいく。扱うテーマの長大さとページ数の関係からいえば簡素な記述にならざるを得ないわけだけど、それでも無性に面白い。

                       高校世界史では大して習わない合間の国王(例えば頻出度Aクラスのルイ14世、16世に対して影の薄い15世など)含め、連続的に王朝をずーっと記述しているので、点で知っている歴史が線としてつながっていくのが快感なのだな。これもひとえに概略を知っているからで、高校の授業と、たまに手に取るピンポイントの歴史の新書類に感謝せんといかん。こういう連続性の中で、ジャンヌ・ダルクのような超有名人が出てくると、その特異さが際立って伝わってきて結構感動する。

                       

                       日本史とは異なり、よその国と地続きで、かつ中国のような圧倒的強者がいない点も面白い。そもそも始まりが、今のフランスの地にフランスとして始まるわけではない。塵が集まり、やがて太陽系の各惑星になりましたみたいな話に近い。フランス国王なる存在が生まれた後も、王家の親戚がイギリスあたりと結託して反旗を翻したり、そうかと思えば金を払って土地を譲り受けたり、犢餠線瓩諒兪がカオスで「今ヨーロッパのどこまでがフランス?」というのはさっぱりわからない。土地勘があればもう少しマシなはずだが、島国の人間には感覚的についていけない点は間違いなくあるよね。

                       

                       という話のつながりで、父親の喜寿祝を名目にして実質自分も飲む高級洋酒のお買い物。
                       以前に紹介したブランデー「カルロス1世」のXOを店で見かけ、予算ともうまくマッチしたので購入した。たまたま立ち寄った新地のディスカウントチェーンで見つけた。さすが場所柄か、扱っている酒の種類がかなり多い。というか、新地のクラブより遥かに美味い高級酒が、同額ないしはずっと安い価格で(相場知らん)買えるやんとつい思ってしまうのは、ここのクラブに全く縁のない人生を送っている人間の発想。

                       

                       カルロス1世は「フランス史」ではフラソンワ1世のライバルとして登場する。男前で社交的でただし短絡的なフラソンワに対し、美男子でもなく明るくもなく、ただし政治家としてはこっちが上手だろうなというカルロス。さあてそのお味は、というと、まずこの箱の開け方がなかなかわからずまごついてしまった。まさかの磁石でくっついて閉じております。高級ブランデーはしばしばやり過ぎなくらい瓶のデザインに凝るものだが、箱からして凝り過ぎだ。

                       


                       仕切り直し。実家の棚の奥にしまっているブランデーグラスをわざわざ出して、トットットットという音を聞いて、さて舐める。おフランスと違ってハードな味わい(XOだから当然まろやかな口当たりだが)。色も暗いし、確かにこれはカルロス1世だ。

                       

                       本の話に戻る。通史ついでにこちらは二国間通史。「袁世凱」が面白かったので、同じく岡本教授の本をと手に取った。「袁世凱」とは異なり、学術色の薄い版元のカラーに合わせた講談調(?)の文章で、器用な人だと感心した。大学の先生で文章のスタイルを使い分けられる人はそんなにいないはず。

                       

                       日本の歴史において、中国について詳しく知っていた時代なんかまずない、という事実を、時代を追って詳らかにしていく内容なのだけど、元、明あたりの、商業を視点とした歴史の説明が面白かった。特に明は、長い割にはよく知らない王朝だしで、キーワードしか知らないことが多少はつながった印象。

                       

                       新書ついでに、通史でも何でもないピンポイントの歴史についての話題の新書も読了。ひたすら日本軍兵士の死のパターンとその背景が綴られていく強烈な内容。新書にしても短めの分量のはずだが、なんどかキツくなって間を空けざるを得なかった。
                       兵士の置かれた劣悪な環境もキツいが、最もしんどかったのは自殺に追い込むほどいじめをするアホの上官と、それを解決する気もない上層部の残念な実態の部分。兵士の過酷な現場に比べて、やすやすと想像がつくから余計にキツいんだろう。今の社会状況が後押しする部分もあるしで。


                       著者があとがきでも触れているように、リアリストを気取って簡単に戦争を口にする真正「お花畑」に対する強烈なアンチテーゼとなっているわけだけど、こんだけしんどい話だと、そりゃあ当人たちが鬼籍入りするにつれ、なかったことにするマインドは働くわなあとも思った。
                       

                       

                      『フランス史』講談社選書メチエ2019
                      ギヨーム・ド・ベルティエ・ド・ソヴィニー
                      監修:鹿島茂、訳:楠瀬正浩


                      『日中関係史 「政冷経熱」の千五百年』 PHP新書2015
                      岡本隆司

                       

                      『日本軍兵士―アジア・太平洋戦争の現実』中公新書2017
                      吉田裕



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