【映画評】殺人の追憶
未解決事件をモデルにした映画だ。なので結局犯人はわからない。見ている方は迷宮入りだと知っているのに、犯人は結局誰かわからないと知っているのに、それでも惹き込まれてしまう、そういう力強さが評価された作品である。単純にいえば刑事の挫折を描いた人間ドラマだ。
とはいえその刑事が無茶苦茶だから、人によっては今ひとつ共感できないかもしれない。私もそうだった。
無茶な刑事といってもハミダシデカというわけではない。捜査が稚拙なのだ。
現場保存はできない、鑑識はサボる、証拠はでっち上げる、取調べに拷問は当たり前、誘導尋問で無理矢理自白させる、などなど。こんな捜査で「迷宮入りして挫折しました」って、そりゃ当たり前だろ、と思いたくもなる。
ソウルからやってきた凄腕っぽいソ刑事も、しまいには自分の思い込みに従って、クロの材料が素人目にも足りない容疑者を「このクズ野郎」とばかりに思いっきり殴ったり蹴ったりする。なのでここに出てくる刑事はみな多かれ少なかれ推定有罪で弁明の機会も与えず容疑者を殺してしまう大門軍団と大差ない。
といっても別に彼らが特別というわけではなさそうだ。多分当時(1980年代)の韓国警察の実態に基づいて描いているのであろう。拷問で自白させるシーンなどは、日本の冤罪事件を追ったドキュメントを思い出させる。我々にとってもそれほど異次元の話ではない。
ついこの間も再審請求が認められた事件がニュースで紹介されていたが、当時の日本の警察の捜査もこんなものだったのだろう。
昔の警察の捜査は、目撃者探しと刑事の勘と自白である。
近所の人が誰それが怪しいと言い、刑事がその人物を見た時、何かがピンと来たら、後は自白させるだけである。なので一番モノを言うのは刑事の第六感であり、証拠ではない。
本作に登場するパク刑事も「人を見る目」が自分の武器だと自負している。いわば刑事は職人なのだが、そういう意味では占い師とあまり変わりない。占いは外れるときもあることは勿論のこと、信じない相手には通用しない。なのでこの映画に登場する<最重要参考人>とも言うべき怜悧な顔つきの若者も、ついに自白させることはできなかった。
現在では捜査はすっかり科学的になった。科学的というのはつまり、ヤマさんでないとわからない勘、ではなく、誰でも反証可能なものに頼っているということである。なので刑事は職人ではなくなった。古株の警察官はよく「今の若い刑事はすっかりサラリーマン化した」と嘆いているが、それは科学捜査の必然の結果なのである。
この事件の犯人に、多分パク刑事らの古い捜査方法は通用しない。いかにも怪しい人間からは何も浮かんでこない、犯人は必ず現場に戻るわけでもない、決定的な物証は残さない、そのくせ妙に劇場型犯罪を繰り広げる。
こういういわば新手の犯罪に対応するため、今の警察はサラリーマン化した刑事を大量動員する物量作戦を展開している。
少しでもかかわりのあることは、怪しかろうがいかにも関係なさそうであろうが全部潰す。あたかも5・7・5の17文字を順列組み合わせで全ての俳句を列挙するかのような途方もない作業を繰り返す、そんな捜査をしているようだ。
無論それがより正しい方法なのかどうかはわからないが、今はそれが正しいと信じられていると。なのでこの映画で言えば、殺人とリクエスト曲の関連性が伺えれば、「推理小説の読みすぎだ」と笑うこともなく、機械的に放送局に送られたハガキを調べるだろうし、事件の始まった時期に村に引っ越してきた人間が何人いるかなど、とっくのうちに調べているだろう。
この映画のパク刑事やソ刑事の挫折感とは、こういう過渡期に淘汰される者が抱いた虚無感を代表しているのだろう。
「工場が機械化されれば仕事を奪われる」と恐れた人々が機械を破壊して回ったラッダイト運動だとか、明治新政府に刀を奪われた侍だとか、歴史を振り返ればいくらでも思いつく。結局は時代の波に抗いきれるものではないという点で、彼ら刑事たちには挫折しかなかった。
「殺人の追憶」2003年韓国
監督:ポン ジュノ
出演者:ソン・ガンホ 、キム・サンギョン 、キム・レハ 、ソン・ジェホ
【補遺】
取調べの様子をビデオ録画するかどうかが議論になっている。僕はするべきだと思う。可視化されると、取調べに支障を来たすという反論もある。確かに犯罪者には狡賢い人間も少なくないだろうから、紳士的な取調べでは真実に辿りつけないこともあるだろう。でもそれも含めて可視化すりゃいいと思う。その取調べは、テクニックの一つか、それとも単なる脅迫か。全部裁判で検証すればいい。「以下のような取調べは駄目です」と警察庁がマニュアルを作る方がよっぽど不健全だ。
とはいえその刑事が無茶苦茶だから、人によっては今ひとつ共感できないかもしれない。私もそうだった。
無茶な刑事といってもハミダシデカというわけではない。捜査が稚拙なのだ。
現場保存はできない、鑑識はサボる、証拠はでっち上げる、取調べに拷問は当たり前、誘導尋問で無理矢理自白させる、などなど。こんな捜査で「迷宮入りして挫折しました」って、そりゃ当たり前だろ、と思いたくもなる。
ソウルからやってきた凄腕っぽいソ刑事も、しまいには自分の思い込みに従って、クロの材料が素人目にも足りない容疑者を「このクズ野郎」とばかりに思いっきり殴ったり蹴ったりする。なのでここに出てくる刑事はみな多かれ少なかれ推定有罪で弁明の機会も与えず容疑者を殺してしまう大門軍団と大差ない。
といっても別に彼らが特別というわけではなさそうだ。多分当時(1980年代)の韓国警察の実態に基づいて描いているのであろう。拷問で自白させるシーンなどは、日本の冤罪事件を追ったドキュメントを思い出させる。我々にとってもそれほど異次元の話ではない。
ついこの間も再審請求が認められた事件がニュースで紹介されていたが、当時の日本の警察の捜査もこんなものだったのだろう。
昔の警察の捜査は、目撃者探しと刑事の勘と自白である。
近所の人が誰それが怪しいと言い、刑事がその人物を見た時、何かがピンと来たら、後は自白させるだけである。なので一番モノを言うのは刑事の第六感であり、証拠ではない。
本作に登場するパク刑事も「人を見る目」が自分の武器だと自負している。いわば刑事は職人なのだが、そういう意味では占い師とあまり変わりない。占いは外れるときもあることは勿論のこと、信じない相手には通用しない。なのでこの映画に登場する<最重要参考人>とも言うべき怜悧な顔つきの若者も、ついに自白させることはできなかった。
現在では捜査はすっかり科学的になった。科学的というのはつまり、ヤマさんでないとわからない勘、ではなく、誰でも反証可能なものに頼っているということである。なので刑事は職人ではなくなった。古株の警察官はよく「今の若い刑事はすっかりサラリーマン化した」と嘆いているが、それは科学捜査の必然の結果なのである。
この事件の犯人に、多分パク刑事らの古い捜査方法は通用しない。いかにも怪しい人間からは何も浮かんでこない、犯人は必ず現場に戻るわけでもない、決定的な物証は残さない、そのくせ妙に劇場型犯罪を繰り広げる。
こういういわば新手の犯罪に対応するため、今の警察はサラリーマン化した刑事を大量動員する物量作戦を展開している。
少しでもかかわりのあることは、怪しかろうがいかにも関係なさそうであろうが全部潰す。あたかも5・7・5の17文字を順列組み合わせで全ての俳句を列挙するかのような途方もない作業を繰り返す、そんな捜査をしているようだ。
無論それがより正しい方法なのかどうかはわからないが、今はそれが正しいと信じられていると。なのでこの映画で言えば、殺人とリクエスト曲の関連性が伺えれば、「推理小説の読みすぎだ」と笑うこともなく、機械的に放送局に送られたハガキを調べるだろうし、事件の始まった時期に村に引っ越してきた人間が何人いるかなど、とっくのうちに調べているだろう。
この映画のパク刑事やソ刑事の挫折感とは、こういう過渡期に淘汰される者が抱いた虚無感を代表しているのだろう。
「工場が機械化されれば仕事を奪われる」と恐れた人々が機械を破壊して回ったラッダイト運動だとか、明治新政府に刀を奪われた侍だとか、歴史を振り返ればいくらでも思いつく。結局は時代の波に抗いきれるものではないという点で、彼ら刑事たちには挫折しかなかった。
「殺人の追憶」2003年韓国
監督:ポン ジュノ
出演者:ソン・ガンホ 、キム・サンギョン 、キム・レハ 、ソン・ジェホ
【補遺】
取調べの様子をビデオ録画するかどうかが議論になっている。僕はするべきだと思う。可視化されると、取調べに支障を来たすという反論もある。確かに犯罪者には狡賢い人間も少なくないだろうから、紳士的な取調べでは真実に辿りつけないこともあるだろう。でもそれも含めて可視化すりゃいいと思う。その取調べは、テクニックの一つか、それとも単なる脅迫か。全部裁判で検証すればいい。「以下のような取調べは駄目です」と警察庁がマニュアルを作る方がよっぽど不健全だ。
- 2008.01.18 Friday
- 映画評
- 18:02
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- by 森下淳士