【やっつけ映画評】ミッドナイト・イン・パリ

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      生まれた時代を間違った、とはたまに考えてしまう詮無い妄想だ。このブログでも何度かそんなことを書いた気がする。ただいま就職活動に苦戦中の学生諸君でも、バブルのころであれば、どんだけ楽でどんだけ浮かれポンチな時間を過ごせたか。内定者が他社に移らないよう、他社の面接日に合わせて自社の内定者向け研修を開く、いわゆる「縛り」ってやつで、沖縄旅行に行っていた、そんな時代である。そんなころに採用された連中が「今時の学生は元気がない」とか「大企業ばかりに注目してるから内定取れないんだ」とか言ってるわけだから、不公平なことこの上ない。

     あるいは名だたる劇団は、どうやって人気劇団に駆けあがっていったのか、ウィキペディアで調べると大抵「当時の演劇ブームに乗って集客を伸ばし」と書いてある。当世に演劇ブームなど、ない。その時代だったとしても、我が劇団は客が増えたかどうかは怪しいものだが、それでも、ええよなあ、ずっこいよなあとうらやんでしまう。

     本作のテーマはそれだ。
     タイムスリップものである。金のためにワンパターンの映画脚本を書くことにうんざりした主人公のギルが、こっそり自分の自分による自分のための小説を温めている中、婚前旅行で訪れたパリでタイムスリップする。行った先は1920年代。サロンでヘミングウェイやフィッツジェラルドやピカソやマティスやダリやマン・レイがやいやい賑やかにやっていた時代であり、ギルが生まれていたかった時代である。

     タイムスリップものというのは、想像がいくらでも膨らむ分、煩雑になりやすい。この映画は、その辺り、シンプルに収めているのでこじんまりとほどよくまとまっている。特に困難やピンチもなく過去と未来を行ったり来たりするさまは、テルマエロマエとよく似ているし、バックトゥザフューチャーやJINのように、「未来が変わってしまう〜」とタイムパラドクスで悩むこともない。新しく見つけたバーに、毎晩通い詰めるという程度のノリで、ギルは2010年と1920年を行ったり来たりする。

     多分、パリという街が持つ年輪の強さなのだろう。日本でも、例えば京都三条の六曜社あたりでコーヒーを飲んでると、昭和の文化人にでもなった気分になってくるが、それと似たようなもので、街角のそこに、過去の偉人がふらりといてもおかしくないような力が、あの町にはあるということなのだろう。行ったことないから知らんけど。

     こうしてギルは、歴史の教科書に載ってるような芸術家たちと、当時彼らがいっしょくたのサークルでわいわいやっていたのと同じように、サロンに顔を出して、自分の小説の批評を受けたり、連中が取り合ってる美女に恋をしたりする。芸術家というのがミソで、名前や作品ばかりが先行していて本人自身がどんな人だったかはあまり知られていないことが多いから、そこらへんは武人や政治家とは違う。坂本龍馬でも演じようものなら、「いや、あれは龍馬じゃないね」と、「お前見たんか」と言いたくなるような批判をさっさと受けそうなシンドサがあるが、芸術家の場合、へえ〜本人はそんな人だったんだ、みたいなのがあるから、演じていても面白かっただろうなと思う。全く瞬きもせず、「男とは」と暑苦しいことを語るくせに、なんだか男前というヘミングウェイなんか、全然本人知らないけど、多分これはソックリな物真似なんだろうなという説得力があって、いちいち面白かった。

     個人的には、絵を描いたり演劇やったり、好き放題生きたという印象のダリが、やはり魅力的な変人として登場していて、それだけでかなり面白かったが、実際にはダリは若干後の時代の人なので、年齢設定にウソはある。歴史の人物というのは、大体同じ時代であれば、年齢はいっしょくたになって記憶されているので、実はピカソとは20歳くらい年齢が離れているという細かい事実を後で事典開いて確認したりするのも、この手の映画の楽しいところである。

     さて彼らパリのサロンの偉人たちは、作品を追及することと酒を飲むことくらいしか考えてない。仲間内で批評し合ってライバル視して次なる作品の構想を練っている。その上、どこの馬の骨かしれないギルも「作家だ」と名乗った瞬間、「おう作家か、こっちこいよ」とばかりにおおらかに受け入れる。後世、人類の遺産となる傑作を生みだした熱狂というのは、実際にはこうだったんだなあと思わされる<同時代感>が、まぶしい。連中は誰も、いまどきの芸人や90年代のロックバンドみたいに、売れるとか売れないとか、商業主義がどうのとか、そういう話はちっともしない。素晴らしき時代である。

     ただし、ここが本作の肝なのだが、こんな時代の人々も、昔はよかったと羨んでいる。100何十年前の、1890年代のパリはよかった、あのころに生まれてきたかったものだと詮無い妄想をしている。

     「最近の若者はなってない」とは、人類が有史以来言っていることだとよく言われる。「最近の若いやつが作る土器は、つるっつるやないか!」とは、芝居仲間の悟さんが言っていた傑作ギャグ「弥生版最近の若者は」であるが、ちょうどそれとセットで、人類は「昔はよかった、生まれる時代を間違えた」と思っていたということだ。結局は今を生きるしかない。そう腹をくくったところで、この物語も終わりを迎えるし、未来というのが開けてくるということなのだろう。陳腐なことにも聞こえるが、歴史を知ったように鑑賞眼的に語るポールのようなペラペラのうんちく野郎には、未来はないってことだ。

     とはいえ、少し考えた。1890年代のパリにさらにさかのぼったギルは、ドガやゴーギャンといったこれまた伝説的な画家たちと出会うのだが、彼らと同時代人のゴッホは、生きてる間は全く評価されず終いだった。ゴッホが生きている時代にゴッホはいない、というなかなか残酷な矛盾。生まれる時代というのは、過去ではなくて未来の方角に間違うことはあるのかもなあ。

    「Midnight in Paris」2010年アメリカ=スペイン
    監督:ウディ・アレン
    出演:オーウェン・ウィルソン、キャシー・ベイツ、エイドリアン・ブロディ

    コメント
    土器のくだりで声出して笑ったら、なんと自分のネタやったとは!!完全に忘れてた。森下君ありがとう、やっぱり俺天才かも。違う時代に生まれたかったわ。
    • サトル
    • 2012/06/07 3:13 AM
    貴兄の場合は、違う時代ではなく、デトロイト生まれだったら、じゃないすかね。
    • 森下
    • 2012/06/07 9:16 PM
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