【やっつけ映画評】宇宙人王さんとの遭遇、ローマ法王の休日

0
      後味の悪い作品を立て続けに見た。どちらも大した感想がないので2本まとめて書く。こと後味が悪いということで一括りにしている話題の性格上、ネタバレを大いに含む内容である。

     一つ目は「宇宙人王さんとの遭遇」。邦題からして面白そうだし(原題の直訳に近いが)、地球にやってきた宇宙人が中国語を話すという設定に尚更食いつく。観測の結果、地球上で一番話す人が多い言語だったとわかり、中国語を学習したのだが、不時着したローマでイタリア人から「なんで宇宙人が中国語を話すんだ!」とつっこまれるという、その着眼点にかなり期待したわけたが、面白いのはそこだけだった。

     あとは、この宇宙人の来訪目的は何かを尋問する密室劇が延々続き、イメージしたのとは全然違う、ミステリタッチな展開をみせる。

     密室劇は、かつては好きだったが、すっかり苦手になった。演劇をやっていることと関係がある。演劇を作る人間は往々にして密室劇を好む。場面をころころ変えると、映像のようにはスピーディにはいかないので、どうしても間延びする。ならばいっそ場面も人物も固定にしてしまって話を転がす方が面白い。そう考えるからだ。俺もいくつか作ったし、周りはもっと作ってる。

     だけど、この方法で魅力的な物語を紡ぐのは、かなり難しい。場面だけでなく、「そして翌日」みたいな時間的な場面転換もしないから、間を端折らないやり取りをずーっと見せることになる。親戚の集まりとか、会社の上司の飲み会とか、同じ話題が終わりなくダラダラと続く会話に付き合わされるあの手の苦痛と似た状況に陥りやすい。
      この作品、宇宙人が相手だという点を覗けば、ただの取り調べである。「平和親善のために来た」という王さんに、「真の目的は何だ!」と詰め寄る捜査官。最初から平行線だから、話が転がらない。その上、話を牽引するための〈謎〉の部分は、王さんは果たして親善のために来たのか侵略のために来たのか?の二択であり、どっちだったとしても大した意外性はない。でもって、親善と見せかけてやっぱり侵略でした、で終わるから、露悪的で後味最悪である。

     親善の言い分を信じたのは、中国語通訳の主人公である。宇宙人に地球の法律など適用されないとばかりに拷問も辞さない取調官の横暴や、侵略に決まってるという決めつけに対し、抵抗を試みる。

     最初はその奇異な外貌にパニックになっていた主人公が、なぜ王さんにそこまで肩入れするかといえば、王さんが暴力的な取調に心身を消耗していて可哀想だとか、地球人が野蛮だと思われたくないとかもあるのだろうが、言葉が通じるというのが一番大きいと思う。捜査官にすれば、外見はけったいで、言葉も意味不明な生物に、感情移入できる余地はない。日本人同士ですら、話の通じない相手にはイライラさせられるものであるから、その裏返しで、住む星すら違う生物と会話が成立すれば、それだけで何かしらの親愛の情が湧くことは十分に想像できる。言葉は凄いものだなと思う。

     もう一つは「ローマ法王の休日」。これも邦題や設定がふるっている。だけど後味が悪い。

     今年話題になったコンクラーベで選ばれた枢機卿が、重圧に押しつぶされて心身のバランスを崩してしまい、バチカンから逃げ出してしまう。バチカン内部の様子が丁寧に描かれている様子は単純に興味深いし、爺さんがこんだけ大量に登場する映画も珍しく、控え目な、そこはかとした笑いが漂う全体の雰囲気もいい。ただし、やっぱり法皇を辞退するというラストは、宇宙人王さんと同じ、二者択一のめでたくない方を選択しているという点で同じく後味がドンヨリである。

     この作品の場合、逃げ出した新法王メルビルの苦悩の正体があまり描かれないままなため、辞退という選択が腑に落ちないのだろう。「私は導く人間ではなく導かれる人間だ」とラストで聴衆を前に宣言するメルビルは、単なる重圧ではなく、なにがしかの確信を抱いて決断したのだと推察されるが、その源がよくわからない。そこがわかれば、「確かに導くだけが正しいわけじゃないよな」と納得いくのかもしれないが、そうはなってないので、ただただ大きな重圧が苦しいというだけで終わってしまい何一つ救いがない。なまじっか、うっすら笑い仕立てなだけに、気分は余計ドンヨリである。

     メルビルは若いころ、舞台俳優を志していた。作中、劇団と偶然知り合い、うち一人の役者が病気で入院するという展開になるから、この爺様が長年の夢であった舞台デビューを果たすのだろうかと思うも、そうはならない。要するにこの人は、ただの真面目で控え目な人なのだろう。だから舞台に立つこともないし、法皇に就任することもない。そう考えると納得もかすかに湧いてくるが、それを見せられて何なのだろうという気はやはりしてくる。

     現実世界でも、法皇は全くノーマークの人が選出されることが多い。この前決まったフランシスコ1世も、事前の下馬評には全く出なかった人だし、ヨハネ・パウロ2世もそうだったのは有名な話だ。本作のメルビルも、何度目かの投票で降ってわいたように名前が挙がって選ばれる。なぜか、ということは特に示されないが、この作品を見ると、そういうメカニズムが働くのもなんとなくわかる。有力だとされる人の名前を書いても決着しないなら、全然視点を変えてみよう、みんながそういう思考回路になったとき、大抜擢が起こるのだろう。選挙で選ばれた=神に選ばれたというのは、理屈ではなく、そういう部分はあるだろうなとは思わされた。

    「L'arrivo di Wang」2011イタリア
    監督:アントニオ・マネッティ、マルコ・マネッティ
    出演: エンニオ・ファンタスティキーニ、フランチェスカ・クティカ

    「HABEMUS PAPAM」2011イタリア=フランス
    監督:ナンニ・モレッティ
    出演:ミシェル・ピッコリ、イェジー・スツール、レナート・スカルパ

    コメント
    コメントする








       
    この記事のトラックバックURL
    トラックバック

    calendar

    S M T W T F S
    1234567
    891011121314
    15161718192021
    22232425262728
    293031    
    << October 2017 >>

    selected entries

    categories

    archives

    recent comment

    • お国自慢
      森下
    • お国自慢
      N.Matsuura
    • 「続く」の続き
      KJ
    • 【映画評】キューブ、キューブ2
      森下
    • 【映画評】キューブ、キューブ2
      名無し
    • W杯与太話4.精神力ということについて
      森下
    • W杯与太話4.精神力ということについて
    • 俺ら河内スタジオ入り
      森下
    • 俺ら河内スタジオ入り
      田中新垣悟
    • 本の宣伝

    recent trackback

    recommend

    links

    profile

    search this site.

    others

    mobile

    qrcode

    powered

    無料ブログ作成サービス JUGEM