【やっつけ映画評】42〜世界を変えた男

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     先日、オリックス対楽天のデーゲームを見に行った。春の陽気に包まれた昼下がり、天井のない球場での観戦は、なかなかに贅沢な気分を味わえた。神戸の総合運動公園は、アクセスはよろしくはないが、大阪ドームよりは断然いい球場だと思う。

     ここに来たのは、1995年の震災復興快進撃を見て以来(軽い自慢)。あのころ強かったオリックスも、長らく低迷が続いてきたが、今季は今のところ首位を快走中である。その強力打線の中軸を担うのがウィリー・モー・ペーニャ。背番号42である。

     この42という数字は、来日する外国人選手に人気が高い。今季でいえば、ブランコ(中日)、レイノルズ(西武)、バリントン(広島)、アンダーソン(巨人)、アブレイユ(日ハム)がいずれも42である。

     それというのも、アメリカでは42がつけられない番号だからだと言われている。メジャー30球団全てで「42」は永久欠番になっているからだ。なのでアメリカから来た選手にすれば、42が普通の背番号としてつけられる日本のプロ野球はお得感があるというわけだ。「だったらせっかくだし、つけるか」と考えても不思議ではない。それを考えると、日本人なのに42をつけている阪神の吉見あたりは、若干恨まれているかもしれない。

     しかし、本作を見ると、日本人でも42をつけたくなるなあと心底思わされた。そんなスーパースターが作った歴史が、本作のテーマである。公開当時、珍しく映画館が満員御礼となっていて入れずで、ビデオになってようやく見た。

     野球が好きなら、結構知っている人も多い、大リーグにおける黒人差別との戦いの物語である。ジャッキー・ロビンソンというこの伝説的な名前は、野茂英雄がドジャースに入団したときもしばしば取り沙汰された。ドジャースという球団は、昔から門戸を開いている名門なのですよ、という文脈で引き合いに出されたものである。ロビンソンもドジャースだった。

     黒人初の大リーガー。対戦相手から試合のボイコットを言われたり、観客から汚い野次を浴びせられたりといった差別に耐え抜きながら、新人王(この年始まった賞なので第一号)に選ばれる活躍を見せ、以後、続々と黒人大リーガーが誕生する最初の扉を開いた。

     大抵はこういう説明がなされる。彼をドジャースに招いた会長のブランチ・リッキーが、差別に勝つには「やり返さない勇気が必要だ」と説いたこともよく語られる逸話だ。ロビンソンは侮辱にもじっと耐えたことで、チームの内外に徐々に味方を増やしていったといわれている。

     映画は、この辺りの話を実にうまくまとめている。野球のシーンはなかなかリアルで説得力があるし、主要登場人物も、本人に結構よく似ていて、もちろんそれだけでなく魅力的だ。そうやって丁寧に組み立てられた物語は、大枠ではファンならある程度知っている話ではあるのだが、それだけに「不屈の精神で差別にうちかち」などと語られることの実態が、いかに大変なことであるかがよく伝わってきて、「世界を変えた男」という邦題の副題も、あながち大袈裟ではないと思わされた。
     

     ロビンソンが称賛を勝ち得たのは、それこそ「やり返さない勇気」でもって紳士的に振る舞ったことに加え、新人王に輝く活躍を見せたからである。「肌の色なんて関係ねえ、実力がある選手は尊敬されるし、そうでない選手は消えるだけ」。こういった実力の有無というシンプルな尺度のみがそこにはあるというのがスポーツの美徳であり、だからこそ、実力を示した被差別側の人は象徴的なアイコンとなる――。原理的にはそうなのだが、実際にはこんな単純明快にはいかない。

     ひとつは、差別的な態度を取る人は、往々にして、明確な悪意からそれを発しているわけではないということだ。無邪気に正しいことを言っているつもりになっている場合が多い。

     例えば、何度も引き合いに出している話で恐縮だが、プロ野球で、ヒルマン、ブラウン、コリンズ、バレンタインといった外国人監督があちこちの球団で指揮を執っていたころ、野村克也が「日本の野球を外国人が指揮している状況は情けない」というような発言をしていた。おそらく「日本人は何をしているんだ」という嘆きだろう。野村という人は粘着質なところが厄介だとは思うが、普通にまともな人だとは思う。外国人を殊更に差別しているという意識は当人には皆無だろう。ただし、この発言は差別と取られる危険性はある。大リーグのチームの監督を日本人がしたと仮定して、「日本人がメジャーの監督をするとは情けない」と、アメリカ人の球界OBが発言したとすれば、なぜ差別と取られるかがわかると思う。邪気がなくてもこっちは不愉快になる。

     学生相手の仕事でもこんなことがあった。経緯は忘れたが、とにかく朝鮮学校を訪れたという学生だった。当人は、朝鮮学校について「よく知らないし、向こうも日本人のことが嫌い」というようなイメージを持っていたが、実際に生徒と交流してみると、気持ちのいい生徒ばかりで、「日本人と何ら変わらない同じ人間だと思った」という。素直な博愛主義から出た感想だろうが、逆にフランスあたりでこれと逆の立場になったらどう思うか、ということを俺は当人に問いかけた。日本人に対してあまりいいイメージを持っていないフランス人と交流したら凄く仲良くなり、「お前もフランス人と同じ人間だな」と言われたらどう思うか。お前は何トワネットや、と言いたくなるのではないか。

     このように、差別というのは、悪意の有無に関係なく発生するという難しさをはらんでいる。

     本作でも、「猿」だの「ニガー」だのと侮蔑してくる対戦相手や観客が、どれほど悪意を自覚していたかはわからない。何しろ、「White Only」(白人専用)という但し書きが公然とまかり通っていた時代である。まかり通るどころか、それありきで制度設計されているような社会である。「Japanese Only」などとっくに霞んでくるような厳然たる差別社会だ。
     そういう世の中で暮らす白人にとって、倏鮨誉賤儉瓮蝓璽阿帽人が加わることは、プロレスラーがレスラーのまま相撲の土俵に上がってくるような、「間違ったこと」として映ったのではあるまいか。なので侮蔑的な言葉を吐く客は、己の敵意は自覚していても、悪意は自覚していない可能性が高い。「確かに言葉は汚いが、間違っているのはあいつの方だ」と、彼らはそのように正論として主張するのだろう。大好きな父親が、汚い言葉を吐くのに戸惑いながら、自らも真似をしてロビンソンを侮辱する少年のシーンは、そのような厄介さを象徴したような悲しく印象的な場面だった。

     単純明快ではないもう一つは、実力を発揮すれば差別が消える、というわけではなく、むしろそのことで差別が助長されることもあるということだ。

     当時、黒人の野球選手の存在は、無視できないほど大きくなっていた。彼らはニグロ・リーグという大リーグとは別の組織を作り、試合をしていた。ジャッキー・ロビンソンもカンザスシティ・モナークスというチームの選手だったし、ニグロ・リーグにはロビンソンより遥かに実力のある選手がうようよしていた。

     作中、「なぜ私を選んだ」とロビンソンに問われたリッキー会長は「金だ」と答えているが、これは黒人のファン層を取り込むというだけでなく、ロビンソンに続くであろう実力ある黒人選手がもたらすチーム強化も視野に入れいていたのだと思う。映画の中でリッキーは、「ジャッキーを排除しても、彼に続く才能ある黒人選手がやがて君らを追い出す」というようなことを、彼を嫌うドジャースの選手たちに語っている。

     であるからして、実力を示せば差別は消えるとはならない。取って代わられるという恐怖が、実力を正当に認めないこととして働く。朝青龍が多くの人、それも相撲界の関係者を中心に忌み嫌われたのと似ている。彼は単に素行不良で嫌われたのではなく、やたらと強かったからこそ非難を浴びた。

     もちろん素行不良は非難されても仕方のないものではあるが、既に述べたように、「白人専用」が普通の時代にあって、ロビンソンの存在は、肌の色が違うだけで、「規律を乱す素行不良者」という扱いになる。映画の中でも、ドジャースのチームメイトの中には狎掬に瓮蹈咼鵐愁鵑鯣稟修靴討る者がいた。「俺は純粋に野球がしたいだけなのに、お前がトラブルを持ちこむ」という理屈だ。逆に監督やコーチ陣は、特に彼を差別しないのだが、それは彼が選手だからだろう。いい選手は監督にとっては肌が何色であろうと、チームが強くなる歓迎すべき存在でしかない。これが黒人監督だったら、監督たちの態度も違っていただろう。

     ジャッキー・ロビンソンがいなくても、隆盛を誇っていた黒人リーグの優秀な選手たちは、そのうち大リーグに加わっていただろう。だが時間はもっとかかっただろうし、もっといびつな格好(黒人選手に人数制限を設けるとか、記録は別枠扱いになるとか)としてしか実現できなかったかもしれない。

     だからこそ彼は「世界を変えた男」にふさわしい偉大な選手であると思う。同時に、実力だけでなく彼の胆力に賭けたリッキー会長の慧眼にも、ただただ畏れ入るばかりだ。
     現在でも、これを書いているつい先日、サッカーのスペインリーグでバナナ騒動があり、NBAでも恥ずかしいことがあった。日本でも、中韓を叩いておけばとりあえず雑誌や本が売れるという残念な状況下にある。ジャッキー・ロビンソンにはなれなくても、せめてリッキー会長のように、手っ取り早い排除の理屈より、困難はあってもより「金が儲かる」共存を選ぶ粋な姿勢を見習いたいものだ。

    「42」2013年アメリカ
    監督:ブライアン・ヘルゲランド
    出演:チャドウィック・ボーズマン、ハリソン・フォード、ニコール・ベハーリー


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