【やっつけ映画評】恋はデジャ・ブ

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     町山智浩が週刊文春で連載しているコラムで紹介していて、興味を惹かれて見た。評に書いている通り、凄く面白い作品だった。タイトルから概ね予想される感じのカバーデザイン(写真参照)に加えて、レンタル屋の棚の片隅に若干色褪せてひっそり収まっていた有様、そして何より無残な邦題のこの作品、コラムを読まなければ絶対に見ていないだろうから、これぞ批評家の存在意義だと、偉そうに謝意を示して以下、感想。

     同じ1日を何度も繰り返す羽目になった男の話である。地方テレビ局の天気予報を担当している気象予報士フィルが、季節の風物詩となっているお祭り「グラウンドホッグデイ」の取材のためにテレビクルーと一緒に出張取材に出かける。グラウンドホッグという巨大なモグラ(と字幕ではなっているが、正確にはリスの仲間らしい)が、春の到来時期を占うという他愛もない田舎町の伝統行事で、普段から鼻持ちならないイヤなヤツのフィルにとっては、地味だし田舎だしでちっとも面白くない取材である。

     テキトーに仕事を済ませて宿泊し、翌朝目覚めると、フィルは昨日と同じ日を生きていることに気づく。町も人も仕事仲間も何もかもが昨日の通り。同じタイミングで同じ人が同じ台詞で話しかけてくる。

     フィルは混乱し、次に開き直る。ナンパだろうが犯罪だろうが、何をやらかしたところで翌朝になれば全てリセットされて同じ一日が始まるから、やんちゃのし放題である。だがそれにも飽きて、絶望のうちに自殺を試みても、やはり同じ朝を迎えてしまう。

     こういう不条理な設定のコメディだが、これとどこか似たような状況というのは自分自身にも覚えがある。講師の仕事がまさしくそれで、1日単位ではなく1年単位ではあるが、毎年毎年21〜22歳の若者を教え、ようやく面白い作文が書けるようになったなあと思ったころにいなくなる。それでまた春に21〜22歳の若者が新しくやってきて、自分だけが1つ歳を取り、読むのも苦痛な作文と再びイチから対峙することになる。感覚的には、最後まで終わらせた「ドラゴンクエスト」を、またレベル1からやり直すのとよく似ている。

     最初のうちは、「前年より今年はよりよくやろう」と意欲的に取り組めたが、5年ぐらいしたころ、同じことの繰り返しが急に苦痛になってきて、めちゃくちゃやる気がなくなったものだった。「教授なんて大学に住みついた亡霊のようなものだ」とは美大を舞台にしたマンガ「はちみつとクローバー」に出て来る台詞だが、それを自分に重ねあわせて、全くその通りだと陰鬱になったのはこのころだった。

     フィルは、長い倏月瓠△海涼蝋のような繰り返しを生きるのだが、無軌道にも自殺にも意味がないと知ってしまった彼は、ようやく善行を積み出す。ホームレスを世話し、子供を事故から救い、グラウンドホッグデイの取材でも、見事なレポートをする。そうして彼はようやく、このループから抜け出して、正規の(?)翌日を迎えることが出来る。なるほど善行を積んだからか、と思ってしまいそうなのだが、よくよく考えるとそれが理由というわけではなさそうだ。
     
    なぜなら、劇中の台詞から察するに、フィルは同じ人助けを何百回と繰り返してやっているからだ。善行が理由なら、もう少し早く翌日を迎えられてもよさそうなものだ。まあ、彼の場合、嫌なヤツ過ぎて、ちょっとやそっとの善行では報われない相殺分が多すぎるということなのかもしれないが、フィルがようやく同じ日を終わらせられたその日、彼は取材クルーのリタと恋に落ちている。

    リタにはすでに、ループを利用して何度もアプローチしていた。何度も同じ日を過ごす中で、彼女の好みを暗記し、それを利用して会話を上手く進めて気を引き、失敗すれば翌日、違う答えを用意して失敗を挽回する。そうやってどんなに事を上手く運んでも、最後は必ず平手打ちで終わる。そんな「どうやっても落とせない女」だったリタが、なぜフィルに惚れることになったかといえば、彼がすっかり人望の厚いイイヤツになっていたからであり、リタを「落とす」ではなくて、「彼女のために行動する」というように変化したからだろう。蛇足だが、俺がどうやって講師の仕事について気分を切り替えたかというと、「いい授業をする」から「受講生一人一人をどうにかする」にスタンスを変えることで陰鬱さはどこかへ消えた。思いっきり後付けのように読めるが、そうではない。

    この作品は、ニーチェの永劫回帰という思想をベースに構想されたという。人類は、ヘーゲルやマルクスのいうように、理想的な完成形に向かって発展していっているわけではなく、同じことの繰り返しだと、そういう思想で、この絶望的な状況にもイエスと言える人を超人と呼ぶ、と倫理の授業で習った。

    それに当てはめると、フィルは超人となったその日に、このループを終わらせたことになる。ここまで繰り返しをさせられた人間が、一回きりのリセットボタンの利かない日々に正常に復帰できるのか心配になるが、超人となったフィルにとっては、結婚生活はじめ、全て苦難を耐え抜き乗り越え、順調に行くのだろう。

    何しろ、フィルはリタとともに、この田舎町に居を構えることを提案して作品は終わる。田舎というのは「永劫回帰」の際たるものだ。町がちっとも変わらないことはもちろん、グラウンドホッグデイがそうであるように、季節の行事を何より重んじる風潮があるから、むしろ積極的にループする状況を生み出している世界が田舎である。田舎の出の人間が、「幼少期に過ごした懐かしき景色はすっかり面影をなくし……」などと語るときは、事実がノスタルジーのステレオタイプに差し替えられていると考えていいとすら思っている。

    そんな場所に、あえて住みたいとまでフィルは言う。本作のラストには実にふさわしい場面だと、帰るべき田舎のある人間は、そんな細かいことがことさらに印象的だったのである。

    「Groundhog Day」1993年 アメリカ
    監督:ハロルド・ライミス
    出演:ビル・マーレイ、アンディ・マクドウェル、クリス・エリオット 
     

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