【巻ギュー充棟】「反戦・脱原発リベラル」はなぜ敗北するのか

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     なるべくこの手の本以外の本を読みたいと思っているのだが、人様の評を聞いてすぐ手に取ってしまった。この筆者の本を読むのは相当に久しぶりだ。俺の中では初期のゴーマニズム宣言に出ていた人、という理解で、作者の小林氏同様、すっかりお歳を召された方、という理解でもあった。しかし、かなりズバズバグサグサと、活性化した言葉が躍っているという印象で面白かった。相当にひねた嫌みな人なので、読んでいるうちに胸やけがしてくるところはあるのだが、いちいち編集者が反論している構成のおかげで多少なりとも中和される。出版社の面目躍如みたいな本でもある。

     本書が指摘しているのは、筆者当人にそのつもりはなくても運動家たちへの叱咤激励となっている。なぜ勝てないのかという分析は、勝つための処方箋でもあるから当然そうなる。筆者の執筆意図はロゴスの退廃が捨て置けないから、ということらしいが、そこで述べているところは、すでに紹介したナチスの本や文学部の本のときに感じたこととほとんど同じだ。ある時期の読書傾向はしばしばこうして重なり合うものだ。

     読んでいて「確かになあ」とか「なるほどなあ」なんて思う、この「なるほど」の感覚が個人的には懐かしかった。さっきも述べたが、この筆者のことを知ったのは初期のゴーマニズム宣言で、あのころ俺は大学生だった。一応補足すると、あのころのゴーマニズム宣言は、その後の作風とはずいぶんと趣を異にする。同じ人間が書いているから、根底には同じものがあるのだろうし、その後の展開の萌芽を読み取るのは後から見れば容易だろうが、とにかく違った。ま、ここでの違いとか変遷とかは本題ではない。とにかく、あのころ「なるほどなあ」と思った感覚と、久々に再会したような気分だった。

     どういうことか。説明するとだらだら長くなる。だからダラダラ書く。
     

     この筆者のひねた明快さは、小気味がよくわかりやすい。頭でっかちでかつ自分の頭でで物事を考えられなかった大学生当時、この明快さは実に刺激的だった。なるほどそういうことかと腑に落ちて、そのうち物言いとか態度とかを真似し出す。キーワード的に表現すると「現実的判断」だとか「与党的批判」とか「リアルな言説」あたりになるだろうか。「現実的」ってあたりが妙に恰好よく見えてしまったのである。左巻きの言説がとっくに力を失い、かといってそれに替わるものも見当たらず、宗教が幅を利かせていた時代だった。そういう中では余計に新鮮に見えたわけだ。

     当時の俺にとっては、その延長線上に居並んで見えたのが、石原慎太郎とか櫻井よしことかの産経系の論客だった。共通項は、歯切れよく左巻きを批判し、主張が「現実的」に見えたってことだ。おかげで、就職活動のとき、朝日新聞と産経新聞の試験日がかぶっていたのを、俺は迷わず産経を選んでいた。おおよそ20年前の話で、そう考えると結構イマドキを先取りしていたと言える。ちなみに学生はみんな両方に書類を送るだけは送るので、産経の試験会場はガラガラだった。そういうのがまた「俺だけがわかっている」という肥大した自負心を心地よく刺激する。ついでに当時の産経新聞は「新聞を疑え」というキャッチコピーでCMをバンバンやっていて、これまた妙に恰好よく見えたものだった。そのくせ一番売れてたところにうかったので産経には行っていない。勝手なもんだ。

     余談だが、産経の面接で「全国紙の違いを説明しろ」と問われた俺は、「産経は右で朝日は左だ」というようなことを雑に答えたら、面接官に鬼の形相で「冷戦構造が崩壊した今、君は何をもって右といい、何をもって左というのか」と厳しく追及された。それでもどうにかこうにか回答したから、その面接は通過したんだけど、後でゼミの院生のイグっさんに「右とか左とかいう言葉を気安く使うな」と怒られた。イグッさんという人は、へらへらしてる薄っぺらい人、くらいの印象しかもってなかったので、やたらと怒られたから、ある意味面接官よりビビったものだった。ところが今時は、例えば「新報道2001」なんてなテレビ番組でも、トランプが右だのパックンが左だの実に気安く使ってやがる。イグっさんがなぜそんなに怒ったのか、真意は知らないが、主張はその通りだと今は思う。便利な言葉を安易に使うのは、本書の筆者風にいえば「ロゴスの退廃」だと思う。

     さて入社すると、それこそ冷戦構造下の「左」が恰好よかったころの残党みたいに映る上司がいる。俺が大学生のころの学生演劇は、唐十郎の亡霊みたいな舞台が結構主流であって、俺はそれがとてもスノッブに見えて反発を覚えたものだった。もっとストレートな娯楽作品をやるべきだ、なんてことを思っていた。入社したての俺には、当時の新聞社内の様子がちょうどそれと似ているように見えて、必然、演劇と同じような反発を覚えたわけだ。さらに会う上司がろくでもない人ばかりだったのが余計にその反発を正しいものへと助長させていった。

     だけど、そういうことじゃないんだな、と働いているうちに段々思うようになってきた。世の中には色々な人間がいるということだとか、この世の中を構成する社会システムは結構もろいものに過ぎないことだとか、そんなことに気づいてみると、「現実的」で「歯切れよく明快」な理屈に見える主張も、ある種の人々には全く現実的ではなかったり、ただ単に物事をすっ飛ばして考えているだけに過ぎなかったり、世のシステムをのほほんと信じていることを前提としていたりする、といったことが見えてくる。つまりあの頃の自分はひと言でいえば世間知らずだったということなのだが、お陰で産経系の勇ましい人々はぐんぐん色あせて見えてきて、やがてすっかり嫌いになった。会社を辞めて、自分自身が「現実的」が想定している枠組みから外れたことが大きいと思う。

     なつかしいというのはそういう経緯によるが、久々に触れてみても納得させられるところがあるのはさすが、というのも偉そうだが、さすがだと思った。本書は運動家の側だけでなく、親体制の側もくさしていて、当人いわくは幼少のころからの冷笑家で悪口専門の物書きということらしいが、そこに厚みを持たせるだけの学識なり教養なりがあるのだと思う。なんだかんだ勉強は大事です。ただ、納得させられつつ、どこかに能天気な部分というか甘い部分があるようにも思えつつ読了したのだが、丸のみしないだけの知恵はついたということか、それとも単にヒネ具合がひどくなっただけなのか。

     

    『「反戦・脱原発リベラル」はなぜ敗北するのか』浅羽通明 ちくま新著2016


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