虹色の霧P(34)修羅場の喫茶でくつろぐ偽開発区民

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     旅順といえば、日清戦争のころの旅順虐殺という日本ではあまり知られていない事件があるが、どこに何を見に行くというアテもない。微妙に時間は余っているが、最初に提示した場所は全部行ってもらったので、これにて旅順巡りを終えることとした(本当は二龍山に行くべきだったのだが)。

     帰途、霧Pは少し晴れたような気もするが、相変わらず天気晴朗ナレドモ視界不明瞭。ホテルに近付くと、張氏は「またいつでも呼んでくれ」(想像)と、名刺をくれた。夜空に星が輝く妙に派手なデザインで、一瞬、夜の店の割引券でもくれたのかと思った。
    ホテルの車返しで満面の笑みで送り出されると、早速ホテルの宿泊客が寄ってきて、張氏は再びどこぞに客を運びに行った。親切ないいおじさんだった。語学力ゼロのせいで少しも会話できなかったのはもったいなかった。

     とりあえず休憩をしよう。俺はホテルにある、「夏目漱石も訪れた」の流れをくむ店とはまた別の喫茶室に入った。中国茶でも飲むべきところだが、熱いコーヒーが飲みたくて、ついぞ中国で茶を飲むことはなかった。店員が淹れるのを待っていると、昨日の夏目漱石の喫茶店のよく喋るママさんが現れた。「あれ?どこかで会いませんでしたか?」

     昨日の今日でもう忘れられている。飲食店の主としてそれはどうなんだと思いつつ、14億もいるのだから致し方あるまい。「昨日の朝に」と説明しようとして、口元が忙しいママさんは「開発区の人でしたっけ?」と、誰かと間違えている。経済技術開発区のことだ。地理の試験にも登場する。経済特区と似たような、外国企業を誘致する地区である。大連にも巨大な開発区があって、日本企業も多く進出している。俺似の日本人がいても不思議ではない。なにせこちらは、中途半端に似ている芸能人が多い「似てる器用貧乏」である。

     「さっき知り合いのおばちゃんがいいものくれたからサービスするよ」とママさんはうれしそうかつ、「ジャーン」と古臭い日本語の効果音とともにトウモロコシを出してきた。それをゆでながら、壁にかかった古い写真を眺めている俺に、「他にもいろいろあるよ」と旅順博物館のミュージアムショップにもあった大連の写真集を出してきて商売を始める(書き忘れていたが、二〇三高地の土産物屋が言う通り、旅順の写真集は博物館には売っていなかった)。

    日本のより、黄色が淡い。

     2枚で10元の絵葉書だけ付き合った俺は、コーヒーをすすって煙草に火をつけ、吹き抜けの天井を見上げた。ロの字型の建物の、中庭にあたるこの店は、「五色の虹」の筆者である三浦英之氏が、ここ大連に暮らす建国大学の中国人卒業生と面会した場でもある。隣にはあやしげな男が付き添い、昔話が共産党に不利な話になった途端、この男が取材を打ち切ってくる物騒な展開が繰り広げられた場所でもある。

     その後三浦氏は、このホテルの廊下やエレベーターホールで、公安当局の人間から執拗にバスポートチェックを求められる嫌がらせを受ける。そんな場所で、俺は呑気にトウモロシをむしゃむしゃ食べている。ロビーには警察官が常駐しているが、ソファにもたれてスマホをいじりに夢中という、大阪府警もびっくりのだらしなさ。俺には目もくれない。

    星海湾の海上道路から見えた建物。リゾートマンション? 何にしても、やりすぎ。

     

     こちらはただの観光客だから、向こうさんにすればどうだっていいただの雑魚。取材用のビザで入国してデリケートな存在に話を聞く立場とは、そもそも存在の重さが子犬と関脇くらい違うのである。ある線を踏み込んだ人間は、中国政府のイメージに沿った厄介さに翻弄される。開発区で働いている人だって、日々の業務の中で、「なんでこの程度が不許可なの?」というような不気味な閉鎖性の端々にぶつかっているのだろう。以前に仕事でメーカーの人に話を聞いたときも、担当者はそんなことをボヤいていた。
     日本だってどこの国だって、国家なんてのは時としていくらでも横暴に、あるいは冷血漢になるものだが、この国はその範囲が妙に広い。ただの観光客とはいえ、何かのかみ合わせがおかしくなれば、面倒なことになる。

     俺が持って行ったガイドブックは、中国側に配慮したような文面になっている印象があるが、これもトラブルを避けるためだと推測する。台湾が大陸とは色違いになっている地図がついていたせいで、別室に呼ばれたという事案をこの本では紹介しているから、日本人が何の疑問も持たないことでも地雷を踏む可能性はあるのである。幸い俺は、持ち物検査とIDチェックで済んだ。それでも十分規制大国ではあるのだが。

     一方で、日本のように、何かマナー違反をしていないかと人目を気にする必要は皆無だ。その点では気楽な社会でもある。こんな自由奔放な国民の政府が一党独裁というのもおかしな取り合わせだが、古来より支配者層が漢族だろうとモンゴル人だろうと満州族だろうと、知ったことかと暮らしていた歴史があるからこんなものなのか。それとも情報統制がうまいこと機能しているのか。おかしな感じで鼓腹撃壌になっているとはいえそう(日本も結構そうだけど)。まあ、東アジアの国々は、大なり小なり国民が爐上瓩暴晶腓任垢らね、ただし、中国人の場合は、権威をちっとも信用しない面従腹背なしたたかさが強い印象があるが。


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