【やっつけ映画評】証人の椅子

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     京都文化博物館は関西を代表するフィルムアーカイブだ。もう一月以上前の話になるが、ようやくのようやく、初めて上映会に行くことができた。非常に古いレアな作品から、案外新しいものまで、色々な作品を毎日のように上映している。上映室は映画館並みである。府の施設なので料金は安いが、もっと払わせてくれと思ったくらいだ。そしてもっと早く行くべきだった。

     徳島ラジオ商事件をモデルにした古いモノクロ作品だ。なにせ「ラジオ商」という言葉自体が、古いというより世代的にピンとこない。幼いころにこの事件の再審関連のニュースを見た記憶があるが、なぜ記憶に残っているかといえば、「ラジオ商」なる聞きなれない単語が、聞きなれないせいでおどろおどろしく響いたからだった。

     その俺にとっては謎の単語であり商売である「ラジオ商」について、普通に映像として登場するだけでも価値がある(文字面通り、電器屋みたいなものだが)。無論、主題は冤罪だ。証言を誘導する検察の悪辣な捜査を糾弾する内容ながら、娯楽性の高い作品に仕上がっている点、なかなかの傑作だと思った。

     検察官たちがやりとりする場面で、いちいちわざとらしく失笑する(←呆れて笑うの意ではなく、思わず吹き出してしまうの意)客がいたが、上映後にそちらを伺うと、紺ブレの襟元に秋霜烈日のバッヂが燦然と輝いていた。映画の中でもさんざん映っていた検察官のバッヂである。つまりは、本職の人間が見てもそれなりにリアルに描けていたということなのだろう。ただ、今時分の検察官だって、笑ってる場合ではないんだがな。大した度胸or無神経さだ。

     本作は、興業的には失敗に終わったらしい。確かに、テーマが重いし登場人物の設定も、演じる役者自身も、総じて地味だ。唯一、常人離れした男前な顔立ちの俳優は、強引検事の役だから悪役である(その上、魅力的な悪役というわけでもない)。脇役には俺でも知っている渋い役者陣が揃っていたが、一般的に「売れる」とされる要素とは縁遠い。
     しかし、売れなかった理由として、ひとつの根拠のない仮説が浮かんだので、それを書いておこうと思う。
     

     本作が描くこの事件は、検察官が直接捜査をしている点が珍しいものの、それを除けば、典型的な冤罪事件の構造をしている。有力な証拠がない中、アイツが犯人に違いないという筋を描き、それに沿って自白を強要したり、関係者の証言を誘導したりする。一般の人間は取調べなど受けたこともないから、初体験のわけのわからない状況で冷静に抗うのは難しい。こうして無関係の人間が「私がやりました」と嘘の自白をしたり、見てもないのに「確かに見ました」と嘘の目撃証言をしたりする。

     本来検察官は、警察の捜査について、証拠が十分か、不備がないかをチェックする立場であるが、当の検察官自らが強要をやっているから止めようがない。そういうおおよそ勝ち目のなさそうな無実を晴らすための戦いに挑む主人公が、当人いわく「ただの陶器屋」のくせに、妙に知恵とたくましさがあるから、この映画は見ていてまだ救われる。

     このような不幸は、映画がモノクロだった昔の時代のお話かというとそうでもない。「それでもボクはやってない」という映画が21世紀になっても作られていることからもわかる。もっとあからさまに、調書を捏造した事件もあった。そして、足利事件にしろ何にしろ、強引な捜査や、インチキな捜査が明るみに出るたび、人々は驚く。

     警察が不祥事だらけでも、陰湿な交通取締に心底腹を立てても、事件捜査の中身まではあまり疑わない。警察官自身が、わいせつだの暴行だの事件を起こしてももはやあまり驚かない世の中だが、先日の殺人事件で犯人が捕まりましたが、完全にでっち上げの捜査で、その人は無実でした、となれば驚く。警察官の職権を拡大するような法律が議論されると、「治安のためには仕方ないんじゃない」と賛成する人が少なくないのも同じような文脈だと思う。現代人の多くは、警察や検察の無謬性を、どこかしら牧歌的に信じているといえる。

     この映画が売れなかった理由として、俺が想像したのは、もしかして当時の人は「そりゃインチキくらいこいとるやろ」と、映画の中身を当たり前のこととして捉えて興味を抱かなかったのではという根拠のない夢想だ。「なななんと政治家が賄賂を貰っていた!」とか「ええ!テレビがやらせを?」とかいう映画を作っても、そりゃそうやろくらいにしか思われず、あまり人気を集めなさそうなのと似たようなことだ。

     戦中から敗戦の激動を経験した人が多数派の時代である。特に思想犯については、昨日まで「凶悪犯」だった人が、間違いでしたとばかりに釈放されたような時代である。捜査機関をハナから信用しなくても不思議ではない。「ただの陶器屋」のオヤジが、案外たくましく証拠集めが出来たのも、物語の都合というよりは、市井にも、ハナからお上を信頼しない人がいくらでもいたということかもしれない。

     これはちょっとだけただの妄想ではなくて、古い文章を読んでいると、これと似たこととたまに出くわすものだ。
     「昔の人は、今の人間より無知だ」というイメージがある。科学や医療分野ではそういう例を見つけることは容易い。ところが案外そうではないことも実は珍しくない。古い新聞や本を読んだときに、今の時代では「目からウロコの事実」扱いなことが、周知のこととして平然と書いてあるのと出くわすことがあるのだ。例えば、孫崎亨「戦後史の正体」は2012年の本で、帯には「えっ、これは驚いた」と書いてある。実際読んでみて、「なるほどそうだったのかあ」と目からウロコが落ちる部分もいくつかあったのだが、先日、昭和30年代に書かれた本を読んでいたとき、この「目からウロコ」の話が、平然と書いてあった。それも周知の事実として。つまり、「えっ、これは驚いた」のは、単に昔は知られていたことが忘れ去られたからだ。

     同様に、「それでもボクはやってない」では「えっ、これは驚いた」になるのに、この映画では、当時は周知の事実でしかなく、結果売れなかったのではないか。そんな仮説を考えてみたのである。無論、妄想でしかないが、このような退化現象は、実際にあるということ自体は頭の隅に置いておこうと思う。先日、戦前の日本には電気もガスもなかったと誤解している学生を見かけたが、ものによっては、我々もこの学生と同じような勘違いをしている可能性はいくらでもあるのだ。そして、警察や検察がこういう過ちをやらかす可能性は、現代でも特に変わりはない。

    1965年日本
    監督:山本薩夫
    出演:福田豊土、吉行和子、新田昌玄、大滝秀治、加藤嘉


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