「批判の対案」を考えたことについて

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     街中で共謀罪の反対署名を求められたので応じた。汚い字で名前を書いている間、この法律がいかに恐ろしいかというような話を運動員のおじさんがしているのだが、その口ぶりに多少苛立ってしまった。前にも書いたような話だが、「監視社会」等々定型句が多いからだ。模範解答的定型文で8割方できている学生の論文を何百通も採点しているという最近の個人的事情のせいで余計に癇に障る、半分は言いがかりである。あと、何度も同じことを繰り返している内容を、自動再生しているような話し方もちょっと面倒に感じたので、つい「その説明じゃ伝わらないと思いますよ」遮ってしまった。

     「そうですねん、この法律はなかなかわかりにくいんですねん」
     「いや、法律の内容じゃなくて、危険性を訴える皆さんの説明が」
     多少、失礼だったか。後になって少しだけ反省した。それより考えたのは、はて偉そうに言ったものの、実際、何て説明すればいいんだろうかということだった。

     まあ担当の大臣の答弁がしっちゃかめっちゃかとっちらかっているので、法律自体もそれはそれは難しいのだろう。何しろまだ起きてないことを取締る空手形にも程がある法律だから、中身について理攻めで問われても答えられない、というのがかの法の本質を顕わしていますわな。担当官庁の一番エラい人があの体たらくというに法律なのに、反対の世論も盛り上がらないというのが一番の「わかりにくい」謎であるが。何の分野であれ、別にこんな大層なものでなくても、答えられないという時点でアウト、以上の理屈が必要なのかという話でもある。ドラマ「SP」は、警察権限強化のために、警察自身がマッチポンプの陰謀を仕掛けるという筋立てだったが、そんな手の込んだことは実際に要らなかったという点、フィクション屋にとっても泣かせる展開である。

     話を戻すと、俺個人にとっては「警察なんて何するかわからんところ」というのがまずある。フリーハンドを与えれば、何でもやってしまうという意味だ。当の警察の人間が言っていたのだから世話はない。それも以前にも書いたように、俺自身の思考回路が産経新聞的だったころに組織犯罪対策法だったか、警察権限を拡大する法案について「ああいうのは要りますよね」と言ったら、お前はアホかくらいの調子で鼻で笑われた。「警察なんて何するかわからんところやぞ」。

     実際、現行法下でもやるときは本当にやる。「ヤクザと憲法」にもそんなシーンが出てくるが、存在が存在だけに問題視されない。そしてヤクザでなくても、ヤクザのようにパブリックエネミー的立ち位置にいる人間はよくやられている。報道が記事にしないことを知ってるんだ、彼らは。

     だいたい不祥事だらけの組織なのに、なぜ信じられるのだろう。実のところ、いくら不祥事が出てきても、報道が言う「信頼が失墜」はしていないというのは前も書いた。「リアルな刑事ドラマ」の条件は、「上の人間が総じて陰謀家」で、そういうドラマは一定の人気もあるのにね。

     最近、この法案に重ねて思ったのは、駐禁の緑の人々である。
     それ以前に交通警察官がやっていたチョークを引いて一定時間待って、という慎重な方法と違って、現認した瞬間切符を切るというかなり強権的な手法に切り替わった。それもやたらと人数が多いから、油断するとすぐやられる。それで世の中、路駐しないか、一人が車に居残るようになったので、することがなくなった彼らは二輪の駐禁を切り出した。規制緩和でビッグスクーターが増えたというのも背景にはあるのだろうが、放置自転車の合間に埋まっている原付を見つけ出していちいち駐禁の処理をしている様子は悪い冗談に見えた。

     要するに、取締る側というのは、暇になるとやらなくてよさそうなことまでやるということだ。「弁護人」のカン課長と似たような話だ。優秀な刑事がどう見てもただの世間知らずの青年に執拗にこだわって自白を強要する作業は、税金その他色々と無駄づかいが過ぎる。緑の人々も予算がついているので「本日は違反ゼロでした」では済まないのだろう。強化月間なのに拳銃を一丁も挙げられていないのはマズイというので自作自演をした稲葉氏も、カン課長同様優秀な人物だったと自伝の相対的なまなざしからうかがい知れるが、とにかくこういうアリバイ作りの延長線上での脱線である。

     もちろん駐禁については、法的には停めた側が悪い。ま、だから余計に「そういうことだ」という話でもあるのだが。一度、街中で大声でもめている男女の横を、緑のおっさん2人が素通りし、そこにいた周りの人間全員「警察ちゃうんかーい」とあっけにとられて、しゃあないから代わりに取りなしたという場面も遭遇したことがある。この2人が気が利かなかったということではあるのだろうが、そもそも担当業務ではないので、妥当な判断といえばそう。彼らにとって大事なのは、たまたま遭遇したトラブルよりも、担当業務の件数確保になるわけだ。こういう融通の利かなさを、この法案を見聞きするたび思い出す。

     ただ、こんな警察の悪口を街頭でアピールしてもあんまり効果はなさそう。というか、それみたことかと逆効果になりそう。今の話も、車やバイクに乗らない人には「何言ってんだこいつ」と反発されると思う。同じくこの法律も、実際のところ、関係ない人には関係はない。そしてそういう人が大多数だろう。

     しかしながら、平時でなくなると事情は変わるに間違いない。大規模災害、大規模事故、隣国との緊張その他、花見を遠慮するような空気が蔓延するような出来事が起こると、事情は変わってくる。それでも関係のない人の方が多いと思う。ただし「私」には無関係でも、「私の頼りたい人」はいなくなる可能性はある。そして平時と違って困りごとの総量も件数も増えるから、今はいなくても、「私の頼りたい人」の数や認知度は増える。
     そしてそのうちはばかることがやたらと増える。これは多くの人にとって無縁ではなかろう。横暴な上司のいる職場と同じで、声はひそひそになり、同僚が急によそよそしくなったりする。活き活きし出すのはスネ夫ばかり。こういう職場に比べ、実社会がさらに難儀なのは、はばかる相手が横暴上司でもスネ夫でもなく、目の前の友人知人なところである。何のいいことがあるというのか。

     こういう推測は、実のところヒントのかなりが、共産党その他左派の人々がすぐに引き合いに出してなかなか同意されない戦前の話からである。「戦前回帰」的主張はしばしば「時代が違う」「大袈裟」と鼻で笑われる。右翼しぐさの人々が好きな「WGIPの洗脳」というのは、むしろこれのことではないのだろうか、と最近思う。なので、「治安維持法」と聞いて鼻で笑ったあなたはWGIPに洗脳されてます、と言えばいいのか。その手の人が噛み付くだけだな。

     帝国崩壊という大きな分断を挟んでいるとはいえ、たかだか70〜90年前の話。それも近代国民国家という大枠は同じ。参考にならないと思う方がどうかしている。孫子の経営学的な本が一定程度売れるんだから。まあ孫子の場合は、ソクラテスと同じで超基本的なことを言っているので時代を超えた普遍性があるのだろうが、でもまあ前世紀であれ紀元前であれ、歴史というのは隔世の部分と普遍的な部分とがあるんでしょうよ。

     で結局何ていえばいいんだろう。俺が個人的に思うのは、姪っ子を息苦しくさせたくない、ってことだけど。


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