自己点検翻訳

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     ここ数年この時期は、某大学の正課の授業を担当している。今年は少し内容が変わった。立場が低いので、俺が決めているわけではない。とにかくそのせいで、昨年までだと授業についてこれずに早々にいなくなる留学生が、今年はまだ何人も残っている。留学生を相手に授業をするのは実質初めてで、外国から来た彼らが俺の話に「なるほど」といった表情で頷いているのはなかなか新鮮な気分だ。


     レポート提出は当然日本語なので、微妙におかしな文章を書いてくる。とはいえ、9割方意味はわかるので大したものだ。大抵は助詞や助動詞の間違いで、逆にいうとその程度にとどまる。ある一人の学生にいたっては、日本の学生より遥かにしっかりした文章を書いていて、名前が外国風なだけで日本人なのかとすら思った。話しかけたら普通に外国訛りの日本語で返答してきた。英語教育に物申す人間は読み書きを軽視するのが定番だが、この学生を目の当たりにしたら、「会話重視」が実にちゃちな意見に思えた。ま、少なくとも俺にはまともに文章を書ける外国語の持ち合わせはない。そしてまともに会話できる外国語もない。

     

     正確な国籍は知らないが、多くは中華圏の名前をしている。中国のデキる人間はえげつないほど賢いという先入観があるのだが、語学はさておき、レポートの内容は日本の学生同様未熟だったのでほっとした。俺の出番もあるということだ。そんなことを考えないと、教壇に立っている時点で偉そうなのに、外国人にこちらの言語で聴講、会話をさせているという立場に落ち着かなくなるのだ。初心者につき。

     

     彼らは日本語での授業を前提条件として入学してきているので、こちらは普通に日本語で授業をすればいいのだが、やはりそこは少し考える。喋る速度や発音の明瞭さもさることながら、わかりやすい表現や、より正確な表現を選んで話そうとしている。こう書くと、子供に話しているような言葉を想像するかもしれないが、そこまでではない。文章の推敲のようなもので、ほんのちょっとした違いだ。

     

     「日本人の知らない日本語」というマンガで、日本語を解する外国人に日本語で通訳する滑稽なシーンがある。医者が患者に「どうしました」と聞いても通じないが、「どこが痛いですか」と狡面瓩垢襪板未犬襦これと同じような話で、より厳密な表現をなるべく選ぶ。「じゃ、やりましょか」ではなくて「では始めてください」とか。話し言葉は書き言葉に比べて、使う意味の範囲が広いこともあり、日常会話は深く考えなくてもだいたいの言葉の選び方で通用する。それをいちいち見直すのは、自己点検のような作業だから、教える内容についての自分自身の理解が、改めてちょっと深くなる発見にもしばしばつながり、自身の修練にも都合がいいのである。このようなことは、よりわかりやすく正確な説明を書こうとして文章の推敲を重ねた経験のある人なら、多かれ少なかれ身に覚えがあるのではないだろうか。

     

     こちらがそこまでしなくて、「どうしました」「じゃ、やりましょか」といったいつものスタイルで通す方が、生きた日本語に触れられるし、何よりそういうことも込みでの留学ではないのか。という指摘も一定の合理性はあるだろう。だが、自分が楽をする方向性の正当性は、教壇に立つ場合にはあまり役に立たないというのが個人的な経験則である。会社員時代に話の合わなかった先輩が、教育部門に異動になって大学に出入りするようになったら俺と同じ意見をいうようになっていたのでおそらく一定の真理であろう。こっちは学位を持たない講師芸人につき、余計にそうなるのだ。

     

     このため作業量が増えてしまい、結果、すでに書いたようなところにぶつかるという一面もあるのであるが、大学側の担当教授が「今年も冴えてるね!」と過分に褒めてくれるので収支はプラスのような気がしてくるのだった。結局、褒められたいだけなのか。まあそうだろう。


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