【やっつけ映画評】栄光のランナー/1936ベルリン

0

     古典学者、数学者、天文学者を演じる学問俳優ジェレミー・アイアンズが、五輪の委員を演じる作品だが、今回は脇役である。いつものバサバサの白髪をオールバックに整髪して眼鏡に髭だったから最初気づかなかったが、声でわかった。歌手以外で外国人の声を聞き分けられたのは初めてかもしれない。ベルリン五輪ボイコットを頑強に反対する役どころだが、その熱意にうっかり感動すると、後で裏切られる。


     たまたま出演俳優が重なったから、裏口から話を始める恰好になってしまった。裏口に回るよう命じられる本作のある意味犖事瓩淵薀好箸鯣蘰ったつもり。


     原題「RACE」がシンプル過ぎるせいか、ゴテゴテとした邦題になっている。おかげで「競走」と「人種」の掛詞が消えてしまった。ならば代わりを考えるしかあるまい整いました。人種差別とかけまして、100メートル走と解きますそのこころはどちらもだいたい重病/十秒ですねずっちです。とにかくタイトル通り、1936年のベルリン五輪にまつわる伝説的走者の物語で、差別が大きなテーマとなっている。


     スポーツと差別といえば、以前に「42〜世界を変えた男」について書いた。本作も、ジェシー・オーエンスというアメリカの黒人ランナーが主人公なので、シャワーを使うなとかその手の差別と出くわすことになる。彼を擁護するコーチのラリーに対して、差別的なアメフト部の監督が「なぜ面倒を起こすんだ」と説教してくる「差別する側が、される側に、お前が話をややこしくしている」とのたまう構図も、いつも見る景色で、当然「42」とも重なってくる。

     

     ただし今回は、汚い言葉を吐いてくる相手チームや観客だけが相手ではない。ナチスが絡んでくるから、話はもっと巨大で複雑になる。公然と差別をしている政権が絡む五輪に、選手団を派遣するのは差別に加担する行為に映るから、選手たちは思い切り政治に巻き込まれる。加えて、ドイツが五輪開催を優先して人種融和をアピールしたため、ジェシーたちは現地で大歓迎を受け、本国のように白人と別室を指定されることもないというねじれ現象を体験するから話はより複雑でもある。ついでに幅跳びでジェシーと熱戦を繰り広げるドイツの好敵手ロングは、「優秀なアーリア人」として過度な優遇(というか優生)にさらされ困惑している。


     スポーツと差別の話は、先日佐藤琢磨の件があってタイムリーになってしまっているが、「42」であらかた書きたいことは書いたので、ここではスポーツとそのメッセージについて考えてみたい。

     

     アメリカの五輪委は、学問俳優演じるブランデージ会長の尽力(ないしは談合)によって、大会参加を決める。だが、黒人の権利獲得を訴える団体は、ジェシーに抗議の辞退をするよう求める。メダル最有力候補が大会参加をボイコットすることで、ナチス批判、ひいては自国の黒人差別批判につながると期待するからだ。

     

     それに対してジェシーの父は、強烈な反論をぶつける。曰く、ボイコットしても「誰も(差別の問題には)気づかない」。置物のように一言も発しないキャラだったのが、急に鋭いことを言うから余計強烈に刺さる。出場した選手がたくさんメダルを持ち帰るから、ジェシーはむしろ非難されるとも言う。

     

     ボイコットがメッセージになりにくいのは、自ら不戦敗を選ぶ行為がそもそもスポーツの本旨とは相容れにくいからだろうか。絶大な効果をもたらしたボイコットの例としては、ブラジルのサッカー選手ロマーリオの一件がある。家族を誘拐されたロマーリオが、このままだとW杯に出場しないと宣言した途端に犯人が見つかった。結果、出場しているからボイコット未遂ではあるが、ジェシーの周辺が期待したのも、本質的にはこれと同じ構図だろう。出なければ勝てないので、国民が本気を出して、事態が好転する図式だ。だが、誘拐犯が逮捕されて解決されたのと同様(とまではいえないだろうが)、ナチスは少なくとも五輪期間の人種融和は認めているし、誘拐犯逮捕と違って、米社会の人種差別解消は巨大で根深すぎる問題だ。ポイントは、父親自身が「誰も気づかない」と言っているように、差別の問題がとても困難なのは、差別している側に自覚がない(上に正当化する)ことだ。

     

     では勝てば効果はあるのか。本作ではヒトラーは台詞のない端役なので彼が何を感じたのかは明確には描かれないが、代わりにゲッベルスはジェシーの活躍に「思ってたのと違う!」とばかりに苛立ちを爆発させる。ドイツ人の偉大さを宣伝するはずが、蔑んでいた黒人にまんまとメダルをさらわれる。ざまあみろと胸のすく場面だが、この男が宗旨替えするはずはない。党是を捨てるようなものだし、優生ファンタジーに憑りつかれた差別者が、見たくないものを見ないのは今の日本を見ればよくわかる。

     

     そういう極端な連中は置いておいても、本国アメリカの人間の意識が変わるかといえばどうだろう。
     象徴的なのは、ラストのリレーにまつわる悲しいシーンだ。ゲッベルスの圧力に屈したブランデージ会長は、リレーに出場予定だったユダヤ系2選手を降ろすよう指示する。当然すったもんだあって、代わりにジェシーらが出場することになるが、彼らの活躍によってアメリカは優勝する。この歓喜の瞬間、ユダヤ差別に屈したことを考えた人は、どれくらいいただろう。この指摘が細かいことをつついているように響くのは、スポーツは「結果がすべて」だからである。結果がすべてだから、コーチのラリーは優秀な走者たるジェシーを肌の色で差別しない(それでも白人だから気づかないことをジェシーに指摘され何度か凹むのだが)。それと同時に、結果がすべてで人種は関係ないから差別の話は霞むことにもなる。ジェシーの父親が言うように、「誰も気づかない」のは勝っても同じなのだ。

     

     このためラストで、黒人に閉ざされた扉は英雄のジェシーにも開かれることはない。ドアマンに悪意があって妨害しているわけではなく、規則で決まっているからだ。壁の厚さを端的に示した象徴的な場面だ。唯一の救いは白人少年が憧れの目でサインを求めてきたことで、彼が大人になるころには時代も変わるのだろうかという期待を持たせて映画は終わる。
     実際には彼が大人になったころ、また一人のスポーツ選手が相変わらずの差別と闘うのだった。その選手は、本作の200メートル走のシーンで、ジェシーとトップを争うチョイ役の弟である。ベルリン五輪男子200メートル走銀メダリスト、マシュー・ロビンソンの弟が、「42」の主人公ジャッキー・ロビンソンである。彼もまた、ジェシーと同じく、差別が制度化されている社会で、じっと耐え抜き実績を出し続ける方法でもって静かな抵抗を続けた。公然と反旗を翻すのは、トミー・スミスやモハメド・アリの時代まで待たなければならない。

     

    「RACE」2016年アメリカ、ドイツ、カナダ
    監督:スティーヴン・ホプキンス
    出演:ステファン・ジェームズ、ジェイソン・サダイキス、ジェレミー・アイアンズ


    コメント
    コメントする








       
    この記事のトラックバックURL
    トラックバック

    calendar

    S M T W T F S
     123456
    78910111213
    14151617181920
    21222324252627
    28293031   
    << July 2019 >>

    selected entries

    categories

    archives

    recent comment

    • お国自慢
      森下
    • お国自慢
      N.Matsuura
    • 「続く」の続き
      KJ
    • 【映画評】キューブ、キューブ2
      森下
    • 【映画評】キューブ、キューブ2
      名無し
    • W杯与太話4.精神力ということについて
      森下
    • W杯与太話4.精神力ということについて
    • 俺ら河内スタジオ入り
      森下
    • 俺ら河内スタジオ入り
      田中新垣悟
    • 本の宣伝

    recent trackback

    recommend

    links

    profile

    search this site.

    others

    mobile

    qrcode

    powered

    無料ブログ作成サービス JUGEM