本の感想

0

     新聞記事でもって昔の出来事を調べるとき、もっぱら優先的に利用するのは記事検索データベースだ。新聞縮刷版に比べれば、ほしい記事を見つける手間は格段に少なくすむ。ただし縮刷版にも1つだけデータベースに勝るところがあって、時代の雰囲気の生々しさが圧倒的な点だ。当時の紙面がそのまま収録されているので、調べたい記事の下には当時の「最新」を謳う各種広告が躍っているし、隣の欄や隣のページには目的の記事以外のニュースが並んでいるのが嫌でも目に入る。例えば昭和の政治の話を調べているのに、最新型のカラーテレビや封切したばかりのゴジラ、王貞治の本塁打等々も目に飛び込むというわけだ。活字の書体や写真の映りも一役買ってはいるが、何よりこの雑多な横並びが、自分が調べている時代のリアルな空気としての迫力を生むのだと思う。

     

     本書は、これと同じような雑多な横並びを示すことで、アメリカ社会のある1年を、結構な肌触りとともに再現した見事な歴史物語となっている。
     タイトル通り、1927年のアメリカを描いている。表紙絵のモチーフにもなっているリンドバーグの大西洋横断飛行と、ベーブ・ルースのシーズン本塁打記録、渋いところではラシュモア山の彫刻開始など、後世まで語り継がれることになるいくつかの偉業が重なり合った年である。世界史の教科書的には、第一次世界大戦後、世界トップの経済大国になったアメリカの大量消費社会時代であり、2年後に世界恐慌を控えた年でもある。この1927年について、時系列に従って、起こった出来事が紹介されていく。もちろん、物事には前後関係があるから、27年以前の出来事にも言及があるし、場合によっては「その後」のエピソードに触れることもあるが、構成の軸は27年の5月、6月、7月・・・といった時系列だ。その軸に従って、調べたことを淡々と並べているだけといえばそうなのだが、これが滅法面白い。辞書のように分厚いが、一気呵成に読んでしまった。

     

     一つは筆者がやたらと調べているからで、「へえ〜知らんかった〜」という細かな歴史的事実が知的好奇心を刺激する。その事実を吉村昭のように、余計な装飾を排して綴っていく。のだが、吉村昭と違うのは、いかにもアングロサクソン的な皮肉な調子がしばしば混じるところ。単に吹き出してしまうだけでなく、浮世の悲しみと可笑しみをえぐり出して前景化させることに、皮肉や毒っ気が大きな役割を果たしている。

     

     この「やたらと調べているところ」だが、単なる衒学趣味ではないところがミソだ。時代の再現性、臨場感を描き出すための役割を担っている。
     例えばプロローグは、リンドバーグ以外の大西洋横断に挑んだ飛行士たちの失敗例がしつこいくらいに述べられているが、地球上全域が空の路線で結ばれている現在にあっては今一つピンとこない大西洋横断の偉業の位置づけを読者に示すには必要な要素といえる。山師のような男に危うく計画が食い物にされそうになるくだりや、最終的に機体を発注したメーカーが倒産寸前だったことも当時の飛行機業界を取り巻く環境が垣間見えるし、機能が極限以上に削られた機体も、挑戦の困難さやリンドバーグ本人の、いかにも天才にありがちなネジが数本抜け落ちたような特異性を浮き立たせている。
     あるいはフォードが初めてアメリカの車に左ハンドルを導入したというトリビアルな事実も、それ単体としても十分興味深いエピソードだが、すっかり忘れられてしまった「その時代の当たり前」を再現するのに一役買っている。右側通行なら左ハンドル、日本のような左側通行の場合は右ハンドルと、運転席は道路の中央寄りに設けるのが常識だが、自動車黎明期はそうではなかったらしい。すっかり当たり前のようになった時代の人間には、そうではなかった時代を想像するのは難しいし、そうではない時代があったことすら想像もつかないものだ。裏を返せば、そうではない時代があったのだと示すことは、時代の臨場感を生むのにはもってこいの素材といえる。

     

     こういった要素が、新聞紙面を広げたときに押し寄せる時代の圧を構成する広告のデザインや活字・写真の雰囲気と同じ役割を果たすのだろう。そのようにしつらえられた舞台で、有名どころから、かろうじて名前が残ったような市井の人々まで多種多様な実に多くの登場人物が現れたり消えたり入り乱れる。

     

     基本は時系列の記述なので、ベーブルースの話がある程度進んだところでアル・カポネの話になったり、リンドバーグが再登場したりとメインの登場人物も出たり入ったりするし、猩凸鬮瓩忘れたころに現れたりする。この構成は、浦沢直樹「MONSTER」を思い出したが、吉村昭風淡々記述の、かつノンフィクションなのに、まるで娯楽マンガ作品のように「それでどうなる?」とページを繰っていけるのは、以上のような組み立ての妙にあるのだと思う。

     

     

    本書の中で印象に残ったのは大きく2つで、1つは当時の群衆がやたらとアグレッシブなこと。リンドバーグはすぐもみくちゃにされるし、彼の後に同じく大西洋横断に成功した別の飛行機は地元住民に分解・横領されるし、ベーブルースが本塁打を放つと客がグラウンドに降りてきてバットをパクろうとするし、現代でもこのようなことはないとは言い切れないが、やはり現代とは次元の異なる熱狂を感じてしまう。テレビのない時代だから(テレビ開発の話も出てくる)、「ひと目見よう」に強烈に植えている分、集団心理が暴走しやすいのか。そういう積み重ねの末に、今の人々はずっと理性的になったようにも思う。

     

    もう1つは迫害の苛烈さだ。世界恐慌前のバブル経済の時代、明るさや豊かさと同居して、排外主義も拡大していた。昨今話題になっていたKKKが勢力を広げただけでなく、政治家や学者ら地位や影響力がある人々の間にも、反移民や優生思想が流行した。実際に収容所とガス室を実践しなかっただけで、ヒトラーに通底する思想は跋扈していたようだ。加えてガス室は作らなかったものの、移民が冤罪に問われたり、逆に白人が黒人を殺害しても罪に問われなかったり、この時代はぞっとするような話があふれている。キング牧師が登場するのは30年以上後だし、今のアメリカも黒人男性がちょっと不審がられただけで警官に射殺されるしで、既知のイメージをなぞっただけに思えるかもしれないが、すでに紹介したように、当時実際起こった出来事を事細かに並べられると、現実感が濃厚で気が重くなる。若くしてスーパースターになったリンドバーグは、その後の人生、まるで自分探しのような目的の見えにくい旅が続くのだが、たどり着いたところがナチス賛美に反ユダヤという、売れなくなった芸能人がネトウヨ化するがごとくのつらい晩年となっている。

     

    このような苛烈な時代を経てきたからこそ、トランプの「どっちもどっち」は激しい反発を呼ぶのだろう。この手の問題にはとかく鈍感な人が多い本邦にあっては、何がそこまで問題なのか今一つピンとこない向きもあろうが、時代の雰囲気を見事に再現している本書によって疑似体験をすると、「どっちもどっち」は少なくとも大統領が口にすることではないという皮膚感覚が明確になってきて、その点タイムリーな作品ともなった。


    関連する記事
    コメント
    コメントする








       
    この記事のトラックバックURL
    トラックバック

    calendar

    S M T W T F S
          1
    2345678
    9101112131415
    16171819202122
    23242526272829
    3031     
    << December 2018 >>

    selected entries

    categories

    archives

    recent comment

    • お国自慢
      森下
    • お国自慢
      N.Matsuura
    • 「続く」の続き
      KJ
    • 【映画評】キューブ、キューブ2
      森下
    • 【映画評】キューブ、キューブ2
      名無し
    • W杯与太話4.精神力ということについて
      森下
    • W杯与太話4.精神力ということについて
    • 俺ら河内スタジオ入り
      森下
    • 俺ら河内スタジオ入り
      田中新垣悟
    • 本の宣伝

    recent trackback

    recommend

    links

    profile

    search this site.

    others

    mobile

    qrcode

    powered

    無料ブログ作成サービス JUGEM