観劇の感想:TERROR

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     久しぶりの観劇。テレビに出ている有名どころがでっかいホールでそれなりの代金取ってやる舞台に限れば、10年ぶりくらいになろうか。「劇団代表者のブログ」という設定にあるまじき間の空き具合。紙媒体の情報誌がなくなって、演劇に限らず、興業の予定を恒常的にチェックすることがなくなったのが大きい。そもそもチェックしようという姿勢が消えているのもある。情報誌が消えてチェックする習慣も消えたからか、それとも加齢のせいか。いずれにせよ、あまりよいことではない。

     

     まあ、大劇場な演劇にはそれほど食指が動かないことも事実。別に小劇場にストイックにこだわっているわけではまったくなく、単に興味が湧く作品とうまいこと出くわしていないだけのことだ。ついでに10年くらい前に見に行ったときは、出演陣も舞台セットも豪華でいかにも金がかかっていたが、安いサイコホラーのような内容で、著しく疑問を覚えながら帰ったものだった。映画ならつまんなくても「お仕事だから」で片が付くが、出演・制作陣にとっても見に来る客にとっても一回性の、高コストな舞台で、どんなモチベーションでこんな帳尻合わせのようなどうってことない作品を作るのだろうかと思ったものだった。当時は一所懸命舞台をやっていたので、俺自身「なんでこれ作ってるんやろ」としばしば生産性のない疑問に取りつかれていたので余計に。

     

     思い出話を書いてしまった。とにかくネットでたまたま見かけてついチケットを予約してしまった。予約したときは暇があったが、いざ当日になると割とそんな場合でもなくなっているあるあるも久しぶり。


     原作がシーラッハというからそれなりおもしろいのだろうと期待しつつ、シーラッハがそれほど好きでもないので、予約して「しまった」になる。「犯罪」しか読んでいないが、古典作家の短編集のような上手さは感じつつ、あまり後味もよくないしでそんなに好きになれなかった。有能な弁護士らしいから、できるやつは何でもできるんだな、ついでにフェルディナント・フォン・シーラッハの「フォン」て貴族の出ってことちゃいますのん、というような醜い嫉妬も手伝いつつ。

     

     今井朋彦、堀部圭亮といった渋い役者が出ているという方が動機付けとしては大きい。実際、二人とも声がよく通って魅力的だった。役どころがテレビでよく振られるのとは違う点も舞台の魅力だよね。マーケティング的には橋爪功が看板だが、物語の中では脇役だった(そもそも主役は誰だ、という類の作品ではあったが)。加えて、この手の大きな劇場でやる公演の割にチラシのデザインがよかったのも後押しした。色々と大人の事情もあるのか、それとも見に来る層に合わせた結果なのか、とにかく大きい劇場でやる作品のチラシは、なんで?といいたくなるほどダサいのが多い。チラシデザインだけは、小劇場の方が圧倒的にセンスのいいものが多い(同じくらい仰天するのも多いが)。

     

     法廷モノである。というよりは模擬裁判に近い。法廷のセットを組んでいるわけではなく、舞台上には椅子と小机くらいしかないが、被告人や証人への質問があり、検察官と弁護人の双方の意見陳述があって、という裁判の進行に乗っ取った構成だ。再現を演じたりはしない。いってしまえば朗読劇のようでもある。かつて自身の劇団作品を評して「立ったり座ったりしながらしゃべってるだけ」と書いたことがあるが、拙作以上に「立ったり座ったりして喋っているだけ」だった。役者が全員手練れなので惹きつけられるが。
     一番のウリは、観客は「参審員」という設定で、観客の投票で有罪/無罪が決まる参加型という点。ドイツが舞台で、ドイツは参審制なのでうまくマッチしている。俺はあまりこのような「参加型」には魅力を感じない、と思っていたが、結果的には色々と考えさせられることとなった。
     このような趣向である以上、作品内容は有罪/無罪が分かれそうな話だというのは予想がつく。
     

     164人が乗った旅客機がハイジャックされ、満員のサッカー場に突っ込もうとした。これを空軍が撃墜して乗客は全員死亡し、スタジアムの客7万人は助かった。撃墜した戦闘機のパイロットは果たして有罪か無罪か。大まかにはこのような裁判だ。いわゆる「トロッコ問題」である。劇中では「転轍機問題」と紹介されていた。個人的には勝手に「極悪非道の殺人者は実は無罪ではないのか?」という無罪にする方に勇気が要りそうな裁判内容を想像していたら、正反対のような内容だった。人数の多寡からいって、どちらかといえば有罪にする方が「躊躇する側」だと思う。


     ただ、法が何より優先する裁判という場であれば、人数がどうであろうと法に照らして有罪か無罪か決めるだけのことである。本作の場合、有罪側は法の要件が揃っているのに対して無罪の側は分が悪い。作中紹介されているドイツの法律が正確にどうなっているのか正確なところはよくわからなかったので、厳密に法に照らして有罪なのか断言しかねる部分もないではないが、弁護側の主張も「超法規的措置」とか「ケースバイケース」といった法の支配とは別の枠組みを持ち出していたので、法の観点に立てば分が悪いというので間違いなかろう。


     さらには撃墜が本当に妥当な対策だったのかと考えさせられる事実も途中で示されるから、有罪/無罪の判断はちっとも迷わなかった。なんだよもうちょっと悩ましい話かと思ったぜ、と若干がっかりしたのだが、蓋を開けると4票差。50.5対49.5くらいの僅差で有罪だった。客席全体が「ぉおお」と低く唸って息をのんだのは、なかなか貴重な体験だった。個人的には、与田の剛速球に球場がどよめいた高校生のころ以来の経験か。聞けば前日は無罪が上回り、東京公演と合わせて五分五分が続いているのだという。
    法律的に有罪か無罪かが悩ましい話を期待していたら、法の支配か超法規的措置かという理性対情みたいな話だったので拍子抜けしたわけだが、世間的にはこれこそ真に悩ましい二択なのだと思い知った。
     

     そこで振り返ってみると、「有罪の方が躊躇する」と自分で書きつつ、自身はちっとも躊躇せず有罪を選んでいた。なんとなれば法律上そうだから。もちろん、無罪を選んだ人も「164と7万なら7万に決まってるだろ」と、さっさと断を下していた人も少なくないだろうが、迷いに迷って判断した人は無罪の人の方が多いのかも。なにせ超法規だから、裁判でそれをいうのは勇気いるよね。

    仮にそうだとすると、無罪判断の方が苦渋が伴う分、重い判断ということになる。俺自身はこの結果にちょっとぞっとして、その正体はこの重さにあるのかもと思った。
     


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