【やっつけ映画評】セデック・バレ

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     レンタル屋にないので見るのが難しい台湾映画の大作だ。結局図書館の世話になった。昨今、映像作品を所蔵している図書館は珍しくなくなってきているが、レンタル屋には置いていないソフトをきちんと所蔵しておくというのは図書館の役割として重要なんだなあと、普段DVDの蔵書は検索すらしたことがなかったので余計にそう感じた。パブリックってのは、僕らの財産すよ。


     「海角七號」の監督が、大ヒットで得た金をつぎ込んで、一転して超ハードな作品を仕上げた格好なのが本作だ。実に理想的なやり方じゃないか。「海角」にしろ本作にしろ、その後制作に携わる「KANO」にしろ、日本統治時代の好きな人のようで、全部「日本」が関わっている。そしていずれも長い。「海角」は130分だけど、内容がユルいドタバタなので長く感じた。「KANO」は3時間。そして本作の場合、2部作構成(実質的に前後編)で、いずれも2時間超だから、合計5時間近くある。自然の景色が凄く綺麗な映像と、戦争が絡むあたり、同じく迷惑なくらい長尺の「アラビアのロレンス」と似ている。そして「ロレンス」も、いってしまえば異郷の人々とわかり合えない物語で、本作もしかり。長い。重い。図書館しか在庫を抱えないのも必然とはいえそう。台湾では大ヒットだったそうだけど。

     

     日本の統治時代を台湾側から描いた作品といえばそうなのだが、漢民族はあまり登場しない。本作の主人公の名はモーナ・ルーダオで、陳さんや張さんではない。いわゆる原住民族で、実際にその血を引く人々が演じているそうだが、全体的に顔つきが濃く、独自の言葉を話し、農耕民族ですらない。監督は漢族系の人で、彼ら原住民についてあまりちゃんとは知らなかったというから、帝国主義時代の被支配地域で作られた映画とはいえ朝鮮半島のようなシンプルな構図ではない。

     

     その原住民たちが植民してきた日本人たちと対立して虐殺事件を起こす。霧社事件と呼ばれる実在の事件が本作のテーマだ。前編(太陽旗)が事件に至るまで。後編(虹の橋)がその後という構成だが、長尺の中で複雑な絡み合いをするような話ではまったくなく、割と単純な物語である。それがここまで長いのはひとえに監督の好奇心を強く押し出しているからだろう。民俗を描いたようなシーンがかなりの割合を占め、セデック族のPVのような感もある。映像的にはかなり魅力的ではあるが、少々しつこさも感じる。今踊ってる場合ちゃうやろと言いたくなる場面とか、何度「虹の橋」と言えば気が済むのかとか、画面に向かってつっこんでしまう部分も無きにしも非ずだった。

     

     裏を返せばそれだけ価値観が違う人々だといえる。価値観というより時間の感覚や死生観など何もかもが違うといっていい。この蜂起〜虐殺も彼らにとっては儀式の側面が強いのではないか。なので切迫した場面で踊り出したり同じ言葉を何度も言ったりするように思う。ここで描かれているのは、帝国主義的支配/被支配や、強者による弱者の弾圧といった構図ではなく、文明の衝突のようなものではないだろうか。

     

     こういう中で興味深い登場人物が、モーナのライバルであるタイモ・ワリスだ。

     

     狩場を巡って死者を出すほど激しく対立した過去を持つため、終生モーナを憎み続けている。日本側にしてみれば先住民同士で対立させておく方が、一致協力して歯向かってこない分、統治には都合がよい。事件の勃発後は、地の利で勝るモーナ側を掃討するためタイモは日本軍に強力させられる。いわゆる分断統治に利用されている格好だが、同じ先住民族の死者を大量に見たことによってタイモは一旦は協力を拒む態度を見せる。このとき彼には、「同胞」という近代的な感覚のひとつが生まれたのではないかと思う。

     

     もう二人似たような人物がいる。日本名を名乗る花岡一郎・二郎の兄弟だ。日本の警察組織に所属しており、もはやセデック族も近代文明に組み込まれるしかないと考えており、日本のお陰で村の生活水準も向上したと、WiLL界隈の御仁が喜びそうな視座を持っている。この花岡兄弟もモーナたちに迫られ味方につくことを選ぶのだが、そのとき彼らを動かしたのはやはり、民族の血というナショナリスティックな感覚だったと思う。彼らは結局悲劇的な最期を迎えるのだが、他のセデック族たちが理解に苦しむくらい淡々と死を受け入れるのに対して、死を悲しみ怖れる態度を明確に見せる。これもまた犇畭緤弧誠有瓩鯀んだことの必然ではなかろうか。

     

     一方のタイモ・ワリスは、一旦は拒むものの、結局は「モーナ憎し」の感情が勝り、日本に協力して戦うことを選ぶ。最期は憎悪の妄執とともに命を散らせていくのだが、花岡と違ってタイモの場合は先住民のままに死んでいったのではないだろうか。とにかく二つの文明の間で大いに翻弄される存在だと思う。このため彼については、もっと時間を割いて描けばよかったのではないか(どうせ長いんだし)と惜しんだ。演じている役者も魅力的だったし。

     

     一方の日本側は、いかにも横柄な好かん人物もいる一方、融和に努める人もいる。先にくだらない話から書いておくと、横柄組の一人、何かとモーナらに差別的高圧的な態度を見せる悪役警官の吉村を演じる松本実さんという俳優が今吉に似ていた。激昂する演技とか、すげーそっくりだと思って鑑賞後画像検索したら、「目鼻のキリっとした今吉」の写真が山ほどでてきて一人で腹を抱えた。舞台を見に行くと、どことなく今吉に似ているやつが出ているというのが内輪あるあるなのだが、とうとう海外映画にも進出していたのか。

     

     閑話休題、融和側の代表が吉村同様、現地駐在の小島という警官だ。先住民たちの言葉を解し、何かと声をかけている。しかし妻子を事件で殺され、攻撃の先頭に立つことになる。タイモ・ワリスを利用しようとするのも彼だ。妻子を殺されているから激昂するのは当然なのだが、彼を突き動かしている感情は「せっかく目をかけてやったのに」だったと思う。融和に努めたのは無論、治安を守るため職務上の必要から仕事としてやっていた部分は大きいと思うが、博愛主義から来る「善導」の意図もあったと思う。彼らを仲間として自分たちの側に受け入れるといおうか。一見素晴らしい爽やかな態度であるが、見方を変えれば対等とは見なしていない余計なお世話でもある。吉村のようなはなから見下した態度は困ったものだが、理性的な人々の場合、当人たちに善意がある分こじれると余計にややこしい。この不幸なすれ違いは差別はなぜなくならないかに通じる部分でもあるが、少なくとも「こちら側」に来た花岡兄弟に対しては、小島にはもう少しできたことがあったのではとは思う。

     

     モーナたちは地の利を活かして善戦するも、強大な重火器その他を持つ日本側が鎮圧に成功する。この辺りの戦闘の様子は、三国志のごとくモーナたちが意表を突く作戦で奇襲を成功させ、日本軍の司令官を歯ぎしりさせる講談調の展開であるし、その後の悲劇もその延長でとらえることもできよう。ただし、この事件とわずか1年違い、要するに同時並行的に日本を熱狂させたのが「KANO」で描かれる嘉儀農林の活躍だった。こちらで悲劇の文化衝突がある一方であちらでは幸福な文化の融合がある。このつかみどころのない多面性が台湾を象徴している。

     

    「賽克·巴萊 /Seediq Bale 太陽旗/虹の橋」2011年台湾
    監督:魏徳聖
    出演:林慶台、馬志翔、ビビアン・スー


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