盆備忘録

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     中学校時代の同窓会、それもオフィシャルな同窓会主催の宴に顔を出した。
     ベビーブームに伴い、当時新設された学校だった。校舎に生徒を収容しきれず、仮設のプレハブで教室をまかなっていた時代だ。クーラーもなく、今だった死者が出ている気もするが、そういうわけで学区を分けて新しく作ったのである。
     俺は新一年生で入学したから、吉本興業の芸人養成所風にいうと3期生ということになる。2年前に公式の同窓会がようやくのようやく発足したのは、この中学のずっと後輩に当たる球児が春の選抜で優勝投手になった盛り上がりに後押しされてのことではないかと邪推している。とにかく2年前に、1、2、3期生の同窓会が開催され、昨年は2、3、4期、今年は3、4、5で、要するに今年で我々年代はロケット鉛筆が如く押し出される最後の同窓会であった。

     

     2年連続日程が合わず不参加だったが、最後なので顔を出すことにした。いかにも面倒そうな作業を3年間やってくれた人々に対して、せめて出席で応える義務くらいはあるだろうという義理人情的動機が9割を占める。

     

     中学時代を幸福な気持ちで振り返れる人は世の中にどれくらいいるのだろう。なにせ思春期ど真ん中だから、未熟さが剥き出し過ぎて振り返るだけでもやりきれなくなる。俺もよくいる面倒くさい男子の典型例の1つ、自己防衛のためにひねくれてひねくれてひねくれすぎて、勝手に息が詰まってしまっているクチだった。当然、ロクな思い出がない。

     卒業式の後の最後のホームルームだったか、担任が「中学生活を振り返ってどうだったか」という質問をして、一人の男子が「性格変えたかった」と答えてクラス中爆笑していたが、俺は目から鱗だった。その手があったか、といえばいいか。とにかく進学先では己を変えようと誓ったものだった。いわゆる「高校デビュー」の類といえばそうだが、あれはどちらかというと贖罪ないしは、共産主義者のいう改造のようなものだったように思う。

     

     というわけで旧交を温めたい人間は特にいない。むしろヤな奴が来ちゃってごめんなさいくらいの感はある。当時の教員も来ると聞いていたが、体罰の横行していた時代につき、恩師と仰ぐ人も特にいない。無論、卒業後、こういう場は初めてだ。30年ぶりの再会になる。言葉は悪いが「怖い物見たさ」が残り1割の動機付けだ。
     オフィシャルなので、なんちゃら会館の鳳凰の間みたいな宴会場で開催される。学年ごとに指定された立食になっていて、胸に渡された名札を貼って遠慮気味にその辺に立っていると、「人間の顔って変わらないなあ」という懐かしい顔ぶれが揃ってきた。まあ名札があるからわかるんだろうけど。苗字が変わった女性陣は、化粧も手伝って誰かよくわからない人もちらほら。こういうときは旧姓にした方がいいのでは。いちいち「●●です」と名乗る羽目になるし、苗字が変わってない女性は余計な想像が付きまといそうだし。


     どうせ無駄だと思って卒業アルバムによる予習はしてこなかったが、「物忘れは記憶が消えたのではなく引き出しが開かなくなっただけ」というドラえもんの解説を実感した。顔と名前を見た瞬間、そういう人がいたことはすっかり忘れていたのに、一気に記憶が戻る。ただし、校歌は見事なくらい忘れていて、手渡された歌詞を見ても全く歌えなかった。どちらかというと、子供のころ覚えた歌は記憶に残りやすい素材だと思うのだが。まあひねくれていたので朝礼でもほとんど歌わなかったのだろう。

     

     とっくに地元を離れ、かつ俺の記憶力がよい方だということもあり、忘れているより忘れられている方が圧倒的に多かった。まあでも、その「忘れてるゴメン」的部分も含め、40も過ぎると、当たり障りなく和やかに盛り上がれる世間知を皆さん装着しているようで、思いのほか楽しく過ごせた。

     出席者は3回目なので少なかったが、多いよりは楽だったかもしれない。ただ教諭陣が少なかったのは残念だった。というのも、当時最も武闘派だった手足口暴力病の教員が昨年出席して「あの頃は申し訳なかった」と謝罪していたと聞いたからで、出席すべきは昨年だったようだ。

     

     どちらかというと遠慮気味になりやすい男性陣より、屈託なく遠慮なく話かけてくる女性陣の方が気を遣わず楽だった。当時は接し方がわからず、女子と話した記憶はほとんどないのに。
     その大らかな女性の1人が、すっかり忘れていたが、高校も同じだった。そしてたまたま今日、高校時代のクラス会も開かれているという。すっかり忘れていたくらいなので、彼女のクラスメイトともほとんど接点がない。だのに「この後一緒にどうよ」と誘ってくる。普通ならばアホかと一蹴するところだが、とっくにアウェイの同窓会場に来ているから遠慮を覚える理由がなくなっている。それも面白いかも、と快諾して、二次会に向かう中学同窓生たちに「後で戻る」と別会場に向かった。

     

     ちょうど中締めで、当時のこのクラスの担任と早く帰りたい人々が店を出てきたところだった。この担任というのがいかにも「進学校の名物教師」といった変わった人で、とても人気のあった人だ。俺はほとんど習ったことがないが、一つだけ記憶がある。
     2年生から理系文系に分かれる進路を選択するときのことだった。わら半紙の粗末な書類に「理系」「文系」と書いてあって、希望に〇をつけて提出する。紙と印刷がショボかったせいだろう、俺は仮希望調査くらいに勘違いしていて、まさかこれで本決まりになるとは思わず、テキトーに文系につけて提出したら、それで本決まりだという。

     これは参ったぞ、と冷や汗が出てきたのは、提出後に「理系の方が大学受験の際に潰しがきく」と知ったからだった。当時、理系の学部は大学受験に理科が2科目必要なところがほとんどだったのに対して、社会が2科目必要な文系学部は東大と京大くらいだった。そして高校の文理の別は、理系が「理科2、社会1」で、文系が「理科1、社会2」の履修。つまり東大・京大を受ける気が無ければ、理系に所属していた方が文理どちらの学部も受験できる勘定になる。そして俺は当時、何学部に行けばいいのかなどサッパリわからず、ついでに5教科とも総じて良くもなく悪くもない、まさに「ちゃらんぽらん」の漫才のような中途半端さだった。

     

     担任に「変えてくれ」と申し出ると、担当がくだんの名物教師M教諭だから「M先生に言え」という。そこでM教諭を訪ねて変更を申し出ると、理由を聞いてくる。「いやああの後考え直しまして」とか何とか適当な返事をしたのだと思うが、この先生は理由の重要性を滔々と説明した。
     曰く、文理のコース決定は校長や教頭のハンコがつく重大事だ。つまり俺の一存で変更できるわけではなく、俺が校長教頭に、こういう理由でお前の変更をお願いしますと言わねばならない。当然そこには説得力のある理由が要る。校長がなるほどと納得する理由を、いついつまでに考えろ。

     

     さすがに「決裁」という言葉は使わなかったが、大人の世界はそういう事務手続きで回っていることをお前もボチボチわかれと言わんばかりの説明だった。このオッサン、無茶苦茶言うな、と呆れつつ、なるほどそういうものかと得心したのも事実で、俺はまるでエントリーシートの志望動機のような「説得力のある理由」を考えたのだった。
     曰く、昨日NHKスペシャルの宇宙の番組を見て、もの凄く興味を覚えた。宇宙を知るには物理と化学と微積分が要る。聞けば文系は、理科が少ないだけでなく、数学も微積の入門くらいしかやらんそうじゃないですか。是非理系でこれらを学びたい。
     という話を、翌日だったか三日後だったか、正確には覚えていないが、再び教諭の前で披露すると、心のどこかで「我ながら嘘くせえ」と思っていたことも見抜かれていたのだろう、鼻で笑って「まあええわ」と手続きをしてくれた。

     

     そうして俺は、まさしく物理と微積分で躓いたのだった。微分方程式が何をやっているのか全くもってわからない。あ、俺にはこっちのドアは開けられないんだなと悟った結果、文系学部の受験を決めたら、受験前の特別補修は文系クラスに合流しろと命じられ、その補修の担当教師の一人がM氏だったから気まずいこと気まずいこと。その上落ちてるし。

     

     すっかり白髪になった以外は、相変わらず(俺より遥かに)フサフサを維持した変化のない外見を見つけ、「ややっ、どうも」と握手をした。教諭は「えーっと、誰だっけ」と記憶を手繰る渋面を作り、「もう喉元まで名前が出かかっている」くらいの演技をしている。
    「お忘れでしょうが森下です」
    「あー、覚えてる覚えてる」
     絶対嘘やろ。といいつつどこか説得力があるその物言いは、これぞ教師の凄みか。

     

     まだ何人かは残っているという座敷に足を踏み入れると、当然「?」が部屋中に充満する。かくかくしかじかで彼女に無理やり付き合わされて、などと説明して名乗ると、さすが進学校だ。一人がすぐさまアルバムを出してきて、ああ君か、いたいたこんな人と人定確認している。

     当時の俺のクラスメイトに、昭和のゴシップ好き主婦のような、人物評価と噂話の好きな男がいて、彼のおかげで概ね顔と名前は知っていた。ただし付き合いらしい付き合いはないのだが、それでも話し出すとそれなりに盛り上がったのは加齢に伴う世間知と郷愁のおかげもあるが、巷間いうところの「社会階層」が大まか同じというのもあるのだろう。ことさら話が合うわけではないが、十九二十歳以降の人格形成が似たような環境下でなされている分、話が通じやすくて楽というのは厳然たる事実として痛感するほかない。

     

     俺の場合は、会社を辞めた後、出自や経歴が色々な人々と出会える幸運に恵まれたので了見が狭くならずに済んだ(逆にそのせいで、県庁職員だの弁護士だの元高校生たちの堅実度合にクラクラしたが)。この日も短時間ながら同じような貴重な場だった。高校よりも中学の方がより一層。中学の同窓生はいってみれば、生まれた年以外には、実家がほどほど近いことしか共通点のない人々である。40も過ぎて皆さんそれぞれ地に足つけて頑張っているということもあり、改めて世間はこうして回っているのだと、普段の生活では見えない距離まで見渡せたような気になった。

     

     それにしてもあの人は誰だったっけと、何人か思い出せなかった女性陣を確認しようと帰宅後卒業アルバムを開いたら、個人写真のページには誰が誰か名前が一切記載していなかった。資料的利便性低! 会場に持参しても使えねえや。これは報道対策すか?やらかしたときに卒アル写真を晒される社会的制裁を阻止するためとか?


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