【La 美麗島粗誌】(33)台北その8_はじまりの場所、終わりの場所

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     台北駅前のホテルにチェックインした。駅前といっても、地下街をまあまあ歩いた先にある。梅田に例えればリッツカールトンくらいの位置関係か。無論、ホテルはリッツではなくビジネスホテル並だ。圓山大飯店に3泊する元気(財務体力)がなかったためにほかならない。


     木調の洒落たデザインで、部屋も今時な雰囲気だが、窓なしの気が滅入る部屋だ。台湾のホテルは窓なし部屋が珍しくないようだが、火事の場合のマイナス要素はないのかね。トイレはなぜか、インドでお馴染みの拳銃型ウオシュレットだった。試して見ると、尻に穴が開くんじゃないかという水圧だった。これぞまさしく「インド人もびっくり」。これ何?掃除用?

     遊んでいる場合ではない。雑用というか洗濯がたまっているのだった。何でもお高い圓山大飯店は、洗濯代も馬鹿馬鹿しい値段だったせいだ。お陰で着るものがもうない。最上階の洗濯場に行くと、なんとタダだった。セットしてぼさっと待っていると、現れた若い男が「どうやって使うんだ?」と英語で聞いてくる。「電源入れて、洗剤入れて、スタート」と説明すると、呆けたような顔で「金どこで払うの?」と言った。使い方くらい知ってるよといった様子。そりゃそうだわな。


     問題は乾燥機で、5、6台並んでいるが全部埋まっていた。洗濯機より所要時間が長いから、かなり待ちそうだ。仕方がないので、先に晩飯でも食いに行こう。まだギリギリ日が出ている時間帯だが、昼飯にロクなものを食っていないので空腹だ。

     周辺は、カメラ屋街だった。キヤノンだのペンタックスだのソニーだのといった馴染みのブランドロゴが描かれた統一規格のような看板が、看板の意味をなさないくらい並んでいる。亭仔脚とスクーターと縦長看板が台湾の都市を構成する3要素だが、特にこの台北駅南西側エリアの統一感は見事なのだが、最もそうなっている場所の写真を撮り忘れている。

     聞くところによると、自治体によって規格を決めているケースもあるとか。だが、台風の島なのに、こうやってビルから突き出た看板が発達したのはなぜなのだろう。地震があるのに古い建物が多いのと同様疑問だ。これを書いているのは台風21号の直撃後であるが、あの日近所の縦型看板は見事風圧でバキバキに粉砕されていた。

     

     この近くにあるのが北門である。清朝時代の台北府城の城門だ。三国志なんかでおなじみの、町全体を城壁でぐるっと囲むタイプの城だ。東西南北に門を設けていたのが、北門だけが現在も当時の位置に残っている。日清戦争後の下関条約で台湾が日本に割譲されると、現地の清朝高官らはこれに抵抗して「台湾独立」を掲げたが、舌の根も乾かぬうちに大陸に逃げ帰ってしまった。その混乱に嫌気が差した住民らが日本軍に協力したので、労せず無血開城となった。この門から近衛師団が入場した、と色んな本に書いてあるが、結構狭いのね。

     城壁はその後日本によって解体され、水道工事や淡水の護岸工事に使われたとのこと。ただ、城壁は消えたものの、割と最近まで高架道路がすぐ脇を通り、日本橋状態だったようだ。この広場が完成したのは1年前である。門の北側は梅田駅の北ヤードのように再開発中の景色が広がっている。

     


     周辺はレトロなビルが目立つエリアで、飲食店も多い。そのうちの一軒「東一排骨總店」に入った。グーグルマップで目に留まったからというだけの選択だが、店内の様子が最高にクールだ。昭和のヤクザ映画で鉄砲玉が突撃してくるクラブのような雰囲気だが、売ってるのは牛排骨飯、つまり「トンカツ定食です」と店のおばちゃんがビジネス日本語で説明している(牛だからトンカツではないけど)。日本のカツと違って骨があるから勢いよくかぶりつくと場合によっては悲劇的なことになりそう。うまいっす。

     

     食べ終わってホテルに戻ると、洗濯場にいた面々の顔ぶれが全く変わっていない。あれから1時間、ママさんたちは全員洗濯しっぱなしか。大陸旅行者におなじみのあのバカでかいキャリーケースに山ほど服が詰まっているのだろう。運よく空いてセットしたが、パワーの頼りないマシンで乾きが悪かった。
    想像以上に手間取りつつ終了。さて残りの時間をどうしたものか。

     

     遅くまで開いているという理由だけで龍山寺にやってきた。清朝乾隆帝時代から続く台北を代表する名刹だが、福建省にある開元寺の末寺とのこと。確かに立派だが敷地はさして広くない。門をくぐると滝とちょっとした広場はあるが、日本の有名寺院のようなだだっぴろい参道等はなく、すぐ本殿がある。本尊は観音菩薩だそうだが、素人目には道教寺院との違いがよくわからない派手さだ。ガイドブックには「神仏混合」とある。まあ道教自体が何でも混合的な雰囲気がある。地震や台風で何度かの破壊をへて、現在の建物は1920年代に修繕されたものだとか。

     境内では、八朔の房のような形の赤い木片を石畳の上に転がしている人々が何人もいる。神筈というらしい。「KANO」でも見たことがある。テニス部の蘇正生のパワーを見込んで近藤監督がスカウトに行くと、蘇家のばば様がこの神筈を振って行く末を占うというシーンだった。2つで1対で、表裏の組合せが神仏のお告げとなっているようだ。このように同じ仏教といっても作法が結構違う。線香の使い方も独特。京都の寺なんかで中国人観光客が作法を真似ようとして混乱している様子を何度か見たことがあるが、あれの気分がよくわかった。特段難しい動作をしているわけではないが、儀式の厳かさと手慣れ感が交わると、見様見真似はかなり難儀だ。


     帰途は西門駅で下車。有名な西門街を背に、ホテルに向けて歩いた。中山堂という建物が見えたので見物。かつての台北公会堂で昭和天皇の即位に伴う事業の一環で建てられ、1936年に完成した。日本が台湾を手放す降伏式の会場でもあった。北門が「はじまりの地」なら、こちらは帝国終焉の地である。両者の距離は500mもない。

     

     周辺には居酒屋的な店も多い。夕飯が早かったので腹が減ってきた。包子とビールを買って、ホテルでひっかけて寝るとしよう。それにしても、ホテルの周辺には理髪店の看板がやけに多いと思っていたが、夜がふけても煌々と灯りがついているのを見て、そういうことかと理解した。帰国後ようやく読みだした「流」には、祖父の「理髪店」通いについてのエピソードが描かれているが、目の前のそれらはどこも何の活気もなく、ただただ惰性でやっているような湿気た雰囲気だけが漂っている。


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