【やっつけ映画評】15時17分、パリ行き

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     何気なく借りた2本の映画に、偶然にも濃密な関係性があった、という話を書く。
     1本はすでに述べた「人生はシネマティック!」。もう1本は「15時17分、パリ行き」だ。以下、「シネマティック」、「パリ」と表記する。


     「シネマティック」はすでに紹介したように、「ダンケルクの撤退を題材とした映画」を作るという筋立てだ。「ダンケルク」でも描かれているように、英軍の撤退には多くの民間の船が協力している。「ダンケルク」では1隻に代表させているが、実際には何百もの船が活躍した。「シネマティック」では、その中の双子の女性が乗り込んだ漁船を題材にしようとする。「なんと!女性が勇敢にも船に乗って兵隊を何人も救ったらしいぞ」と、政府の情報部局が映画化の可能性を感じ、主人公のカトリンを取材に差し向けるのだが、実態は全くの期待外れだと判明する。双子の姉妹が舟を出したまでは事実だが、途中で故障してしまい、ダンケルクには着いていない。噂だけが独り歩きしてしまい、事実のショボさがバレると恥をかくというので、姉妹は新聞取材はすべて断り、身を隠すように暮らしているくらいだ。

     

     これを娯楽映画にするには無理があるから、脚本化にあたっては、あくまで事実をもとにしたフィクションということで、話に尾ひれはひれをつける格好でドラマチックに仕立て上げていく。ダンケルクには着くことにするし、そこでイケメンとのロマンスがあったり、仲間が命を落としたりもする。実際にはイケメンも死者もいない。姉妹はまあまあシニアで、見かけも性格も地味だが、若く美人という設定になる。これが思い切り男目線のステレオタイプに基づいていることはすでに書いた。

     

     こういう作業は珍しくないどころか、三国志と三国志演義の関係に代表されるように、事実(歴史)を題材としてフィクション作るときの常套手段とすらいえる。華々しい盛り上がりを付け加えるだけではなく、繁雑な部分を省略することもある。どちらも目的はわかりやすく&「おもしろく」するところにあるだろう。

     

     「おもしろく」と「」をつけて表記したのは、おもしろくする脚色の価値観が時代とともに変わっていくからだ。個人的な印象の話に過ぎないが、飾り立てるよりはなるべく事実に即して描くのを重視する、というように実話の扱い方は変わっていったように思う。「シネマティック」の中で、主人公の先輩脚本家たるバックリーは、「おもしろい脚本の定石」を得意気に説諭するが、そこで語られる脚色は、今となっては実に陳腐に聞こえる。一方で「ダンケルクまで行けなかった」というのはそれはそれでむしろ面白いんじゃないか?と思ってしまうのだが、これとて要は、「事実に近い方が面白い」と捉える現代の価値観に俺もしっかりはまっているからだ。

     

     この「事実になるたけ沿う」と鼻につくくらい押しつけがましくやっているのがキャスリン・ビグローだと思う。「デトロイト」の項でも書いたが、この監督は、ドキュメンタリー風味の映像で、救いのはない実話を救いのないまま描き、時にエンドマークをつけることすら拒む。むしろドキュメンタリーの方がまとまりをつけようとする分、ちゃんと終わりがあるもので、その点ドキュメンタリーよりも剥き出しの生身の雰囲気が漂うのだが、なんだか過剰にすら映ってしまう。まあ、題材が毎回目を背けたくなるような現実を扱うだからだろうとは思う。
    で、「パリ」だ。

     

     この作品は、パリ行きの列車内で実際に起こったテロ事件を扱っている。閉鎖状況の中で、テロリストとどう対峙するのか、「エグゼクティブ・デシジョン」や「ダイハード」のヒーロー無し版のようなものを想像していたら全然違った。予備知識なしで見たのでびっくらこいた。イーストウッド監督は、ソツなくうまく作る人、くらいに思っていたが、誤解だったようだ。すごい映画だこれは。

     

     

     事件自体は、時間にすると相当短い。列車内でテロ犯が銃を発砲し、乗客が騒然となるものの、勇敢な若者たちが犯人に突撃していって割とアッサリ取り押さえてしまう。なので事件単独を題材にしても、30分持つかどうか。商業映画のなんとなくの基準たる1.5〜2時間はとても無理で、ダンケルクに行けなかった姉妹を最初に取材したカトリンのような気分になる。こりゃ映画化は無理だ、と。

     
     このため本作は、事件に至るまでが長い。なにせテロ犯確保に成功する若者3人組の少年時代から話が始まる。やがて成長し、事件に至るまでの欧州旅行の様子が綴られるのだが、ストーリー上のつながり(その後の展開につながる伏線的な役割等)はほとんどない。例えば旅の途中でアジア系の美女と仲良くなるシーンがあるが、その後一切登場しない。ただ、あったことを並べているだけだ。事実に即しているから当然といえるかもしれないが、それにしたって事件につながりのありそうな部分を取捨選択しそうなものだが、「コロッセウムだ、すげー」といったただの観光のシーンも結構ある。それで破綻しないのは大した制作スキルだ。
     

     本作の最大の特徴に気づいたのは、ラストシーンだった。見事に犯人を取り押さえ、フランス政府から勲章を受けることになるのだが、オランド大統領が演説して授章するニュース映像に、主人公たちが映っている。ん?これは実映像に似せたフェイクなのか?だとすると、オランド大統領がそっくりすぎるのだが、超絶巧い合成技術なのだろうか。と困惑したまま見終わって、DVDの特典映像でようやく事情を知った。主人公たちを本人が演じてるのだった。なのでニュース映像も大統領も本物で、ついでに他の乗客も当人だった。銃弾を受けて瀕死の重傷を負った男性も本人が再び「う〜〜っ」と当時を再現している。よう引き受けたな。主人公たちの母親も当人で、むしろ当人でない方が少ない。

     なるべくリアルに再現しようと、関係者に精緻な聞き取りをしているうちに、いっそ当人がやったら早いんじゃないかと思ったと、そういう事情らしい。まあ有名監督だからこそなせる業といえようか。にしては全員演技が巧い。ジョーシンのCMの阪神の選手のような棒読みは誰もいないし、逆に邪魔なくらい演技をする人もいない。慣れない人は大抵どっちかで、「自然な演技」ほど難しいものもないと思うのだが。

     

     その辺の不思議はおいておくとして、本作における脚色のなさは徹底している。なにせ俳優が演じるという脚色とすらいえないような根本部分まで排除しているのだ。「事実をもとにした物語」が全盛の昨今、事実の扱い方はここまできたのかと思わされる。ローラン・ピネ「HHhH (プラハ、1942年)」を思い出した。

     ナチスを題材にした歴史モノだが、「史料で確認できたことしか書かない」という制約のもとでレジスタンスの活動を描いている。なので実在の人物同士を会話させることもしない。「確認できないことをさも見たように書くのはダサい」ということのようだ。そこら辺の呆れるくらいの徹底ぶりが本作と似ている。しかし歴史の解説書ならともかく、それでどうやって小説を成立させるのかというのがポイントなのだが、本作と共通しているのは、やったもん勝ちの一回キリの手法だろうという点だ。二度目は相当に難しそう。

     ただし、ここまで強烈な方法を提示されると、今後事実を題材として扱うときに頭の片隅にはチラチラ貼りつくわけで、実話モノの方法論はまた次のフェイズに移行していくのだろう。

     

    「THE 15:17 TO PARIS」2018年アメリカ

    監督:クリント・イーストウッド
    出演:アンソニー・サドラー、アレク・スカラトス、スペンサー・ストーン


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