自著「書きたくなる〜」その後

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     某大学で、大衆に情報を提供する媒体産業への就労を希望する学生を対象にした授業が開かれている。学生が集まらず不開講続きだったのが、今季はどういうわけか最低人数が集まったとのことで両手で足りる少数の若人を相手に久々の講義をすることに。聞けば多くが2回生で、時代だなあと思う次第。

     

     せっかくのこういう機会なので、最近思っていることを書き留めておこうと以下ダラダラと。

     

     この仕事をまさに業としてやっていたのは10年くらい前のことだ。閉鎖になったのは5年ほど前(現在は既に述べたように、大学への出張講義的なスタイルで、コマ数もぐっと少なくライトに実施したりしなかったり)。かつての受講生は概ね30代、要は現場の中核をなす年代だ。それぞれどうしているのかはいちいち知らない。意に沿わない部署に異動になったり、育休に入ったり、実はもう転職していたり色々だろう。そういう年月がたった上で、現在の、特に放送のありさまを見ていると、なんとなく自身の責任も感じるところがある。

     

     まるで自分が彼らの人格形成に大いに寄与したような物言いだが、別に俺と出会わなくても合格しただろうという人ばかりなので、まさか「俺が育てた」的なみっともないことは考えていない。ただ以前に「否定と肯定」のところで書いたのと同じようなことで、何かの物事に対して関心を持たなかったり、持っているのに積極的に表明しなかったりすることは、その後の時代の流れにちょっぴりは加担している気がする。その程度といえばその程度の責任であり、反省だ。

     

     あの頃、多くの若人諸君が「やりたいこと」として書いてきた典型例の一つが、芸人を使ったニュースなりニュースバラエティなりだった。M−1グランプリ華やかりしころで、現在中堅どころとされる芸人たちが続々と登場していた時期だ。彼らのツッコミのセンス=批評眼をもってすれば、ややこしいニュースも切れ味鋭く分析して、おもしろく視聴者に提供できるのでは、という発想だった。
     まあ、当時としては「誰でもまず真っ先に思いつく」くらいの発想なので、面接対策的な観点からいうとまずこれでは通過しない。せめてもっと内容を詰めていく必要がある。その程度のことは助言したが、この発想自体は積極的には否定しなかった。内心駄目だろうと思っていたのにもかかわらずだ。


     常人には思いつかない芸人の笑いの着眼点というのがニュースにも当てはめ可能なのでは、という発想は俺も考えたことがあったが「あ、これは無理だ」と気づかされたのが松本人志だった。最近、彼がやっているニュースバラエティでの発言がしばしば物議を醸していて、批判的な人の中には「松本も年食って衰えた」と残念がっている元ファンもいるのだが、あの人は急にああいうことを言い出したわけではなく、昔からああいうことは言っていた。週刊誌連載とテレビ番組の伝達力の差だろう。自分の才覚でのし上がってきた人によくある「成らぬは成さぬなりけり」原理主義とでもいうような他者へのまなざしの貧しさが、読んでてすごくつまらなく、隣のリリー・フランキーのエロ話ばかりの人生相談の方が余程スリリングだった。なんぼお笑いで天才ぶりを発揮しても、でけへんこともあるんやなあと、当たり前のことに気づかされたものだった。ついでに学生に「芸人を起用したニュース番組」という記述がブームに達していたころ、爆笑問題が政治バラエティー番組のようなものをやっていて、彼らは普段の漫才が時事ニュースに基づいている分、もう少しできるのかと思ったがそうでもないと感じたものだった。

     

     というわけで、個人的には「無理がある」と判断したのだけど、学生が考えて書いたことを頭ごなしに否定するのもどうかという思いもあり、「僕個人の意見では、大しておもしろいものにはならんよ」くらいは言った記憶があるが、それ以上は言わなかった。こう書くと教育者のような物言いになるけど、実際のところはいかに無理があるか、当時俺が感じていたことを論理的に言語化する作業をサボっただけともいえる。

     くだんの松本の連載を愛読していて「先生も読んだ方がいいっすよ」と猛烈に薦めてきた学生もいた。まあ「ゴーマニズム宣言」を愛読していたころの俺みたいなものだろと思って、あんまり強く否定するのもなあと、やんわりと「あれは実は社会評論としてはすごい手前の話を言っている」くらいのことを諭すにとどめた。これまた説教親父になるべきだったかも、と後付けながら思うのは、あれから10年以上たった今、まんまと情報番組に芸人たちが跋扈して、結構な惨状を呈しているからだ。

     

     影響力のある人が貧しい意見を言って、それに若人が感化されて、というのがあんまりよろしくないなあくらいに思っていたのが、実際は想像以上だった。影響力はある門外漢が素人意見を述べるにとどまらず、大坂の場合は政治、芸能、放送の三者がまるで軍産複合体のような結合を見せるところまできている。ここまでの予想を立てる知見は当然ありもしなかったが、多分よくないだろうなあと思う程度には俺もうっすらとはカッサンドラだったわけで、別に俺が何しようと何の影響力もないことは自明だとしても、統計学みたいな話で自分がもう少し何かしていたら、同時に他でも似たような人がいたんではという少々オカルトがかった発想はつきまとうのである。

     

     もちろん一方で勉強不足だったこともいくらもあった。「バラエティ番組は抗議を恐れて萎縮すべきではない」という言説に対する態度がその際たるものの1つで、これは当時大した問題意識も持てずに呑気に構えていた。お笑いの好きな学生が当時よくこういうことを書いていて、なんでもやりゃあいいとはさすがに思わなかったが、バラエティが危ういところに挑戦すること自体は「努力してしかるべきかなあ」くらいに考えていた。大事なのは委縮か冒険かという二択ではなくて、ちゃんと考えましょうねということで、これをサボってきた結果、居直りや暴論が「ホンネ」の名を頂戴することを大いに助けたと思う。これは完全に勉強不足だったと反省している。

     

     といったことをたまにボサーっと考えるような日々、再びそういうところに関心があるという学生に授業をしろとなると、さて何をすべきだろうかと身構えてしまう。

     今時わざわざ斜陽ともいわれるところを志望するのは、よほど思うところがあって、というわけではまったくなく、10年前と大してかわらず「何だか楽しそう」くらいの様子で、2回生多いので、様子見半分のところもあるようだ。本来はこの程度のノリで全然いいはずなのだが、現状をちゃんと知っているかね、と余計であるはずの老婆心を抱いてしまう。困ったものだ。

     

     問題点が多いというのは、ある意味改善するべきことがたくさんあるということなので、面白いことだと見ることもできる。そういったことメインにすれば、授業の土俵にも現状の問題点を乗せることは可能かもしれない。そんなことを考えて、あれこれ内容を練ってみて、でまあ学生諸君の取り組みのおかげで少しは手ごたえを感じつつこれまでとは違う試行錯誤をやってみて、そしてライトなプログラムなので間もなく終わる。


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