新春読Show

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     正月のお供は、この前も軽く触れたこちら。
     書店で見かけて何だか面白そうと思いつつ、鈍器のような厚さにちょっとおののいた。どうして手に取り、知ってしまったのだろうと後悔も覚えつつ、気になってしまった以上読むしかない。まあ、この前読んだ「アメリカ語ものがたり」上下巻と似たような分量であり、一冊にまとまっている分、圧迫感があるだけともいえるが、テーマがニュルンベルク裁判だから、内容の重みで体感ページ数も増すのである。


     といいつつ「ニュルンベルク裁判に関係した内容」という以上のことを何も知らずに読み始めた。ノンフィクションなのか、歴史書なのか、それとも小説なのかも把握しないまま。書店の配架場所からいって小説の可能性はなさそうなのだが、帯に森達也が「展開はまるでサスペンス」と書いているから若干混乱する。「これは映画や小説ではない」とあるから混乱するこちらがアホなのだが、でもニュルンベルク裁判で「サスペンス」と言われると、「手紙は憶えている」のような潜伏ナチ探しのような話かと想像してしまう。で、全然違うと。


     副題にあるように、「ジェノサイド」と「人道に対する罪」の概念の歴史が本書の大筋だ。ジェノサイドは、歴史の出来事や国際ニュースを評論する言説、あるいは映画やマンガの台詞の中でたまに見かける言葉であり、大抵は「大量虐殺」くらいの意味で使われている。
     これはニュルンベルク裁判の前に一人の法曹人によって考え出された造語で、正確には「大量虐殺」という意味ではない。ということを本書を読んで知った。厳密には誤用とはいえ、マンガや映画の台詞でも見かけるくらいには世間に浸透した言葉、それも法律用語を生み出したのは、それだけでも大したことだ。他の候補には「エクスターミネーション」があったそうだけど、これだとそんなに知られなかっただろう。

     

     人道に対する罪は、日本の場合、東京裁判のC級戦犯に該当する。C級という響きからなんとなくショボめのイメージがつきまとうが、A級、B級、C級という分類は別に罪の重大性の分類ではない。これは「級」という漢字のせいで、こちらはジェノサイドと違いネーミングをややしくじった例(A類、B類とでもした方がよかったんじゃないかと、これは別の本で読んだ指摘だ)。ジェノサイド同様、人道に対する罪も、ナチスの民族浄化的発想に基づく犯罪行為を裁くための概念として考え出されたので、東京裁判ではそんなに当てはまらず、結果、日本では馴染みが薄い。

     

     これらの概念を生み出したラファエル・レムキンとハーシュ・ラウダーパクトという2人の伝記が本書の主軸なのだが、これだけだとただの中公新書か講談社現代新書になりそうなところ、第一の主人公として著者の祖父が登場するのが本書のポイントだ。レオン・ブフホルツというこの祖父を一応の主人公としていることにより、本書はまことに不思議な本となっている。いうなれば、歴史書とドキュメンタリーと小説がごっちゃになったような印象を受ける点、「HHhH」を思い出し、あの本同様、後半に入ってからは一気読みだった。

     

     

     レオンはユダヤ人でナチスにより家族を殺されている。当人は1997年まで生きた(1904年生だから、生没年が俺の祖父とほぼ重なる)。よくある話だが、当人は生前、戦前戦中のことを何も語らず、家族も特に聞こうとしなかった。そしてこれもよくある話で、著者はレオンの死後何年もたって、急にレオンのことが気になりだす。

     

     というのも、著者の本職は国際法の学者&弁護士で、このためレムキンやラウダーパクトの業績については詳しいわけだが、レオンも含めた3人が同じ町の出身だったとつい最近になって知るからだ。そしてこの高名な2人もレオン同様ユダヤ人で、家族親類を失う悲劇に見舞われる。著者が運命的なものを感じるのは想像に難くない(ついでにいえば、ある学者の業績については詳しく知っていても、生い立ちはちっとも知らないというのもよくある話)。

     

     著者の祖父はいったいどのような人生を送っていったのか。ナチスドイツに占領された後、どのような苦難を負ったのか。市井の一般庶民だから残された記録はさしてないのだが、それでも弁護士だからだろうか、色々な記録や関係者(の子孫)を見つけ出し、生い立ちを明らかにしていく。その過程が「私」の一人称で語られていくさまは、セルフドキュメンタリー式である。

     

     同様に、ラウダーパクトやレムキンについても基本的には「記録や縁者を探し出して知っていく私」の一人称によって2人を語る。無論、彼らが生み出した概念にまつわる説明は、解説本のような格好にはなる。彼らを迫害したナチス側の主役たるハンス・フランクについてはこの三人称的割合が高くなるが、それでも基本スタンスは同じ。語り口は、歴史の本というよりは、ドキュメンタリーに近い。こうして「私」によって語られる登場人物たちが、ニュルンベルク裁判に集結してくる。本書の若干けったいな邦題はこれを指しているのだろう。

     

     ただし、肝心のレオンはニュルンベルク裁判には合流していない。迫害の目撃者として証言台に立ったならば、出来過ぎた話であるが、迫害に遭う前に逃げているので証言者にはなれない。法律家でも政治家でもなければ、ましてやナチの高官でもないので、裁判には無縁である。ついでにラウダーパクトとレムキンも、特段交流があった間柄ではなく、本書の主要登場人物たちは同郷のユダヤ人という以外は特に関連がない。となれば当然、このような形式で長々と書く必要はあったのかという批判が成立する。訳者あとがきは、実際にそのような批判があったことを紹介している。

     

     だけど、レオンの章があるからラウダーパクトとレムキンが、それぞれ何を問おうとしていたのかが具体的に見えてくる点は大きいと思う。戦争犯罪はマスの問題のようで個人の問題であるという点においても、被害を受けた個人(加害側の個人もそうだが)の物語は重要だ。より典型的な被害者を出してきて、接着剤の役割を強固にする方法もあったかもしれないが、「私」の視点から語る以上、自身の親族を持ってくるのが妥当といえる。

     

     歴史書とドキュメンタリーだけでなく、小説風味が混じってくるのも、レオンの物語があるせいだろう。裁判を契機に生み出された2つの概念が、その後の世界と著者の仕事につながってくる着地点も一人称で語るからこそ可能なわけで、この着地点のせいで、ジェノサイドがその後生み出した副作用についてもいたく考えさせられる。

     

     「HHhH」を読んだとき、へえ〜小説にはまだこんな手法があったのかあと驚きかつ俺も何かできないだろうかと思ったものだったが、別の方向から大まか似たような作品が出てくるとは。そしてまた俺も何かできないだろうかと考えぐずぐずしている。

     

    『ニュルンベルク合流「ジェノサイド」と「人道に対する罪」の起源』白水社 2018年

    East West Street: On the Origins of "Genocide" and "Crimes Against Humanity"

    著:フィリップ・サンズ
    訳:園部哲


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