【やっつけ映画評】私はあなたのニグロではない

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     タイトルがキャッチーだ。黒人が映画等の表現行為の中でどのように消費されてきたのかを詳らかにするドキュメンタリーかと思っていたが、ちょっと違う内容だった。予断が外れることが最近多い。一応、そういう部分もかなり出てくるのだが、別に主題というわけではなく、黒人差別全体の構造を明らかにするという大きなテーマの一部に過ぎない。


     ジェイムズ・ボールドウィンという作家の未完成原稿が元になっている。書籍の映画化というと、最もポピュラーなのは小説を劇映画にするパターン。次によくあるのが、ノンフィクションを劇映画にした作品である。書籍をドキュメンタリーにするケースは、著者や作品のゆかりの地を女優が歩きながら朗読する、なんてのが該当するだろうか。

     本作の場合も種本を有名俳優が朗読している点は共通だが、ナレーションとして流れるだけで、当人はまったく登場しない。あとでクレジットを見て知ったくらいだった。本作を構成する映像は、著者の記述内容に対応したニュースや映画のつなぎ合わせである。これは異色のスタイルではないだろうか。

     

     学生相手の仕事で学者や評論家らの文章を読ませることがある。高校の現代文の試験を思い出してもらえればよいが、多くが形而上的な内容だったり、具体例をあまり伴わずに抽象的な記述を重ねる形で筆を進めている。このため一見すると日常生活には何ら関わりがない話にも思えるのだけど、実は必ずしもそうではない。案外、身近な物事と密接なことを述べていることもしばしばだ。なので学生諸君に「例えば友達なんかと普段こういうことがあるでしょ」なんてな具合に例示する(逆に彼らに考えさせるときもある)。本作がやっていることはこれと似たような当てはめだと思う。


     これは結構他にも転用できる手法ではなかろうか。例えば名著とされる古い書籍の内容が、今の世の中にもバッチリ当てはまっている濃密なものだったとしても、妙に難解で読みにくいというケースだ(哲学系の本が典型例)。その内容に即した映画なりテレビ番組なりの映像を、書籍の該当箇所とともに提示していくと、容易に理解できるだけでなく、スリリングな作品になるかもしれない。

     今時は特に、新興企業の経営者とか、最先端を気取った業者とか学者とかが、100年200年前にとっくに喝破されたような理屈をスカしながら垂れている様子をよく見かけるから、お前ら何周回遅れの最先端やねんというようなドキュメンタリーが作れそう。本作を見ながら、そんなことを夢想した。

     

     ただし本作は、ボールドウィンの同時代の映像が圧倒的に多く使われているから「今にも当てはまる」がわかりやすく可視化されている部分はそれほどない。ついでに出てくる映画は古いものが多いので、オールドファンとかコアな人なら「おお!」と食い入るところ、軟弱者の俺は「へえこんな映画あるんや」程度の受け止め方であった。

     人によってはとうの昔に別のとこかで見聞きしたことのくり返しに思えるのではないかとも想像する。俺もまあまあそうだった。これもひとえに「42」「RACE」「Hidden Figures」「デトロイト」等々、このブログで紹介した黒人差別をテーマにした映画、あるいは「セデック・バレ」「パレードへようこそ」「猿の惑星」等々それ以外の差別なり民族対立なりが含まれる作品を見たおかげだ。

     このボールドウィンの生きた時代(キング牧師やマルコムXと同世代の知人)に比べれば、見る側に色んなことを気づかせる作品が数多く生まれているという点、好転している部分もあるといえる。無論、国際ニュースを見ていると、そう楽観的なことでもないことはすぐにわかるのだけど。

     

     差別ということでいえば、日本にも「あん」だとか古いところでは「ブルークリスマス」とか、よい作品はあるのだけど、数が少ないからか、国民の大部分が見てくれの似通った人間同士の時代が長く続いたからか、鈍感で遅れをとっている。

     つい先日も、日清のCMにおける大坂なおみの描き方が問題になっていた。大企業の依頼で、おそらく大手の広告屋が制作した、つまり優秀な人間がある程度いるはずの現場なのにあれでOKが出てしまう辺り、随分呑気で幼稚で勉強不足だ。そしてお約束のように吉本芸人が「叩きたい病だ」と、「何でも『叩きたい病』に見える病」なコメントしていて、それを一つの意見として取り上げてしまう新聞社(こちらも優秀な人間がそれなりいるはずの企業)も呑気で幼稚で勉強不足だ。

     前にも書いたが、芸人は不謹慎なことをやるという職業柄、日常的に苦情に接していると想像するが、そのせいで筋違いのクレームも意義のあるクレームも、ミソクソ同じに見えるケースが多いのだろう。せめて一度見直してほしいものだが、周囲がそれに同調してどうする。あんたら諭す側だろ。

     

     というわけで、本作の役割もまだまだ大きいようだ。無論、俺も本作で指摘されていることをすべて理解しているわけではないから偉そうなことはいえない。文学的な作りのせいか、まだわかっていないとても大事なことを提示されたような印象も実は受けたのだけれど、それが果たして何なのか、別の映画を見たらまたわかることもあるかもしれないし、半世紀なり一世紀なりの遅れで、ここで指摘されている構図が、モロに今後の日本社会で顕在化してきて実感を伴う理解につながるかもしれない。

     

    「I AM NOT YOUR NEGRO」2016年アメリカ=フランス=ベルギー=スイス
    監督:ラウル・ペック
    ナレーター:サミュエル・L・ジャクソン


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