【やっつけ映画評】主戦場

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     十三駅の西口を出たとき、七芸に行きそうな人は年齢風体からおおよそ見当がつく。このおじさん、どうせ七芸に行くんだろうと見当づけた人とは大抵エレベーターが一緒になる。どうせ俺も同類なんだろう。
     予想はしていたが、着いたらチケット売り場はごった返していた。その「おおよそ見当がつく」人々の中に内田樹がいて、目が合ったので面識もないのに会釈してしまった。著名人と目が合い会釈したのは石橋凌以来2人目。しかし偉丈夫だなこの人。

     

     「この映画館にこれだけ人が押し寄せるのは初めてでしょうか」と、以前「靖国」を上映したときどこかの記者が館長に無邪気に失礼な質問をして、館長が「何度かあったと思いますが・・・」と困惑しきりだったサマを思い出した。混むときは混む。
     この映画も「靖国」や「ザ・コーヴ」と似たような騒ぎが起きても不思議ではなさそうな内容だが、静かなもんだ。杉田生産性、櫻井よしこ、ケント・ギルバートら、歴史戦などというファンタジックなあの界隈のオールスターが登場する内容だと喧伝されているから、自分たちの主張を代弁する作品だと勘違いしているのかも、と邪推したが、実際そうだったようだ。ついこの前までは好意的にSNSに宣伝を書き込んでいたアレ界隈の人々がそれなりいた模様。推測ではなく邪推止まりだった俺の認識はまだまだ甘かったようだ。


     そんな内容のドキュメンタリーだったら、あちこちのミニシアターで上映するわけないやん、映画なめんな、と呆れたが、そんな内容の本はとっくに大手からも出版され、大手書店で堂々と売られているのだった。彼らの勘違いにも妥当性がある昨今というわけだが、逆に映画界はなぜまだ汚染と無縁でほどほどいられるのだろうかといえば、ドキュメンタリーが売れないからである。

     

     勘違いした人々は、どうせ見ることもなく褒めたり見ることもなく非難したりするのだろうが、本作の場合、特に序盤は制作者がどちらの立場なのかははっきりわからない構成となっている。
     従軍慰安婦をテーマにしたドキュメンタリーだ。カリフォルニア州の少女像を巡る騒動など、最近の動きも含め取材している。この辺りの話は、Twitter等で概要を読んでいたので、見覚えのある名前の人々が登場する様子に「おお、ほんまもんが動いている」と軽く感動した。

     

     日系アメリカ人の監督が知識ゼロの状態から興味をもって取材した、というテイなので、既に述べたように、途中まではどちらに与するともなさそうなタッチで展開していく。それが徐々に歴史ファンタジアン組の主張の穴が崩されて行き・・・、というサスペンス的展開が見事だ。大半がインタビューで構成されている上、英米系のドキュメンタリーがしばしば用いるアニメやCG、トリッキーな編集なんかもあまり目立たず、マイケル・ムーアのように自分がドンドン前に出るわけでもなく、全体に抑制のきいたトーンでここまで惹きつけるのは大したものだ(小林節のくだりは若干失速感を覚えたのだがなぜだろう)。

     

     さてここで、ノートルダム大聖堂が焼失し多くの寄付金が集まったことについて、フランス黄巾の乱たちなどが非難していた件に話が急に逸れる。人より聖堂かよという反発で、貧苦に喘いでいる側からすれば鼻持ちならない話であるのは無論のことだ。金持ちは結局心が動いたときしかトリクルダウンしないので、やはり社会保障なりの再配分が重要なのだと思わされる。

     

     一方で歴史や文化ないしは宗教の存在の大きさを目の当たりしたのも事実だ。特段熱心なクリスチャンでなくても、象徴的な建築物が崩壊するのは結構な苦痛だ。いかに後付けコンクリート物件とはいえ、大坂城が灰塵に帰すれば大阪人はそれなりショックを受けるだろう。実家の宗派とは違うし、特に思い入れもないが、永平寺が焼け落ちれば俺もちょっとぐらいは包むんだろうなとは思う。文化遺産的なものは、そういう地元の誇りだったり愛着だったり、何かしらの精神安定をもたらしかつなくなって初めて慌てふためくような存在といえる。

     

     今時は、金儲けへのアクセスが想像しにくいからってんで文学部系の学問の冷遇ぶり甚だしい大学改革教育改革がお盛んなのだが、その手のことを賢らに語ってきた輩は聖堂前で正座をしてこいなどと思うわけだが、本作に話を戻すと、こちらは宗教含めた歴史の話ではなく、歴史を宗教にした人々の話だと思わされる。

     

     本作では「リビジョニスト」と呼ばれているファンタジアンな人々は、しばしば「何も知らずに可哀想な君に真実を教えてあげるよ」といった手つき顔つきでカメラの前で語る。このため語り口調がときにどこか不愉快なのであるが(ケントはちょっと違う。さすがビジネスリビジョニストといったところ)、言っていることは大変に明快でわかりやすい。この時点ですでにカルト宗教風味が漂っている。いや、ねずみ講の連中が最もこれと似た話し方をしていたなと思い出したが、まあ似たようなものだ。監督はあの界隈の人々にあっさり取材のコンタクトが取れたことに戸惑い、そういう感想を語る人も多いが、ねずみ講の人々はしばしば、その商法に懐疑的な相手ほど積極的に話したがるものだ。

     

     一方、歴史学者の人々は、その職業的な特性上、どこまで断定できるかについて慎重なので歯切れが悪く聞こえるし、第一話が込み入っていて難しい。なので前者の主張にガーンと衝撃を受け、狷信瓩靴討靴泙Α
     そういった人々が、判で押したように同じことを言う様子が本作で取り上げられていて、まさに末端信者の感がある。滑稽で馬鹿馬鹿しいのはその通りなのだが、カルト宗教的である分、揺るがぬ強さがあるから厄介である。否定されるほど正しいと感じるメカニズムがどうせ働くし。

     

     一方で脱会する人が出てくる。この女性へのインタビューは本作の見どころの一つだ。自分の頭で考えた自分の言葉というのはこういうものだよねという様子がよく伝わってくる。それは時に重く苦しいから、わかりやすく歯切れがよい仕上がった物語をコピペする方が楽で気持ちいいわね。
     その最終形が最後に登場する加瀬英明だ。およそ会話が成立しない頓珍漢な様子に客席からは笑いが起きていた。俺はこの男を見ながら、サイエントロジーのドキュメンタリー話を思い出した。ドハマリした信者が多額の献金で最終奥義みたいな教典を見ることを許されたのだが、三文SFのごときトンデモトホホな内容だったという(町山智浩のコラムから記憶孫引き)。

     この加瀬という男が最終教典と重なって見えたわけだが、サイエントロジーのその信者は一気に熱が冷めて脱会したとか。同じく平熱に戻る人が出てくるといいが、これは相当手ごわい相手だから甘く見てはいかんのである。なにせ、宗教による統制でもって、正しいのは我々だけで世界中が頭がおかしい敵、という設定で自らを正当化して滅亡した歴史を抱えるのが本邦だからね。

     

    「SHUSENJO: THE MAIN BATTLEGROUND OF THE COMFORT WOMEN ISSUE」2018年アメリカ
    監督:ミキ・デザキ


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