本の感想:自転車泥棒

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     読み後わってしばらく、何かをする気が失せ切ってしまった。これ自体はごくたまあること。問題は、読み終えたのがちょうど仕事の合間にできた空き時間だったことだ。待ち構える次の仕事に全くもってやる気が持てなくなってしまったというのもあるし、2時間の空き時間の前半の1時間目くらいで読了したので、残り1時間を放心して過ごす羽目になったのがなにより困った。

     

     終わりが近づいてくるとにわかに読み終えるのが惜しくなるタイプの読書は、いつ読み終えるかの自己管理が重要だ。万難を排した状況でゆったりと最終頁を迎えるべきである。なので俺がこの合間時間にやるべきことは、読書ではなくて雑務の処理、ということは重々わかっている程度の人生経験はあるはずなのだが、我慢できなかったのだった。だって、面白くもなんともない雑務と、続きが気になる本が両方手元にあったらさ。

     

     おかげで雑務の処理もできなくなったので、とりあえずは頭の中身を吐き出そうと本稿を書き始めた。仕事の観点からみれば、さらなるサボリの上乗せである。それで世評はどうなのだろうと携帯で検索したら、本書刊行からほどなくして訳者の人が亡くなっていると今更知り、読後の放心とは別種の衝撃にまたやられてしまった。テレビドラマで衝撃の結末を迎えている場面で、著名人の訃報が速報で流れるのと同じ状況。完全に途方に暮れる。


     コアな読書家か同業者でもない限り、訳者にはそんなに意識がいかないものだと思うが、本作の天野氏の場合、まず訳者あとがきが妙に印象的で、この人おもろいな…と、経歴を見たら、「あの本もこの人の訳だったのか」といった作品が並んでいて、言われてみれば訳が見事だったな、と後付けで思い始めていたところだった(俺の場合はもちろん「読みやすい」くらいしか、その技量は汲み取れない)。さらにご高齢ならまだしも、俺の兄と同年齢、つまりは「早すぎる死」でもあるから余計にびっくりである。

     

     それでネット上にあったこの天野氏の追悼記事を、にわかもにわかで沸き上がった哀悼とともに読んでいたら、この記事の筆者が「台湾関連に興味を持つと必定出くわす」でお馴染みの野嶋剛氏であった。またもや。

     

     説明順が逆になった。台湾の作家による作品だ。台湾が舞台でかつ戦前の台湾が出てくるようだ、という程度の興味で手に取った。いかにもおもしろそうな雰囲気を醸し出している装丁も多いに手伝い、半分以上はいわゆる「ジャケ買い」の類である。内容もよくわからないまま読み始めたのだけど、自転車泥棒は登場せず泥棒される登場人物ばかり出てくる。表紙のイラストからつい子供が主人公の話かと想像していたが、そういうわけでもない。帯には「消えた自転車の行方を追っていつしか戦時下のジャングルへ」旨あるが、この文面自体、まるでラリったうわごとのようで、さっぱり意味がわからない。なのでファンタジックな冒険譚なのかとも思ったが、まったくそうではない。しかし読んでみると、これは確かに「消えた自転車の行方を追っていつしか戦時下のジャングルへ」だった。実に自由自在な内容だと思う。

     

     

     主人公の「ぼく」が、かつて行方知れずとなった父の自転車を探し求める。大まかにはそんな物語だ。ただし自転車自体は割とあっさり見つかる。見つかりはするのだが、狃衢者瓩多少ややこしい。元の持ち主に依頼されて預かっているだけ、といったような預け預けられ信託関係が連鎖している。このため「ぼく」は一人また一人と面会していくわけだが、なまじ古い自転車の来歴を追いかけている分、必然的に戦中世代の記憶と対面することになり、その中にはビルマ戦線に従軍した人物も含まれる。


     この作品が凄いのは、これら「ぼく」以外の複数人による「語り」を、ひとつの作品として破綻なく成立させている点だ。わかりにくい。
     「ぼく」に対して語る人々の「語り」は、さまざまな方法で記述される。かぎかっこを使ったただの会話として示される場面もあるが、語る側が視点人物になって、しばらく主人公として物語る場面もあるし、手紙や長文のメールとして語ったり、小説という形でもって語ったり、誰宛てでもなく綴られた手記を「ぼく」が読むという形で語られる場面もある。さらに、ある人物の「語り」を聞いた人間がそれを語るのを「ぼく」が聞く、という入れ子構造になっている場面もある。

     このように、語る人間の数も多ければ、その関係性も結構ややこしい。さらに世代もバラバラだから、半世紀以上のスパンで時代が行ったり来たりすることになる。ついでにこれが台湾ならではの部分で、語る人間の民族にも幅がある。原住民族が出てきたり、日本人が出てきたりするし、しまいにはゾウまで語っている。

     

     いわば証言集のようなものであるが、証言集と異なりこれは小説なので、通常は、主人公「ぼく」が語る物語としての連続性がないと読者はついていきづらい。これが水滸伝とかスポーツマンガとかなら最後に全員仲間になるというわかりやすいゴールがある分、それほど難しい問題ではないのだけど、ゾウの話と自転車にどれほどの関係性があるかというと、ストーリー上はそれほど深い関係はない。それでも読者を引き込んでいくのだから、かなりアクロバティックなことをやってのけていると思う。自由自在というのはそういうことである。こうして(一応は)自転車の来歴を軸として、ある世代から次の世代への贈与という人類普遍のデカいテーマを示しつつ、最後は家族の物語に落とし込んでいて、見事過ぎる。


     読者を惹きつける装置として重要な役割を担っているひとつが、豊富な知識類だろう。自転車のうんちくに始まり、台湾の伝統工芸、戦場写真、ゾウの習性、戦時下の歴史などなど。原書では、原住民の「語り」には、彼らの言語が散りばめられているというし、その取材量に眩暈がしてくる。さらに、表紙の絵や口絵も作者の手によるというから、あんたはダヴィンチかという万能さ。自分で書いた小説に、ジャケ買いさせられる絵を付けられるんだからなあ(装丁デザインは別の人だそうだが)。

     

     本作のような、ノンフィクションなのかフィクションなのかジャンルの合間をいくような作品を、最近は好んで読んでいるのであるが、同時に自分で書きたいのもこういうものだったりする。本作を読んでいる間、そうそうこういうのが俺も書きたいんだよな、などと思っていたのであるが、人がこう思うとき、実のところは「先を越された」のでもなんでもなく、単に傑作に感化されて、さも自分が前から思い描いていたように錯覚しているだけなんだな。と、スティーブ・ジョブスが言ってた。お、あんた俺が言おうとしてたことうまいこと言ってんじゃん。


    「自転車泥棒」單車失竊記 The Stolen Bicycle
    著:呉明益 訳:天野健太郎


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