映画の感想:この世界の片隅に

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     話題作をテレビ公開でようやく見るいつものパターン。綺麗に描かれた戦前の街並みだとか抽象画的な死のシーンだとか印象的な場面が多く、さすが日本のアニメだと思った。 

     

     日常の延長線上に戦争があったという本作の描き方は、戦争をとらえる上で重要だと思う。

     NHKの朝ドラが代表格だけど、戦時を描く場合によく批判されるのが、主人公たちの言動が戦後の価値判断に沿って描かれている点だ。大抵は戦争や戦時体制について疑問を抱いていたり反発していたりする。だけど、特に実在の人物がモデルの場合、事実は正反対だったということがある。「いだてん」でも、満洲事変後、主人公が勤務する朝日新聞が軍部の突き上げを恐れて反戦的な論調を取りやめる判断を下したシーンがあったが、現実には当時の報道機関は積極的に賛同していて、そこに保身のポーズがゼロだったとは言い切れないにしても、それがメインの理由ではなかった。


     本作の場合、現代からの視点を極力排除して当時のリアルな様子を描くことに腐心していて、事実の取材ぶりも徹底している、らしい。特に軍備関係は疎いので、あれが現実の様子だったかどうか俺には判断できないが、監督インタビューなんかを読むとそうらしい。
     俺でも知っているようなことについてもろくに説明がないので、よくわからないまま見過ごした点もたくさんあるだろう。終盤で太極旗が掲げられるシーンは奇しくもタイムリーになってしまっているが、その後主人公が言う割と重要そうな台詞の意味は、当時の半島支配の目的の一つが「米」だったという事実を知らないとよくわからない。たまたま知っていてよかった。精読のように精鑑賞する教材としては格好の作品だな。

     

     「戦時中」というとつい殺伐とした統制社会を想像してしまうが、世の中がああいう様子になったのは大戦末期のこと。現実には、今まで通りの日常生活が、いつの間にかこれまでより苦しくなっていき、いつの間にか物資が入手しにくくなっていき、いつの間にか物言えば唇寒し秋の風になっていき……、といった具合だった。

     主人公の義姉はモダンガールだったという逸話が序盤で「古きよき時代」的な調子で紹介されているが、実際には、都市部ではああやって華やかな洋装に身を包み、フォークとナイフでカツレツなんかを口にする傍らで、「国民精神総動員」といったいかにも戦時な垂れ幕が掲げられていた。相反しそうなこの2つの要素はある時期までは同居していたのである。

     

     同時代感を出そうという描き方の意義は、この時代が特異点でも何でもなく、今後もいくらでも起こり得ることだと感じれることにある。奇しくも其之二、この放送があった日、愛知県の芸術祭で、「展示が中止になったり不許可になったりした作品の展覧会」が中止になるという悪い冗談のような出来事があったが、展覧会の主旨から明らかなように、すでに「展示できなかった」という事実が日本社会に積み重なっているので特に驚く事態ではない。それこそ今の日本も「いつの間にか物言えば〜」になっているわけだ。

     

     どうしてそうなるかといえば、国民がそれに積極的に加担するか黙認するからだ。本作の主人公すずは、「いつもぼーっとしている」という設定で、「鈍感力」よろしく控え目ながらも逞しいキャラが魅力的なのだが、現状に大して特段疑問も文句もなくつましく暮らしていることで黙認ないしは消極的に加担していることになる。それが玉音放送を聞いた後の、戸惑うくらいの彼女の激昂につながっている。
     あのシーンまでは、戦争が天災のような抗えない仕方のないもののように描写されている点が本作の弱点だなあと思いながら見ていたのだけど、あの喚き散らすシーンを見て、彼女自身も初めてこれが「人間の判断でどうにか出来ることだった」と知った、もしくはうすうす感づいていて加担していたことについて明確に自覚的になったかしたのだろうと思う。

     

     くだんの展示企画では、市長が中止を求める、それも展示内容が自分の主義主張と相容れないから、というの内容の是非とは別次元で完全アウトな行為を堂々とやらかしている。それ憲法違反じゃん、という点でここが最大の問題点だが現時点で非難は弱い(「野党がだらしない」ならぬ報道がだらしない)。こういう一個一個の積み重ねなんだよなあ。現代アートはそもそも人気がないし、慰安婦と聞いて沸騰はしなくても何か面倒臭そうだから避けておこうくらいの忌避感を持っている人は多いだろうから、さして関心を持たれない案件だと思う。だけど、こういうのが積み重なってそのうち自分の守備範囲も浸食してくる。そしてそれは天災でも何でもない。と、本作は教えているのである。


     

     ところで積極的加担というのは、何も勇ましい思想にカブれることだけを指すのではない。今週の「いだてん」では、主人公が水泳の五輪選手たちに殊更メダルメダルと過剰に奮起を促す態度について、「こういうときだからこそ明るいニュースを届けたいからだ」と真意を吐露するシーンがあった。イイ台詞、イイ場面として捉えた視聴者は多かったと思うが、これは翼賛報道という積極的加担にもつながる危うい姿勢でもある。見らんふりして話を逸らているわけだし、「今の状況に相応しい報道をすべし」にもなりうるからだ。


     そんな風に思ったのは、吉本興業の騒動のせい。「暗いニュースだから明るく」くらいの発想で、笑いで和まそうとしている芸人は多い。その大半が善意、ないしは職業的使命感くらいの気持ちでやっていると思う(大阪組の場合は大概が隣組化しているが)。

     しかし、当該企業が政商と化していることとその税金の使途の是非、あるいは歴史上何度も表面化しては立ち消えている芸能界の労働問題(本作の主演俳優もまさにそれだった)等々、追及すべきことが山盛りになっている段階にあって、「暗いから明るく」は、もはや芸人ができることは少ないにしても、さすがに無邪気過ぎる(脳科学者の「日本のお笑いは上下関係や空気を読んだ笑いだけで、権力者の批評をしない」の批判に、わかってねーと沸騰していたしっぺ返しがこんな格好で訪れるとはね)。

     「いだてん」の田畑もそれと重なって見えて、いいシーンのはずが、いやあそりゃ違うやろと賛同できなかった。田畑や芸人のような一定の立場がある人間が呑気にしていると、最後はすずさんのところにまで降りてくるんだろう。


    2016年日本
    監督:片渕須直
    出演:のん、尾身美詞、細谷佳正


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