【やっつけ映画評】パッドマン 5億人の女性を救った男

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     文学部の出のくせに、理系学部の大学生相手に授業をしたことがある。1回生が相手なので俺でもどうにかなった(と思う)。その中で、学生自身に何がしかの科学的検証を、自分で方法を考えてやるよう課題を出した。「ためしてガッテン」あたりでやっているようなことと似たような行為をイメージしてもらえばいい。

     すると、多くの学生にとってはまず、何を検証するのかのテーマを見つけるのが難しいわけだが、さらに難しいのは、どうやって検証すればいいのかの方法を考えることだった。

     

     差し障りがあるのでたとえで説明すると、「飲酒運転の危険性を確かめるため酒を飲んで運転する」といったようなそのものズバリの方法が試せない場合にどうすればいいのかというようなことだ。

     この場合、別に運転しなくても酒に酔った状態で何らかの認知検査や運動検査をすれば一定程度証明できる。こんな程度なら言われなくても最初からわかると思うかもしれないが、フリーハンドで考えようとするとかなり難しい。その上、酔った状態で四則演算テストのようなことをして「ほら、しらふより正答率が低いでしょ」という結果になったとしても、それが運転とどう関連するのかとなると途端に怪しくなる。科学的方法とはなんぞやを問う、我ながらなかなか面白い課題だと思ったものだ。

     

     パッド=生理用品を作るインド人の物語だ。冒頭、「事実に基づくが脚色してます」といったような但し書きが示される通り、特に中盤以降わらしべ長者的な展開がとても楽しい。クライマックスの演説シーンも、一人芝居よろしくかなり長々と喋る&単調な編集で演出少な目なのにぐっと惹き込まれ、劇中の聴衆とともに拍手したくなる見事な場面だった。


     というのもこれが単なる発明物語ではなく、月経をケガレと見るインド社会の因習との戦いのドラマこそがメインテーマだからだ。簡単にいえば人をたくさん救う話で、だから有名ヒーローになぞらえたタイトルになっている。女性を抑圧する因習VS科学。だけどそれをやろうと思ったら、科学的態度とは何ぞやがまずは問われるこになるんだなと思いながら見た。

     

     工場の腕利き工員ラクシュミは相当の愛妻家で、妻が玉ねぎを切って涙を流しているのを見て玉ねぎ切りマシーンを作るくらいやさしい。その延長線上の愛情(もしくは義侠心)で新婚の妻のために安価な生理用品を作ろうと決意する。当時の(30〜40年くらい前の話かと思ったら2001年の話だったのでビックリ。それでももう20年近く前かあ…)インドには輸入物の高級品しか存在しない上、妻はじめ多くの女性が雑巾状態の布をあてがっていたため不衛生で感染症の危険性もある。その上、生理期間中は家に入れず座敷牢ならぬベランダ牢のようなところで過ごさなければならなかった。
     何もかも不合理なのでラクシュミは「妻を救うぞ」と奮起するのだが、ここでまず難関になるのが試作品がちゃんと機能するかどうかのテストだった。

     

     最初の試作品は、ロリエのCMのまさに正反対の結果となり大失敗。妻は「恥ずかしいからもうやめて」と協力してくれなくなるので、ラクシュミは町ゆく女性に「試してくれ!」と体当たりし、変質者扱いになる。序盤のこの苦闘シーンは、ラクシュミの純粋まっすぐぶりが危う過ぎて見ているのがツラい。
     ここでの彼の態度、すなわり製品テストを行うためには生理中の女性の協力が不可欠と思い込んでいるのは、飲酒運転の検証のために実際飲酒運転をするようなものだ。別に運転しなくても確認のしようがあるのと同様、他に試す方法はいくらでもあるはず。優秀な工員なら気づきそうなものだが、彼は学校を出ていないので部分に分解して足し合わせればよいという要素還元主義的な科学の基本姿勢みたいなものが発想できないのだろう。授業を受けてきたはずの学生でもそうなんだから難しいのは当たり前だと思う。

     後に大学教授から製造機を紹介されたとき、それを部分に分解して理解したり、圧縮の方法に悩むときにチャパティ的なものが凹むのを見て閃いたりするシーンは、それだけにかなり象徴的なシーンになっていると思う。

     

     

     試作品のテストが出来ないだけでなく、猖汁瓩たたって彼は完全に村の鼻つまみものになり、妻にも親兄弟にも全く理解されずに孤立する。男性はともかく、女性陣はもう少し理解してくれてもよさそうなものだが、男がいきなり女性のデリケートな部分に「助けたい!」と首を突っ込んできても「よく知りもせずに」とばかりに迷惑に思うのはわかる。加えてここにあるのは差別的構造をひっくり返す際の毎度お馴染みの困難な構図がある。

     

     以前にバラエティ番組で、「外見で笑いを取りたくない。だいたい私はブスではない」と主張する女性芸人(隅田)に、ブスを売りにする男性芸人(岩尾)が説教していた。曰く、事実を受け入れて生きるしかなく、自分はそれを武器に芸人になれた、と大意そんな理屈。ハンデを逆に武器に、という発想はパラリンピックの選手も言いそうな美しさがあるから会場は拍手していたが、それ被差別者が生き残るために採った悲しい歴史のやつやんと特に拍手していた反応に気色悪さを感じた。

     彼の信念に文句をいう筋合いはないが、公然と「嫌なものは嫌だ」と反発することで動いてきた歴史の恩恵を我々は受けているのを忘れてはならんし、その背後には「こちらが我慢さえすれば波風立たず静かに過ごせる」と屈辱に耐えたつらい歴史がある。それを思えば自身の信念だとしても、他人にそれを強要するのはおかしかろうて(ついでに彼が頭角を現した漫才ではそんなに外見をネタにしてなかったし)。

     

     ラクシュミの妻も同じ。「自分さえ我慢すれば」というか、その価値観が標準になってしまっているから、それおかしいよと波風立てられること自体が耐え難いのだろう。この壁は相当に困難で、パッドの製造に成功した後もまったく変化なくついてまわることになり、物語はやっぱり因習VS科学が継続することになる。


     結局、彼を罵倒し追い出した故郷の人々は、ラクシュミが海外で評価されて大ニュースになったところで手のひらを返す。どれくらい彼の信念を理解したかは怪しいし、それは妻とて同様。戻らん方がええんとちゃいますのん?とつい思ってしまう。だが彼が選んだのが因習との戦い&妻を救う、である以上、ひとつも理解してくれなかった故郷を捨てるわけにはいかんわなあ。

     

     しかしインド国内で評価されても彼を認めなかった故郷の人々を最終的に動かしたのが「外圧」というのもなかなかシビアな事実である。と思わせておいて現実世界は外圧でもなかなか動かない。パキスタンでは本作が上映禁止になった。背景にあるのは宗教に基づく価値観だから、さすがになかなかややこしい。我国の場合、ある意味さらにややこしく、本作は鑑賞可能だし生理用品もどこでも手に入るし、女性活躍なんちゃらかんちゃらみたいな法律を作っているのに、男女の平等度合では世界100位以下で、あまりそれを問題視しているようにも思えん。これまた外圧を無視するのと構図は同じようなものだ。自覚的に宗教の価値観を踏まえているわけではなく、宗教チックな姿勢が無自覚に根底にある。マズい。

     

    余談:年頃の娘が初潮を迎え、女性たちが赤飯どころかダンスで派手に祝うシーンがあるが(インド映画なので)、この華やかな祝祭の後にまっているのがベランダ牢かと思うと、巨匠藤子F「ミノタウロスの皿」を思い出さずにはいられず、「待望のステーキをほおぼりながら俺は泣いた」になった。

     

    「PADMAN 」2018年インド
    監督:R.バールキ
    出演:アクシャイ・クマール、ラーディカー・アープテー、ソーナム・カプール


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