【やっつけ映画評】ニッポン国VS泉南石綿村

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     少し前に、裁判所の採用試験を受ける学生の面接練習を受け持った。裁判官ではなく事務職員の試験。日程的に受験可能なので一応、という人もいれば、第一志望な人もいる。なのに全員判で押したように同じようなことを言うから、おいおいちょっと待ちなさいと、まあそんな仕事をしてきたわけだが、その「同じような話」のうちのひとつが、困った人が最後に来るのが裁判所だ(から私は困った人のために働きたく云々)ということだった。

     おそらくパンフレットや説明会でそういう話を知ったのだろう。まさしく裁判所とはそのような場所であるから別に間違ったことを言っているわけではない。のだけれども、現実の姿としては、さてどうなんだろう。

     

     大阪・泉南のアスベスト被害者の国賠訴訟をテーマにしたドキュメンタリーだ。国は危険性を知っていたのに適切な対応を取らなかったと、石綿工場の元労働者や家族、近隣住民らが訴えた日々を撮影している。3時間もあるから長えなあと思ってみていたが、訴訟は8年もかかったから3時間ぐらいでガタガタいうなよという話である。日本では2005年にクボタの工場における被害が大々的に報道されて有名になったが、アメリカではその30年前にとっくに問題が顕在化していて、スティーブ・マックイーンも死んでいる。その上国も50〜60年代には危険性を把握していたらしい。


     監督は原告の一人一人と会って話を聞いていくが、その傍ら、どんどん死んでいく。急に静止画になって「〇年〇月〇日、死去」と字幕が出てくるからまるで「仁義なき戦い」だが、「仁義」よりたくさん死んでいく。こんな撮影していたら、そのうちメンタルやられて寝込むんじゃないかと思いつつ、亡くなる人のほとんどが俺の母親より長生きだったから、なんだかなーとこぼしたくなる自分もいる。不謹慎なボヤキだが、この監督自体、不謹慎でお馴染みの、である。

     

     本作でも婆様の入浴シーンを撮るし、亡くなった原告の死に顔を撮るし、「出たな全身ドキュメンタリー作家」といった様相に膝を打つ。つい笑ってしまったのは、夫を亡くした女性が「大変真面目でいい人だった」としんみり回想しているところで、「酒もバクチもやらず?」と監督が聞き、「いえ、やってましたよ。競馬、競輪、パチンコ」と女性があっけらかんと答えるところ。あんたそれ言わせたんちゃうのん?とつい穿ってしまった。


     この地で石綿産業に従事していた人の多くは在日コリアンで、狷本だった畛代に仕事を求めてやってきた歴史がある。監督はその歴史にも関心を抱いたようだが、話はあまり広がらない。この映画は淡々とこの調子のまま裁判の過程をたどるだけなのだろうかと思ったところで、一人の男が奥崎健三ほどではないにせよ、なかなかのアグレッシブな行動に出る。

     

     

     裁判は日本では身近ではない。先般も吉本の件について「家族の間に弁護士が入ったらあかん」と呑気なことを言ってたのがいたが(島田タレント)、ああいう法曹への忌避は平均的な心象だとは思う。

     このような国賠の集団訴訟でも同じで、裁判について懐疑的な意見は常につきまとうもの。本作でも何人か登場する。裁判なんか意味あるのか、金が欲しいんちゃうぞ、というような疑問である。病気が治るわけでも苦しんだ時間が返ってくるわけでもないから、今更何か意味があるのかと問われて即答することは難しい。

     つまりは国の不作為に落とし前をつけるということなのだが、被害を受けた上にそんな責務まで背負うのはいかにも割に合わなさそうだ。さらに原因物質は同じでも、経緯は人それぞれ異なるから、そのケースに応じて賠償の対象にならない人も出てくる。こうなると、自分ははずされたけどみんなのためにと、人一倍(?)頑張ることになるからさらに大変だ。

     

     そうして大変な労力の末、無事勝訴を勝ち取っても国側が控訴してさらに裁判が続くことになる。原告は当事者だが、被告の国側は人事異動で人が入れ替わるので圧倒的に原告が不利だ。加えて高裁が反動的な逆転判決を出すのもよくある話。こうなると、実力行使が要るんじゃないかと考え始めても不思議ではない。

     こうして支援団体の代表を務める男性が、首相に直訴しようとしたり、厚労省に怒鳴り込みに行こうとしたりする。原一男キター!と外野は無責任に興奮する展開だ。この代表の人は奥崎健三のような振り切れた人ではないので、手も出ないしパチンコ玉も出ないが、激昂する様子はかなりの迫力である。そしてその気持ちはよくわかる。


     というのも、登場する官僚が総じてみなさんアイヒマンのアイヒマンスタンダードだからで、それが仕事とばかりに同じ台詞を何度も繰り返しまともに取り合わない。冒頭述べた大学では、国家公務員の志望者相手にも面接練習をしたけど、こういうのを見ていると年かさの責務として「やめたら?」って言わないといけないのではないかと思ってしまうくらいの徹底したマシーンぶりである。自分たちで上告しておいて「訴訟中の案件ですので」って、無茶な理屈だ。

     公務員叩きが流行った原点を目の当たりにしたような気分になったが、公務員叩きが好きな人は集団訴訟の原告にも冷淡であることが多い気がする。どちらも自分にとって理解の埒外にいると感じるからだろうか。だけど不作為をほったらかすとタガが外れるものだ。こういう原告たちには感謝せねばならん。

     役人は四角四面が基本だと思うが、それは追い詰められた人間を門前払いする方便として用いるのではなく、政治家や企業が原則を曲げるのを防ぐのに用いられるべきだなのだが、公務員叩きをすると前者が強化され、後者がおろそかになるというのがイギリスと日本の事例から明らかになっている。

     

     結局彼らの態度が変わるのは、最高裁で勝訴するからで、その点建前通りの裁判所の立場を示した格好で胸をなでおろす。だけど原告たち本人にとって現実問題どれくらい意味があるのかという、いうても詮無さそうな疑問はどうしてもつきまとう。なにせ本作の中だけでも結構な人が亡くなっている。せめて国家賠償における国側の上訴のあり方は考えないといかんのではと思う。当時は「悪夢の民主党政権」なので控訴したからな、って、あれ?安倍政権に変わっても上告しとるやんけ。なにせ上訴しないのは「異例のこと」だそうですから。

     

    蛇足:原告の一人が街頭で思いのたけを演説し、通行人が誰も聞いていないシーンがあった。俺もあの場にいたら多分通過していただろう。というのも何の集団訴訟にせよ「原告の悲痛な叫び」というのは定型化して聞こえて興味が持てないから。と思っていたが、この女性の演説内容はかなり聞かせるものだった。「定型」に聞こえるのはおそらく拡声器のせいだ。映画で見ると音をある程度しっかり拾っているので聞ける。現場にいたら違っただろう。音質の良し悪しは聴衆の反応に思い切り作用する。俺も、学生相手にウケた話を、翌日別のところでしたとき見事滑ったことがあるが、あの教室も極めて音響が悪かった。

     

    2017年日本
    監督:原一男


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