映画の感想:日本のいちばん長い日(2015版)

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     季節柄、テレビでやっていた。映像は綺麗だ。全国各地の古い建築物でロケ撮影して映像上集約すると、戦前の東京の中枢部が出来上がるという面白い実験のように思えた。お見事。ちょうど金沢で「空爆されなかった町」の実感をぼーっと感じたばかりだったのでイメージしやすかった。役者もなかなか素晴らしい。東条英機は似過ぎて笑ってしまった。昭和天皇を演じた本木雅弘は、演技と物真似の境界を行く様子がさすが。そして安定の怪優ぶりの山崎努。

     

     で、全体としては何でこんなに面白くないのだろうと考えながら見ていた。ずーっとクーラーが効いているような雰囲気だなあと思ったが、自分がクーラーを効かせた部屋で見ているからあまり強くはいえない。

     旧作との熱量の違いについて比較するのは不公平だとは思う。旧作監督の岡本喜八は二十歳前後のころ戦争の絶望的末期を経験している。戦後生まれでは太刀打ちできない怒りか怨念が制作の背景にあったのは間違いない。主人公格の三船敏郎も相当えぐい経験をしている。三船と同じ役を演じた役所広司が嘉納治五郎にしか見えないのは「いだてん」に基づく言いがかりだけど、あのわけのわからん迫力と比べるのはさすがに酷だろう。同じ尺度からは物足りなく見えるのは必然だ。
     裏を返せば、同時代の人間しか生み出せないものを、形として遺しているのは後世の人間にとってとても有難いことだといえる。ともかく旧作と本作を熱量で比較してもあまり意味はなさそうだ。しかし、そこを差し引いても面白くない。面白くないというより何かひっかかる。

     

     あえて同名の作品に臨む以上、後世の人間が作る意味は、違う切り口を模索することにあるだろう。監督も公開時のインタビューでそんな意気込みを述べていた。その別の切り口が「家族」かあ〜という「226」パターンに、まず肩を落としてしまう。どうしてそちらに行くのだろうと呆れるのは簡単だが、その理由について考察することこそ、どうも重要なのではないかという気がしてきた。

     

     同時代人しか作れないものがある一方で、後世の人間だからこそ描けるものもある。
     本作における代表例が昭和天皇の登場だろう。旧作では影のようにしか登場しないが、本作では一登場人物として出てくる。新版を作るにあたっての制作側の意気込みが窺える部分だ。「工作」における金正日について書いたことと同じで、「歴史上の人物」として消化される時間が経過したからこそ可能になったと思う。

     同時代だと制作側が「菊のタブー」にビビる、というよりは、見ている側が引いてしまうのを恐れるから描きにくいのだと思う。存命中の人間を別人が演じるのは、それだけでちょっとシラけがちなものだが、加えてめちゃ地位のある存在だから、「ええんかな?」と観客が周囲をきょろきょろしてしまいそうだからだ。しかし死後20年以上もたてば、それはあまり考える必要がない。

     

     そして既に述べたように、本木雅弘の演技力に改めて感服させられる分、一定の成功は収めているとは思う。だがこの昭和天皇は、ただひたすらに思慮深く徳高く、勇気をもって「聖断」を下す格好いい人物として登場する。その素晴らしい君主を、衝突や軋轢はあるにせよ全体的には粛々と戴く閣僚たち、という構図になっている。これを見ていると、戦争は起こらなくね?と思えてくる。少なくとももっと早く終わっているんじゃないか。
     イタリア、ドイツと異なり日本の場合は戦争に導いた明確な個人が特定しにくく、なんとなく全体的にそっちに向かってしまった不気味さがある。そして自国に都合のいい甘っちょろい見積りと精神論への過剰な傾倒で、ズルズルと戦争を続けて破滅に向かってしまった(「日本軍兵士」によると、戦没者310万人のうちの実に9割が1944/1〜1945/8の最後の2年弱の間に集中していると推計)。その誰も止められなかった負け戦をいよいよ終わらせる段が本作の描く日々である。

     何せ明確な「始めた人」がいないから、終わらせるのも一筋縄ではいかない。そして政府首脳と天皇には、大なり小なり、積極的なり消極的なり戦争遂行に加担してきた事実があり、それを背負って白旗の揚げ役を担わないといけない。その感覚はどんなもんなんだろうか。それを改めて描くのは、現代でも意義深い面白いことだし、より歴史になり、ついでに新資料もあったりで、今改めて描けることもあるはずだ。作り手としてはわくわくする部分だろう。

     

     この「終わらせる」部分が、本作ではせいぜいが企業倒産程度のやり取りで描かれている。いや山一の社長を思い出せば、それ以下だ。旧作を見れば、ここに描かれているのが決して過去の特異点の話ではないことがわかりそうなものだと思うが、本作制作陣が現代の我々とのつながりを見出したのは「家族」であり「企業人的苦悩」であった。その方向でしか捉えられない貧しさは、そのまんま日本のフィクション屋界の貧しさを現わしているんじゃないか。

     

     そんなことを考えたのは、ちょうど最近、過去に傑作を生んだ映画やアニメの作り手たちが隣人の差別をまき散らして騒動になっているからだ(少し前にはマンガ家や小説家で話題になった御仁もいる)。これが意味するのは、現実に対して底の浅い認識しかないまま、そちらを見ないで人気作を生み出せていたということだ。そういうある意味牧歌的なありようと本作は、どこか重なって見える。

     アメリカ映画にしろ韓国映画にしろ、自国の過去を見事に描く作品がどんどん生み出されている中で、手練れの俳優集めて金かけてこれ、というのはだいぶシビアな現実だなあ(そりゃあ拙作も評価されなモゴモゴ)。

     

    2015年日本
    監督:原田眞人
    出演:役所広司、本木雅弘、松坂桃李


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