【巻ギュー充棟】オスマン帝国

0

     このブログは、自身の備忘録でもある。先日、以前に自分が読んだ本について確認したくて当ブログをたどっていったのだが、確認するのに手間取ってしまった。映画に比べると、本の感想についてはタイトルの付け方に統一性がない等、記述のお約束が雑で、デジタルアーカイブとしてうまく機能していないと感じた。

     そういうわけで、いまさらながら整理しなおすことにした。とりあえず、ワッペンでもつけよう、と考えてこれがまた悩む。「著者の腕組み」というのを思いついたが、読書なのに「著者」というのもなあ。全然思いつかんので四字熟語をもじる安直な発想で済ませた。これもこれで意味わからんな。やっぱり「著者の腕組み」の方がいいかも。

     

     買ったままになっていたのをようやく手に取って読み始めたら、かなり面白くて一気に(というほどでもないが)読了した。小アジアの一勢力に過ぎなかったオスマン1世から始まり、第一次世界大戦敗北後のトルコ革命で退位するメフメト6世まで、全36人の君主を順番通りなぞっていく通史となっている。前に読んだ「フランス史」のときも思ったが、順番通りになぞっていく歴史の記述としてはド直球なこのスタイルは案外と面白いもんだ。不勉強だからだろうな。

     

     古代ならともかく、13C〜20Cまでの新しめの時代に600年ほども続いた王朝というだけで、かなり異質な存在だ。空前の大帝国という帯の惹句も決して大袈裟ではない。必然本書も、序盤は三国志か平家物語のような軍記物の感がある。特にアナトリアに一気に勢力を広げて稲妻王の異名を取るバヤズィット1世が、1代で大帝国を築いたティムールと激突するアンカラの戦いは、そういうのを好んで摂取していた中高生のころの趣味を思い出させられた。

     

     その後、コンスタンティノープルを陥落させるメフメト2世とか、最盛期と位置付けられるスレイマン1世とか、高校世界史でも頻出度Aクラスの帝王(スルタン)が登場するが、スレイマン1世のくだりでも本書はまだ中盤一歩手前である。このあと高校世界史ではろくに触れられない時期に突入していくが、「ミドハト憲法」とか、試験に出る山川世界史用語がたまに出てきて、おーつながったーと感慨深い。

     

     さて詳しくない地域の歴史を中心に見るのはヨーロッパが相対化されて面白い。中盤まではせいぜい神聖ローマ帝国と、あとは東欧の小国くらいしか登場しなかったのが、やがてイギリスだのドイツだのが現れ、ヨーロッパ世界の膨張を感じる。何より、国民国家という枠組みが、オスマン帝国視点で見ると全く異質のパラダイムの到来だとわかる。

     日本史とてそれは同じはずなのだが、島国で国境らしきものが最初からあることと、単一性の高い民族構成につき、国民国家の異質さというのがあまりピンとこない。
     一方でオスマン帝国は、イスラム帝国でありながらアラブ人ではないし、そもそもイスラム教の支配が異教徒の存在を前提としていることもあるしで、のっけからトルコ色が薄い。加えて版図がバカでかく、時代によって増えたり減ったりするので「トルコ人とそれ以外」という区別が支配層には特にない。ムスリムか否かの方がよほど重要であるが、一定の枠内で異教徒の存在も容認している。緩やかな専制と呼ばれる所以である。

     しかし、ヨーロッパ帝国主義との対決の中で、やがてトルコ人国家を構想せざるを得なくなる。それまでの500年以上の統治のあり方をとっくり見せられた後なので、ずいぶんスケールが小さくなった印象すら覚える。以前に「THE PROMISE 君への誓い」という金貸し屋みたいなタイトルの、アルメニア人虐殺を描いた映画を見て、感想もとくに書いていないのだけど、あの映画で描かれた様子も、変質していく帝国の一側面てことなんだろう。


     そのくせ支配の中枢の歴史はやたらと血塗られている。跡継ぎのたび兄弟抗争がえげつない。長子相続とは決まっておらず、一人がスルタンに就任すると残りの兄弟は全員処刑される。正男・正恩兄弟がずーっと連続している感じである。これによっていわゆるお家騒動を防ぐわけだが、これが可能なのは生母がしばしば奴隷出身だから=母親の実家が有力者ではないからというこれまた結構珍しい風習による。

     しかし、若くして死んだら断絶するリスクもあるはずだが、そうはならなかった。一方、このぞっとする風習(カズオ・イスグロ「わたしを離さないで」を思い出した)が廃止になると、病気等で若くして死に、弟が継ぐというパターンが現れるから不思議だ。そうなると当然、スルタンに反対する勢力が別の兄弟を担ごうと画策するよその国でいくらでも見かける政争が起こるから、何がいいのかわからなくなる。


     これら権力争いの中で高官たちもしばしば粛清される。以前、第2次ウィーン包囲を題材にしたB級映画を見たことがあるが、オスマン帝国軍を率いた大宰相が敗戦の責任を問われて処刑されるラストに処分が厳しすぎとちゃうかと思ったものだったが、あれがスタンダードだと知った。


     教科書を読むだけではいまひとつ理解できなかった「カピチュレーション」についてようやく腑に落ちたのと、日本人が大好きなエルトゥールル号がどうして和歌山沖にいたのかを知れた。
     

    「オスマン帝国 繁栄と衰亡の600年史」小笠原弘幸 中公新書2018


    コメント
    コメントする








       
    この記事のトラックバックURL
    トラックバック

    calendar

    S M T W T F S
    1234567
    891011121314
    15161718192021
    22232425262728
    293031    
    << December 2019 >>

    selected entries

    categories

    archives

    recent comment

    • お国自慢
      森下
    • お国自慢
      N.Matsuura
    • 【巻ギュー充棟】反知性主義
      KJ
    • 【映画評】キューブ、キューブ2
      森下
    • 【映画評】キューブ、キューブ2
      名無し
    • W杯与太話4.精神力ということについて
      森下
    • W杯与太話4.精神力ということについて
    • 俺ら河内スタジオ入り
      森下
    • 俺ら河内スタジオ入り
      田中新垣悟
    • 本の宣伝

    recent trackback

    recommend

    links

    profile

    search this site.

    others

    mobile

    qrcode

    powered

    無料ブログ作成サービス JUGEM