【やっつけ映画評】ビリーブ 未来への大逆転

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     ダサい邦題が嫌でも目につくが、問題はなぜダサく響くかだ。これは結構重要な話だと思う。
     原題は末尾に書いたが、そのままカタカナにしても、直訳しても日本語話者的にはしっくりこない題にしかならなさそう。なので別のキャッチーな邦題をつけるのは興行的に重要である。そこで広告屋的手法の出番なのだが、これがスベっている。

     

     本作の主人公、ルース・ベイダー・ギンズバーグという人については先にドキュメンタリーで見ている。映画でベイダーといえば、まず黒甲冑の赤バット男が思い起こされるが、あちらが才能の使い方を間違えた未熟者なのに対し、こちらのベイダーは、才能の活かし場所を与えられなかった女性である。
     スピルバーグ「リンカーン」に、「黒人に選挙権?じゃあ次は女に選挙権か?がっはっは」と嘲笑う議員が登場するが、ここからもわかる通り、女性の解放の動きは黒人解放よりも後のこと。「リンカーン」から100年後、1960年代のアメリカが本作の舞台の中心で、ルースは法科首席卒の才人ながら女性であることを理由に弁護士への道が閉ざされている。そもそも劇中の台詞によると、彼女が入学したハーバード大学の法科が女性を受け入れて6年目、1956年入学らしいので受入れ開始は1951年か。日本の女性参政権よりも後になる。こういう状況下で女性の権利のために法曹活動をしていく彼女の、主に若いころの来歴を描いている。

     

     すでにドキュメンタリーを見ているので、大枠では知っている話をなぞる格好で本作を見た。こうして比較すると、フィクションの役割を再確認させられる。過去を再現で場面として描ける分、当時の雰囲気をより肌身に感じさせることが可能だ。だから、彼女のくやしさを肌身に感じることができる。
     こういう、今となってはすっかり古臭く見える価値観を前面に打ち出してくる悪役に対して、子供のころはこういう格好悪い大人にはなりたくないと思い、演劇を始めた大学生のころはこういうベタな悪役を演じるのは楽しそうと考えるようになり、そうしておっさんになるとここまでひどくはなくても根底ではつながっている無理解発言をしてきた己に気づくことになった。

     対照的に、夫のマーティンはドキュメンタリーでも本作でも、人格者ぶりが際立って伝わってくる。妻を対等の相手と認め、同じ法律家でありながら妻の優秀さに嫉妬もしない。この時代にこの見識は相当に奇跡的な印象すらあるのだが、奇跡的にガンから復帰するので何かしら特別な人なんだろう。

     

     さてかくのごとき性差を主題としながら、本作のもう一つのテーマとして、本当の言葉とは何か、というようなことがあるのではないかと思う。

     物語のクライマックスは裁判のシーン。いわゆる法廷モノなので、いかに勝つかというテクニカルな部分が当然クローズアップされる。例えば法の下での男女の不平等を是正したいルースは、まずあえて男性が不公平を訴える紛争に狙いを定める。「介護は妻の仕事」という前提で法律が作られているので、独身男性が高齢の母を介護しても女性と同等の控除を受けられない。これは不当である、という訴えだ。

     男性の不利益を訴えることは、男女平等につながるから、自らのライフワークにも直結してくる。周囲からも「いい目の付け所だ」と評価されるように、勝ち目のある戦い方を選ぶ打算的な側面がそこにはある。

     

     一方で、ルースは大学教授として豊富な知見は擁しているものの、弁護士事務所への就職がかなわず訴訟代理人の経験がないため、周囲の支援者はその手腕に疑いを持つ。試しに模擬裁判をやってみると、案の定ルースは今一つ覚束なく、アメリカの法廷モノでお馴染みの、堂々とした弁論術には程遠い。このため周囲は、このままでは負けるからと、あれやこれやと作戦を教示してくる。その中にはいわば節をまげる格好になるものもあるから、勝つことを選ぶのか、自己のレゾンデートルを取るのかといった二択が横たわってくる。

     

     

     そうして本番の訴訟では、ルースは苦戦しながらも、最終的には心を揺さぶる弁論を展開していくことになる。そこにあるのは、「うまいこという」言葉の選択だとか、被告代理人を引っかけ問題で嵌めるような論破術だとかのテクニックではない。心の底から本当に思っていることを語る。ただそれだけのとてもシンプルな話である。ただし、その「思っていること」が、長い障害と抵抗の歴史に基づいているから訴える力は、ちょっとやそっとの賢しらな狎杵性瓩任和亶海任ない。そのような力強さを持っている。つまり彼女は怒っている。泣いている。

     

     これは果たして「ビリーブ」なのか。彼女は信じているのではなく、ただ事実を事実として述べ、おかしいと言っているだけだ。「信じるか信じないかはあなた次第」とは正反対の「それでも地球は回っている」に近い。名詞扱いにして「信念」と捉えれば、まだ当てはまるようにも思えるが、彼女の信念というより、女性全体の代弁という方が正しく、単に1人そういうアツい人がいた、というのにとどまる話ではない。

     

     このピントのズレた邦題の選択は、テーマがテーマだけになかなか絶望的な無理解すら垣間見えてくる。穿ち過ぎでもなかろう。なんせドキュメンタリーの方の日本版キャッチコピーは「妻として、母として、そして働く女性として――」だったからな(仮に彼女が男だったら、夫として父として働く男性として、なんてコピーにはならなくて、時代を変えた弁護士がいた、とかになるだろう、という話)。

     

     まあとにかく、このクライマックスの弁論は胸をうつ。そして裁判官を初め、「これじゃ負けるぞ」と彼女に駄目だししていた協力者も含め(もしかすると被告側含め)、聞き入っていたのは本作の希望である。本当の言葉に耳を傾ける。人を見る目にも通じる部分だろう。耳とか目とかややこしいが。安っぽい罵倒のような雄弁を、しばしば「バッサリ」などとありがたがってその快感に乗っかるような行為は、つまりは人を見る目がない。その結果が今だということを、特にテレビとスポーツ新聞はいい加減わかれ。橋下なんかをありがたがるな。あれはその場その場で言うことを平気でころころ変える、本作のルースとは正反対の存在だ。きちんと仕事してる一見地味な自治体の首長の方が、よほど本当の言葉をしゃべってる。耳を傾けるべきはそっちだ。

     

    「ON THE BASIS OF SEX」2018年アメリカ

    監督:ミミ・レダー
    出演:フェリシティ・ジョーンズ、アーミー・ハマー、ジャスティン・セロー


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