映画の感想:恋する惑星

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     香港の掛け値なしの弾圧をニュースで見るにつけ、古い映画が妙に意味を持っているように思えてきてしまった。


     ウォン・カーウァイ(王家衛)がブームになったのは俺が大学生のころだった。映画といえばハリウッドの話題作と「意味不明のフランス映画」、そして日本映画、くらいの貧相な分類しか持ち合わせていなかった田舎者が、都市部の文化ブルジョアたる友人から色々と教えられてちょっとずつ詳しくなっていったころだ。

     

     アジアの新鋭、というような格好で色んな雑誌で大々的に取り上げられていた。まだ韓国映画のカの字も日本にはないころだから、カンフー以外のアジア映画をまず想像できない。ついでに日本映画も俺にはピンと来ていなかったころだから、全く興味が湧かない。ところが俺に色んな映画を教えてくれた友人は「面白い」と言っている。


     「どんなん」と尋ねると「話らしい話はないけど、何かオモロイ」という。こういう感想は映画を色々見れば必然的に顔出す典型的な感想の一つにしか過ぎないのだが、当時の俺は、こういう感想の意味がわからない。それどころか、何かスノッブめいたものを感じて反発すら覚えてもくる。ついでに友人が付け足した「映像は綺麗やな」という感想も、同じく意味不明だった。映像が綺麗というのは、こと映像の話だけに誰にとっても一目瞭然のようで、そうでもない。絵画に詳しくない状態でモネの睡蓮を見せられても、別に汚いとは思わないし、綺麗だとは思うにしても、「で?」という感想の方が先に来てしまう。それと似たようなものだといえば伝わるだろうか。あのころ俺はわかりやすい意味のようなものが伴わないものは理解できなかった坊やだった。

     

     そんなやつが会社を辞めてまで舞台や映画を作ったりしていたのだから我ながら凄いものだ。世間的な評価はろくにないから才能なんかちっとも持ち合わせていないわけだが、「できる」と「好き」は似て非なるものなんだな。


     当時の俺の幼さについては、くだんの友人にもとっくにバレていて、お前は好かんやろうと薦めてはこなかった。後になって同じ監督の「天使の涙」ならお前も面白いと思うんとちゃうかと薦められて、そちらは見た。タバコをやたら吸っていたことと、金城武が女をバイクの後ろに乗せて疾走していたことしか覚えていない。


     あれから20年以上たち、ようやく本作を見た。恋がすれ違う男女が2組出てきて、個々の場面には印象に残るものがありつつ、全体として何だといわれるとよくわからない。それで「何だこれは!」となる初心さはもうないが、でもやっぱりそんなに好きではないなあとは思った。たまたま人から「ガリガリ君のパイン味が美味い」と聞かされて、それを食べながら見ていたら金城武がパイン缶をバカ食いするシーンがあった。ガリガリ君のパインが想像以上に美味かったこともあり、俺の中ではパイナップルを馬鹿食いする映画という収まり方をした。


     このパイン缶のくだりも、日付にこだわってあえて古いものを買うという描き方が村上春樹みたいだと思った。ろくに読んだことがないんだが。なぜ大して読んでいないかというと苦手だからで、仮にも話を書いている人間がそれはどうなんだというコンプレックスに見舞われるのだが、いざ読もうとしてもやっぱり苦手なのだから仕方がない。

     

     脇役たちが多民族多言語で(金城武も語学堪能な一面を見せる)、どういう事情かわからんが何やら物騒な連中が出てくる辺り、いかにも香港だなあというのが面白いのだが、当時熱狂的に支持されたであろう本作が持つ洒落たテイストは、おそらくその後色々な形でさんざん消費されたからだろう、「こういうのが格好いいとされた時代は確かにあったなあ」という文化史を見たような気分になった。

     

     悪く言えば「こういうのこそよい」とされたいかにも90年代な作品であるが、この何も切羽詰まっていない作風が、現在地から見るととても幸せなことだと思う。これ香港返還前の作品なんだよなあ。全体主義国家だといかにも「退廃芸術」として葬られてしまいそうな映画だから、自由の象徴みたいな作風だともいえそう。まあ中国の場合、政府批判を指摘されなければ無事なところがソ連なんかとはちょっと違うところだろうが、この辺の匙加減はよくわからん。

     

     ただしそれは、本作がすっかり過去の作品になっているからで、内容が本作同様恋愛をテーマにした雰囲気先行の作品だったとしても、90年代における本作がごとくどこかが大変に新しかったらやっぱり制作は無理なんじゃないか。新規なものはどこかに批判精神がないと成立しない。そして自由が保障されている体制では、その批判精神の向く先はてんでばらばらだが、抑圧体制になると批判精神は全てそこに向かわざるをえない。人権が蹂躙されているのに「色使いはこうあるべきだ」とかやってる場合ちゃううやろとなってしまうからだ。このため体制側も新規なものには敏感になる。やっぱりワイダ「残像」みたいなことになるんじゃないのかな。

     だもんで、大々的に宣伝している新作映画が、今日から俺はだの糸だの、昔の貯金で生きてますの居直りがすごいわが国は自主抑圧社会なのである。

     

     作中なんどもかかるクランベリーズの「ドリームス」(香港バージョンのカバーだが)も、当時はあんまり好きではなかった。今聞くとこの曲は、ドラムが大変に素晴らしい曲だとわかるが、これはバンドで間近にドラムを聞いてきたせい。クランベリーズのボーカルも亡くなってしまったが、さて。
     後半の主人公である店員女性が、芝居仲間の河上さんにどこかしらうっすら似ていた。

     

    「重慶森林」1994年香港
    監督:ウォン・カーウァイ
    出演:トニー・レオン、フェイ・ウォン、ブリジット・リン


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