邦題の洗浄問題(仮)について

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     何度か断片的に書いている話を改めてまとまった形で書いておこうと考えていたところ、人に話す機会があった。妙に興味を持たれたので、では早速書くことにした。これまで仮に「洗浄」と書いてきたが、いまだ適当な比喩表現が思い浮かばないまま。とりあえずは「映画邦題の洗浄について」としておこう。

     外国映画の邦題がダサいという例は枚挙にいとまがないと思うが、それとは似ているものの異なる話である。ここまず重要。

     

     本ブログで自分が書いたものを振り返ると、この問題に最初に言及したのは、「ドリーム」についてだった。本作の邦題は、添えられた副題が作品内容と全く関係がないので世間的にも大いに非難を浴びて副題部分が削除された。でも俺がひっかかったのはむしろ残ったメインタイトルの方だ。
     1960年前後の米NASAを舞台に、黒人女性3人組を主役とした物語である。コンピューターがまだなく、日々の計算業務を人力でやっていた時代、彼女たちはその計算係として雇われている。極めて優秀ながら性別や肌の色で不当に扱われており、その状況に抗っていく姿が描かれている。
     原題は「Hidden Figures」で、「隠された数字」「隠された人」といった二重の意味を載せていると推察される。彼女たちのうちの1人が、白人男性同僚から重要な数字を隠される場面があり、さらに人間計算機としてしか扱われない彼女たちはまさに隠された人々といえる。いや、この場合は隠されたというより「見えてない」くらいの表現の方が正確だ。数字を隠してくる白人同僚はともかく、本作に登場する人々は、総じて悪意がないかあっても自覚していない。つまり積極的に隠してくる主体は存在せず、彼女たちの苦境は他の登場人物たちには(見えてるはずなのに)見えていない。「シックスセンス」状態に近いが、当然本作は死人や霊能者の話ではない。

     というわけで本作は「ドリーム」、夢の話ではない。確かに彼女たちが逆境をはねのけ、成果をあげていく場面だけを見れば、夢に向かって前に突き進んでいく物語といえるのだが、ここで問われているのはその前提である。「ドリーム」という邦題は、その最重要ポイントである前提部分を見ていない。それは単に読解力がないという話にとどまらず、Hiddenの片棒を担ぐ行為になる。なにせ見ていない、もしくは見えていないわけだからね。

     

    「栄光のランナー/1936ベルリン」

     

     これは「ドリーム」の前に見た作品だ。当時の評では邦題のダサさと原題の掛詞(RACE=競走/人種)が消えたことしか指摘できていない。人種差別とかけて、100メートル走と解く、そのこころはどちらもだいたい重病/十秒です、という当時書いたなぞかけは我ながらよく出来ていたと思うので再録。
     本作の主人公は1936年のベルリン五輪で金メダルを4つ獲得する陸上選手なので、「栄光のランナー」であることは間違いない。ただしその「栄光」は手放しで喜べるものなのかを本作は問うている。
     このベルリン五輪は、ナチスが主導していたため、公然とユダヤ人差別をする連中に五輪を主催する資格はあるのかと問題視されていた。米国内でもボイコットすべしの論調が高まったのだが、一方で差別はドイツ国内だけにあるのではないぞと米国の黒人たちは自国を批判している。
     このような板挟みの中、主人公は出場するのだが、開催のために宥和のポーズを取ったドイツでは、当時米国内には存在した人種別トイレも人種別レストランもなく実に快適だという矛盾と出くわすことになる。そして主人公の活躍で最大の差別者であるヒトラーを見返すという胸のすくような展開がある一方で、もうひとつの差別はアメリカ選手団の中で進行し、主人公はそれに加担させられることになる。さらに「栄光」を手にして帰国すると、相変わらず自国のレストランでは入店を断られる。本作の邦題は、これら栄光の背後にある矛盾を反映していない。
     単に作品内容と題がズレているだけなら、読解力のなさに「ダセーなおい」と眉をひそめるだけだが、差別という重い作品主題をすっ飛ばして「逆境をはねのけ栄光」という口当たりのよい部分だけでタイトルを仕上げていく、その視座がどうも気色悪い。洗浄という比喩がまず浮かんだのはこのような構造による。


    「それでも夜は明ける」

     

     原題「12 Years Slave」のまま、12年間奴隷になる男の話だ。まだ奴隷制が存在した南北戦争前のアメリカが舞台で、主人公は奴隷制のない北部の自由州で暮らす市民だったが、騙されて拉致され、南部の農園主のもとで奴隷として働く羽目になってしまう。
     泥酔して目が覚めたら囚われの身になっていたという経緯はまさに、悪夢なら醒めてくれと言いたくなる絶望的な状況だが、残酷なことに現実である。その点「それでも夜は明けてしまう」という意味なら内容に合った邦題といえなくもない。しかし、こんな絶望的な状況でも明日という希望の日は訪れるのだ、というような意味だとすればどうだろう。
     確かに主人公はこの絶望的な状況でも絶対にもとの家に帰るんだという意志を保ち続けている。その点、希望を持つことの重要性を訴えている作品ともとれるが、そのような希望を抱ける主人公はレアケースであることが作中では示されている。もともと南部の奴隷として生まれた人たちは、いわば「それでも明日は奴隷」なのである。希望を持ったところで解決のしようはないし、そもそも多くの奴隷は希望を抱くという発想そのものが希薄である。最初から奪われた状態で生まれ育っているのだから当たり前だ。このような残酷な歴史を主題とした作品タイトルに、明日は来るよとポップソングのようなタイトルは能天気すぎる。


     脱線するが、似たようなタイトルの坂本九の歌があったと思い出して改めて歌詞を見たら、イメージと違う内容だった。明日に希望を抱いているというよりは、大事な問題を先送りしている臆病な坊やの自虐といった印象。その後ヒットしたウルフルズのバージョンでは中年のおっさんの「なあにまだまだ俺も」というような「明日=希望」を歌った内容になっている。wikiを見たら、作詞者は電通出の広告屋だった。本稿の主題ととこか根底でつながっているような気がする。

     邦題の話に戻る。黒人差別を扱った作品だけに見られる現象ではない。

     

    「ビリーブ 未来への大逆転」

     

     法曹界に女性差別が公然とまかり通った時代に、女性の権利のために闘う法学者を描いている。「ビリーブ」というカタカナ語は、「ドリーム」「明日」と同じような意味合いで使用されることが多く、その場合、すでに挙げたケース同様のズレた選択になる。どんな困難があっても自分を信じて明日を信じて、という側面も見い出せないわけではないが、根本的にそのような話ではない。「ビリーブ」を「信念」と解釈すれば、一応は強い信念を持った人の話なので合致割合は高くなるが、これもやはり「そういう話」ではないという点、本質部分をハズしている。
     本作の主人公は、最初にこういう主張をし出した人というわけではない。クライマックスの弁論で彼女自身が先達の歴史を語っている通り、これまでも多くの人が主張してきたことを代弁しているだけである。このため、自身の信念というより、事実がそこにあることを指摘しているという方が近い(まあ男女平等というのは科学でいうところの事実というよりは思想だろうから、その点では「信念」に帰結するのかもしれないが、一応それを事実として設定することで成立しているのが近代国家なので)。


    「パブリック 図書館の奇跡」

     

     寒波の夜に、行き場のないホームレスが図書館を占拠してシェルター代わりに居座る。その様子を通じて、公共とは何かを問いかけるような作品で、原題「The Public」をカタカナにした上で副題を添えるよくあるパターンの邦題だ。必然「パブリック」自体はハズしていないが、これは「奇跡」じゃねーだろという点、副題はズレている。
     「奇跡」とつけたのはこの場合、ホームレスが立てこもる事態を「ちょっとイイ話」くらいのほんわかハートウォーミングとして捉えているからだろう。だが本作のような出来事が起きたのは、やむにやまれぬ事情が理由だから奇跡というよりむしろ必然である。奇跡の部分はどちらかというと、主人公のアパートの大家代理を務めるがさつな美女が割と脈絡なくホレてくる点だろう。あの展開は、寂しんぼのおっさんにしてみると実にハートウォーミングな奇跡であるが、まったくもって作品の本題ではない。
     本作の場合、ラストのオチによって、タイトルが問いかける「パブリック」についてウヤムヤになってしまった感はある。このためこのような邦題を呼び寄せてしまったところはあるだろうが、「奇跡」とつけてはばからないのはあまりに無邪気でナイーブだ。わが国が、一億総トワネット社会なら「奇跡」として消費するのもやむを得ないが、実際のところは本作が描くところと何が違うというのか。むしろ日本の場合は図書館職員自体が要セーフティネットになっているのでより深刻だ。


    「テルアビブ・オン・ファイア」

     

     これは原題をカタカナにしただけなので邦題の問題ではない。たまたまチラシを見たので知ったのだが、添えられたキャッチコピーが酷い。「人気ドラマの結末をめぐり、民族の対立!?」「紛争なし!/爆発なし!/笑いあり!」。
     1つめは「!?」がすべてだ。「!」だけならまだよかった。民族は対立している。それを前提としている作品だから「?」が介在する余地はない。いや「民族の対立」という理解はパレスチナの実情にあてはめれば単純化し過ぎだ、という現場からの指摘があってそれを踏まえたと仮定するなら「?」はあり得るかもしれないが、当然そんな専門性豊かな厳密な視点があるはずはない。
     「?」を添えた発想は、2つめのコピーによく現れている。パレスチナで起きていることについては興味がないということだ。正確には、チラシを作った側が、パレスチナの深刻な部分を切り離さないと売れないと思ったということだろうが、広告屋自身もそこに興味があるかといえば、かなりあやしいと思う。
     本作の「笑い」、ひいては本作自体民族対立がなければ成立しない、というか、そもそも作る動機がない。別の言い方をすると、紛争や爆発が出てこなくても作中には民族対立がある。そこを切り離して「笑い」「笑劇のラスト」を強調することが、宣伝をするには現実的な判断だということなのだろうが、そう考える思考回路における現実とはいったいどのようなものなのだろう。


     いずれの邦題にも共通しているのは、差別なり民族問題なりに対する理解の貧しさだが、それは原因ではなく結果のようにも思う。改めてこれらの邦題を並べて感じるのは、作品で描かれている社会なり構造なりに対するまなざしのなさだ。個人の心持ちやアクションにしか目が向いておらず、社会はせいぜいその個人の奮闘が起きるための前フリでしかない。

     実際には主従が逆で、「テルアビブ〜」の場合、構造そのものは物語にならないから個人に象徴させて描いているというのが本当のところだと思うし、「それでも〜」も同様だ。「栄光〜」「ビリーブ」は名のある個人の伝記の側面が強いから、主従が逆は言い過ぎにしても、両輪であるのは間違いない。そこを切り離して個人のカッコよさだけにしか目がいかないのは、思考回路に社会が抜け落ちている分、感染症や災害に対して自助努力しか思いつかない発想とかなり近い距離にある。

     

     さらにもう一つマズい部分は、わが身に当てはめられない感覚である。黒人差別、女性差別、ホームレス、民族対立、全部がまるで遠い異世界の問題のようにとらえる感覚がぷんぷんと漂っている。よそへの蔑視に直結する発想ねこれ。

     

     さて一方で、ただのダサい邦題としては、このブログで取り上げたものでいうと「恋人までの距離(ディスタンス)」「恋はデジャ・ブ」がある。こちらはダサいのだが、作品内容からはそれほどハズれていない。「恋」という個人的なことが主題だからというのが大きいのではないか(ところで前者の俺の評を読み直したが、いやはや酷い内容で、俺も俺でダサかった)。

     

     ここまで書いて、新装版の「日本のいちばん長い日」で書いたことを思い出した。わざわざ焼き直しを作るにあたって、元作にないものを持ち出そうとした結果が「家族」なのはなぜだろうと問いを立てた割には、その答えを書かないまま終わっていた。いまいちわからなかったからだが、国家が無条件降伏を受諾するという思い切り社会的な話を前に、作り手側が考えられた「社会」が家族しかなかったということではないのだろうか(それも登場人物の挿絵程度にしか登場しないので厳密には「家族」ですらない気もする。戦後70年目の着地点がこれというのも…)。

     

     重いテーマを扱った作品を前に、その重い部分をしれっと捨象してしまう感覚、何だったらそれが商業的に正しいとしてしまう感覚は、今の日本社会を考える上でのかなり核心部分に近い一つのような気がして、長々と書いた。邦題はそのひとつの現れに過ぎず、問題は今の日本のありようなんだが、こういうのは目についたところから1つ1つ考え直していくしかない。まあ俺がこれらの作品を見れるのは、字幕つけて配給してくれる会社があるからで、そこは感謝するにしても、配給・宣伝する側の責任は見直してしかるべきではないのかね。
     そしてここまで書いてもまだいい比喩表現が思いつかない。


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