【やっつけ映画評】一人っ子の国

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     アマゾンプライムの解約が話題になっていて、へえと眺めていたが、俺もいつの間にか加入していたのだった。知らないうちにプライム会員になっている件はよくあることのようで、映画好きの知人に聞いたらやはりそうだと言っていた。

     予想はしていたが、この解約運動について的外れの記事が散見した。そもそも問題の三浦瑠璃を有識者として新聞が使っているのだから矢が明後日に飛んでいくのは当たり前なのだった。

     

     そもそも覚えがなかった(正確にいうと、「身に覚えのない人」が加入してしまう典型的ケースに当てはまるクリックをした記憶は朧気ながらある)ところに加えてこの騒動なので、さっさと解約しようと思ったのだが、そういえばアマゾンプライムには、町山智浩が紹介していて何か気になったドキュメンタリーがあったようなと思い出した。とりあえずはそれを見てから、とセコセコ「ドキュメンタリー映画」のカテゴリを開いた。お、あったあった。

     

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     先日、仕事で某私大に行った。こちらが大学の教室に赴き学生はオンラインで受講するという「だったら俺も自宅でいいんじゃないか」というスタイルだが、まあ通信トラブルとか電気代とか、こちらが何も負わなくていいという点での判断だろう。各大学、ついでに専門学校も、俺が知っている現場の範囲内でも各位苦労しながら試行錯誤、それぞれ努力しているのはよくわかる。萩生田の仕事はせめて黙ってろというところだと出入り業者の俺ですら思う。


     話が逸れた。その大学ではあちこちに「フィジカルディスタンスを守りましょう」と貼り紙をしていた。「ソーシャルディスタンス」の方が広く使われているが、この言葉が英語圏に現れて一月後くらいに、いやこれソーシャルじゃなくてフィジカルだろとの指摘もあり、2つが並立した。試しに検索すると、現在どちらの言葉も使われているようだが、すくなくともニュース検索だと前者の件数の方が後者の3倍近くヒットする。

     

     英語の場合、どういうニュアンスを持つのか正確なところはわからない。直訳した場合の「社会的距離」「物理的距離」だったら日本語の意味合いにおいては後者の方が実態を捉えて正確だろう。この大学の場合、その意味の正確性を求めて、あえて馴染みの薄い表現を選択したのではないかと推測する。いかにも学問の府の発想といえばそうだが、残念なことに当該大学は英語が苦手な学生が多いので、どっちの単語もよく知らないというケースは珍しくないのだった。

     

     ラジオを聞いていると、コロナの流行からこの方、カタカナの新語があふれてついていけないと嘆く(主に年寄りからの)声が多い。日本国内だけでなく、全世界同時多発的に未知のウイルスに悩まされるから、急ピッチで新語が登場するし、そのほとんどは英語になる。必然、日本語においてはカタカナだらけになる。ついでに漢字で新語を生み出す素養がそもそも失われているので、「東京アラート」のように国産新語もカタカナに頼りがちになる。

     

     こうして人によっては「ついていけん」となるのだが、問題はカタカナがあふれていることより、用語をきちんと点検することだと思う。それは正確性を期すということももちろんのこと、プロパガンダ耐性という意味でも重要だと思う。「東京アラート」にしろ「ウィズコロナ」にしろ、典型的なプロパガンダだが、それどういう意味?と問う姿勢自体が、政治的思惑への警戒につながるのではないかと思う。

     

     タイトル通り一人っ子政策を取材している。一人っ子政策の苛烈さについては、多少は知っているつもりでいたが、全然無知だったと本作を見て痛感した。生まれた子供が男子じゃないと犬猫のように捨ててしまっていた実態は、仄聞したことはあるが本当だった、それも想像以上、という点ぞっとするし、背景にある男尊女卑の価値観も、これは日本社会でもお馴染みとはいえ、そこに子供の選別という事実が加わると醜悪にすら見えてきてこちらもぞっとした。監督は女性だが、出身地が田舎だったので、5年の間を空ければ2人目をこさえてよかった規則によって捨てられずに済んだ。その後弟が生まれるのだが、もしまた女児だったら捨てられる運命にあったらしく、その事実を反芻する弟氏の困惑の表情がとても印象的だった。

     

     

     さらに本作はそこから人身売買の話へと転がっていく。裕福なアメリカ人が海外の孤児を養子にするのはヒューマニズムの発露たる美談のようで、そこには人身売買があったり、国内の孤児には目もくれない偏見がある、という話を、全然別のところでたまたま目にしていたので、偶然に驚きつつ、この展開そのものにも驚きながら見た。

     本作によれば、一人っ子政策によって捨てられた赤ん坊が官製闇売買のような格好で海外に売られていたようで、そんなことも知らずしっかりとした仕組みで安心だと複数人と養子縁組をしたアメリカ人夫婦(当然子供は女子ばかり)が登場する。

     

     このように本作は、ぞっとする話の連続なのだが、最もぞっとしたのは街中に溢れていた一人っ子政策を進めるプロパガンダ(というより脅迫)が、政策の中止によってすべてかき消されて、まるきり反対のメッセージに書き換わるところだった(まあ監督がそこに作品を着地させているからなんだろうけど)。「出血で川ができても2人目は産ませない」だったのが「1人より2人がいい」に切り替わる。後者だけならKANの歌詞だが、前者があっての後者なので手のひら返しがエグい。

     

     確かに政策が導入された当時は、人口爆発に対する危機感は日本でも強く、当時の新聞にもよく書いているし、藤子F不二雄の作品でも「人口が増え過ぎた未来」がモチーフになっているものがある。このため人口がより多い中国がより危機感を抱くのはそれほど非合理的ではないだろうし、状況に応じて政策を転換するのも当然とはいえそうだが、恐怖と強制で人権侵害たっぷりの政策を推し進めた傷の深さは本作に登場する人々の表情に色々な形をとって現れている。ある人は後悔の念をにじませながら過去を振り返り、ある人は諦観にまみれ、ある人は当時はそれが正しかったのだとにこやかに語る。強烈に苦しい体験を人はどう処理していくのかの見本市のようであるが、そうやって政策の誤りは個人に押し付け、しれっと宗旨替えするのがまさにプロパガンダなんだなあと、ラストは強烈だった。

     

     それは一党独裁の強権的な中国政府に限った話では当然ない。日本の場合、政府がそこまで強権的に出れない分、注意深い視点を持つ意義は大きい。民主制な分、プロパガンダにより無自覚な面もあるかもしれない。

     

     ソーシャルなのかフィジカルなのか、いやもっと端的な日本語表現はないのか、とか、瑣末なことのようで結構大事だと思うんだよホントに。個人的にも、学生諸君が「日本古来のおもてなしの心が」とか「防災に最も重要なのは共助で」とか書いてくるのに、これまでうんざりしながらいちいち釘を刺してきたわけだが、やっぱそれ大事なんだなあとも。面倒くさくて嫌なんだけどね。

     

    「One Child Nation」2019年アメリカ
    監督:ナンフー・ワン、ジアリン・チャン


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