【やっつけ映画評】大統領の陰謀

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     楽天の嶋風にいうと、見せてくれよ報道の底力を、というような昨今、改めてこの古典的作品がタイムリーになっている印象がある。アメリカでは、トランプのロシア蜜月疑惑が本作のテーマたるウォーターゲート事件になぞらえている意見も散見しており、本邦ではロッキードになぞらえてアッキードという新語も見られる。そのうちカッケードに発展するのかどうかは当たるもカッケ。

     会社員時代に本作を見たとき、オフィスの椅子が洒落ていること以外は、アメリカも日本も記者の仕事はあまり変わらないもんだと思ったものだった。ダスティン・ホフマン演じるバーンスタイン記者がジャケットにチノパンというスタイルなのも含め。服屋で茶色いジャケットを見つけたので、それと青のシャツとあわせて相方のウッドワード記者を気取った若気の至っていた年頃だった。

     「スポットライト」のところで以前も書いたが、あちらの方が記者自身も自らに突き付けられるものがある分奥行が深いと思う。本作は、ひたすら「ハイエナ」としての記者が描かれている。前にも書いた気がするが、ハイエナは実際見ると、なかなかに誇り高き獣だ。今必要なのは、このハイエナ記者だろう。現場各位への敬意と激励をこめて、本作の内容を紹介したい。

     

    1)眠っていても電話はワンコール以内に取る。

    俺の場合は主にサボって昼寝しているときの対策として必要な作法であったが、「速報性命」を掲げる短気な職場だけに、電話も一瞬で取るのが常識となる。達人になると、鳴る前に取ると言われるが、このウッドワード記者は入社9か月目らしいのに、コール音なしで電話に出ていた。作品冒頭から敏腕を予感させる場面である。

     

    2)ペンとメモがすぐ手に取れるポジショニング

    散らかっていても、メモだけはすぐ取れなければならない。「ほぼ手ぶら」を意味する「財布とケータイだけ持って」という慣用句は、「財布とケータイとペンとメモを持って」になる。

     

    3)記事はとにかく1段落目

    課長より部長、局長より知事、「幹部」より「側近中の側近」、よりエラい地位の人間を出せるかどうかでニュース価値が決まる。なのでエラいやつが記事の内容的には脇役だったとしても、冒頭から登場させなければならない。別の担当者がその1段目を見て見出しをつけるので、時に誤報のような見出しが躍り、ゾッとさせられる。

     

    4)文章を直されることは受け入れる

    少し前のことだが、知人から、職場の同僚が書いたという宣伝用の文章を見せられた。ムード優先で宣伝文句としては再考を要する文面だと思ったが、知人曰く「俺も指摘したけど、これが自分の文章スタイルだと言って聞く耳を持たん」とのことだった。これでは筆力は向上しない。
     ただし、無記名の新聞社の場合、上司、上司の上司、上司の上司の上司が遠慮節操なくギタギタに改変する傾向があるので、これはこれで、当人の成長、やる気、責任の所在、最終的な読みごたえの点で問題がある。稀に署名付きなのに上司が勝手に書き加えてエラい迷惑をこうむるというケースがある。あれは本当に困る。

     

    5)取材は時に手あたり次第

    知っていそうな人間をさっさと見つけて要領よく事実確認をするのが取材の基本であるが、そう都合よくいかないときは、可能性のあるものをしらみつぶしにするしかない。これをさぼると、役所の言うことを右から左へ垂れ流しているだけのムーディ勝山報道になる。「スポットライト」は、これをサボっていたのでしっぺ返しをくった話と理解している。

     

    6)ヒントをほのめかす取材源が言うことは意味がわからない

    秘密をベラベラ話してくれる都合のいい人間はなかなかいないものだが、たまにヒントをくれる人間がいる。守秘義務等で直接的に説明できないため、いわゆる禅問答的に比喩や表情で何かをにおわせてくるのだが、大抵意味はわからない。

     

    7)情報源は受動的
    重要な事実を知っている人間で、多少なりとも協力的な人間がいたとしても、こちらが手ぶらだと何も教えてくれない。こちらから情報をぶつけて初めて答えが返ってくる。じゃあその自前の情報はどっからとってくればいいのか、投資で儲けるためにまず1千万円用意しましょう的な話に聞こえて、疑問が当然湧くのだが、俺に聞かれても困る。

     


    自己点検翻訳

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       ここ数年この時期は、某大学の正課の授業を担当している。今年は少し内容が変わった。立場が低いので、俺が決めているわけではない。とにかくそのせいで、昨年までだと授業についてこれずに早々にいなくなる留学生が、今年はまだ何人も残っている。留学生を相手に授業をするのは実質初めてで、外国から来た彼らが俺の話に「なるほど」といった表情で頷いているのはなかなか新鮮な気分だ。


       レポート提出は当然日本語なので、微妙におかしな文章を書いてくる。とはいえ、9割方意味はわかるので大したものだ。大抵は助詞や助動詞の間違いで、逆にいうとその程度にとどまる。ある一人の学生にいたっては、日本の学生より遥かにしっかりした文章を書いていて、名前が外国風なだけで日本人なのかとすら思った。話しかけたら普通に外国訛りの日本語で返答してきた。英語教育に物申す人間は読み書きを軽視するのが定番だが、この学生を目の当たりにしたら、「会話重視」が実にちゃちな意見に思えた。ま、少なくとも俺にはまともに文章を書ける外国語の持ち合わせはない。そしてまともに会話できる外国語もない。

       

       正確な国籍は知らないが、多くは中華圏の名前をしている。中国のデキる人間はえげつないほど賢いという先入観があるのだが、語学はさておき、レポートの内容は日本の学生同様未熟だったのでほっとした。俺の出番もあるということだ。そんなことを考えないと、教壇に立っている時点で偉そうなのに、外国人にこちらの言語で聴講、会話をさせているという立場に落ち着かなくなるのだ。初心者につき。

       

       彼らは日本語での授業を前提条件として入学してきているので、こちらは普通に日本語で授業をすればいいのだが、やはりそこは少し考える。喋る速度や発音の明瞭さもさることながら、わかりやすい表現や、より正確な表現を選んで話そうとしている。こう書くと、子供に話しているような言葉を想像するかもしれないが、そこまでではない。文章の推敲のようなもので、ほんのちょっとした違いだ。

       

       「日本人の知らない日本語」というマンガで、日本語を解する外国人に日本語で通訳する滑稽なシーンがある。医者が患者に「どうしました」と聞いても通じないが、「どこが痛いですか」と狡面瓩垢襪板未犬襦これと同じような話で、より厳密な表現をなるべく選ぶ。「じゃ、やりましょか」ではなくて「では始めてください」とか。話し言葉は書き言葉に比べて、使う意味の範囲が広いこともあり、日常会話は深く考えなくてもだいたいの言葉の選び方で通用する。それをいちいち見直すのは、自己点検のような作業だから、教える内容についての自分自身の理解が、改めてちょっと深くなる発見にもしばしばつながり、自身の修練にも都合がいいのである。このようなことは、よりわかりやすく正確な説明を書こうとして文章の推敲を重ねた経験のある人なら、多かれ少なかれ身に覚えがあるのではないだろうか。

       

       こちらがそこまでしなくて、「どうしました」「じゃ、やりましょか」といったいつものスタイルで通す方が、生きた日本語に触れられるし、何よりそういうことも込みでの留学ではないのか。という指摘も一定の合理性はあるだろう。だが、自分が楽をする方向性の正当性は、教壇に立つ場合にはあまり役に立たないというのが個人的な経験則である。会社員時代に話の合わなかった先輩が、教育部門に異動になって大学に出入りするようになったら俺と同じ意見をいうようになっていたのでおそらく一定の真理であろう。こっちは学位を持たない講師芸人につき、余計にそうなるのだ。

       

       このため作業量が増えてしまい、結果、すでに書いたようなところにぶつかるという一面もあるのであるが、大学側の担当教授が「今年も冴えてるね!」と過分に褒めてくれるので収支はプラスのような気がしてくるのだった。結局、褒められたいだけなのか。まあそうだろう。


      映画の感想:哭声

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         國村隼の演技が凄いらしい韓国映画、という予備知識しかない状態で見に行った。韓国映画+「凄い演技」、ついでにこんなタイトルなら、息の詰まるような重厚なドラマかと勝手に想像していたら、息の詰まるようなオカルトものでびっくりした。これは夢に出てくるぞと思いながら帰宅したが、やっぱりそうなった。夢で逢えましたね隼さん。

         

         評価の非常に高い作品だが、個人的にはあまり楽しめなかった。世評と個人的感想にギャップがあると、何か見落としたかつかみきれなかったかと、そわそわ臆病になる。今回については、一晩考えた末、面白くはなかったと結論づけた。このもやもやした感じは「宇宙人王さんとの遭遇」で書いたこととだいたい重なる。

         

         韓国の片田舎の山村で不審死が度重なる。家族の一人が残りをみんな刺殺するような陰惨な事件。容疑者は気がふれて、湿疹が出ていて、しまいに自分も自殺なり奇病なりで死んでしまうという共通点がある。そして、村の外れには、オカルトめいた噂の尽きない不可思議な日本人が暮らしている。そしてこの山村(谷城という地名で、タイトルと同じコクソン(곡성)と読む。國村サンも音読みすればコクソンだが、韓国語では残念ながらククチョンという読みになる、と半端な知識をひけらかす)で制服警察官として勤務する主人公の周辺でも奇怪なことが続き、やがて娘が何かに憑りつかれたように奇行にはしりだす。

         

         こうストーリーを概説すると、いかにも陳腐に見えてしまう。何度か書いているが、韓国映画は手垢のついたような話でも傑作にしてしまう力があるが、本作に関してはちょっと違う。ジャンル分けを拒むように、何のテの映画なのか簡単に色分けさせない演出で展開していく。内容もよくわからず見に行ったせいで、なるたけオカルト映画だと認めたくなかった(だって怖いじゃん)俺の個人的願望も手伝っている可能性はあるが、それだけではないと思う。

         

         序盤で見せるコミカルな掛け合いのような場面の多彩さもあるが、それぞれのジャンルの文法のようなものをあちこちでちょっと外しているという印象がある(ただし、登場人物がいちいち手際が悪かったり、運動神経が鈍かったりするのは、オカルトものやホラーもの定番の一種のご都合主義なので、そこは見ていてイライラした)。

         

         例えば、國村隼の描き方や演技がそう。何者か、何を考えているのかもよくわからない謎の日本人として登場する。表情が実に乏しいのも、不気味な男という設定上必然なのだが、無表情が怖いというわけでもなく、とにかく無表情で、自宅を壊されても飼い犬を虐められても、怒るでも笑うでもなく、ただそこにいる。主人公たち「こちら側」が、勝手に色々と思い込んで怖れているだけである。ついでに覚悟を決めた主人公たちが襲い掛かると、謎めいた男のはずなのに、普通に慌てた様子で逃げるし。

         

         そういうわけで、やはりこれはオカルトの形を借りつつ、人を疑うことの恐ろしさや罪深さを描き出す文学作品なのかと思わせておいて、どうもやはり違うようなという、しまいまで不思議な作品だった。

         

         ただその結末が、思い返せば思い返すほど、「宇宙人王さん」と同じ図式で不愉快だったので、説明しようとすると同じことのくり返しになる。なので残りは全部、そちらに譲る

         

         一点だけ。「敵か味方かわからないが、どうやら人間ではない魔界(?)から来たっぽい若い女」が、冷たい表情と生意気な言葉遣いでツンケンしているのは、よくある書き割りだと思った。

         

         

        「곡성」2016年韓国
        監督:ナ・ホンジン
        出演:クァク・ドウォン、ファン・ジョンミン、國村


        頑張れ喪中球団

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           球春到来。田中、ダルビッシュ、前田、岩隈、田沢、みんな打たれまくったので、新しい環境に戸惑う国民が多い春の時期、彼らも同じ人間だとわかるのはある意味勇気の出る炎上祭りだったといえよう。一人上原だけが年長者の貫禄を見せつけたが、レッドソックスを出た選手は大抵活躍するので今年も頼れるに違いない。あれ?田沢は・・・。

           

           今年の注目は世間的にはアストロズだ。伸び盛りの若手が多いところに狡猾なおっさん選手を補強して厚みが出た。4年前にナ・リーグからア・リーグに転籍させられたけど特に波風も立たない地味なチームであるが、世界初のドーム球場を持ったチームでもある。屋根をつけたのは「やぶ蚊がひどかったから」という意外な理由のがクイズ番組でも出ていた記憶があるが、アメリカではドームはすっかり流行らなくなったので現在は使われていない。今の本拠地はミニッツメイドパークという。「宇宙」の壮大さからは正反対ともいえそうな身近な商品のブランド名を冠した球場であるが、ロケットもジュースもどちらも荷重/果汁の計量が大切ですよねずっちです。

           

           狡猾なおっさん選手の中には我らが青木も含まれるが、試合には出たり出なかったり。ま、彼はやってくれるでしょう。ところで、アストロズには、身長が168僂半柄なことで有名な、そして昨季最多安打のアルトゥーベがいる。この選手を日本のメディアが紹介するとき、「小柄な選手がここまで活躍するのは日本人にはうれしいですね」などという定型句がつくことがしばしばだが、日本人メジャー選手の身長は、ダルビッシュ196僉田中191僉岩隈191僉⊂絽188僉∩暗185僉▲ぅ船蹇180僉田沢180僉青木でようやく175僉

           

           個人的な注目は、ア・リーグがロイヤルズ、ナ・リーグがマーリンズ。どちらも昨年までのエースが事故死した喪中の球団である。悲しみを力に変えろ! とはいえ、選手の死亡とチームの優勝は、過去の記録ではあまり相関関係は見られない。残念ながら。ちなみにかつて日本は、アテネ五輪で長嶋監督が脳梗塞で倒れて別に死んだわけでもないのに弔い合戦だ!的なノリで金メダルに挑みウイリアムズにねじ伏せられたものだった。浪花節ではなかなか勝てんもんすよね。

           

           ところでしかし、マーリンズに移った田沢はユニホームが似合っていない。ユニホームが似合わない日本人選手の代表格は松井秀喜だが、黒ベースのユニホームが似合わない日本人選手は初。

           

           ロイヤルズのラウル・モンデシーは、野茂がデビューしたころドジャースの主軸だったラウル・モンデシーの息子。素行不良気味のトラブルメーカーだったが、息子はいい人っぽい外見をしている。そのせいか、守備は上手いが打力はまだない。ついでにそのころ一番を打っていたデライノ・デシールズの息子デライノ・デシールズは、レンジャーズにいる。こちらは父親に似ている。子供に同じ名前をつける感覚がよくわからないが、息子と気づきやすいのは助かる。いや困っているわけではないのだが。しかし、メジャーはボンズしかり、グリフィーしかり、スウィッシャーしかり、息子が活躍するパターンが非常に多い。逆に日本はなぜここまでないのだろう。むしろ野球は遺伝子ではないという清々しい話に思えてくる。

           

           ヤンキースは今季、大物(おっさん)選手たちが引退、移籍で一気に若手中心の地味チームになり、まあそれでもチャップマンが出戻ったり、ザバシア、エルズベリーは居残ったりしているので、広島というよりは中日みたいなチームになった。中日と違うのは、どうなったってここは勝つんだが、若手が育ってやがて常勝チームになる入口を、今年は見ることになるのだろうか。


          「批判の対案」を考えたことについて

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             街中で共謀罪の反対署名を求められたので応じた。汚い字で名前を書いている間、この法律がいかに恐ろしいかというような話を運動員のおじさんがしているのだが、その口ぶりに多少苛立ってしまった。前にも書いたような話だが、「監視社会」等々定型句が多いからだ。模範解答的定型文で8割方できている学生の論文を何百通も採点しているという最近の個人的事情のせいで余計に癇に障る、半分は言いがかりである。あと、何度も同じことを繰り返している内容を、自動再生しているような話し方もちょっと面倒に感じたので、つい「その説明じゃ伝わらないと思いますよ」遮ってしまった。

             「そうですねん、この法律はなかなかわかりにくいんですねん」
             「いや、法律の内容じゃなくて、危険性を訴える皆さんの説明が」
             多少、失礼だったか。後になって少しだけ反省した。それより考えたのは、はて偉そうに言ったものの、実際、何て説明すればいいんだろうかということだった。

             まあ担当の大臣の答弁がしっちゃかめっちゃかとっちらかっているので、法律自体もそれはそれは難しいのだろう。何しろまだ起きてないことを取締る空手形にも程がある法律だから、中身について理攻めで問われても答えられない、というのがかの法の本質を顕わしていますわな。担当官庁の一番エラい人があの体たらくというに法律なのに、反対の世論も盛り上がらないというのが一番の「わかりにくい」謎であるが。何の分野であれ、別にこんな大層なものでなくても、答えられないという時点でアウト、以上の理屈が必要なのかという話でもある。ドラマ「SP」は、警察権限強化のために、警察自身がマッチポンプの陰謀を仕掛けるという筋立てだったが、そんな手の込んだことは実際に要らなかったという点、フィクション屋にとっても泣かせる展開である。

             話を戻すと、俺個人にとっては「警察なんて何するかわからんところ」というのがまずある。フリーハンドを与えれば、何でもやってしまうという意味だ。当の警察の人間が言っていたのだから世話はない。それも以前にも書いたように、俺自身の思考回路が産経新聞的だったころに組織犯罪対策法だったか、警察権限を拡大する法案について「ああいうのは要りますよね」と言ったら、お前はアホかくらいの調子で鼻で笑われた。「警察なんて何するかわからんところやぞ」。

             実際、現行法下でもやるときは本当にやる。「ヤクザと憲法」にもそんなシーンが出てくるが、存在が存在だけに問題視されない。そしてヤクザでなくても、ヤクザのようにパブリックエネミー的立ち位置にいる人間はよくやられている。報道が記事にしないことを知ってるんだ、彼らは。

             だいたい不祥事だらけの組織なのに、なぜ信じられるのだろう。実のところ、いくら不祥事が出てきても、報道が言う「信頼が失墜」はしていないというのは前も書いた。「リアルな刑事ドラマ」の条件は、「上の人間が総じて陰謀家」で、そういうドラマは一定の人気もあるのにね。

             最近、この法案に重ねて思ったのは、駐禁の緑の人々である。
             それ以前に交通警察官がやっていたチョークを引いて一定時間待って、という慎重な方法と違って、現認した瞬間切符を切るというかなり強権的な手法に切り替わった。それもやたらと人数が多いから、油断するとすぐやられる。それで世の中、路駐しないか、一人が車に居残るようになったので、することがなくなった彼らは二輪の駐禁を切り出した。規制緩和でビッグスクーターが増えたというのも背景にはあるのだろうが、放置自転車の合間に埋まっている原付を見つけ出していちいち駐禁の処理をしている様子は悪い冗談に見えた。

             要するに、取締る側というのは、暇になるとやらなくてよさそうなことまでやるということだ。「弁護人」のカン課長と似たような話だ。優秀な刑事がどう見てもただの世間知らずの青年に執拗にこだわって自白を強要する作業は、税金その他色々と無駄づかいが過ぎる。緑の人々も予算がついているので「本日は違反ゼロでした」では済まないのだろう。強化月間なのに拳銃を一丁も挙げられていないのはマズイというので自作自演をした稲葉氏も、カン課長同様優秀な人物だったと自伝の相対的なまなざしからうかがい知れるが、とにかくこういうアリバイ作りの延長線上での脱線である。

             もちろん駐禁については、法的には停めた側が悪い。ま、だから余計に「そういうことだ」という話でもあるのだが。一度、街中で大声でもめている男女の横を、緑のおっさん2人が素通りし、そこにいた周りの人間全員「警察ちゃうんかーい」とあっけにとられて、しゃあないから代わりに取りなしたという場面も遭遇したことがある。この2人が気が利かなかったということではあるのだろうが、そもそも担当業務ではないので、妥当な判断といえばそう。彼らにとって大事なのは、たまたま遭遇したトラブルよりも、担当業務の件数確保になるわけだ。こういう融通の利かなさを、この法案を見聞きするたび思い出す。

             ただ、こんな警察の悪口を街頭でアピールしてもあんまり効果はなさそう。というか、それみたことかと逆効果になりそう。今の話も、車やバイクに乗らない人には「何言ってんだこいつ」と反発されると思う。同じくこの法律も、実際のところ、関係ない人には関係はない。そしてそういう人が大多数だろう。

             しかしながら、平時でなくなると事情は変わるに間違いない。大規模災害、大規模事故、隣国との緊張その他、花見を遠慮するような空気が蔓延するような出来事が起こると、事情は変わってくる。それでも関係のない人の方が多いと思う。ただし「私」には無関係でも、「私の頼りたい人」はいなくなる可能性はある。そして平時と違って困りごとの総量も件数も増えるから、今はいなくても、「私の頼りたい人」の数や認知度は増える。
             そしてそのうちはばかることがやたらと増える。これは多くの人にとって無縁ではなかろう。横暴な上司のいる職場と同じで、声はひそひそになり、同僚が急によそよそしくなったりする。活き活きし出すのはスネ夫ばかり。こういう職場に比べ、実社会がさらに難儀なのは、はばかる相手が横暴上司でもスネ夫でもなく、目の前の友人知人なところである。何のいいことがあるというのか。

             こういう推測は、実のところヒントのかなりが、共産党その他左派の人々がすぐに引き合いに出してなかなか同意されない戦前の話からである。「戦前回帰」的主張はしばしば「時代が違う」「大袈裟」と鼻で笑われる。右翼しぐさの人々が好きな「WGIPの洗脳」というのは、むしろこれのことではないのだろうか、と最近思う。なので、「治安維持法」と聞いて鼻で笑ったあなたはWGIPに洗脳されてます、と言えばいいのか。その手の人が噛み付くだけだな。

             帝国崩壊という大きな分断を挟んでいるとはいえ、たかだか70〜90年前の話。それも近代国民国家という大枠は同じ。参考にならないと思う方がどうかしている。孫子の経営学的な本が一定程度売れるんだから。まあ孫子の場合は、ソクラテスと同じで超基本的なことを言っているので時代を超えた普遍性があるのだろうが、でもまあ前世紀であれ紀元前であれ、歴史というのは隔世の部分と普遍的な部分とがあるんでしょうよ。

             で結局何ていえばいいんだろう。俺が個人的に思うのは、姪っ子を息苦しくさせたくない、ってことだけど。



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