過去作の副作用

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     テレビでたまたま「磯野家の人々〜20年後のサザエさん」というドラマを目にし、そのままなんとなく見始めた。カツオの造形がなかなか見事だと思ったせいだ。この喋り方は確かに大人になったカツオだなと思ったのだが、ドラマ全体にはまったく入り込めず、あとは「ながら見」状態になってしまった。


     つまらない、というよりは、浮世離れたサマがちょっと辛かったという方が正しい。以前に「黄金の七人」という古いイタリア映画や、角川映画「探偵物語」について述べたのと似たようなことといえばいいのか。昔の映画として見る分にはむしろ新鮮に見えてしまう内容だが、あれらの書き割り感やベタなパターンを今やるのは不可能と、雑にまとめるとそんなことを述べた。

     

     このドラマはまさしくそれをやっていると感じた。サザエさんの枠組みで現代を舞台にしたドラマを作るのは無理なんだなあ。どうしても悪い意味で牧歌的に見えるので、登場人物の葛藤がどれもこれもしょうもなく見えて仕方がない。なまじ家族モノだけに、現実世界との不釣り合いはどうしても目につく。


     以前、朝日新聞で、サザエさんに描かれている日常風景を昭和の生活史として分析する連載があった。今はすっかり消えたライフスタイルとか生活用品とかに着目して、それが何物なのか、いつごろまであったのか、などなどを取材する内容だった。そういう史料的価値すらある作品なのだが、そのマンガをもとに現代ドラマを作ったら、どこのパラレルワールドかねこれはという作品が出来上がる。皮肉だ。

     

     これはもしかして、「現代版」を描いているのではなく、昭和のころに予想された未来の姿を見せられている、ということなのかもしれない。だとすれば、かつての未来予想図と現実の〈未来〉との不一致部分は、日本社会がどこで道を違えたのかの検証材料になるということか。いや、どちらかというと、国民的なマンガが生み出した価値の表面がこのドラマが体現しているものに該当し、裏面(副作用みたいなもの)が現実世界のありようということなんだな多分。

     

     まだ読み終わっていない伊藤昌亮「ネット右派の歴史社会学」にガンダムの話が出てきて、それを読んでいたせいで富野由悠季の展覧会に対して、彼が描いたことがその後の社会に与えた影響をぼんやりと考えていた。そのせいでサザエさんについても似たようなことを考えてしまっている。

     

     ガンダムについてはしばしば「勧善懲悪ではない人間同士の戦争のリアルさを描いた」と評される作品である。実際、敵側にも敵側の事情があることが諸々描かれている。だけど、ガンダムを熱く語りたがる人で、現実世界の諸問題について〈反対側〉にも真摯なまなざしを向ける人はほとんど見たことがない。むしろ、単純な解で一刀両断して済ませるのを好む方がずっと多いというのが個人的印象。これは(作者の意図とは別に)作品の持つ影響力の結果なんじゃないかしらと思うのだけど、どうなんだろう(「ネット右派〜」にはもうちょっと別のことが書いてある)。とにかく最近、そういった作品の限界のようなことをちょこちょこと考えることが割とある。


    記録を捨てないとアイデアが生まれる

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      無敵鋼人ダイターン3。幼少のころかなり好きだった記憶があるのだが、「好きだった」ということ以外、何も覚えていない。

       

       そのまま阪神電車に乗って兵庫県立美術館の「富野由悠季の世界」へ。いや、タダ券をもらったからせっかくだしね、と誰に何を言われたわけでもないのに言い訳をしている。

       昨年だったか、仕事関係の人々との酒席で、どういう経緯だったか一部男性陣がガンダムの話で盛り上がり出し、女性陣が半笑いで白けていたことがあった。俺はというと「わからない話で盛り上がるのやめてほしいっすよねー」とさっさと日和見決め込んで女性陣に媚を売り、そのくせ話している内容と、女性陣が白けるほど法難の思想的に男性側は勢いづく姿勢は概ねわかるのだった。

       

       というわけで、その程度の前のめらない具合で訪れた。この美術館は駅からの距離は大したことはないはずなのだが、周辺が殺風景なせいか、アクセスが悪い印象を毎度持ってしまう。

       

       数多くのロボットアニメを世に送り出した脚本・監督の足跡をたどる趣旨の展覧会だ。宮崎駿なんかと違って自分で絵を描いていたわけではない上、富野氏の巻頭言には「演出を展覧するのは無理だろうと最初断った」などとあるので、原画やセル画の類を並べるだけにはいかず、企画者もどう見せるかで苦労しただろう。絵コンテと、完成したアニメ動画の双方を展示して解説を添える等、なかなかに工夫の見られる内容だった。しかし、子供のころに描いた絵を額縁に入れて飾っているのは苦笑した。「張学良の使用した電話」を展示していた中国の博物館を思い出した。

       

       この人は、父親が軍需産業で働いていた影響でSFの世界に興味を抱きだしたと展覧会の序盤で紹介されていた。wikiの記述では、軍令に背いて残した資料に富野が興味を持った旨の記載がある。資料は燃やすなってことだわな。資料は破棄するな。

       

       年齢でいうと俺の父親より1つ上なんだが、そこで語られる子供時代が、俺の父親とは全く重なるところがない、というのが個人的には感慨深いものがある。父親の場合、まず子供時代の思い出に全く「マンガ」が登場しない。母親(1つしか違わない)は「リボンの騎士が読みたかったが買ってもらえなかった」と話していたものだった。個人の嗜好・性格もさることながら、太平洋側の都市の産、日本海側の都市の産、ナチュラルボーン・農村の違いなんだろうな。

       

       さて、ガンダムの後の、イデオン、ダンバイン、エルガイムといった作品の位置づけが「へ〜」と興味深かったのだが、ついていけたのは「逆襲のシャア」まで。だがそこから先の展示もまだまだ続く。かなり大規模な展覧会だ。ついていけない&すっかり疲れた&腹減った、ということで、斜め見で済ませて会場を後にした。

       

       所詮この程度なので、「わからない話で盛り上がるのやめてほしいっすよねー」というのもあながち嘘ではないのであった。三宮の洋食屋に寄るも閉店しており、あえなく帰宅。


      きたれ、バウハウス

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         仕事で近くまで来たので、かなり久しぶりに西宮市大谷記念美術館を訪れた。夙川沿いは桜並木になっていて、すっかり紅葉している。快晴と相まって心地よいが、この小綺麗な環境は内心ではあまり落ち着かない田舎者である。その落ち着かない住宅地に、地主の金持ちの邸宅、くらいの面構えをした美術館がある。


         「開校100年 きたれ、バウハウス ー造形教育の基礎ー」。バウハウスという固有名詞は個人的には、文化格差を痛感した懐かしい響きを覚える。大学に入ったころ、バウハウスがどうのこうのと周囲の人々が話すのをちょくちょく耳にして、文脈上、美術かデザイン関連の言葉だとは察しがついたが、何のことかはよくわからなかった。以前に書いた「ブレードランナー」と似たような話だが、あれは少なくともそういうタイトルの映画があるということは知っていたのに対し、こちらは何者かすらもわかっていなかった。そのうち洋服ブランドの「アバハウス」という名前も知るところとなり、ごっちゃになった。ダンシングクイーンのアバのイメージが付きまとうので、思ったより地味なデザインの服屋だなと言いがかりのような感想を抱いた覚えがある。アバハウスに話が逸れている。

         

         学生のころに「耳にはするがよく知らない」だった物事は、大方その後の人生で何らかの形で知るところとなったものだが、バウハウスについてはちっとも知らないままとっくに四十も過ぎた。いい機会だ。お勉強するとしよう。


         戦間期のドイツ(ヴァイマル共和国)で生まれた建築とか工芸とかを学ぶ造形学校である。こんな基本のキも知らんかった。この程度のことは嫌でもどこかで目や耳にしそうなものだが、そうならなかった。なんでだろ。「胡散臭い」の「胡散」て何なん?と知らないまま「胡散臭い」と使っているようなもので、言葉だけが独り歩きしたせいかとうがってみるが、よほど興味がなかっただけのことだろうな多分。

         

         実際、この学校にかかわった芸術家として名を連ねている、クレー、カンディンスキー、モンドリアンといった面々は、作品に何の興味も持てなかった記憶がある。何を描いているのかがわからない、というよりは、その「よくわからない絵」を好きというのが格好いい、という態度に反発していたから。一種の反知性主義だな。「ああわからんさ。だけどわからんと正直に言う俺の方が正しい」という(今はわかるのかというと、わかるとかわからないんじゃないんだよとわかった風な口を利けるようにはなっている)。なので、「バウハウス」なる単語が出てきたとき、目の前に浮かんだのは「俺には縁のない何やら洒落たもの」で、それを忌避していたのだろう。青臭さにむせかえるな。

         

         かなり欲張りで貪欲な学校だったようで、「バウハウス」は「建築の家」くらいの意味だというが、写真だのレタリングだのテキスタイルだの陶器だの、美がつきまといそうなものには軒並み手を出して続々講座を開いている。

         で、ベースには工業製品を意識した合理性のようなものがあるので、仕上がったものは大抵幾何学的なシンプルなつくりになっている。これが現代のライフスタイルにどれだけ影響を与えているのかは、椅子の展示コーナーがホームセンターの家具売り場にしか見えないことで十分に窺い知れる。

         

         この、工業との密接なつながりは、産学連携的な国策との親和性を想像させそうなものだが、なんでもかんでも講座を開講するところとか、教授陣にカンディンスキーのようなわけわからん絵を描く人がいるとか、センタクとシューチューとは正反対を行っているところが日本にとっては今こそバウハウスという感じがする。

         ついでにこの学校はナチスの台頭で閉校になるから、統制的な政府とも相性が悪いのもまた示唆的。なぜナチスに目をつけられたかといえば、ナチスは「わけわからん絵」が頽廃芸術だからってんで嫌っていたせい。これもまた、統治者が芸術の良し悪しに口を出すとどうなるかを教えてくれるという点でもすばらしい学校であり、知らんままだったことを反省した次第。
         外に出たら、隣の学校の校舎が、まんまバウハウスの建物やんけ、と思った。


        愛と平和で何がおかしい

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           台風により延期していたスタジオ入り。前回の中止はちゃっかりキャンセル料を取られた。あれ? こんな日にスタジオ入りするのは、こんな日に宅配ピザを頼むなと同様の想像力を欠いた行為かと思って遠慮したのが少々馬鹿馬鹿しくなるぞ。なるほど、電車が止まっても出勤しろというアホな会社の意図はそういうところにあるのか、と納得した。みんな休もうぜという呼びかけは、お互いの財布の問題としても重要でなのだな。


           ピアノマンは日中ずっと練習していたらしく少々疲れ気味のご様子。俺はというと、仕事終わりで楽器屋に寄ったから5分ほど遅刻した。前回アコースティックギターにピックアップをつけてエレアコ仕様で弾こうとしたのにうまく行かなったため、本日はエレキギターを持参することにしたのだが、問題はケースがないことだった。ヤフオクで買ったとき、純正のケースとともに送られてきたのだけど、そのうちカビて汚くなってしまったので廃棄していた。持ち歩くことがなかったので何の問題もなくこの日まで来てしまったというわけだ。

           

           なので仕事終わりで、あわてて楽器屋に飛び込んで「ギターケースくれ!」と店員を捕まえ、「安いのだとこのタイプですよ〜」と呑気に持ってくる長髪のあんちゃんに「これで!」と即決して店を出た。普通そんなに慌てて買うもんじゃねえだろ。急な訃報に慌てて数珠を買いに来る弔問客のようだ。

           帰宅して着替える暇がなかったので、ネクタイ姿のままギターケースを背負ってすぐ電車に乗ったが、正確には弔問客ではなく、結婚式の2次会で余興をたのまれたおっさんの図だった。5時過ぎに電車に乗ってるから、時間帯的にもまさしくそんな具合(若干遅刻気味)だし、たまたまこの日、明るい色のネクタイしてたしで余計に。

           

           ま、しかしこの日は母親の命日につき俺にとっては慶事ではなく弔事の日になる。慌ててギターケース買って、って、あんた何してんのという感じだろうな親にすりゃ。

           

           本日のコピー曲はエルビス・コステロ「(What's so funny'bout) peace love and understanding」。そういえば母親はエルビス・プレスリーが好きだったから、半分ほどはちょうどいいな。プレスリーからコステロになった途端、外見のスター性は全く消え失せ、阪大の基礎工学部の人みたいになってしまうのであるが。


           単純なポップソングかと思って演奏してみると、これが無茶苦茶楽しい。少ない人数でやるときは、ドラムが凝ってる方が楽しいということがよくわかった。
           しかし、そうなると次なるコピー曲を何にしたらよいものか悩む。ピアノマンは「いっそビートルズでいいんじゃないっすか」という。まあ、いつこの世から「ない」ことになるかわからんからな。「マズいことになる」前に、1曲くらい覚えておいてもよいかもしれん。


          【やっつけ映画評】イエスタデイ

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             このチラシで本作を知ったとき、安直な着想だと感じたのと、ビートルズにあまり思い入れがないのとで、見に行く気はあまり起きなかった。のだけど、当ブログで書きたい関連話と出くわしたので、見に行くことにした。倒錯している。

             

             先に感想。手練れ監督によるハズさない佳作といったところか。いくつかの部分でなるほどなあと思った。
             まったくぱっとしないギター弾きのジャックが、周りの誰もがビートルズを知らない異世界(?)に行ってしまい、そこで彼らの曲を演奏することでにわかに注目を浴びるという内容だ。

             芸術は互いに影響し合う上、なにせビートルズだから、彼らが消えれば他も消えるんじゃねえのという疑問はすぐ浮かぶ。この世界では、ローリング・ストーンズもデヴィッド・ボウイも存在しているが、オアシスは存在しない、というギャグでこの難問を切り抜けている。というように、必然つきまとう疑問の処理が本作はソツがなく安心して見ていられる。これ以外でいうと、21世紀の今、そもそもビートルズはウケるのかという疑問に対しては、本家にならってジャックが提案したアルバムタイトルやジャケットデザインをことごとく却下されるというギャグっぽいシーンで処理している。

             

             そうだよなあと共感したのは、どうやら周囲はマジでビートルズを知らんらしいと悟ったジャックの反応だ。ビートルズの傑作群を自分だけ知っていて、ある程度は弾ける。だとすればプロになる夢を実現する大いなるチャンスといえるわけだが、ジャックは算盤勘定よりもまず真っ先に、「マズいことになった!」と恐れおののく。

             

             そりゃそうだ。荷が重すぎる。まずジャックは歌詞やコードがうろ覚え。コピーバンドでもやってない限り、ファンでも正確に覚えているのは2、3曲くらいなもんだよね。そしてちゃんと演奏できるのかという問題もある。なので天才の力を借りても自分が売れる保証はなく、しくじれば彼らを冒涜することになる。足もすくむというものだ。実際、当初は誰も聞いてくれない。

             

             それでもチャンスが転がり込んでくるのは、ビートルズだから、というのは大きい。もしなりすましたのがローリング・ストーンズだったら無理な相談だろう。ビートルズはメロディがしっかりしているので、素人がやっても「よい曲」になる可能性はある。ストーンズは、譜面通りやってるつもりでも全くあんな風にならなくて、実に退屈になる。クイーンだとそもそも歌えない。

             

             そして、素晴らしいものを提示できたとしても大抵の人は素通りというのが実際のところである。この序盤の展開は面白い。また、ジャックをなりすましと見抜いているっぽい謎の爺さん婆さんの狙いや、彼らから知らされる最重要人物の登場シーンなどは上手い脚本だと思った。

             

             一方、全体を支えているジャックとエルとのラブストーリーは、女優の魅力と演技の上手さでどうにかなっているものの、ビートルズのモチーフがなければ、ただの使い古されたすれ違いの構造をなぞっているだけの凡庸さだったと思う。せめて曲の歌詞を踏まえた展開にするとか欲しいところ。この辺は「シング・ストリート」を見習ってほしいものだ。レコード会社を欺くラストが、同じ監督の「はじまりの歌」とまるかぶりなんだからさ。

             

             さて、先日とある大学での仕事で出くわした小噺である。

             

             文章の読解について教えながら、文中の「まるでカフカが描く不条理のように我々はなぜか非合理な行動をとってしまい」うんぬんかんぬんという部分に、ふと「もしや」と嫌な予感がした。


             「ところで、みなさん、カフカは知ってますか?」
             沈黙。
             「知ってる?」と、適当な学生に尋ねると「…、絵の人っすか?」と少々語彙力に欠ける返答。「『描く』から画家を想像したその発想は悪くない」などと褒めながら(←こういう芸当、一応できる)、「他に『描く』が仕事っぽい職業って?」「本の人っすか?」と、一応正解にはたどり着けたがしかし、である。


             作者名は知らなくても、作品は知っているのだろうか。「変身」が有名だけど、と水を向けるが教室にいる30人ほどが全員一様に「???」の表情。
             「えーっとね、グレゴール・ザムザという男がある朝目覚めると、自分が虫になっているということに気づいてね…」
             と物語の冒頭を紹介すると、女子学生を中心に「グロ。え?何?ホラー」といった具合にかすかにざわつく。
             「マズいことになった!」
             まさしくこれだよホント。意味が違ってしまうけど。

             

             このとき、本作「イエスタデイ」の概要はすでにチラシで知っていたし、本作と何かと重ねて語られるマンガ「僕はビートルズ」も、そういうマンガがある、という程度の認識はあったわけだが、別にパラレルワールドに行かなくてもタイムスリップしなくても、著名なはずの人物や作品を誰も知らないという状況はいくらでもある、と現実を知ったのである。


             無論、「〇〇、と言っても若い君らは知らんか」という年寄りの言は、過去にいくらでも聞いてきたし、おっさんになって逆の立場にもなったから、いくらでもあることといえばそう。だけどカフカだよ。ロバート・ジェームズ・ウォラーでもスペンサー・ジョンソンでも謝国権でもないんだよ。というのは文学部出バイアスなのだろうか。

             

             なんだっていいや。ジャックがビートルズの伝道師を買って出たように、我も知らぬという彼ら彼女らに伝えなければならない。映画の登場人物がビートルズを知らないのは彼らが不勉強だからではないのと同様、目の前の学生がカフカを知らないのも機会不平等みたいなものである。是正に努めるのがおっさんの責務。


             しかし、「マズいことになった」。ろくに内容を覚えていない。「要するに簡単にいうとですね」と誤魔化しながら、作品の特色と意義を知ったように説明し、若干名が「へ〜、読んでみようかしら」といった表情で頷いていた。こういう芸当、一応できる。だがやっていることは、「ヘーイ、ジュー、ボンベンビンバーン」と歌っているのと大差ない、ただの雰囲気説明である。

             こう考えると、刺客のように登場するあの初老の男女が見せる意外な態度は、何も意外でないことがわかる。ピラミッドはエジプト人のみのものではなく人類の宝であり、だから守り伝えなければならんし、それは凡人にはかなり難しい相談なのである。

             

            「ALL YOU NEED IS LOVE」2019年イギリス
            監督:ダニー・ボイル
            出演:ヒメーシュ・パテル、リリー・ジェームズ、エド・シーラン



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