【やっつけ映画評】NO

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     先日電車に乗っていると、隣で立っている学生らしき男子2人組が、「え?!あそこのツタヤも潰れたの?」などと会話していて、今時の若人の間にもまだレンタルで借りるという文化はぎりぎり残っているのかと意外な気分になった。そういえば、年末にサザンオールスターズがNHKの番組で歌っていたとき、姪が有名曲の大半を知っていて、そのこと自体にも驚いたのだが、レンタル屋でベスト盤のCDを借りてきてスマホで聞いているのだと聞き、また驚いたものだった。ベスト盤を借りるのが入門的には一番手っ取り早いから、というような理由らしい。


     そういう俺もいまだ配信サービスの類は利用せずにレンタルしている。当該企業は昨今、名簿屋への業態転換、選択と集中による本業切り捨てによって続々店舗を閉じているので、世の中にこういう店がなくなるまでは利用しとけばいいかと開き直りつつ、図書館参入と警察への積極的情報提供の件でとっとと破綻してしまえと矛盾した感情を抱いてもいる。

     いずれにしても、いざ知名度の低い作品を探そうとすると、着実に環境が痩せ細っているだけに、たどり着くのに苦労する。去年の台湾のときもそうだったし、文豪シリーズでも同様。


     というわけで仕事で行った先周辺のレンタル屋で在庫を検索して・・・、とやっていると、いまだ古式ゆかしくラインナップが潤沢で、探していた複数作品がまとめて在庫ありなんてこともある。というわけで、文豪とは何の関係もないが、若干マニアックな作品の貸出があったのでついでに借りて見たのである。


     チリのピノチェト政権が崩壊に至る過程を描いた内容だ。国際社会の圧力で、任期を延長できるかどうか国民投票で決めることになり、体制側、反ピノチェト側双方に15分ずつテレビ放送の枠が与えられる。この枠で政権放送なりCMなりを流して支持を集めようとするわけだが、広告屋の主人公は反体制側に協力することになる。

     

     今この手の題材で俺が作るなら、主人公は賛成側でも反対側でもなく、「どちらでもない」側の広告宣伝担当にするな。何を宣伝すればいいのか皆目見当がつかない点に新機軸の可能性をふんだんに感じる。

     

     妄想はさて置き、反体制側の宣伝が妙に頭でっかちなのに閉口して、もっと親しみやすいCMを作るべきだと主人公レネは早速陣営の人々と対立する。この点、地球のこっちとあっちでも反体制側の性向が似たようなところは面白い。撮影許可が取れないからか、ゲリラ撮影でロケを重ねていくシーンは自主映画の撮影のようで楽しいのだが、出来たCMは妙にダサい。大口叩いてこれかよと可笑しい。

     80年代の話なので、時代的な感覚が勝ってダサく見えてしまうところもあろうが、「口当たりのよさそうなメッセージと映像をつないでおけば支持につながる」という発想そのものに問題があるように思う。いわばイメージだけで操縦できるといわんばかりの発想だ。有権者を「何も考えていないアホ」ととらえているともいえる。広告屋とはそんなもの、といえばそうなのかもしれないが、このダサいCMは、作中の登場人物にも批判されている。

     

     一方、宣伝チームの別の人間が作ったCMには、なかなかよくできたのもあった。デモ隊を捕まえて警棒で殴っている警官の映像にナレーションや字幕を重ね、殴っている警官も殴られている運動家も、どちらも信念に基づいて行動しており、どちらも愛国者であり、どちらもチリ国民だ、といったメッセージを送っている。民主主義とは何かを端的にうまく示していると思う。レネは、これを作った担当者と今一つソリが合わない様子なのだけど、この反ピノチェトキャンペーンを通じて彼の中で何か変化があったのかが今一つ不明なところはちょっと消化不良だった。さりとてレネの中にゆるぎない強烈な意志があるようにも見えなかったしで。

     

     一方体制側は、この15分枠以外にも、通常枠でいくらでも体制よりの内容が放送できると考えているところが興味深かった。日本でも憲法改正の国民投票の際の放送は、国政選挙のようには厳格に規制しないようなことがいわれているが、実施されるとなると、通常の番組も軒並み政権寄りになることは容易に想像がつく。大阪では都構想のときに一度経験済み。チリの場合は、反体制側も本心では諦めているほどピノチェト側が盤石だったので、それだけにどうやら油断があったように描かれているのだが、日本でははてどうなることやら。

     

    「NO」2012年チリ/アメリカ/メキシコ
    監督:パブロ・ラライン
    出演:ガエル・ガルシア・ベルナル、アルフレド・カストロ、ルイス・ニェッコ


    映画の感想:ゲーテの恋 君に捧ぐ「若きウェルテルの悩み」

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       文豪シリーズその3。これもまた邦題が全部を説明している。モリエールから150年後くらいのドイツが舞台だ。主人公はゲーテ。

       地位を確立する以前の青年期を扱っている点、恋愛が重要な要素である点など「モリエール 恋こそ喜劇」と共通点が多い。今度は、バットマン・ビギンズならぬ若きウェルテル・ビギンズといった内容である。

       

       本作のゲーテは、モリエールと異なりどうも頼りない。長身優男で詩が作れることを除けば、後は割と十把一絡げに未熟な若輩者である。「文学なんかくだらない。法律の勉強をしろ!」と頭ごなしに説教してくる父親に、もっとたてつくのかと思いきや、あまり逆らえずに唯々諾々。こうして、父の口利きで裁判所の書記官見習いみたいな職につくため、田舎町に引越すことになる。

       その町で素敵な美女と恋に落ち・・・という筋立てである。この美女との濡れ場がかなりキレーなエロス具合に仕上がっており、ついつい巻き戻してうっとり鑑賞してしまった。


       しかし楽しげなのはここまでで、ここから先はツラい三角関係の悲恋である。恋愛がテーマの映画をあまり見ないせいでちっとも耐性がなく、こんなベタな展開やめてれーと、濡れ場から一転斜め見で鑑賞した。昼メロかよと思ったが、「モリエール」と異なり、ある程度は史実に即した内容のようだ。だとすれば、確かに文学作品に昇華しそうな強烈な体験だ。

       

       人は惚れて惚れられ、振って振られて成長する。とばかりに悲しい恋(と友人関係)に激しく揉まれて未熟なゲーテが出世作をモノにする筋立ては、痛快なサクセスストーリーであるのだが、「モリエール」と続けて見たせいで、「結ばれる運命にはなかったものの大変に理解のある女性に背中を押されて才能を開花させる」という共通した筋立てに少々白けている自分もいるのであった。男の勝手なロマンというか、なんか都合のいい願望が投影されてるんじゃねえかこれ?というような白け具合である。まあ、嫉妬だな。


       映画では、諸々あったゲーテが絶望の淵から一気に作品を仕上げるように描かれているが、実際には、この作品が扱っている時期から数年後、とっくにこの田舎町を去ってからようやくこの体験を踏まえて「ウェルテル」を書いたようだ。だよねえ。現実問題そんなに早く仕上げられんよね。と本筋とあまり関係のないところでとても重大な事実を知ったような気になり、自分を慰めるのである。


      「GOETHE!」2010年ドイツ
      監督:フィリップ・シュテルツェル
      出演:アレクサンダー・フェーリング、ミリアム・シュタイン、モーリッツ・ブライブトロイ


      【やっつけ映画評】モリエール 恋こそ喜劇

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         コルネイユ、ラシーヌ、モリエール。すでに述べたように、これもまた高校時代、世界史のテスト勉強でただ機械的に名前を覚えたものだった。絶対王政時代のフランス演劇界における三羽烏、程度の理解。何となく似たような音の響きと文字数のリズミカルな具合で覚えやすかったものだが、3人の区別はついていなかった。

         試験上はそれで何の問題もなかったのだが、大学に入ってフランス語を履修したとき、ちょっとした問題と出くわした。授業で読解したのが、彼らフランス演劇界の大家たちについて、200年くらい後のフランスの演劇批評家が書いた文章、についての批評を別の人が書いたという、二重、三重にややこしいテキストだった。元を知らないのに批評を読んでもちんぷんかんぷんである。


         この場合、とりあえずはコルネイユなりラシーヌなりの作品を手に取るか、あるいはそれを解説した入門書の類を読むのが真っ当な学生のありようなのだけど、そんなことすら思いつかないほど薄っぺらかった。

         一人ではとても手に負えないと考えた俺含む友人4,5人が、1人の下宿に集まって協力して訳していった。そこだけは学生ぽい。その作業中に、「こんなものを読んで何になるんだ」と1人がコボすと、別の男が「会社に入ったとき社長から君はモリエールを知ってるかね、って聞かれるかもしれへんやん」と冗談で返していた。あくまで冗談ではあるものの、あのころ我々が、世のエグゼクティブは難解な古典をそらんじて若輩者を威嚇するというイメージを持っていたのは確かだ。世に出てわかったのは、そんな教養人はめったにお目にかからないということだった。

         

         むしろ演劇のチンピラの方が戯曲限定ながら知っている人が多い印象。シェイクスピア、チェーホフ、ブレヒト、ベケットは付き合いのある芝居人が出演していた。特に最初の2人は人気が高い。ただし、かのフランス三人衆には俺個人の芝居ネットワーク上では今のところ縁がない。

         

         というわけで本作を見てお勉強である。
         DVDに収録されていた他作品の宣伝が、どれもこれもつまらなさそうなC級作品ぽいものばかりだったので、まったく期待せずに見た。しかしながら、結論から先にいえばこの映画は結構な傑作だった。

         

         作品解説によると、モリエールが若き日に借金が返せず投獄されるところと、旅芸人としてパリを離れてフランス各地に巡業に出たのは史実通りで、その間に起こった出来事を想像たくましく仕立てたフィクションとの由。モリエールがモリエールになるまでのエピソード0的な物語である。おそらく彼の作品に造詣が深いとニヤリとさせられる演出が散りばめてあると思うのだが、よく知らないので無論気づかない。せいぜい、モリエールが神父に化けたときにテキトーに名乗る偽名「タルチュフ」が、後年、実際に彼が遺した作品からきているという点が気づけた程度。それでも映画自体はかなり楽しめた。

         

         いわばヒーローものになっている。まだ無名ながら演技と脚本には一定の力量があるという設定のモリエールが、その狷端貲塾廊瓩任發辰匿А垢肇肇薀屮襪魏魴茲靴討い構成だ。タイトル通り、全体には喜劇のノリだから、演技力を用いたトラブル解決とは、要するに一種の「化かし合い」である。その手の作品がしばしば「笑いのためにわざわざトラブルになる」といった作為が鼻につくところ、本作の場合はそこまでのドタバタはなく、ほどよい塩梅でストレスなく楽しめた。

         

         一つには時代設定があろう。絶対王政の時代、権力と時間だけはある宮廷貴族たちがサロンに集って、芸術への造詣マウンティング大会を日々繰り広げている。そんないわば虚飾まみれの世界に、才覚以外何も持ち合わせていないモリエールが乗り込んでいく構造だ。パンクロック的な痛快さがここにはある。

         

         その中でも、悪役のドラント伯爵が、ちょうどモリエールの対抗軸となっている。ただの貧乏貴族だが、外見が偉丈夫なのと宮廷にうまく取り入ったコネとを利用して、地位や名誉の欲しい豪商を手八丁口八丁だまくらかし不労所得をかすめとろうとする。いわばちんけな詐欺師野郎なのだけど、「嘘」の使い手という点ではモリエールと同じだ。その「嘘」を、金のために使うか人間真理の追求に用いるかの違いである。この対比が「演劇とは何か」の問につながっている、というのは大袈裟にしても、黒魔術×白魔術の演劇バトルといった面白さがある。

         

         本作でモリエールは、悲劇をやる才能が皆無で、喜劇の才はあるものの、当人は悲劇こそが本当の演劇だというコンプレックスからなかなか抜け出せないでいる。そういう中で、ドラント伯爵その他、色々な人々の主に恋愛を巡るドタバタに巻き込まれていく過程を通じ、当人なりの喜劇(ないしは悲喜劇)を見出していく。ただし、たどり着いた境地がもたらす作品がどういうものだったのかはクライマックスの上演シーンを見てもあまりよくわからない。その点、最後の切れ味不足の印象もあるが、そこはまあ、現実のモリエール作品を見て確かめろということなのだろう。

         

        備忘録1:モリエールが新作を書き上げて劇団員に配るシーン。手渡された本を読み始めた団員が、三々五々クスクス笑い出す様子は激しく頷いた。脚本を書き上げた後、まず訪れる至福の瞬間だ。と経験者風をふかしておく。

         

        備忘録2:モリエールがマダムをまんまと篭絡するシーン。一見、相当に気難しそうな気高いマダムが、モリエールの滑稽な演技に腹を抱えて爆笑する様子が、もう完全にメロメロですやんというのが見え見えで、なんともエロチックだった。この女優、本作出演時で50過ぎてるそうだけど、全然みえんなあ。

         

        「Moliere」2007年フランス
        監督:ロラン・ティラール
        出演:ロマン・デュリス、ファブリス・ルキーニ、ラウラ・モランテ


        試験に出る文豪と映画の感想

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           先日、仕事の関連で「試験に出る文豪リスト」のようなものを作成した。時代と国と作者名、代表作名をただひたすら並べるだけ。やっていて非常に心苦しい。作業の退屈さもさることながら、書き並べているほとんどについてロクに知らないからだ。

           

           ダンテ→神曲、などと高校の世界史(日本史でも同じ作業だが)で覚えたものだが、文化史関連の人物は覚えにくい。一定のストーリー込みで習う権力者の歴史と異なり、文化方面となると「このころの〇〇な社会を背景に△△な芸術運動が盛り上がり」程度の説明の後に名前と作品名が羅列されるくらいにとどまるから、記憶がより機械的になる。

           

           もちろん、作品に触れればすぐ覚えられる。絵を見れば、マネとモネもそれなりに区別して認識できる。文学も論理的にはそうだ。が、絵のようには気軽にいかない。
           手に取ることはそれほど難しいことではない。岩波、ちくま、中公、新潮、最近だと光文社等々の各文庫のリストを眺めれば、教科書に出てくる作品のほとんどは和訳されているのがわかる。関係各位が積み重ねてきた財産に感服することしきりである。なのでアリストファネスにしろトマス=マンにしろ本屋か図書館にでもいけば簡単にお目にかかれるわけだが、正直、読めん。

           中にはスラスラ読めて楽しめるものもあるが、そうでないものも多々。土台、テーマからして読む気がしないものが多い(俺の場合だと、貴族の恋愛なんかがこれに該当するので、結構な数の名作が興味の範囲外になってしまう)。

           

           しかし、百年前、三百年前、何なら二千年以上前の作品が今に伝わるこの人類の蓄積を知らないふりするわけにもいかんだろう。と、考え始めたのが三十歳を過ぎたころからだったと思うが、あれからあまり読んだものは増えていない。なので軟弱な俺は、映画から入ることにした。

           

           映画化された古典はそれなりにある。ただし、「嵐が丘」のように何度も制作されている例もあるが、大抵は古い作品が多いので、とっつきにくかったり入手困難になっていたり。映画だからといっても、案外気軽ではないケースも少なくない。
           もう一つの映画化パターンは、作品ではなく作者を映画化したもので、こちらは割と手法としては新しいのか、最近の作品が多い。俺自身、歴史好きなため、その作者がどんな人間だったのかは興味の湧くところである。

           

           すでに見たものでいうと、「ミッドナイト・イン・パリ」。これは創作おとぎ話だから趣旨が違う。が、ヘミングウェイの魅力が光っている。それから「もうひとりのシェイクスピア」。こちらは別人説を描いているので余計に趣旨が違う。シェイクスピアは完全な脇役であまり登場しない。「ハンナ・アーレント」「マルクス・エンゲルス」の哲学者シリーズは、史実に沿ったフィクションで、哲学者も小説家同様物書きであるから、いわばこういう系統の作品を探して見てみようと考えた。おりしもサリンジャーの映画を上映しているが、間もなく終わりとあってスケジュール的に難しい。


           それでまず見たのが「サルトルとボーヴォワール 哲学と愛」。タイトルで全部説明されている。
           歴史に名を残す2人の思想家・作家の関係を描いた作品だ。思想家の場合、倫理の授業で習うので、著作を読んでいなくとも何を言った人なのか最低限の知識はある。サルトルは実存主義の哲学者で、「実存は本質に先立つ」と「人間は自由の刑に処されている」を覚えておけば概ね試験には正解できる。ボーヴォワールはフェミニストで「人は女に生まれるのではない、女になるのだ」が有名。この世界的に著名な2人についてまとめて知れるのだから、お得な作品じゃないかと再生したが、30分ほどでギブアップした。


           というのも、サルトルが全くもって気色悪いのである。先日読んだ「82年生まれ、キム・ジヨン」に、教室で配布プリントを後ろの席に回すとき「ニコニコ愛想よく渡してくれる」として俺に気があるとばかりに主人公に付きまとってくる男子が登場するが、あの手の妄想系ストーカー全開の様子でボーヴォワールに接近してくる。

           この大変に気色の悪い男に、彼女も当然嫌悪感を示すのだが、いつの間にか恋に落ちていてボーヴォワールもとんだイカレ者だと2人まとめてついていく気が失せてしまった。

           「新しい愛のかたち」と予告編映像のキャッチコピーにはあるが、確かにある意味新しい。新しいとは理解不能の雅語なのだな。

           

          「Les Amants du Flore」2006年フランス
          監督:イラン・デュラン=コーエン
          出演:アナ・ムグラリス、ロラン・ドイチェ、カル・ウェーバー


          映画の感想:ブリッジ・オブ・スパイ

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             グリーニッカー橋のスパイ交換を題材にした手練れ監督の作品。「リンカーン」や「ペンタゴン・ペーパーズ」等、史実モノを実に巧く作っているのに、いまだにこの監督、俺の中ではジョーズ、ET、インディ・ジョーンズの人である。それで久々にお気軽なSFを見てやろうと、この監督の「レディ・プレイヤー1」を借りてきたが、肌に合わなくて途中でやめた。それでいて本作は楽しんで見た。歴史モノの方が上手いんじゃねえか?と思ったが、単に俺自身の好みに過ぎない気もする。

             

             グリーニッカー橋の話を知ったのは、恥ずかしながら横山秀夫「半落ち」だった。検事が記者に、ヒントとも愚痴ともつかぬ調子で漏らす一言で、こんなことボソっと言われても、俺ぜってーわかんねーよ、と思いながら読んだ覚えがある。
             この検事は「互いの捕虜を交換する取引に応じてしまった」という自己嫌悪を吐露していたのだが、本作を見ると、そういう単純な話ではないということがわかった。歴史をキーワードで済ませないというのは大事っすね。

             

             2015年の制作で、割と最近の作品だ。監督には、この半世紀前の事件に何かしら今に通じる部分を感じるところがあって制作したのだろうと推察するが、今現在、より本作で描かれていることが肌身に迫るように思える。敵/味方の単純な線引き、「敵」を「殺す」以外の選択肢を取るやつはやっぱり「敵」という短絡さ。

             先々まで見据えれば、このソ連のスパイは生かしておく方が得策、という深謀遠慮は三国志だと「格好いい(or侮れない)登場人物」として、同じく「敵だから殺せ」はすぐさま滅びる雑魚として、さんざん出てくるはずなのだけど、現実世界ではしばしば後者が幅を利かせるんだよなあ。三国志にハマる男子は、しばしば自分が孔明ほどではなくても荀くらいの知性はあるとか、関羽ほどではなくても夏侯惇くらいの統率力はあるとか思い込むのだが、俺も君も等しく邢道栄に過ぎないのだよ。

             

             米ソ双方、表向き「諜報?はて何の話でしょう?」という立場を取るので政府同士の話合いにならず、主人公のような一弁護士が冷戦の最前線に立たされるおかしな展開になるのだが、何で一私人のオッサンが国同士の命運を左右するポジションにいるんだという点、実にヒーローもののフィクションぽくはある。そんなことを思って見ていたら、ラストの字幕解説によると、主人公ドノヴァンは今回の手腕を見込まれ、大統領から次の任務を言い渡されたとあるから、完全に007と同じ終わり方である。当然、第2作「ベイエリア・オブ・スパイ」が待たれるわけだが、これはフィクションではないので、よくよく考えるとふざけた話である。政府が陰謀作戦実行して、失敗したら弁護士にケツ拭かせてる格好でしょ、これ。なんじゃそりゃではあるよね。

             

             このドノヴァン、弁護士の本領発揮で、手八丁口八丁な交渉術でソ連、東独を相手に立ちまわるのであるが、そこだけに目を奪われてはいけない。軍人だけでなく、それこそ「自業自得の自己責任」的につかまっちゃった学生の救出についてもまったく譲ろうとしない。国防とかなんとかを超えて、人権守ってナンボでしょ弁護士ってのは、という頑固さが眩しいのである。誰であれ国民を守る、それがホントの国益でしょうよ、という立場は、全員正座して目に焼き付ける部分だと思う。

             

            「BRIDGE OF SPIES」2015年アメリカ
            監督:スティーヴン・スピルバーグ
            出演:トム・ハンクス、ピーター・マクロビー、アラン・アルダ



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