【やっつけ映画評】それでも夜は明ける

0

     公開当時くらいに、かっしゃんから「見ました?」と聞かれ、見てないと答えたら推薦の辞をいくつかくれた作品だった。かっしゃんが映画を薦めてくるのも珍しいと思ったが、後で振り返るに、俺なら当然見ているだろうと期待していたのだろう。見ていなかった上、その何か月か後にも同じ質問をされて未見だったから、がっかりされに違いない。というかそういう反応だった。


     あれからずいぶんたって、ようやく見た。こういういかにも重そうな作品は公開当時に見るべきだ。後になるほど気圧されてなかなか手が伸びない。しかしアメリカでの動きを見ていれば、今見ずしていつ見るというのか。「俺が薦めたときだよ」とヤツの声が聞こえてくる。

     

     実際、ストーリー紹介から想像する通りの重い作品なのだが、予想と違ってよく出来た娯楽映画のようなスピーディーな展開に引き込まれた。特に序盤はカットバックを多用して、時間軸を複雑にしているから、ミステリでも見ているような格好で興味をそそられた。ああいう時間の行ったり来たりは、手法としてすっかり定番化している分、安易に映る危険性があると思うが、その点かなりうまく作っているのだろう。


     ミステリ的展開が可能なのは、主人公の素性が少々特殊だからだ。北部の自由州から拉致されて奴隷州に売られていった人がいるというのを初めて知った。奴隷の子として生まれ育ったわけではないので、そうだった人々よりも現状に対する疑問なり反発なり怒りなりを抱きやすい。その点で現代人向けのドラマにはうってつけの主人公といえる(不遜な物言いだが)。そして何より「本来帰るべき場所がある」というのが他の奴隷との何よりの違いである。これは後で触れる。


     1940〜50年ごろが舞台なので、南北戦争の20〜10年前になる。このころのアメリカは、州ごとに奴隷制度の有無が分かれていて、北部は総じて奴隷なしの自由州、一方の奴隷州は南部に集中している。主人公ソロモンはニューヨーク州でバイオリニストとして暮らしているので奴隷ではない。劇中でも何度か「自由黒人だ」と主張している。ソロモンは詐欺に遭う格好で拉致され奴隷商人に売られることになる。


     本作は奴隷とは何かをわかりやすく示している。奴隷とは「動産」である。例えばソロモンが、彼を恨む白人に殺されそうになるシーンで、止めに入った別の白人は「お前のやってることは財産権の侵害だ(人のものを勝手に牴す瓩里如法廚覆匹鳩拗陲垢襦最終的にソロモンをニューヨークに連れ帰ろうとする支援者に対して、彼を狃衢瓩垢詛西貅腓蓮◆崟狹陲澄」と噛み付いている。農耕馬かトラクターと同じような存在である。当然移動の自由も職業選択の自由もなく、ソロモンが狄場瓩鯏勝垢箸垢襪里蓮⊇衢者が金に困って彼を売却するからである。


     牛馬を丁寧に世話する飼い主とそうでない飼い主がいるかのごとく、奴隷の扱いも所有者によって相当異なる。ソロモンが最初に買われる材木商は、比較的イイ人であるが、彼よりも奴隷を厚遇した実例は珍しくなかったらしい。快適な住居と十分な食事を与えられた奴隷も存在していたようだ。そしてこの材木商がいかにイイ人であったとしても、ソロモンが奴隷であることには変わりはないし、その後出てくるいかにも典型的な陰湿農場主とも本質的に違いはない。映画の中では、この材木商が苦悶しながら母子の別離に賛同するシーンや、ソロモンを売り払うシーンによって、その本質的な差異のなさを表している。

     つまり、厚遇であることでもって奴隷であることの否定にはならないという点で、なぜ慰安婦が性奴隷と訳されるのかもよくわかる。日本の芸能人がしばしば奴隷契約と喩えられるのも、この選べなさが類似しているからだ。

     

     ソロモンの脱出に大きな役割を担うことになるカナダ人の建築家は、人道主義の立場から奴隷制を非難して陰湿綿花野郎の不興を買うのであるが、このシーンもなかなか面白かった。
     南北戦争についてしばしば、「奴隷を巡る対立ではなく経済政策(貿易政策)を巡る対立だ」と語られる。俺もある時期までそう理解していた。しかし「というのは間違いであれは奴隷を巡る戦いである」という学者の指摘を読んで、あれれどっちなんだと思って関連書籍をいくつか見たものだった。

     「奴隷ではなく経済」というのは史料解釈に基づいて生まれた説だそうだが、俺のような素人にとってそちらの方がいかにも正しく見える理由の一つは、ヒューマニズムよりも経済の方が遥かに政治的動機としてホントっぽく映るからである。奴隷に原因を見るのは、道徳的な正しさの強調という点で子供向けの学習漫画的解釈にいかにも思える。いやあホントのところは金さ、という方がいかにもリアルである。

     

     という方が浅慮だと、この建築家と陰湿BrownSugar男との討論は示している。奴隷制の廃止は当時のリアルな政治課題のひとつで、今でいう環境問題のような世界的な問題でもあった。南部の農園主にとっては死活問題という金の話になるのも環境問題とちょっと似ている。ちなみにカナダを支配していたフランスもイギリスも、アメリカより奴隷制廃止は早い。「リンカーン」でも、南部と和睦すると奴隷制が温存される恐れがあるからと、徹底抗戦を選び、そのためいかがなものかなセコい工作をするくだりが描かれている。

     


    映画の感想:卒業

    0

       なまめかしい脚がどーんと手前に配置された写真で有名な古典。今更見た。作品の知名度以上に場面写真がここまで有名な作品も珍しいのではないか。まあ俺が内容をほぼ何も知らないのに写真を知っているというだけのことだが、この写真から想像される展開で半分。残り半分はやばめのストーカー展開だった。正直、なんだこれは、という感想になった。


       いかにも甘っちょろい雰囲気の大学卒業したての若人ベンジャミンが、色気あるマダムに誘われるのだが、いよいよエロいことになるまでには結構長くてじらされる。そのくせいざそういうことになると、濡れ場は特に描かれず肩透かし。ついでにあの有名な写真は、脚線美で誘惑しているのではなく、口論になって帰り支度をしている場面なのだった。

       その点、「E.T.」のポスターの指合わせにちょっと似ている。「そんなシーンはない」というわけでもないのだが、ポスターからイメージされるのとは角度も意味合いもだいぶ違う。本作の場合、結局その場では仲直りして再び服を脱ぎ出すので誘惑効果はあったのかもしれないが。


       その後、マダムの娘と恋に落ちるというおぞましハードな三角関係になり、虻蜂取らず。それでも娘にぞっこんのベンジャミンは付きまとい行為に勤しむ。
       冒頭のシーンによると、彼は卒業の際に親戚や父親の友人が集まって祝賀パーティーを開くような家の産である。世襲議員の家ってこんな感じなのかしら、と、鼻持ちならなさが先に立つのだが、その偏見を裏切らない青二才ぶりのまま話が展開していくので、自身の若いころと重なる部分もないではないが、好感なり共感なりはちっとも持てない。それがストーカーとくれば何をかいわんや。一体これは何の映画だったのだろうと頭を抱えてしまった。


       おそらく本作は、公開当時ならおもしろかったのだが、今となってはその魅力を感じるのは難しいということなのだと思う。ネット上の記事を見ると、公開当時の関口宏の談として「ベンジャミンはもうひとりの僕だった」と紹介しており、全然格好よくない未熟さと危うさばかりが目に付く駄目ぶり&それがゆえの発露としての花嫁強奪という無鉄砲ぶりに、等身大の若者的な共感を抱いたということなのだろう。もしかすると俺がもっと若かったら面白く見たのかもしれないが、未熟な主人公というモチーフはすっかり定番化したところがあるから陳腐に思ったかもしれない。


       こういうことはそれほど珍しいことではない。このブログで取り上げた映画だと、「第三の男」「ある日どこかで」が当てはまる。公開当時に放っていた(と伝え聞く)輝きを今感じるのは難しい。

       ある作品が、時とともに色あせて見えていくのは寂しいことではあるのだが、それだけならまだマシなんだなとここ最近の国際ニュースを見ていると思わされる。

       

       


      行ったのはちょうど半分7つほど

      0

         知った猝襪療広瓩僚性から電話があって呼び出された。俺の故郷のミニシアターで広報を担当している若人が来るという。「あんた同郷やろ、おいでおいで」。巷間いう「飲んで応援」を一切やっていなかったし、よい機会だろう。

         

         十三駅の横丁を通り抜けていくと、概ねどの店も開いていて、概ねどこの店も狭苦しい店内に酔客が溢れている。中にはカラオケに興じている店もあり、第2波の既定路線ぶりを確認させられた。マスクして歩いているのが実にばかばかしくなる。

         くだんの店も、狭い店内、俺と店員入れて全部で6人。ドアを開け、多少距離を取っているとはいえ、酒を飲みながらデカい声でそれなりの時間話すのだから、まあナンセンスだ。


         その故郷のミニシアターについては、館長を主人公としたドキュメンタリーを見たことがある。名物館長が急逝して、俺と同世代の息子が後を継ぐことになるのだが、自身は東京で会社員をしている上、映画館経営専業では全く食えないので二足の草鞋になる。会社はある程度理解を示してくれているのだけど、有給を使い切ってさらに欠勤をするから給料も減るし、行ったり来たりも大変だし、何よりこの中途半端な具合は自己嫌悪にもなるというものだ。妻が理解を示してくれているからどうにかやれているといった様子である。


         番組の中でははっきりとは示されていなかったが、この館長はそれほど映画マニアというわけでもなさそう。会社員やってて子供が幼いと、仮に好きだとしてもなかなか見に行くのは難しいだろうしで、廃業を選んでも誰も責められん。当人にもその選択はちらつくのであるが、ミニシアターの常、客層が濃いからその熱烈な思いに触れるとそう簡単にやめますわとも言えず。「決めれない…」と自身の優柔不断を嘆く様は、そりゃそうだろうと好感を持ちながら見た。結局決めないし、現在もその状況のままらしい。ま、それでいけてるんならそれでいいんじゃない。


         それで店で紹介された広報担当氏も、生業は別にあってボランティアのような格好で勤めているといい、ここの店の店主が十三の良心・第七藝術劇場の広報をしている縁で、たまに関西の劇場めぐりをする際に店に寄るとの由。

         

         かのメトロという映画館は、子供時代の俺からすると「ようわからんつまらん映画をやっている場所」だった。親がタダ券をもらったとか、そういうときに何の作品かもわからず行って、特にいい印象もなかったくらいの記憶しかない。
         大学生になり、そういう映画館で映画を見る行為は「格好いい」のだという価値観を知ることになる。当初は単なるスノッブ気取りだと思っていたが、ハリウッド以外にいくらでも面白い映画がある事実をやがて知った。都会と田舎の文化格差を痛感させられた出来事でもある。大阪出身の連中は、10代にしてすでにスピルバーグやルーカス以外にもいくらでも才能ある作り手がいることを知っていた。

         こうしてようやくメトロの価値を知ったわけだが、アホの大学生なりに当時の俺が考えたのは、早晩あの劇場は経営が立ち行かなくなるだろうから、俺が金持ちになって買い取って故郷の文化を守ろうという野心だった。誤算は金持ちになっていないことだが、そもそもなろうとしたことが一度もないのでなれるはずがない。

         

         というわけで、この広報氏のような地元の志高い面々によって手弁当で担われているのが正解の未来なのであった。そのような映画に通じた同郷人は、俺にとっては「中村優子と実家が近所」というショボ過ぎる自慢話を前提説明不要で披露できる相手であることを意味する。久々にしゃべったなこのくだらん話。

         

         この日は他に、壮年の常連男性2人組がいたのだが、そのうちの1人、中抜き業最大手の元社員の人と、この広報氏が揃いのTシャツを着ていた。我らの映画館を守ろうぜというような英語メッセージをあしらっていて、コロナで営業中止になった映画館の支援グッズのようなものである。「これ背中が最高やで」と店主が言う通り、背中には関西のミニシアターのロゴがずらり並んでいる。


         「これいいな…。ナナゲイに売っとんすか?」と店主に聞くと、電話して聞いてやるという。ちょうど閉館の微妙な時間帯だったので好意に甘えたのだが、スタッフ各位、明日のイベントの準備でバタついていたらしく、めちゃくちゃ恐縮しながら館の敷居をまたぐことになった。
         先ほどの2人が来ていたのは黒色で、これは注文販売のみの扱い、店頭販売は白だけになるけどいいですかと言われ、全然問題ないっすと平身低頭。サイズはLですかといわれそうですねえと返答したが、見せてもらうと妙にデカい。すんませんMで、とMを購入したのだが、それでも世間のMより少々大きかった。

         こういうミニシアターで、特に社会問題系のシリアスな作品を見に来る層は、なぜか痩身体型の人が多いから、このサイズだと購買層をちょっとハズしてるんじゃないか?と要らぬ心配をした。

         

        そのうち黄ばんだら、こんな具合に染めるつもりの染屋しぐさがすっかり定着。


        映画の感想:娘は戦場で生まれた

        0

           

           世の中が再稼働気味になっている。友人が勤務する美術館も再開したようだが、たまたま作品の貸し出し期限やよその美術館への巡回日程等がつかえていなかったので、予定していた展覧会をようやくお披露目できたのだとか。つまり、後がつかえていれば企画は流れていたということだ。その点、演劇と似ている。役者やスタッフの予定が確保できれば再上演可能だが、都合がつかないと無理になる。


           タイミングがうまく合わないまま映画館が閉館になってしまい見れないままだった本作は、再開したらまだ上映していた。映画の場合は作品の貸し出しがどうなっているのだろうと思ったが、後で聞く機会があった。古文書の発見のごとく、古い映画のフィルムが民家なんかから出てくることがたまにあるが、ああいうのはフィルムが全国の映画館を巡回している間に行方不明になったのが出てきたということらしい。しかし、今時は巨大なリールを回しているわけではない。後日出会った映画館スタッフに、コロナで順延になったら作品の貸し出し期間てどうなるのと尋ねたら、「USB指したりサイトにアクセスしたりなんで…」と、質問の意味がそもそもわからないという様子だった。

           

           作品とは全然関係のない話だった。

           「ラッカは静かに虐殺されている」同様、シリア内線を題材としていて、かつ邦題がすばらしい。タイトル通り、戦場で生まれた乳飲み子の「サマ」を軸として編集されている。


           「ラッカ〜」は政府と反政府との対立の間隙を縫って現地を制圧したISによる首狩りを映し出しているが、本作は政府軍とロシア軍の空爆で人がどんどん死んでいく様子が映し出される。生首のような衝撃的な映像はないが、数はすごい。空爆でどんどん人が命を落とし、その遺体の映像が遠慮なしにどんどん出てくる。

           銃火器による遺体はフィクションでもさんざん見たことがあり、作り物でもさすがよく出来ているんだな、本作に出てくる遺体の数々と映像としては結構似ているのだけど、さすがに死産の嬰児の映像は直視に堪えない、と思ったら、まさかの「JIN」と全く同じ展開だった。逆さづりにして尻をパンパン叩いたら脈が戻った。それこの前再放送で見たばっかのやつやん。咲さんスゲー。ではなくて赤ん坊がすごい。

           

           問題はこの虐殺をISではなく、政府がやっていることだ。その点「ラッカ〜」よりはるかに残酷な映像にも思える。苛政は虎よりも、を地で行くが、この場合、苛政自体が虎より破壊力がありすぎるので対比が成立しない。

           

           これを書いている現在、アメリカでかなり大きなデモが起きている。予想通り、ピントのズレたナイーブな意見をテレビを中心にいくつか見聞きしたが、偉そうに言う己とて同様である。

           トランプが、あいつらはテロリストだ軍隊出すぞと吠えたとき、こいつならこう言うだろうなと思ったのだが、それが意味するところは「これ」なんだなと本作を見て理解した。「いかにも言いそう」以上のことを思わなかったのは、それだけ敵認定を食って生きるポピュリストが当たり前になっているということでもあろう。大阪なんかまさしくそうだし。


           まあシリアと違って、アメリカの場合は内戦になっても介入する他国はない(協力させられる国は出るかもしらんが)だろうから事情は異なるだろうけど、光州事件のようにはなる。というか「タクシー運転手」をすでに見ているからさっさと気づけという話である。とにかく、トランプの態度には一片の理もない。暴動?さあ、少なくとも中抜き業最大手と竹中屋には打ちこわしくらいかけてもバチは当たらんのじゃねえか。あと在版民放。


           逆の見方をすれば、反政府的な国民に対して軍が発砲するという行為を、東京大空襲ばりにやったのがこのアレッポという町なのだから、異常にもほどがある、とようやく気付けたという話でもある。まあ反政府側にはアメリカが協力しているから単純比較は出来んのやろうけど、本作に出てくるのは全員ただの平凡な市民だ。
           西アジア地域については「何かしらんけどしょっちゅうドンパチ揉めてる場所」というステレオタイプが俺自身にどうしてもある。ニュースなんかで映像を見ると、その悲惨さに心がしんどくなるくらいのことはあるのだけど、一方であんまりピンと来てないところは間違いなくある。

           ずーっと揉めているような地域だから(シリアは独裁政権のせいで比較的安定していた方だが、レバノンとかガザとかのイメージと全部一緒くたになっている)、というような色眼鏡からその異常さに鈍感なのだ。パリでテロがあったとき、イエメンの方がよっぽど悲惨なのに何で扱いにここまで差があるんだという指摘を身近にも世間にも散見したから、俺に限った話でもないと思うが。

           映画でじっくり見ると、表層的な捉え方がちょっとは腑に落ちてくる。何か当たり前のことを書いてるな。でもまあそうなんだ。

           

           それにしても、序盤の携帯か何かで撮ったような映像に比べ、途中から使い始めるソニーのビデオカメラの高性能さよ。とはいえ、こんな爆弾だらけの日々で、ソニータイマーが起動しないはずはなさそうで、そんな要らないことを想像して監督の意図とは別のところでハラハラもしてしまった。シビアな現実ばかり映るから、どうでもいい心配に逃避したのだな。

           蛇足ついで、ドローンか何かで空撮したような映像が出てくるのだが、こんだけ戦闘機が飛び交っている中、どうやって撮ったのだろう。


          「FOR SAMA」2019年イギリス=シリア
          監督:ワアド・アルカティーブ、エドワード・ワッツ


          再放送

          0

             ここしばらく「アルジェの戦い」を思い出していた。アルジェリア独立を題材にした古い映画である。主人公たちが当地を植民地支配するフランス軍に対して、これといった有効打を与えられないまま映画が終わる、とみせかけて最後の最後で何の説明もなく唐突に燎原の火のごとく反乱が広がったところで終わる。フィクションでは本宮ひろし作品以外ではあり得ない、取ってつけたもいいところの話の閉じ方であるが、史実をもとにした作品につき、なんかそういうもんかと納得してしまったものだった(「天地を喰らう」も「赤龍王」も、もとをたどれば歴史なのだが)。


             ちょうど黒川定年延長が、この「アルジェの戦い」のラストを思い起こさせたのである。モリカケ桜、どれも世論の反応はそこまででもなく、「民主主義を諦めた国」と評する意見もあったくらいなのに、ここにきてにわかに非難が激しくなった。少々意外というか唐突というか、そんな風な印象があの映画とカブって見えたのである。

             

            この写真も3年前の今頃

             

             特に芸能人が次々意見を表明したのが大きいのだが、日本の場合、ハリウッドスターなんかと違ってそもそも政権批判の類を口にすることは相当に珍しい。だもんでたまにやるとまるで禁忌を犯したかのごとく叩かれるわけだが、なぜ口を開きにくいかといえば「芸能人はなぜ干されるのか?」で詳らかにされているような所属会社との奴隷的契約が影響しているのだろう(今回はそのうち1人が「かわいらしい女子」的雰囲気の人だったので女性蔑視も手伝っている)。生殺与奪を誰かにガッツリ握られている状況では、当たり障りのないことしか発言しにくいものである。政権に近い会社の所属タレントが、政権寄りの発言を積極的にするのも、その裏焼きのようなものである。

             

             就職試験の集団討論というやつで、「若者の投票率を上げるにはどうすればよいか」がしばしばテーマになるが、芸能人の奴隷的契約を是正していくのが1つの方策なのかもね、と報道を見ながら思った。


             それにしても、なぜ盛り上がったのがモリや桜でなく黒川延長なのだろう。ひとつにはコロナ対策のポンコツぶりが下地を作ったからだろうが、検察ってやっぱ人気あんのかな。正義の牙城、みたいな。
             犖〇_革瓩砲茲訐府と検察の対立ならば、お隣の文在寅政権ですでに起こっている。「運命」を読むとよくわかる。「アベガーのお前らの好きな文政権でもやってることだ」と応援団の人々はいえばいいと思う。これまでくそみそに見下してきたことで保たれてきた自我が混線するのか、それとも得意の手のひら返しで平然とできるのか。まずはパラレル韓国SFでおなじみの武藤外務省に書いてほしいのだが。

             ちなみに文在寅の場合、政府が検察に手を付けようとしているところまでは似ているが、党派性を排除しようとしている点、黒川延長とはちょうど正反対の行為になると思うが、そういう本質部分をネグることこそ彼らの十八番だし。

             

             捜査機関は味方につければ頼もしいし、敵にすればいおそろしい。軍隊と似ているが、軍隊の場合は敵に回すとクーデターという超法規的な現象が起こるのに対し、捜査機関の場合は法治主義の枠内で葬られることになるので、ある意味余計におろそろしい。

             なのでどうにか首に輪っかを付けたがる政治家が現れるのも必然である。そういう暗闘を描いた1つが「ザ・シークレットマン」である。FBIを牛耳ろうと人事に干渉してくるニクソン大統領と、ウォーターゲート事件をどうにか立件しようとするFBIとの闘いがテーマだ。「大統領の陰謀」のB面みたいな作品だが、「陰謀」が正義と特ダネをひたすら希求するカラっとした内容なのに対し、こちらは必ずしもそうではない。歯止めのきかない捜査機関の弊害も描いているからである。


             権力はあれば使いたくなるものだし、それが「悪との闘い」になればなおさら。そこに上意下達の支配構造が加われば道理をひっこめ無理を通すことも厭わなくなる。代表的なものが冤罪で、これをテーマにした作品はいくつもあるが、このブログでは以前に「証人の椅子」を取り上げた。

             検察というのは昔から大変におそろしい組織であり、当時の社会はそれを知っていたのではないか。そんな仮説を当時考えたのだが、そこへいくと現代社会はお人よしである。黒川が消えても黒川的な人はいくらでもいる。反対表明をしたOBの人々の中にも、「黒川と対立する黒川」も含まれていたかもしれない。法案が撤回に追い込めれば素晴らしいことだが、でも河井は無論、佐川はどうするんの、桜はどないなんの、という結果を待たないと、最終的な評価はできないんじゃないかしらというところで、やっぱり話はモリに戻るわけである。


             まあそうはいっても世論の反応が薄いまま色々とまかり通ってきたこれまでの流れが変わったのはよいことである。ただし「アルジェの戦い」はそれで大団円となるわけではなく、今につながるはじまりに過ぎないというような感想を当時書いた。同様に、現政権がいよいよコケたとしても、後を伺っているのがサ市・吉村だからな。何だよサ市って。ガ島じゃあるまいし。維新が次にくれば、ブラジルと同じパターンである。周回遅れもいいところだ。ついでに予想した通り、雰囲気で自粛していたものが雰囲気で解除の方向になっているし。

             

             さて再放送でどうにかやりくりしているテレビを真似して、再放送的にこの文章を書いている。「JIN」の再放送も終わってしまった。最終盤は佐分利医師のおもしろい台詞がいくつか目立つのだが、その第一位が「三角は何がしたかったんでっか」である。三角は仁への逆恨みをこじらせ陰謀をしかけてくる医者であるが、戊辰戦争に突入していく社会の激動の中(ついでに最終回も迫っている中)でしょっぼい陰謀をしかけてきてストーリーの邪魔でしかない。まさに「何がしたいんやお前」である。

             社会がどう激変しようと、庶民は目の前のしょうもない保身に一所懸命なんだよなあ、などと当時見たときは思ったものだが、まさか同じようなことを首相がやる場面に遭遇するとはな。

             

             咲と切ない別れの後、救いになるエピローグを届けるのは、「忘れてはいけない」と咲が手紙という記録にとどめるからで、やっぱり記録って大事だよねと、これも当時は抱かなかった感想。

             そのいわゆる時空を超えたラブレターに号泣する仁は、モノローグで「俺はこの日の気持ちを忘れてしまうのかもしれないが、この日の夕日の美しさは忘れない」とか何とかぬかすのであるが、記録しろよ!

             仁は物語の都合上だろうが「高校時代地理を選択したので日本史をろくに知らない」という設定である。なので龍馬暗殺阻止には異様な執念を燃やすが、同時に暗殺される中岡慎太郎については歯牙にもかけない。多分知らないのだろう。結果、命の選択という医者にあるまじき行為をしている。フランスから失意の帰国をしたのはカズだけではない。やっぱ歴史は大事だよね。



            calendar

            S M T W T F S
               1234
            567891011
            12131415161718
            19202122232425
            262728293031 
            << July 2020 >>

            selected entries

            categories

            archives

            recent comment

            • お国自慢
              森下
            • お国自慢
              N.Matsuura
            • 【巻ギュー充棟】反知性主義
              KJ
            • 【映画評】キューブ、キューブ2
              森下
            • 【映画評】キューブ、キューブ2
              名無し
            • W杯与太話4.精神力ということについて
              森下
            • W杯与太話4.精神力ということについて
            • 俺ら河内スタジオ入り
              森下
            • 俺ら河内スタジオ入り
              田中新垣悟
            • 本の宣伝

            recent trackback

            recommend

            links

            profile

            search this site.

            others

            mobile

            qrcode

            powered

            無料ブログ作成サービス JUGEM