【やっつけ映画評】ザ・シークレットマン

0

     

     「大統領の陰謀」の反対側を描く物語。要するに、このおじさんのお話である。

     原題はこの人の名前そのまんま。アメリカ映画では、こういう「半沢直樹」的タイトルは割と多いが、それだと意味がわかりにくいせいか、日本だと「徳川家康」「武田信玄」のように歴史上の人物以外でこういう題をつける習慣がないからか、大抵は差し替えられる(「ランボー」=原題First bloodのような逆のケースも稀にある)。それだったら邦題は、まんま「ディープ・スロート」でいいんじゃないかとも思ったが、同名のエロ映画があるからNGか。というか、そのエロ映画があだ名の由来だけど。登場人物のワイシャツの襟先が軒並みツンツン鋭角に尖っているのがまぶしい作品である。

     

     「大統領の陰謀」で強烈な存在感を放つ情報提供者「ディープ・スロート」が主人公で、題材も当然ウォーター・ゲート事件だ。「陰謀」での主人公だったウッドワードも超脇役ながら登場する(あと、「陰謀」では名前しか登場しない事件関係者も若干名登場する)。夜の立体駐車場が両作の交差点だが、これだけで「キターーー!」と気分が昂揚する。そして、「陰謀」よりもリアルに、いかにも会社連泊が続いてそうなヨレヨレのシャツ姿の若者が現れるのを見て、なぜだか目頭が熱くなった。40過ぎてこの方、涙腺の感覚がすっかりおかしい。この、同じような場面が別視点から再生される様子は、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」あたりのタイムパラドックスものを思い起こさせる。

     

     本作のテーマは、「官僚」とは何ぞや、だろう。「ロシアゲート」などとウォーターゲートになぞらえた疑惑が指摘されているトランプ関連のニュースを見れば、なぜ本作が制作されたのかは想像力を働かせるまでもない。そして本邦にとってもタイムリーな内容だ。
     主人公のマーク・フェルトは、「陰謀」では、「素性も理由もよくわからないがヒントをくれる人」でしかないが、それもそのはずで、作品公開当時はまだ謎の人物のままだったから、これしか描きようがない。フェルトが死の直前に名乗り出たことで明らかになり、本作はその自伝をもとにしている。「高度な情報を知りえるそれなりの立場の男」というくらいは「陰謀」でも想像がつくが、実際にはFBIの副長官だったというから、それなりの立場どころか首脳である。

     

     こういう人が情報をリークしてくる意図は、私怨か世論形成のどちらかと相場が決まっているものだが、フェルトにはどちらも当てはまる。前任の長官がいなくなり、新長官として周囲も当確をささやく中、よそから落下傘的に別の人間が抜擢され、その上フェルトとは考え方が合わない。合わないどころか、完全に大統領側の人間なので、捜査の幕引きを画策してくる。長官がこうだから、副長官が抵抗しようと思えば報道を動かすのは定石ともいえよう。ただし国家公務員としては禁じ手である。本作では機密情報をダダ漏らしているように見えるが、「陰謀」ではヒントをほのめかす具合に描かれている。おそらく後者の方が実態には近いだろう。とにかく捜査の話が新聞にドーンと掲載されるから、部内では当然「漏洩した裏切り者を探せ」ということになり、それと同時に事件潰しは着々と進行する。展開は割に地味だが、この緊迫感に惹き込まれた。

     

     ニクソン大統領がFBIに介入しようとしたのは、前任者の存在が大きい。創設者にして長期独裁を敷いたJエドガー・フーバー長官は、歴代大統領の醜聞を収集して主導権を握る陰湿な人だった。この辺りは「Jエドガー」でも描かれている(同性愛の恋愛劇と出来の悪い老けメイクばかり印象に残っているが)。捜査機関が自身の情報収集能力を濫用しているような格好だから、官僚の暴走といってよい。彼の退場とともに、ニクソンがFBIに首輪をつけようと考えたのは必然だろう。

     

     これは好意的に解釈すれば、軍隊のシビリアンコントロールみたいなもので、強大な権限を持つ国家機関を野放しにしておくわけにはいかず、国民全体の奉仕者として適切に管理されなければならない。
     とはいえ一方で、全てが大統領の下にあるのは、これはこれでいかがなものかという実例が本作の扱っている出来事でもある。己が関与した犯罪の捜査にストップをかけることができてしまっては正義はどこにあるというのか。ニクソン自身、官僚の暴走を防ぐというような崇高な考えのもと首輪をかけにきたのではなく、もっとわかりやすい理由に基づくものだというのは、冒頭、前長官の秘密資料を「よこせ」と言ってくる時点でまるわかりである。

     

     本作の8割以上は、「大統領だろうが誰だろうが犯罪は犯罪として捜査し立件する」という捜査機関の独立性をめぐるフェルトの奮闘が描かれている。じゃあ残りの2割弱は何かといえば、これは後で触れる。


     


    観劇の感想:TERROR

    0

       久しぶりの観劇。テレビに出ている有名どころがでっかいホールでそれなりの代金取ってやる舞台に限れば、10年ぶりくらいになろうか。「劇団代表者のブログ」という設定にあるまじき間の空き具合。紙媒体の情報誌がなくなって、演劇に限らず、興業の予定を恒常的にチェックすることがなくなったのが大きい。そもそもチェックしようという姿勢が消えているのもある。情報誌が消えてチェックする習慣も消えたからか、それとも加齢のせいか。いずれにせよ、あまりよいことではない。

       

       まあ、大劇場な演劇にはそれほど食指が動かないことも事実。別に小劇場にストイックにこだわっているわけではまったくなく、単に興味が湧く作品とうまいこと出くわしていないだけのことだ。ついでに10年くらい前に見に行ったときは、出演陣も舞台セットも豪華でいかにも金がかかっていたが、安いサイコホラーのような内容で、著しく疑問を覚えながら帰ったものだった。映画ならつまんなくても「お仕事だから」で片が付くが、出演・制作陣にとっても見に来る客にとっても一回性の、高コストな舞台で、どんなモチベーションでこんな帳尻合わせのようなどうってことない作品を作るのだろうかと思ったものだった。当時は一所懸命舞台をやっていたので、俺自身「なんでこれ作ってるんやろ」としばしば生産性のない疑問に取りつかれていたので余計に。

       

       思い出話を書いてしまった。とにかくネットでたまたま見かけてついチケットを予約してしまった。予約したときは暇があったが、いざ当日になると割とそんな場合でもなくなっているあるあるも久しぶり。


       原作がシーラッハというからそれなりおもしろいのだろうと期待しつつ、シーラッハがそれほど好きでもないので、予約して「しまった」になる。「犯罪」しか読んでいないが、古典作家の短編集のような上手さは感じつつ、あまり後味もよくないしでそんなに好きになれなかった。有能な弁護士らしいから、できるやつは何でもできるんだな、ついでにフェルディナント・フォン・シーラッハの「フォン」て貴族の出ってことちゃいますのん、というような醜い嫉妬も手伝いつつ。

       

       今井朋彦、堀部圭亮といった渋い役者が出ているという方が動機付けとしては大きい。実際、二人とも声がよく通って魅力的だった。役どころがテレビでよく振られるのとは違う点も舞台の魅力だよね。マーケティング的には橋爪功が看板だが、物語の中では脇役だった(そもそも主役は誰だ、という類の作品ではあったが)。加えて、この手の大きな劇場でやる公演の割にチラシのデザインがよかったのも後押しした。色々と大人の事情もあるのか、それとも見に来る層に合わせた結果なのか、とにかく大きい劇場でやる作品のチラシは、なんで?といいたくなるほどダサいのが多い。チラシデザインだけは、小劇場の方が圧倒的にセンスのいいものが多い(同じくらい仰天するのも多いが)。

       

       法廷モノである。というよりは模擬裁判に近い。法廷のセットを組んでいるわけではなく、舞台上には椅子と小机くらいしかないが、被告人や証人への質問があり、検察官と弁護人の双方の意見陳述があって、という裁判の進行に乗っ取った構成だ。再現を演じたりはしない。いってしまえば朗読劇のようでもある。かつて自身の劇団作品を評して「立ったり座ったりしながらしゃべってるだけ」と書いたことがあるが、拙作以上に「立ったり座ったりして喋っているだけ」だった。役者が全員手練れなので惹きつけられるが。
       一番のウリは、観客は「参審員」という設定で、観客の投票で有罪/無罪が決まる参加型という点。ドイツが舞台で、ドイツは参審制なのでうまくマッチしている。俺はあまりこのような「参加型」には魅力を感じない、と思っていたが、結果的には色々と考えさせられることとなった。
       このような趣向である以上、作品内容は有罪/無罪が分かれそうな話だというのは予想がつく。
       


      裏から目線

      0

         「東京で積雪〇僉廚離縫紂璽垢覗ぎになっているときに、雪国の人間が偉そうな態度を取るのを「上から目線」をもじって「北から目線」というらしい。本稿もどうせそういう内容になろうから、タイトルの時点で先取りしようとしたが、我が故郷は緯度でいうとさして「北」でもない。正確性を期して「裏」を選んだ。揶揄でも自虐でもなく、アイデンティティの誇示である。雪を偉そうに語るのも同じメンタリティだろう。辺境の民の悲しみの発露である。それが都市部の人間に煩わしく思われるのも、すれ違いは世の理というもんなのであろうよ。残念ながら。


         「56豪雪」というローカルな歴史用語が全国ニュースで流れるものだから、受け止めるこちらの心象も大騒ぎになる。アメリカには「76ers(セブンティシクサーズ)」というバスケチームがあるが、我らはさしづめ56ersだ。小学生だったので「二階から出入りできるスゲー」くらいのお祭り感覚しかなかったが、大人になれば受け止め方は当然異なる。こりゃエラいこっちゃと早速帰省の算段を立てたが、電車が全く動いていないのでどうしようもない。


         一気に降ったせいで、ちょっと車が止まっている間に埋もれてしまうから立ち往生になる。その代わり、一気に積もったせいで密度は大したことはないから、屋根雪を今すぐ降ろさないとマズイ、というような緊急性はないらしい。実家に電話すると、父親は割と呑気な調子でそんな説明をした。だが、たまたま見つけた全然知らない地元の人のTwitterを見ていると、結構深刻な実況中継である。


         悶々としながら某大学に仕事に行き、学食で昼食をとろうとしたら休業。仕方ないので学内の売店に行ったら、すでに商品棚はガラーンとしていてまるでニュースで見た福井のコンビニ状態だった。残っているのは菓子パンだけ。しょうがないのでアンパンと牛乳の張り込み刑事になった。正確にはアップルパイとコーヒーだが、そんなことはどうでもよい。


         ようやく運行再開と仕事の都合が噛み合い、日曜に帰省した。ホームセンターで買った黒長靴を履いて意気揚々と出立。最近は雨の日に洒落たデザインの長靴を履いている女性をよく見かけるが、晴れた日にデザイン性ゼロの長靴を履いて歩いているのはラーメン屋の店員くらいよね。あっちは白長靴だし。酔狂な格好にしか見えないが、それだけにこの安っぽいブラックの光沢が俄然格好よく見えてくる。


         特急で国境の長いトンネルを抜けるまでは、まあ普通の大雪程度。そこから先はというと、窓から見える屋根雪の量は、やはり密度がスカスカだったせいだろう、「大雪」レベルにまで高さが下がっている。さて街中の状況はどうだろう。
         到着。バスは止まっていると聞いたので、タクシーに乗るつもりでいたが、1台が出て行ったあとは、乗り場はガラーンとしたものだった。バス停には「暫定ダイヤで運行再開」と書いているが、いつ来るかよくわからない。「詳しくはホームページで」と書いてあるのでタブレットで閲覧してみたが、張り紙と同じことしか書いていなくて全然詳しくない。はてどうしたものか。と案じているうちバスが来た。


         タイヤチェーンを装備しているが、幹線道路は除雪と融雪装置のおかげでアスファルトがむき出している。お陰で走行音が賑やかで、座席もずーっとバイブレーションしている。俺が乗ったバスは、路線が環状になっていて、通常なら右回りと左回りの双方向だが、本日は右回りのみ。虚構新聞に以前こういう記事が出ていたが、まさにこんな具合だ。途中、対向車線のバス停で待つ乗客を見つけると、バスが停まってわざわざ同乗している乗員が「今日はこっち回りしかありませんよ」と呼びに行く。このバス会社って、こんな親切だったっけ?と困惑しつつ、それだけ困ったときはお互い様の困った状況ということでもある。

         

         この日の運行はしかし右回り左回りだけでなく、雪の激しい場所はショートカットするというおまけつきだった。その省略された部分に本来俺の降りるべき停留所もある。一番近いところを乗員に確認してそこで降りた。距離でいえば、徒歩10分強といったところか。駅から家まで徒歩10分というのは、都市部では標準もしくは近いくらい。バスが通らないのは、通常なら大した問題ではない。だけどバスが通らないのもむべなるかな。路面はなかなかの悪条件だ。

         写真ではちっとも伝わらないが、路面はかなりデコボコで、段差に足をとられてすぐ転びそうになる。車もボヨンボヨン車体が上下しながらしょっちゅう滑って左右にドリフトもしている。そんな中、電話しながら運転している強者もいる。こええよ。心なしか長靴の中も湿ってきた。雪は遠目で見た印象よりも遥かに厄介なものなのだ。

         

         足腰にそこそこの疲労を感じつつ家に着いた。いつの間にか照り返しに目がやられていたようで、家に入ると何も見えない。カバンに入るだけ入れてきた食料類を父親に渡して、そのくせ冷蔵庫の中身で昼飯をいただいた。
         食べ終わり、早速雪かきに出た。すでにご近所さんたちが作業をしている。その中に混じって、家の前の生活道路の除雪だ。車が通れる幅を確保しないと、自家用車が使えない。「若い人が来て助かるわあ」と近所のおばちゃんたちが歓迎してくれるが、体力があったとしても手際が悪い。農作業なんかと同じで、不慣れな若人より手練れの爺さん婆さんの方が遥かに作業が速いもんだ。その上俺も別に若くないし。

         割と氷状になってしまっているせいで、硬いし重たいし、息が上がるし腰がつる。何度も手を止めた。周囲を見ると、近所の人たち総出で雪と格闘している様子に雲間から日差しが注いで素晴らしい絵面になっている。親父にいたっては、「笠地蔵」の笠みたいなのかぶっているしで完璧じゃないか。撮影したいが、写真を撮れる道具は全部家に置きっぱなしだ。撮ってる場合じゃない雰囲気だし。残念。さあさあ働け働け。

         

         で、どうにか車幅分は確保した。近所のおじさんが「試してみましょう」と自分の乗用車を動かしたが、幹線道路に出るところでカチンコチンになっている轍を乗り越えられずで、せっかくの作業もあんまり解決になっていないようだった。踏切じゃないところで線路を車で横切るような感じね。通常なら除雪車が入るからこうはならないが、一気に降ったせいで本来の雪対策システムが追いついていない。だもんで、見かけの量に比べて厄介が多い。

         もうちょっと何か役立てないものかと思ったが、父親以下、総じて「いらんいらんもう十分」と退却が早く、「今日も出かけるのは諦めるわ」「酒飲んで寝てよさ」と口々にいいながらめいめい自宅に引き返していった。一応それで済ませられる程度、ともいえようし、自然との共存は諦めが肝要ともいえようか。年寄りは冷蔵庫を満タンにする傾向があるが、それもこういう経験の積み重ねからくる生活の知恵だろう。

         

         まあ徒歩圏内にスーパーはあることはある。父親が偵察してきてくれというので見に行くと、くだんの大学の売店よりはモノに溢れていた。逆に今度はパンがひとつもない。あんぱんもアップルパイもない。野菜はあるけどパンがないというのは、これはどういう流通の都合なのだろう。

         

        大体同じ場所から昨年の正月に撮った写真。

         

         疲れ切ったしすることもないしで、5時前から夕餉となった。熱燗で暖を取りながら煮物なんかを突っつく。テレビはずーっと「L字」状態で、雪関連の通知が流れている。五輪を見ながら、まあまあ酔いが回ったころ、明日の特急が全部運行取りやめになるとL字に流れているのに気付いた。ありゃりゃ、明日帰れないとあさっての仕事に差し障る。

         今日の特急はまだ動いている。なのでバタバタと帰り支度を始めた。実のところ帰省前に父親から「明日からまた大雪になるから電車が止まるといかんしやめとけ」と釘を刺されていたのだが、延期するのが気持ち悪かったのでエイヤで帰ってきたのだった。そしたらこのざま。会社員だったら「すんません戻れませんわ」と頬かむりを決め込むが、個人事業主につきそうもいかん。

         

         「だから言ったやろ」とぶつぶつこぼしながら父親がタクシーを呼ぼうとしたが、ちっともつながらない。「叔父さんに頼む?」と冗談めかして言うと、「それもそうか」と電話をかけた。何でも叔父さんからは「困ったことがあったら遠慮なく電話くれ」と二度ほど念押しがあったという。叔父さんにすれば、思っていたのとは随分違う「困ったこと」だ。わざわざ困りごとを作りに来てどうする。


         道路状態が悪いので、来れるところまで来てもらうということで快諾いただき落着。「(叔父さんには)悪いけど、飲み直すか」と父親がワッハッハと言って、酒を飲んでいたら、通常の倍くらいの時間で呼び鈴が鳴った。家の前までこれたことに驚きながら、慌ただしく実家を辞した。


         さて乗せてもらったはよいが、既に述べたような道路事情なので、内戦状態のどこかの国の道路みたいに揺れること揺れること。その上立ち往生している車がいて、ニュース映像が脳裏をよぎってぞっとする。慣れたもんで、叔父さんは後ろの車に頼んで後退してもらい、Uターンして別の経路を取る。
         すると今度は、昼間の近所の人の車みたいに、路地から幹線に出ようとして轍が越えられずスタックしている車がいる。叔父さんが車を止めて、「一応四駆なのに」とバツの悪そうなドライバーのおばちゃんに、ああせえこうせえと指示を出した上で、俺と二人でエイヤと押し出した。なんだかロードムービーみたいにイベントが重なる。こうしてようやく除雪車が入ってまともに走行できる道に出た。要は昼間にバスが走っていたところ。通常徒歩10分ちょっとの距離が、エラい手間だ。

         

         「立ち往生している軽の四駆は、鈴木と大発が相場やな」と、真偽のほどはよくわからない説を開陳する叔父さんが操るこの車はパジェロミニで、軽の中では雪道で一番信頼できる仕様なのだと車屋が太鼓判を押すので買ったんだとか。確かにいつでもタイヤが空転しそうなさっきの悪路を堅実に走行していた。おかげで助かったわけだが、これが雪国の営みかと思うと、そりゃあ北から目線にもなるわいね。
         どうにか駅について、満員の特急に乗った。雪の降りは激しくなっているが、遅延は数分程度。雪国仕様の特急は、走るとなれば優秀なんだよね。途中の駅で床下の着雪チェックをするというので何度か停まったけど、新幹線に比べて作業時間が短い。

         

         今日の俺の成果は結局、家の前の道路のうちの数メートルを少し幅広くしただけ。いてもいなくても変わらん貢献度の上、親戚まで巻き込んで慌ただしく帰ったから収支はマイナスだ。だからといって特に気にしない、というのが本日学んだことか。


        サンクな男

        0

           朝、出勤中の電車内でふと旧友に似た男を見かけた。なんせ15年ぶりくらいだ。当人かどうか判断がつかない。
           人の顔を判別するのは得意な方で、例えば梅田の人込みで知り合いに気づいた、なんてことは結構ある。その人全体の雰囲気が群衆の中から浮き上がって見える、といえばいいのか。だけどこういうケースもある。


           知人男性B氏は、頻繁に会っていた当時で30手前くらいだったと思うが、若いのにすっかり禿げあがって、その代わりといっては何だが、立派なヒゲを蓄えていて、要するにインパクト大な外見だった。去年だったか一昨年だったか、十数年ぶりに某駅でそれらしき外貌の男性を見かけて、あれはまさかB氏ではと思ったのだけど、当時あれほどインパクトのあった外見も、40も過ぎると割とフツーになってしまうようで、ついでになぜこんな駅にいるのかの合理的説明も思い浮かばず、まったく確証が持てなかった。後で共通の知人に聞いたら、その辺の出身だからいても不思議ではないとのこと。何年も前の風聞で海外にいるようなことも聞いていたしで、勝手に東京か海外にいるものと思っていたのだった。

           

           これは知識が邪魔をしたケースだと思うが、さて目の前の旧友である。
           確証が持てないという以上に、なかなか気づかなかった。ぼけーっと椅子に座っていて、向かいに座る乗客はさっきから視界に入っているのに何も思わず、ずいぶんとしてから、あれ?となった次第だ。最後に会ったときの記憶と、今の目の前にいる人間との間に差異があるからか。

           以前よりちょっと贅肉がついている印象がある。そのせいかどうか、他人の空似という感触の方が強い。ずっと会っていないから、覚えているようで、その人が持っている雰囲気のような部分を色々と忘れてしまっているから確証が持てないのだろうか、などと推測する間、彼はずっと寝ている。もしかすると先に俺に気づいて、寝たふりをして面倒を避けているのかもしれない。別に金の貸し借りがあるわけではないが。

           

           すると彼の頬に見覚えのある線があるのに気付いた。傷跡なのか何なのか知らないが、彼は頬に線が入っていて目の前の男にもそれがくっきりと見える。記憶と重なったというよりは、見た瞬間思い出したような感じ。顔をまじまじ見ても、あいつこんな顔だったっけ?と記憶がグラグラしていたのが、何気ない身体的特徴でピンとくるというのもおかしな話だ。遺体の身元確認じゃあるまいし。などと考えていたら、寝ている彼が喉を「ん゛」と鳴らす。昔から呼吸器系がよくないのか、これもまた覚えのある彼の癖で、2つ揃えば完全に確定である。


           それで声をかけそびれているうちに彼は途中で下車した。同じ電車を利用しているのなら、もしや何度目かの邂逅で本日ようやく気付いたのかも。我ながら薄情だ。しかし頬の線に「ん゛」で確証を得るってのもおかしな話だ。その人をその人たらしめる要素って、もっと大事なことであってほしいものだ。俺の場合何だろう。喉仏に生えてる毛かな。


          【やっつけ映画評】スリー・ビルボード

          0

             娘をレイプのうえ殺された母親が、道路脇の立て看板3枚に「捜査はどうなってる」と警察を挑発するような意見広告を載せるところから始まる物語だ。住民全員が顔見知りのようなアメリカのド田舎で、クセの強い登場人物たちが入れ替わり立ち替わりして展開していく。印象的な導入だが犯人捜しのミステリではない。意外な展開が目立つが、トリック仕立てがメインディッシュの物語というわけでもない。ネジのはずれたようなキャラが目立つが、ドタバタのサイコホラーでもない。むしろ文学的な作品だった。終わったときは正直「?」となったが、後からじわじわ感じ入るところが出てきた。とはいえやはりわからないことも多い。

             

             劇中、相手からバレバレのヒントを出されているのに「すんません全然わかりません」と大ボケをかますギャグのようなシーンがあるが、俺はこの人物を嗤えない。おそらく何かの意味があるのだろう、思わせぶりな舞台装置は色々あったように思うが、そのほとんどは意味がわからず、気づけてもいない部分も少なくないだろう。その点で「裏切りのサーカス」を思い出した。

             

             あの映画は、「諜報部員の中に裏切り者がいる」という謀略モノの王道のような設定ながら、容疑者が最初から限られているので誰が「モグラ」であってもあまり驚きがなく、ミステリ要素にそれほど魅力があるわけではない。どちらかといえば、ハードボイルド的といえばいいのか、諜報員たちの生きざま死にざまが見せる重量感を楽しむ作品だと思うが、ただし、伏線は見事に貼っている、らしい。二回見たけど、よくわかんなかった。

             

             とはいえ本作の舞台は、英国諜報員のエリートたちの高そうなスーツや高そうな学歴や高度な政治的駆け引きとは全く無縁だ。何も楽しくなさそうな田舎町で、登場人物も総じてロクでもない。田舎の閉じた殺伐とした雰囲気が「ウインターズ・ボーン」と似ている。あの窒息しそうな雰囲気に比べれば、本作はまだカラっとしているが、かの物凄い迫力の刀自とカブる登場人物が本作には2人も出てくる(個人的にはネジのはずれたような十九の女子が最も不気味に感じたが)。

             

             看板を立てたことが物議を醸し、時間が止まったような田舎町に波風が立つ。それどころか物凄いスピードで各登場人物を取り巻く状況も変化していく。この予測のつかない展開が現しているのは、人は変わるということだと思う。変わったわけではなく、元からあった内面が表に出ただけかもしれないが(広告屋のにいちゃんは明らかにそう)、主人公格の娘を殺された母親と、差別的な警官はかなり大きな変化――それもよい方に――を見せている。一定の年齢に達した人間はそうそう変化するものではない上、まるで時間が止まったような田舎町でのことだから、余計にこの変化は感動的で、本作の一番の見どころはこの辺りだと思うのだが、変化をもたらしたものは、はて何だろう。

             

             直接的には途中で届く3通の手紙だ。そしてこの手紙をもたらした原因をさかのぼると3枚の立て看板にたどり着く。つまり看板が差出人に変化をもたらして手紙を生み、この手紙が登場人物たちを変えていくわけだ。共通点は何かといえば、直接相手に語り掛けている点だ。

             

             手紙はそもそも誰か個人が別の誰か個人に語り掛けるものだ。一方で看板は不特定多数に訴える装置だが、この物語の場合は個人名をあげて訴えている。お陰で中傷だと思われてトラブルになるのだが、少なくとも名指しされた当人にとっては手紙のようなものだろう。これに対して本作に登場するテレビ報道は実に扱いが軽い。報道はマスメディアの名の通り、不特定多数に発信するものでありかつ、しばしば「差出人」の主体が曖昧な伝達装置でもある(「今後の行方が注目されます」のような受身形の定型句がその代表的な現れ)。なので手紙のような好ましい変化はもたらさず、騒動に油を注ぐ程度である。

             

             ということを踏まえながらさてラストである。
             

            続きを読む >>


            calendar

            S M T W T F S
            1234567
            891011121314
            15161718192021
            22232425262728
            2930     
            << April 2018 >>

            selected entries

            categories

            archives

            recent comment

            • お国自慢
              森下
            • お国自慢
              N.Matsuura
            • 「続く」の続き
              KJ
            • 【映画評】キューブ、キューブ2
              森下
            • 【映画評】キューブ、キューブ2
              名無し
            • W杯与太話4.精神力ということについて
              森下
            • W杯与太話4.精神力ということについて
            • 俺ら河内スタジオ入り
              森下
            • 俺ら河内スタジオ入り
              田中新垣悟
            • 本の宣伝

            recent trackback

            recommend

            links

            profile

            search this site.

            others

            mobile

            qrcode

            powered

            無料ブログ作成サービス JUGEM