馴染めない男と馴染んでくる男

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    雪のない富士山を見るのは初めてかも。乗り合わせたコーカソイド系外国人観光客が、周囲の日本人乗客がなぜ揃いもそろって窓の外を撮影しているのか「??」といった反応を見せる締まりのなさ。

     

     親戚の用事で東京に。
     今月も仕事で新幹線に乗ること自体は多いけど、すべて西行き。東京方面のホームに上るのは何年ぶりか。皮算用ではもっと多いはずなんだけどおかしいなあ。

     

     この日もそうだけど、新大阪駅の新幹線乗り場では、乗る前に喫煙コーナーに行くことが多い。そこには液晶モニターがあって、行き場を失くした煙草のCMが流れている。以前は、アイデアが降ってくるなんて嘘だというモチーフだったことは前に書いた。妥当な部分はあるにせよ、アイデアはやはり降りてくるもんだというような話である。

     

     最近見るのは、あのCMは随分マシだったんだなと思わされるような酷い内容である。

     加熱式煙草のCMで、3種類あるからシーンに応じて使い分けられますよといったようなことを訴えている。だもんで、若い男がどこでもドアのようなものであっちこっちに移動して、その場に合わせたタイプの加熱式を味わうという構成なのだけど、その「場」というのが、鼻持ちならない雰囲気のパーティーだったり鼻持ちならない雰囲気のBBQだったり、高そうなバーにジャズクラブ、都市のど真ん中でのスケボー遊び、と続く。

     

     で、こいつはどうやって生活してんの?

     

     そんなことを考えたのは、長髪を後ろで括ってカジュアルな格好であちこちウロウロしている30前半くらいの主人公の風体振舞いがまずある。そして、不労所得で暮らしている資産家なのかこいつは、という映像を映すそのモニターの下にいるのが総じてくたびれた様子のワイシャツ不機嫌男ども(一部女性)。誰が共感するんだこれ、というギャップの物凄さによるところ大である。


     しかし、資産家の割には鼻持ちならないパーティ&バーベキューに馴染めていない雰囲気が気にかかる。金とコネで貴族の仲間入りを果たしたけど宮廷サロンに居場所がなくて始終半笑いの大商人、とでもいうような様子である。
     このCMは最後、海辺の断崖で独り焚火をして黄昏ているところで終わるのだけど、そのどこかわからん断崖の遠くの方で、どこでもドアをくぐって別のもう一人が去っていく。スーツに帽子にアタッシェケースのいでたちで、それを見送る主人公は何かほっとしたようなやるせないような微妙な表情をしている。

     どうもはっきりしないラストなのだが、あのアタッシェケース後ろ姿は借金取りなのではないかと気が付き腑に落ちた。何のことはない、単に借金で遊びまくっているだけだった。まあ、金ないやつほど煙草やめてないという点では真実だな、と無理にひねり出すしか作ったやつの気が知れん。市場そのものが縮小している分野だから、必然CMもダサくなるのか。

     

     後日、そんな話を、仕事でたまに会う営業の人(喫煙者)に語ったら、「あのCMを、そんな視点で見るわけですねえ」と、まるで五島勉でも見るかのような顔つきをされてしまった。要するに、良くも悪くも何にも響いていないCMだということで、余計ダメやんけ。

     

     さて、煙草を吸わない人の中にはいまだに新幹線や特急列車に喫煙車があると思い込んでいる人がたまにいるが、とうの昔にそんなものはない。新幹線の場合、広くても3人、しばしば2人分しかスペースのないガラス張りの個室で吸うことになる。必然混むので面倒くさいからあんまり行かない。が、この日は小田原を過ぎた辺りでなんとなく向かったのだけど、2人分スペースの片方に座り込んでスマホをいじっているヤンキー風の男がいる。

     加熱式なので灰が落ちることもないから、たまにアリバイのように口をつけるだけ。このため実質一人分のスペースのところを数人が待つ状態になっていた。1人また1人と入れ替わる間、そいつはずーっとどこ吹く風で座り込んでスマホに夢中。さすがに腹も立ってくるので、「蹴とばすぞコラ」くらいの念力を送りながらガラス越しにその男を凝視していた。

     

     それでようやく男が立ち上がり、最後の待ち人1人になっていた俺と出口で鉢合わせた瞬間、その男が破顔一笑「カッコいいTシャツっすねえ〜」と、柔軟剤でふわっふわのタオルのような物腰で語り掛けてきて、虚を突かれた俺はただ「うん」と応じるだけだった。
     なるほどこの男はずっとそうやって生きているのか。全く賛同できないが、それはそれでひとつの処世術だわな。何か勉強になった。こいつをCMに出した方がいいんじゃないかとすら思わされた。


    四十肩にフォークギター

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       プライベートな事情で塞ぎ込んでいた我らがバンドのドラマーが、冬眠明けの挨拶をくれたのが春先のこと。またスタジオ入りましょうやと約束して春が過ぎ、暦上夏が過ぎ、はや9月長月。「さてぼちぼち」などと連絡を取ったのは、無精を差し引けば暑さが過ぎるとされる彼岸が近づいたからである。

       

       夏はフェスだ的価値観に沿えば、夏こそ演奏すべしとなりそうだが、ロックンローラーが過度に無茶をするのはステージ上とツアー先のホテルとフィジーのヤシの木の上だけと相場が決まっておる。スタジオ入りは常識的に粛々と、だ。


       「仕事が終わったら連絡します」
       とドラマーからレスがあり、そして間もなく「我慢できなくて」と連絡が来た。戸惑うくらいの前のめり。はて。
       数日前にさかのぼる。ドラマーがようやくのこと話題になった「ボヘミアン・ラプソディ」を見たのだった。才能豊かな4人の誰かが曲のアイデアを思いつき、残り3人が、「?」の後、ああと納得し、だったらこうじゃね?とアイデアを上乗せしたりでやがて曲が完成していく。その過程自体は才能も技術もない我らとて大まかには同じなんだな。あーそうだ、これがバンドだ、バンドはこれだ、とドラマーが強く噛み締めたところで、俺かの「ぼちぼちスタジオどうでっか」の連絡きたる!というわけで前のめり。まあ、金儲け以外で誰かと手間のかかる何かをするためには、天の配剤的シンクロニシティはたまに要るもんだ。


       こうして、呼ばれたら無言無表情で現れるピアノマンとの3人で1000日ぶりのスタジオインとなった。ジャスト1000かどうか数えてないが2年と8か月くらいだからそういうことにしておこう。
       ピアノ、ドラム、ベースのジャズ編成だと自前の曲を練習してもあんまりおもしろくない、というのはすでに経験済み。このためコピーをすることにした。すっかりアコギづいている俺のエゴで、練習した曲のバックに他の楽器があったら余計に楽しいという贅沢な遊びである。

       

       ちょうど「ロケットマン」を見たせいで、エルトン・ジョン「I Want Love」を演奏したくもなったが、ああいうメロディの綺麗な曲は、ボーカルがちゃんと歌わないと演奏していてもあまり面白くないもので、楽器メインで楽しむ場合はもう少し明確にメリハリのついている曲の方がよろしい。そういうわけでデヴィッド・ボウイ「ジギースターダスト」をまず選択。和音だけでそれっぽくなるリフレインと、アクセントの効いたドラムがうまく合わさると心地いいはず。でもドラムが「思ったより難しい」との由。いやあエゴに付き合わせてすんませんな。歌詞の中にも、エゴとともにメインキンラブなどと書いてある。


       その他ピアノメインの曲など2曲。大いに楽しんで酒も飲んで機嫌よく駅で電車を待っていると、ギターケースをかついだ同世代くらいの男性となんとなく居合わせることに。酔いも手伝って「練習すか」と聞いたら「ああ、ライブの帰りです」と。
       「出来はどうでした」
       「イマイチかなあと思ったけど、お客さんの反応はよかったですね。よくあるパターンのやつ」
       わかるよね、くらいの目つきで笑いかけてくるので、わかるよっていう顔をしてあははと笑い返した。この場合の「わかる」はバンド演奏ではなく、芝居での話だけど、まあ一応「わかる」から嘘ではない。聞けば全国津々浦々でライブしている口ぶりなので、おそらく結構な手練れ。それを納得させる風貌も相まって、こちらが本日「ジギースターダスト」をコピーして遊んでいただけなのは内緒である。

       

      ※本稿のタイトルは、暴威時代の布袋寅泰が完成前の曲につけていた仮タイトルのひとつからの借用。アヤフヤな記憶のみに基づいているので合っているかどうか不明。


      映画の感想:ロケットマン

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         哀切の唄を見事に歌い上げる同性愛の歌手の苦しみ・その2。「ボヘミアン・ラプソディ」と同じ監督(後から担当した方)による二匹目のどじょう、と書くと悪しざまだが、それなりには面白かった。「ボヘミアン〜」と異なり、主役の俳優が唄っているらしく、これが上手い。監督がミュージカルにしたくなる気分もわかる。


         共通点は、同性愛者の孤独に付け入って当人を食い物にする悪役と、結ばれたくても結ばれない心の友が出てくるところ。ただし、家族には愛されていたと思しきフレディに対し、本作の主人公エルトン・ジョンは父母からも疎んじられているから本当に孤独で見ていてツラい。ついでに「ボヘミアン〜」におけるフレディのダメな恋愛相手は、精神的な理由で彼を独占しようとしていたのに対し、本作の場合は完全に金目的でまとわりついてくる。こいつは単にビジネスでゲイをやっている似非ゲイなんじゃないかと怒りすら湧いてきたのだった。


         そして、親に見放される辛さや同性愛の苦悩は自分自身には縁がない分、共感してもそれがどこまでのものかは怪しいものだが、それに対して本作における薄毛の進行のリアルさは映画史に残る完成度であり、個人的にはこちらが遥かに真に迫った。救いはエルトン自身が薄毛を嘆く台詞がないことで、鏡をじーっと見て髪を立てるのか寝かせるのか迷う短い場面が1度あるきり(わかるわかる)。エルトン自身の悩みまで克明に描かれたら最後まで見られなかったかもしれない。それを思うと、ツライ現実をリアルなドラマにする罪深さを思う。

         

         そしてまた地味にリアルだったのが、若いころはいかにもロックスターになりそうなロン毛イケメンの盟友バーニーが、加齢による外見(髪)の変化があんまりないくせに年を経るごとに服装がジジむさくなって全体にダサくなっていくところ。最後は十三駅前で見かけたら「こいつ絶対七芸に行くやろやっぱりな」風の長髪オヤジになっていた。これら2人の加齢を見ながら、今の俺に必要なのは、派手なシャツや上着ではないかと思い始めていたのだった。


         曲の力で傑作になっているけど、物語は伝記ダイジェストみたいでさして出来はよくなかった「ボヘミアン〜」に対し、本作はドラマ主体になっている。曲が生まれる過程を描いているのは「僕の歌は君の歌」くらい。本作における音楽は、要所要所で現れるミュージカルのシーンに活用する格好になっている、のかと思いきや、「ライブ―酒―ライブ」の駄目な日々、というシークエンスでさらっと使われるだけだったりで、割と雑な扱いな印象も受けた。


         彼の曲の場合、歌詞が叙景詩というのか、事実をそのまんま連ねているだけというのが多いらしい。あまりまとめてちゃんと聞いたことがないので知らないのだけど、作中に出てくる訳詞を見てもまあそんな感じではある。なのでこちらの作品こそ、歌詞にしっかり従ってドラマを組み立てていった方がよかったんじゃないかしら、と思った。


         音楽ものの映画は、クライマックスに演奏シーンを持ってくると相場が決まっているのだが、本作はそこを少々裏切ってくる。新しい手法に挑む点、好感は持てるが、やはり演奏シーンで盛り上がって終わらないとどうにも不発感は生じるなあ。その点では新機軸の難しいジャンルなのかも。


        「ROCKETMAN」2019年イギリス=アメリカ
        監督:デクスター・フレッチャー
        出演:タロン・エガ−トン、ジェイミー・ベル、ブライス・ダラス・ハワード


        映画の感想:日本のいちばん長い日(2015版)

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           季節柄、テレビでやっていた。映像は綺麗だ。全国各地の古い建築物でロケ撮影して映像上集約すると、戦前の東京の中枢部が出来上がるという面白い実験のように思えた。お見事。ちょうど金沢で「空爆されなかった町」の実感をぼーっと感じたばかりだったのでイメージしやすかった。役者もなかなか素晴らしい。東条英機は似過ぎて笑ってしまった。昭和天皇を演じた本木雅弘は、演技と物真似の境界を行く様子がさすが。そして安定の怪優ぶりの山崎努。

           

           で、全体としては何でこんなに面白くないのだろうと考えながら見ていた。ずーっとクーラーが効いているような雰囲気だなあと思ったが、自分がクーラーを効かせた部屋で見ているからあまり強くはいえない。

           旧作との熱量の違いについて比較するのは不公平だとは思う。旧作監督の岡本喜八は二十歳前後のころ戦争の絶望的末期を経験している。戦後生まれでは太刀打ちできない怒りか怨念が制作の背景にあったのは間違いない。主人公格の三船敏郎も相当えぐい経験をしている。三船と同じ役を演じた役所広司が嘉納治五郎にしか見えないのは「いだてん」に基づく言いがかりだけど、あのわけのわからん迫力と比べるのはさすがに酷だろう。同じ尺度からは物足りなく見えるのは必然だ。
           裏を返せば、同時代の人間しか生み出せないものを、形として遺しているのは後世の人間にとってとても有難いことだといえる。ともかく旧作と本作を熱量で比較してもあまり意味はなさそうだ。しかし、そこを差し引いても面白くない。面白くないというより何かひっかかる。

           

           あえて同名の作品に臨む以上、後世の人間が作る意味は、違う切り口を模索することにあるだろう。監督も公開時のインタビューでそんな意気込みを述べていた。その別の切り口が「家族」かあ〜という「226」パターンに、まず肩を落としてしまう。どうしてそちらに行くのだろうと呆れるのは簡単だが、その理由について考察することこそ、どうも重要なのではないかという気がしてきた。

           

           同時代人しか作れないものがある一方で、後世の人間だからこそ描けるものもある。
           本作における代表例が昭和天皇の登場だろう。旧作では影のようにしか登場しないが、本作では一登場人物として出てくる。新版を作るにあたっての制作側の意気込みが窺える部分だ。「工作」における金正日について書いたことと同じで、「歴史上の人物」として消化される時間が経過したからこそ可能になったと思う。

           同時代だと制作側が「菊のタブー」にビビる、というよりは、見ている側が引いてしまうのを恐れるから描きにくいのだと思う。存命中の人間を別人が演じるのは、それだけでちょっとシラけがちなものだが、加えてめちゃ地位のある存在だから、「ええんかな?」と観客が周囲をきょろきょろしてしまいそうだからだ。しかし死後20年以上もたてば、それはあまり考える必要がない。

           

           そして既に述べたように、本木雅弘の演技力に改めて感服させられる分、一定の成功は収めているとは思う。だがこの昭和天皇は、ただひたすらに思慮深く徳高く、勇気をもって「聖断」を下す格好いい人物として登場する。その素晴らしい君主を、衝突や軋轢はあるにせよ全体的には粛々と戴く閣僚たち、という構図になっている。これを見ていると、戦争は起こらなくね?と思えてくる。少なくとももっと早く終わっているんじゃないか。
           イタリア、ドイツと異なり日本の場合は戦争に導いた明確な個人が特定しにくく、なんとなく全体的にそっちに向かってしまった不気味さがある。そして自国に都合のいい甘っちょろい見積りと精神論への過剰な傾倒で、ズルズルと戦争を続けて破滅に向かってしまった(「日本軍兵士」によると、戦没者310万人のうちの実に9割が1944/1〜1945/8の最後の2年弱の間に集中していると推計)。その誰も止められなかった負け戦をいよいよ終わらせる段が本作の描く日々である。

           何せ明確な「始めた人」がいないから、終わらせるのも一筋縄ではいかない。そして政府首脳と天皇には、大なり小なり、積極的なり消極的なり戦争遂行に加担してきた事実があり、それを背負って白旗の揚げ役を担わないといけない。その感覚はどんなもんなんだろうか。それを改めて描くのは、現代でも意義深い面白いことだし、より歴史になり、ついでに新資料もあったりで、今改めて描けることもあるはずだ。作り手としてはわくわくする部分だろう。

           

           この「終わらせる」部分が、本作ではせいぜいが企業倒産程度のやり取りで描かれている。いや山一の社長を思い出せば、それ以下だ。旧作を見れば、ここに描かれているのが決して過去の特異点の話ではないことがわかりそうなものだと思うが、本作制作陣が現代の我々とのつながりを見出したのは「家族」であり「企業人的苦悩」であった。その方向でしか捉えられない貧しさは、そのまんま日本のフィクション屋界の貧しさを現わしているんじゃないか。

           

           そんなことを考えたのは、ちょうど最近、過去に傑作を生んだ映画やアニメの作り手たちが隣人の差別をまき散らして騒動になっているからだ(少し前にはマンガ家や小説家で話題になった御仁もいる)。これが意味するのは、現実に対して底の浅い認識しかないまま、そちらを見ないで人気作を生み出せていたということだ。そういうある意味牧歌的なありようと本作は、どこか重なって見える。

           アメリカ映画にしろ韓国映画にしろ、自国の過去を見事に描く作品がどんどん生み出されている中で、手練れの俳優集めて金かけてこれ、というのはだいぶシビアな現実だなあ(そりゃあ拙作も評価されなモゴモゴ)。

           

          2015年日本
          監督:原田眞人
          出演:役所広司、本木雅弘、松坂桃李


          【やっつけ映画評】ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス

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             「泉南石綿村」よりもさらに長い3時間半近い長尺ドキュメンタリー。図書館好きとしては気になる内容で、世評もそれなり高い。夏のクソ暑い日に、暗がりで長々と過ごすのもそれはそれでかなり贅沢だろうと思って足を運んだ。うーん、しかしこれ、こんなに長く要る内容かなあ。

             観察映画というのか、日々の営みの断片を並べているシンプルな構成で、明確な展開があるわけではないので興味の持続が難しい。隣のおっさんはソファーの射殺体(ヤクザ映画なんかに出てくる座ったキリスト像のような姿勢)のように寝入っていた。俺も二度ほど寝落ちした。逆説的に大変贅沢な時間の過ごし方となったな。


             アメリカの図書館のレベルの高さについては以前も書いた。読んだノンフィクションに登場するアメリカの図書館司書がどれもこれも優秀だった。友人の研究者が調査に行った際も同じような感想を述べていた。いかにも先進国だ。日本でも国会図書館の司書は優秀な人が多い。地域の図書館にもそういう人はいるだろうが、いるとかいないとかとは別の位相に行ってしまっている。本作を見ると、日米では根本的なあり方が違うと痛感させられた。

             

             「公共図書館」という名前なのは、市の予算だけでなく、民間の寄付からの2つのリソースで運営されているからで、市立図書館というわけではない。だが「民間の活力」というペラペラスカスカの理屈は登場しないし、税金を使っている以上反米はダメだというアホな話も出てこない。ただし、人気の高い本を購入するか専門書に予算を使うかとか、ホームレスの利用者に対する苦情にどう対処するかといった日本と同じような議論は登場する。


             日本との違いとして目につくのは、図書館機能の幅の広さだろう。子供向けの教室のような日本にもあるような取組だけでなく、就労支援にパソコン教室、学者や物書きの講演会、演奏会、朗読会、読書会など実に幅広い。エルビス・コステロやパティ・スミスのような有名人も登壇している。著名人を呼んで「にぎわいづくり」という安い発想ではなく(「にぎわい」=何か上手くっている風を味わえるマジックワード)、知的側面からの機会提供ないしはセーフティネットといったところから来ている。

             例えば会議の中では、自宅にインターネット環境がない市民をどうサポートするか、うまくやってるシアトルに比べてニューヨークは心もとないぞと熱弁している男が登場し、市民が取り残されないためにはどうするかということを繰り返し強調している。

             

             これらから見える日本との最大の違いは、登場する職員が総じて誇り高い点だ。なので今年の予算の使い道の話でも議論に熱を帯びる。日本の場合、司書は保育士や介護士などと同様、資格職なのに待遇が悪い。悪いどころか指定管理になっているところが多いので、従来型の司書が消えつつある。それを一手に請け負っている会社の名前が、協賛として作品冒頭にどーんと出てくるから悪い冗談のように見えた。

             こちらのインタビューを読むと言っている内容がいかにも薄っぺらい。そして薄っぺらいとはあまり感じない人の方が多いと思う。記事自体も好意的に取り上げていて、これが世の平均的な反応だろう。だが本作に出てくる職員と比べると彼我の差はかなりのものだとわかる。あちらさんの社会は、諸々問題含みとはいえ、少なくとも学術分野は先進国なんだなあと思う。こちらはすっかり後退期。そんなインタビュー記事でっせ、これは。

             

             というようなことがわかる点、いいドキュメンタリーだとは思うが、さすがに長いと感じた。会議のシーン何回入れんねんといったように、大体わかったと思っているのにまだやるかというくらい似たような場面が繰り返される。とにかく出てくるのは人、人、人。上映前、後ろの親子(?)が、知り合いの誰それが全然本読まんくせに本棚が好きという変わり者で、なので本作を観たいといっていたという笑い話をしていたのだけど、そんなに本棚は出てこない。

             アーカイブの潤沢さを窺えるシーンや、それがハイレベルで活用されていることをうかがわせる優秀な司書による運営のシーン、あるいは返却図書のシステマチックな整理の場面など、この図書館自体についてわかるシークエンスもあるにはあるが会議や催事に比べるとかなり少ない。ええい本を出せ、貴重資料を出せ、と後半は結構イライラしてしまった。

             

             しかし制作側にしてみると、そんなものはとっくにわかりきっていることなので撮ってもしゃあないということなのだろうか。だとすれば、彼我の差は周回遅れの勘定になる。まいったなあ。

             

            「EX LIBRIS - THE NEW YORK PUBLIC LIBRARY」2016年アメリカ
            監督:フレデリック・ワイズマン



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