【映画評】半落ち

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     結婚式で大学時代の友人たちと久々再会し、二次会の後仲間同士で夜の京都に繰り出した。ひと目で式帰りとわかるいでたちの三十男が7、8人群れてはしゃいでいる。傍らで見ればみっともないことこの上ないが、わかっちゃいるけど楽しくてしょうがない。
     こういうのを知り合いの女性に言わせると、「男の子の秘密基地」だそうで、なるほどと思った。

     男の子というのは大抵秘密基地を持っていて、仲間しか基地に入ることはできない。俺たちは有資格者だ、という連帯感が気分を昂揚させる。大人になった僕らは野ッ原を不法占拠することはなくなったが、やってることはオッサンになりかけた今も「秘密基地」と変わらない。

     物凄く大雑把に分析すると、男社会なんてものは結局秘密基地の主導権争いである。
     基地の主導権を奪われた、それならそんなたわいもない基地などさっさと捨てて外に出ればいいようなものだが、それはできない。勝ち組は勝ち組で自分が支配している世界が、ただの草木の寄せ集めであることに気付かない。
     ついでに言うとだから女性はいつまでたっても混ぜてもらえない。女は秘密基地の喜びを共有できないどころか、それが草木で出来ただけのチッポケなものだってことを知っている節があるからだ。

     横山秀夫の小説は、秘密基地に生きる男たち、それも主導権を奪われた負け組の物語であることが多い。
     警察や検察、新聞社といった秘密基地は、いつもしょうもない人間に支配されていて、主人公たちは逃げ出そうかとも思うのだが、もう少しこの基地で頑張ってみようとしょっぱく奮闘する。その様が恰好つけ過ぎだという批判は否定できないものの、どの作品でもなかなか活写されている。横山作品の醍醐味はそこにあると思う。

     「半落ち」も同じだ。
     一応出世頭の志木刑事も、キレ者の佐瀬検事も、皆しょうもない上司に秘密基地を牛耳られ、それでも誇りを保とう必死になる。
     ところが事件の犯人である梶警部は違う。妻を殺してなお生きることを選択した梶警部は、いわば基地を追われた男なのに、なぜか志木や佐瀬たちより泰然としている。彼の事件に関わる記者や弁護士らの男たちは、だからこそ梶という男に惹かれていくのである。

     さて小説を読んで、映画をクサす作業も何だかつまらないのではあるが、やっぱり言いたい。つまんねえ映画にしやがったなあ。
     いかに面白い作品を土台にしたところで、それを映画化する知恵が日本映画にはどうも欠けているようである。

     文句は色々あるが、最大の問題点は記者の中尾洋平を女に変更したことだ。その名も中尾洋子。
     鶴田真由の演技が見ていられないのはここではそんなに大きな問題ではない。性別を変更したこと自体が物語構成を大きく崩してしまった。端的に言えば秘密基地が壊れてしまったのだ。

     世の女性はそう怒らずに先を読まれたし。
     中尾洋平は記者なので当然梶を裁く側ではなく、むしろ梶の供述を捏造した捜査側の欺瞞を暴こうとする。その目的はある程度達成されるものの、いわば組織のくだらない論理に翻弄された末の結果であるから本人に達成感はない。結局は梶に惚れるしかない志木や佐瀬と同じ負け組なのだが、「中尾洋子」はそうではない。

     中尾洋子の役割は、いわば狂言回しだ。狂言回しだから同じ穴には住まない。あくまで真実を探る第三者として描かれる。
     なので、狂言回し・中尾洋子によって用意された舞台装置の中で登場人物はいずれもストーリーを繰る駒に成り下がり、そもそもの役割は希薄になってしまった。
     「秘密基地に拘泥する者と追われても尚潔い者」という物語の根本をなす構成がぶち壊しになってしまっているのだ。

     映画は多くの人が楽しめる総合娯楽らしい。先日読んだ新作映画の紹介文にそうあった。長い小説は読むのに骨が折れるが映画ならまだ楽に見られる。だから売れた小説は映画化によってさらなる市場拡大を狙う。
     商業上の要請で生まれる映画は往々にして無難でいようとする。なので男ばっかりの登場人物構成より女性がいた方が華があるだろうってんで、6人のうち1人を女にするし、梶が沈黙を守る理由という“ヒューマンドラマ”(この表現もどうにかならないでしょうか)に重点を置く。映像は癖のない明かりを均等にまわした分かりやすいカットに努める。
     要は何の冒険も挑戦もない。こうして出来上がった作品に何の意義があるのだろうか。

    「半落ち」2003年日本
    原作:横山秀夫 監督:佐々部清
    出演:寺尾聰、鶴田真由、國村隼、伊原剛志、柴田恭兵

    【補遺】
    「半落ち」はオチが唐突だと批判されることが多い。伏線は一応巡らしてあると思うのだが、それでも「唐突だ」とか「伏線が弱い」とか言われるのは、梶が守ろうとした「真実」の色合いが、物語のパズルの中に綺麗に当てはまらないからだろう。
     だけど個人的にはそこはあまり気にならなかった。主人公が順繰りに入れ替わる構成や、本稿で書いた秘密基地な部分が面白く感じたからだ。
     この映画の監督は、このオチの違和感をどうにかして埋めようとしたのだろう。なので梶と妻の愛情の部分をやたらと描いて物語を構成する要素のパワーバランスを調整しようとしたのだと思う。
     しかし原作の風変わりな構成や、男臭いテイストを、映画にどうあてはめていくかを考えた方が、よほど魅力的で新しい映画になったのではないだろうか。それだけに残念だ。

    【映画評】それでもボクはやってない

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       裁判官が木槌を持っていると思ってる人は多いんじゃなかろうか。外国映画なんかで見かける「静粛に!トントン!」というアレは、実は日本の裁判官は持っていない。いや本当は持っていてよっぽど腹に据えかねたときにはもしかして出てくるのかもしれないが、私は見たことがない。
       ことは木槌なら飲み屋の雑学レベルの話だが、裁判について大抵の人はほとんど何も知識がない。それで日常生活にさしたる支障はないとつい思ってしまうのだが、問題は我々が暮らすこの現代日本は法治国家という制度を採っているということだ。

       痴漢冤罪の実話を基にした作品だ。無実なのに痴漢の犯人にされたという話は、ニュースなどでたまに見かける。痴漢は被害者の証言くらいしか証拠がないため、「この人痴漢です」と名指しされてしまえば、人違いであっても犯人にされてしまう誤解が起きやすいのだ。
       26歳フリーターの主人公・金子も、同じように電車で女子高生に痴漢をしたとして逮捕され、いくら否定しても刑事も検事も信じてくれない。やがて裁判になり、判決に至る。それらの過程で、日本の司法制度の問題点が浮き彫りになる。そういう内容だ。

       裁判が出てくる日本映画はそれほど珍しくないが、これでもかとばかりにとことん実態をリアルに活写したという点では出色の裁判モノだろう。というか、裁判の実態を再現することにのみ力を注いだ映画といっても過言ではない。

       監督は周防正行。「Shall weダンス」で知られるように、コメディの監督というイメージがあっただけに意外な気もしたが、当人曰く「知らない世界に主人公が飛び込むという点ではこれまでの作品と同じ」。
       確かに金子は裁判についてまったくの無知で、自分の身に何が起こったのか理解するのにも多少時間がかかっているくらいだ。
       ただし従来の周防作品と違って、知らない世界で戸惑う主人公の成長なりドラマなりは特にない。まあ被告人にされて成長も何もあったものじゃないが、金子が逮捕→送検→起訴→勾留→裁判という経過を辿らされる様をただひたすら描く。そしてその過程の一々が、相当取材を重ねたと見えて、ニヤリとするくらいの細かい演出が行き届いているのだ。

       脱線を承知でいくつかを順に紹介すると、恫喝してくる刑事と懐柔してくる刑事の交互の取調べ(非常にテレビドラマ臭いが、実際にそうするようだ)。
       一方、こっちは理知的でスマートなのかと思いきや、やっぱり恫喝してくる検察官(検察官の恫喝の方がいやらしいとも聞く)。それも副検事という細かい設定(罰則の軽い事件の場合は検事より一階級下の副検事という年配の人が担当する)。警察も検察もパソコン供述を筆記している点。
       民事専門の弁護士の事務所はモダンで格好よく、刑事をやってる弁護士の事務所は雑然としてて古臭い(刑事事件は基本儲からない)。被害者対策に興味があるので被告人の弁護には気が進まないという若い弁護士。
       お公家様のような裁判官の風貌(あの役者は何者なのだろう)。なぜか気さくな書記官(ホンマになぜか気さくな人が多い)。
       法廷でペン回しをやめない若い検事(個人的には一番ヒットした)。
       こ汚い格好の傍聴マニア。
       巧妙に居眠り?をする裁判官(巧妙なので居眠りかどうかわからないが話を聞いてないようにしか見えない)。
       などなど、本筋と直接関係ないところ部分もかなり気を遣っていると見え、仕事でいくつか裁判を傍聴したことがある私としては、かなり既視感を覚えたものだ。

       それはさておいても、法律用語だらけの難解なやりとりもそのままで裁判は進んでいく。誇張もなければ書き下しもない。だいたいカメラワークからしてちっとも凝っていない。司法制度の問題点を突く趣旨の作品であるから、へたな演出を避け、より実態そのままに、ということなのだろう。

       ただしそれだと客に伝わらない可能性もあるわけで、かなりの冒険だったのではないかと勝手に不安になる。
       実は柳町光男以来、鑑賞後に監督にじかに話を聞く機会を得たのだが、その辺りについて質問すると、「分からない部分があれば、それも含めて刑事裁判の実態ということだ」となんとも明快な回答だった。補足すると、一応台本はギリギリまでわかりやすくするため何度も書き直したらしい。

       確かに合間合間で弁護士や法律に詳しい支援者、訴訟マニアが登場人物に分かりやすく説明する台詞がはさまれるから、ある程度は分かりやすく見ることができる。それもテリーマンのようなあからさまな説明挿入ではなく、あくまで物語の流れを止めずに観客に補足説明を示せている。当人は「夢中で作ったらうまくこうなった。方法論は自分でもわからない」と言うが、一言でいえばこれが年季ということなのだろう。

       もうひとつ指摘すれば、趣旨を貫徹するために余計なものはほとんど省いたということがある。

       この映画は、主人公の苦悩を多少は描いているものの、出来事の不条理に比べれば圧倒的に少ない。家族や友人にいたってはほとんど内面には触れられておらず、例えば別れた彼女役の鈴木蘭々がなぜ支援者に加わっているのか、何もわからない。
       もしこの映画の中にかなり重いシーンがあるのではと警戒している人がいたら、安心していい。家族が泣き喚くようなシーンはほとんどない。なので逆に裁判それ自体に集中して見入ることができるのだ。

       果たしてそれが劇映画なのか、と言われればそんなことはわからない。少なくとも、日本では法廷内撮影は禁止だから、ノンフィクションでは描けないということは言える。

       裁判というのは、相当人類の歴史と知恵が詰め込まれた産物だと思う。現代人の感覚でいくと、裁判を公開するのは何だかプライバシーの侵害のような気がするだろうし、悪人を弁護するなんてとんでもないことに見えるかもしれない。
       先日も「殺人犯を弁護するなんて、ホンマ腹が立つ悪徳弁護士や」とオッサンとオバハンが会話しているのを耳にした。この場を借りてオッサンとオバハンに説明すると、それが弁護士の仕事というのがひとつ。そして悪徳弁護士は刑事事件の弁護なんて汚れ仕事はやらない。環境破壊や大量リストラを繰り返す大企業の顧問でシッポリ稼いでマセラティを乗り回す。これが本当の悪徳弁護士だ。
       なぜそういう“庶民感覚”からズレがちな側面が裁判には多いかといえば、例え誰かが傷つこうと裁判は公開しないと、例え10人殺した鬼畜であっても弁護する人間がいないと、「駄目だ」ということを既に人類が学んできたからである。
       しかし現代の、何でも単純化して捉えようとする風潮、近道でええ格好しようとする効率的な倫理観の前では、いかにももろく崩れてしまいそうな取り越し苦労に襲われる。
       加えてそれを担っている賢いはずの人々が、余計にそれらの叡智をないがしろにしているようなのだ。だからこそ、この映画の存在意義は果てしなく大きい。

      「それでもボクはやってない」2007日本
      監督:周防正行
      出演:加瀬亮、役所広司、瀬戸朝香、もたいまさこ、山本耕史

      【補遺】
       最後のくだりは要らないような気がしたが、一応残した。
       試写会で見たのだが、監督への質問コーナーというのがあり、直に質問する機会を得た。僕が書く台本はよく「難しい」とクレームがつくので、その辺の助言も暗に求めた質問だったのだが、「実にイイ質問ですねえ」と監督から褒められたので、本稿では妙に監督を持ち上げている。
       後日、役所広司が出ている胃薬の宣伝を見て気付いたのだが、説明台詞を説明臭くさせてないのは、役者の力が大きい。胃薬の効能を説明しているだけなのに役所は格好いい。これが実力というやつなのだろう。
       

      【映画評】クライマーズハイ

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         最後のテロップがふるっている。
         「日航機の墜落原因は今も諸説あり、真相究明を望む声は後を絶たない」というような内容。
         そう、日航機の墜落原因は機体のトラブルなどではない。真相を知りたい人は渡辺文樹「御巣鷹山」を見よう。レア過ぎる作品なので当然ツタヤにはないぞ。コアな映画ファンとコアな当ホームページファンしかピンとこないだろうから簡単に説明すれば、真相究明のため、主人公と中曽根がチャンバラを繰り広げる作品である。

         このテロップのおかげで、「ゾディアック」や「殺人の追憶」のような作品にもちょっと見えた。どちらも未解決の殺人事件を追う実話を元にした物語。当然最後まで真犯人はわからないのだが、見えない犯人を追う様には一味違ったスリルがあってゾクゾクっとくる。

         この映画も少し似たようなところはある。作品のクライマックスで、事故原因は「圧力隔壁の破損ではないか?」というネタを引っ掛けた記者が裏取りに走る。裏は取れたともいえるし不十分ともいえる。デスク(記事編集の責任者)である主人公の悠木は悩む。記事をスクープとして打つべきか、慎重に控えるべきか。“新聞記者”の理屈から言えば、これはもうGOだろう。理由は簡単。他社が先に書いたらどうする?そういうことだ。慎重に行こうとして泣きをみた記者はごまんといる。
         ただしこうしてエイヤーで記事を打って、過去世の中にいくつもの誤報が流れたのも事実。少なくとも我が社は手柄より真実を取る。それも職業意識としては正しい。
         どちらにも一定の理屈がある。なので最後のテロップは、史実に配慮する、以上の意味を持ってきて、重い。なのでこの映画、思いっきりそういう方向でまとめるという手もありだったかな、と思った。

         いきなり余談を長々と書いてしまった。横山秀夫のベストセラーの映画化といえば、「半落ち」がタイトルどおり実に半端なまとめ方をした超駄作になっていたのに対し、こちらはかなりプライドを持って臨んだ作品と見え、なかなかの傑作となった。

         例えば絵がいい。実際の現場でロケを敢行したという墜落現場のシーンもさることながら、個人的には最初の社内の喧騒を映した、ちょっと乱暴なカメラワークが、新聞社のドタバタをよく現していて非常によかった(なので余計、自衛隊が仁王立ちするシーンと、アニメかゲームみたいなタイトル文字のアンバランスが引っかかったが)。

         もちろん、小説を映画化するときに付き物の、エピソードの取捨選択には異論も多々あるだろう。残ったエピソードのうち、上役たちが過去の栄光を引きずってるというくだりや、中曽根、福田の両方の花輪が写ってる写真の話など、かなり重要なファクターの扱われ方がどうにも中途半端だったという部分もある。

         その辺りはとりあえず置くとして、映画を見ながら気になったのは「これ伝わるんかな?」という台詞や筋立てだ。

         新聞社の内部というおよそ関係者以外はよく知らない世界を舞台にしているので、わかりにくさは自動的に付きまとう。例えば「何で共同を使うんですか?!」という争い。新聞社志望の学生を相手に、何度か「地方紙にも普通に国会やプロ野球の記事が載ってるけど、誰が書いてるの?」と質問したことがあるが、答えられた学生はほとんどいない。一般の人でわかっている人はどれほどか。

         答えは共同通信(や時事通信)という会社から記事を買っているのである。なので大きな図書館なんかで同じ日付の違う地方新聞を読み比べると、一字一句違わない記事が載っているのがわかる。そして他県の話ならいざ知らず、自社の取材エリア内の話を共同通信の記事で済ませれば、当然現場のプライドは傷がつく(傷がつかないひどい地方紙もたまにある)。なので映画でも言い争っていたというわけだ。

         こんなこと、映画で伝えられるかと言われれば、まあ無理だ。
         妙に説明臭い台詞を出せば、途端にダサくなる。なのでそういうムツカシイ話には触れないという手も浮かぶが、そうなると記者の実情を描く趣旨から遠ざかり、本末転倒となる。
         本作が選択したのは「説明を省く」という力技。何の説明もなく共同がどうしたこうしたと登場人物が会話している。しかし考えてみるとだからこの映画は高い完成度を持ちえたのだろう。もっと言えば「半落ち」にならずに済んだ。

         半落ちの失敗は「説明台詞がウザい」わけではなく、ヒューマンドラマに仕立て上げたからだ。つまりムツカシイ話を噛み砕いて映画化したのだが、その噛み砕き方が陳腐だったため駄作になった。
         日航機墜落の生存者に対する報道合戦が、僕が知った最初の報道被害である。川上さんは二度とマスメディアには登場していない。しかしクライマーズハイの登場人物たちは、そんなところまで辿りつけてすらいない。記者はハイエナという(最近はあまり聞かないが)が、実際には色んなサラリーマン的事情でハイエナにすらなれないというのがこの作品の面白さだ。それを映画にしようとすれば、力技が一番打倒な演出方針だったということなのだろう。

         ひとつ、佐山を演じた堺雅人について言及したい。佐山というキャラは原作を読んだときには「そんなやつおるか」が僕の感想だった。
         横山秀夫の書く記者は往々にして記者という看板を首からこれ見よがしにぶら下げてるような人間が多く、違和感があるというのが僕の感想だ。何の仕事でもそうだろうが、「我は○○でござい」というダンディズムを率先させて被る人間に優秀なのはいない。佐山は主人公の新聞社の現場のエース的存在なので、余計「そんなやつおるか」と鼻に付いたわけだ。
         ところが本作の佐山を見たときは「こんなやつおるわ」と感想が変わった。半笑いで悠木に情勢を報告する姿は、冷静に見れば変態寸前というプロの危うさを地で行っている。「現場に行かなければならないから行った」のが小説版で、「行きたいから行った」というのが映画版といえばわかりやすいか。

         残念なことに、普通にかっこよかった等々力部長のような偉いさんは実際にはほとんどいない、いかにもやりすぎな山崎勉演じる社長のような悪役は、案外いる、というのが僕のサラリーマン感である。悠木のような人間が、たとえ失点とみなされて左遷されようとやがては復帰してくる、そんな世の中になればいいなと思う。

        「クライマーズハイ」2008日本
        監督:原田眞人
        出演:堤真一、堺雅人、田口トモロヲ、でんでん、高嶋政宏、山崎努

        【補遺】
        人間の記憶とは怪しいもので、この映画を見ながら、読んだはずの原作に、そんな話あったっけ?と思い出せないことが多く、結局わざわざ買ってもう一度読んだ(最初は人に借りた)。で、削られてるだけでなく、だいぶ話が変わってたんだなあと知った。で、一番疑問なのは何で息子が外国にいるという設定に変わってたんだろう?ラストの牧場(?)を訪ねるシーンは、妙にダサいシーンだと思うしで。

        【映画評】御巣鷹山

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           街中で「渡辺文樹監督作品」という上映会の告知ポスターを見かけてこれは間違いなく“あの”監督だろうと直感し、折角の機会なので上映会を覗いてきた。何で直感したかといえば、何でというより直感するしかないといった方が正しい。

           NHKスペシャルか「あなたの知らない世界」の題字みたいな物々しい筆書きで「御巣鷹山」のタイトルと、「日本国家の犯罪を問う」と大所高所に構えたコピーがまず目に飛び込む。
           御巣鷹山といえば、あまりに有名な日航機墜落事故の現場。それをタイトルにして映画を作るなんて並大抵の意気込みでは不可能だ。なんてったって500人以上が亡くなった大惨事だし、事故という表現が相応しいのかってなくらい、色んな背景が取材・分析されてたくさん本になってる。代表的な山崎豊子「沈まぬ太陽」なんて5巻もある長編だ。

           の割にはポスターの絵は切り貼りして作ってて明らかにちゃっちい。飛行機の写真の尾翼を破いて貼っつけてスキャンしている、これが(多分)日航機123便なのだろう。付記しておけば、一般には垂直尾翼が折れたのが直接の墜落原因とされている。
           しかしまだこっちはマシで、もう一種類のデザインのポスターは、戦闘機に裸の赤ん坊という、これは全然意味の分からないコラージュで、誰やねんこの赤ん坊は、くらいしか突っ込めない。
           そんなポスターがあからさまに違反広告ですとばかりにあちこちの電柱とか柵とかにくくりつけられてて(かなり頑丈)、加えて一枚ごとに違うコピーが手書きで加えられている。これがさらに意味がわからないことが書いてあるという具合だ。出演者に並ぶ名前も誰も聞いたことがない。記憶の片隅にあった「変な監督」とはこれかと思わざるを得ない。

           察するに、日航機事故の背景に、政治があると告発するような左翼的な映画なのだろう。熱意が空回って、映画としてはデキが悪い、そんな感じではなかろうか。うーん、興味はそそられるが見に行くのはかなり躊躇を覚える。思えばこの時点にして既に監督の術中に落ちていたのだが。

           さて作品であるが、まず監督も言っていたように、音声は結構聞き取りにくい上、口パクの同期が合ってないし、音飛びもする。その上途中でトラぶって上映が中断する。まあある種ライブ的雰囲気を演出しているともいえるのだが。
           カット同士のつながりはかなり出鱈目で、正直これだったら俺の方がまともやんと思ってしまった。
           演技は一部を除き、はっきり言ってドヘタである。これらだけを総合すると、取るに足らないE級、F級映画である。が、不思議とそれだけでは終わらない作品である。

           冒頭、なぜかイランイラク戦争の話からはじまる。どっからパクってきたんだろうというイランの映像に、物々しいナレーションがついて、当時の日本の外交事情を説明する。
           そして物語の始まり。山奥で凍死体が見つかったという導入は、手持ちカメラの映像に、演技してない方言丸出しの台詞が重なり、フェイクドキュメントみたいでなかなかいい滑り出しだ。が、ここから一気にどう捉えていいのかわからない展開に突入する。

           退職警官の剣道の稽古になぜか顔を出した中曽根首相。その会場である山奥の小さな寺に怪しげな男が現れて首相に面会を求める。その名も「渡辺」。無論演者は監督である。
           寺の縁側に現れた中曽根首相は白髪がふさふさという時点で全然似てないのだが、いかにもな悪役面でなかなかいい役者である。縁側に腰掛ける中曽根と、地べたに正座する恰好で対面する渡辺。ほとんど大岡越前で、早くもチャンバラの香りがしてくる。
           渡辺の後ろには微動だにしない剣道着姿の爺さんたちがズラリ整列して座っていて、意味不明だが、様式美なカットではある。そしてかなり強引な展開で中曽根と渡辺が日航機事故の真実について語り合う。

           ヘタな役者が次々登場して結構複雑に時系列が絡み合い、途中、なぜか監督が雪の上で全裸死体の演技をしているシーンをはさみ、渡辺が、変装してまで手に入れた日航機事故の真実が明らかになる。
           この変装を明かすシーンは、ルパン三世がマスクを剥ぐような、古いスパイモノでは御馴染みのシーンを狙っているのだが、パイ投げのクリームを拭っているようにしか見えず、客席からは爆笑が起こった(ただし失笑ではなかった)。

           ここで描かれる日航機事故の真実とは、当時自衛隊が新しく購入した戦闘機が演習で放ったミサイルが日航機123便の尾翼を誤射し、墜落させたというもので、日米関係の事情から全てもみ消された。いわゆる陰謀史観全開である。
           まあ一応事故にまつわる様々な不審な点の辻褄は合っているから、全くの出鱈目というわけでもなさそうではあるが、ムーやワニブックスの臭いはプンプンしてくる。
           上映後、客の一人から「どこからそんな情報を手に入れるんですか」という質問が出たとき、監督が語った「みんな知ってるんだよ、そんなことは。マスコミが書かないだけ」というロジックは、新聞社なんかにトンデモタレコミを持ち込んでくる人と同じ修辞法である。
           なので全然信じる気にはなれないのだが、「偏った見方かもしれませんが、私はそう思ってます」という一応冷静な監督の姿勢はまだ安心できるし、少なくとも自分が信じることを映画にするという熱意は伝わってくる。

           まあ一番熱意が伝わってくるのは、クライマックスのチャンバラシーンで、最初っからこれがやりたかったんだろ、っていうくらい、今までの展開とはうってかわって、カメラワークが結構冴え渡る。
           真実を知る渡辺を葬るため、中曽根の刺客と化した剣道オヤジたちが、木刀で襲い掛かる。渡辺もかなりの使い手で、次々刺客を葬り去る。
           木刀なのになぜか血飛沫ドバーっとなり、渡辺は奮戦するも、しかし衆寡敵せず絶命する。客席からは笑いも起こり、みんな結構楽しんでいるようだ。
           今までの告発はなんだったんだというわけのわからない展開だが、あくまで映画は娯楽という枠組みを守ったともいえる。その意味では、人権センターとかで上演されるような啓発芝居よりははるかにまともである。

           結局のところ、とにかく作って人に見せるということが重要なんだなあと再認識させられた作品、ないしは監督だと思わされた。まあこれがデジタルだったら話も違ってくるんだろうが、技術が手作り感満載で、演技がドヘタでも、フィルムを回して映画を作るのは大変な作業である。それでも映画と名がつけば、人はやってくる。台本はかなり強引な展開で、正直私の方がはるかにマシだが、監督の熱意とエネルギーだけはやけに伝わってくる。酷い映画だったが、客のかなりが楽しげな様子で帰っていたのはそういうところにあるのだろう。私の渡辺文樹初体験は、なかなか感慨深いものとなった。
           次回作は「ノモンハン」らしい。一体どんな内容になるのやら。ちっとも楽しみではないが、またあの怪しげなポスターを見たら、見に行くんだろうなあと思う。

           ちなみに受付には一人の女の子がいて、多分関係者の娘なのだろうその女の子の顔は、明らかにポスターの裸の赤ん坊だった。初対面の子に大きくなったなあという感慨を抱いた。

          【補遺】
          見に行った現場の様子を書いた日記の記事があったはずなのだが、ファイルが見つからない。見つかったらまたアップしておきます。「笑った」と好評だったもので。
          2008年に「ノモンハン」と「天皇伝説」の2つが上映され、結局見に行っている(天皇伝説の方だけ)。受付にはまたもあの少女がいて、大きくなっていた。

          サイトリニューアル中

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            トップページが復活しました。僕も今しがた初めて見たんだけど、何だか格好いいぞ。  順次、復旧工事が進んでいくと思います。  というわけで、本日の日記を書いてみたいと思います。本日は色んな目論見が外れて無為な日を過ごしてしまいました。リニューアル記念な感じにはちっともふさわしくない内容ですね…。  あ、本を買いました。森達也の新刊が出てたもので。タイトルは「死刑」。…。  あ、今日は、知り合いの知り合い、という人と話していたら、僕の別の知り合いとも知り合いであることがわかりました。もちろん、アルカイダです。


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