映画の感想:ハドソン川の奇跡

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     「誰が監督か」で映画を選ぶことはあまりないのだけど、クリント・イーストウッドは例外で、大抵よくできていて面白いから内容に食指が動かなかったとしても手に取る。本作は邦題のせいでつい後回しにしてしまっていたが、結局のところは期待通りだった。個々の登場人物にそれほど深入りするわけでもなく、演出もどちらかといえば淡々とした方だと思うが、航空機のシーンは何だったらパニック映画以上に手に汗握らされるものがあり、何気ない脇役の様子にもグッとくるところがあった。ただ、「ジャージーボーイズ」のとき同様、面白かったということ以上の感想があまり出てこない。それではつまらんので、頑張って何かを書いてみようと思うが、やはりあまりまとまらない。
     美談のその後を描いている。航行不能になった機体を川に着水させ、あわや墜落大惨事を見事回避したベテラン機長が、その判断の是非を運輸安全委員会的な組織に追及されるお話だ。飛行機つながりで思い出したのは、ユナイテッド航空のブッキング&暴行騒ぎだった。知れば知るほど酷い出来事だったが、日本のニュースでは「海外おもしろハプニング」のようなノリで紹介しているところもあった。「乗客側が無茶を言っている」という前提に立てば、最後ノビた状態で運ばれる様子は、ハプニング映像として笑えるものと映っただろう。よく知らないでニュースの軽重を判断すると、どえらい火傷につながることがある。
     本作の題材であるハドソン川の着水も、第一印象で終わらなかったという点で、似通った部分がある。無理やり関連付けているが。
     生死を分ける判断は、仮に成功してもストレスが後を引くと想像する。そこへ来て「あんたの判断は間違いだ」と指摘されれば、精神の平衡を失いかねない。ついでに「コンピューターのシミュレーションでは、近隣の空港に引き返せた」と言われて、自分が正しかったとどこまで貫けるものか。「自分を信じる」とはよく言うが、権威ある委員の面々から結果は明白ですよなどと口々に詰め寄られてしまえば、自分を信じること自体が自分を追い詰めかねない。それを考えると二重の意味で、よくもまあご無事で、と感嘆してしまう。
     詰め寄る側は、本作においては悪役になるが、英雄的行為であっても、その判断が妥当かどうかをきっちり検証しようとする辺り、ただ今の本邦を鑑みると、ついつい「法の支配が羨ましい」と思ってしまう。美談止まりでそれ以上を知らなかったことについても、やっぱりテレビで伝えるってデカいよなあと、すっかりテレビで伝えないのが標準になり、たまにやると「お」となる現状と重ねてしまう。困ったものだ。

     おそらく、機長がクロなら、英雄が一転、カリスマ詐欺のように叩かれていただろうから、結果を知ってたような気がする。シロだという判断の方がめでたいはずだが、とっくに英雄になってしまっているのでニュースにはならない。そんなことを推測すると、これだから報道はというため息が聞こえてきそうになるが、だからフィクション屋の出番があるんだよなあと俺自身は思う。
    「SULLY」2016年アメリカ
    監督:クリント・イーストウッド
    出演:トム・ハンクス、アーロン・エッカート、ローラ・リニー

    【やっつけ映画評】栄光のランナー/1936ベルリン

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       古典学者、数学者、天文学者を演じる学問俳優ジェレミー・アイアンズが、五輪の委員を演じる作品だが、今回は脇役である。いつものバサバサの白髪をオールバックに整髪して眼鏡に髭だったから最初気づかなかったが、声でわかった。歌手以外で外国人の声を聞き分けられたのは初めてかもしれない。ベルリン五輪ボイコットを頑強に反対する役どころだが、その熱意にうっかり感動すると、後で裏切られる。


       たまたま出演俳優が重なったから、裏口から話を始める恰好になってしまった。裏口に回るよう命じられる本作のある意味犖事瓩淵薀好箸鯣蘰ったつもり。


       原題「RACE」がシンプル過ぎるせいか、ゴテゴテとした邦題になっている。おかげで「競走」と「人種」の掛詞が消えてしまった。ならば代わりを考えるしかあるまい整いました。人種差別とかけまして、100メートル走と解きますそのこころはどちらもだいたい重病/十秒ですねずっちです。とにかくタイトル通り、1936年のベルリン五輪にまつわる伝説的走者の物語で、差別が大きなテーマとなっている。


       スポーツと差別といえば、以前に「42〜世界を変えた男」について書いた。本作も、ジェシー・オーエンスというアメリカの黒人ランナーが主人公なので、シャワーを使うなとかその手の差別と出くわすことになる。彼を擁護するコーチのラリーに対して、差別的なアメフト部の監督が「なぜ面倒を起こすんだ」と説教してくる「差別する側が、される側に、お前が話をややこしくしている」とのたまう構図も、いつも見る景色で、当然「42」とも重なってくる。

       

       ただし今回は、汚い言葉を吐いてくる相手チームや観客だけが相手ではない。ナチスが絡んでくるから、話はもっと巨大で複雑になる。公然と差別をしている政権が絡む五輪に、選手団を派遣するのは差別に加担する行為に映るから、選手たちは思い切り政治に巻き込まれる。加えて、ドイツが五輪開催を優先して人種融和をアピールしたため、ジェシーたちは現地で大歓迎を受け、本国のように白人と別室を指定されることもないというねじれ現象を体験するから話はより複雑でもある。ついでに幅跳びでジェシーと熱戦を繰り広げるドイツの好敵手ロングは、「優秀なアーリア人」として過度な優遇(というか優生)にさらされ困惑している。


       スポーツと差別の話は、先日佐藤琢磨の件があってタイムリーになってしまっているが、「42」であらかた書きたいことは書いたので、ここではスポーツとそのメッセージについて考えてみたい。

       

       アメリカの五輪委は、学問俳優演じるブランデージ会長の尽力(ないしは談合)によって、大会参加を決める。だが、黒人の権利獲得を訴える団体は、ジェシーに抗議の辞退をするよう求める。メダル最有力候補が大会参加をボイコットすることで、ナチス批判、ひいては自国の黒人差別批判につながると期待するからだ。

       

       それに対してジェシーの父は、強烈な反論をぶつける。曰く、ボイコットしても「誰も(差別の問題には)気づかない」。置物のように一言も発しないキャラだったのが、急に鋭いことを言うから余計強烈に刺さる。出場した選手がたくさんメダルを持ち帰るから、ジェシーはむしろ非難されるとも言う。

       

       ボイコットがメッセージになりにくいのは、自ら不戦敗を選ぶ行為がそもそもスポーツの本旨とは相容れにくいからだろうか。絶大な効果をもたらしたボイコットの例としては、ブラジルのサッカー選手ロマーリオの一件がある。家族を誘拐されたロマーリオが、このままだとW杯に出場しないと宣言した途端に犯人が見つかった。結果、出場しているからボイコット未遂ではあるが、ジェシーの周辺が期待したのも、本質的にはこれと同じ構図だろう。出なければ勝てないので、国民が本気を出して、事態が好転する図式だ。だが、誘拐犯が逮捕されて解決されたのと同様(とまではいえないだろうが)、ナチスは少なくとも五輪期間の人種融和は認めているし、誘拐犯逮捕と違って、米社会の人種差別解消は巨大で根深すぎる問題だ。ポイントは、父親自身が「誰も気づかない」と言っているように、差別の問題がとても困難なのは、差別している側に自覚がない(上に正当化する)ことだ。

       

       では勝てば効果はあるのか。本作ではヒトラーは台詞のない端役なので彼が何を感じたのかは明確には描かれないが、代わりにゲッベルスはジェシーの活躍に「思ってたのと違う!」とばかりに苛立ちを爆発させる。ドイツ人の偉大さを宣伝するはずが、蔑んでいた黒人にまんまとメダルをさらわれる。ざまあみろと胸のすく場面だが、この男が宗旨替えするはずはない。党是を捨てるようなものだし、優生ファンタジーに憑りつかれた差別者が、見たくないものを見ないのは今の日本を見ればよくわかる。

       

       そういう極端な連中は置いておいても、本国アメリカの人間の意識が変わるかといえばどうだろう。
       象徴的なのは、ラストのリレーにまつわる悲しいシーンだ。ゲッベルスの圧力に屈したブランデージ会長は、リレーに出場予定だったユダヤ系2選手を降ろすよう指示する。当然すったもんだあって、代わりにジェシーらが出場することになるが、彼らの活躍によってアメリカは優勝する。この歓喜の瞬間、ユダヤ差別に屈したことを考えた人は、どれくらいいただろう。この指摘が細かいことをつついているように響くのは、スポーツは「結果がすべて」だからである。結果がすべてだから、コーチのラリーは優秀な走者たるジェシーを肌の色で差別しない(それでも白人だから気づかないことをジェシーに指摘され何度か凹むのだが)。それと同時に、結果がすべてで人種は関係ないから差別の話は霞むことにもなる。ジェシーの父親が言うように、「誰も気づかない」のは勝っても同じなのだ。

       

       このためラストで、黒人に閉ざされた扉は英雄のジェシーにも開かれることはない。ドアマンに悪意があって妨害しているわけではなく、規則で決まっているからだ。壁の厚さを端的に示した象徴的な場面だ。唯一の救いは白人少年が憧れの目でサインを求めてきたことで、彼が大人になるころには時代も変わるのだろうかという期待を持たせて映画は終わる。
       実際には彼が大人になったころ、また一人のスポーツ選手が相変わらずの差別と闘うのだった。その選手は、本作の200メートル走のシーンで、ジェシーとトップを争うチョイ役の弟である。ベルリン五輪男子200メートル走銀メダリスト、マシュー・ロビンソンの弟が、「42」の主人公ジャッキー・ロビンソンである。彼もまた、ジェシーと同じく、差別が制度化されている社会で、じっと耐え抜き実績を出し続ける方法でもって静かな抵抗を続けた。公然と反旗を翻すのは、トミー・スミスやモハメド・アリの時代まで待たなければならない。

       

      「RACE」2016年アメリカ、ドイツ、カナダ
      監督:スティーヴン・ホプキンス
      出演:ステファン・ジェームズ、ジェイソン・サダイキス、ジェレミー・アイアンズ


      映画の感想:ある天文学者の恋文

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         「リスボンに誘われて」で古典学者、「奇蹟がくれた数式」で数学者を演じたジェレミー・アイアンズが、今度は天文学者を演じている。アクション俳優ならぬ学問俳優。世間的には「ダイ・ハード3の人」らしいが、全然覚えていないので、「何かと教授の人」というイメージがついた。


         「リスボン」では、妻に逃げられた不器用な男で、何かを期待させてやまない眼科医の前でもただ朴訥しており、「奇蹟」では無神論者で恋愛自体に興味がない。だが本作では、冒頭から美女と接吻している。接吻、キス、というより、子供のころ使っていたブッチュという表現がぴったりの濃厚なやつである。そのせいかどうか、全体的にアカデミックな雰囲気が希薄だった。


         そもそもこの映画をみようと思ったのは、予告編で示されているプロットに興味を抱いたからだ。夜空に輝く星は、何万年だの何億年だのかけて地球に到達した光なので、実はもうとっくに消滅してなくなっている星もある。でも夜空では煌々としている。そして天文学者であるエドは、病で死して後も、恋人のエイミーに手紙やメールやプレゼントを送り続けてくる。あたかも消えてなくなっても輝いている恒星のように。という図式が面白そうに思えたのだ。

         

         だが、この比喩は、予告編製作者の後付けではないかと疑いたくなるくらい、使い方が下手くそだった。安いロマンス小説のようだ、と思ったが、読んだことがないので取り下げる。

         老教授と若い女子学生の恋という時点で、男の、ないしは監督の、みっともない欲望を垂れ流しているようで全然感情移入できなかったのだが、世の中にはそういうカップルもいるだろう。俺も、教授と付き合っているという女子学生と過去に出会ったことがあるからそれほど珍しくないのかもしれない。なのでこの年の差カップルには目をつむるとしても、やしきたかじんのおかげで、死を前にした初老の男が若い女と懇ろになると、ついきな臭いことを想像させられてしまうがこれも余計な話である。

         

         問題は舞台装置としての天文学の扱いである。「死んでもう会えない」という以上にこの時間差を活用できていないのは致命的だ。ついでに小道具としての天文学の扱いもおざなりで、「かに星雲」「ヒッグス粒子」など、名詞が台詞の中に出てくる程度。俺は天文学の専門知識などちっとも持ち合わせていないが、名詞レベルでお茶を濁しているのは門外漢にも伝わるようで、「ホントっぽさ」の欠如は妙に白けるものなんだなあと、専門を扱う作り話のむつかしさを感じた。

         

         恒星を扱いながら構成がマズい。ならば、もっとこーせーというのを書いてみたいと思う。
         星の光は、太古に発せられたものがようやくこちらに届いたものだとしても、輝いて見えること自体は、今現実のことだ。本作には、この「今」がない。いやあるにはある。エイミーの抱えている問題=母親との不和の解決である。一応これが話を転がす狷罩瓩箸靴得瀋蠅気譴討い襪里世、どうにも後付け感が漂う。エドとエイミー、2人の話ではなく、エイミーと第三者の話だからだろう。過去から来た光=死後の贈り物が、同時に「今現在」となるためには、2人の間の何事かが動かなければならない。これもあることはある。指導教官たるエドのメッセージに従って予習や研究を進めることで、エイミーは成績優等の表彰を受ける。だったら恋愛じゃなくて、師弟愛の方が腑に落ちる。ラブストーリーにしたいなら、エイミーの気持ちの何事かが変化する必要があると思うが、そうなると、「6年付き合った」らしいこの父娘レベルの年の差カップルではあんまり説得力が出ない。エドの、それこそ恒星のような巨大な包容力(と同時にバイオレンス臭もうっすら漂う束縛)によってエイミーは守られているという一方的な関係性だからだ。長年連れ添った妻の方がよほど面白くなりそうだ。
         まあこのブログも常に日付をちょろまかした時間差掲載なので、ささやかに星の光のようなものだ、という自虐でお茶を濁して終わる。

         

        「LA CORRISPONDENZA」2016年イタリア
        監督:ジュゼッペ・トルナトーレ
        出演:オルガ・キュリレンコ、ジェレミー・アイアンズ、ショーナ・マクドナルド


        映画の感想:ネブラスカ ふたつの心をつなぐ旅

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           30代前半のころは、こういう映画を好んで見ていた気がする。ジム・ジャームッシュあたりと似ている作風だ。モノクロなので余計そう感じた。それがすっかり苦手になってしまっていた。退屈だなあと、子供のような感想が先に立つ。このまま年を取ると、間口の狭い頑固爺が出来上がるのかも。本作は、頑固爺と息子の物語である。


           100万ドルが当選したといういかにもインチキくさい手紙を受け取った老父ウディが、どうしても発送元に行って100万ドルを受け取ろうとする。見るに見かねた息子デービッドが車に乗せて、モンタナ州からネブラスカ州まで1500キロくらいのドライブに出かける。ロードムービーかと思ったが、そういうわけでもない。ネブラスカがこの父親の故郷で、今でも親戚が暮らしている。中盤以降は、その親戚や旧友たちとのやり取りが中心になるので、タイトル通り、ネブラスカ州の暮らし、といった内容だ。


           ネブラスカという場所は、アメリカ人にとっては、退屈の場所の代名詞のような地域だと、町山智浩が雑誌の記事で書いていた記憶がある。映画に出てくる景色も、実に退屈だった。グーグルストリートビューで、ネブラスカの適当な郊外を見ると、ロケ地と勘違いしそうな場所がすぐに出てくる。畑と倉庫くらいしかないような場所だ。


           そういった世界で暮らす人々は、ちっとも希望がない。ウディの兄の息子たち、デービッドにとっては従兄弟に当たる兄弟は、二人ともいかにも教養のなさそうな太っちょで、失業している。粗野だが生気はない。パブで出会うウディの旧友たちも同様。田舎のダメな部分を体現したような、人をねたむか陰口に淫するか、あるいはおこぼれにあずかろうとするか。いずれにしても下か横ばかり見ているような様子である(唯一、ウディの元恋人だったという女性だけがマトモで救われる)。


           こういう土地柄を見せられると、インチキだろうと何だろうと、100万ドルをくれるという案内を何が何でも確かめに行こうとするウディの頑なさの源泉が垣間見える。ラストでデービッドから意図を問われ、ホロリとさせられる理由を語っているが、おそらくウディは、この希望のない場所で生き抜くため、昔からずーっとそうしてきたのだろう。インチキ話にすがらなくても、ささやかな希望を持てることがあるなら、それに全力で向かっていくべきなのだと、こっぱずかしいことを割と本気で思わされた作品だった。

           

          「NEBRASKA」2013年アメリカ
          監督:アレクサンダー・ペイン
          出演:ブルース・ダーン、ウィル・フォーテ、ジューン・スキッブ


          映画の感想:シェフ 三ツ星フードトラック始めました

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             子供のころ読んだ「もりたろうさんのじどうしゃ」という絵本を思い出す内容だった。
             車が好きだったのと、主人公の名前が自分の苗字とちょっとカブっていたのとで、買ってもらった絵本だった。郵便配達員のもりたろうさんが、退職を機に運転免許を取って自家用車を買おうとするのだが、高くて手がでない。1台だけオンボロの中古が格安で売っていたのでそれを買って修理して乗り回す。レトロな車体がとにかく魅力的でわくわくする作品だった。何度も読み返したものだったが、ラストだけ腑に落ちなかった。


             もりたろうさんが、銀行に寄った際、銀行強盗と鉢合わせし、車を奪われてしまう。しかし車に居残っていた愛犬の活躍で、強盗は車ごと川に落っこちて御用となる。ただし車は大破。落ち込むもりたろうさんに銀行の支配人が「あなたのおかげで助かりました」とポーンと新車を買ってくれ、最後のページはもりたろうさんがすげー高級車に乗ってめでたしめでたしというような絵だったと記憶している。

             レストアしたオンボロ中古が、リタイアした善良な金のない爺様と相まって、とてもイカした夢のあるマシンだったはずなのに、高級車もらってめでたしって、そりゃないよ。言葉にすれば、このようなモヤモヤを子供なりに抱いたものだった。

             

             自他ともに認める一流シェフが、オーナーや評論家と衝突して店を辞め、屋台のトラックを始める。その過程でつながりの薄かった息子とも心を通わせて行き・・・・・・、という明るい物語である。シェフが主人公の映画は何本か見たことがあるが、なぜかあまり食い物がうまそうでない作品ばかりだったのが、本作に関してはやたらとうまそうだった。そのうまい料理がヒットしていく様子がテンポよく描かれ、それなりに楽しめる展開だが、自分の店を構えるラストは、「もりたろうさん」の、結局高級車かよというのと同じ感想になった。

             

             多忙を理由に子供と向き合うことをサボってきた主人公が、屋台の創業から営業まで息子に手伝わせることを通じて初めて父親らしいことをする。父親としての自覚も生まれてきた矢先に開店である。この男は再び多忙を理由に息子をほったらかしにするのではないかと思ってしまった。
             まあ、子供の方は、この屋台の経験で確実に成長しているから、こちらの心配とは裏腹に、勝手にたくましく育っていくのかもしれない。だとすると、余計にこの、料理に対して真摯なこと以外、人格的にもあまりいいところがない主人公に対して、どうせこの先も都合よく周りに支えられて楽しく暮らすのだろうと嫉妬がメラメラとしてくるのだった。

             

            「CHEF」2014年アメリカ
            監督:ジョン・ファヴロー
            出演:ジョン・ファヴロー、ジョン・レグイザモ、ボビー・カナヴェイル



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