【La 美麗島粗誌】(33)台北その8_はじまりの場所、終わりの場所

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     台北駅前のホテルにチェックインした。駅前といっても、地下街をまあまあ歩いた先にある。梅田に例えればリッツカールトンくらいの位置関係か。無論、ホテルはリッツではなくビジネスホテル並だ。圓山大飯店に3泊する元気(財務体力)がなかったためにほかならない。


     木調の洒落たデザインで、部屋も今時な雰囲気だが、窓なしの気が滅入る部屋だ。台湾のホテルは窓なし部屋が珍しくないようだが、火事の場合のマイナス要素はないのかね。トイレはなぜか、インドでお馴染みの拳銃型ウオシュレットだった。試して見ると、尻に穴が開くんじゃないかという水圧だった。これぞまさしく「インド人もびっくり」。これ何?掃除用?

     遊んでいる場合ではない。雑用というか洗濯がたまっているのだった。何でもお高い圓山大飯店は、洗濯代も馬鹿馬鹿しい値段だったせいだ。お陰で着るものがもうない。最上階の洗濯場に行くと、なんとタダだった。セットしてぼさっと待っていると、現れた若い男が「どうやって使うんだ?」と英語で聞いてくる。「電源入れて、洗剤入れて、スタート」と説明すると、呆けたような顔で「金どこで払うの?」と言った。使い方くらい知ってるよといった様子。そりゃそうだわな。


     問題は乾燥機で、5、6台並んでいるが全部埋まっていた。洗濯機より所要時間が長いから、かなり待ちそうだ。仕方がないので、先に晩飯でも食いに行こう。まだギリギリ日が出ている時間帯だが、昼飯にロクなものを食っていないので空腹だ。

     周辺は、カメラ屋街だった。キヤノンだのペンタックスだのソニーだのといった馴染みのブランドロゴが描かれた統一規格のような看板が、看板の意味をなさないくらい並んでいる。亭仔脚とスクーターと縦長看板が台湾の都市を構成する3要素だが、特にこの台北駅南西側エリアの統一感は見事なのだが、最もそうなっている場所の写真を撮り忘れている。

     聞くところによると、自治体によって規格を決めているケースもあるとか。だが、台風の島なのに、こうやってビルから突き出た看板が発達したのはなぜなのだろう。地震があるのに古い建物が多いのと同様疑問だ。これを書いているのは台風21号の直撃後であるが、あの日近所の縦型看板は見事風圧でバキバキに粉砕されていた。

     

     この近くにあるのが北門である。清朝時代の台北府城の城門だ。三国志なんかでおなじみの、町全体を城壁でぐるっと囲むタイプの城だ。東西南北に門を設けていたのが、北門だけが現在も当時の位置に残っている。日清戦争後の下関条約で台湾が日本に割譲されると、現地の清朝高官らはこれに抵抗して「台湾独立」を掲げたが、舌の根も乾かぬうちに大陸に逃げ帰ってしまった。その混乱に嫌気が差した住民らが日本軍に協力したので、労せず無血開城となった。この門から近衛師団が入場した、と色んな本に書いてあるが、結構狭いのね。

     城壁はその後日本によって解体され、水道工事や淡水の護岸工事に使われたとのこと。ただ、城壁は消えたものの、割と最近まで高架道路がすぐ脇を通り、日本橋状態だったようだ。この広場が完成したのは1年前である。門の北側は梅田駅の北ヤードのように再開発中の景色が広がっている。

     


     周辺はレトロなビルが目立つエリアで、飲食店も多い。そのうちの一軒「東一排骨總店」に入った。グーグルマップで目に留まったからというだけの選択だが、店内の様子が最高にクールだ。昭和のヤクザ映画で鉄砲玉が突撃してくるクラブのような雰囲気だが、売ってるのは牛排骨飯、つまり「トンカツ定食です」と店のおばちゃんがビジネス日本語で説明している(牛だからトンカツではないけど)。日本のカツと違って骨があるから勢いよくかぶりつくと場合によっては悲劇的なことになりそう。うまいっす。

     

     食べ終わってホテルに戻ると、洗濯場にいた面々の顔ぶれが全く変わっていない。あれから1時間、ママさんたちは全員洗濯しっぱなしか。大陸旅行者におなじみのあのバカでかいキャリーケースに山ほど服が詰まっているのだろう。運よく空いてセットしたが、パワーの頼りないマシンで乾きが悪かった。
    想像以上に手間取りつつ終了。さて残りの時間をどうしたものか。

     

     遅くまで開いているという理由だけで龍山寺にやってきた。清朝乾隆帝時代から続く台北を代表する名刹だが、福建省にある開元寺の末寺とのこと。確かに立派だが敷地はさして広くない。門をくぐると滝とちょっとした広場はあるが、日本の有名寺院のようなだだっぴろい参道等はなく、すぐ本殿がある。本尊は観音菩薩だそうだが、素人目には道教寺院との違いがよくわからない派手さだ。ガイドブックには「神仏混合」とある。まあ道教自体が何でも混合的な雰囲気がある。地震や台風で何度かの破壊をへて、現在の建物は1920年代に修繕されたものだとか。

     境内では、八朔の房のような形の赤い木片を石畳の上に転がしている人々が何人もいる。神筈というらしい。「KANO」でも見たことがある。テニス部の蘇正生のパワーを見込んで近藤監督がスカウトに行くと、蘇家のばば様がこの神筈を振って行く末を占うというシーンだった。2つで1対で、表裏の組合せが神仏のお告げとなっているようだ。このように同じ仏教といっても作法が結構違う。線香の使い方も独特。京都の寺なんかで中国人観光客が作法を真似ようとして混乱している様子を何度か見たことがあるが、あれの気分がよくわかった。特段難しい動作をしているわけではないが、儀式の厳かさと手慣れ感が交わると、見様見真似はかなり難儀だ。


     帰途は西門駅で下車。有名な西門街を背に、ホテルに向けて歩いた。中山堂という建物が見えたので見物。かつての台北公会堂で昭和天皇の即位に伴う事業の一環で建てられ、1936年に完成した。日本が台湾を手放す降伏式の会場でもあった。北門が「はじまりの地」なら、こちらは帝国終焉の地である。両者の距離は500mもない。

     

     周辺には居酒屋的な店も多い。夕飯が早かったので腹が減ってきた。包子とビールを買って、ホテルでひっかけて寝るとしよう。それにしても、ホテルの周辺には理髪店の看板がやけに多いと思っていたが、夜がふけても煌々と灯りがついているのを見て、そういうことかと理解した。帰国後ようやく読みだした「流」には、祖父の「理髪店」通いについてのエピソードが描かれているが、目の前のそれらはどこも何の活気もなく、ただただ惰性でやっているような湿気た雰囲気だけが漂っている。


    【La 美麗島粗誌】(32)台北その7_念願、虚構

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       圓山大飯店ともさようなら。土産物のせいで鞄が一つ増えてしまい、面倒なのでタクシーで台北駅に向かった。何度か利用しているが、地上から外観を見るのは初めてだ。武道館のような独特の格好をしている。

       とりあえず朝食を食べたいが、駅の飲食街で開いているのは、モスバーガーかパン屋かといった具合。結局、駅の外にあったセブンイレブンのイートインコーナーで、またも独特の具材のおにぎりに挑戦した。やはりよくわからない味だった。

       

      瑞芳駅に現れた太魯閣号。ソニック風味

       本日の目的は人気の平渓線だ。沿線に雰囲気のある駅が並ぶローカル線である。本数が少ないので事前にしっかり時刻表をチェックしておく必要がある。まずは荷物を預け、宜蘭方面の電車に乗って瑞芳駅へ。この時点で結構な田舎にたどり着くが、あまり待つことなく黄色い車両がやってきた。結構混雑しているが、運よく座れた。

       

       基隆河沿いの渓谷を電車がのんびり進んでいく。緑が溢れているが、台南や高雄と違って生えている木が日本と似ていて既視感のある山奥の景色といえる。3つめの十分駅で多くの人が下りていく。俺は終点まで行ってみるとしよう。

       菁桐駅に着いた。平渓線は、石炭の運搬目的で建設され、往時はすべての駅に炭鉱があったが現在はどこも閉山している。その夢の跡感が最も強いのがこの菁桐駅で、日本統治時代の木造駅舎が残っている。

       

       俺にとってはどちらかというと「台北に舞う雪」の舞台という位置づけ。さして面白くない映画だが、映像は綺麗だったので印象に残っている。映画の中でもさんざん出てくる竹の短冊が溢れていて、駅前には、これ出てきたっけ?(うろ覚え)と思わせるカフェがある。ただし、印象的な赤い橋等々は割と通そうで、折り返し電車が15分くらいで出発するのと天秤にかけると、後者が勝って駅前周辺だけぶらついた。土産物屋の店主たちも「どうせすぐ折り返すんだろ」という表情に見えるような・・・。


       せっかく来たので何か買い食いをと、饅頭を一つ購入したが、とても残念な味だった。酸化したピーナッツの味で要するに古くなったマズさ。それも後押しして短時間で菁桐とはお別れ。人気の十分で降りた。

       

       

       ここはランタンと、商店の軒先ギリギリを車両が走ることで有名な場所だ。観光ポスターでも見たことがあるし、映画やドラマでもよく出てくる。ランタンは色が様々あって、願い事に応じて選ぶらしい。まずは筆で願い事を書き入れ、店員の指示で上空へと飛ばす。熱気球構造になっているので、ふわーっと浮いていくわけだが、思いのほか一瞬だ。

       

       それらの喧騒を写真に収め、ギリギリを通過する車両も撮れた。あとは昼食といきたいところだが、予想に反して飲食店があまりなく、結局ソーセージとか、テイクアウトのおやつっぽいものをいくつか食べるにとどまった。これだったら菁桐駅で売っていた雞捲とかイモとか、未知の食べ物を買った方がよかった。何で饅頭にしてしまったのだろう。せめてマンゴースムージーでも飲むかと買ったら、飲みきれないくらい大量だった。

      なぜ座って撮るのだろう?この橋を渡った先に滝がある。

       

       人気の九份はアクセスがあまりよくない。十分で十分満足してしまったのと、「悲情城市」で街並みの魅力がよくわからなかったのと、千と千尋にそれほど思い入れがないこともあり、今回はパス。台北に戻るとしよう。


       台北駅からMRTに乗り、再び中正紀念堂駅で降りた。ちょうど時間的に、紀念堂の衛兵交代を見れそうだったからだ。
       一昨日の夜に来たときはわからなかったが、紀念堂は青瓦の映える建物だった。あのときも大きいとは思ったが、近づくと思った以上に非常識な巨大さだった。そういえばライブで出会った彼ら2人も「あのサイズ感、ヤバないっすか」と、ついていけないという顔をしていたが、中華の正統を自称するにはこれくらいデカいものが必要だったのだろう。

       

       そもそもこの公園自体がだだっぴろい。地図で確認すると長居公園くらいあり、日比谷公園よりちょっと広い。どちらとも違うのは、建物がドーンとある以外はせいぜい花壇があるくらい。まあ、こういう広場も大陸っぽい発想で、日本の場合はそもそもこういう場所を作ろうという発想自体があんまりない。

      階段を上る人間のサイズと比べると、呆れる大きさ

       「中正」は蒋介石の字(あざな)で、台湾中に中山路と並んで中正路があるのもこれが由来。要するに蒋介石没後に顕彰のため建てられた。1980年完成なので比較的新しい。「流」では冒頭、蒋介石が死亡したところから始まり、それが当時いかにショッキングな出来事だったかがつづられているが、そのショックがここまでデカくさせたのだろうか。高さ70mだから、総統府より高い。
       階段を上ってお堂にたどり着くまでに息が上がってしまった。中には大仏のような紹介石像があり、2人の衛兵が警備している。彼らが1時間ごとに交代する儀式が観光の定番となっている。こちらすっかり汗だくだが、制服を着こんで微動だにしない様子に息が詰まる。

       間もなくして交代の人員が現れた。勿体ぶったゆっくりとした一糸乱れぬ行進に、須藤元気のダンスグループを思い出す。中空を見るような目つきが怖い。元いた2人と合わせ、全員で右を向いたり向こうを向いたり、銃を上げる下げるグルグル回す、といった演武のような儀式が結構長々と続く。その技や緊張感は、いかにも「衛兵」というどこか古めしかく響く役割にぴったりなのだが、しかし何を守ってるの?という疑問はずっと点滅している。

       王宮のように、生身の人間がいる場を守護するならこれでよかろうと思うが、ここには像しかない。軍政時代ならそれなりの意味もあったろうが、民主化し、大陸からの攻撃もかつてのような現実味からは遠ざかったことを考えると、内にも外にもさして大きな意味を持つパフォーマンスとは思えない。せいぜい思い浮かぶのは「中華民国」という一種の虚構を維持するための装置という役割だが、仮にそうだとすると、台湾が中華の正統を名乗り続ける方が、民国を捨て台湾国でいいじゃんといわゆる独立を選ぶよりも遥かに大陸を刺激しないという点では、彼ら衛兵は台湾全体を守護しているとみなすことができる。

       それにしても、暑さと緊張感ですっかり疲れてしまった。ここには中正さんにまつわる展示もあるが、もういいやという気分になってしまい、早々に退散した。ちなみに制服が青かったので、彼らは空軍の所属なんだとか。


      【La 美麗島粗誌】(31)台北その6_将軍のチキンを求めて

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         近所には、「インターネット投票で1位になった」パイナップルケーキ屋がある。どこのどのような投票かは知らないが、近くなので細かいことはどうでもよい。茶屋の店主からは「試食して美味しかったら買えばいいのでは」と至極真っ当な助言をいただいていたが、店を見つけて入ると、早速「試食どうぞ」と勧められた。

         

         これは美味い。迷わず購入。比較対象の母数はゼロに近いので実際のところどれくらい美味いのかわかっていないが、美味いと思ったのだから構わない。別の店員が「お茶をどうぞ」と日本語で椅子に座るよう促した。
         注がれた器は猪口よりは一回り大きいサイズで、二層式の本格派をやらないときはこのような器でいただくと、既に学習済みであった。いただきます。結構なお点前で。

         

         一旦ホテルに戻って土産類を部屋に置き、すっかり鞄に収まりきらなくなってきていることに閉口しながらまた送迎バスに乗って市内に戻った。MRTで南下し、大安駅で茶色の文山線に乗り換える。高架上を走る路線のようで、市内を見下ろす格好で走っていると、「台北教育大」と書かれた茶色いビルが見えた。へえ、ここか。

         

         単に「あの頃、君を追いかけた」のヒロインが通う設定の大学というだけのことだ。クラス一の秀才だが「受験に失敗した」と泣きじゃくるシーンの後、この大学に入っている。わざわざ見に行こうとは思わないが、思いがけず視界に入ったのはちょっと得した気分だ。

         

         六張犁駅という難しい漢字の駅で降りた。放射状に広がる交差点の上に駅があり、まんまと目的の方向とは反対に歩き出してしまった。方向音痴の人も、方向音痴ではないと思っている人間も、こちらが正しいと確信して間違える点では同じだが、方向音痴ではない方が間違いに気づくのが少しだけ早いと思う。

         

         取って返して元のややこしい交差点を越え、間もなく目的の店が見えた。

         「The Search for General Tso」(邦題:左将軍を探して将軍のチキンを探して)というドキュメンタリーを見たのがきっかけだった。アメリカの中華料理の定番に「ツォ将軍のチキン」というのがあるのだが、中国人は誰も知らない。天津飯のアメリカ版のような料理といえる。じゃあこのツォは何者で、由来は何かというのを取材した内容である。

         

         番組でそのルーツとされたのが、台湾の「左宗棠鶏」という料理だった。ツォ将軍とはこの左宗棠のことで、清朝末期に活躍した政治家・軍人である。ただし彼の故郷の湖南省にもこのような料理はないし、左の子孫も知らないという。

         

         グルメガイドにもよくある通り、台湾は上海料理や四川料理など、大陸各地の料理を楽しめるのだが、その理由は国共内戦で中国各地の料理人が移住したためだ。湖南料理人の彭長貴は蒋介石のお抱えとして台湾に渡り、そこで新しい料理を開発し、湖南省の英雄の名を冠した。彭の店は成功し、アメリカにも進出。そこでこの料理が広まった、というのが由来の一説らしい(他にも開発者を名乗る人がいる)。

         

         歴史上の人物や、台湾近代史のど真ん中も巻き込んだ物語に惹かれるものを感じ、これはぜひとも台湾で食べなければならないと考えていたのだった。揚げた鶏を甘辛いソースに絡めたような外見は、いくらでも中国にありそうなのに、食べた人たちが総じて「??」という反応だったのも興味深い。

         俺は「海外のウソ日本料理をただす」の類の傲慢で恥知らずなテレビ番組が大嫌いで、天津飯にしろ台湾まぜそばにしろ、食材や料理の伝播と変化は面白いと思っている。無論、元祖も尊重する。左宗棠鶏は伝播先なのか元祖なのか中途半端な位置付けといえるが、大陸にはない台湾オリジナル料理というのがいいじゃないか。

         当初は開発者を主張する彭の店に行こうと考えたが、地元の名店として邦人在住者のブログで紹介されていたこちらの店を選んだ。この庶民的な佇まいがいかにも期待させる。

         

         ガラス戸越しに中を覗くと、18時過ぎにしてすでに満員だった。さすが地元の人気店。半分諦めかけつつ「1人ですが」とおずおず入店すると、大蔵卿局風の強面母さんが、表情一つ変えずに折り畳み式のミニテーブルを出し、会計台の横に置いた。まるで給食の居残りのような懲罰感もうっすら漂う臨時増設だが、いただけるなら何だっていい。伝票にギッシリ並んだ漢字の文字列から「左宗棠鶏」を見つけてチェックを入れ、高雄で食い損ねた蛤の汁と、大陸で食べてすっかり気に入った干し豆腐の料理にもチェックを入れて大蔵母さんに手渡した。


         周りは仕事仲間といった風情の客が多く、大抵が鍋を囲んで楽しそうにしている。その中で完全に浮いている居残り懲罰風の不審な外国人を気に留める様子は一切なく、実に心地いい。ビールはセルフ式のようで、めいめいが勝手に冷蔵庫から瓶を取り出し、食器棚から栓抜きを取り出して開封している。ご飯も、この食器棚から茶碗を取って自分でよそうスタイルのようだ。
         俺も喉が渇いた。大蔵母さんに「啤酒を取りに行くよ」と唯一知っている中国語プラス手振りで断ると、わざわざ取って栓も抜いてくれた。あれ?もしかしてこの人、優しい?

         

         前菜的に干し豆腐炒めが現れ、「うまっ!」と驚き、いただきながらビールを飲んでいると本命が現れた。
         酢鶏のような味を想像しそうな外見だが、見かけと違って結構あっさりとした味付けだ。例によって形容しがたい香辛料の複雑な味も混ざりつつ、少なくとも食べたことのない味だと思った。無論、美味い。夢中でがっついた。問題はこれが猖棆鉢瓮▲瓮螢ではどうなったのかだが、似て非なるものになっていそうなのは想像に難くなく、料理というのはそういうもんですろ。とにかく、グルメに関してはあまり充実していないここまでの旅路が全部帳尻が合ったという感想。

         

         蛤汁はだいたい想像通りの味。「貝の中で最も普通で美味い」は新明解国語辞典でおなじみ。以上全部で600元。特段安くも高くもなく。汗だくになって食べていたら、大蔵母さんがティッシュを寄越してきた。やっぱりこの人優しい。


         外に出て気づいたのは、完全に食い過ぎていたという事実だった。若干気持ち悪くなっているのがもったいない。遠くに台北101がギラギラしているのが見える。歩けそうな距離だ。腹ごなしに歩くとしよう。

         


         台北で最も高いビルは、あべのハルカスよりも100m以上高い。市内のあちこちから見えるので、その点でもあべのハルカスと違ってランドマーク的存在感が高い。
         近づくと、歩道橋に重装備なニコンやキヤノンを三脚にセッティングしているカメラおやじが何人もいた。眼下のでっかい交差点は、さすが台北、スクーターの数が尋常でなく、ヨソモノにはそちらの方がよほど目を引く。


         「高いビルに登ってそれが何だというのだ」という気はするが、せっかく来たし行ってみよう。内部の商業施設は日本でもおなじみのブランドだらけで外国人には特に面白くはない。切符売り場に到着すると、かなり混雑していた。日本人、韓国人が大量にいる。入場料もあべのハルカスより高い、ちょっと馬鹿馬鹿しい値段である。

         

         その上、行列が凄かった。整理番号が振られているがあまり意味がない。世界最速を謳うエレベーターで展望台に上るのだが、何機もあるわけではないので結局はエレベーター待ちになる。
         並んだ後ろには、大学生くらいの日本人の男子6人組がいて、彼ら風の表現でいえば、クッソつまんねえ話でクソうるさくて仕方がない。ある意味フツーの若者といえるが、彼らはいったい何の目的で台湾まで来ているのかは多少気になった。まあ、この場では俺の方こそ一人で何をしてるんだという状況だが。


         結構待たされてようやくたどり着いた。確かにエレベーターは高速で、一見の価値はあると思ったが、景色はハルカスとそんなに変わらなかったのであまりありがたみを感じず、ちょっと損をしたような気分だった。あっちに登ってなかったら、高さに感動したかもしれない。

         

         帰りは帰りでまた混雑する。バカ高い宝飾品の販売コーナーを速足で抜けていったのは、帰りもくだんの若人グループと一緒になりそうだったからだが、ガラスケースに入った成金趣味全開のサンゴを見て「すげー」と騒いでいたので、素直でいいヤツらなのだろう。


        【La 美麗島粗誌】(30)台北その5_喫茶ROCK ON

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           タクシーで最寄りの士林駅まで行き、そこからMRTで南下して雙連駅で降りた。デカいホテルがあったりスナック通りみたいな盛り場があったり、長堀橋のようなエリアだ。目的の店が見つからず、行ったり来たりを繰り返しているうちに昼飯を食い損ねてしまった。

           

           土産物に焼物でも買おうかと思うのだが、焼き物の里として有名な鶯歌は、知った人間にいわせると「商業化されていて結構つまらなかった」という。だったら台北でいい店はないのかと検索したら一軒紹介されていた。台湾産の陶磁器を扱い、安い物も置いているとある。ようやく見つけた店構えは、「安い物もある」のネット情報がなければ敬遠していただろう。いかにも高そうな上品な雰囲気だ。遠慮がちにドアを開けると、外の喧騒から隔絶されたかのように静かで整然としていた。

           

           中国茶の専門店で、茶器も販売している。びびる値段の商品もあれば、気軽なのもある。ただしちょうど真ん中くらいがない。安物の猪口のような器でも買おうと眺めていると、「そちらはプリント、こっちはちゃんと絵付けしています」と店主が説明してきた。まあまあの高齢女性で日本語が達者である。筆で職人が描いた方は確かに風合いが全く違うのだが、価格は推して知るべし。旅行ですか、いつからですか、などと尋ねられ、これまでの旅程をごく簡単に説明すると、「それはあちこちと」と嬉しそうに歓迎してくれる。

           

           「お茶、召し上がりますか?」
           暑い中を歩き回って空腹を忘れるほど喉が渇いていた俺は、御厚意に甘えることにした。カウンターに招かれる。店主は巨大な蓋つき灰皿のような陶器(こんなやつ)を出し、その上に小さな急須を置いた。そして手にした片口の器に「量はこの程度」とレクチャーを交えながら茶葉を入れる。1つ1つが仁丹のように丸まった深緑の粒が白い器にころころと転がり込んでいく。それを小ぶりな黒い急須に移し替えると、湯沸かしポットの湯が勢いよく注がれた。溢れた湯は蓋つき器の中に収まっていく。「95度のお湯で50秒から1分待ってください」。そうして茶が出れば、急須の中身は一旦全部別の容器に移してしまう。急須に入れっぱなしだと風味が落ちるからだ。
           「烏龍茶は、お飲みになったことは?」
           「あります」
           「どちらで?台南?高雄?」
           「いえ、日本で」
           答えると同時にしくじったと思った。笑いながら「日本で!」と呆れている店主の頭には、サントリー烏龍茶の焦げ茶のラベルがデカデカと浮かんでいるのだろう。「日本のとは全然違います」とピシャリ制されながら、どうして「初めてっす!うす!」とカマトトぶらなかったのかと己の未熟さを恥じた。

           

           店主は俺の目の前に筒型と猪口型の2つがセットになった小さな湯飲みを置き、筒形の方にまず注いだ。これを猪口型に移すことは知っているのだが、さて戸惑う風を装うべきか、知った風な手つきをするか、少々迷ったが、どちらにせよ店主は気にも留めないことはすぐにわかった。レクチャーする人間はしばしば、相手に心得がある可能性を忘れがちで、つい知識10:0の想定で語り始めてしまうものだが、そこに加えて彼女の頭はとっくにサントリーのラベルで占められている。

           

           店主に命じられるまま、俺は茶を移して空になった筒形器に鼻を近づけ香った。さすがプライドに比例する芳香がふんだんに鼻腔を埋め尽くす。そうして猪口型の器に口をつけ、茶を味わった。美味いのはいうまでもないことだが、昔々さんざん通ったあの店は、いい線いってたんだなと思い返していた。サカグチという大阪人の王道を行くような喫茶店好きの男がやたらと気に入り、何かにつけて「行こや行こや」と誘われた中国茶の店だった。
           「どうですか」
           「素晴らしいです」。俺は脳裏からサカグチもあの店も追い出し、まるで目から鱗のような顔をして日和見を決め込んだ。確かに茶は美味いから嘘ではない。
           「最近は台湾でも、こういう飲み方をする人は少なくなりました。今はみんな忙しいでしょ。でもこうやってゆっくりお茶を楽しむ時間は大切ですよ」

           

           そう言いつつ、器も小さければ急須も小さいので茶はすぐ空になる。そのたび店主はポットの湯を注ぎ、あふれたお湯が台座の器に収まり、急須からでかいミルクポットのような器に移し替えられ、筒形器が満たされると俺は猪口に移してくんくん香る。そうして飲みきるとまた注がれて・・・、と椀子そばのように忙しい。
           「なくなったらまたお湯を注いで50秒。日本茶と違って二番茶三番茶、何度も美味しくいただけます」
           この解説もすでに3周目だった。店主のきらきらした上品な目つきは有無を言わせぬ凄みも併せ持ち、お茶のおかわりを切り上げるのは椀子そばを止めるより難しそうだった。ついでにこの方、「大阪から?その割には言葉が大阪弁じゃないですね」と耳までいい。

           

           しまいに「お茶ばかりだと口が寂しくなりますから」と高度な日本語とともに、自家製の梅漬けや乾燥マンゴーまで登場してくる。「ごちそうさまでした」の発議がますます遠のき、まるで親戚宅を訪れている気分になった。アットホームに心和ませたいならかさ高さは甘受すべし。同時に俺は散財の覚悟を固めていた。


          【La 美麗島粗誌】(29)台北その4_豚薔薇、「人類史上最高」との再会

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             展示物は、商や周の青銅器から始まり、陶磁器、書画、宝飾、象牙、家具、仏像など。書画以外は誰が作ったのかよくわからない工芸品になるが、一番人気で一番理解に苦しむのが、白菜と豚角煮だ。

             いずれも翡翠とか碧玉とかの宝石で作った置物だが、花とか竜とかならわかるが、なぜ白菜に豚肉なんだろう。いや白菜はまだわかる。たしか大陸のどこかで巨大白菜のオブジェを置いたと話題になってたはず。検索したらいくつかの町にあるようで、発音が百財と同じだから縁起がいいとの由。じゃあ角煮は? ああ、そういうこと、つまりこれはあれだ、「愛」を表しているんだな。バラだけに。

             

             説明書きを見ると、肉汁が溢れそうだの香りがしそうだの評価は書いてあるがそもそも何モノなのかがわからない。帰国後、「ごめん仕事が」と湿気た回答で同行を断ってきた学芸員に聞いたが「勉強不足で」とパッとした答えは得られず、「勉強しろ」と言った。
             彼の推論を俺風にまとめると、皇帝の道楽が行き着くところまで行きついて、普通の意匠では満足できなくなり、アバンギャルドさが面白がられた逸品である。まあ確かに、現にこうやって来館者がかじりついているのもスマした皿や壺に比べて面白いからだろう。

             

             個人的には商や周の青銅器にまず歴史ロマンを感じ、審美眼的な部分を刺激してくるのは陶磁器だ。宋時代の緑や青や黒の単色の器はビギナー的には綺麗でシックな欲しくなるデザインである。中でも汝窯という窯元の製品は現存点数が少なく、出来もいいので人気がある。


             俺がこの故宮博物院に興味を持ったのは、以前に大阪市立東洋陶磁美実館で故宮所蔵のこの汝窯の焼物を見たからだった。「人類史上最高のやきもの」という大袈裟なキャッチコピーで紹介されたのは、水仙盆というグラタン皿のような深さの四角い器で、故宮や東洋陶磁所蔵の同形状のもの5つとともに展示してあった。そうして同じようなものが並べられると、素人目にも「史上最高」とされたものが群を抜いて出来がいいことがわかる。発色の見事さが段違いで、こりゃ確かにすげえと感動したものだった。こんな大層なものを所蔵しているのなら是非行ってみたいものだと当時思ったものだったが、再びそれが俺の目の前にある。それも大量の展示の中に紛れて。

            青瓷無紋水仙盆

             

             こうして見るとありがたみがよくわからない。以前にああいう形で見ていなかったら素通りしていたような気もする(一応ミュミュージアムショップでは推している)。というかこれがあの6つのうちの1つなのかどうかも自信がないが、多分この滑らかさはそうだと弱弱しく確信するのだが、後で確かめたらやはりそうだった。学芸員の仕事って大事だよなあ。ちなみにこの器の用途は不明。おそらく花でも活けたのだろうという推測で水仙盆と呼ばれている由。

             

             この分野はやはり明清時代にきらびやかなものが揃っている。重要産業の製品として国が後押ししているから栄えもするのだろう。明初期の永楽帝のころ本格的に国策として乗り出したと説明書きにはあるが、このころはまだしかし、青の発色がくすんでいる。その後の洗練は良質のコバルト鉱山でも見つかったためか。焼物というのは化学工業の世界だよね。とすると、しげしげ眺めてみて、どうしてこんな高度な技術力を持った国がその後欧米に好き放題いいようにやられたのだろうと疑問が膨れ上がって仕方がない。科学技術は持っていても科学がなかったから?

            左・明永楽時代、右・清雍正時代。青が黒っぽかったのが、時代が下ると明るくなる。

             展示の中には、デジタル技術で遊べるものもあった。郎世寧という画家の細密な絵を拡大して観察したり、塗り絵をしたりできる。というかこの画家物凄いな。中国の円山応挙か若冲かという細かさで、こんな画家がいたのかと不明を恥じた。そしてよくよく聞けばイタリア人だった。ルネッサーンス。


             ところで撮影は可で、フラッシュだけ禁止である。荷物を預けてざっと見た後、再入場できたのでカメラをロッカーから取り出し気になったものを撮って回った。これは結構正しい見方ではないかとやってみて思った。

             

             まあ確かに、ここはまごうことなき中華民国であり、中国については勉強になるが台湾についてはさして知れることはない。その点逆説的に台湾を象徴した博物館ともいえる。



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