【やっつけ映画評】デトロイト

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     この監督の作品を見るのはこれで3作目。「ハート・ロッカー」で一躍有名になってからしか存じ上げないが、いずれも重いテーマな上、神も仏もないありさま(と拷問)をドキュメンタリー風味で描くから、見るのは腰が引ける。寒さのせいか、気分がすぐれず何もはかどらないので見に行った。殺伐としすぎていて、逆説的に「元気がもらえる」かもしれんと考えたのだが、さてどうだったろう。自分でもよくわからん。どうもこの監督は、俺にとって興味深いテーマを、俺にとっては好きじゃない具合に仕上げる。

     

     警察官による黒人射殺がテーマだ。今でもよくニュースになっていて後を絶たない。最近はスマホ普及のおかげで、警察側の正当防衛主張が大嘘とわかる映像が明るみに出ることもあるが(にしても警官は無罪になるボーンインザUSA)、ということは昔からそうだったんだろうなと思わされる。本作は「昔からそうだった」の実話だ。

     

     1967年にデトロイトで起きた暴動の最中、モーテルの窓から黒人青年がふざけて陸上のスタート用ピストルを撃ったことで、発砲と誤解した市警察がモーテルになだれ込んでくる。宿泊客は全員壁に立たされ、「銃はどこだ」「知らねえ」ボコッ、「撃ったのは誰だ」「俺じゃねえ」ボコッ、の特別公務員暴行陵虐罪が延々と続く。暴動取締の応援に来ていたと思しき州警察の警官が「人権侵害がひどすぎる」とドン引きするほどだ(そしてその良心派警官が厄介事に巻き込まれたくないと目を逸らす地獄絵図)。

     

     市警の警察官が過度に暴力的に振舞うのは、彼ら猴撞深圻瓩黒人だからだ。嘘つきの犯罪者に違いないという思い込みと、隙を見せると殺されるという恐怖心に因るのだろう。いずれも大元にあるのは差別だが、警官たちは、汚い侮蔑の言葉を吐く等の直截的な差別的言動を誰もとらない点(嘲笑するシーンは少しあるが)が説得力を生んでいる。彼らは(内心は黒人を蔑んでいたとしても)職務に忠実なだけのつもりなのだと思う。なので話が複雑になる。まあ差別の話は毎度そうだ。結果、半世紀前の話ながら、五十年一日状態で今に直結している格好になる。監督がこの古い話を持ち出してきた理由もその辺りにあるのだろう。今やる意気込みは、先日NHKがやっていた赤報隊の番組と同じで、その心意気は素晴らしい。

     

     示唆に富む場面はいくつかある。主犯格の警察官は、序盤で暴行に乗じた窃盗犯を射殺しているが、合理的理由が全くない状況での発砲なので、さすがに上司も咎めてくる。だが面倒くさいのか、適当に理由をでっち上げて黙殺する。結局彼を不問に付したことが、より大きな事件につながっていくわけだ。たがが緩む、というのはこういうことなんだな。特に警察は権限と銃を与えられているから、暴動という特殊な状況下でも、原理原則四角四面は重要なのだ。

     

     現場近くで勤務する警備員のディスミュークスは、警察官に職質を受ける黒人のなだめ役のような立ち回りを普段からしているように描かれている。このため「お前は白人の犬かよ」と罵られるが、反発するより生き抜くことを選べと諭す。この頼れる男っぽい大人なキャラクターのディスミュークスも、この事件の現場では出る幕がない。黒人たちを救おうと隙間を見つける努力はいくつかするが、立場上警察側に立たざるを得ないし、状況も不用意な行動を許さない。要するに傍観者になってしまう。結果、彼には皮肉な運命が待ち受ける。不正を傍観すると、やがては自分に返ってくるということだ。じゃあどうすればいいのかといわれると、さっぱり何もわからないから難しい。正義を貫こうとした人物は射殺されたしで。

     

     このように、問題提起の多い作品だが、救いのない実話を扱っているだけに、内容は救いがない。変にどこかでスカっとさせる演出を入れると途端に説得力がなくなるだろうから、制作側の狙いからいってもこういう物語になるだろう。

     それでも、見た人に差別について考えてもらうというメッセージ性からすると、はて効果的なのだろうかとは考えた。

     


    テレビの感想

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       録画していたNHKの「未解決事件」を見て、草剛はいい役者だなあと思った。右翼役の村田雄浩に「銃弾は私たち一人一人に向けられたものだ」とぶつけるクライマックスを筆頭に、教条主義的に響いてしまいそうな台詞を、特段格好よくもなく、それでいて熱っぽく、表層的にならずに演じていて、やるなあと思って見ていた。あと、茶色のジャケットに青シャツを合わせる着こなしは、「大統領の陰謀」のロバート・レッドフォード風だった。


       このシリーズは、グリコ森永のを見て以来なので相当に久々だ。あのときは、再現ドラマとドキュメンタリーが交互に出てくる構成だったせいで批判もあった。犧遒衒瓩取材した事実の合間を埋める格好になっているせいで、インチキっぽく見えるからだろう。

       今回は前後編で、ドラマとドキュメンタリーが分かれていた。確かにこの方が制作者の狙いは明確になるのではないかとは思った。別にどんな狙いがあるのか知らないけど、ドラマの場合は再現性ないしは臨場感という点で優れている。もちろん危うさはある手法だが、事実に即することと、ドラマとしてきちんと仕上げることの、しばしば両立しなくなりそうな2つを追求する緊張感はあったんじゃないかな。心意気やよし、だ。

       こちらの勝手な事情で、先日瑣末な理由で、くだんの阪神支局の横をたまたま通ったから、余計に臨場感を感じながら見た。ドキュメンタリーの方も、さすがの面目躍如といったところ。

       

       NHKは、ニュースが死に体になってまあまあの年月が経過したが、ニュース以外は健闘している。今このテーマを扱う意義をしっかり見据えた制作陣の気合が入っていたと思う。「ニュースはやっていないテレビ局」だと見なすのが、もはや賢明なのではなかろうか、とすら思う。実際、ニュースが死に体というのは伝え方云々より(それも結構目につくが)、ニュースをたくさんネグっているからだし。

       

       ネグると当然時間が余るから、代わりに何か入れないといけいないわけだが、そこに相撲とかパンダとかがあると、埋め草いただきとばかりに結構しつこく報じることになる。会社員時代、俺は出来損ないだったから、取材が長期化しそうな案件は面倒くさいからなるたけ逃げようと、「すんません俺書道家のインタビューがあるんすけど」「そんなもん日程変えてもらえ」「ですよね」といった駄目な交渉をしていたものだった。で、例えばその書道家が会社主催の書道展に絡んでいる人なんかだと紙面に載せないといけないので「しょうがないから行ってこい」となる。体よく逃げられる。あのころの駄目さ加減を思い出させられるので、パンダがどうとか長々やってるのを見るのは嫌なもんだ。俺と違って本社に集めてるのは優秀な人間ばかりだろうに。

       

       くだらない昔話だが、これ以外にも、当時の自分の思考回路とかメンタリティとかが今の報道で見られる毛色と重なって見えるときがしばしばあって、でも結構前の話だし、俺ちょびっとしかやってないし、と否定はしてみるのだが、やっぱりつながる部分は確実にあるんだろう。この赤報隊の話を見てても思った。いつの間にこうなったのだろうと元をたどっていくと結構昔にあったことが積もり積もってくっついたりはなれたり発酵したりして今がある、ということは暴力とかに限らず、色んな分野であるもんだ。

       

       最初に触れたドラマのクライマックスでは、草薙演じる記者は、右翼の男に話を聞くというよりは啖呵を切りにきたように見える。ドラマの演出という点はとりあえず置いておいて、いやいや記者なんだからあんたの主張はいいから、こいつの言い分聞けよ、と思わないでもない。

       だけど、こういう態度も重要なんじゃないかとも思った。つまり、ドキュメンタリー篇で取材者は大人しく相手の言うことを引き出していたけど、突っ込んでもよかったんじゃないと思ったということだ。ま、こんなことも前から言われてることで、現場の人々も不満くすぶらせて色々考えているだろうし、で、積もり積もって今があると。だからやっぱり「やり方の変化」は避けられない課題だ。当然、こっちからぶつける場合、取材者の質がより問われることになるけどね。優秀なんだからいっぱい勉強したらいいだけのことだよ。


      【やっつけ映画評】ラスト・プリンセス 大韓帝国最後の皇女

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         冒頭で「フィクションです」とストレートな断りが入る。潔く、割り切って作られた作品だ。主人公やその家族は実在だが、多くは(モデルがいるにせよ)架空の人物で、劇中起こる出来事も架空のものが中心となっている。実在の人物を扱った歴史モノなのにそれはどうなんだという議論は後回しにして、特に中盤からのスピーディな展開はさすが韓国といったところだが、残念ながら期待したほどではなかった。日本統治下を舞台にした最近の作品としては、「暗殺」というのもあるが、こちらもちょっと受け付けなかった。南北をテーマにした作品に比べると、こちらのテーマは今のところ傑作には出会えていない。南北に比べて扱いの難しいデリケートさがあるのだろうか。まあ単に2本しか見ていないせいだろう。


         2代14年で終わった大韓帝国の皇族(王族)だった女性・徳恵が主人公だ。実在の人物で、大枠(特に最初ら辺と最後ら辺)は実話に沿っているが、真ん中の色んなエピソードは、多くがフィクションである。実話に沿った部分について簡単な感想を先に書いておくと、「主権」とか「国民」とか、言葉としては知っているけど実感としてはわかりにくい事柄について考えさせられた。疎外されたとき、はじめてこれらの意味が実感を伴うものなんだなあ、などと、その程度の呑気な感想を持っただけなのだが。

         

         さて本作の物語の根幹部分は多くが作り話という点について。「フィクションです」と断っているしで、いくらでも好きにやればいいと思うが、歴史を題材にしている分、いくら断りを入れているとはいえ、何でもアリにしてしまうと白ける危険性はいくらでもある。例えば徳恵がやたら強いとか、日本政府を欺く狡知の持ち主とか、007のようなヒーロー仕立てにしてしまうと当然興醒めする。なので制作陣も、徳恵の周囲の人間を活躍させて当人はあくまで巻き込まれる格好でストーリーを演出している。


         上手い設定なのが、悪役が同じ朝鮮民族という設定だ。ハンというこの人自体は架空なのだろうが、こういう日本側に積極的に取り入った朝鮮人(韓国人)は当時たくさんいた。中国や北朝鮮では、彼のような対日協力者は日本の敗戦後、売国奴扱いで排斥されたが、韓国では、北朝鮮との対立という緊迫に直面していたこともあり、うまいこと重用された人もいる。こういう事実を踏まえての造形なので、実にベタな悪役ながら、一定のホントっぽさを出せていると思う。彼の存在によって、日韓の善悪二元論的に、構造が安直になることも防いでいる。歴史モノにおける作り事の造形方法と役割を、このハンという登場人物は象徴している。ま、だとすれば、単純な悪役ではなく「彼には彼の理屈がある」という描き方をしてほしかったところだ。その理屈に賛同できるかはともかく、ただの佞臣以上の姿勢を出すことで、監督が狙った奥行の複雑さをより鮮明に出来たはずだ。


         ハンとは逆に、徳恵に救いの手を差し伸べるのが、日本で地下活動をしている独立活動家たちである。彼らが画策する徳恵出国計画が中盤のクライマックスだ。桜田門事件という史実をモデルにしているようだが、全体的にはフィクションである。既に述べたように、この一連のシークエンス自体は手に汗握るものがあるし、決行を決めたくせに要所で煮え切らない英親王(徳恵の兄)の頼りなさも、「だから国が亡びちゃうんだよ」と野次りたくなる悲哀が漂い、味わい深い。だけど、この構成は要るのかなあというのが率直な感想だった。


         彼女の人生の数奇さは、国がなくなったこともさることながら、敵方である日本の敗戦後にもドンデン返さない悲劇が待っていることにある。この苛烈な運命が投げかけてくるのは、くり返しになるが、「主権」とか「国民」とか「国家」とは何ぞやという問いだと思う。脱走を画策する中で、計画に反対する王族が「今の安定した暮らしを失う」と理由を語るシーンがあるが、このような発想は現実の王族にもあったようだ。一見すると実に情けない、佞臣利権のアレ界隈の人々が涎を垂らしそうな台詞だが、まさしく「国家とは何ぞや」を投げかけてくる悲しく矛盾した印象的台詞だと思う。彼女の人生を描く際に作り話を設定するなら、こういった問いを主軸として炙り出すような題材を考えるべきではなかったか。(受け身的とはいえ)独立の闘士を背負わせるのは、少々趣旨が違うのではないかと思う。

         

         ま、朝鮮総督府時代のお話は、まさしく本邦の題材でもあるから、イマイチ不発の作品だったということは、今度はこちらの番ということでもある、と我が身の燃料にしておくとしよう。

         

        「덕혜옹주(徳恵翁主)」2016年韓国
        監督:ホ・ジノ
        出演:ソン・イェジン、パク・ヘイル、ユン・ジェムン


        映画の感想:君の名は。

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           テレビでやっていた録画をようやく見た。備忘録がてらネタバレで感想をいくつか。

           

           手垢のついたモチーフを思い切り主軸に置くのは、昔から憧れている。見始めて間もなく、同世代の男女が入れ替わるのでなく、〇〇と□□が入れ替わるのはどうだろうとか、自分なりの別案をあれこれ考え出したから、そういう夢想をこちらに誘発してくる点、よい作品なのだろうと思った。見ながら、お!違う時間の人間と入れ替わるのはどうだろう、なんて考えていたら、そういう話だったのには苦笑したが。

           

           入れ替わりについては、藤子F不二雄「未来ドロボウ」のドラマを見たときに、ごちゃごちゃ書いたことがある。そこでも書いているが、巨匠Fには、この入れ替わりモノがいくつかある。親子が入れ替わる話とか、若い男女とオッサンの計3人が入れ替わる話とか、少年が、娘を亡くした父親に、少年が死んだ娘と入替させられるという本作と若干かぶる作品もある。例の牧歌的な絵で短編だが、泣かせる内容だ。本作と若干かぶると書いたが、本作の場合は涙腺は刺激されなかった。理由は後で書く。

           

           一番好きなのは、ドラえもんに出てくるのび太としずかちゃんが入れ替わる話だ。体のパーツを入れ替える道具で、のび太がしずかちゃんの優秀な学力を拝借しようと頭を交換したら、結果体が入れ替わるだけで、頭はのび太のまま。子供のときは読んで混乱したものだった。つまり、入れ替わりが起きたときの、本人を決定する主体はどこにあるのかという哲学的な問いである。本作でも、入れ替わりが起きたとき、元の人格の特技がそのまま継承されている(瀧君が裁縫上手になったり、三葉がバスケで活躍したり)が、特技の源泉は果たして、意識なのか身体なのか。

           

           そんなことをつい考えてしまうのがSF要素が持つ面白さだと思う。本作の場合、入れ替わり以外にも、あれこれボンヤリ想像した。高度に写実的な背景画で、田舎の女子高生と東京の男子高生の暮らしを並べられたことから来る、同質性にまつわる些細な発見とか、大災害という展開に驚きつつも受け入れていることとか。後者についてだけ説明すると、東日本の震災前だったら、トンデモ展開にしか映らなかったと思う。何より作り手も思いつかないか、思いついてもアリエネーと没にするかじゃなかろうか。時間差の中で一種の文通をしつつも会えない男女、かつ片方に悲劇が待つ、というのは「イルマーレ」と同じだが、あちらの悲劇が交通事故止まりなのは、まあそりゃそうなるわね。ちなみに韓国は中国やインド同様、大陸型のデンジャラスな運転なので、交通事故死は日本より身近だ(ネットで検索したら、人口が日本の半分以下なのに死者数は日本よりもちょっと多い)

           

           とまあ、作品に誘発されて脳が活性化したのは楽しい時間だったが、肝心の作中における「入れ替わり」の役割が希薄だった印象。話を展開させるための道具にとどまり、二人の主人公にとって何かの影響があったかどうかといえば、何度も牴颪Ν瓩Δ僧が芽生えた、というくらいでしかない。話を転がすためのただの手段になってしまっていると思った(一方で先に紹介した巨匠Fの場合は入れ替わり自体に大きな意味があるので泣かせる)。

           

           話に中身がないとか、監督の描く女子が完全に男のエロ目線だとかの巷の批判も、この辺りに原因があるのではなかろうか。いずれにせよ、根幹部分の意義が腑に落ちなかったので、恋愛モノに期待してしまうせつなさを感じられなかったのが残念。

           

          2016年日本
          監督:新海誠
          出演:神木隆之介、上白石萌音、成田凌


          【やっつけ映画評】ダンケルク

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             フランスの海岸に追い詰められたイギリス軍兵士の撤退を描いた風変りな戦争映画だ。見終わって、「世界侵略: ロサンゼルス決戦」に似た雰囲気の作品だと思った。


             船で英仏海峡を渡って逃げることになるのだが、なにせ兵士の数が40万人もいるから、一度に全員出航できるはずもない。順番待ちがとんでもない状態になる中、これる船も限られている。「乗せてくれ!」「定員オーバーだ」というやり取りが繰り返されて、ようやく乗れたと思っても、敵の攻撃を受けて沈没する。40万総カンダタ状態の、蜘蛛の糸祭りである。

             

             蜘蛛の糸と異なるのは、糸を垂らしてくれるお釈迦様が複数いることだ。撤退する兵士、軍の依頼でそれを救いに来る民間船の船長、敵機の撃墜に奮闘する戦闘機パイロット。本作はこの三者の視点をテンポよく組み合わせながら展開し、台詞もキャラの立った登場人物もほとんど存在しない構成ながら(見事なくらい台詞が少ない)、スリリングな内容となっている。

             

             「世界侵略〜」と似ているのは、このスピーディな展開もさることながら、個々の視点からだけ描き、全体像がさっぱりわからない点だ。「撤退する兵士」の主人公トミーは、とにかく逃げようと、ずっこい手も使いながら、ひたすらにあくせくしているだけで、そもそも彼が何者なのかすらよくわからない。ドイツ軍に追い詰められているので逃げようとするが、何度も船が撃沈されてうまくいかない、ということがただ繰り返される描き方に徹している。

             

             「動員される民間船」の主人公ドーソンは、トミーよりは台詞が多く、背景も多少はわかる。印象的な台詞もあって、外見以外は最も主人公らしい主人公ともいえる。ただし、民間人なので当たり前だが、彼にも状況はさっぱり見えていない。そもそも今どのあたりにいるのかもよくわからないまま、とにかくダンケルクの海岸に向かう。ファリアを中心とする空軍もしかり。目の前の敵機撃墜をひたすら目指して飛んでいるだけなので、空から俯瞰した何かがわかるわけではない。

             

             こういうアイレベルでの描き方は、目立って新しいわけでもなく、それこそ「世界〜」のようなバカSFでも用いられているわけだが、本当っぽさを出す上では相当有効だと再認識させられる。本当っぽさを出すと、必然内容はしんどくなる。次々人が死ぬシーンがつらいからだが、本作の場合は「撤退」なので、やられることはあっても、殺すことがちっともない分、つらさも半分とはいえる。「世界〜」の場合、相手はわけのわからない生命体なので、爆殺しても心の痛痒はないが、戦争となると、実話でもあるし、敵を叩き潰すことが必ずしも爽快なわけではない。

             

             その点で、撤退という題材の選択は、まことに妙味である。作品紹介を初めに読んだときは、ピンとこなかったが、確かにこれは面白いテーマだ。
             当然ながら、撤退しただけでドイツ軍は何のダメージも受けていないまま映画は終わるから、特に何も解決していない。それでも何となく爽快感を覚えながら見終わったのは、ファリアの不敵な笑顔で締めくくるラストシーンによるところ大だが(彼の演者がトム・ハーディだと、この時点でようやく気付いた。バットマンに引き続き、何かと口が覆われている役だとくだらないことを考えた)、これまた人類の反撃が始まりそうなところで終わる「世界侵略〜」と重なる。

             実際、この後反撃が始まることを史実として知っているからくみ取れるだけのことだが、厳密には、作中で登場人物が指摘しているように、ドイツの勢力圏が広がったことでイギリスはバンバン空爆を受けることになる。それを思うとにわかには喜べないのだが、それでも爽快感があるのは、「生き残ること」の価値を強調しているからだろう。兵士たちは、どうにかこうにか引き揚げ生きながらえたことに安堵しつつも、己のカンダタ行為に自責の念もあり、やりきれない表情のままなのだが、「人間だもの」とばかりにそれもこれも許容している描き方は、まるで釈迦の掌のようで、ずいぶんと救われるのである。

             

             それにしても、戦争というのは大変だということがまざまざと伝わってくる作品だ。ひとえに40万人の移動という途方もなさが、よくわかる作りになっているからだ。気軽に戦争に同意する人は、こういう地味な大変さをまず見た方がいいのではないかと思わされる点、一風変わった視点からの強烈なメッセージに見えた。雪でごった返す(の2乗くらいの)東京の主要駅の映像を伝えるニュースを横目で見つつ。

             

            「DUNKIRK」2017年アメリカ
            監督:クリストファー・ノーラン
            出演:フィオン・ホワイトヘッド、マーク・ライランス、トム・ハーディ



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