撮影1

0

     例年8月はどこかに行っていたから写真をアップしていたけど、今年は言うまでもなくどこも行けず、ひたすら仕事仕事。具体的には動画の撮影&編集だ。Windowsに標準搭載している動画キャプチャは複数ウインドウを切り替えられないので有料ソフトのBandicamを購入した。タスクバーも削除できるしこれは便利。


     音の問題は相変わらずで、ICレコーダーで録った声を後載せする作業もうんざりしてきた。いい加減マイクを買おう。ヘッドセットのマイクでは録音はしょぼいのである。しかしネットを見てもよくわからない。現代社会において動画キャプチャでマイクを欲しがるのはどうやらゲームの実況中継をする人々しかいないらしい。というかゲームの実況中継をしたい人間が世の中にはこんなにいるんだな。


     それではヨドバシの優秀な店員に聞くしかない。と思ったが、マイクそのものがそんなに置いていなかった。ヨドバシでも品揃えがないものを買いに行くのはどこか危ういところに足を踏み入れている気がする。俺にとっては映画を撮っているとき以来だ。沼だなそこは。

     

     ろくに選択肢がない中で、「そういう使い方ならこれで十分だと思いますけどねー」という店員を信じて購入。よく見たらSONYだった。久しぶりだなおい。早速試すと、店員の言う通り、しっかり音を拾っていた。これならICレコーダー不要と満足したが、このマイク、微妙な距離の具合で音を広い過ぎたり細〜くなったり許容範囲の融通が狭い。ICレコーダーっておもちゃみたいな概観なのに、何でこんなに優秀なんだろう。
     ある程度近くで話さないといけないので、そうなるとハ行やパ行の破裂ノイズが酷い。通常レアなはずのパ行がまた多いんだ。プロイセンとナポレオン三世、このたった二者のせいだが。こうなるとアレをやるしかない。レコーディング中の徳永英明の口元にある金魚すくいのやつみたいなアレである。別に徳永英明でなくても歌手なら誰でも使っているが、頭に浮かんだのが彼だった。なぜだろう。
     とにかくアレは、輪っかにパンストを張れば出来上がるというのは、どういうわけか豆知識を持ち合わせていた。ネットで検索したら、網杓子で実際作っている人が何人もいた。早速百均へ。
     確かに破裂ノイズは見事に消え去った。すごいもんだ。こうしてPC画面に表示した資料に向かって一人、延々と講釈を垂れている。そういう中で、資料として史跡の写真が必要になった。パブリックドメインでネット上に転がっていればいいのだが、そう都合のいいものはない。では撮影に行くとしよう。思い立ったら有名史跡にすぐに行けるのは関西のほとんど唯一のアドバンテージ。ありがたい。


     くそ暑い中、それでもわくわくしてしまったのは、要するに外出に飢えているのだった。8月は例年どこかに行っていたから余計だ。ついでにどうでもいい写真を何枚か撮った。しかし3年前がインド、一昨年が台湾で、昨年は金沢、今年は関西。写真旅の距離がどんどん近場になっている。

     

    東大寺

     

     

    バンドのアルバムジャケットに使えそうな写真

     

    春先に子鹿に近付くと母親から鹿キックされるので注意。夏なので大丈夫だったのかしら。

     

    「あの辛気臭い表情は、権力に取り入った僧の末路だ」と予備校の講師が嘲っていたものだった。

     


    【やっつけ映画評】お名前はアドルフ?

    0

       

       ドイツの夫婦が、親族らを招いて食事をしたところ、そのうち1人がまもなく生まれる自身の長男に「アドルフ」と名付ける、と言い出したことから口論となり、やがて家族たちそれぞれの秘密が暴かれていく――。

       大意こういうストーリー紹介を見かけ、舞台を作っていたころを思い出した。自身が話を作る際の着想方法として当時拠り所としていたのは、こういう日常の中に少々現実離れしたような出来事を放り込むとどうなるか、という方法だった。創作がすっかり滞っている身からすると、本作のストーリー紹介は、昔自分が目指していたことを見せつけられたような気がしてきて惹かれてくる。


       実際、良くも悪くも「よく出来た舞台」のような作品だった。というか現地でヒットした舞台作品がもとになっているらしいが、良くも悪くもなどと勿体つけた留保を添えたのは、舞台を固定した閉鎖シチュエーションの話はやはり性に合わないのと、中盤から名付けの話が消えてしまったのが理由だ。

       

       何度か書いている話だが、本作のように、自宅の部屋で延々喋り続ける場面転換の少ない話は、舞台ではひとつの理想とされている。おそらく本家の演劇作品は、幕が開くとほとんど暗転せずに、役者たちはずーっと喋っているのだろう。

       暗転がないというのは「一方そのころ隣の家では」とか「それから数日後」とかの時空間の跳躍がない。舞台作品は、科学的な意味で固定された場所を見続ける娯楽であり、場面が変わる場合は、科学的には同じ場所だが物語世界内では別の場所であるという一種のウソを観客が了承することで成立している。一場面固定の作品は、そのウソのお約束を取っ払うところに潔さがあるわけだが、同じ場所に同じ人物たちが居座り続けて話に起伏を持たせるのは難しいので、しばしば強引な展開になってしまう。


       映画の場合は、舞台に比べて場面固定の困難さが際立つ。同じ部屋の似たような映像が続くと退屈極まりないことになるからだ。このためあの手この手でちょっとでも変化をつけようとする。おそらく自分でも似たような設定で作ったことがあるからだろう、その作為が妙に引っかかってしまうんだな。


       なるべくその辺は気づかないふりをして楽しもうとしたのだが、名付けの話が割とあっさり消えてしまって、あとはただのどたばたスラップスティック。ただの「好きではないジャンルの作品」を見る格好になってしまった。

       

       冒頭、ドイツ各地にある道路の名前に関するうんちくがモノローグで語られるので、「名前」をテーマに置いて始まったはずなのだが、そのテーマのままうまくまとめることができなかったということか。一場面モノにこだわらなければもう少しなんとかなったようにも思う。

       

       昔あった悪魔ちゃん騒動のような話だ。親が子供に眉をひそめるような名前を付けるのは法律的には可能なのか、受理を拒んだ市の対応は妥当なのかといった点、法律とか市役所のあり方とか、ちょっと考えさせられる興味深い出来事だったと思うが、本作の場合は、歴史との向き合い方が主題となる。

       

       元々は「ゲルマン系の一般的な男性の名前」でしかなかったものが、特定の人間によって強烈な色がついてしまえば、もうもとの「ありふれた名前」には戻れないのか。息子にアドルフと名付けると言い出す男は、そのような問いを発する。実際「アディダス」の社名は、創業者が「アドルフ」だったところに由来するが、「アディダス」という名前に引っかかる人はいないとこの男は主張する(アドルフ・ダスラーというので、フルネームの響きもまあまあ似ている)。

       

       


      BLM開幕2020

      0

        サン釜山シスコ・ジャイアンツ球場

         

         時の人ファウチ所長の始球式でMLBが開幕した。感染状況が他国より突出してエグいこといなっている中、シーズン終了までもつのかどうか。

         試合中はもともと日本より静かなので、無観客の違和感はNPBほどではないが、ひまわりのタネを筆頭に、口から何か吐くのは禁止だからそっちの方が選手はやりにくそう。

         監督がつけているマスクがチームロゴつきで格好いい。どうせお高いんでしょ?と検索したら、我らが首相が「朝日のマスクは高すぎる」とドヤっていた泉大津のマスクが8枚買える値段だった。


         MLBは、今年はBLMでもある。うまいこという。公式のマークを黒抜きにしてアメリカで広がるデモのキャッチフレーズとともに球場に掲げている。昨年、選挙対策でワシントン開催のワールドシリーズを訪れ、「投獄しろ」の大合唱に見舞われたトランプは、今年は選手の膝つき抗議を親指牽制していたのだけど、まんまと試合前に選手みんな膝つきをするお約束コントのような展開になっていた。無観客でも非難される大統領。時事ニュースてんこ盛りの開幕となった格好だが、同じころ日本では、池江が国立競技場で「五輪へ涙のメッセージ」(スポーツ報知)を読み上げる(読まされる?)、スピ風味もどこか漂う香ばしいセレモニーが行われていた。この現実世界との遊離具合の差たるや。日本のスポーツ界は幼稚だ。


         日本のスポーツ報道が、でもある。MLB→BLMの話も、日本のテレビではせいぜいが映像でちらっと映す程度。ネット上の日本語ニュースもAFPの転載ばっか。それは自分たちの仕事ではないと思っているから語る言葉を持ちあわせておらず、触れようがないんだろうな。

         42が全球団で永久欠番になっているとか、ファンなら誰でも知ってそうな話を思い返すだけで、スポーツ本体と地続きの問題であることはすぐにわかりそうなものだがな。42以前の時代だったら、イチローも大谷もMLBには入れてもらえなかったんだよ。解説者各位も、自身がかつてともにNPBでプレーした外国人選手に想いを馳せてほしいものだがね。


         田中将大は、直前の練習で頭部に打球を受けて出遅れてしまった。打ったスタントンは、さすが要らんところでは快音を響かせることでおなじみの強打者である。全日程がいつもの半分もない「これはレギュラーシーズンにカウントしていいの?」という今季だからこそ、スタントンの打力は爆発するだろう。


         アメリカ最古のプロ野球チーム、の流れをくむ(便利な言葉)伝統球団にして日本選手が初めて加わったレッズは、補強組の活躍で好調発進。前年弱小だったチームは、いかにスタートダッシュに成功しても途中で息切れするものだが、今季は半分しなかいのでチャンスである。絶滅危惧種フランチャイズプレーヤーの1人、ボットーをポストシーズンに連れて行くのだ秋山。

         

         大谷はメジャー史上初のタイブレークのランナーになった。タイブレークで日本人メジャー選手が二塁走者になるのは初。

         

         レイズ筒香は開幕戦でいきなり本塁打。デビュー戦でホームランを放った日本選手は前田健太以来。飛沫に要注意な今こそサイレントトリートメントの出番だが、特に何事もなく普通に歓迎されていた。

         

         筒香は社会問題について自分の言葉で語ることができる稀有なプロスポーツ選手でもある。彼にとっては、ある意味絶好の機会での渡米となっただろう。彼が米国で揉まれる中で、社会問題方面での日本社会へのフィードバックを少々期待しているのだが、仮にそうなったとしても取材するスポーツ記者の半数以上が理解できないのではないかとも思ってしまう。

         現にネット上に「スポーツライター・大学非常勤講師」という人が書いた膝つきの記事があったので読んだが、屁みたいな内容だった。日暮れて途遠し。先は長い。


        【やっつけ映画評】パブリック 図書館の奇跡

        0

           

           

           上下水道とゴミ収集の次に世話になっている公共サービスが、俺の場合は図書館だと思う。図書館ヘビーユーザーだった両親の影響もあるし、大学以降は調べものの利用も加わった。
           調査利用をする身からすると、希少資料を所蔵している図書館ほど「よい図書館」になる。国会図書館がその筆頭だが、地方の図書館は郷土資料はともかく、それ以外となると心もとない。所蔵資料の潤沢さ(さらにいうと、図書館そのものの種類の豊富さ)は都市部にアドバンテージがある。俺にとって図書館の充実は、有名作品の来る美術展、海外ロックバンドの来日と並ぶ「都会かどうか」の指標の一つだ。
           と思っていたが、こういう公共施設の充実は「無駄」ということになって久しい。維新を信用しない理由なんて、国際児童文学館を潰した一件だけで十分足りる(という言い方に違和感が出るくらい色々ありすぎるが)。代わりに中之島に「こどもの本の森」なるものが出来たが、図書館法に基づく図書館ではないといい、蔵書数からしてショボい。立地や見かけの話題性と合いまった羊頭狗肉ぶりはいかにも今の大阪である。


           そういう俺からすると、図書館を舞台にしている時点で俄然興味が湧いた本作であるが、図書館=蔵書という側面はあまり描かれていなかった。つまりこの原稿もこういう書き出しにする必要性は全くなかった。単に映画の邦題にかこつけて文句を書きたかっただけだ。

           

           以前に紹介した「ニューヨーク公共図書館」で示される図書館像と同じ「社会の受け皿」としての機能にフォーカスした内容だった。まさしくタイトル通り、パブリックとは何か、がテーマになっている。


           図書館とはセーフティーネットであるというのは、アメリカでは広く共有されている感覚なのだろうか。本作登場人物の台詞のいくつかは「ニューヨーク〜」で登場する本物の職員も口にしていた。日本でも一応そういう部分はあるのはあるが、当の司書の人々自身にセーフティーネットが必要な惨状になっているから存立危機事態である。


           主人公のスチュアートが勤める図書館には、毎日のようにホームレスのグループが訪れてトイレで歯を磨いたり、読書したり、インターネットで遊んでいたりする。スチュアートは彼らと真摯に接しており敬意を持たれているのだが、ある寒波の夜、ホームレスたちが「外に出たら凍死する。シェルターは満杯」として、閉館後の図書館に強引に居座ることとし、スチュアートは彼らの実力行使に巻き込まれることになる。
           そうして警察がやってきてにらみ合いとなるのだが、ここからの展開はまさに今アメリカで起きている出来事と同じで実にタイムリーだ(日本での公開が今になっただけで、2018年の映画だから予言的作品ともいえる)。ホームレスたち(と、彼らに同調することを選ぶスチュアート)は、単に居座っているだけだ。居場所がないことに加え、邪険に扱われていることへの抗議というデモ的な要素もある。不法占拠にはなるが、犯意という点では大したことではない。

           

           一方、現場に居合わせる検事は、スチュアートが「ホームレスたちを人質に立てこもった凶悪犯罪」であるとして強硬手段に訴えようとする。この検事を演じるのが久しぶりに見かけるクリスチャン・スレイターで、かつてのイケメン俳優もすっかりおっさんなのは時の経過から特に驚きもしないのだが、李明博に妙に似ていたのが意外だった。七三と眼鏡、高圧的で陰険な役どころが手伝っているのだろうが、それにしても瞬間瞬間そっくりになるところがあって可笑しかった。逆に考えると、外見には特に見るべきところもないあの元大統領も、若いころは男前だったということだろうか(現職文在寅の若いころは笑かすほど男前だが)。

           

           抗議行動に対して、意見に耳を傾けることをはまったくせず、犯罪者だとして警察を投入するのはトランプがやっていることと全く同じだ。彼が排除によって解決を図りたがるのは、これまでずっと差別的言動で支持を集めてきたから選挙対策ともいえるわけだが、本作の検事も、市長選に立候補中で、支持率の劣勢を挽回するためにやっている様子が描かれている。

           

           ただし、この検事は序盤で憲法が定める人権を根拠に、スチュアートたちを説教しており、どうもちぐはぐである。それ以外にも、交渉人刑事の息子が薬物中毒で家出中という設定が、(オピオイド問題という時事性はあるものの)物語の中で浮いていたりと、脚本はそれほど巧いわけではない。「がさつな美女は主人公に都合よく惚れがち」という部分も、時事性の強い作品だけに、その古臭さが目立っているように感じた。

           

           それでも要所要所に笑える部分があったり、図書館への愛がうかがえるところや、図書館職員が総じて誇り高いところ、なんでか納得させられてしまうラストのオチもあり、全体的にはおもしろいいい作品だと思う。

           

           さてこのラスト、笑いによってどこか問題をうやむやにされているような気もしないでもないが、抗議行動につきまとう敵愾心をどうするかという点では面白い提示といえるのかもなと思った。


           


          【逸脱の安息日】チョコミント

          0

            2009年撮影@ソウル(ピンボケにつき加工)

             

             コンビニに立ち寄ったとき、何気なくアイスの売り場を長めていると、商品が1つ目に留まった。「ブラックサンダーアイス チョコミント」。
             そもそもアイスを買うつもりすらもなかった俺だが、ついそれを手に取り、レジに向かった。チョコミントが好きだから、というわけではまったくない。むしろずいぶん昔に食べて受け付けなかったので、それ以来食べていない。それがいつなのか全く覚えていないが、大学1年生のときに初めて出演した舞台の台詞でチョコミントの存在を知った覚えがあるので、食べたのも四半世紀ほど前だろう。それほど長いこと食べていないものをコンビニなんていうイージーな場所で入手できるというのも、ちょっと不思議な気分になる。


             チョコミントは、定型化したつまらない議論の格好の的となる代表的存在である。うまいかまずいか、そんなものすきずきだろ、で終わる話だ。「すきずきだろ」はものによっては明快な答えのようでいて、実はただの無責任というケースもある。

            「先生、俺大学行った方がいいと思いますか」

            「すきずきだろ」

            いや先生の責務は!とか。

             だがチョコミントなどという、いってしまえば他愛もないおやつの場合、糖分摂取かカフェイン摂取に注意が必要な特別の事情がある人以外は「すきずき」で済む話だ。


             ある食べ物が嫌いという人の話は、まれに勉強になるときがある。へえ〜そんな感じ方があるのかというような発見である。そう感じた経験があるというだけで、具体的に何の食べ物についてどういう感想があったのか何ひとつ覚えていないので「勉強になる」は言いすぎだった。

             唯一覚えているのは、

            「なすびが嫌い、口が荒れるから」

            「緑茶が嫌い、口が渇くから」

            「ふりかけが嫌い、口がパサつくから」

            と口のコンディションに異常に潔癖な男(河崎)の話だが、この場合はへえ〜を超えて、彼が何を言っているのかよくわからなかった。


             「嫌い」の話はしかし、多くの場合は聞くだけ不愉快なだけだ。なぜか人はしばしば嫌いな食べ物については、自身が嫌いというにとどまらず、「好き」の人を攻撃する。「あんなの食べるやつの気がしれん」。こんな感じ。

             ただし「好き」の人が「嫌い」の人をなじるところからこの無駄な戦争が始まる場合も少なくない。「おいしいのに」「この旨さがわからんとは」。親が子供に好き嫌いをなくさせようとしているのならともかく、大人同士だ。相手の趣味嗜好を云々するのは慎重でなければならん。


             そしてチョコミントの場合、半ばお約束のように「うまい/まずい」論争が始まる。しいたけやナスのように、美味しい食べ物として供応された中にしっかり入っていて青ざめる、というような気まずい状況とは無縁の、嫌いなら嫌いで一生大過なく過ごせそうな食べ物だけに社会性はより低い。「うまい/まずい」論争のしょうもなさ指数はその分より高いと思うのだが、しょうもない話だけにかえってお約束が発動しやすいのだろうか。非難がオートマチック化すると、周囲が否定すればするほど殉教精神が芽生える不幸にもつながりかねない。


             定型化された話というのが嫌いである。先日も友人と話していた際、Zoomを使ったテレワークで、女性社員の背景に映り込んでいる自宅の様子に言及するとセクハラになる、という話の流れから友人が「そんなこと言い出したら何も言えんくなる」とコボすので、思わず「いくらでも仕事の話しろよ」と大きな声を出してしまった。

             セクハラやパワハラの話においてお約束の「そんなこといったら〇〇できなくなる」というボヤきの陳腐さに加え、「何も」言えなくなるはずがない科学合理性のなさについ苛立ってしまったからだった。ついでにもし本当に「何も言えなくなる」のだったら普段の言動が完全にセクハラ相談室行き案件になるのでダブルで「ちゃんと仕事しろ」という話である。


             そういうようなわけで、ブラックサンダーのチョコミント味を見かけたとき、俺の中で、チョコミントうまいまずいのくだらない論争に終止符を打たなければならないという義務感にかられたのだった。

             何せブラックサンダーである。戦前に存在していたら、ハーシーズなど駆逐して戦争にも勝ったんじゃないかという気すらしてくる信頼のブランドである。俺は賭けることにしたのだった。


             そしてやはりブラックサンダーは裏切らなかった。こうして俺はチョコミントを克服し、うまいまずいの論争に対して「別に好きでも嫌いでもないけど、まあモノによっては美味いんじゃない」と、この論争に対する最も白けるひと言を、実感を伴って言えるようになったのだった。

             そして探究心すら生まれてきて、結果、スーパーカップのチョコミントが今のところ最も美味いのではないかと感じている。ミントの香りがろくにしないからだが。



            calendar

            S M T W T F S
              12345
            6789101112
            13141516171819
            20212223242526
            27282930   
            << September 2020 >>

            selected entries

            categories

            archives

            recent comment

            • お国自慢
              森下
            • お国自慢
              N.Matsuura
            • 【巻ギュー充棟】反知性主義
              KJ
            • 【映画評】キューブ、キューブ2
              森下
            • 【映画評】キューブ、キューブ2
              名無し
            • W杯与太話4.精神力ということについて
              森下
            • W杯与太話4.精神力ということについて
            • 俺ら河内スタジオ入り
              森下
            • 俺ら河内スタジオ入り
              田中新垣悟
            • 本の宣伝

            recent trackback

            recommend

            links

            profile

            search this site.

            others

            mobile

            qrcode

            powered

            無料ブログ作成サービス JUGEM