ライブハウスには見るのも弾くのも行けてない

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     新幹線の利用激減の中、今月は新幹線利用が何件か続いている。行先には、筆記一位で日本語弁論優勝の韓国人受験者を不合格(この日付けより後に出た報道だが)にした大学も含まれる。大学側はその後の一般入試で合格している学生がいると反論して国籍差別を否定しているが、不自然なのは確かで、こうなってくるとこっちも余計なことを考えさせられる。
     俺はこの大学から受注している業者の下請けであり、来期の発注があるのかどうか知らないけど、あった場合はどーっすっかねー。深沢潮と小学館のような話が二軍文筆屋の俺にも降ってくるとはな。大学側が否定している以上、あんまいえることもないっすけどね。加えて、大阪在住者は封鎖くらうかもしれんから、発注が来ないかも。

     「どうしてこんな重大事を大手は報道しないんだ」と御立腹の方々もいるようだが、大手の中には在日コリアンを採用してない会社があるからじゃないかな。

     

     新大阪駅構内の喫煙所は元から芋洗い状態の混雑ぶりだったのが現在も大して変わりなく、なかなかのシュールレアリスムとなっている。ちょっと前に、例の借金遊び人のプルームテックCMが上映されなくなったので行く意味も半減しているから、回避して吸わずに乗車。タバコが吸えないことより、あれが見れなくなったのは実に残念だ。特に、鼻持ちならないパーティにさんざん顔出した後「一人の時間も必要だ」とバーに行くシーンなど最高だった。「一人の時間」て、お前遊んどるだけやんけ、という、何もしてへんやつほどもっともらしいことを言う真実をえぐっていたもんだ。

     

     この日はもう少し遠出。着いたら発注元の会社の担当者から「出席状況はどうですか」と電話があり、ついでに「ライブハウス行ってないですか」と言われた。何日か前にも親父から「ライブハウスに行ってないか」と電話があった。いずれも半分冗談めかした調子だったが、一応俺は「ライブハウスに出入りしている人」と認識されているらしい。複雑な気分だ。見るのも出るのも、ライブハウスはすっかり縁遠くなっているからだ。冒頭の写真ももう3年以上前だ。

     

     似たような話でさらに先日のこと。人を集める催事の類が軒並み中止・延期になっている中、毎年忘年会を開いている劇場プロデューサー氏が気になり、劇場HPを確認したら理路整然と通常営業をする旨の告知があった。いかにも氏らしい。見舞いのひとつでも送っておくかと、「よう寝なさいや」とメールをしておいた。すると翌日リンク付きの返信が来て、見れば某劇団の公演を中止にする旨、これまた理路整然とした告知を掲載していた。

     

     意気込んでたのに方針を転換せざるを得ない状況になったのは、さぞ悔しかろう。氏がその断腸の告知を掲載するや否や俺から激励メールが来たので、「なんというタイミングで!」と氏は驚いていた。完全に恋が始まるタイミングだな。モテ男しぐさは別のときに発揮したかった。

     

     ライブにしろ舞台にしろ、ちっともやっていないので、俺自身は中止にすべきか否かと頭を悩ませたり、中止判断を下してガッカリ&ドタバタしたりといったこともない。バンドのライブだったら延期するだけで済むが、舞台の場合は延期は大抵中止を意味する。ライブのたびに同じ曲を演奏するバンドと違って、舞台は基本的には公演のたびに新作をやる。延期の日取りが決まっているならまだしも、先が見えない場合、いつまでも台詞や段取りを覚えている役者はいない。そもそもスケジュール組みなおして同じ人間が集まれる保証はない。たまたま聞いたラジオ番組で宮藤官九郎も同じようなことを言ってた。だもんで、延期≒中止は廃棄に近い意味を持つ。渦中にいたらなかなかに心理負担が大きい。

     

     ま、やってない俺には無縁のことだ。不運と出くわさなかった意味では幸運だが、不運はやってた人間にだけ訪れる。失敗は挑戦したやつだけに訪れる、のと同じような話である。だから要するに俺は土俵に乗っていない、もといステージに上がっていないだけのことであり、それが変に実感されてしまって寂しくもある。ま、感傷に過ぎん。演者はともかく、ハコ側は経営に関わる話だもんで。そういう俺もこの先、仕事どうなんのかな。

     

     しかししばらく海外に行くのが難しい状況が続くだろうから、「我らがバンドのライブ@台湾かどっか」もお預けだなあ。やろうぜ言うてるのメンバーの中で俺だけなんだが。


    【巻ギュー充棟】タイムトラベル

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       以前にも読みかけ段階で軽く触れた本についての感想。「時間についての歴史」という内容といえる。おかしな表現だ。ほとんど「日常についての日記」といっているような同語反復感がある。「時間認識の歴史」といえばまだいいのか。ただ、時間という言葉・概念がそもそもかなりあやふやな代物で、「歴史」は「時間」の一部かというとどうもそうとも言い切れない様子なのだということを本書は明らかにしている。


       すでに書いたように、ウェルズが初めて描いたタイムマシンSFを出発点としている内容だが、話はSFにとどまらず、人類が時間をどう捉えてきたかについて広範に述べている。このため哲学や神学、物理学、あるいはタイムカプセル事業(「20世紀少年」にも出てくる地中に埋めて後で掘り出すあれ)のような生活史など話はフィクションだけにとどまらない。


       その一方で、フィクションにおける時間の描かれ方も色々紹介されるから、SFだけにとどまらず、「失われた時を求めて」のような古典も登場する。この、膨大な文献を集約して概観していく感じは、サイモン・シンの数学科学ノンフィクションや、ビル・ブライソンの(どう分類していいかわからない)著作群を思い起こさせる。

       

       ただし、扱うものが「時間」ないしは「タイムトラベル」という結局正体不明 ないしは可能かどうか不明な対象物につき、読み進めるほどにただただ混迷が深まるだけの印象がある。そもそも物理学とSFが同列に並んでいる本書の構成が成立するのも、タイムトラベル、ひいては時間の正体不明さによるところが大きい。
       そして娯楽フィクションの性格上、あまり詳らかに述べることができないため隔靴搔痒の感もある。例えばタイムパラドクスのくだりで「ターミネーター」が登場するが、あの映画におけるタイムパラドクスを明確に説明すると、いわゆるネタバレになってしまうのでボカして紹介している。ターミネーターなら見たことがあるので問題ないが、よく知らないSF作品も多数登場するから、本書を読むだけではわかったようなわからないようなにしかならないので少々ストレスである。書き手もストレスだっただろう(そして無論、物理や哲学の難しめの話はしばしばついていけない)。

       

       19世紀になるまで、人類には未来を夢想したり新世紀を言祝いだりする感覚がなかった、という話は以前に紹介した。そしてタイムトラベルのSFが書かれるようになってしばらくは、未来に行く話はあっても過去に行く話はなかったらしい。この辺の感覚は面白い話だ。そういえば前に読んだ別の本には、日本語の場合、「前」とか「先」には未来と過去の両方の意味があるとの指摘があった。「先のことはわからない」「前を見て歩もう」に対して「先代のころから」「前の知事は」の用法もある。そして昔はいずれも過去の意味しかなかったとかなんとか、うろ覚えなのでやめとこう。

       

       時間は、科学の世界では物体の運動や反応を説明するために、日常生活では生きるとか死ぬとか起きるとか寝るとか昼飯を食う等の「存在」のほぼ同義として用いられる概念で、ホントに時間なるものがあるのかどうかはよくわからない。この部分を読んで、俺はビッグバンを知った子供のころを思い出した。
       宇宙には始まりがある。ではその前はどうだったのかといえば、何もないという。「何もない」状態が「ある」とはどういうことなんだ。何もないならどうして「ある」が始められるんだ。じゃあ何でそもそも宇宙は「ある」んだ? 何歳ぐらいのことなのか忘れたが、こんなことを考えて物凄く気持ち悪くなった覚えがある。というか今でも考えると気持ち悪くなる。そしてこの話は本書でも俺の中でもこれ以上先へ進めない。ホーキングによれば時間が一方向に進みだしたのがビッグバンということらしいのだが、これもテレビで聞きかじったうろ覚えでしかない。ついでに本書では、時間を線的にとらえることの疑義を呈した学者たちが登場している。

       

       


      映画の感想:翔んで埼玉

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         子供のころ、テレビのバラエティでは、ある地域を田舎だと見下すことがギャグとしてまかり通っていた。その筆頭が埼玉県で、俺はそのたび東京の隣なのになぜ田舎扱いになるのだろうと不思議で仕方なかった。埼玉は田舎なのかしめしめと同じ土俵に乗らなかった己の賢明さを誇りたいところだが、ピンと来ていないのだからそもそも乗っかりようがない。これはつまるところ、首都圏だけで通じるギャグなのだなと理解したのが中学生のころか。


         要するに関東から遠く離れた我が故郷は、この「田舎/都会」の論争の枠にすら入れていない辺境なのだと、より深い理解をしたのが高校のころだ。というのは、高校になると小中の学区を離れ、より広い範囲からやってきた人々とクラスメイトになる環境変化がある。その結果、自身の居住地は市内の中でも僻地扱いになっていることを知り、かつ「〇〇町は市内じゃない」「うるせー」というような市境じゃれ合いお約束にすらカウントされない存在感のなさも併せて自覚させられたものだった。そこには「埼玉=田舎」を理解できず、ぽかーんとテレビを眺めている構図の小さな相似形があったわけだ。


         このため、テレビでやっていた本作を眺めながら、あのころの疎外感をまたも今更再確認していた。原作マンガがまさしく俺が子供のころの作品なのだから、元ネタは埼玉見下し全盛期に描かれた格好だが、映画は昨年ヒットしているから今でも通用する観念なのだろう。「月曜から夜ふかし」を見ていると、定期的にその手の話題を嬉々として語る地域住民が登場している。

         

         個人的感慨はこの辺にして、本作がギャグとして成立する牧歌的さについて考えた。


         戯画化された設定で県民アイデンティティのようなものを描いている。絵面が「パタリロ!」みたいだなと思っていたら、元はパタリロの人のマンガだった。作風が徹底かつ確立している。すごい人だ。中性的雰囲気の美男子同士が愛し合う調子がパタリロと同じなのだが、だとするとガクト演じる麻実に恋する百美(女子風男子という設定)は女優ではなく男優を起用すべきな気がするが、そっちの方がむしろ男女の枠に囚われているのだろうか。どっちなんだろ。

         

         貴族的に振舞う都民に虐げられている埼玉県民という図がまず描かれる。県民が都内で遊んでいると治安当局に拘束される。主人公が入学する学校では、より都会っ子が威張れるヒエラルキーの中で、埼玉県からの生徒が惨めな扱いを受けている。そういうデフォルメされた県民の悲哀の中で埼玉の復権を画策する主人公は、やがて千葉県なんかとも対立しつつ、そして埼玉県民同士も浦和だの大宮だの言い合う対立に翻弄され、といった混沌とした対立図式の中で奮闘することになる。


         このいがみ合いは、日本社会では常に他人事として語られる世界各地の民族対立を身近なものとして理解する助けになりそうな気もするが、裏を返せばそういう地域では本作はしゃれにならんのではないかと思う。

         

         これが爐靴磴譴砲覆覘瓩里蓮現実にはどこの道府県民であれ、東京に移り住むのは自由で何ら権利が制限されているわけではないからだ。ついでに宗教対立が絡むわけでもなく、言語系統や肌の色が違うわけでもない単一性の高さも一役買っている。
         ただし、本作では通行手形がないと都内には入れないという権利の制限が設定されているから穏やかではない。そして差別された側が陰で世界を制していくラストは、排除される側が黒幕で排除する側が被害者、というユダヤ陰謀論ないしは在特会の理屈と重なってくる。どうも落ち着かない。

         

         おバカな映画に何を真面目くさって、とも言い切れないのは現実のエグい差別も元はこういう無邪気さから始まっているからである。そしてたまたま俺が本作を見た時期と重なっただけのことではあるが、さいたま市が市内の幼稚園、保育園向けにマスクの配布をはじめたけど朝鮮幼稚園は除外というニュースがつい先日あった。感染症の前には何の合理性もないまるで百科事典に載せたいような差別事案である。こういう現実だもんで、埼玉だ東京だいうてるのは実に牧歌的に映るし、どうせ差別だの同胞愛だの扱うなら、もっとほかに描きようがあるんじゃないのとは思うんだよな。端的にいえば、古いなあってこと。


         一方、不正が発覚したことで悪の権化たる都知事が失脚していく展開は、本作の方が現実世界より上だった。残念ながら今の日本社会では不正が発覚しても為政者は失脚しない(まあ地方の首長の場合はちゃんと失脚するのかもしれないが。ただし大阪はあやしい)。完全に詰んでるのに、盤の外に王将逃がしてなぜかそれで対局が続いていることになっている。こういう現状につき、都知事の失脚という大団円は、また別の意味で牧歌的に見えてしまった。前にも書いたが、政治がぽんこつになると物語が作りにくくなるので大変に困る。

         

        2019年日本
        監督:武内英樹
        出演:二階堂ふみ、GACKT、伊勢谷友介


        定期的に揺れるMLBの2020

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           オフにバルコ・スキャンダル以来の大型醜聞が発覚したMLBの開幕が迫っている。といってもやるのかどうか不透明だが、アストロズにすれば、やらないのは助かるところかもしれない。

           当然、今季の注目は世界一のサイン盗まれ球団ドジャースということになろう。なんせアストロズ、レッドソックス、監督が首になったチャンピオン2チームにワールドシリーズで敗れている。そして今季の注目選手は、俺含む全MLBファンが謝罪の意を示しているダルビッシュである。炎上男ではなく被害者だった。どうもすみませんでした。

           

           しかし、2017シリーズは7戦目までもつれ込んでいるので、抑えている投手もいるということであり、そうすると滅多打ち喰らったダルビッシュ自身にもどこかしくじりがあったのではみたいな見方が可能であり、この辺のあいまいさ、気持ち悪さが不正の悪たる部分ではなかろうか。バルコ・スキャンダルも同じくで、同じ薬剤を飲んでもボンズ以外の選手が73本も打てるとは思えず、さりとて薬物なしで記録は樹立できなかっただろうから、居心地が悪くて気色悪い。

           

           MLBは移籍が多いから不正は発覚しやすそうなものだが、「どこでもやっていると思っていた」と後悔の弁を口にしている選手もいたくらいだから、それがおかしいと明確に自覚できるのが難しい土壌はあるんだろう。先ごろ亡くなった野村克也は、球場に盗聴器を仕掛けてるんじゃないかと噂されたこともあるが、ここから言えることは、やってても不思議ではないと推測できてしまう共通了解のようなものが(少なくとも当時の)野球界にあったということである。実際、野村ではなく王が率いた球団でサイン盗み疑惑が取り沙汰されたこともある。

           

           しかしその被害者ドジャースであるが、口利き疑惑が浮上すると病気を理由にトンズラして、そのくせシレっと戻ってきて旨そうな飯を呑気にツイートしているような厚顔無恥な男が監督だからな。あ、これは甘利・デイブ似・明の話だった。これも黒川物件関係あるんすか?
           ドジャースは、「お前らもやっとったんとちゃうのレッドソックス」からベッツを獲得、前田をツインズに放出した。移籍後の前田は妙に楽しそうで、やっぱりデイブ甘利によるあの便利屋起用がうんざりしてたんだろうかね。地区優勝してもヤンキースに鎧袖一触されるお約束を止めてくれることを期待したい。

           

           そのヤンキースは、久々の札束球団ぶり(そして髭剃らせ球団ぶり)を発揮して無敵のエース、コールを獲得したが、アストロズからの移籍だから大丈夫か? 空気も凍る(コール)。不正発覚で「俺ら死ぬ気でやってんだダボ!」と、名は体を表す正義の怒りを表明していたジャッジが激昂し過ぎたか骨折してしまい昨年同様出遅れ決定。とんだ裁判(judge)、いや災難。
           ヤンキースと同地区で昨季健闘したレイズに筒香が加入。大リーグ1のおもしろ打者に成長しそうなチェ・ジマンとともに、ボストン、NYを撃破してほしい。この両者は人気球団につき、無観客だと調子が狂うかもしれんが、レイズはマーリンズとならんでもともと閑古鳥球団だからよりチャンスかもしれない。

           

           日本からの移籍では、秋山翔吾が注目であろう。中地区で活躍できた日本組は今のところ野茂(ブリュワーズ、タイガース)と青木(ブリュワーズ、ロイヤルズ)、あとはせいぜいいい思い出を作れた桑田(パイレーツ)くらいしかいない。古くは江夏豊(ブリュワーズのキャンプに参加)の挫折の地区でもある。野村の訃報にコメントすべきは古田でも田中でもなく江夏だろう、なぜコメントとらんのだ、怖いからか、と思っていたが、いざテレビに出てるところ見たらほとんど喋ってなかった。

           木田優夫によると「中地区はしんどい」らしいので、秋山、そして前田とも、仮にパッとしなくても文句はいわん。まあレッズといえば、Cマークが広島かよでおなじみであるが、広島地検がなぜか頑張って携帯を押収しているので、広島つながりで秋山も活躍できるんじゃないか。

           

           エンジェルスは、就任すると優勝しそうな気がする監督・マドンが、うっすらライアン・ゴズリングに似ていたオースマスに変わって着任、大谷の起用方法に注目が集まっている。

           

           マリナーズは、菊池に加えて平野も加入、あとチェンも加わってた。相変わらずNPB出身選手憩いの場となっている。まあ、この地区はなんだかんだでアストロズが勝ちそうな気も…。

           

           ドジャースと同地区のパドレスは、高校野球みたいだったユニホームを刷新し、阪神みたいなユニホームになった。昔のやつのリバイバルであるが、鳥谷もパドレスに移籍できればよかったのにね。

           

           昨季のチャンピオン、ナショナルズは、主砲のレンドーンがエンジェルスに移籍、そしてプレーではなく選曲で一世風靡のパーラが巨人に移籍。ベイビーシャークは、ワシントンから東京に移るのか。あれ、でも無観客か。

           

           最後に、グランダーソン、キンズラー、フリースといった特徴的だった打者に敬意を表して終わる。仕事が一段落して今季の名鑑を熟読する余裕ができたらまた何か書くとしよう。


          天動説第2章

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             昨年夏、仕事に向かう途中の車窓から、停泊中のクルーズ船が見えて「おー、でけーなあ」と写真を撮ったものだったが、よくよく写真を見返してみると、あれがダイヤモンド・プリンセスだった。長い長い伏線だったな。ちょうどホテルニューオータニくらいのデカさである。昔NHKでやってた戦艦武蔵の最後を扱ったドキュメンタリーで、沈没の際の渦に船員が呑み込まれていったと説明していたが、たしかにこんなの沈んだらどえらい波になるよなあ。


             最近電車に乗ると、テレワークや時差出勤にご協力を、などと車内放送が流れている。鉄道会社が電車に乗るなとアナウンスするのもシュールであるが、国交省から言われてやっている。にしても、個人に訴えてどうするんだ、会社に言えよという話である。
            聞くたびイラつくのはちょうど今の仕事状況と関係がある。


             大学生の就職活動が徐々に本格化(している中、説明会の類がどんどん中止になって可哀想なのであるが)していく時期につき、その手の仕事が必然増える。具体的にはいわゆるエントリーシートだの小論文だのの添削である。これが今期はめちゃくちゃ多くて、商売繫盛ありがたいことではあるが、在宅勤務ならぬ「在宅でもたっぷり勤務」につき頭がどうにかなりそうになる。毎年言ってる気がするが。
             公務員試験の小論文だと、災害対策だとか子供の貧困だとかいかにも仕事に関係ありそうな社会問題について対策を考えさせるような内容の出題が多い。学生にはかなり難しい設問だと思う。中には見事にまとめてくる大した若人もいるが、そういう人はやはり限られていて、大半は推して知るべし。繰り返すが学生だから仕方ないところはある。当然、対策といわれても思いつきをぶつけるよりほかなく、その代表例が「周知徹底PRすべし」。ま、ろくに現状を調べてない学生だとこんなんしか思いつかんわな。

             で何が言いたいかというと、国内感染が始まって最初にやったことが電車内の意味なさそうなアナウンスだから、現実の行政機関がやってることが不勉強な学生の思いつきレベルなんだな。

             

             もう一つは、これは入口出口が逆の話なのだが、個人に呼びかけてどうするんだという部分である。
             このアナウンスに限らず、何事も個人の心がけにまず呼びかけるのは日本社会の悪癖だ。たまたまこういう本を読んでいたが、この感覚は明治のころに確立されたらしい。これはWGIPの洗脳などというぬるい妄想と違って今の若人にもしっかり根付いている。なにせ「周知」の次に多く見かける「対策」が、個々人の意識改革だったり懲罰だったりする。

             例えば災害対策だったら「住民一人一人の危機意識が重要だ」、プラごみ等の環境問題だったら「住民一人一人が3Rを進めることが重要だ」、動画の違法アップロードだったら「見る側にも何らかの刑罰が必要だ」。別に100%間違いというわけではないし、それも重要といえるものもあるが、だがしかし。


             行政機関で働きたいいう人間が「住民一人一人」に丸投げしてどないすんねんと、例年指摘はしてきているのであるが、今回の政府の一連の対応を見ていると、昨年書いた「日本天動説型外国人差別」同様、若人の無邪気さにもっとしっかり釘を刺すべき重大事案に思えてきた。

             一斉休校のような行動制限かけといて諸々の多大な影響についての補償・対策はろくにないかあっても実にショボい。それでも一定支持がついてくるのは、個人の心がけが第一に来る社会では個人の心がけを呼びかけるのは善政になるからだろう。この感覚は公的支援とのトレードオフがついてまわるから、検査がなされないことより検査がパンクする方にまず懸念がいく(そして公的部門をばんばん縮小してきたので実際能力もない)。


             これが妙に目につくのは、世界的な疫病につき、多少の時間差はあれど各国の対応の違いが同時並列となるので、いやでも違いが目につくからだ。当初、感染拡大の中で対策会議は10分程度(ついでに会議の面々が安倍自民の秘蔵っ子佞臣たち)その後首相は帰宅か会食という疫病なのに犒主瓩宴会な状況に、俺たちゃ三国志の時代を生きてるのかよ歳在甲子天下大吉と思ったが(今年は甲子じゃなくて庚子なんだって。惜しい)、韓国や台湾の気合の入った取組を見るにつけ(そして遅れて感染者が出たフランスあたりの対応を見るにつけ)、三国志ではなくて西ドイツ/東ドイツなんだなと思い知らされた。


             韓国はセウォル号のときに今の日本と似たようなことをやってこけた経緯があるから、朴槿恵だったらどうなってたかわからない。それが打倒されてできた政権だし、ついでに進歩主義はこういうときは強い。
             日本の場合は東ドイツと違って何主義でもなくただの日本天動説、要するに夜郎自大だからどうにもならん。タマネギ男とかって嬉しがってりゃそりゃ必然こうなる。東ドイツと違って情報が遮断されてるわけではないのに夜郎自大が高じて積極的に遮断してる。嫌でも目につくと書いたが、実際のところはそんなに目についていない。その結実が、あの記者会見という名の無意味な首相原稿音読会だろう。「五色の虹」「牙」の三浦記者が驚いた旨のツイートをしていたが、何をいまさら。かまととぶってるなら阿呆だし、ホントに驚いたのならもっと阿呆だ。そして恥入ってる分だけ三浦はまだ全然まとも、というのが何とも。

             

             とかなんとか書き連ねても、出来ることが手を洗うだけだからショボい身だ。先週くらいから、公衆トイレの乾燥機がようやく使用中止になった。チン先触った指をさらっと湿らせる程度でブォーンと乾燥機にかける連中に舌打ちしなくて済むようになった。ちゃんと洗え、という個人の心がけは重要なのだが、一方で施設責任者は責任もって乾燥機を止める。ま、そういうことっすよ。とりあえず、この曲でも聞こうか。



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