ギターを持たないスタジオイン

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     課題を書き上げたら提出してそのまま退出してよし、というような講義の日がある。全員要領よくさっさと終わらせればそれだけ俺も早く上がれるのだが、面白いもので、その場にいる学生が10人だろうと50人だろうと、決まって1〜2人が定刻までかかる。
     長く時間がかかっている人は、それだけ熟慮しているともいえるわけで、要領かましてさっさと終わらせるのに比べれば全く素晴らしいともいえる。これもまた、時間と内容の出来は必ずしも比例関係にあるわけでもないのだが、とにかく定刻まではじっと待つのがこちらの務め。別の仕事をしながら、素知らぬふりしてやりすごすだけのことである。


     ただし後ろがつかえていると、ついつい論語いうところの「小人」になって、そわそわしてしまう。この日はスタジオ練習であった。早めに終えられれば余裕を持って到着できるが、そうでなければ駅までダッシュしてようやく10分の遅刻に収まるとか、そんなタイムテーブルになっている。

     

     どうにか「早歩きで駅まで行けば5分程度の遅刻」くらいに仕上げてくれた。「すいませんお待たせしちゃって…」と恐縮する若人に、何を小さいことを気にしとるんだ君は呵呵大笑、くらいの余裕を装って教室の空調と照明を消す。ここから一転、出勤時の会社員のような無表情早歩き。どうにか予定の電車に乗れた。


     こうして5分遅刻くらいでスタジオイン。ギターはさすがにスタジオに借りた。ギターを持った渡り講師、とはいかぬ。大体小林旭演じる滝も、ヤクザの子分に就職してからはギターを持ち歩ていない(のに、いつの間にか船には持ち込んでいて海保の臨検を誤魔化すのに使用する)。

     

     借りたギターはフェンダーだった。「これしかないすけどいいすか?」と係の兄さんは謙遜するのだが、俺の安物より断然いい音がする。さすが「間違いはない」と評される安定のブランドだ。
     「ギター、ドラム、鍵盤、の3つだけでそれなりに楽しめる曲」という条件の選曲をいくつもハズしたので、段々とコツがわかってきた。前回上地から「いっそビートルズでいいのでは」と提案があったが、改めてビートルズを聞くとこのメンバーでは楽しめそうな曲が見つからない。ビートルズが駄目ならオアシスだ、というのが映画「イエスタデイ」でも示された通り。色々吟味して「Don't look back in anger」にした。彼らの代表曲の1つだけに、今更暴威の「Only You」をコピーするくらいの非常にベタな選曲にも映るのだが、この曲はドラムが思ったよりも凝っていて、なかなかによさそうなのである。

     

     期待通り、ドラマーが「この曲のドラム、いっすねー」とご機嫌である。普段曲の良し悪しなど口にしないノーコメント・ピアノマンも、「この曲、僕歌いたいです」と珍しいことを言う。

     

     そして早速演奏して気づいたことは(正確には独りで練習しているときから薄々勘づいていたが)、この曲のギターはコードをなぞるだけでは全然面白くないということだった。オアシスといえば、十数年前くらいまでは、駅前や地下道でギターの弾き語りをする連中の定番といった位置づけだったが、少なくともこの曲は、コードをなぞるだけだと全く退屈、ある程度本家の演奏を正確になぞる必要があり、だから「Stand by me」の方が人気だったのかなどと納得した。

     

    伴奏とメロディーを弾く超絶にうまい人


    映画の感想:幸福路のチー

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       こちらは現代のアニメ映画。クラッシャージョウに比べれば、はるかに単純な線で描かれた牧歌的なタッチをしているが、アニメもずいぶん進化したもんだと思いながら見た。


       内容は個人の伝記、回顧録の類で、30代半ばくらいまでの一人の女性の来歴をたどりながら、家族とは、ふるさととは、といったところを描いている。1975年生まれとあるので、俺と同世代の設定だから、国は違えど手触りの似たノスタルジーを感じた。そのせいか、俺と同世代とおぼしき後ろのおっさんは上映後、会場が明転してもなお豚泣きしていた。俺はおばあちゃん子ではなかったせいだろう、大して涙腺は反応しなかったが、まあ泣く観客はそれなりいそうな作品だと思う。女性が主人公で、結婚とか出産とか母との相克とかがストーリーに絡むので、女性の方がより楽しめそう。


       ただ、本作はアニメの絵の仕上がりが貢献するところ大で、実写だと、NHKの地方放送局制作ドラマと似た、かつさらに凡庸な内容になったと思う。何てことのないある一人の女性の半生を上手い具合にまとめているという点ではよくまとまった佳作だが、「故郷に戻って自分を見つめなおす」というパターンがNHK地方局的で、かつその故郷への接し方なり距離感なり主人公への影響度なりは凡庸に見えてしまった。俺も以前に同じような「帰省モノ」を作ったことがあるが、凡庸さがまあまあカブってみえるような気も。これは一つには、主人公の設定年齢が俺と同世代のせいもあろう。

       

       アニメの出来栄え以外で興味を牽引する要素は「台湾社会」に尽きる。観光や他の台湾映画で見たことのある台湾の街並み、檳榔屋、家屋、学校、高圧的な教師、田舎の景色、スクーターの移動、そして80〜90年代の政治の激動。これらが個人史の中に織り混ぜられていて、興味をそそる。主人公が「この運河もすっかり変わったなあ」と眺めるかつてのどぶ川が親水公園に整備されてるさまは、現地でも真新しい同型のスポットを見たので、印象に残った。あと、祖母の葬儀の様子が「父の初七日」と違って泣き屋もいなければ派手な飾りつけもないのは、祖母がアミ族の出で道教信者でもないからだろうか。これも興味深く見た。

       

       

       「ちびまる子ちゃん」のようなタッチ、内容でありながら、主人公がデモに参加したり、陳水扁の当選を受け国民党支持者が民進党シンパの主人公の勤務先を取り囲んだり、母親が馬英九の熱烈なファンだったりするのに困惑した日本の観客も少なくない模様である。

       これは昭和20年前後が舞台の日本のフィクションで必ず戦争が登場するのと同じようなもので、80末〜90年代の台湾社会を舞台にすれば政治の話が登場するのは必然である。それほど人口に膾炙した激動だったということだ。一方でそれに困惑する人がいる日本社会は、それだけ鼓腹撃壌な日々を過ごしてたといえる。蔵書の種類で逮捕されるような社会でなかったことは幸福なことだが、一方でツケもずいぶんため込んでしまってる。物価だけでなく、社会の成熟度合でもどんどん差が開いてきてるんじゃないのか。


       そういう台湾的な断片をずいぶん面白くみたのだが、しかしこれ、台湾の人にしてみればどれもわかりきっている普通のことなので、ただただ一人の女性の地味な日々をつづっただけの作品になってしまう。だとすれば、現地で何でヒットしてるんだろう。

       

       と疑問に思ったが、これまで見た台湾映画はしばしば、あまり新味のないものを堂々とやってのける作品が珍しくなかったと思い出した。そういう作品でしばしばみられる余計な脱線のような雑味がない分、本作はずいぶんスマートな仕上がりといえる。

       そしてふと思ったが、主人公がきちんと年を重ねている描き方をしている映画は、最近の日本だと少ないのかも。簡単なタッチの絵なのに、主人公の小学生時代の友人が、大人になって登場したときに説得力のある外見(確かにあのガキが年食ったらこんな感じになりそう)をしているところといい、年を重ねるという点では、結構見事な描き方をしている作品ではないかという気がにわかにしてきた。

       

      「幸福路上」2017台湾
      監督:宋欣穎
      出演;桂綸鎂、魏徳聖、陳博正


      映画の感想:クラッシャージョウ

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         リニューアルした京都みなみ会館の見物を兼ねて、昭和のSFアニメ黄金期に制作された本作を見た。当時よほど宣伝されたのだろう、タイトルだけは知っている。でも初見。概要すらも全く知らない。ある意味新鮮な気分で古い映画を劇場で見れるから、贅沢である。


         今年は「機動戦士ガンダム」の放送から40周年という年に当たる。ということは同時に作画担当だった安彦良和が頭角を現して40周年ということでもあろう。「ガンダム」の無理な制作進行がたたって肋膜炎で入院した彼が現場復帰し、初監督を務めている。

         このため絵はさすがの仕上がりだ。「ガンダム」で培われた技術と、劇場版の成功で儲かったせいもあるのか、これぞ80年代SFアニメという見事な出来栄え。なんでも、テレビ版の「ガンダム」制作時は、使える絵具の色数が劇場版「宇宙戦艦ヤマト」の1/4程度しかなかったそうだが、本作はそれに比べれば絵具の種類も増えている。

         今のアニメが好きな人からすれば、かなり泥臭く時代を感じる雰囲気なのだろうが、個人的にはこういう質感のアニメを子供時代に見ていたので、とても落ち着いて見ることができた。

         しかし内容は……。2時間超えの長尺でもあり、かなり苦痛に感じてしまった。

         

         クサすことをくどくどと書きたくはないからなるべく簡潔に。後出しジャンケン的に展開していく物語展開の苦しさがまず退屈なのだけど、そのせいで必然、主人公ジョウが突撃敢行しか能のない無策な男になっている。話が雑なので、それを転がす主人公も雑にならざるを得ないわけだ。こうなるとジョウの「昭和マンガの主人公男子」の見事すぎる類型たる顔つき髪型、「〜しちまったぜ」に代表される類型主人公語が目に余ってきてしまう。

         

         こうなった最大の原因は、この手のSF冒険ものには必須の、作品を貫く背骨といおうか外箱といおうか、舞台設定の希薄さがあると思う。宇宙に植民した人と地球に残った人との対立、とか、永遠の生命たる機械の体、とか、地球を救うために遠くまで掃除機をもらいに行って帰る、とか。何かしら大枠がはっきりしていればまだどうにかなったところはあるかもしれん。

         

         本作の場合、タイトルにもなっている「クラッシャー」がそれに該当する候補で、ジョウも何かと自身のアイデンティティの拠り所としている風なのだが、結局のところこれが何なのか、便利屋のようなもの、くらいしかわからなかった。せいぜい「面倒ごとに巻き込まれる必然性」を担保する装置として(私立探偵と同じようなもの)使われているだけだった。結果、一介の便利屋が命がけで一国(一惑星)の統治のあり方の是非を問うという極めてバランスを欠いたはちゃめちゃな物語になっている。

         

         ガンダムを経てのこれ、というのは不思議な印象だ。ついでに「スターウォーズ」もとっくに2作目まで公開されている時期、ここまで内容のないものが作られたのはいったいどういうことなんだろう。面白い/面白くない、とか、傑作/駄作ということではない。頑張って作ったものが大して面白くないことなら、自分でも何度も経験済みだ。本作の場合、面白くないというより、不思議なくらい考えなしの空っぽに感じたのだ。絵を綺麗に仕上げることにすべての労力を使い果たしてしまったということ? それとも市場の活性化によって引き起こされるバックラッシュみたいなものなのだろうか。


         それはさておき、作品から何か派生して考えられることはないか、と思考を巡らし書いては消して書いては消してをしてみたが、このような作品を監督した御仁が、約10年後に「虹色のトロツキー」を上梓することを考えると人間変われば変わるものだ、この人個人に関心が湧いてくるなあ、くらいしか思い浮かばなかった。

         

        1983年日本
        監督:安彦良和
        出演:竹村拓、小林清志、小原乃梨子


        四条派〜ミュッシャ〜ポー〜ラファエル前派

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           桐谷的美術館巡りが佳境。本日は京都国立近代美術館で、「円山応挙から近代京都画壇へ」。応挙の名を冠した集金イベント(虫干し)かと思ったが、なかなか楽しめた。呉春は素晴らしいな。中国風の「それは上手いんか?」画風と応挙の写実を兼ね備えた男。彼にあやかった大阪・池田の地酒「呉春」もいい酒だ。


           応挙というと孔雀のイメージだったが、この人は水を描くのが上手いのだと知った。滝の絵の滝を白抜きで描く手法なんか、今のマンガ家もよくやってるんじゃないか。そんな話を友人の学芸員にしたら、「俺は保津川図屏風について語って採用された」と鼻息荒く当時の思い出話を聞かされた。保津川図屏風もそういやあったな。屏風は六曲(六つ折り)が相場のところ、八曲ある20世紀FOXサイズのパノラマビジョンな屏風絵である。なるほど芸術作品は現代人の生活にも影響を与えているんだな。


           地下鉄で横移動して京都文化博物館。ここでギターをそれほど持ち歩かないヤクザの映画を見たのはすでに書いた通り。映画の前に腹ごしらえをしようとして、時間がタイトな中看板を物色し、結局毎度おなじみ、博物館の向かいにあるラーメン屋でカレーラーメンを食す。明徳・馬淵監督もカレーラーメンが好きらしく、中村計によるとあんま旨くないらしいのだが、この店のはまあまあ旨い。

           


           こちらで開催中なのが「みんなのミュッシャ」。タイトルが気が利いている。つまりこの人の手法を後の時代のデザイナーやマンガ家の数多くがパクっていることを踏まえている。
           ミュッシャを見たければ堺に行けばよいのであるが、大塚英志が「ミュシャから少女まんがへ」という本を出していて、Twitterでもその辺の話をよく投稿していたので、企画の趣旨に興味が湧いたというのがある。あとはまあ桐谷的理由。しかし堺になんでミュッシャがあるかというと、信長の時代に堺の商人の手を経て日本に上陸したからであり、ミュッシャは1860年の生まれである。


           海外文学の挿絵なんかで見かける、やたらと細密な線で陰影をつけたエッチングなんかから始まり、やがて輪郭線を強調して陰影の乏しい平板なタッチになっていく。女性の長い髪や服のヒラヒラなんかが流麗な線で描かれていて、まあ確かにこれは、後代の日本人から見ればまさしくマンガ的な手法に見える。というわけで後半はそのあたりに影響を受けた人々の紹介となっている。へえ、結構なビッグネームたちが「影響された」と公言してんのか。

           

           後日、阪急うめだ店でやっていた「萩尾望都 ポーの一族展」。よく考えたら新装開店した阪急百貨店にまともに足を踏み入れるのは初めてだった。仕事の前に立ち寄ったので速足で。それというのも読んだことがないから。どういうわけか実家に「トーマの心臓」があったのと、大学生になってようやく「11人いる!」を読んだ程度。それでも原画は感動するね。うめーなーと当たり前の感想しか出ないのだが。


           また後日、「ラファエル前派の軌跡展」に。今回は友人2人とともに、おっさん3人で雁首揃えて鑑賞。
           友人の1人Dはラファエル前派で卒論を書いている。なので彼の解説で鑑賞会をしようとしたのだが、「それは専門家の仕事だろう」と学芸員Kを呼びつけ、円山応挙で採用された男に無理矢理西洋絵画を解説させる高度な嫌がらせのような会になった。手の込んだレジャーだ。
           ラファエル・前派ではなくて、ラファエル前・派である。なので後派はいない。ラファエルは、有名なラファエロの英語読みだ。イギリスの画家たちの運動なのでそうなるわけだが、中心人物が「ダンテ・ガブリエル・ロセッティ」と、完全にイタリア系の名前なのでややこしい。当人はイギリス生まれなので、こちらも英語風に「ゲイブリエル」と表記するのが常。辞書サイトに発音させると「ダンテ・ゲイブリォ・ロゼティ」で、イタリア風の「ロセッティ」とは全く発音していない。ま、「グラン(仏語)フロント(英語)大阪」みたいなものだ。


           美しいものを美しく描くというような方向性なので、全体的にはわかりやすく綺麗な絵が多い。時期的には19世紀中ごろなので作品の中には大英帝国の貿易網を思わせる東洋風の調度品もチラホラみられる。それをKが目ざとく見つけて「あれはおそらく古伊万里だ」という。

           「150年前の絵だから今伊万里なんじゃねーの?」とまぜっかえすと、「18世紀くらいのやつだと思うから、当時にしても100年前のアンティークだ」と冷静に説明された。その隣でDが、ラファエル前派内の女性関係のドロドロを嬉々として説明している。お前が書いたのは卒論か昼メロかどっちなんだ。
           彼らの支柱だった批評家のラスキンが何だかんだで最も絵が上手いような気がした。


          映画の感想:ギターを持った渡り鳥

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             文博に行くとなれば、ついでに映画も見れるとなおよし。というわけで、たまたまやっていた有名作品を見た。
             父親が若いころ、長嶋茂雄も石原裕次郎も好きではなかったという。テレビではしばしば全国民が好きだったくらいの勢いで語られるものだが、父親が例外なのでその語られ方には違和感しかなかった。一方で父親は小林旭のファンだったが、裕次郎と違って俺が子供のころはあまりテレビに出ていなかったから、違和感どころか人物自体がよくわからない。


             レコードは自宅にたくさんあったからジャケットを見るのだが、薄い顔立ちをしているので子供心には格好いいのかどうなのかピンとこない。何かといえばドラムのシーンがアーカイブ的にテレビに出てくる裕次郎と違い、そもそも話題にすら上らないから確認のしようがない。
             そうこうしているうちに「熱き心に」がヒットして再びテレビに出るようになったが、50手前のマイトガイは、第三次成長を経てすっかり昔の自民の領袖みたいな見事な恰幅になっていた。裕次郎以上に若いころとのつながりが想像できず、スターとしての小林旭をついぞ確認したことがないまま今に至る。

             

             そういうわけで、映画の内容としてはどうせ当時の商業映画だろうと特に期待もしていなかったが、大きなスクリーンで若いころの動く彼を見ることに意味があろうと、だいぶ理屈っぽい興味を抱いて訪れた。

             

             席はかなり埋まっていた。さすがはかつてのスターである。見事に爺さん婆さんだけなのが清々しい。溝口健二や成瀬巳喜男といった著名な監督作品と違って、やはり若人には見向きもされないのだろう。時代のあだ花で終わるのが商業映画の宿命である。ギターを背負った流しの青年がヤクザと大立ち回りを演じるというトンデモ臭すらする内容だから余計である。

             

             冒頭、さっそくギターをかついで海辺を歩く小林旭演じる「滝」が登場する。昔の映画なので、最初に出演とスタッフが全部紹介されるのだが、バックに流れる主題歌を、そらで歌えてしまえる自分がいる。雀百まで踊り忘れず。英才教育の賜物だな。

             滝はギターを、ケースなしの裸で肩に担いでいる。百姓が鍬を持ち歩くときの担ぎ方。斬新。先日、ギターを持ち歩くのにケースがないからと楽器屋に飛び込んだ己は、所詮固定観念にとらわれた保守派だと反省しなければならない。

             

             このギター、ボディの円周に沿って中東風味の草花模様がぐるりと描かれていてなかなか洒落ている。さらにこれ、後から絵具で書いたように見えるから、だとすれば、酔って自分のギターにあみだくじ模様を白塗料で書きつけた布袋寅泰に先駆けること30年前である。ポスターでは模様のないスタンダードなベージュボディなのはなぜなんだろう。

             さらに注目すべきはストラップだ。演奏時にギターを肩から掛けるためのベルトのような用具であるが、旭モデルのストラップきたら、これが神輿の装飾に使いそうな紅白の細い縄なのである。縄みたいなストラップではなく、縄そのもの。斬新!

             この特別仕様のギターで悪党をとっちめるトンデモストーリーを想像したが、そこまでイカれた作品ではなかった。残念なことに、ギターは「流しをしていたら絡まれた」という序盤の小道具として使われるくらい。中盤以降は海保の臨検を誤魔化すときに一瞬出てくる程度であとはちっとも出てこなかった。ギターを持った渡り鳥といいつつ、全体的には「手持無沙汰のヤクザ」だ。

             

             その肝心の旭だが、このとき二十歳前後。年齢だけでも「暗い過去を背負った流れ者」という設定には苦しい上、年相応の甘っちょろさが残る面構えを随所に見せていたので、ちょっと見ていられないシーンもいくつかだった。顔つきといたたまれなさが若いころの吉川晃司とちょっと似ている。しかし、あのかつてのやんちゃ坊主も今や50を過ぎ、実に格好いい年の取り方をしているのに対し、自然の摂理通りに加齢した旭と比べると対照的だ。改めて吉川晃司は大した人だ。

             一方、若いくせに存在感がピカいちだったのが宍戸錠。出てきた途端に客席が沸いたので、多くの爺婆様たちがこの風変りなヒールを期待していたのだと知った。あてがわれた役の名前が「ジョージ」という手抜き具合(だったら「ジョー」でいいじゃん)に、制作サイドからのおざなりな扱いを案じてしまうが、なかなか大物っぽいワルぶりを演じていて素晴らしい。

             

             というわけで、宍戸錠ばかりに惹きつけられて、小林旭の魅力はやっぱりわからずじまいだった。顔立ちが綺麗なのは間違いないから、ヒーロー以外の役柄だとまた違ってのかもしれないが。昭和30年代の函館の景色を見れる点、現代史の資料としてはなかなか貴重だと思った。

             

            1959年日本
            監督:斎藤武市
            出演:小林旭、浅丘ルリ子、金子信雄



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