大阪、夜の撮影

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     奈良、福井と転戦し、最後の撮影現場は大阪。松本清張ばりの全国点と線の旅だ。

     この日は登場人物の一人が暮らすという設定のアパートでの撮影。上手い具合に借り手のない空き部屋を使わせてもらえることになったので、堺市内のハイツに出向く。空き部屋なので当然モノは何もない。なので必要最低限の家具類を持ち込んで、あとはカット割りで誤魔化すという方法を取る。
     家具類はどこから持ち込むかというと、基本、私の私物である。大物は台所のテーブルとガスコンロなのだが、いざガスコンロを運ぼうとすると、あまりの汚さに我ながらあきれた。コンロをどけた後のスペースときたら、…自粛。

     夜遅くには、寺田町の駅前で簡単な撮影。登場人物が台詞もなく歩くだけという地味なシーンのせいもあるが、大阪では人々が特にカメラに気にも留めず過ぎ去っていく。福井では、さすがに手持ちカメラだと観光客がホームビデオでも撮ってるように思われるのか特に気にもされないが、三脚を構えた瞬間一気に注目が集まったものだ。
     通行人カメラ目線NGもあったし、「え?どこの局?」なんてベタなオッサンもいたしで。どーもお騒がせしてすいません。大阪の場合は、撮影対象が芸人じゃなかった時点で誰も興味を抱かないんでしょうな。所詮我らは名もなき草花でございます。


    テレビの中のいけ好かない男

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        撮影が終わって夕方。何だかむしょうに体が重くて横になったら記憶を失くすくらいの勢いで寝入ってしまった。思い当たるフシはいくらでもあるから不思議ではない。起きてテレビをつけると既に情熱大陸の時間になっていた。今日の主役はどうも広告屋である。

       広告のデザイナーという人は「pen」あたりの雑誌がそのまま立体化して動いてるとでも言おうか、全く異質の空間にいるという印象があってどーも苦手である。このヤナイさんという人も40過ぎて金髪にピンクのカジュアルといういでたちからしてつい敬遠してしまうナリなんだが、それでも何となく番組を見てしまった。

       横目で見ていて思ったのはしかし、(少なくともヤナイ氏に限っては)俺と全く異質の世界ではなくて、比較的近いとこかもしれないということだった。どうやったらよりよく伝えることができるか思考してるヤナイ氏の表情が、そう遠くなく感じたからだ。「ヤナイが何を考えてるのか頭の中身は我々にはわからない」というナレーションには「そうでもないだろ」と突っ込んでしまった。ま、わかるやろそれくらいという話の流れでしたけどね、あの映像は、完全に。

       広告は新商品を売るとか、昔からあるものに新しいイメージを売るとか、常にどこか新しくないといけない。なので作り手側は世間の感覚の裏を突くようなことをやりたくなるんだろう。思い切った広告を作って、発注した企業の担当から「それはちょっと」と止められるやり取りが何度か紹介されていた。この場合、企業の担当は「世間の感覚」というのを第一に考えるから、どうしても保守的になりがちだ。どっちが正しいか、そんなことはわからない。ただ広告屋っていうのはそういう習性があるんだということだろう。彼らに比べれば、一見時代の先端をいってそうなテレビ屋や新聞屋の感覚はずっと古臭い。

       ここまで考えてようやくわかってきた。多分俺は広告屋が苦手なんじゃなくて(苦手なタイプは多いとは思うが)、彼らを取り上げるテレビ番組の方法論の中で見える彼らが苦手なんだと思う。テレビドキュメントの相変わらずな枠組みが、ヤナイ氏のような人をうまく捕らえられてないというか、いわゆるクリエイティブな人としか現せない、=俺が嫌いなタイプの人間に見せてしまう、そういうことだ。

       悲しいかな商業性とは無縁のとこにいる俺も、常に新しいものをと考えてるところが唯一の存在意義なんだが、仮にテレビで取り上げられたとすると、ブラウン管の俺は「いけ好かないニート」に映るんだろうか。事実その通りなんだけど。

      隠居のある生活

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          河瀬監督の受賞のニュースで妙に気になったのは、客席?で監督を涙目で見ていた主演女優の人。
         別に綺麗とか可愛いという話ではなく、いや綺麗で可愛いと思うけど、受賞が決まってスピーチする監督を、ピアノ発表会に出る孫を見てるオバアのような目で見守ってるように見えたのが妙に気になったのだ。見守ってるのが夏木マリとかね、ベテランの人ならすんなり通るんだけど、あんた監督よりずっと年下だろうに、ということだ。

         しかし監督と役者(も含めた関係者全員)の関係なんてそんなものかもしれん。威張ってるけどその実全員におんぶに抱っこであるから、ほんと反抗期の子供と変わらん。周りのあったかい目に支えられとるというわけだ。少なくとも自分についてはそう思うし、同じように思ってる人も少なくないと思う。

         で、オバアと孫つながりで、強引に年金の話につなげるんだけど、一見、与党が問題の5千万人を救おうとしてるのを野党が邪魔してるように錯覚してしまう辺りがなかなか狡猾だ。国民はそんな阿呆じゃねえぞという点を踏まえれば、三文芝居というか使えない狡猾さなんだけど。

         しかしやっぱり年金問題は盛り上がる。週刊誌も年金か性生活を取り上げると売上が伸びると数年前に聞いたことがあるけど、例えば国民投票法のように、同レベルかそれ以上の議題に比べて段違いに盛り上がってるのを見ると、今回のコレも、問題の中身云々の以前に、年金の話だから必然過熱しているといえるんじゃなかろうか。

         何はともあれ老後のことになるとハッスルする世の中も、それはそれでどうなんだろうとは思う。年俸でもめた野球選手が「いや老後が不安で」と言い出したら何だかしらけてしまうが、それと似たようなことを国を挙げてやっている、ともいえなくもない。

         俺の父親は定年退職後、完全なる年金生活者になった。毎日本を読んでるか碁を打ってるか大リーグ中継を見てるかである。ようは隠居だ。ところが今の世の中にあてはめるとレアケースに見える。会社員時代に知り合った人で定年退職した人が何人もいるが、大抵はみんなセカンドステージで働いてる。
         それが場合によっては老害といわれる。中曽根さんはそれで辞めさせられた。筑紫さんももう引退したらなんて週刊誌に書かれてる。だがそれは特異なケースだというのが、ニュース画面に出てくる人々の年齢層を見ればわかる。隠居のない社会で年金を払えといっても説得力がないんじゃないか。社会保険庁の連中も、結局のところだから仕事が杜撰なのだろう。世の中どっちを選びますか。まずそれを考えないといつまでたっても終わらない議論なのではなかろうか。

        たけしでもひとしでもなく

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            カンヌで武vs人志の報道がひとしきりなされているとき、注目はしかし河瀬直美だろ、と受賞が決まる前にこの欄に書いておけばよかったと思っとります。今から書いたんじゃいかにも後付けに見えますもんね。

           でもホンマにそうだ。予定調和的に必ず賞賛されるフシがある悪い意味でどこか黒沢化してる北野武や、映画の出来不出来以前に何だかお祭り扱いの松ちゃんに比べ、日本映画の一翼を地味〜に担ってきた河瀬監督がパルムドールを取れるかどうかやはり注目すべきであろう。可能性は少なくないし。

           受賞に何の意味があるかというと、ニュースになって知られることに意味がある。「誰も知らない」だって、主演男優賞だっけ、あれ取らなかったらほんとに誰も知らない映画になってたからね。逆に宮崎駿がベルリンで受賞するとかしないとか、たまに騒いでるけど、そっちは実にどうでもいい。既に地位を築いているからだ。

           でまあ、グランプリという一見優勝かと勘違いする名の賞を受賞して、それを伝えるテレビでも「一体誰やねん」というムードに溢れてるのが、別に知り合いでも何でもないけど何だか小気味よかった。バベルの菊池リンコであんだけ騒いでたくせに、こっちは困惑しかないのかよ、という辺り、寂しいことでもあるが、とりあえず痛快だった。

           ただしこのタイトルからして読めねーぞという映画、アメリカ映画のテンポに慣れてる大方の人にしてみれば、見てないので完全なる憶測だが、寝るんじゃないかと危惧する。偉そうにいってる俺も多分寝ると思う。

           なので単館上映が決まってることについて「もっと大々的にやれよ」と小ヅラさんが言ってたことは正論だけど、金儲けを考えると必然の選択だとは思う。ただ上映形態はどうであれ、都会では上映されても田舎ではされないだろうなあというところは気になる。文化活動は何でもが東京、という現状の中で奈良で地道に作った映画がポーンと世界に飛び出したことを考えれば、尚更田舎で上映してほしものだ。

           この監督、写真家出身だったけ?やっぱり絵が綺麗だわ。先日の福井ロケの中でも綺麗な風景を撮る一幕があったんだけど、天気云々を別にしても難しいなあと痛感させられた。デジタルの限界とかそういうのも多々あるんだろうけど、やっぱりスキルの問題である。知り合いのカメラマンが撮る写真を見ても、同じカメラを使ってたとしても質感が違うもんなあ。

          3万分の2(か1)

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              ニュースの多い日である。よく見れば死んだ2人はどっちも慶応大病院だったようで、これも大病院の宿命だろうか。

             自殺を嘆いてよく友人なんかが「バカ野郎」と言葉を吐くんだが、病死のように単に悲しいだけでなく、事件や事故死のように誰がが憎いわけでもなく、何だか複雑でやり場がないからそう言うしかない。

             松岡大臣の場合、報道ステーションが言ってたように、大臣を辞めさせなかった安倍首相に、板ばさみを強めたという点で責められる点はあるんじゃないかと思うんだが、当の首相にしてみれば死ぬなよというのが本音だろう。
             NHKが各野党の責任者のコメントをしつこいくらい「お悔やみ申し上げます」という第一声から伝えていたのも、批判したことが心労を強めたんじゃないかという後ろめたさを、これまた同じく批判していた側として“共犯的”に感じたからだろう。これまた死ぬなよというのが本音のところ。

             別に野党やマスコミの批判を非難したいわけではない。そんなこと言い出したら何もいえなくなる。ここで言いたいのは、自殺というのはとかく周りにしてみれば複雑な感情を抱かせるもので、なので触れないでおこうという発想になる。新聞やテレビで特異なケース(有名人や子供など)を除いて自殺が記事になることはないのもそういうことだ。

             なんだけど、年間3万人ともいうことを考えると、それもどうかと思わされる。交通事故の死者が現在は年間7千人とかですか。車の性能向上でだいぶ減ったけど、それでも神戸の震災と同じくらいと考えると変な気分になる。そのさらに4倍以上だからこれはもうよくわからない。とにかくそれだけ人が死んでいて、やっぱりそれは大問題だろう。

             さてZARDの人は現段階では事故と自殺の両説あるが、「負けないで」という歌詞のことを考えると、はてZARDにはあの人以外メンバーがいたのかどうかもよく知らない俺でもなにやら考え込んでしまいそうなので、自分で言っておきながらやっぱりここはスルーしてしまう。


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