東京4日目公演2日目

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     前日泊めてもらった大学時代の友人Uの家はまさしく戸建ての家で驚いた。「世田谷」に「家」=芸能人。阿呆な等式がまず浮かんでしまう。実際、近所にテレビに出ている誰やらが住んでいるらしいけど。

     

     初日の問題点をいくつか考えたのだが、手っ取り早くクリアする方法としては「巻く」のがいいのではないかと考えた。巻くとは要は演技のテンポを速めるということだ。前日に引き続き、東大内の偽の安田講堂(1号館という素っ気無い名前らしい)の前のスペースで返し稽古をした。盆で人気の少ないキャンパスに、岩名君の声がこだまする。学力低下が指摘され久しい東大生たちが奇異な視線を送って通り過ぎていき、研究生か助教か、やや歳食った人は温かい視線を投げかけてくる。

     

     雨が降った昨日とはうってかわって日差しがきつい。ミンミンゼミは大合唱。岩名君は大汗をかいて(彼はいつも大汗だが)巻きの演技をしている。そんな努力が何か社会的に報われるかどうかと問われれば、報いは舞台の上にしかない。

     

     自己満足と言われれば、断固否定はするものの、相手を納得させられるかどうか自信はない。弱気な俺を挑発するように岩名君は、日本の知の集積地で不埒な台本を全力でやる。こっちも負けじと真剣に見続ける。会社員はサボるのも仕事。しかし我々は、少なくともこの場においては会社員ではない。好きなことに人生を費やすならサボる暇はないのである。

     

     この日は、会社員時代の知人が見に来てくれた。おおよそこんな場には似つかわしくない国家権力に奉仕する立場の人だが、わざわざ見に来てくれるのは何より嬉しいし、芝居とは縁のなかった人が小屋に足を運んでくれることは余計に嬉しい。全作品を見て、詳細な感想までいただいた。職業柄、報告書を上げるのが癖になっているのだろうかなどと考えつつ、感謝。
     


    東京3日目公演初日

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       いよいよ初日だ。我らは一発目。つまり東京公演のしょっばなを任されたわけだな。適材適所。「ツカミを頼んだからなっ」とプロデューサー氏に恫喝され、お安い御用だと東京公演の初舞台を踏んだ。俺は客席から見ていただけだけど。
      正直、「つかめたか」どうかはちょっと怪しい。まあ初日はこんなところだろう、とウヤムヤに片付けて、見に来てくれた友人とともに、さっさと下北沢に移動して、カフェでビールを飲んだ。東京の芝居(だけでなく音楽とかもいろいろ)の中心地で、かなり活気があるという印象。人が多いからだが。


       ブームが再びきているのか、古着屋がやけに目立ち、大学時代を思い出しながらちょっと覗いてみた。同行の大学時代の友人Nは、当時ピタTを着たり、松尾伴内みたいな男女兼用の恰好をしたりしていたけれど、本日はスーツ。まさしく「13年後」の世界なわけだ。
      古着屋はやはり結構楽しいものだとかみしめながら物色した。デフレバードのTシャツなど、「いらんやろ」という服を、安さに任せて買いたくなる。浦ちゃんなら即購入していたと思うが。それも「いる」という理由で。
       


      東京2日目

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         翌日。埼玉のベッドタウンから半蔵門線で渋谷に向かった。相互乗り入れのせいで、一本で行けてしまうところに、彼我の差を感じることしきり。

         

         この日はアゴラ劇場でゲネだった。カーテンコールにやや変更を加えたため、珍しく段取りの確認をした。
        終わって、お互い知り合いとの待ち合わせに時間が余る岩名君と、恵比寿の写真美術館で時間を潰すことにした。大阪にも恵美須町という駅があるが、字が異なる。異なるのは、字以上に、小奇麗な街並みだが。恵美須町は、すぐそこが通天閣だ。
        写真美術館では「世界報道写真展」に関連した企画をやっていて、若干肩透かしだったが、まあまあ面白かった。

         

         この日は、千駄木に居を構える会社員時代の後輩宅に泊めてもらう段取り。付近は、東京っぼいというか江戸っぼいというか、雰囲気のいい地域である。なんてことない居酒屋で後輩と飲酒した後、神田に向かった。知人の絵描き、青木君がダーツのインストラクターという完全に人生に迷いかけていると思しき仕事をしていると聞いていたので、向かった。お前が持つのはダーツじゃなくて絵筆だろう。ここはひとつ、実力の差を見せつけて懲らしめてやろうと考えたが、ビギナーズラックでは勝てないくらい彼は上手かった。そんなに腕を挙げている彼は、余計駄目じゃないかという気もする。
         


        【やっつけ映画評】パッチギ

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           また仕事柄、の話だが、先日学生の小論文のようなものを読んでいると、テロ対策の必要性を強く論じていた。警察を要所に配置するなどの徹底した対策を取らなければ、いざという時どうするんだというような内容だ。なんとも柔軟性のない話だが、これを読んでいて、フト可哀相だなあという思いが頭をよぎった。

           二十歳前後のころというのは、とかく流行りの考え方に染まりやすい。率先して取り入れることで自分は賢いと思ってしまうものである。この学生の考え方も産経新聞でも開けばいくらでも書いてあるような話で、いわゆる今の右傾化の流れの一端ともいえる。なので可哀相だと思ってしまったのだ。流行の思想が警官の増員とは、なんとも息苦しい時代に青春を迎えてる世代なのだなあと。
           それに比べて私のちょっと上の世代はというと、赤い闘争真っ盛りである。何せ反体制だから、暴れてればいい。先の学生はつまり「暴れるな」と訴えているわけだから、どっちが楽しいかは一目瞭然である。棒振り回して暴れまわっていた世代から、我々の世代は「今の若者は元気がない!」といわれたもので、余計なお世話である。一言でいえば、ズッコイ。楽しい時代に生まれて、ズッコイよなあ、と。ちなみに私の世代は宗教が大流行りで、オウムに入らない学生も、普通に宗教に関心が高い人が多かった。これも何だかあんまり楽しくなさそうだが、警官の腕力を頼まないといけない今よりまだマシかもしれない。
           さてこの映画。そんな“楽しい”時代(60年代後半)の京都を舞台に、高校生の葛藤や恋愛なんかを文字通りイキイキと描いた、近年稀に見る井筒監督の傑作である。井筒監督といえば、口が悪い大阪弁の汚いオッサンというだけの印象だったが、この映画でこちらの態度が一変手のひら返しとなった。
           主人公の康介が通う学校はのっけから楽しそうである。なんせ先生が授業で「毛首席は言った!」と毛沢東著の赤い表紙の本を振り回しながら「革命だ!」と熱弁を振るっている。なんと香ばしい。対立する朝鮮高校の生徒たちも、在日朝鮮人であるから暮らしは貧しいし差別されてるしで、苦しい立場であることはそうなのだが、本人たちはドヤンキーで暴れまわってる。公衆電話を強奪して中の金を抜いて燃やすなんていうワルにも程がある悪事をしても、この映画ではそれ以上は踏み込まない。リーダーのハンソンらが警察に世話になるわけでもなく、町が騒ぎになるわけでもなく、なんともおおらかな時代の空気に満ちている。
           そして康介がハンソンの妹キョンジャに恋をするのだが、ハンソンは康介の高校を目の敵にしているオッカナイ不良…というロミオ&ジュリエット〜ウエストサイド物語と連綿と続く王道物語の系譜をなぞりながら物語は進んでいく。特にキョンジャの魅力といったらないのだが、その後の彼女のありさまを見ると井筒の他に人はいないのかという気になってくる。

           さて本筋のストーリーにはここでは触れない。ここで触れるのは、康介が「イムジン河」を歌うシーンである。大友康平演じる地方ラジオ局のパーソナリティに認められ、ラジオのコンテストに出るよう誘われた康介だが、いざ歌う段になってラジオ局の社員が血相変えて飛び込んでくる。
           イムジン河というこの上品でどこか哀しい歌は、いわゆる放送禁止歌だ。北朝鮮への望郷の思いを歌ったとされるこんなトンデモナイ曲を放送するなんて何事だ!公安様に怒られるぞ!という論旨の激昂を見せる。
           今の時代からすると、何でそこまで怒るのか理解しにくいが、当時はまさしく共産主義が勢いのあった時代。日本でも普通に爆弾テロがあったし、「赤化する!」という理由でアメリカが戦争を起こしたりする時代である。しかし今では共産主義なんてなんのこっちゃである。この社員は滑稽にしか見えない。その時代時代で人々が大切にしていた価値観なんて、そんな程度なのかもしれない。我々は一体何を守ってきたのだろうかと、ちょっと考えさせられる。
           しかしこれが例えば共産主義をテロに置き換えれば今の時代にそのまま当てはまる。タリバンの歌を歌うなんて何事だ!公安様どころか良き市民までも怒ってるぞ!と、そのまんまかそれ以上に同じである。昔共産主義、今テロリズム。所詮は流行りに過ぎないのかもしれない。そして時が流れれば、テロと言えば血相変える時代に滑稽さや違和感が漂うようになるのかもしれない。そのころ支配している恐怖は何なのだろうか。

           ところでイムジン河が放送できないという話は、今は昔のお伽話かと言えばそうでもないらしいから愕然とする。この映画の宣伝のため制作者が放送局を回ったところ、「イムジン河は流せないことになっている」と拒否されたこともあったとか。そう回答した担当者の本心は知るよしもないが、勝手に想像すれば、なぜイムジン河は駄目なのか理由はよく知らないのだろう。知っていればそんな木で鼻をくくるような対応はできないからだ。知らないからこそ特に考えもせず前例に従える。そもそも放送禁止歌なるものが、実はただの思い込みであることは森達也が「放送禁止歌」で明らかにしている。

           そしてまたフト思う。血相変えて放送を止めさせようとした時代と、特段当人の意志は明らかではないが、「そうなっているから」という理由で放送を断る現代。不健全なのはどっちだろう。大友康平が社員に吐く「この世に歌っちゃいけねえ歌なんてねえんだよ!」という、一見大友だからこそ言えるクサい台詞が持つ意味は、実はかなり重いのではなかろうか。
           そしてまた今では、この映画の時代よりは目に耳にすることも少なくなった在日差別もまた、ただ知られなくなっただけなのかもしれない。好ましくないのはどっちなんだろう。そういえば映画の中で、朝鮮高校の生徒の親族らが、康介にこんな風に詰め寄られるシーンがあった。「国会議事堂の石は誰がどこから運んできたか知ってるか」「生駒トンネルは誰が掘ってるか知ってるか」「お前らは知らないまま歳を取っていくんだ」。知らないまま育った男がここでこうして文章を書いている。
          監督:井筒和幸
          出演:塩谷瞬、高岡蒼佑、沢尻エリカ、オダギリジョー、ケンドーコバヤシ、大友康平
          【補遺】
          日付が不明ながら、おそらく2005年ごろのテキスト。改めて読むと隔世の感と相変わらずの感とが同時に押し寄せた。その点、すでに史料となっている。(2017年再掲載)


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