【映画評】カミュなんて知らない

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     初めて自分が見た映画の監督に話を聞けるという機会に恵まれた、私にとってはちょっとした記念的な作品だ。とはいうものの、作品自体は消化不良で、特にお薦めもしない。

     大学生のいわゆる青春群像劇というような話だ。監督が大学で映画の講義を持ったときの体験がベースになっているらしい。大学の授業の一環で学生たちが映画を撮る、その製作過程で演出を巡る意見の衝突とか恋愛トラブルとか色々あって…、という今時の若者の青春、という話だけには終わらない。

     というのも撮る映画の題材が、実際にあった高校生による殺人事件を題材にしているからである。
     「人を殺してみたかった」という理由で婆さんを殺害した当時高校生の男は、ここに登場する大学生と同世代に当たる。そういう設定であるから、どこか重たいものが作品自体に付きまとう。
     「ブラックエンペラー」「十九歳の地図」など若者を描くことに一定の造詣の深さを体現してきた柳町光男監督作品なだけに当然何かを期待する。なのにその描き方、扱い方には、疑問符が付きまとってしょうがない。

     混乱を呼ぶラストの演出法自体を問題にしているわけではない。

     この作品のラスト、学生たちは田舎の民家を借り、殺害シーンを撮影する。学生劇団から呼んできたという設定の「池田」演じる高校生の犯人が、婆さんをかなづちで殴り、包丁で刺す、かなり生々しい場面だ。このシーンが混乱を呼んでいるのが、その池田が役に入り過ぎたのか、本当に婆さん役の女優を殺しているようにも見える展開になるからだ。

     もしそうだとしたらちょっとイタダケナイ陳腐な展開。「うわーキッツイなー」と見ていたら、やっぱり演技だよこれ、と思わされるシーンがあり、しかしやっぱり本当に殺してるようにも見えるシーンがあり、どっちやねんと客の混乱が頂点に達したところで、学生たちが血糊を雑巾がけして後片付けしている場面にエンドロールが重なって終わる。

     血糊を掃除してるからやっぱ演技やったんや、と素直に安心できないのは、破綻した演出に原因がある。
     監督役の「カット!」の声がかかり、そのシーンの撮影が終わったはずなのに池田はスタッフの見ていないところで殺す演技を続けている。
     或いはカットが変わった際、その場所に本来いるべきスタッフの姿がなぜかなく、なのでそこは“撮影現場”ではなく“殺人現場”にしか見えないような錯覚を受ける。
     これらの絵を真っ正直に捉えれば、どう考えても「全部演技でした」では説明がつかない。なので観客は混乱したまま「結局あれなんだったんだ?」と映画館を後にすることになる。

     勿論監督が混乱を呼ぶためあえて破綻させているのである。完璧な整合性を求める本格推理ファンのような潔癖な人であれば到底受け入れられない演出であろう。
     監督が語ったところを意訳すれば、本来の監督である柳町が撮っている場面なのか、或いは学生監督が撮っている設定の場面なのか、つまり劇なのか劇中劇なのか、客が見ている映像が一体どちらなのか、わざと境界線を破綻させることで、映画としての1つの面白さ、ギミックを提示したということだ。「信用できない語り手」の亜種とでも言えばいいのだろうか。

     それ自体はそういうものだと丸ごと飲み込んで楽しめばいい。好きか嫌いかという意見は別にして、映画が常に整合性を持ってカットをつなげなければならないというルールはない。勿論そういう逸脱は大いに危険な賭けであるから、面白いと受け止めていいんじゃないかと少なくとも思わせる監督の技量はたいしたものだといえるだろう。

     とはいえそういうカラクリのみでこの場面が撮られたとしたのなら、一体「少年による殺人」という、今の日本社会が病理と捉えているテーマは一体どこへ行ってしまうのであろう。
     混乱を呼ぶ確信犯的演出と、少年による殺人という人々が何かを期待するタイムリーなテーマは果たして結びつくのか、結びつくならそこで提示したいことは何なのか。監督の回答は「作品が全てだよ」にとどまった。

     そもそもこの作品には呑み込みにくい部分が多い。学生の映画製作を指導する教授の「イイ歳こいて」と諌めたくなる虚しい横恋慕や、登場人物にモテまくりの松川が結局監督を降板する尻すぼみな悲劇、その悲劇の原因と見られる吉川ひなの演じる情念の濃すぎる女の松川突き落とし疑惑、どれもストーリー上、何にも収斂しない、必要なのかどうかもよくわからないエピソードに溢れている。
     一方「殺害のとき少年は興奮していたのか冷静だったのか」という演出を巡る学生同士の激論が結局どうなったのか特に語られないなど、犯人と同世代の彼らが、理解し難い動機で殺人を犯した少年の心理とどう重なり合うのか突っ込んだ部分は示されない。

     殺人を犯した動機を怠惰な学生生活に求めるとか、すぐに分かりやすい理由をつけたがる今の報道を見れば、人間の理解しにくい部分に拙速に説明を施すことの安っぽさはすぐに気付かされる。それに比べればこの映画ははるかにマトモだろう。
     とはいえ、卑屈な(皮肉な)言い方をすれば、凡人には到底理解しづらい描き方でもって、何かを示したのか示さなかったのかもよくわからない作品を撮ることに、僕は特段意味を見出せないでいる。

    「カミュなんて知らない」2005日本
    監督:柳町光男
    出演:柏原収史、吉川ひなの、前田愛、中泉英雄、黒木メイサ

    【補遺】
    とある学生から「でも学生の日常はリアルに描けてますよ」と言われた。後日、仕事で京都の有名私大に行くと、確かにこの映画の世界を見ているような感覚に襲われた。そういう意味ではなかなか大した映画だと思う。
    何で僕が監督と話す機会があったかというと、監督の講演会とその後の飲み会に参加したからだ。飲み会での監督との会話の中に、いくつかかなりイラっとくることがあり、なので本文はかなり冷静に書いたつもりだが、多少キツい内容になっているのはそんな事情があったことを、もう何年も前の話だし、付記しておく。
    ただ、監督の講演はかなり役立った。見るも無残な「13年後」から「曇天カフェ」に大いにレベルアップできたのはこの講演を聴いたことが大きい。ただし監督は「デジタルなんて映画じゃない」って言ってたけど(笑)

    【やっつけ映画評】シアトリカル

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        唐十郎率いる唐組の2007年上演作品が出来るまでを追いかけたドキュメンタリーである。何よりラストが見事だった。ドキュメンタリーのくせに(?)ミステリばりのどんでん返しがあるとでも言おうか。
       なるほどなあと溜飲を下げる人も多い一方で、「だまされた!」と怒り出す人も中にはいるかもしれない。

       なるほどなあというのは、主役が舞台人だからこその終わり方という捉え方だ。「なるほど唐さんは骨の髄まで舞台の人だ」。ファンはそう思うんじゃなかろうか。特段ファンでない僕もそう思った。

       怒り出すというのは、つまるところ「やらせやないか!」ということだ。本当だと思ってたらヤラセだったというのは単純に腹が立つ。

       とはいえ、もっと深読みしてみれば(監督が意図したかどうかはわからないが)結果的にこのラストは、「ドキュメンタリーとはそういうもんなんだよ」という大いなる挑発になっていると思う。

       ドキュメンタリーは「あるがままの事実を映し出すべきもの」ではなく、監督の主観で作るべきものである。僕のひねくれ意見でも何でもなく、ほとんど定義に近い事実だ。

       これは別に「所詮この世は嘘だらけ」という思春期的な厭世観ではない。
       まず「主観にしかなり得ない」という引き算的な話が一つ。撮影ならば何にカメラを向けるか、編集ならばどこを残してどれを没にするか。全部主観だ。

       もう一つは主観だからこそ面白いというスタンスだ。

       ドキュメンタリーの取材対象は白黒判断が付きにくいものである場合がほとんどだ。「ゴミはゴミ箱に」みたいな判りきった話だったらそもそもカメラを持ち出すまでもない。判断がつかない話を戸惑いながら取材する、その監督の戸惑いが画面に現れると、見ている方は余計戸惑っているから画面の向こうに共感を覚えて、「面白い」と感じることができる。
       こういう作り手の思考回路を極力無機質化して公平中立にばかり目が行くから新聞やNHKニュースは面白くないと言われてしまう。

       ただし物事にはバランスがあるから、あんまり作り手が顔を前に出しすぎると、見てる方は「お前ちょっとは引っ込めよ」と鬱陶しくなったり、選挙演説のような独善性を感じて白けてしまったりしてしまう。なので取材対象からちょっと距離を置いたり、反対意見の人を登場させたり、いわゆる客観性というのを盛り込む。客観的であるというのは別にルールではなくて、主観を面白いと思ってもらうためのツールだ。

       多少長くなったが、ドキュメンタリーに対する僕のざっくりとした理解はこういうところだ。じゃあ主観とやらせはどこに線引きがあるかというと、わかりきったことのような気もするし、考え出すとキリがない話のような気もする。

       話を本作に戻すと、唐という人は、舞台にいないときに素の人間なのか、それでもフィクションを生きているのかよくわからない人のようだ。
       劇団員と楽しく酒を飲んで馬鹿話をしてリラックスしてるかと思いきや、しまいには芝居の話になり、とうとう次回作の稽古が始まってしまう。いきなり走り出したかと思うとシャワー室に飛びこみ服をきたまま湯を浴びだす。劇団員が慌てて止めるも「お前らもやれ!」と無理矢理巻き込み「これが役者だ!」とガハハハ笑い出す。
       ON・OFFの区別がないというか、もっと単純に言えば奇人変人だ。なのでカリスマ性があるのだろうが、こういう人と向き合っても、一体何がホントなのかわからなくなるに違いない。

       そういう監督の主観をまんまぶつける方法論として、ああいうドンデンな終わり方は非常に面白くてわかりやすいと感服させられた。

       しかしそうなると、あそこでシャワーを浴びてたのも、監督にいきなりブチ切れして大喧嘩が始まったのも、全部作りだったの?という混乱とちょっとした寂しさが訪れる。そこはもう仕方がない。付き合う相手(唐)が悪かった、というよりほかないだろう。

       話は脱線して以下蛇足。内容が内容だったので、映画館では芝居仲間にばったり出くわした。鑑賞後話をしていると「一般の人が見てわかるのかしら」といっちょ前な疑問を抱き、「あれが芝居人の日常だと思われたら困るワ」(劇団員は芝居してるか酒飲んでるかで、ある意味とてもお気楽に見える)と政治家のような文句も言っていた。

       何の分野にしろ広い意味で「取材を受けた側」に含まれる人は、大抵こう思うもんだが、大丈夫。大方の内容は一般の人に通じるから、「自分は当事者なので倍楽しめる」とプラスに考えれば済む話だし、誤解への危惧というのも、誤解の可能性は半分は本当だから自分を律していけばよいと、それだけの話である。

       で僕はというと、唐が演出しているシーンで、僕も割と似たようなこと言ってるなあとちょっと得意気になったり、金がないといいつつやはり劇団としては金もマンパワーも全然あるところに「やっぱりああじゃないとなあ」と思い知らされたりした。
       少なくとも、台本を大事にするところ(若干気持ち悪いくらいみんな大事にしている)と台詞をさっさと覚えてるところは見習って、役者に檄を飛ばそうかと。ま、玄関の整頓にやたら時間をかけるシーンなど、個人的にはちっとも共感できないところもあったが。

      「シアトリカル 唐十郎と劇団唐組の記録」2008年日本
      監督:大島新


      【映画評】ホテル・ルワンダ

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         ホテルナントカというタイトルだと、過ぎ去った青春ないしはちょっと癒されるお洒落なイイ話みたいな香りがしてくるが、この作品の場合、まさしくアフリカのルワンダという国のホテルが舞台になっているという、「猿の惑星」と同じ文法構造のダイレクトな意味のタイトルに過ぎず、いくら見てもちっとも青春も癒しもない。癒しがないどころか、タイトルと同じストレートさで人がいっぱい死ぬんで、むしろ見るのにとてもエネルギーを消費した。

        【映画評】ノー・マンズ・ランド

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           戦争映画の白眉だ、と最初に言い切ってしまっていいと思う。

           監督はまさしくこの映画で描かれたボスニアとセルビアの戦争に従軍したようだ。監督はボスニア人だ。とはいえ「どっちもどっち」という視点は揺ぎ無い。案外そういう戦争映画は思い当たらない。米軍が恰好いいか、米軍がベトナムで悪いことをしたか、どちらかである。まあ作っているのがアメリカ人だから仕方がない。

           遠いところの戦争なら「どっちもどっち」と簡単に言えるかもしれない。イスラエルとパレスチナを見ればわかる。とはいえ近い戦争だとそうもいかない。太平洋戦争をどっちもどっちと言える日本人がどれほどいるか。日本が悪い、そういっておけば一番早く話が終わる。別に俺は大東亜戦争肯定派ではない。

           中間地帯の塹壕で孤立したボスニア人とセルビア人。そして地雷を設置されて身動きが取れない瀕死の怪我人。ボスニア人がセルビア人に銃を突き付け、「どっちが仕掛けた?」と威力で“自白”させれば、やがて形勢逆転したセルビア人が、今度は逆に銃を突き付け同じ質問をする。半分冗談のようなやり取りだが、戦争とはつまりそんなものである。
           「うんざりだ。クソがしたい」と瀕死の怪我人はこぼすが、それが国民感情の代弁と感じるのはこっちが日本人だからかもしれない。というのも末端の国民でもある、塹壕で孤立する2人は民族憎悪に浸かりきっていて最後まで和解はないからだ。


          【映画評】グッパイ!レーニン

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             日本の歴史を勉強するとき、あたかも現在がゴールのような錯覚を受ける。無論今から先の話は歴史ではなく未来なのだが、封建主義や帝国主義、ファシズムという愚かしい体制を経てようやく最高の体制たる民主主義に辿り着きました、というような一種の大団円でもって狩猟生活から始まる日本の歴史が締めくくられる。
             そういう感覚を抱いてしまうという話だ。子供のころは「ああ、今の世の中に生まれてよかった」と胸をなでおろしたものである。

             とはいえ自分の子供の将来を案じる若い父母は多い。子供の学力の話ではなく、未来に対する先行き不安というやつだ。

             これは別に今に始まったことでもなく、千年前には「末法の世」と言われて人々は先行き不安がっていたと歴史の授業で習った。逆に先日読んだ本によると、江戸の町民は実にお気楽な生活を送っていたという。つまり時代の流れと、世の中のよさは、比例関係にあるわけでも何でもない。現在は歴史の教科書のゴールではあっても、人類のゴールではない。

             給食を残す子供に「アフリカには恵まれない子供がいて」と説教するこの理屈の何が癇に障るかといえば、アフリカの子供が不幸かどうか我々にはわかりようもないということだ。自分のいる場所が絶対善と思い込むことは大いなる誤解である。

             この映画は、そんな自分たちを取り巻く「絶対正しいと思い込んでいた価値観」がある日崩壊した人たちの物語だ。

            【映画評】100万ドルのホームランボール

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               1985年、僕んちの近所にある県営球場という冴えない野球場(現在は改築して綺麗になってる)に中日ドラゴンズがドサ周りでやってきて、僕は兄貴と、友達のフジッコとともに外野席で試合を見ていた。

               それが何回裏のことだったかは覚えていない。中日の主砲ケン・モッカ(現在は大リーグの監督になったり解雇されたり)がかっ飛ばした白いボールは、明らかにこちらに向かって飛んできた。

               「ホームランボールが取れる!」

               周りの大人も子供もワラワラと集まってきた。しかしかなりの人間が着地直前でボールを見失った。ちょっとしたもみ合い。あれ、ボールはどこ?顔を上げると、騒ぎをよそに、ちょっと離れたところに立っていたフジッコがそのボールを掴んで、通天閣のビリケンそっくりなで得意気にニヤニヤしていた。

               本作もホームランボールの取り合いを題材にしている。ただしそのボールは、記録のかかった特別なシロモノだ。その貴重な白球を「取ったのは俺だ」と主張する2人の中年男の醜くも可笑しい顛末を追いかけたドキュメントである。


              【映画評】世界の中心で、愛を叫ぶ

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                 何見てんねんお前、と突っ込みが聞こえてきそうだ。
                 岡田監督が5回宙に舞っていたころ、私はこちらをテレビで見ていた。何年かに一度出てくる、こういういかにも安っぽく大ヒットしてそうな印象の強い映画は、見る気はしないのだが、それと同時に「見もせずに批判している」という状況を生み出すために困ったものである。で、いい機会なので見たということだ。

                 さてこの作品、高校生の朔太郎が、美人で頭もよくてスポーツ万能のクラスのアイドル・亜紀と特に脈絡もなく付き合い始め、しかし間もなく白血病で死ぬ。で、大人になった今も哀しい。これで全部説明できてしまう。予告編だけ見れば全部見たに等しいではないか、という感想だった。


                【映画評】猿の惑星

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                   申年だからか、テレビで「猿の惑星」をやっていた。そこで一筆。

                   「宇宙人」とは「人」なのだろうか、と大学生のころ考えたことがある。

                   つまりボイジャー二号が積んでいるメッセージを理解し、ついでにボイジャー二号が何者かを理解できる知的生命体が宇宙のどこかにいたとして、彼の姿がドラクエのスライムみたいだったら、それは「人」なのか?ということだ。


                  【映画評】実録・連合赤軍 あさま山荘への道程

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                     「実録」という単語をタイトルに冠するなんて、今時エロビデオやVシネでもなかなかお目にかけないセンスだなあと思っていた(そういえばこの監督はエロと暴力が得意なんだっけ)が、確かに実録という名にふさわしい、欲張りな映画である。

                     冒頭、60年代の安保闘争から始まる経緯がダイジェストでつづられ(この辺の実映像に、作り映像が挟まる構成が、NHK大河ドラマのストーリーを端折る語りの場面みたいで、正直かなりダサいとは思った)、「あさま山荘への道程」とタイトルにあるように、連合赤軍の過激派たちがあさま山荘に向かうところで映画は終わるのかと思いきや、みっちりもっちりあさま山荘事件のシーンもやってしまう妥協を許さない気持ちいいくらいの詰め込みぶりである。

                     まさに実録であるが、実録たる所以はそれだけではなく、ここが本作の素晴らしい点であるが、「一体何があったのか」を予断を交えず描き切ろうとしているところにある。

                     武力革命を企てる共産主義の過激派が、山小屋にこもって同士討ちのリンチ殺人を繰り広げる。……。今の人間からすれば、生類憐れみの令みたいなもので理解不能にしか見えないんだが「狂ってやがるぜ」という感想をとりあえず置いといて色んな事実とか背景とかを見つめていると、「なるほどそういうことか」と見えてくるものがある。

                     彼らの言っていることが理解できる、という意味ではない。全共闘という言葉を知ったのが中学生のころ流行った「僕らの七日間戦争」というくらいの軟弱な僕であるから、左巻き用語は特に疎い。絶望的なくらいの断絶すら感じる。

                     だけど、言葉の意味はわからないが、彼らの行為が個人的な体験と妙にシンクロする場面が散見して嫌な汗はいっぱいかいた。

                     例えば連合赤軍のメンバーが談笑している場面。和やかムードに水どころか氷をさすようにリーダーの森が椅子を蹴って激昂する。「おい!銃の管理がなってないぞ!」。
                     実際銃の管理はなってなかったから、談笑していた部下たちは小さくなるしかない。これなんぞ、前に勤めていた会社そのまんまで、その日の仕事を終えてくつろいでいると上司がゴミ箱を蹴って「やい森下!」と本日の失態に始まり僕の勤務態度なりなんなりをなじりだす。
                     失態を犯したのは事実だし、実際勤務態度はなってなかったから言い返す言葉はない。にしてもそこまで怒鳴る話かよ、とも思う。上司が怒鳴るのはイライラしてるとかもあるんだろうが、自分でも冷静に諭せない=どうしていいのかわからない、だからとりあえず怒鳴るのである。

                     あるいはリンチが始まり出したころの場面。みんなリーダーを恐れ下を向いて雰囲気は最悪な中、リーダーの駄目出しは「何でお洒落してんだ」とかどんどん矮小化していく。しかし誰も「そんなんどうでもええやん」などとは当然言い出さず、「そうだそうだ」とみんな同調する。
                     雰囲気が悪い劇団の練習現場でたまに見かける光景である。

                     別に思い出話がしたいわけでなく、こういう30年以上前の話を見せられたのに、今の自分と重なることを思い起こさせるこの作品は、いい映画だと思う。

                     ところで何で誰も「どうでもええやん」と言わないかといえば、そんなこと言ったら怒られる、というのも当然あるが、どんな矮小なことであれ、広い意味では“正しいこと”を言っているからだ。

                     日本を変えるにしろ、いい芝居を作るにしろ、“正しいこと”はイメージしやすい。だがいざそれを実現するための方法は何かと言われれば、そんなことは誰にもわからない。
                     やり方がわからないからとりあえず一個ずつ前進みますか、と考えられるのが大人の知恵というやつだろう。
                     だが知恵がない人々は性急にコトを運ぼうとする。しかしやり方がわからない。なのでとりあえず駄目出しを探して全体を“正しく”しようとする。連合赤軍の場合は、だから殺人が起きた。それが僕の理解だ。正しいことは突き詰めれば殺し合いが起きる。

                     先日も「より良い世の中にするため国民一体となって戦争の問題に目を向けるべきだ」と学生が文章に書いているのを読んだ。
                     国民一体なんて、まさしくそのメンタリティが集団自決を呼んだことに彼は気付いていない。
                     連合赤軍の人間にとっての正しいことは、我々にとっての正しいことではない。そんな“間違った”正しいことを希求したから彼らは殺し合いになったのだろうか。もしそう考えてるのだとしたら、今の世の中はこの学生を笑えない。

                    「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」2008年日本
                    監督:若松孝二
                    出演:坂井真紀、ARATA、並木愛枝、地曳豪、佐野史郎

                    【補遺】
                     京大西部講堂での上映会に行った。建物がボロい木造で、かつ寒いというのが映画内と重なって、かなりバーチャル上映会だった。
                     ここに監督も来ていたのだが、講演を聴いて、めちゃめちゃ左巻きなので驚いた。映画からは赤軍の人間へのシンパシーを感じないからだ。そのバランス感覚は凄い。
                     本稿でも書いたが、僕は左巻きの世界にとことん疎い。世代的なものだけでなく、田舎者だからだと思う。周りの大人に、こういう世界の話をする人や、臭いを漂わせる人すらいなかったからだ。よっぽど戦争の方が身近に感じる。この映画を見て感じたもう一つのことは、自分がやっぱりつくづく田舎で育ったんだなあということだ。
                     まあおかげでフラットな気分で映画を見ることは出来た。上映会はさながら「闘士」の同窓会で、彼らには映画がどう見えたのか気になるところだ。僕はどうにもこういう人々が苦手なのだが、それというのも、俺こそが真の左翼という臭いをぷんぷんさせているからだ。
                     連合赤軍の至った顛末のおかげで、その後の日本では市民運動が盛り上がらなくなったようにも思う。何でも前の世代にするのは卑怯だけど、この世代から「今の学生は学生運動もしない」と嘲られたことの恨みはある。さて彼らにはこの映画はどう見えたか。単なる同窓会の肴だったら今度はこっちが哂ってやろうと思う。

                    【映画評】刑務所の中

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                       「原作を読んでから見た方がいいよ」「原作は全然面白いよ」と、小説なりマンガなりを土台にした映画はよく言われてしまう。

                       最悪だと思う例が「ネバーエンディングストーリー」だ。この重厚な話をさてどうやって2時間に収めたのだろうかと疑問を抱きながらさて見てみると、全く収まっていなかった。逆にその開き直りに脱帽するが、それなら潔く「続く」とでもしておけばいいものを、いじめっ子に仕返しして終わり、というあまりにあまりなく括り方。科学的に口をあんぐりさせたのは、あれを見たときが初めてだと思う。

                       逆に原作を越えた、と作家本人にまで言わしめたのが、「砂の器」である。野村芳太郎はハンセン病に焦点を当てる代わりに推理部分を大幅にカットした。それが評価された。だけど中には原作の方が推理物として面白かったと思う人がいるかもしれない。

                       監督が「こう変えたい」と思う意志もあるし、映像にするときの技術的な問題もあるし、原作と映画はなかなか一致しない。いずれにせよ、そうして出来た結果が「良い」と評価されるか、「悪い」と酷評されるかというのも、監督業の醍醐味の一つなのだろう。

                       ところが崔洋一「刑務所の中」は、非常に原作のマンガに忠実なるがゆえに逆に新鮮だった。

                       どれくらい忠実かというと、まず台詞が細かいどうでもいい台詞にいたるまで、かなり原作マンガの通りである。だから当然登場人物も同じで背格好が似てる役者を揃えている。
                       「リング」や「ぼくらはみんな生きている」でも御馴染みの、キャラの性別が入れ替わることもない。まあ同じ監房に女性がいたら違うドラマが生まれてしまうが。
                       また短編集的構成をとっているのもマンガと同じ。セットもかなり同じである。
                       二級受刑者、という人が映画を見に行くシーンがあって、原作では「許されざるもの」だったのが「キッズリターン」になっていて、崔監督と北野監督が友人なのかどうか知らないけど、そういう内輪的遊びなのかと思っていたら、原作を読むと、ちゃんとキッズリターンを見た旨のことが書いてある。なかなか周到にトレースしているのだ。

                       ただし、原作の各話が継ぎ接ぎされてまとめられている部分もあったり、原作では第一話だった「それじゃさま懲罰房」が最終話になっているという違いはある。通りがいいように構成をまとめなおしたのだろう。あるいは、原作にはない、主人公が服役する前の拳銃不法所持の場面や、元々は軽く触れられているだけの「ティッシュマンの虚言癖」について詳しく描いているといった、独自色の部分もあるにはある。

                       それはさておき、ここでその忠実さが生み出してしまった疑問について書いてみたい。

                       刑務所の中のそもそもの面白さは、緻密な刑務所内の描写である。作者の花輪和一氏の類稀なる記憶力によって、北海道の某刑務所の内部がどうでもいい部分まで忠実に(本当に忠実かどうかは犯罪でも犯さぬ限りわからないが)再現されている。
                       しかしマンガだからこそ面白い内部のリアルさも、映像でやるとかすんでしまうのではないだろうか。
                       なぜなら本当らしいセットが組まれていることが、基本的に映画の中では前提条件になっているからだ。

                       その昔、「新幹線大爆破」という高倉健主演のサスペンス映画の傑作があったが、国鉄の協力が得られず、撮影用に新幹線を忠実に再現したらしい。「へーこの新幹線は作り物か!」というオドロキが映画の本筋とは別に湧いてくる。そういう例もあるにはあるが、「刑務所の中」を見て「へー、これ作り物か」と思う観客はいない。実際の刑務所で撮影するわけがないとみんなわかっているからだ。

                       なのでマンガでの一番の面白さが、この映画では行き場がなくなってしまったようにも思う。忠実なる再現がアダにもなったのだろうか。
                       しかしこれ以上考えると映画とはなんぞやということにまで話がさかのぼりそうな気がしてきたのでこの辺でやめておく。

                      刑務所の中 2002年 日本
                      監督:崔洋一 原作:花輪和一 出演:山崎努 、香川照之 、田口トモロヲ 、松重豊

                      【補遺】
                       だいぶわかりにくかったので大幅に書き直した。「やめておく」で終わってるので改めて続きを考えようとしたが、思いつかない。思いつかないどころか、常人は知ることがない刑務所の中を描いた映画を元にして、常人には知ることがない刑務所の中を映像化したんだから、それだけで十分面白いじゃないかと全然逆のことを考え出した。


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