【映画評】シティ・オブ・ゴッド

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     友人のN氏から「めっちゃオモロイから見ろ!」と言われ、会うたび会うたび「見たか」「見たか」と聞かれるのでようやく見た。今後僕と会う人は、「見たか」「見たか」と強烈にこの映画を薦められると思うので気をつけるように。ちなみにブラジル大統領も「面白いから見るように」と言ったそうで、あちらは国家の通達である。ブラジル旅行する機会があったら気をつけるように。

     パンクバンド・ラモーンズの伝記的ドキュメント「エンド・オブ・センチュリー」に、ラモーンズのメンバーが狂信的とも言える熱狂的な歓迎でブラジルのファンに迎えられるシーンがある。
     「当時ブラジルは子供が殺人や麻薬の売買に手を染めるとてもハードな世界だった」とバンド関係者が振り返っていたのだが、まさしくそのブラジルのハードな現実を描いたのが本作だ。とにかく人が死ぬ。

     舞台は神の街と呼ばれるスラム街。カメラマンを夢見る主人公ブスカベの視点を通して、その無法地帯を暴力で支配したリトル・ゼというギャングを中心に、彼の盟友や敵対勢力など様々な人物の物語を列伝的にまとめた構成だ。
     神の街を牛耳るためにためらいもせずバンバン人殺しをするリトル・ゼの狂気にもぞっとするが、そのリトル・ゼに憧れ、平気で銃を持ち薬をさばく年端も行かない子供たちの姿はさらにショッキングだ。貧困が諸悪の根源なんだと簡単に分析することはできるが、既にこのような社会システムがこの街では出来上がっている根深さにはただただ絶望するしかない。

     こう書くとなんだか重〜い見るのもシンドイ映画に思えてくるというものだが、スナッチを彷彿させるスピード感溢れる巧みな展開でぐいぐい引き込まれる、のだがその話は後でする。

     若者や子供同士が殺し合うロック風にいえば<クソッタレの現実>を描くために、本作ではスラム街のボスに話をつけて実際そういう危険な地域でロケを敢行し、役者には演技経験ゼロの貧しい若者ばかりを採用しているようだ。こういう手法はフェイクドキュメントと呼ばれる映画と同じだ。アフガンの少年がイギリスに亡命するまでの長旅を描いた「イン・ディス・ワールド」という映画でも、登場人物は現地採用の素人ばかり。その上台詞は即興なので、演技らしい演技もなくメリハリはない。人によっては眠気を起こすだろうが、それが返ってリアリティを高めている。出演しているのが実際役柄と同じ立場にある“本物”で、台詞回しに芝居臭さがなければより現実っぽいものが描けるというカラクリだ。

     しかし本作ではまた違った手法を取っている。アメリカ映画のように細かいカットを繋いだり、カメラをグルングルン動かした大袈裟なカメラワークを使ったり、実に恣意的な演出である。蛇足ながら互いの列伝が絡み合うストーリー展開も、同じシーンの繰り返しを効果的に使うなど糊しろをしっかり用意して巧みにくみ上げられている。描き方はよく出来た娯楽映画のまさしくそれなのである。

     一人一人の人物は娯楽的なストーリーの中で生きている。そのスピード感溢れる展開の中で人がドンドン殺されていく。1つ1つの死は実に乾いたタッチで表現されていてイチイチ深入りしない。それが貧民街の本来はあってはならない社会システムが日常として出来上がっていることを暗に示している。リトル・ゼが子供たちに殺されたとき、このシステムと娯楽ストーリーが完成する。グイグイ映画に惹き込まれて一気に見終わった後、なんともいえない暗澹たる気分が訪れて「とにかく世界には色々ある」という現実を知らされるのだ。

     複雑に絡み合うストーリー展開、大袈裟なカメラワーク、スピード感溢れる編集、これらいかにもな娯楽的枠組みの中に、くそったれの現実を突っ込んで出来上がった作品は、多くのテレビドキュメントにまるで持病のように付きまとう、客観性、公共性を装った恣意性からくる欺瞞や、重く暗いノリ、笑ってはいけない真面目クサさや説教クサさ、しんみりと頷いて分かったふりをしないといけない後味、などなどを吹き飛ばして、尚我々の前に何かを突きつける。新しい現実の描き方、という大いなる挑戦と受け止めたい。

    「シティ・オブ・ゴッド」 2002年ブラジル
    監督:フェルナンド メイレレス

    【補遺】
    実際、僕がこの映画をやたら人に薦めるということはなかったのだが、役者の黒瀬君からはテレビドラマシリーズも含め、やたら薦められることになった。彼がくれたTVドラマ版のDVDはまだ見てない…。

    【映画評】エンド・オブ・センチュリー

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       ビートルズのジョージ・ハリスンが死んだとき、「これでビートルズはポールとリンゴの2人になってしまった。がーん」という調子のニュースを見ていて、ラモーンズだってボーカルとベースが死んで2人になってんだよ、となぜか妙に腹立たしくて画面に向かって毒づいた記憶がある。ちなみに先ごろギターも死んで、解散済みとはいえバンドは事実上死滅した。

       何で自分がこうもムッとしているのかつらつら考えるに、無論ビートルズに比べて残念ながらニュース価値が低い、という自明のこともあるのだが、ビートルズ好きと公言する人がそもそも嫌いなんだと思い当たった。

       ビートルズが嫌いというわけではない。松村雄策が嫌いというわけでもない(「渋松対談」は愛読している)。あれこれ聞いて「やっぱりビートルズだよなあ」と、それはそれでいい。もっと譲れば「他はよく知らないけど私はビートルズが大好き」それもそれでいい。
       僕が嫌いなのは、「ビートルズの後にビートルズなし」とロクに他を聞いたことがないのにさっさと彼らを到達不能の頂点に位置付けてしまう安直さである。短く言えば権威主義だ。

       日本人(に限るかどうかは知らないが)はこの手の話が好きだ。「黒澤を越える映画監督は」「長嶋を越える野球選手は」「やすきよを越える芸人は」「桜樹ルイを越える女優は」=二度と現れない。
       先人なのだから越えられないのは当たり前、という時点で十分不毛なのだが、後から後から出てくる新しい才能を見らんフリすることで安心している節があるから嫌いなのだ。つまりは探究心がない。なのでこういう人金がたまればベンツ(かベンツ型セダン)の最新型を買う。

       というわけで僕はテレビに向かって毒づいていたのだ。そもそもラモーンズはロック史上、ビートルズ級に偉大なバンドだ、と思っている。少なくともエアロスミスよりは上だ。そんなバンドを描いたドキュメントが本作だ。彼らの代表作から映画のタイトルが取られているので特段世紀末ないしは聖飢魔兇箸牢愀犬呂覆ぁ

       何が偉大なのか。
       偉大な理由その1。ヘタクソでもバンドをやっていいんだと世の若者に教えてくれた。このため、技術よりも意気込み優先の若い力が勃興してロック界にパンクブームが訪れた。パンクブームがピストルズやクラッシュを生み、孫のU2やポリスが世界的に売れ、日本にバンドブームが訪れ、布袋寅泰がギターの大将になり、高岡早紀と「火遊び」をした。

       偉大な理由その2。客が飽きる前に曲を終わらせることを発明した。このため1曲は短いし、すぐサビにいくし、さっさと終わらせるためとにかく速弾きになった。速弾きがメタリカをはじめとするスラッシュメタルを生み、速ければ速いほどいいってんで、日本にヨシキが登場してXが売れ、小泉政権が生まれ、トシが自己啓発セミナーに入信した。

       偉大な理由その3。ロックは革ジャンだという定石を作った。意外に思われるかもしれないが、ロッカーは実はそんなに革ジャンを着ていないし、リストバンドもしてないし、モヒカンでもない。ラモーンズがとにかく革ジャンばっかり着用するもんだからロッカーを自称する人はとにかく革ジャンを買い、ジョニー大倉は夏でも革ジャンを脱がなくなった。

       以上をまとめるとつまり後進に道を拓いたということだ。
       そのくせ当人たちはちっとも売れなかった。イギリスではまあまあ、なぜかブラジルではどかーんと売れたらしいのだが、故国アメリカではついに最後まで売れなかったようである。ビートたけしの映画のように日本ではさっぱりで逆に海外で評価されるというパターンは、日本の恥部としてしばしば引き合いに出される話だが、アメリカでもそういうことはあるようだ。

       売れなかったこともあり、内容は暗い。作品の主眼がバンド内の人間関係にあるからだ。3代目ドラマーのリッチーは「Tシャツの売上を貰っていない」と、未だに金の恨みをぶちまけるし、ボーカルのジョーイとギターのジョニーは、女の取り合いで揉めて、バンドの主導権争いでも揉めた。女を取られたジョーイは、「KKKが彼女を連れ去った」と歌を作ったほど、偏執的に恨んでいたようであるから傍目からは常軌を逸した根に持ちようである。王道ロックバンドだけあって、トラブルも全て王道だ。貧乏な劣等生が成り上がる痛快な物語を期待すると、あまりの暗さに愕然とするので気をつけよう。
       
       しかし、そのためこの映画を見ても「ラモーンズの後にラモーンズなし」と神話にはならない。内容がドロドロの生身だからである。「伝説と呼ばれるヤツらがいた」的な男前列伝には作っていないため、これは巧妙なドキュメントといえる。とはいえ逆にそんないい大人の喧嘩を見て幻滅以外に何があるのかという疑問も一方で湧いてくるかもしれない。

       そこで偉大な理由その4。売れなくても売れなくても続けた。21年間の活動で行ったライブ2200回余。実に3日に一度はライブをしていた計算になる。なぜ売れなくても揉めても続いたのか。
       ジョーイは「次のアルバムは売れるだろう」と思っていた。
       ジョニー曰く「ある時俺はわかったんだ。俺たちはいくらやっても売れないんだって」
       売れていないといっても一見に値するものは、いくらでもあるはずだ。日本人よ、探究心を持て。スナックでホステスに怪しげな「ビートルズ論」を講釈しながらロレックスを見せびらかしている時間を使って、本屋やビデオ屋の人口密度が低いコーナーでじっくり時間を潰してみよう。なんなら芝居小屋に来てもいい。

      「END OF CENTURY」2004年アメリカ

      2007-2008

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         賀正。
         最近のことなど。
         舞台の公演と映画の上映が終了。
         舞台。ようやくまともな台本が書けるようになってきたのかしらとは思う。映画。エンディングで優作さんの曲を使ったのが彼のファンにも歓迎され、助かる。
         公演の疲れか、予想通り、年末寝込む。忘年会に結局全く行けなかった。ま、誘いもそもそもなかったんだけど。

         さっさと帰省しようかとも思ったが、私の田舎は雪国なので、下手な体調で帰るわけにもいかず、病みあがった30日も一人悶々と過ごす。夜、イカ天の特番を見る。懐かしい、といえば、半分うそで、僕の田舎では一部地域でしか見れなかった。
         この「一時代を築いた伝説の深夜番組」とされるイカ天も、何の思い入れもない僕が今見ると、出てくるバンド出てくるバンド、「過渡期」の三文字が離れず、大体今でも生き残ってるのってビギンくらいやんという事実は、なまじっか舞台なんぞしてる身からすると結構辛いものがあった。厳しい世界なんだよといえばそれまでだが、果たしてそれだけだろうか。

         ところで、どいつもこいつもがけっぷち、みたいな連中ばかりが登場するこの番組を振り返るこの特番の司会が、小林麻耶というのはいかにも世相を反映しているように思う。「こんな時代でもいつかよかったと振り返る日がきっとくる」という先日の舞台のコピーが頭をよぎるったのも反面事実。

         翌朝、さっさと特急・雷鳥に乗り込む。サンダーバードの旧式だが、古いせいかはたまた旧式は富山までいかないせいか、大抵繁忙期もすいている。キオスクで買った週間現代と週間文春を読む。文春のコラム「大リーグファン養成講座」が最終回で寂しい。僕にとっては文春を読む価値がこれで半減した。

         北陸トンネルという長い長いトンネルを抜けると、窓の外は一気に「北の零年」になった。なんやかし言って気分がどこか落ち着く。とはいえ私の実家は一応市街地なので、雪はそれほどでもない(雪国基準)。

         帰宅すると、両親がそば打ちをすると張り切っていて、手伝う。今年初の試みらしいが、結構面白かった。
        銭湯に行くと、「うちは今年からそば打ちを始めた」と自慢しているおっさんがいて、どうも人知れずひそかなブームらしい。
        両親が紅白を見ているので、興味のない僕は昼に本屋で買っておいた「半島を出よ」を読む。舞台を終えると他人の創作物を摂取したくなる。

         正月。いまどきはすっかり人気のないおせち料理だが、歳のせいか、この甘辛い食い物がむしょうに旨く感じる。今年のモチはうまくつけたと親が自慢していたが、確かにうまかった。何が違うのだろう。

         寝正月は油断すると胃腸を壊すので、ここ数年、散歩を心がけている。一面銀の田んぼ道を歩く。ふるさとを舞台に映画を撮ってから、景色の見え方が変わった。僕以外に人はいない。雪の道を歩く物好きは地元民にはいないからだ。ビニールを全部はいだ骨組みだけのビニールハウスが、季節外れの浜茶屋のようだ。

         兄さん家族が昼に到着し、一気に騒がしくなる。兄さんは偏屈な理屈こねで、義姉さんは典型的な関西人。この2人から生まれた姪っ子は、理屈をぎょうさんしゃべる。

         兄さん夫婦と3人で、夜の携帯オオギリを楽しみに待つ間、BSでルナシーの再結成ライブをなんとなく見る。一夜限りって、再結成のパターンの中で一番格好悪いんじゃないかと思う。メンバーの中で、一番マトモに音楽活動をしていたのはベースの人だと思うが、やっぱりその差がステージでも出ていた。やり続けるのは重要だなあと思う。

         2日。姪っ子とそりをしに公園に行く。滑らせると坂の途中で放り出されてベソをかく。ケツでバランスをとるんだと見本を見せる。普通に楽しい。が、雨が降ったので雪がびしゃびしゃでコンディションは最悪。早々に帰宅する。

         イチローに密着したというNHKの番組を見る。イチローダンディズムの枠を出ることがなく、せいぜい毎日カレーを食ってる、くらいしか発見がなかったが、「自分の生活を犠牲にして人が見に来てるんだから、僕らが自分を犠牲にするのは当然」という台詞は妙に残った。

         3日。雪かきをしている親父に姪っ子が「何してるの」と話しかけると、親父はスコップの上に姪を乗せて路上を滑らせる。親父が子供を相手するときのエンターテイナーぶりにはほとほと感心させられる。その兄さん夫婦も帰り、急に静かになる。夜はようやくカニを食う。頼まれ仕事をやるが、結構面倒なことがわかり、こうして日記に逃避したまま、こんな時間になった。

        年の瀬

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           公演の制作期間中に、自他共に認める虚弱・ワタクシがちっとも風邪をひかないので周囲からは本番前に倒れるんじゃないかと最大の不安材料視されておりましたが、無事公演を終わり、とうとう予想通り、規定路線、予定調和、寝込んでおりました。

           だいぶマシになってきたなあと回復した本日、舞台で借りたベースの持ち主から「正月のイベントで急遽使うことになったから返してくれ」と連絡がある。そんなわけで久々に外に出ると当たり前だが、駅前商店街は年の瀬ムード。仮に元気だったとしてもしめ縄を買うわけでも栗きんとんの材料を買うわけでもないんだけど、何だか乗り遅れた気分で若干寂しい。忘年会も一件も行ってないし…。この年の瀬お祭り感に乗らないと掃除も年賀状もやる気がせんわい。というわけで新年のご挨拶は遅れます。

           この数日、なのでテレビをボーっと見てるくらいしかしてないんだけど、有名テレビドラマを始めて見てみた。何やかしいうても「華麗なる一族」が一番安心してみてられて、「のだめ」は僕には結構我慢が必要で、「ごくせん」は、…。子供向けにはいいんでしょうか。

           山崎豊子の本はどれも取材量は頭が下がるばかりなんだが、物語の組み立ては必ず昼メロだなあと思ってまして、簡単に言うと、いい人間はどこまでもよく、悪い人間はどこまでも悪い。人間はそんな単純じゃねえだろ、って思うんだけど、リアル華麗なる一族は実に阿呆臭くて醜悪だと知らしめる吉兆のニュースが今年はありましたからね。案外そんなもんかもしれん。先日も知り合いの会社員から社内の実にしょーもない話を聞かされた。人間のかなりは阿呆で単純なのかもしれん。

           それはさておき、色んなドラマを見てて僕の脚本にはないものに気がつきました。頭の悪い登場人物ですね。見ている方が、「何で気付けへんの」とか「何で笑って流されへんの」とかヤキモキさせられる分別の足りない人物。これが考えてみると僕の台本には出たことがない。それがあまねくウケる秘訣かしら。大嫌いですけどね。

           さて今年も何かを成し遂げたかどうかは甚だ怪しいですが、全力だったのは間違いない。力と作用がつりあってないような気もしますが。心残りは直列6気筒エノモトのライブが大失敗に終わったままなことですかね。誰もそこは期待してないか。実は早速新年に向けて地味に動き始めてます。自分で仕事を増やしたようなもんですが、それなりに面白そうなことになると思いますので、まあ、あったかーく見守ってやってください。

          サブウェイシリーズ終了

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            舞台&映画&ライブというケの日劇団を名乗る割には超ハレの日な欲張り企画の最終日を無事終えて、本日はポッカリ虚無なクリスマスイブを迎えておるワタクシです。ご来場くださいました皆々様、ありがとうございました。  良元優作ライブはこっちの都合で申し訳なくも手短でしたが、よかったですねー。照明の海老澤さんが短時間で灯りを吊り変えて、非常にいい雰囲気になったことも相まって、圧倒されました。インディペンデントシアター2ndという小屋で彼の演奏が実現して、僕はちょっとしたプロデューサー気分です。ま、僕がしたことといえば、「ライブせーへん?」って聞いただけやけど。  彼を知らなかった舞台のお客さんも、引き込まれた人が相当いたんじゃないでしょうか。音楽はつえーなとつくづく思います。音楽がそもそも持つ力だけじゃなく、良元優作のパワーによるところがもちろん大きい。  そういうあまねくウケるレベルに僕も達しなければと意気込んで台本を書いた今回の「僕らの時代とタイムカプセルアンサンブル」ですが、残念ながらそこまではいけなかったなあと、ライブを見ながら思いました。劇団の作品の中では最も完成度が高いことは間違いないし、お客さんの反応もいつもよりはるかにあまねくウケたという感触はありますけど、頭一つ抜けた感までは得られなかった。まだまだです。  役者が舞台上の見えるところに控えていて、やたら場面転換するという手法は、2年前の「マル特ロストワールド」からやっていて、どうやら僕のオリジナルなようなので今回それをさらに加速させました(あんなの舞台じゃねーとアンシャンレジームな人が見たら目くじらを立てるんでしょうけど)。僕には意味のないもので面白いものを組み立てる脳がないので、ストーリー物で勝負するしかない。場転の多用が可能になると、舞台でやれるストーリーの幅がある意味広がるんで、後はそれを利用していかに面白くするか、僕に必要なのはそれだけです。それが舞台の面白さなのかどうか、そんなことは知ったことではない。  さて映画ですけど、変な汗が出ますね。舞台は自分も出演してるし、生ものだから回によって微妙な出来不出来もあるし、しかし映画は単に流してるだけだから、上映中は何というか晒し者になっているような気分で、無性にそわそわしました。大画面になると、パソコンで編集してるときにはあまり感じなかったアラも目立つし、何よりエンディングに良元さんの曲を使わせてもらったことが、彼のファンにどう見えるのか、こんな映画で優作の曲を使いやがってとか思われたらどーしよーなどとネガティブなことばかり考えてました。  しかしこんな評価をいただきまして、よかったよかったと、ほっとしているところです。 http://neginohito.exblog.jp/7809706/#7809706_1  気がかりなのは知り合いの映画通のMさんが「また改めてお前には話がある」と太い眉毛を10時10分にして去っていったことです。果てさて何を怒られるのやら。考え出すと思い当たる節はいくらでもあるので知らん顔をして寝ます。言い忘れましたが今日は一日中二日酔いです。


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