映画の感想:平成ジレンマ

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      戸塚ヨットスクールを取材したドキュメンタリーの上映会&ティーチインに顔を出すため第七芸術劇場に向かう。毎回書いてるが、ナナゲイとファンダンゴ(とクラブウォーター)こそが、十三のレゾンデートルだ。

     チケット取り損ねたカミジから聞いていたが、会場は超満員だった。
     映画は名古屋の東海テレビが制作した。元々は番組用に作ったやつだ。映画館でやれば、自社の放送網以外の全国あっちゃこっちゃで見てもらえるじゃないか、というのが出発点らしいが、何だか俺が自主映画を撮り始めた理由と似てるな。
     テレビ局は最近、映画やDVD販売やイベントなんかで直に収益を上げることばかりに頭使ってるんで、そういう背景もあるのだろう。クサってもテレビっていう機材も人もノウハウもある組織が、「視聴率取れない」という理由でいつまでもドキュメンタリーを日陰扱いしているのもどうかと思うんで、こういう目先を変えた方法を模索するというのはいいことだと思う。

     内容は面白かったが、見終わってグッタリと疲れた。
     戸塚ヨットスクールがどんなところかは知られた話。生徒の死亡で傷害致死に問われた校長は、最高裁まで争って実刑が確定し、最近ようやく出所して再びスクールをやっている。死人まで出したところが何でまた経営やれてんの?と多くの人が疑問を抱くだろう。その現在の様子を取材した内容だ。

     誰が入校してくるのかといえば、引き込もり、不登校、ニートといった若者で、なるほどそういうことかと納得する。暴力衝動の激しい引きこもりの息子・娘をどうにも出来なくなった親が、最後の駆け込み寺としてスクールにやってくる。映画からわかるのはそういう構図だ。かつて武闘派のヤンキーが生徒だったころと比べれば、随分と様変わりしたものだが、何がシンドイって、生徒の駄目さ加減がついていけないところだ。

     例えばニートの19の男は、インタビューに答えて「ここに来たからには、しっかり自分見つめ直すいい機会だと思って」などと随分殊勝なことを言う。だけどすぐ脱走していなくなる。脱走する元気があるからいい、とはいえない。なぜなら彼は自分の意志で入校しているからだ。

     29の一見、生徒ではなくコーチかと誤解しそうな、筋骨隆々で精悍な顔つきの男も、戸塚の紹介で農業法人のようなところに就職するが、案の定姿を消す。嫌なら「辞めます」と言って去ればいいし、その上自分が植えた作物はなんとも立派に青々と成長しているのに、だ。

     こういう人々は、芝居の世界でもいっぱい出会ってきたから、個人的には妙に頷ける。意欲旺盛な顔していていざ練習になると全く来ない。中学生じゃあるまいし、さっぱり意味がわからない。「頷ける」と書いたが「そういう人がいるというのは頷ける」という意味に過ぎず、彼らについては何一つ頷けない。首にすりゃ済む話といえばそうだが、相手させられるこっちは食あたりのようにゲンナリと、ほんとゲンナリと疲れる。
     戸塚という人は、こんなのばっかり毎日相手してるわけだから、どれだけ神経が太くできてるんだろうと驚嘆する。映画はエンドマークをつけれるが、スクールは今日も多分、同じ日々が続いている。グッタリ疲れる理由がおおむね伝わるだろうか。

     そんな様子を活写したこの作品、よく出来たドキュメンタリーに間違いなのだが、そういう戸塚は一体、今、何を考えているのだろうかというのが、あまりよくわからないところは不満が残った。自分の信念である体罰が封じられたから「こんなのばっかになっちゃった」と、意趣返しのようなモチベーションがあるのは垣間見えるのだが、本当のところはよくわからない。
     何より、自らの信念であり必殺技である体罰を今は封印しているのは、単に事件を受けて出来なくなったからなのか、それともやり方が変わったのか、単なる厭世観か、歳を取って丸くなっただけか、全くわからないのは残念だった(一応、インタビューで聞いてはいるのだが、実に消化不良な質問の仕方だった)。

     ティーチインでその辺が聞ければよかったのだが、登場した戸塚校長は、他のパネリストと議論を交わすというよりは、どうせお前らにはわかるまいという雰囲気で、持論の展開すらあまりしていなかった(というわけで、遠方からの同行者の電車の時間もあり失礼ながら中座した)。

     配られたパンフには、体罰の必要性を説く、どこかの団体の趣意書が挟み込まれていた。俺個人は体罰反対であることは前にも書いた。だけどこの映画が映し出しているものは、そんな議論をすでに超えてしまってるように見える。

     余談。その後、9時過ぎには近鉄に乗らないといけないオカダと、十三駅前の横丁で二杯だけビールを飲んだ。思ったことをすぐ口にするダミ声の荒っぽい親父と、思ったギャグをすぐ口にするハゲチャビンの親父が厨房に立っている、実にわっかりやすい雰囲気に心底安らいだ。「まあ、体罰はありそうですけどね」とオカダ。言うてるハナから、バイトの若いあんちゃんがダミ声のおっさんに叱られてた。

    「平成ジレンマ」2010日本
    監督:斎藤潤一
    出演:戸塚宏


    中百舌鳥トレインブルース

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        忙しくしている。いやホンマに。舞台ともバンドとも関係ないことで忙しい。

       しかし世間はもっとあわただしい。結婚式場みたいな名前の町で地震があって、ウクライナ人とロマンチックな関係にあるらしい万年大佐が殺されそうだ。この人がずーっと「大佐」なのは何ででしょうか。知ってる人教えてください。

       というニュースだらけの中で、小沢の党員資格停止。完全に他の報道に埋もれてるぞ。
       公表したくないことを、世間が慌しいときに合わせて発表する、っていうのが警察あたりの常套手段で、普通なら記事がでっかくドーンと載るのを、他にもニュースがいっぱいあるからどうしても記事が小さくなる、それを狙った姑息な手段であるんだが、小沢の件は積極的にアピールしたい話だろうから、間が悪いというか何というか。

       そもそもが「小沢なんか後回しでええやろ」と思ってる人が大半な中で進めてたことだけに、間が悪いの二乗だな。会社でみんながウワーっとテンパってるタイミングで、全く急がない700ページもある資料を出力してコピー機占拠したバカ社員がいた、と先日知り合いから愚痴で聞いたけど、それを思い出した。

       民主党はそれよりも鳩山の方便発言だろ。なし崩し的になかったことにされてる県外移転構想をぶり返させる絶好の発言だと思ったが、「政治家は言葉慎重にならないと」みたいに誰だったかテレビでコメントしてて、そんなこと言うからロクに議論もないまま立ち消えになるんだろうにと久々にイライラした。

       で、忙しいとか言いつつ先日は新地に飲みに行った。新地といっても、テーブルを囲んだのは和服やドレスのお姐さん、ではなく、会社員時代の同期のノナカと、その同僚のT女史。単にノナカの案内で「曽根崎ホルモン」とかいう店で焼肉を食いに訪れただけだが、普段全く縁の無い土地だったので、なかなかのお祭気分だった。

       焼肉を食って二軒目を目指す間、想像より人がわんさといて意外とまだ活気ある様子。さて、ホステスがいるような店にはアテも金もない。Tさんは「ポールダンスの店とかないんですかね」という。あるか(知らんけど)。
       流れ流れてチャラいバーに行き着いた。壁に映画が流れてて、クラブ系の音楽が流れててという店。久しくこういうとこには来てなかった。
       隣の席じゃ、後ろ髪を無造作風にキメてストライプスーツにトンガリ靴のイカした会社員三人組が、OL四人組のテーブルに乱入して割りに盛り上がっている。うーん、最高。このペラッペラな空気は反逆精神を調律するにはもってこいだぜ。

       というわけで、ロック魂を醸成した後日、バンドの新曲「中百舌鳥トレインブルース」の編曲作業のため、俺(Bass)、ココロック(Drums)、カミジ(Piano)の“6分の3気筒”でスタジオ入り。まるでHOUND DOGを首になった3人が結成したHANBUN DOGである。

       さも出来上がってるようにタイトルを書いてみたが、実のところは中身はまだほとんどない。タイトル以外は、ガンズの「ナイトレイン」みたいな曲にしたい、という願望だけがある(単にカウベル使う曲を増やしたいというだけなんだけど)。

       ところでガンズといえばその昔、出来てもない新譜のタイトルを冠したツアーを決行するという株の空売りみたいなことをしていた。やはりワールドクラスの連中はハッタリの規模もでかい。これまたちなみに「中百舌鳥トレインブルース」というタイトルは、ガンズを去ったボーカル以外のメンバーで結成したハンブンドッグ的バンドの曲「サッカートレインブルース」からのパクリである。

       ギターの中野先生がいないのに編曲作業などどうやって?ふふ、買ってしまったのだよ。タスカムのPCMレコーダーを(買ったのはDR-1じゃなくてDR-2d。こっちの方が安かった)。これで録音すれば、USBでつなげるだけでPCに音源が取り込めてしまう。あとはそれを共有サイトにでもアップすれば、L.A.の中野っち(実際は静岡)もすぐ聞けるというわけだ。前にも書いたが、これ、オーバーダブできるからね。これ一台でMTRのようにミックスできてしまう。まあ、何に何をタスカムつかしいんだけど。

       その上ココロックもいつの間にかMacの作曲ソフト「ガレージバンド」を使いこなせるようになっていた。作曲ソフトというのは便利なもんで、主旋律を入力して、あとは「パンク」「ヘビメタ」「ロカビリー」「J-POP」といったメニューを選択すれば、後は勝手に伴奏をつけてくれる、と思ってる人が結構多いらしいが、そんなわけあるか!

       てな具合に遅ればせながらデジタル革命が到来している我がバンドである。遠距離恋愛のカップルがテレビ電話買ったりするみたいなもんだ。来月までに「中百舌鳥トレインブルース」は完成するのであろうか。乞うご期待。

      ☆文中youtubeのリンクを貼ってみたが、なぜどちらもボーカルが「愛の嵐」みたいな帽子被ってるんだろう?

      公演終了

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          ご来場いただきありがとうございました。
         1時間弱を2回しか上演してないのに滅茶苦茶疲れた。情けない。演技なんざ段取り通りにコトを運ぶだけの、八百長相撲みたいなもんだが、これはこれで非常に疲れる。

         個人的にはリーゼントがばっちり決まってるのが、今夜の俺はショーンペンだぜ、マドンナもメロメロだぜってな気分で楽しくて仕方なかったが、疲れ果てて帰宅してから風呂に入ると、整髪料を洗い流すのに難儀した。5回くらい洗った。馬渕前大臣とか三浦番長とか、世のカッチリ頭髪オヤジは毎日こんな苦労してるんだろうか?

         今作は第2話から随分間が空いたのと、話の中にストーリー紹介を含めるのがさすがに3話目ともなると難しいというので、冒頭に簡単なダイジェストを上映した。その映像の最後は2話目のラスト数分を丸々使ったのだが、今から演技するぞっていうときに昔の自分の演技を客観的に見せられるのはさすがにキツいものがある。「俺こんな声ちゃうし」という小学生的な困惑はいまだにないこともないが、それより何より、演技ヘタくそやな俺、と正直思った。多分、自分だけ過敏に反応してしまう自分の悪い癖というヤツなのだろうが、なのでそこら辺を気をつけて演技に臨んだわけである。しかし打ち上げでは、面識のなかったスタッフ諸君から「水注ぐの上手いっすよね〜」とかって口々に褒められて、褒めるのそこかよ。

         まあ、来場者に配られる「当日パンフ」というやつの、各出演者の今後の予定の欄に、俺だけバンドの予定が書いてあったので、ミュージシャンが課外活動的に出演していたということに自分の中ではしておくわい。ミュージシャンてなぜか大抵演技上手いんやけどね。

         さて毎度ながら共演者の皆さんが気持ちいい大人な人らばっかなんで現場は非常によかった。何事も話早いし。中でも最若手の伊藤君が今吉に似ていて一人こっそり面白かった。「衣装こんな感じですかね」て持ち出してきた服がこれまた今吉風で。舞台見に行くとちょいちょいどこかしら今吉みたいなやつに遭遇するんだが、今回はまさかの自分が出演した舞台がそんな演劇あるあるだった。今吉あるあるかもしれんが。

         次ぎはライブでお会いしましょう。3月21日ですが、開始時間まだ不明です。


        あらすじ

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            「souvenir-episode3」の公演が近づいてきておるが、エピソード3とある通り次回は第3話である。第2話をやったのがもうかれこれ2年前。第1話に至っては何をかいわんや。今回初見の人とそうでない人に何か違いがあるとすれば、「何か本をやり取りする話だったなあ」という漠然とした記憶の有無にとどまるのではなかろうか。
           まあ一応、単独で見ても問題ありませんよ、という触れ込みだし、「007慰めの報酬」という随分遠慮なしに「続き」を描いた映画も世の中にはあるくらいだから、あまりそこら辺に気を回すことは少なくとも俺自身はない。

           とはいえ、マンガ単行本の最初のページには、長期連載過ぎてまとめるのはもう無理なんじゃないかという作品ですら「これまでのあらすじ」が書いてあることがほとんどでもあり、何よりこの企画の仕切りである劇場プロデューサーの相内氏のブログに、先日、詳しすぎるストーリー紹介が掲載された。

           エピソード1のあらすじ
           エピソード2のあらすじ

           以前テレビでバカリズムが紹介していたどっかの地方新聞の詳し過ぎるテレビ番組紹介欄のごとく、台本のノベライズまであと数歩という分量である。なので、主役たるこのワタクシも、作品への思い入れを織田裕二ばりによりいっそう強くするためにも、ここで「前回までのあらすじ」を紹介しておこう。

           俺が演じるデヤマは喫茶店のオヤジだ。髪を後ろになでつけ白シャツに黒パンツという割合フォーマル系の喫茶オヤジである。第2話ではいつも「ブルマン」を注文するマツダイラというおっさんが登場しているので、豆ごとにメニューがあると推察される。割りに本格派だ。こうなると店内にはビクターの蓄音機が置いてありそうだが、今のところは見当たらない。

           そういえば第1話では過剰労働の看護婦・イシヅカに「よく眠れるから」と、マージョラム茶というハーブティーを淹れていたから、割りに節操無い店かもしれない。カウンター横のラックに新聞や雑誌は置いてあるが、週刊ポストは置いてないところからも察するに、喫茶とカフェの中間のような店なのだろう。店舗面積も広くもなければ狭くもない。どれくらいの広さかといえばちょうど小さな劇場の舞台と同じくらいの面積である。


          episode-1より。髪の毛多いな…。

           このデヤマの店にはイシヅカやマツダイラの他に、刑事のサワダやOLのハヤシといった常連客がいる。ハヤシは第1話で初めて来店しているが、すっかり居ついている。余程コーヒーが美味いか居心地がいいかのどちらかだろう。第2話で登場するイタヤというちょっと陰湿な男も第3話でフツーに常連然としている。

           こういう喫茶店主には暗い過去があるというのが物語の王道である。忘れ得ぬ死んだ恋人がいるとか、実は殺し屋だったとか、その手の過去だ。

           デヤマに関して言えば、実は両方であることが第1話、2話通じて明かされる。正確には殺し屋ではなく、平たく言えばスパイ、身も蓋もなく言うと国家公務員である。

           デヤマがスパイしていた相手こそがデヤマの元恋人・マツモトであり、マツモトは指定図書流通禁止法の反対運動の先頭に立っていた女性だった。
           急に漢字が増えてきたが、この物語の世界には、一部の本の流通を禁止する法律が存在する。俗悪な内容だと判定された本は「指定図書」となり、流通を禁じられる。この「発禁」ではなく「流通を禁止する」という辺り、いかにも法律的な発想といおうか、小憎い設定である。
           俗悪な本が諸悪の根源のように扱われるのは昔っから人類が繰り返してきたことである。どうでもいいが、俺の卒論はそんなテーマであった。このシリーズが始まったときには「昔にもあったこれからもありそうなこと」という印象だったが、現実が追いついてきて東京都の条例がどうのこうのというご時世になっている。



           話を戻すと、デヤマはマツモトをスパイするうち、マツモトに惚れてしまい、そしてマツモトは死ぬ。警察は自殺と結論付けたがデヤマは信じていない。陰湿な上司のイタヤはいかにも何か知っていそうだが、知らぬ存ぜぬを通している。

           そんなわけでデヤマは職を辞し、喫茶店のオヤジになった。公務員が自営業に転じてそれなりにやれているのだから、デヤマは意外と器用な男である。だったら辞めずに済んだような気もしないでもないが、元々公務員より自営業がむいていた進路を間違った男なのかもしれん。そういえば俺の知ってる男に新聞社に入ったくせに辞めて劇団をやっているのがいる。

           デヤマが喫茶店をやっている真意、それはマツモトが遺した大量の本=指定図書=souvenirを喫茶店の特別メニューとして別の誰かに贈ることだ。



           第1話では勤務先の病院内の不正に翻弄されて疲れてしまったイシヅカに、第2話では離婚した妻への未練を断ち切れない惨めなマツダイラに、それぞれ手渡している。一体何の本なんだろう。それは皆さんの心の中に、というところだろうが、マツダイラに渡したのは「リリーフランキーの人生相談」(集英社)だと思う。

           次回、第3話の内容を、銀河鉄道999の予告編ばりにお伝えしよう。

           真相。それはいつも心地よいものとは限らない。人はそれをわかったつもりでも、求めてしまう真相の残酷さよ。次週のsouvenirはepisode-3。お楽しみに。

          10年は短い

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              ラジオを聴いていると受験生からの便りが多いので、受験シーズンなんだなと気付く。俺は一応世間的には国立カシコ大の出だから、受験に関してはアッパークラスってことなんだけど、あんだけストイックにコツコツやったことってその後の人生で全然ないなあと思う。だから実は今この時間は貴重なんだよ、って受験生がこんなブログ読んでるか。

             ゲイリー・ムーアが死んだ。といってもアルバム一枚持ってるだけでほとんど聞いてないから、人が死んだときの「えっ!?」って驚き以上のものはない。死因がよくわからんのだが、ロッカーが総じて早死になのは、これは医学的に何か因果関係があるんでしょうかね。8ビートばっかり刻んでると体に悪いとか。

             えひめ丸事故から10周年らしい。もう10年か。こちらは多少感慨深い。36−10=26歳の俺は当時宇和島で取材していた。取材というかただひたすら車を運転してたか、高校生に「このハイエナが!」という軽蔑の目で見られたかのどちらかしかないんだけど。あのころ俺のZはまだ空調が効いていて、ノモヤンはまだスキンヘッドじゃなくて、…、あれ?他に変わったことあんまないような。あの高校生たちももう27,8かあ。って若いな。
             事故を風化させない報道、ってのが実は話を過去にする一端を担ってたりするのだろうか。だとすると書くことがなくなるし、はて難しい。


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