信頼よりもシステムなのか

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      日中の職場にパリッとスーツを来た人が営業に来てて、耳を澄まして話を聞くと、どうも「御社にもプライバシーポリシーを」と売り込んできている様子。
     個人情報保護法施行後、会社の名詞に「P」のマークを刷り込んでる会社も珍しくなくなってきた。要は「うちの会社は顧客情報をちゃーんと管理してまっせ」というアピールである。ISOなんかと一緒で、決められた手順に基づいて対策を実行して審査を受けて不出来な部分を修正して、でマークがもらえると。営業マンはその仲介人みたいなものだ。

     「やっぱり個人情報を売買する闇の業者もいますから」とその営業マンは語るんだが、当の本人も営業をかけてるわけだから、個人情報はよしにつけあしにつけお金になるということだろう。

     この情報管理のおかげで最近どこの会社もオフィスは何だか警察の公安課のように厚い壁で仕切った向こうにあって、玄関先には電話が一個置いてあるだけというスタイルを取っている。まあ情報管理をしようと思えばとりあえず壁で遮りゃ手っ取り早いわけで、正しいのは正しいんだけど、これがいい世の中なのかどうかはわからない。

     ところで俺の職場は会社というよりは個人商店といった方が話が早い。なぜか得意先には誰でも名前を知ってる大きな会社も含まれてるが、近所の住民や商店主もかなりの数を占める。そんな“会社”に、その営業マンは、「例えばここに、こう壁と設けてですね」と、本町あたりのオフィスビルの会社と同じスタイルを取れと言ってくるわけだが、どうにもこうにも現実味はない。それじゃお店になりまへんがな、って話である。「うちは長年の信頼でやってます」で十分に思うんだがなあ。

     こういう個人情報の管理マニュアルがどうのこうのという話を聞くにつけ、養老孟司が言う「ああすればこうなる」「脳化社会」という言葉の意味がわかってくる。信頼よりもシステムが重視される。それがよりよいとされる根拠は実は特にない。情報が出ていくときには出ていくのである。そういう場合の「うちはちゃんとやってましたよ」というエクスキューズのためのアリバイ作りだとすると、保険料としてはやけに高くないか?

    自衛隊の監視はあったのか

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        防衛省が監視活動をしてたっていうのがちょっとした話題になっている。反戦デモなんかの監視内容をまとめた内部文書を共産党が入手して暴露したという話。記者会見に出て資料を眺めていた記者からは「これ俺だよ」という声も上がってたらしいけど、フト思ったのは、我らが公演の「戦争の豚」は監視されてなかったのかなあということだ。

       2004年6月、劇団ころがる石公演・戦争の豚
       場所:大阪のお寺
       内容:ちょっと難しかった
       客:そんなにいなかった
       備考:仕切り役と見られる男が大事な台詞で噛んでた

       とかね。
       上司が「で、何か不審な点はあったか」と質問したら「腑に落ちない点はありました」とか答えてたりして。

       しかし戦争と関係ない集会なんかも監視してたらしいから、なんでもかんでも水増し報告してアリバイ作りする必要があったんだろうなあ。そんなんだったら見にこいよとこの際言っておきましょう。DVDは1枚千円です。

       この話は、「戦前の特高警察を想像させる」とかドグマ的な言葉選びで批判しても今ひとつピンときこない。気持ちのいい話じゃないけど、そないに大げさな問題でもない。当の防衛省も余裕の表情だし。
       ただ、戦争に加担するのに国民監視してどうすんだよというピントのずれ方は困ったものです。前の戦争でもアメリカの爆弾で死んだ人もたくさんいたけど、味方に殺された人も少なくなかったわけですからね。

      大阪、夜の撮影

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         奈良、福井と転戦し、最後の撮影現場は大阪。松本清張ばりの全国点と線の旅だ。

         この日は登場人物の一人が暮らすという設定のアパートでの撮影。上手い具合に借り手のない空き部屋を使わせてもらえることになったので、堺市内のハイツに出向く。空き部屋なので当然モノは何もない。なので必要最低限の家具類を持ち込んで、あとはカット割りで誤魔化すという方法を取る。
         家具類はどこから持ち込むかというと、基本、私の私物である。大物は台所のテーブルとガスコンロなのだが、いざガスコンロを運ぼうとすると、あまりの汚さに我ながらあきれた。コンロをどけた後のスペースときたら、…自粛。

         夜遅くには、寺田町の駅前で簡単な撮影。登場人物が台詞もなく歩くだけという地味なシーンのせいもあるが、大阪では人々が特にカメラに気にも留めず過ぎ去っていく。福井では、さすがに手持ちカメラだと観光客がホームビデオでも撮ってるように思われるのか特に気にもされないが、三脚を構えた瞬間一気に注目が集まったものだ。
         通行人カメラ目線NGもあったし、「え?どこの局?」なんてベタなオッサンもいたしで。どーもお騒がせしてすいません。大阪の場合は、撮影対象が芸人じゃなかった時点で誰も興味を抱かないんでしょうな。所詮我らは名もなき草花でございます。


        テレビの中のいけ好かない男

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            撮影が終わって夕方。何だかむしょうに体が重くて横になったら記憶を失くすくらいの勢いで寝入ってしまった。思い当たるフシはいくらでもあるから不思議ではない。起きてテレビをつけると既に情熱大陸の時間になっていた。今日の主役はどうも広告屋である。

           広告のデザイナーという人は「pen」あたりの雑誌がそのまま立体化して動いてるとでも言おうか、全く異質の空間にいるという印象があってどーも苦手である。このヤナイさんという人も40過ぎて金髪にピンクのカジュアルといういでたちからしてつい敬遠してしまうナリなんだが、それでも何となく番組を見てしまった。

           横目で見ていて思ったのはしかし、(少なくともヤナイ氏に限っては)俺と全く異質の世界ではなくて、比較的近いとこかもしれないということだった。どうやったらよりよく伝えることができるか思考してるヤナイ氏の表情が、そう遠くなく感じたからだ。「ヤナイが何を考えてるのか頭の中身は我々にはわからない」というナレーションには「そうでもないだろ」と突っ込んでしまった。ま、わかるやろそれくらいという話の流れでしたけどね、あの映像は、完全に。

           広告は新商品を売るとか、昔からあるものに新しいイメージを売るとか、常にどこか新しくないといけない。なので作り手側は世間の感覚の裏を突くようなことをやりたくなるんだろう。思い切った広告を作って、発注した企業の担当から「それはちょっと」と止められるやり取りが何度か紹介されていた。この場合、企業の担当は「世間の感覚」というのを第一に考えるから、どうしても保守的になりがちだ。どっちが正しいか、そんなことはわからない。ただ広告屋っていうのはそういう習性があるんだということだろう。彼らに比べれば、一見時代の先端をいってそうなテレビ屋や新聞屋の感覚はずっと古臭い。

           ここまで考えてようやくわかってきた。多分俺は広告屋が苦手なんじゃなくて(苦手なタイプは多いとは思うが)、彼らを取り上げるテレビ番組の方法論の中で見える彼らが苦手なんだと思う。テレビドキュメントの相変わらずな枠組みが、ヤナイ氏のような人をうまく捕らえられてないというか、いわゆるクリエイティブな人としか現せない、=俺が嫌いなタイプの人間に見せてしまう、そういうことだ。

           悲しいかな商業性とは無縁のとこにいる俺も、常に新しいものをと考えてるところが唯一の存在意義なんだが、仮にテレビで取り上げられたとすると、ブラウン管の俺は「いけ好かないニート」に映るんだろうか。事実その通りなんだけど。

          隠居のある生活

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              河瀬監督の受賞のニュースで妙に気になったのは、客席?で監督を涙目で見ていた主演女優の人。
             別に綺麗とか可愛いという話ではなく、いや綺麗で可愛いと思うけど、受賞が決まってスピーチする監督を、ピアノ発表会に出る孫を見てるオバアのような目で見守ってるように見えたのが妙に気になったのだ。見守ってるのが夏木マリとかね、ベテランの人ならすんなり通るんだけど、あんた監督よりずっと年下だろうに、ということだ。

             しかし監督と役者(も含めた関係者全員)の関係なんてそんなものかもしれん。威張ってるけどその実全員におんぶに抱っこであるから、ほんと反抗期の子供と変わらん。周りのあったかい目に支えられとるというわけだ。少なくとも自分についてはそう思うし、同じように思ってる人も少なくないと思う。

             で、オバアと孫つながりで、強引に年金の話につなげるんだけど、一見、与党が問題の5千万人を救おうとしてるのを野党が邪魔してるように錯覚してしまう辺りがなかなか狡猾だ。国民はそんな阿呆じゃねえぞという点を踏まえれば、三文芝居というか使えない狡猾さなんだけど。

             しかしやっぱり年金問題は盛り上がる。週刊誌も年金か性生活を取り上げると売上が伸びると数年前に聞いたことがあるけど、例えば国民投票法のように、同レベルかそれ以上の議題に比べて段違いに盛り上がってるのを見ると、今回のコレも、問題の中身云々の以前に、年金の話だから必然過熱しているといえるんじゃなかろうか。

             何はともあれ老後のことになるとハッスルする世の中も、それはそれでどうなんだろうとは思う。年俸でもめた野球選手が「いや老後が不安で」と言い出したら何だかしらけてしまうが、それと似たようなことを国を挙げてやっている、ともいえなくもない。

             俺の父親は定年退職後、完全なる年金生活者になった。毎日本を読んでるか碁を打ってるか大リーグ中継を見てるかである。ようは隠居だ。ところが今の世の中にあてはめるとレアケースに見える。会社員時代に知り合った人で定年退職した人が何人もいるが、大抵はみんなセカンドステージで働いてる。
             それが場合によっては老害といわれる。中曽根さんはそれで辞めさせられた。筑紫さんももう引退したらなんて週刊誌に書かれてる。だがそれは特異なケースだというのが、ニュース画面に出てくる人々の年齢層を見ればわかる。隠居のない社会で年金を払えといっても説得力がないんじゃないか。社会保険庁の連中も、結局のところだから仕事が杜撰なのだろう。世の中どっちを選びますか。まずそれを考えないといつまでたっても終わらない議論なのではなかろうか。


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