蟄居・遠隔(3):戦場のカニスト

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    抽象画「gift2020」モリドリアン

     

     こうして出来上がった動画を随時納品していっている。悪乗りしてカット割りを試したり、1人でやると大変に面倒くさい&講義にはおおよそ関係がないことに手を出しかけた。これは無理をしているという話よりも、趣味の話である。当方、自主映画やPVの制作経験アリの身につき、ついつい(久々に貼付けとこ)。詳細を少しも知らないはずの義姉からは「やりすぎないように」と釘をさすメールが来ていた。何でわかるんだ。所詮俺も兄とそっくりということだろう。


     さて動画は編集し終わっても、複数の映像ファイルや画像、音声ファイルがそのソフト上でつながって再生されるだけの状態である。1個の動画ファイルとして成立させるには「ビデオに書き出し」という作業をしないといけない。これが動画の再生時間よりも長くかかる。「レンダリングしています」とのメッセージとともに、90年代のパソコンくらいちょびっとずつしか伸びないグラフが表示される。レンダリング、直訳すれば「書き出し」ということであるが、自主映画を作っているころは、向井の家で深夜まで作業して、レンダリングかけて寝る、というのが定番であった。


     というわけで、レンダリングかけたまま寝るわけだが、日常全く使わない単語につき、こちらもリベックの三脚くらい久々の再会である。ノスタルジーもさることながら、行きがかり上やることになった仕事に、キリギリス時代のあのころ購入した道具と培ったノウハウが合流してくる不思議さを感じてやまない。

     

     まるでベタなアメリカ映画の序盤に出てくる「元相棒の凄腕」である。主人公が、ミッションの遂行にお前が必要だと久々に訪問するも「俺はもうとっくに足を洗ったんだ、勘弁してくれよ」と取り付く島もない、くせに実はガレージのファミリーカーの奥にV12気筒のモンスターマシンを未だこっそり置いていて結局合流してくる、みたいなアレである。


     と、人に言ったら「芸は身を助くってことか」と言われて、このたとえは少々ズレていると気づいた。昔取った杵柄が別の場面で顔を出すのだから、例えば俺が「戦場のピアニスト」ばりに逃亡・潜伏しているところにナチの将校にまんまと見つかり、殺される!となったとき、「何!お前セイコガニの食い方を知っているのか?!」と、この将校にカニをレクチャーすることで命拾いする、みたいなものだな。わかりにくいか。そうか。

     

     で、重要なのは金だ。編集の手間賃は当然のこと主張し、幸い現在依頼がある社については額はともかくいただけたり、その方向で調整中だったりである。「単にいつもやっていることを通信を媒介するだけ、と思われている」といった憤懣が教育現場では上がっているようだが、確かに対面授業と同じのはずはない。

     

     編集だって固定カメラ1カメの素材を単に切ってつなぐだけ、では決してない上、切ってつなぐだけでも結構な手間&たまに微妙なスキルを要求される。手間賃てのはそういうのを軽く見ない敬意みたいなもんだ。そして割とないがしろにされがちでもある。コストカットとかスリム化とか改革とかの名のもとに。する側はタダ乗りだから、やりがい搾取なんて言葉も生まれた。それを無様にわかりやすく表したのが星野源の隣で茶をすする首相の図だろうな。あれがイケると踏んだ側近の判断はどこから来たかといえば、だってずっと社会はそうだったじゃん、てことなんじゃないのかしら。

     

     


    蟄居と遠隔(2):無理すんな

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      想像図

       

       別の業者からの仕事も自宅撮影になった。こちらは授業スタイルにこだわらないので、PCで資料を示しながら解説するのを動画キャプチャで撮ることにした。映画「search/サーチ」と同じような手法である。ちゃぶ台講義と違って、舞台設営もカメラや照明のセッティグも要らないので楽ちんだ。


       デスクトップPCはマイクを搭載していないので、ガンマイクを接続してミニ三脚で固定した。しかしどうも音質がくぐもっている。古くなったのか、PCとの相性のせいか。ICレコーダーで録音してみると、マイクの音声と比べて一長一短である。となれば、両方載せるとしよう。

       Movie Studioは、映像トラックとは別に、もう一個音声トラックがある。BGM用だろうが、ここにレコーダーの音声を載せる。同期を取るには、録音の頭でパン!と手を叩くとよい。針のように鋭い波形がたつので、これを目印にすれば手動でも簡単に合わせられる。今の高額編集ソフトだと勝手にやってくれるらしいが、自主映画を撮ってたころのファイナルカットプロにはその機能がなく、あのとき学習した方法である。ひとりぼっちで自分で自分に拍手でキューを出しているのは実に滑稽だ。


       さて巷のうわさやネットの記事等を見ると、オンライン授業は学生にはすこぶる不評らしい。そりゃそうだろう。動画を通じて見る人々(役者にしろタレントにしろアナウンサーにしろ)の話し方が脳内では標準になっているところに、役者でもアナウンサーでもない教授や講師が話すのだから集中力は続きにくい。ライブ配信型式ならともかく、録画配信の動画ともなると強制力も働きにくいから、退屈して一旦停止しそのまま二度寝、となっても責められまい。


       なので多少なりとも工夫をしようという気になる。まず画面に変化をつける工夫。話すことをいちいち板書するようなイメージで、喋るのに合わせて説明を追加表示したり赤線を引いたりする。アニメーションのセル画を一枚一枚描くのと構造的には同じで面倒くさい。

       

       もう一つはNHKの語学講座を聞いていて思ったのだが、要所要所でのジングルである。1〜2小節くらいの短い旋律でメリハリをつけているのを結構多用している。では作ってみよう。作曲ソフトはバンド活動でたまに使ってきた。作曲の基本はパクリというのが結成時からの信条であるから、既存のジングルを聞いてパターンをいくつか確認し、なんとなくイメージした(模倣した)フレーズを口ずさみながら手探りで入力する。

       

       バンドだとギター、ベース、ドラム、オルガン、ピアノ、この5つしか使ったことがないが、ジングルだともっとほかの音楽の時間に習うような楽器にまで幅が広がる。これはこれで楽しい。「チャラッチャッチャラ〜〜」などと口ずさみながら拍を想像して打ち込むも、てんでめちゃくちゃなリズムになるのは毎度のこと。音感もなければリズム感もない。手探りで拍を伸ばしたり縮めたり、1音上げたり下げたり。よし出来た。うんめちゃダサい。

       

       ふと我に返る。俺は何をしているんだ。友人の警句を無視しておる。なぜ「無理はしない」とわざわざ念じなければならないかといえば、学生のために、などと考え出すと際限がなくなるからで、それで報酬が上積みされるならともかく、そんなはずもないので自分をすり減らして他の業務に支障が出ることにつながる。だから無理するなという話になる。教える仕事をやってるやつは基本的におせっかいなんだよ。

       

       まあとにかくこうしてちょっとでもメリハリをつける装置を整え、いざ自分がしゃべっているキャプチャ動画を見る、というか聞くと、自覚以上に「えー」と「あのー」が多い。間延びする。耳障りでもある。よし、切ろう。「えー」の前後で切ってつなぐ。「あのー」の前後で切ってつなぐ。

       

       これを繰り返しているうち、段々タイムラインを流れていく波形を見ているだけで、間もなく「えー」が来るな、とわかるようになってきてしまった。およそ汎用性のなさそうな眼力が鍛えられている。「えー」の波形は絵文字の肉と似ている。たまに言葉に窮して「え〜〜〜〜〜」と長くなると、店頭に並べる前のバームクーヘンのようになる。「あのー」はキノコを横にしたような形になっている。これらをまるでポリープのようにチョキチョキと除去していくと、多少なりとも話しぶりがスムーズになる。

       努力に対して結果の向上が即みられると、これはもう止め時を見失った大掃除のようにムキになってしまう。しかし我ながら恐ろしい集中力だ。1つのことにここまで連続して集中できる作業は他に思い当たらない。本業にしてたら死んでたな。さして面白くもないのになぜ?

       

       こうして紙芝居型講義ビデオを仕上げていったわけだが、改めて、ラジオパーソナリティの凄さを知った。我ながら素人臭いもっさりした喋り方だ。俺こんな声じゃない!いやそういう話ではない。


      蟄居・遠隔(1):エッセンシャルワーカー

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        こういう壁でもあればね(尾道駅)

         

         出勤しなくて済んでいるので、蟄居している。ありがたいことだ。どうしても外に出ないといけない職種の人をエッセンシャルワーカーと英語では言うらしい。身近なところではスーパーやコンビニの店員やごみ収集の人がこれに該当するだろう。謝意を示したいが、無駄口を叩くと飛沫が飛ぶので、レジで「ポイントカードはお持ちですか」の類の質問にも首を振るだけで答えている。まるで愛想がないからなるべく笑顔にしている。まあこちらが社会に対してできることといえばなるべく外出しないということだろうな。


         仕事は飛んだものもあれば、残ったものもある。いわゆるオンライン講義である。巷で話題のZoomとやらを俺も使うことになるらしい。ノートPCのカメラが初めて役立つときが来たようだ。もともとは「締切に間に合わん!」と、電車移動中でも原稿を書くために買った代物だった。電器屋で店員があれこれ高機能をアピールするのを遮って、とにかく小ぶりで軽くてワードさえ使えればいいから、と棚の端にあった余りもののような機種を選んだのだが、それが今度は「出かけないための装置」になろうとは。

         

         しかし、カメラはともかくマイクは使いものになるのだろうか。営業の担当氏は「大丈夫っすよ〜」と、こちらの機種も知らずに太鼓判を押すテキトーぶり。とりあえず近所の電器屋にヘッドセットを見に行くと、案の定売り切れ。厳密にはゲーム用の高級品だけ売っていて、「仕方ないのでやたらと派手なそれを買った」とのツイートを見かけたから、どこでもある風景なのだろう。

         

         周囲の使ったことがありそうな知人に聞くと、なくても問題ないとの由。後日、「大丈夫すよ〜」のイージー営業氏とともにテストをすると相手の声が聞き取りづらく、ヘッドホンだけする必要があったが、確かにマイクは何の問題もなかった。ただまだ多人数とつないでいないのでよくわからない。

         

         さて自宅環境の諸事情でずーっとほったらかしにしていた自宅のWi-Fi設置をする必要が出てきた。再び電器屋に行くと、一番人気は売り切れていたが、ほかはまだ在庫があって、こちらは間に合った。

         

         一方、既に何度か発注元の会社に赴いて撮影した動画配信型式の仕事は、その会社もテレワーク推奨になってきたこともあり、自宅撮影に切り替えた。自前のミラーレス一眼レフによる動画撮影である。以前、郷土料理を作る伯母を撮影した際に編集ソフトも購入していた。当時ほとんど悪乗りに近い買い物だったから当然あれから全く立ち上げていない。こんな出番があるとは。

         

         自宅を片付けて撮影できるスペースと角度を整えたが、どうにも殺風景。やはり背景に全集が詰まったデカい書棚が欲しいが、デカい書棚もなければ全集もない。「壁紙 本棚」で検索して出てきた画像をプリントアウトして壁に貼り付けようと考えたが、こんなことに労力を使うわけにはいかない。大学教員の友人はじめ、その他ネット上で見るだけのどこかの大学の先生にも「無理はしない」と言っている人が多い。後日、一様にテレ出演となっている情報番組のコメンテーターたちを見ると、多くが白壁かクローゼット扉前での撮影だった。誰もが似たようなものか。

         

         とにかく壁際にちゃぶ台を置いて、押入からLibecの三脚を引っ張り出した。自主映画撮影以来のご登場である。カシャンカシャンと安定感抜群のゴッツイ三脚を立て、お次はレフランプを2発、プラグを突っ込んでオン!そして間もなくプツンとこと切れた。発火しないだけマシとしよう。何せ前科アリ。また電器屋に行き、ランプの玉を購入。こちらは売り切れなし。

         

         腰掛けられそうなジュラのケースに入ったVX2000は名前の通りゼロ年代の代物につき出番なし。ずっと小ぶりだがずっと高機能なミラーレス一眼を三脚に装着し、あれ?これ遠隔操作できる付属のリモコンなかったっけ?と思ったら、スマホで操作できるのだった。遠隔のありようはこんなレベルでも変化している。とっくにそんな時代。これも初めて使う機能で、カメラのWi-Fiボタンの在処を初めて知った。標準搭載のマイクの収音力が優れているので、悲しいかな自慢のガンマイクの出番はなし。
        さあ準備万端、撮影スタート、さっそく言葉に詰まってNG、テイク2。

         

         こうして撮り終え、ふと気づいた。空の外付けHDDを用意しないととてもじゃないが容量を食いすぎる。また電器屋へ。何度もお世話になります、みなさんもエッセンシャルワーカーですね大変助かります。


        【やっつけ映画評】ビリーブ 未来への大逆転

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           ダサい邦題が嫌でも目につくが、問題はなぜダサく響くかだ。これは結構重要な話だと思う。
           原題は末尾に書いたが、そのままカタカナにしても、直訳しても日本語話者的にはしっくりこない題にしかならなさそう。なので別のキャッチーな邦題をつけるのは興行的に重要である。そこで広告屋的手法の出番なのだが、これがスベっている。

           

           本作の主人公、ルース・ベイダー・ギンズバーグという人については先にドキュメンタリーで見ている。映画でベイダーといえば、まず黒甲冑の赤バット男が思い起こされるが、あちらが才能の使い方を間違えた未熟者なのに対し、こちらのベイダーは、才能の活かし場所を与えられなかった女性である。
           スピルバーグ「リンカーン」に、「黒人に選挙権?じゃあ次は女に選挙権か?がっはっは」と嘲笑う議員が登場するが、ここからもわかる通り、女性の解放の動きは黒人解放よりも後のこと。「リンカーン」から100年後、1960年代のアメリカが本作の舞台の中心で、ルースは法科首席卒の才人ながら女性であることを理由に弁護士への道が閉ざされている。そもそも劇中の台詞によると、彼女が入学したハーバード大学の法科が女性を受け入れて6年目、1956年入学らしいので受入れ開始は1951年か。日本の女性参政権よりも後になる。こういう状況下で女性の権利のために法曹活動をしていく彼女の、主に若いころの来歴を描いている。

           

           すでにドキュメンタリーを見ているので、大枠では知っている話をなぞる格好で本作を見た。こうして比較すると、フィクションの役割を再確認させられる。過去を再現で場面として描ける分、当時の雰囲気をより肌身に感じさせることが可能だ。だから、彼女のくやしさを肌身に感じることができる。
           こういう、今となってはすっかり古臭く見える価値観を前面に打ち出してくる悪役に対して、子供のころはこういう格好悪い大人にはなりたくないと思い、演劇を始めた大学生のころはこういうベタな悪役を演じるのは楽しそうと考えるようになり、そうしておっさんになるとここまでひどくはなくても根底ではつながっている無理解発言をしてきた己に気づくことになった。

           対照的に、夫のマーティンはドキュメンタリーでも本作でも、人格者ぶりが際立って伝わってくる。妻を対等の相手と認め、同じ法律家でありながら妻の優秀さに嫉妬もしない。この時代にこの見識は相当に奇跡的な印象すらあるのだが、奇跡的にガンから復帰するので何かしら特別な人なんだろう。

           

           さてかくのごとき性差を主題としながら、本作のもう一つのテーマとして、本当の言葉とは何か、というようなことがあるのではないかと思う。

           物語のクライマックスは裁判のシーン。いわゆる法廷モノなので、いかに勝つかというテクニカルな部分が当然クローズアップされる。例えば法の下での男女の不平等を是正したいルースは、まずあえて男性が不公平を訴える紛争に狙いを定める。「介護は妻の仕事」という前提で法律が作られているので、独身男性が高齢の母を介護しても女性と同等の控除を受けられない。これは不当である、という訴えだ。

           男性の不利益を訴えることは、男女平等につながるから、自らのライフワークにも直結してくる。周囲からも「いい目の付け所だ」と評価されるように、勝ち目のある戦い方を選ぶ打算的な側面がそこにはある。

           

           一方で、ルースは大学教授として豊富な知見は擁しているものの、弁護士事務所への就職がかなわず訴訟代理人の経験がないため、周囲の支援者はその手腕に疑いを持つ。試しに模擬裁判をやってみると、案の定ルースは今一つ覚束なく、アメリカの法廷モノでお馴染みの、堂々とした弁論術には程遠い。このため周囲は、このままでは負けるからと、あれやこれやと作戦を教示してくる。その中にはいわば節をまげる格好になるものもあるから、勝つことを選ぶのか、自己のレゾンデートルを取るのかといった二択が横たわってくる。

           

           


          歴史ある爛ンライン授業

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             溜まったストレスがおかしな方向にポジティブ変容することが稀にある。俺の場合、繁忙期と年度の切り替わりが対応しているので、新年度を実感したいという欲求が後押しして、書店に寄った際にまとめて買ってしまった。


             買ってないのは、英語、フランス語、アラビア語。ストレス解消と実用性に相性があれば、誰も酒など飲んだくれない。当然英語は最初から眼中にない。大体英語は講座の種類がいっぱいあってどれがどれかようわからん。フランス語はどっちでもよかったが、どういうわけか食指が動かず。昔検定3級取ったからかな。全部忘れたけど。アラビア語はいかにも手におえなさそうなので今回はパス。

             

             じゃあ他は手に負えるのかというとそんなはずはないが、ロシア語以外は少なくとも文字にまだなじみがある。
             ラジオ講座にしたのは、テレビよりも内容が濃いだろうからと思ったからだが、録音する手段がない。通販で検索すると、ラジオの録音機というのは大変に限られた商品しかすでになかった。なのでスマホのアプリを利用することにしたのだが、初回から早速録音に失敗した。原因は判明したので2回目からは順調に録音できるようになったが、学生時代に触れたことがあるスペイン語やイタリア語はともかく、全く知らないドイツ語やロシア語を2回目から聞く気になれない。早速録音が溜まっていく。三日坊主ならぬゼロ日坊主の予感である。


             それにしても録音の作業が煩雑だ。録音設定のたびに広告が流れるのはそういうものだと思うにしても、テレビ録画のように番組表から選んでボタンで一発、というわけではなく、いちいち手入力なので、これだったらアナログのタイマー録音の方が楽だ。


             さて、これら7種の言語のうち、大学で習ったのはスペイン、イタリア、韓国(学術上は「朝鮮語」で大学での科目名もそうだったが、南北の対立でそれぞれ「朝鮮語」「韓国語」と呼称しているので当該法人ではいずれの呼称も避けて「ハングル講座」となっている。このため講座内では「この言語では」と表現していて、まるで明らか北朝鮮を指しているんだけど「あの国」としか台詞で言わない「外事警察」の映画版みたいである)。

             中国語も習ったが、単位を取ったのに「2、3回でドロップアウトした」と記憶の捏造が起こっていたくらいだから習ってないも同然である。ドイツ、ロシア、ポルトガルは全くの初めて。

             

             そうはいっても中国語以外も全部忘れてる、と思ったが、やはり若いころに習ったことがあるというのはそれなりに意味があるようで、スペイン、イタリアに関してはある程度「ながら聞き」が可能だった。そりゃ初回は「ブオンジョルノ」とか言うてるだけやからなのだが、それだけでは必ずしもない。発音や文法の超大枠だけは記憶に残っているからだと思う。

             

             面白いもので、それぞれの講座は授業の方針が微妙に違う。イタリア語は1週間、同じ会話のやり取りを細切れに学習していくスタイルの一方、スペイン語は毎回違う会話を習う。そしてスペイン語は初回から文法にうるさい(「話し手が女性なので語尾がaになります」などと男性形/女性形にうるさいのであるが、性別にこだわるのはやめましょうという風潮の昨今、どうにも分が悪く聞こえソワソワする)。

             他は総じて文法はおいおいやりましょうみたいなノリであるが、ドイツ語は発音の規則にうるさい。これはそれぞれ担当講師の方針なのだろうか、それともそれぞれの言語教育界での常道なのか。韓国、ロシアの場合は必然文字中心になり、中国語はやはり「マー、マー、マー、マー」から入っている。


             そして講座は、日本人の大学教員と、母語としている外国人1〜2人とで進められていくのが基本形なのだが、ロシア語だけロシア人とずぶの素人の落語家との組合せだった。これはやはり「ロシア語界隈亀山郁夫しか人いない問題」の現れなのだろうか。このロシア人が日本語堪能なので、彼女だけで足りるやんとつい思ってしまうが、そこはやはり落語家、話しぶりだけは達者なのだった。

             

             さて世間の大学関係者は現在、オンライン授業の模索中であり、俺もその端くれである。そういう立場から聞いてみると、ラジオ講座のこのスタイルはある程度確立された貫禄のようなものを感じるな。



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