【やっつけ映画評】わたしは、ダニエル・ブレイク

0

     仕事柄、公務員になりたいという学生諸君と接することが多い。何となくそれしか進路が想像できないという引き算的発想の若者もいれば、何かしら生まれ育った地域や困っている人々の力になりたいという見上げたホスピタリティの持ち主もいる。

     後者の学生の多くは、ボランティア活動に参加していて、その種類は多岐に渡っている。催事の運営スタッフや、地域のまちおこし支援、高齢者や障害者、貧困家庭の児童を支援する活動などなどである。彼らの話を具体的に聞くと、必然、何も考えていなかった己の学生時代を振り返る羽目になるから困る。加えて福祉系のボランティアの場合、聞いているこちらの気が滅入ってくるほどシビアな現場を踏んでいることもしばしばだ。特に高齢者福祉ボランティアの場合、ろくでもない人生を送っている身だけに将来のわが身だという気もしてきてしまう。一方で、そんな現場に自分の将来を託そうとする若人がいること自体は明るい話にも思えるから、ついそっちに目を逸らして気分を和ませようとしてしまう。


     本作も、低所得者の救いのない現実を題材に扱っていて、いかにも気が滅入りそうな映画である。だが、主人公たちが国の制度等々に翻弄される一方で、周囲の人々は皆それぞれに温かく救われる。救われはするのだが、ただ現実は変わらないから救われると感じるのは話題を逸らせているだけのようにも思う。


     ベテラン大工のダニエルは、心臓を患い医者から働くことを止められている。このため公的支援に頼っているのだが、「就労可能で受給資格なし」と認定されてしまう(今までもらえていたのが急に打ち切られたようだ)。ダニエルは不服申立を望むが、審査には時間がかかる。このため職安からは、求職活動をして求職手当をもらうよう命じられるのだが、この手続きの煩雑さにダニエルは振り回される。

     

     この物語を公務員叩きだと受け取るのは容易い。職安の職員は高圧的で融通が利かない。一方、本作に登場する市井の人々は多かれ少なかれマトモないい人が多い。ダニエルの隣人の一見チャラチャラしてそうな青年は、案外気のいい若者だし、フードバンクの女性たちには胸が打たれる。もう一人の主人公であるシングルマザーのケイティが商店で万引きして捕まると、店主は彼女の困窮ぶりに人情裁きを見せる。ダニエル自身、ケイティに気安く手を差し伸べ彼女と子供たちのよき支えとなっている。一般市民がみんな善良なのに、役所の人間は一様に石頭で偉そうで一から十までお役所仕事の塊である。

     

     他の映画でもいくつか目にしたことがあるが、イギリスの公務員も日本とよく似ているという印象がある。本作も同様で、既視感のある景色だけに、余計「これだから役人は」と本邦の実状と重ね合わせて呆れてしまう。公務員叩きの好きな人なら余計に膝を打つだろう。

     

     だが、ここで描かれている現状は、公務員叩きの結果生まれた状況だと思う。つまりは有権者がそれを選択したのである。

     

     お役所は古くから、その権威と四角四面さから何かと嫌われがちな存在であるが、そこに加えて「無駄が多い」「地位が特権的」「給与に見合う仕事をしていない」「民間企業では考えられない」といった批判が繰り返されてきた。石原慎太郎、小泉純一郎、政権交代時の民主党、橋下徹――、20世紀末以降、人気を集めてきた政治家、政権は、少なからずこれらの官僚批判で世論の喝采を浴びてきたといえる。結果、公務員の人件費削減も含めた歳出削減が進められた。当初は巨大なハコモノや道路やダムなどの土木分野がやり玉に挙げられていたが、そのうち「合理化」のターゲットは、あらゆる分野に広がっていった。行政のスリム化、といえば恰好いいが、実際のところは職務放棄である。

     

     というのも、爛好螢牴臭瓩梁仂櫃砲覆襪里蓮企業の理屈に当てはまらないものか、企業に任せれば利権になるものかのどちらかだからだ。例えば公園は何の儲けも生み出さない。短絡的に無駄とみなすことは可能だ。そしてものによっては一等地に広大な土地を有しているから、企業に切り売りすれば儲けになる。図書館もしかり。生活保護のような「ただ損するだけ」に見える事業は縮小される。最近では「シルバーパスをやめて学割にすれば」とAI知事が言っていたのも同じような文脈だ。イギリスでも大まかには似たような現状なのは、日本語に訳されているニュースを見るだけでも窺い知れる。企業の理屈でとらえられないものが「無駄」になると、必然公務員の仕事はほとんどなくなる勘定になる。無論、実質ゼロにはできないから、少ない資源できりもりすることになる。

     

     ダニエルが翻弄されるいくつもの出来事のうち、例えば問合せの電話が2時間近く待ってようやくつながること(その間の電話代は自分負担)や、あらゆる申請がネット経由でしか受け付けないことは、人員不足や民間委託など、人件費削減の結果だろう。職安の人間が一様に高圧的で融通が利かないのも人が少ないせいで忙しくイライラしているせいかもしれないが、効率化が背景にあると思う。職安にやってくるあらゆる人々に対し、ケースバイケースで親身になっていては時間がかかる。効率的に処理するためには、あらゆる事案を大枠で分類してマニュアル的に進めて行くのが速い。

     実際職員たちは、ダニエルにしろケイティにしろ利用者の話を一切聞こうとしない。マニュアル化された手続を一方的に通知して従わせようとする。その態度自体が十分に高圧的なのだが、「こっちの言い分も聞けよ」と必然反発も生まれるから、余計に職員側も「支援が不受理になりますよ」「処罰対象になりますよ」などと高圧的を越えて脅迫的にすらなる。不幸なすれ違いだ。

     

     唯一例外的に何かと人間的な対応を見せる職員アンは上司から「例外的なことをするな」と叱責される。彼女は年齢からいってベテラン職員と推察される。そもそも親切な人なのだろうが、かつてのやり方から今のやり方にうまく割り切って合わせられないのではないかとも思う。

     そもそもダニエルが今まで受給していた支援を打ち切られたのも、歳出削減のあおりを食ったのだろう。ダニエルの事情には同情するし、職安の職員も怒りが湧くが、いずれも有権者の選択の結果だ、というのは繰り返しておきたい。公務員叩きの結果生まれた余計に四角四面な公務員だとすれば、何という矛盾だろう。

     

     さて、ここでラストについてである。
     


    10月の展望

    0

       MLBのレギュラーシーズンが終了した。今年のポストシーズン出場チームは、100勝以上しているチームが3つもある。それだけ多くのチームが負け越しているということでもある。終盤まで優勝争いが続いたのは6地区中1地区だけ。ゲーム差が1ケタに収まったのも2地区だけ。独走の多いシーズンでもあった。

       

       ナショナルリーグは、ドジャーズ、カブス、ナショナルズで、昨年と同じような顔ぶれ。ワイルドカードはダイヤモンドバックスとロッキーズで、こちらは新鮮味がある。ロッキーズが勝たないと、また赤青対決になる。

       爆走していたはずが、9月にまるで巨人のような泥沼11連敗を喫したドジャーズは、ワイルドカードのどちらが勝っても同地区チームとの対決になる。11連敗のうち、3がDバックス、4がロッキーズ。第1ラウンドの地区シリーズは3つ勝った方が勝ち上がるので、どっちにしてもドジャーズは負けてしまう。投手はダルビッシュが鍵を握る。打線は何かをやりそうな男ターナーがキーマンである。というか、表紙を飾ると呪われると噂のスポーツイラストレイテッドの表紙に載ってチームが11連敗したから、すでに1つやらかしている。

       

       反対の山はカブスとナショナルズ。カブスは序盤、前年チャンピオンとは思えない体たらくだったのがいつの間にか優勝していた。不気味であると同時に上原なしで優勝したのでちょっと寂しくもある。ナショナルズは、故障から復帰した何かをやりそうな男ワースが鍵を握る。去年は交通違反で捕まっているからこちらも一つはやらかしている。ドジャーズ、ナショナルズがそれぞれ勝ち上がると、何かをやりそうな男赤青対決になるのだが、青の何かをやりそうな男ターナーは綽名が「赤髭」なのでややこしい。

       

       アメリカンリーグは、アストロズ、インディアンズ、レッドソックスで、こちらもあまり変わり映えしない。ワイルドカードはヤンキースとツインズ。ツインズはポストシーズンでヤンキースに勝ったためしがないので、インディアンズ対ヤンキース、レッドソックス対アストロズということになろう。昨年カブスに惜敗してチャンプを逃したインディアズは、終盤で22連勝。甲子園で2回優勝できそうなくらい負けなかった。

       今年はアストロズの強さが注目されたが、青木放出によって日本であまり報道されなくなったので、夏以降の印象があまりないが最も強打のチームになるだろう。「背が低い」というだけで勝手に日本人から親近感を抱かれているアルトゥーベは200安打を達成している。本塁打も20本以上打っているからMLBで最も打つ男といっていいかもしれない。こんな実力者に親近感など抱けるはずもないのだが。

       

       インディアンズには、昨年カブスから引き継いだ呪いの除去がかかっている(呪いの犖偽Л瓩任△襯錺奸悉仰垢離沺璽は変わらず使用中)。ドジャースも実のところ金持ちのくせにほぼ30年優勝できておらず、すぐヤンキースに負けるツインズより期間が長い。アストロズは1962年の球団創設以来優勝経験なし。この3チームが100勝以上なので、いずれも悲願がかかっているといえよう。個人的にはこれら以外のチームが勝ち上がるとちょっと白けるのであるが、例年予測がつかない上、どこもたいていいい試合をする。楽しくかつときに心臓に悪い球秋到来である。


      【やっつけ映画評】ドリーム

      0

         以前に軽く触れた映画を、早速というかようやくというか、とにかく見た。素晴らしい傑作を飛行機の小さな画面で見なかったのは賢明だったが、ほぼ満席で最前列しか空いておらず、上目遣いで2時間過ごす羽目に。飛行機とどっこいどっこいとは言いたくないが、かなりおかしな疲れ方をした。大手の映画館の最前列はろくなものではない。京都みなみ会館を見習ってほしい。

         

         本国では「ラ・ラ・ランド」を超える興行収入だったというが、日本の公開はしばらく未定の状態が続き、この時期まで遅れた。町山智浩によると、主役3人を演じる役者がいずれも知名度が低いのと、テーマが差別問題だったから、ということらしい。ついでに邦題「ドリーム 私たちのアポロ計画」がひどすぎると非難され(アポロ計画は物語と無関係)「ドリーム」に変更になるという珍しい騒ぎとなった。これらは色々と象徴的だと思うので、そういう話を書こうと思うのだが、何気なくWikiを見てみると、本作で描かれている主人公たちの苦境は、事実よりも誇張されているらしい。書こうとした話の前提がちょっと揺らぎかねない余計な発見だった。感想が渋滞してしまう。ま、順を追って述べて行こう。

         

         原題は「HIDDEN FIGURES」という。figureはおそらく「人」と「計算」の掛詞だろう。主人公たちはまさしく隠された人々だし、数字が塗りつぶされた数式を渡されるシーンがあるし、未知の領域の計算という答えの見えない作業に挑む物語だからだ。
         60年代、コンピューター導入直前のNASAが舞台だ。電算機がないので膨大な計算を人力で行っている(ただし作品中盤でIBMが導入され、計算係のリストラ問題が物語に絡み合う)。その計算係に勤務する3人の黒人女性が主人公だ。トイレもバスも黒人専用が設けられた差別が社会制度化している時代に、彼女たちは歯ぎしりしながらそれでも才能を開花させていく。その姿が実に恰好よく痛快だ。頭脳版「42」といったところか。「働く女性が格好いい」というと、日本ではこの手のお寒い紋切記号はよく見るものの、地に足がついた本作の恰好よさは、フィクションではあまり類を見ない気がする。

         あとこれは余談だが、数学が出てくる映画(「グッド・ウィル・ハンティング」「イミテーション・ゲーム」「奇蹟がくれた数式」等々)でおなじみのチョークをカツカツ鳴らしながら数式で黒板を埋めていく様子に憧れる。俺にとっては意味不明の記号でみるみる埋め尽くされていくのと、授業の板書のようにわかっていることを掲示するのではなく、自分の思考をぶつけているところにワクワクする。

         

         さて頭脳版「42」と述べたが、主人公たちは肌の色だけではなく女性差別も関わってくるから倍だ。それも単に被差別要素が多いというだけではない。黒人野球選手の場合、野球選手であること自体は(実力を見くびられることはあっても)疑われていない。だが彼女たちの場合、そもそも「超頭脳明晰だ」ということを想定すらされていない。例えば、主人公の一人キャサリンがNASAで高度な計算をやっていると聞かされた軍人のジムは「女がそんな難しい仕事を?」とまず驚くし、資格を取るため数学のクラスに現れたメアリーに、教師は「ご婦人向けの授業ではないんだが…」と困惑する(おそらくメアリーがカルチャースクールと勘違いしてやってきたと思ったのだろう)。この二人に悪意はない。だが十分に色眼鏡である。もしキャサリンが、それこそベネディクト・カンバーバッチみたいな外見の男性なら、ジムも「へえーあんた凄いね!」とただ感心したに違いない。

         

         このような男目線は俺もやらかしている。自覚したのがいくらかあるから無自覚なのはもっとあるだろう。NASAの男性たちは陽気なジムと違って陰湿・殺伐として見えるが、彼らも入口はジムと同じ「無自覚」だ。それが結果、いじめのように見えるのは、悪意というよりは「制度化」が絡んでくるからだと思う。
         


        備忘録

        0

          エヴァンゲリオン仕様の新幹線を初めて目撃。とはいえちゃんと作品を見たことはない。500系は前から好きだ。写真と本文は関係がない。

           

           今吉の結婚式二次会に招待され、久しぶりに劇団関係知った顔が雁首をそろえた。

           

           会場はロシア料理屋だった。壁にはロシア関連のサークルや催し物のチラシが貼ってあり、コミュニティ機能も担うなかなかいい店だ。早速チラシに亀山郁夫先生の顔写真を見つけてしまい、この界隈の人材不足を懸念してしまった。英語英語の昨今、大学でロシア語を教えているのはいくつあるんだろう。隣国だから一応あるのかな。俺が学生のころはあって、難しいから逆に優しいことしか習わず単位を取るのが簡単だと一定の人気があった。俺は取ってないけど。圧力だ何だ勇ましく聞こえのよいことばかり言っているうち、チャンネルを持つのが猪木だけというお寒い事態になっている北関係にならぬよう願いたいものである。

           

           よくよく見れば、地元でロシア文化のサークルを主宰している人が本を出している。ちゃんと人材は育っているではないかとタイトルを確認すると「フランス人に学ぶ人生哲学」みたいな本だった。宗旨替えしたのか。それともこれは三国協商ということなのだろうか。

           

           料理はいずれもおいしかったが、一品目からピロシキが出てきたのは順序がおかしいのではないかと思った。給食に出たことがあるか周囲に尋ねると皆無だった。日本海側だからか俺が義務教育のころはたまに献立にあった。カレーパンかと思ってかじったら全然違う味がするし、これは何だと献立表で確認しても「ピロシキ」という何のヒントもない馴染みのない文字列が並んでいるだけだしで記憶に残っている。

           

           今吉らしく、実に素っ気ないプログラムだった。新郎挨拶も、改めて話すことは特にありません、くらいの、お前はオカダカズチカかという手短かさで、それが逆に美徳になってしまう辺りが彼のすごさであろう。新婦の友人がどう受け止めたかは知らないが、あまり気にしなさそうな人ばかりには見えた。

           

           問題は、乾杯の音頭を仰せつかったことだ。「あんた以外、こんなのをうまくこなせるのがいない」と念を押されて頼まれた。人材不足の劇団だ。年を取ってわかったことの1つは、いつの間にかみんな挨拶が上手くなっているということで、もうすっかりおっさんだし、こういう場では友人としてのフランクさと年相応のオフィシャルさを同居させなければならない。ライブの前と同じくらい緊張した。向井が「役者なのに挨拶で緊張するんですか」と愚にもつかないことをいう。演劇のチンピラどもが、このような式典でいかに滑って死屍累々積み重ねてきたか、振り返れば思い出すのは容易だと思うのだが。役者は客に向かって喋らないので挨拶や講演は別物になる。

           

           多少グダついたが、どうにかクリアし、大きな大きなため息をついたが、その横でチョビが完全に無言になっている。余興というこれまた死屍累々を自ら積みかねてきた暴挙を担わされ、雑談に付き合う余裕がないと見える。それで彼の守備範囲であるカントの定言命法について質問し、学問的な会話をして落ち着いてもらったわけだが、その甲斐があったのかどうか、彼の漫談は真打落語のようにゆったりと染み入る調子を交えながら、馬鹿馬鹿しさと人情噺が同居するような、まさに「目的の王国」といった見事さだった。

           

           司会の上地といい、スピーチのツッチーといい、年下の連中もみんなうまくまとめていて、トップバッターで助かったと胸をなでおろした。


          掲載件数ロンダリング

          0

            姫路城

             

             気づくとこのブログの掲載記事数が1000を超えていた。もうすぐ1000だと思いながら、そこからが長かった気がする。それで1000本目の記事を確認すると、下痢の話だった。由々しき事態である。

             

             自分で説明するのも無粋であるが、インドの連載の各タイトルは、全部曲のタイトルというベタなことをやっている。特に意図はない。初回のタイトルを考えているうちにそうなった。基本は内容にちょっとでも沿った言葉を含むタイトルを選んでいるが、ただのダジャレの回もある(第2回とか)。途中、思いつかなくなって、大して面白くもないルールだし、いい加減やめにしようかと思ったが最後までどうにかなった。どれもそれなりいい曲なので聞いてほしいところ。全部検索でひっかかる。

             

             1つを除き、全部海外の曲なのだが、当該下痢の話「Beat so lonely all night long」だけ日本のバンドが作った曲である。あまりに文字列が状況に一致しているので(制作者には大変申し訳ない使い方だが)自己ルールを破ってまで拝借した。

             

             しかし区切りの記事がこれというのも、という理由づけで2006年8月の記事を数本アップした。古い記事を掲載すれば、1000本目がずれる勘定になる。こういう暇人みたいなことをしているときは、目の前の作業に切羽詰まって現実逃避したいときでもある。掲載当時は写真付きだったが、その写真が見つからないので宣伝用写真で代用している。劇団ブログという立ち上げ時の趣旨に沿う内容かつ、一部はタイムリーさと隔世の感を同時に感じる割と意義深い内容だ。

            続きを読む >>


            calendar

            S M T W T F S
               1234
            567891011
            12131415161718
            19202122232425
            2627282930  
            << November 2017 >>

            selected entries

            categories

            archives

            recent comment

            • お国自慢
              森下
            • お国自慢
              N.Matsuura
            • 「続く」の続き
              KJ
            • 【映画評】キューブ、キューブ2
              森下
            • 【映画評】キューブ、キューブ2
              名無し
            • W杯与太話4.精神力ということについて
              森下
            • W杯与太話4.精神力ということについて
            • 俺ら河内スタジオ入り
              森下
            • 俺ら河内スタジオ入り
              田中新垣悟
            • 本の宣伝

            recent trackback

            recommend

            links

            profile

            search this site.

            others

            mobile

            qrcode

            powered

            無料ブログ作成サービス JUGEM