【アマステ(Amagasaki-State)×2888】(12)Paradise City

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     朝から空港に向かった。国内線で南インドに行く。ここから先はD氏の仕事の関係で差しさわりがあるといけないので、いくらかごまかしたりぼやかしたり省略したりの記述になると思う。


     インドで何をするかという最大の問題は、D氏の仕事の助手として南インドまでお供するということで決着した。南インドは、世界史で習った「ドラヴィダ人」くらいしか知識の持ち合わせがないから、いわばわけもわからず着いていくゴマメ状態である。これもめぐり合わせだろう。今回唯一ちょっと興味を抱いたアムリットサル(とインパール)はお預けである。

     

     ムンバイを経由する便だった。空港に着陸する直前、スラム街が見える。「スラムドッグ$ミリオネア」の冒頭で登場する青や白の屋根の空撮と同じ景色だ。ついつい見入ってしまう。

     あの映画のおかげで、ムンバイのスラム街を見物したがる人が増え、その観光収入をスラムの子供の教育に費やす団体が活動しているとか。これは後日、T氏に聞いた話。スラムとは、阿片窟のような犯罪者の吹き溜まりではなく、暮らしの仕組みがちゃんとできたコミュニティだとも彼は言っていたが、なにせ30分程度で再び離陸するため、我らは機体の中に乗りっぱなしだ。
    ほとんどの客がムンバイで降りたので、ガラガラの機体で再離陸するのではと期待したが、さすがはインド。新たな客でまた満員となった。

     そうしてまた2時間以上揺られ、ヤシの森と海が見えた。南国に来たようだ。飛行機は、トリバンドラム(ティルバナンタプーラム)に降りた。デリーのインディラ・ガンディー空港と違い、非常にこじんまりとして、昭和の学校校舎のような無機質なコンクリートのビルが建つ、北朝鮮か旧ソ連の空港のようである。行ったことはないから完全なる想像だが。これで国際空港というのは悪い冗談だと思ったが、国際線ターミナルは別のところにあるらしい。


     D氏が手配した車が待っており、我々は市中心部へと移動した。雑多でにぎやかで、何だか楽しそうな町だ。というよりも、インドに来て初めて、街並みらしい街並みを見たと言った方が正確だ。

     

     デリーは不思議な町だ。首都だが、ビルの高さ規制や緑地の規制があり、やけに緑が多く高い建物が見当たらない、およそ大都市らしからぬ景色をしている。

    デリーの景色。規制のせいで、建物が低く、緑が多い。

     

     ではゆったりとした爽やかな街かというと全く逆だ。市内の幹線道路の多くが、日本の大都市の環状道路のように、立体交差と中央分離帯を備えた自動車専用道のような造りをしており、車道があって歩道があって、ビルが立ち並ぶ、というような見慣れた都市の風景を目にすることが少ない。各地に点在するある一定の区画がマーケットとして指定されていて、その付近だけ日本の歓楽街のように飲食店や服飾店が軒を連ねるが、そうでない区画はひたすら道路、裏通りに入るとひたすら宅地か緑地、といった具合。

     昨夜訪れたレストランも、その一角だけ京都の木屋町のようなゴチャゴチャとにぎやかで若々しいマーケットに立地していたが、その区画を離れると急に閑静な宅地になり、もう少し離れると太い幹線道路だらけになる。線的な都市の連続があまり見られず、単純な話、歩いてもちっとも楽しくなさそうなのである。

     

     そこへいくとトリバンドラムは、道路があって歩道があって商店が並び、と見慣れた都市の景色を備えていて、車窓の景色は人の営みに溢れている。ようやく外国の町にやってきた気分が盛り上がってくる。

    上段がデリーの交通標識(多分一番上がヒンディー文字)。下段のタミル文字は、標識の文字どれとも一致しない。

     

     目につくのは、ヒンディー語の文字とは違って丸々とした読めない文字。南インドはタミル語が主流だ。ヒンディー文字はカタカナ風でタミル文字はひらがな風。ただし、言語系統が異なるため、ヒンディー語話者にもタミル語はさっぱりわからないという。さすがの多言語国家である。

     もうひとつ目につくのは、写真左端にある旗。ギター弾きはついエピフォンを想像してしまうが、ソ連国旗でおなじみの鎌と鎚をあしらったマークだ。各国の共産党で用いられているモチーフで、この辺りは共産党が強い様子。このためか、市内のあちこちにチェ・ゲバラの顔をあしらったポスターが掲示してある。空港が社会主義的だと思ったのはあながち的外れではなさそう。

     

     ホテルにチェックインした時点で、夕方に近くなっていた。機内食は有料でつまらなさそうな食べ物しか売っていなかったので、昼食は食べていない。早めの夕食を豪勢に行きたい気分だ。ここから車で30分ほど南には、コヴァーラムという有名なビーチがある。昨日のT氏も、20代の放浪時、そのビーチで泳いで実に気持ちがよかったと回想していた。その辺りで、内陸のデリーではお目にかかれない魚料理を食べよう。そうD氏と話をまとめ、インド版食べログのようなサイトでよさそうな店を探し出して、タクシーを手配した。


    世界をまるごと作ったり切り取ったり

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       久しぶりに絵でも見ようかと中之島に「ブリューゲルの『バベルの塔』展」に行った。ブリューゲルという画家の名前よりも「バベルの塔」という作品名を前に出したポスターで「BABEL」の文字が大々的に躍っている。そこにどことなく業者さんの薫りを感じてしまい、あまり食指が動かないまま、それでも諸々の都合も重なって見物したのであるが、意外やだいぶ感動してしまった。


       聖書の有名なエピソードを題材にした巨大建築物の絵で、建築に携わる人の営みも含めて、偏執的に細かい細かいところまで作り込んでいる。後で見た「日曜美術館」の再放送で、大友克洋は「奥行」と言っていた。大友という人は、自身のマンガ作品で、例えば市街地の全景を書くときなど、やたらと細かいところまで書き込むこれまた偏執的な作家であるが、ブリューゲルの方がさらに上をいく印象があった。何せ細かい。人物が1400人くらい描いてあるらしいが、どれも米粒アートのように小さな小さな造形となっている。

       

       この世界を丸ごと一から全部自分で作り上げたようなこの印象は、「マッド マックス: フューリー ロード」を見たときの感想と似ている。相当の大作なのだが、そのくせ画面のサイズは小さいというのがまた腕の良さというのか何というのか。とにかくフィクション屋二軍の端くれとしては、かなりの憧れを持って眺めた次第。


       豆知識的に面白かったのは、バベルの塔を描いた画家は他にもいるが、彼らは「天にも届きそうな塔」をうまく想像できなくて、3階建てくらいで描いてしまっているということ。人間、見たことないものを想像するのは難しいものなんだな。俺も若かりしころ、札束1つは100万円だと思っていた悲しい過去を思い出した。ちなみに本作の場合、縮尺からの計算上、510メートルくらいだそう。世界を丸ごと創造できるというのは、例えばこういう点に現れている。
       その他、版画類は別の展覧会でもちらりと見た記憶があるのだが、改めて見ると、線の雰囲気が手塚治虫のように丸っこくてかわいらしく、これが物語調の作風と相まって、おかしみや不気味さやエロスや皮肉をうまく紡ぐんですな。こちらもこちらで群を抜いた質を感じさせられた。

       

       勢い、というには少々距離があるが、とにかく勢いに任せてついでに京都でやっていた「パリ・マグナム写真展」へ行った。ロバート・キャパを筆頭とした写真家の有名どころ名を連ねるマグナムフォトの面々の作品を集めた展覧会だが、こちらは残念ながらちょっと退屈だった。複数の写真家の作品を同時に見てわかったのは、アンリ・カルティエ・ブレッソンはやはり写真が上手いんだなあ、という実感と、キャパは下手だということ。いいのもあったが、まるで素人のようななんじゃこりゃという写真もあり、むらっけがひどい。その他印象に残ったのはアバスという人。

       

       ミュージアムショップには、創設60周年記念出版という、本のサイズではないアンプのようなでっかい図録が売っていて、ページを開いた瞬間から圧倒された。店員氏から「それのコンパクト版はおすすめですよ」と話しかけられたので、「残念なことに展覧会よりもこの図録の方が遥かにおもしろいです」と正直な感想を述べると、店員氏は渋い顔をして、「みなさんこの展覧会の図録ではなくて、こっちの記念図録のコンパクト版を買っていかはります」と言った。
       階下でやっていた、こちらも写真展「近代京都へのまなざし ― 写真にみる都の姿 ―」は面白かった。なんだか二重に残念なような。


       消化不良につき、後日、世界報道写真展に行った。毎年開催しているが、大体は気づいたときには終わっているので、何年かおきにしか見れない写真展である。報道写真なので、鑑賞者が総じて神妙な顔つきになる辛気臭い展覧会でもある。

       

       報道写真はしばしば、「そこにいただけ」に価値があるように思えてしまう。例えば今年の大賞は、ロシアの駐トルコ大使が警察官に殺害された直後の写真であるが、その決定的瞬間にその場にいてシャッターを切っただけ、とつい思ってしまう。シリア関連の写真も同様で、現場に行っていること自体はものすごく大変なことではあるが、そこに「行った」以外はシャッターを切っただけ、と見えなくもない。だが実際には、現地にいてカメラを構えただけでは、思ったような写真にはならないものだ。京都で展示していたキャパの写真の何枚かはまさしくそれで、わが身にもいくらでも覚えがある。別に戦場その他、殺伐とした場所に居合わせた経験などないが、観光地でもいくらでも起こりうることだ。その場の様子をしっかりまとまった写真として捕らえられていることが、スキルだったりする。

       

       そうはいっても、見る側は、テーマが何であれ、写真そのものとして圧倒されるような仕上がりを期待する欲求があるものだから、もっと驚かせてくれよと自分勝手なことを考えてしまうのだけど。

       

       隣では朝日新聞の東日本大震災の写真展をやっていた。そう変わり映えしないはずなのだが、何かが違うと感じてしまう。「それは被写体の違いに過ぎない」という意見を聞いたこともある。インドは写真映えする男女ばかりの13億総フォトジェニック社会だったので、うなづけなくもないのだが、でもやはり何か向こうさんの方がレベルが高いような印象は消せない。日本のプロ野球と大リーグでは、そんなに違わないはずなのに、向こうを見てからこちらを見るとどうにも刺激が低く見えるのと似ていると思った。ま、現場の人間が挑戦的な構図で撮っても没にされている社内上訴部の価値観も大いに関係しているのだと推測するが。
       


      【アマステ(Amagasaki-State)×2888】(11)Stay Frosty

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         帰途は再び豪雨に捕まった。前が見えなくなるほどの激しさだが、日本でも何度か経験があるので物珍しさは特に感じない。ただし隣を走るトラックの屋根の上には、またも人が載っていて、全員、滝行のように激しく水に打たれている。これかなり皮膚が痛いし、息苦しいよ。こんな人間はさすがに尼崎にはいない(多分)。

         

         傍若無人ドライビングが標準のインド人も、さすがに前の見えない豪雨には、よその車が気になると見える。みんなハザードランプを点灯して自分の位置を周囲に知らながらゆっくり走っている。必然、道も混雑してくるが、市街地に戻るとなかなかの渋滞だった。
         これでも日曜なので全然マシという。後日わかったがインドの渋滞は日本の比ではない。交通機関が脆弱なせいでみんな車やバイクに乗るというのもあるが、誰も彼もが我先にと割込み、片側2車線のところ3〜4車線状態になるから余計に混雑するというのもある。そのカオスは見ているだけで疲れる。車幅をギリギリ詰めるせいで、しょっちゅうドアミラーを閉じるのだが、どこかにぶつけたのか、もげかかった状態のまま走行している車もある。日本でドアミラーがもげていると、すぐに警察に整備不良で制止されそうだが、インドの場合ドアミラーは、あると便利なオプションに過ぎない位置づけといい、もげたまま気にすることなく運転するドライバーも珍しくない。

         

         アメリカのロックバンド・ヴァンヘイレンのボーカル、デヴィッド・リー・ロスは「三十過ぎたら車のバックミラーは外す。過去に用はないから」と言ったとされている。本当に外したかどうか知らないが、この国では本当に外している。「13億総」というのは言い過ぎだが、1億人くらいは総デヴィッド・リー・ロスといえそうだ。

        カオスな渋滞の中にはこのようなおもしろい頑張り屋も混じる(別の日につき晴天)。同じスタイルで大きなガラス板を運んでいる人がいて、見ているだけで恐怖だった。

         

         デイヴと異なるのは、この国の人々は、「過去に用がない」というむやみな前向きさというよりは、「過去から未来に時間が流れる」という感覚自体が希薄な気がする。渋滞はじめ、色んな理由で「物事が予定通りに進むことはまずない」のがD氏の弁で、よくいえばノンビリと、悪くいえばダラダラと、今日も昨日と同じ日が流れる。ただの勝手な印象だが。
         例えばインドが新興国として注目され出した10年以上前に書かれた「中国の次はインドだ」の類の書籍や記事を読むと、十年ひと昔ならぬ、十年今現在、何の変化も感じられず、日付を差し替えて今日の記事だと偽っても成立しそうだとD氏は言う。20年以上前にインドを放浪したという別の知人は、マクドやケンチキのような外資が進出してきた以外、変化らしい変化をあまり感じないという。ただの2人の個人的体感なため、鵜呑みにはできない。違う感想を持つ人もいるだろう。ただし、運転が荒っぽく、我先にとカートに乗り込むくせに、どこか呑気な印象が漂っているのは間違いない。

         

         大阪の梅田にでも行けば、インドと同じくらい人であふれているが、様相はかなり異なる。まずほとんどが速足で歩いている。立っている人間は待ち合わせか店舗の行列順番待ちで、座っている人間は休憩ないしは仲間と歓談している。要するに全員なにがしかの目的がある。何をしているのか何のためか、本人もわかっていなさそうな様子でただそこに佇んでいる人間は、いないこともないがごく少数。尼崎だともう少し多いかもしれないが、インドの場合は大多数が何となくそこにいる人にしか見えない。少なくとも、速足で歩いている人はあまりいない。多くは立っているか座っているか、とにかくその辺に佇んでいる。仕事がなくてすることがない等、経済的事情もあるのだろうが、「三千世界」のように、何かと数字が馬鹿でかい仏教を生んだ国である。時間の感覚が違うのではないかと考えてしまう。

         車窓から、ドーム屋根の石造りの建物がいくつか見えた。何かの記念館か博物館か。タージマハルを見た後なので、それが何かまで確かめる興味はわかないくせに、いかにも外国風の趣なので自動的に引き付けられる。

         

         帰宅して風呂に入り、濡れた服を着替え、濡れた靴に古新聞を突っ込んだ。D氏の長男(中2)の「買ったけどサイズが小さくて履いてない」という靴を借りたらピッタリだった。乳飲み子のときから知っているが、他人の子供とゴーヤは育つのが速い(C博多華丸)。そうしてD氏の家族とともにインド料理店に入店し、予告通り、本日2度目のバターチキンを頂戴した。

         昼の店もこの店も、客席はガラガラだった。これは食事の時間が日本人より遅いせい。昼は2時過ぎ、夜は9時過ぎ、まるで新聞記者のような時間帯にご飯を食べるのが普通だ。特に夜は、満腹状態で就寝するのが何より幸せという感覚があり、結果男女とも腹の出ている人が多い。それが正確な理由かどうか、医者ではないのでわからないが、とにかく腹の出ている人は男女とも多い。太る理由はほかにも見つけることができる。例えば炭水化物文化で、日本と同じく、何でも炭水化物と一緒に食べるから、料理を注文するとテーブルの上は付け合わせのチャパティや米だらけになる。もう一つは砂糖で、ペプシ、マウンテンデュー、セブンアップといった炭酸飲料は田舎の方でも(田舎の方こそ?)必ず売っているし、一度だけ食べたケーキは頭痛がするほど甘い。注意しなければ、インド暮らしはどんどん太ってしまいそう。

         

         「というわけで今日はサッカーで汗を流してきましたよ」
         とは遅れて合流してきた、これまた当地に赴任している知人のT氏である。表情の乏しい眼鏡という、外国人には「何を考えているかわからない」と不気味がられそうな日本人の典型のような外見をしている。必然運動などちっとも興味がなさそうに見えるのだが、案外スポーツ万能で「ちゃんと点を決めてきましたよ」と得意がる。その笑みは、外国人には汲み取れなさそうにうっすらとしていて、声のボリュームもボソボソとした程度。とてもサッカーで点を決められる人には見えない。20年以上前にインドを放浪し「あのころと大して変わり映えしない」と言ったのもこの人で、読書とファミコンくらいしか興味のなさそうな見栄えとは裏腹に、アウトドア派の国際派だ。

         

         店内のテレビではクリケットを放送していた。今日は何やら大事な一戦のようで、インド代表対イングランド代表が戦っている。ルールがさっぱりわからないままボーっと眺めて、土産にクリケットのシャツなんかどうだろうかと想像した。


        【アマステ(Amagasaki-State)×2888】(10)None of your Business

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          D氏撮影

           

           再び赤木総一郎の車に乗り込んで、昼食をとるのにいい店はないか尋ねた。運転手は頷くと、すぐ車を止めて、隣にいるタクシーの運転手に聞き込みをする。ヒンディー語でいくつかやり取りした後、車は発進し、5分も走らないうちに停まった。

           

          「ここですか?」
          「そう」
          「インド料理?」
          「そう、インド料理」
          「美味しい?」
          「ええ、もちろん・・・・・・」
           しかし何の不都合があったのか、車は再スタートして、再び数百メートルほど進んだところで停まった。
          「ここもおすすめ?」
          「そう」
          「美味しい?」
          「ん?うん」

           

           外国人であってもテキトーにごまかした返事はわかるものなのだな。俺はささやかな発見をした。おそらく「日本人だからテキトーにこぎれいな店に案内すればいいだろう」くらいに思われていたと推測する。外観からして綺麗な店だった。日本だと大皿に前菜がチョビっと載って1000円、というようないかにも入りたくない雰囲気の店構えだが、ここはインドだから、そのようなものさしは無用である。

           

           店に入ると、ホテルのレストランのような整った内装で、店員の物腰も門前土産物屋とはまったく違って上品だった。後でわかったが、インド相場としてはバカ高い店である。日本の相場からいうと普通ないしは少し安い。昨今は、外国人観光客から「日本の物価は安い」といわれるほど、日本の物価、引いては給与は硬直しているとネットの記事で読んだが、インドに比すればまだまだ日本は高いことになる。

           出発前にほとんど見つからなかった旅の目的の中で、ひとつ思いついたのは本当のインドの味を食べることだった。自力でこれしか思いつかないのだから、インド関連書籍の多くがカレーなのも責められない。
           近年、日本の街中でインド料理屋を見つけるのは難しいことではない。俺の故郷でも「インド料理ガンジー」という安直な名前の店が出来ている。大阪だともっと多い。ただし営んでいるのはほとんどがネパール人で、大抵軒先にインド国旗とネパール国旗を掲げているからすぐわかる。「だからあれは本物のインド料理ではない!」と誰かが書いているのを以前に何かで読んだ記憶があって、じゃあ本物はどうなんだろうと気になっていたのだった。
           果たしてネパール人が作るインド料理とは、カリフォルニアロールのような似て非なるものなのか、それとも築地銀だこのように大阪人だけが「たこ焼きに非ず」と御立腹で全国的にはうまいじゃんと思われているようなものなのか。

           

           このテキトーに連れてこられた店だけで判断するわけにもいかないが・・・、と自分に留保をつけておきながら、メニューを眺めたが、何が何だかさっぱりわからない。インドの飲食店ではメニューに写真が添えられていることはなく、文字だけが並んでいる上、種類も多い。そして「カレー」という料理名はメニューには見当たらない。ただし適当に頼むと高確率でカレーが出てくる。広島に行くと「広島焼」という料理名がなくなるが、イメージした形状の料理はいくらでも売っているのと同じ構図である。

           

           そういうわけで、何がおすすめか店員に尋ねるのがインドでの作法だとD氏は講釈を垂れながら、品のいい店員といくつかやり取りして、そのくせチキンティッカとバターチキンという定番中の定番を注文した。

           見かけはほとんど変わりない。味はというと、結論からいえば、日本にあまたあるネパール料理の店は、丸亀製麺のごとく、看板(地名)に若干の偽りあるも、いい線いっている=本場はやはり美味い、であった。大まかには同じようなものなのだが、やはり美味い。
           もちろん日本の店も味は一様ではない。結構マズい店もあるし、かなりおいしい店もある。大阪市内だと天五にある店はかなりいい線いっているハイレベルな味だと思うが、逆説的なことにその店は「ネパール料理」と堂々と謳って営業しているのだった。
           一番の大きな違いは、ナンをあまり食べないことで、チャパティが一般的だ(地方が変わるとまた違う)。日本人からすると、ただの小さいナンにしか思えないが、フライパンのようなもので焼くので作り方が違う。ナンは窯(タンドール)の内側に貼り付けて焼く。焼き飯とピラフの違いのようなものか。

           

           ただ、この店で一番うまく感じてしまったのはビールで、これはまず一つには暑くて疲れたせいだった。体力だけでなく、事故と閂で、気疲れもした。インドで一般的なのはキングフィッシャーだ。日本の中瓶くらいのサイズを店員が持って現れ、客に瓶を触らせ温度チェックをさせてから注ぐのがスタイルのようだ。日本で飲んでもちっとも美味いと思わなさそうな味だが、この日に限らずインド滞在中は美味しく飲んだ。その地にいるときは土地のものが一番うまい。養老孟司によると、その土地にいる間は体も現地人に近付くものであるらしい。そういえば、沖縄にいる間はさんぴん茶もオリオンビールも滅法うまかったが、本土に戻るとそこまでのものでもなくなった。

           

           この日は夜、D氏の家族とインド料理レストランに行く予定となっている。
          「昼夜カレーになっちゃうけど、いい?」
          「昼夜バターチキンでも問題ないっす」
           俺は本心からそう答えていた。海外に長逗留したことなどないので、ただの強がりの可能性があるが、世間の基準に比べて日本食が恋しくなる度合いは低い方ではないかと自認している。それがただの世間知らずであることに気づくのに、そう日数はかからなかった。


          【アマステ(Amagasaki-State)×2888】(9)St. Anger

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             正面の白い聖廟に入るには、チケット購入の際に渡された靴カバーを装着する。「スラムドッグ$ミリオネア」では、みんな靴を脱いで入場し、その靴を悪ガキたちが盗んでいく場面があったのはすでに述べた。だが靴カバーなら盗まれる心配はしなくてよい。時代は変化していく。俺は少し拍子抜けしている。ちなみに映画では、悪ガキたちがタージマハルの出鱈目なガイドで金を稼ぐシーンもある。

             

             インドは日本と同じく靴を脱ぐ文化がある。タージマハルに限らず、村の小さな社(?)でも、軒先の石段から靴を脱いで上がるのが常識、という場面とこの後遭遇した。砂利だらけの石段の時点で土足禁止だから日本より厳しい印象もある。そもそも靴を履かずに裸足で歩いている人もそれほど珍しくはないのだが。住居では土足だが、家によってはじゅうたんの上に靴を脱いで座り、食事をする。土禁の基準がよくわからない。

             雨で床がベタベタなので、靴カバーの意味は果たしてあるのか疑問だが、とにかく土足ではないという記号がこの場合は重要なのだろう。改修工事中につき、正面には足場が組まれていて、入り口付近も鉄骨が出迎える。中国でもあちこち工事中だった。雨男ならぬ工事男だ。
             狭い通路を抜けると玄室があって、そこに棺が置かれている。暗いし人でごった返しているしでよく見えない。ガイドと一緒に入場すると、懐中電灯で照らしてくれるらしい。棺に埋め込んだ装飾がキラキラ輝いて見事なのだとか。文化財の鑑賞には懐中電灯が欠かせない。大学生のころ、神社仏閣や美術館・博物館を巡る遠足のようなゼミがあって、教授が常に懐中電灯を持っていたことを思い出した。「この仏像の特徴はね」と説明しながら遠慮なくライトで照らすので、乱暴狼藉に見えて驚いたものだった。

             外に出ると、ちょうど聖廟の真裏だった。河が流れ、緑が広がり開放的で美しい景色だ。この対岸に黒いタージマハルを建築する予定だったというが、出来ていたら凄い景色だったろうと思うと同時に、観光客としては、それを対岸まで見に行くのかどうか躊躇したような気もする。重厚な石で囲まれた玄室の中で、多くの観光客にもまれるのはなかなかハードだった上、こういう巨大な建物は、圧倒されるくせに長時間見ていると残念なことに飽きてしまうというのもある。圧倒されて疲れるせいだろう。
            気持ちのいい景色を背景に、めいめい写真(自撮り)に忙しい。よく見ると、河はゴミが流れていて結構汚い。子供のころはよく見た景色でもある。

             正面に回ると、高台からもと来た庭園を見下ろす格好になる。雨が上がり、続々と観光客が現れているのだが、何かの祭りかというくらい色とりどりで美しい。特に女性の服装がカラフルなせいだ。これは見事だ。

             

             男性も負けてはない。インドといえば、ターバンがステレオタイプとして定着している。彼らはシーク教の信者で、髪を切らないので布で覆ってまとめるのだが、今時の若人は、ターバンの色も鮮やかでポップだ。シーク教は、ヒンドゥー教とイスラム教の2つの影響下で生まれた宗教である。インド=ヒンドゥー教のイメージだが、歴史的には既に述べたムガル帝国がイスラム王朝だったようにイスラム教の影響も色濃い。アッラーのもとでの平等を唱える教義がカースト否定につながるため、歓迎した人々もいるという構図だ。この宗教対立の結果、イギリスから独立する際にはインドとパキスタンに分裂した。元をたどるとイギリスによる巧妙な分断統治が生んだ対立ではあるが、いがみあいの歴史を歩んできた二宗教である(スラムドッグの主人公は、イスラム教徒の親がヒンドゥー過激派に殺害されたため孤児になったという設定だ)。

             この2つの影響を受けて生まれたシーク教は、こちらの勝手な受け止め方では、さながらインド版本地垂迹説の感がある。信徒は人口の2%ほどしかいないのにインド人=ターバンという類型が生まれたのは、裕福な出自の人が多いため植民地時代に多く登用されたからである、というのはwikiからの丸写し。

             

             庭園中央にはプールのような方形の池がある。観光写真で見る逆さタージマハルは、これを利用しているはずだが、水面にはちっとも映っていなかった。

             外に出ると、「待ってたぜ旦那」とでもいうようなマセた表情でジョニーが待っていた。煙草を預けた少年だ。御礼がてら、彼が使い走りをしている店で買い物をすることにした。

             案内されたのは装飾品の店だった。大理石風の化粧板に花鳥風月やタージマハルをあしらったデザインの円盤や小箱などを売っている。どれも何に使うのかよくわからないものばかりで、そしてどれもこれも粗雑な作りで全く欲しくない。しかし世話になった手前、1つくらいは付き合うしかない。俺はブローチのような小さな円盤を選んで、いくらか尋ねた。店員が電卓をたたき見せてくる。
             「850」
             1ルピーは1.7円程度につき、1500円くらい。ふっかけるにもほどがある馬鹿馬鹿しい値段だが、そういう認識が形を成すより先に、D氏が「ふざけてんのか、冗談もたいがいにしろコノヤロー」的な英語をまくしたて、真っ赤な顔でカウンターに置いてあった俺の煙草とライターをひったくり「バイ!」と速足で去った。あまりに見事な怒り方に、あっけにとられながら感心してしまった。
            おかしな言い方だが、この人は怒るのが上手い。ここは怒るタイミング、というところで、ガガーっとまくし立て、すぐに「演技だよ」と言わんばかりに平熱に戻る。以前にソウルを案内してもらったときも、タクシー運転手に韓国語で怒っていた。俺の場合、日本語で怒ろうと思っても、大抵理性と感情の兼ね合いがおかしなことになって、変な息が漏れるだけで終わる。心身の健康のためにも、ガーっとまくし立ててパッと終わらせる技が欲しいところだが、なかなかそうはなれない。
             「850って、煙草が何箱買えるんだよって話だよな」
             呆れるD氏に、一連の様子を見ていた別の店の客引きが、「うちの店は20ルピーです」と日本語で売り込みをかけてくる。一番たくましいのはこいつだが、そもそも用途不明で仕上がりも粗雑な何の魅力もない商品なので、34円でも要らないものは要らない。しかし850とは、商魂たくましいのか商売下手なのか。



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