おっさん枠、舞台に立つ

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     何度となく公演を行った劇場が閉鎖になるということで、ラストイベントが開催された。その初日に出演してきた。舞台に立つのは何年ぶりか(ほとんど座ってたけど)。劇場のプロデューサーと会話するだけのトークイベントにつき、わざわざ知人に告知するものでもないだろう。と思って劇場に着いたら向井が来ていた。「会議抜け出して来ました」。アホか君は。ま、劇場の最新情報を怠りなくチェックしているところはさすが。

     

     軽い面識だけある勝山さんとの共演だった。この劇場に関わり出した時期にちょうど10年の開きがあるので、それくらいの年齢差になる。彼は待機場所で、出演を終えた別の人と今後の舞台の予定の打合せのようなことをしていて、肩身が狭い。舞台を離れて久しい身の俺がこんなイベントに呼ばれる理由は、「出来て間もないころから知っている」といういわば昔話要員だ。

     

     我々の1つ前に出演していたのは、劇場と関わりのあるライターの女性だった。舞台に立つ人ではないので声が明らかに小さい。テレビ収録の観覧に行った人が、出演者の声のデカさに驚いたという話を聞いたことがあるが、同様に、この女性が悪いのではなく人前に出るというのはイメージ以上に人として不自然な行為を必要とするのである。「声張りましょね」などと打合せしていざ舞台に立つと、勝山氏の声がやたらとデカかったので思わず「声でか!」と思ってしまった。まるきり素人の反応。

     

     勝山氏の舞台は一度だけ見たことがある。彼の劇団に所属している人と共演する機会があり、その縁で見たのだが、会話ではなく体の動きを重視したような作品で、ある意味王道みたいな作品だった。少なくとも俺はまったく作れないタイプの舞台。へえーと感心しながら面白く見た記憶がある。

     

     そういう人だからか、スイッチが入ると割と熱く語り出す。プロデューサー氏もどちらかというと語りが長いタイプなので、途中俺が進行役を務めていたような気も。すでに述べたように、俺は昔話枠なので、「出来て間もないころは屋根なかったもんねえ」とこの日の昼間に思いついてメモしたギャグを披露したが、見事にスベった。「そううけない」は想定内(そうていない)。立て続けに「床も芝生やったし」でかすかな笑い、「楽屋もなかったし」で「それだけホントの話やんけ」と突っ込んで欲しかったのだけど、そのためにはボケがあとせめて追加で3つは要る。当然、「そうなんですよ!楽屋なかったんすよねえ」とプロデューサー氏からは善良な一市民の反応が返ってきた。ただこの「楽屋ない話」は、若干名おられた関係者でははない純粋な演劇ファンのお客さんには面白い話だったようで結果オーライ。

     

     開業当初は2階に特撮モノのビデオ販売店があったが(大森一樹が来ていた)その後移転して空いたので楽屋になった。当初は開場前に客席で役者陣は身支度を整えてソデの奥に引っ込み、開演までの30分ほどを3畳ほどの暗闇の中で全員じっと待機しなければならなかった。お陰で開演前には暗くて狭いところにいないと落ち着かなくなってしまった。明るい楽屋があるほかの劇場だと居場所なく感じてしまい、結局ソデのところで待機していたものだった。要点そんな話だ。

     

     現在もつづく一人芝居フェスの第一期にも関わっていたので、そんな話もした。初参加はフェス2年目の2002年で、高校野球の監督が大事な試合の最中に猛烈な下痢に見舞われトイレの個室で悶絶しながら指示を出すという馬鹿馬鹿しい内容だった。本物の便器を使用したのは誤魔化しがなく英断であったが、本来一人芝居なので狭いソデには役者1人だけ待機すればよいものを、便器が重たいせいで便器セッティング要員(ちょび)も暗がりに居続けなければならなかった。この劇場に便器を置いたのは我々が初。俺の役割は終演後の搬出で、自分の車に積み込んで返却しに行ったのだった。フェアレディZに便器を搭載したのは日本で俺が初だろうか。Zの主要市場である北米にはいそうな気がする。というような話もまあまあウケた。

     この一人芝居フェスも年々巨大化して、今年は台湾で上演している。ちょうど俺が行った時期と入れ替わりだった。プロデューサー氏の手腕は大したものだ。我々が出ていたころは、なんとなくお約束で呼ばれていた感があるが、現在は審査を通らないと出られないのでなかなか厳しくなっている。

     審査の話ついでに脱線しておくと(無理やりつなげている)、審査員への暴言騒動が注目を集めているが、個人的な好き嫌いといった主観を明言して審査するのは勇気のいる潔いことだと思う。答えの決まっていないものであっても一定水準までは「客観的指標」で採点できるものだが、それ以上となるとあとは主観が大きい。でも大抵は客観的評価であるというテイを装う。一応専門的識見がある人間としてその席に座っている以上、好きとか嫌いとか素人みたいなことをなかなか口に出来ないからね。なのでホンマは自分がうまく理解できないだけのものでも、評価できない「客観的理由」を武装しようとしがちであるが、それはちょっと卑怯な態度ともいえる。下手端にいた大御所も「僕は古いのか、ちょっと受け付けない」といった趣旨のことを言っていたが、同様に潔いと思う。それで100点満点中15点とかだったら、一定程度までは客観的指標が成立するからこれは不当である。

     閑話休題。終わって向井に感想を聞いたら「らしくてよかったんじゃないでしょうか」と鼻をふがふが鳴らして苦笑している。向井が苦笑するときは俺にとっては上首尾だというのが相場だからこれでよろしい。

     

     2日後、イベントの最終日に打ち上げを兼ねた例年よりも2週間ほど早い忘年会だった。仕事終わりで顔出し。「あ、毎年忘年会だけ来る人」と一部から言われたが、何言ってんの、出演者様だよ。

     

     劇場は取り壊しになるが、別のところに新規開業するので暗いニュースではない。儲かる事業でもないのに、会社(本業は別で、劇場は一部門に過ぎない)はどれだけ太っ腹なんだという感想だが、その辺の社内事情をうかがうと、稼働率だけは高いので社内や銀行への説得力はそれなりに高いそう。つまりはここを定宿にしていた我々もかすかな貢献をしていたわけで、ひいては社会の文化資本への貢献ですわね。

    どうせ取り壊しになるので、壁にサインしちゃってよと言われてデカデカとサインした俺の上にサインするMr.シロッキー


    展覧会続き

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       何度か見たことがあるのでまあいいかと思っていたのが、諸事情でネットの関連記事を見ているうち興味が湧いたのでエッシャー展を訪れた。

       金のにおい(広告屋のにおい)がキツめの展覧会ばかりやる会場につき、偏見がつきまとってしまうというのも、あまり食指が動かなかった理由。展示スペースからグッズ売り場の間の通路に、エシャー好きを自認する各界著名人からのメッセージが掲示してあって、まさに広告屋のノリといった具合だ。

       写実的な画風かつトリッキーなモチーフが多くて見ていて楽しいため、割と万人受けする人ではないかと思う。なのでこんな脚色いるのかねと思う&「エッシャーが好き」と語る著名人たちに、かつての「ピーター・アーツのファンを公言する内田有紀」が重なってしまいました。

       

       「だまし絵」などとよく言われるが、そう見える作品も中にはあるというだけで、別にだまし絵の作家ではない。展示の大半は風景画が占めている。過去に見たときは、相似形の鳥や魚やトカゲがタイル状に配置されている作品に目を奪われたものだが、改めて風景画の力強さを再確認した。中にはカラーで描いたスケッチと、それを基にした版画の両方が並べられているのもあったけど、明らかに版画の方が草木のの活き活きした雰囲気がふんだんで、木版だから余計、工程を想像できるからぞっとする。

       隣の小学生男子がずっと驚愕の表情で見入っていたのも、小学生だから余計に木版の経験が生々しいのだろう。この前自分が作ったのと全然違うやん、という。これが水彩画だと筆のタッチが違い過ぎるからあんまりピンとこないのではと想像する。

       思いのほか楽しんでしまった。

       

       後日は、縁あってタダ券をもらえたこともあり、京都で藤田嗣治展を鑑賞。まとまった形で見るのは初めてだ。年配の客でエッシャーより遥かにごった返していたのは、京都という土地柄か、それともシニア層には油絵の方が人気があるのか。

       

       乳白色の裸婦が有名な人だが、そのタッチを確立してから後にも色々画風を変えているのは知らなかった。むしろフランスで裸婦をしこたま描いていた後の方が魅力的に映った。この人、女より男の方がうまく描くんでない?メキシコのおっさんとか、帰国してからの魚河岸や力士の絵なんかかなり見入った。習俗を丁寧にトレースしている感じが、アカデミックというかジャーナリスティックというか、とにかくおもしろかった。

       

       アッツ島やサイパンを描いて戦後に戦争協力者と非難されたことは聞きかじっていたけど、こちらも実物を見るのは初めて。どちらも戦局が悪化してからの玉砕を描いた絵で、写実主義のような暗いタッチによる地獄絵図である。これを喜んで陸軍が受け取ったというのも考えてみればおかしな話だ。

       

       帰りに、近くの京都写真美術館でやっていた展示を覗いた。中西建太郎さんいう方が知床で昆布漁師を撮った一連の作品だった。全く知らない世界なので、ドキュメンタリーを見て「へえ〜」となるのと同じ感覚で見た。やっぱ北海道のことって、何にも知らねえんだなと痛感した。藤田が描いたパリの方がまだ近い世界のように錯覚してしまうほどだった。

       

       要するにパリはテレビや映画で見たことがある一方で、知床の漁師(それも昆布)の営みは少しも触れたことがないからに他ならない。解説によれば、担い手がいなくて操業の歴史を閉じたというから、さもありなん。なんだか神妙な気分になった。


      遠方より友来りて事業拡大の予感

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         遠方で暮らす知人の子供が関西の私立高に入るというので、久々に会った。既に推薦枠を取っているので、あとは親子の面接を受けるだけという。よほど問題のあるケース以外は合格するとはいうものの、多少の不安がよぎるのが人情というもの。「お前、明日の面接大丈夫か?」などと知人は子供を心配している。

         

         しかし、当の知人は大丈夫なのだろうか。試しに、いつも仕事でやっている面接官キャラを身にまとい、「お父さんから見て、お子さんはどのような子供ですか」と質問したら、知人は「はうあ」と息を呑んで、「えー、大変素直で元気な明るい子です」と、若干しどろもどろと答えた。
         なんやそのクソみたいな回答は!

         

         学生相手にこんなことをいうと、即始末書ものか首になると思うが、知人だから(先輩だけど)遠慮なし。
         一応解説すると、この情報ゼロの答えだといかにも「子供のことをろくに見ていない親」にしか映らないので「クソみたい」という評価になる。当の知人も時間差で気づいてにわかに顔を紅潮させ「急に聞くからじゃねえか。汚えなあ」と慌てている。同席していた別の知人が、先ほどまでの日常会話で折に触れて披露していた親馬鹿自慢のいくつかを思い出してつなぎ合わせ、模範解答を口伝している。ささやき女将かあんたは。

         

         で、翌日の本番、面接官がこの知人に尋ねたのは俺が聞いたことと同じような質問だったとか。「お前のおかげで万事うまく済んだ」と半分嫌味の謝意があり、俺こっち方面(親の面接練習)も仕事イケるなあと手ごたえを感じたのであった。


        おせっかい

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           いつも世話になっている美容師が、給与の話でオーナーと対立して店を移ったのが今年の夏ごろ。年に2回くらいしか散髪しない無精者につき、期間は長くとも圧縮すると1,2年程度の付き合いになるような気がするが、見習いのころから見知っていて、いつのまにか美容師に昇格し、いつのまにか店を任され、いつのまにか給与でもめるまでに成長していたのだった(たまにしか来ないので、ホントに「いつの間にか」と感じてしまう)。で激励に訪れ、「もう来ーへんぞ」と言っていたのが、結局また来ている。

           

           「地震は大丈夫でしたか」と、久々なので古いところから話が始まるのが毎度のこと。まだブルーシートをたくさん見るよねえなどと話しながら、そのうち話題も変わり「万博決まって大坂もまた賑やかになるんすかねえ」などと牧歌的なことをいう。やはりこれが世間の平均的な受け止め方なのだろうか。

           

           どうだかねえなどとやり過ごしておけばいいのかもしれないけど、まあ待ちなさいアゼルバイジャンに決まってたら行ったかいなというか愛知のとき行ったかいなというかブルーシートがまだ多い状況で躍起になることかいななどと諭すように語ってしまった。これも「華氏119」なんかを見たせいだろう。小さなことからコツコツと、だ。なるべくやんわり与太噺を言うような調子で相手が引かないように心がけるのであるが、彼の場合は引くどころか周りにこういう話をする人間がいないせいだからだろうか、おーなるほどと食いついてきた。

           

           「ゴーンの件もようわからんのでYoutubeなんか見るんすけど、何かようわからんすね」と、彼は俺もよくわからないニュースのことを持ち出してくる。まずニュースを確認するのにYoutube、という発想からして、おいおい&なるほどなあなのであるが、最近はネット民の尽力で悪質なチャンネルが続々と凍結されたし、当人も陰謀論めいた話は話半分で受け取っている様子につき、まあよかろう。とりあえず、地検特捜部のやる事件は本気にするなと説明した。なんだったらあやしげなネット情報より陰謀論なんじゃねえかという気すらする。

           

           「ま、僕らみたいなのにはまったく無縁の別世界の話っすけどねえ」と彼は適当にまとめようとしたが、大人げなく「そうでもないよ」と延長戦に持ち込む。ここからはただの私見。従業員リストラしまくって自分は10億だなんだともらって「これが世界の相場だ」と平然としていたのは、社会に少なからず「あ、いいんだ」感を与えたと思う。これをちっちゃーいレベルまで落とし込んだのが、君とオーナーの給与騒動なんじゃない?と言った。自分がそんだけもらうんなら、社員の給与ももっと奮発しろよってことでは一応構図はカブる。まあ彼にはこじつけのブラックジョークくらいに聞こえたかもしれないが。

           

           こういう説明したがり野郎を英語で「mansplain」というらしい。女性にも説明したがりはいるだろうけど、男の場合は相手が女性というだけで自分の方が詳しいと自動的に思い込んで語りたがる傾向が強いので、それを指摘している言葉だ。女性、あるいは年下、というだけで講釈を偉そうに垂れるととても恥ずかしいことになるので(経験済み)、やめた方が互いに過ごしやすい世の中になるだろう。油断するとやってまうんすけどね。

           今回の場合は、相手の出方を注意深く見ていたので該当しないつもりだけど何事もほどほどにと自戒しつつ、お茶を濁しとくのが大人、とは必ずしもいえない世相になっているのは確かじゃないかしら。


          手習いの講釈

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             アコースティックギターの練習が三日坊主に終わらず続いている。毎日最低1曲は練習している。自分でも驚きだ。この調子で筋トレも頑張りたいが、こちらは一日坊主だ。

             

             物事は、詳しくないときの方が堂々と語れる傾向がある。詳しくなると、その物事の複雑性や多面性を知ってしまうので、むしろ口籠りやすくなる。差別を口にする人ほど大抵その対象者と接したことがほとんどないという構図もこれに当てはまりそう。趣味の話を語っている程度のことなら、金が絡まない限り当人が恥をかくくらいで済むから罪もないだろう(金が絡むと幻冬舎のような罪深い事態になる)。なので少し上達した程度で、うれし気にギターのことを書こうと思う。まあ、このブログ全体が半可通の饒舌に満ちているのだが。

             

             人様の曲のコード進行をなぞっているだけなので、「単音の印象的な旋律」等はまったく練習していない。それでも思った以上に楽しいものだ。ただし曲による。速いテンポで激しくコードチェンジする曲は、楽しくないというよりは物理的に全くついていけない。

             じゃあテンポがゆっくり目ならいいかというとそういうわけでもない。よくわからんコードが頻発するとこれもまた物理的についていけない。「Fの壁」なんていうが、F以外にも抑えにくいのはいくらでもあって、むしろFはまだマシな方だと知った。
             一番の問題は、いい曲だなあと思うものでも、弾くと大して楽しくないのもある点だ。コード進行がやたらと単調だったり、編曲その他の事情でちっとも曲の雰囲気を味わえなかったりだと、なぞっていても消化不良だ。例えば、ローリングストーンズの名曲「Tumbling Dice」はまごうことなき3コードだけで出来ている曲だが(シンプルなロックの曲を表す慣用句だが、実際に3つのコードだけで出来ている曲はそんなにない)、あのかっちょいい雰囲気はコードをなぞっていてもちっとも実感できない。まあこの辺は、バンドをやり始めた初期、コピーして楽しい曲、そうでない曲というのと出くわした経験上、なんとなく見当はつく。ストーンズはその代表格。


             といいつつストーンズの曲。コード進行が単純な上、A、D、Eと押さえやすいコードがメインなので初心者にはもってこいだ。そしてリフレインの部分が、このちょっと変則的なリズムでコードを刻むだけでよいので、曲の雰囲気を実感しやすい。

             

             これもADが基本のメロディアスなバラード。アコギの単純なストロークで弾いているので曲の雰囲気も得やすいが、終盤で半音上がるので、一転B、Gm、F#と、ADよりは抑えにくいコードがメインになる。ここがテンパらずに弾けるようになってくると、レベルアップした実感が。

             

             再びストーンズ。これも単純なストロークで弾いているので曲の感じを得やすい。ADよりは押さえにくいCFGがメイン。やはりCとGをさらっと押さえられるようになると第1段階クリアの感がしてくる。終盤の印象的なスライドギターはとりあえず聞かなかったことに。

             


             バンド名はダサいがいい曲を何曲か残しているシンデレラ。代表曲の1つで、ブルージーな雰囲気が漂うわりには、メジャーコードだらけで単純。CDGの、我らがバンドでもさんざん使ってるパターンじゃん。ストロークの刻み方が変わるので飽きない曲だ。

             

             8ビートばっかりだと単調なので、ほかのリズムパターンにも手を出してみるとしよう。

             

             弾き語りっぽい雰囲気のロックとしては定番なのがオアシスか。代表曲のこちらは16ビートなのでストロークが上にあげたのよりは(一部16もあったけど)手数が多くなる。サビの後のジャ、ジャ、ジャ、ジャーンをうまくなぞれるとレベルアップ感を得られる。

             

             こちらはエアロさんの得意ないかにも16っぽいバラード。サビの部分で急にD#とかの知らない&押さえにくいコードが連続して出てきてうわー混乱するが、ちょっとずつ知らないコードが登場してくれるのは、あきらめずに練習しようという気になる。エアロさんと大雑把同類のガンズアンドローゼズなんかはフラットのコードが連続するので覚えられるか!とすぐ投げたくなる(ギターの調律を半音下げに設定すれば解決するのだが)。

             

             同じくエアロさんのこちらは3/4拍子。はねたリズムのイントロからして、なぞるのが楽しい。
             

             こちらは6/8拍子。リズムをつかむのが難しいのがこれまた楽しい曲であります。己のリズム感のなさにウンザリしてきたら、またらくちんな8ビートに戻すとしよう。ま、こんなところで。



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