【やっつけ映画評】バトル・オブ・ザ・セクシーズ

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     中学のころ、体育は男女別だった。別といってもグラウンドや体育館のあっちとこっちに分かれているだけだが、とにかく別々だった。この体育の授業が、教育と苦行を混同している内容で、とにかく走る走る。ただそれだけ。指導といえば、実技をわかりやすく教えることではなく、罵倒と懲罰を指していた。


     俺は短距離走は比較的速い方だったが、中距離以上となるとどうしてみんなそんなハイペースに走れるのか不思議で仕方がないくらい置いて行かれた。心臓に障害でもあるのだろうかと思ったくらい短距離との落差が激しく、肥満体の男子とえっちらおっちら周回することになる。結果、なまじ短距離が速いものだから、教師にはサボっているか、反抗しているかと誤解されてしまう。


     それであるとき「お前はもう女子と走れ」と命じられた。同じグラウンドで女子も1500m走をしていて、そちらに加えられる。お前なんか女の腐ったやつだ、といったセクシズム丸出しの懲罰だったのか、それとも体力差を考慮した教育的配慮だったのかは知らない。とにかくそれで女子とともにスタートし、予想通り早速4、5人に追い抜かれた。そのうち1人がお尻の丸っこい女子で、中学生で既にエロいことを考えていた年齢だったので、この魅惑の尻についていこうと必死だったがやっぱり引き離された。まあそれでも全体の中では上位の方には入っていたが、あの遠ざかる尻のせいで、男子どころか女子にも勝てんという事実が見事に刻まれ、その点では妙に教育的内容だったような気もする。

     

     劇場に見に行き損ねた作品がレンタルされていたので見た。タイトル通り、男女の性別間の戦いを描いている。テニス界の女王と、かつての男子チャンピオン(20歳以上年上のおっさん)の戦いである。

     

     予告編で見たことも相まって、そういう内容の映画だろうと予断をもって臨んだら、早速雰囲気がおかしい。女性の権利をはっきり主張する主人公ビリー・ジーンに対し「尊敬します」と言いながら髪をセットする女性美容師。ただでさえ蠱惑的な雰囲気をまとっているのが、あからさまに秋波をウェーブさせてきて、主人公も思い切り反応している。あれれ?と思っているうちに、いかにも過ちが起きそうな思わせぶりな展開になり、予想通りといおうか期待通りといおうかやっぱりベッドイン! 男性の女性蔑視だけがテーマではなく、同性愛もテーマだったとは。テニスファンなら周知の事実だろうけど、よく知らなかったので驚いた。


     それにしても、周りの勘がよすぎやせんか。ホテルの同じ部屋から同性の二人組が出てきても、通常特段不思議とも思わない気がするのだけど、すぐに周囲は感づく。元々この人が、レズビアンぽい雰囲気だったということだろうか。
     同性愛浮気をされた伴侶が見せる反応は「ボヘミアン・ラプソディー」のメアリー(フレディの恋人)と同じようなものだった。他人事なので、美女同士のベッドシーンは、あちゃーエロい!とアホ丸出しで堪能したが、さてこれが当事者だったらと考えるとどうなんだろう。持って行き場がないといおうか、自分に足らないものを見せつけられたような気になるというか。想像がつきにくい点も多々だが、それだけに見ていて実にやるせない気分になった。

     メアリー同様、この夫ラリーも極めてイイやつで、だからこそ余計に見ていて辛い。ラリーはラリーで、バトルオブセクシーズというか悩みオブセクシーズというか。救いは、フレディの相手が、独占欲と依存心の強い「そいつに行ったらアカンで」タイプだったのに対し、ビリー・ジーンの相手は結構まともな女性だった点。

     

     さて本作は、差別問題やセクハラの教材としてもよくできている。昨今、様々な職場で業者の作ったセクハラ防止のためのビデオ教材鑑賞だとかセミナーだとかが行われていると思うが、この映画を見てレポート書かせるのが効果的なんじゃないかろうか。商売柄俺もその手のビデオを見たことがあるが、通り一辺倒の内容で、ぬるい仕事しやがってと画面に向かって毒づいた記憶がある。

     

     ビリー・ジーンは相当に頭の良い人なのだろう。どこに問題点があるのかをしっかり見定めていて主張は一貫して合理的である。これに対して、彼女に批判されたり彼女に食って掛かる側は何が問題なのかが今一つわかっていない。毎度おなじみの差別の構図である。
     例えば冒頭、大会の賞金について、女子が男子よりゼロが1個少ないほど差があることを不当だと協会幹部に訴えるシーン。女子の試合もチケット売上は男子と差がないのだから、この格差はおかしいと、抗議の論旨は実に明快である。

     これに対して協会幹部のおっさんたちは、男子の方が試合がパワフルで面白いだとか、男子は家族を養わないといけないとか、それっぽい理屈を持ち出し来るも異議への反論にはなっていない。ビリー・ジーンはすかさず「論点が違う」とピシャリ言い放つが、幹部はただただ半笑い。

     

     おそらく、主張が理解できないというよりは、そもそも聞いていないのだろう。聞く耳というのは相手に最低限の敬意を払って生まれるものだから、この態度自体が差別そのものでもある。「今日も綺麗だねえ」などと言う幹部に、彼女が「やめて」と釘を指すのも、この文脈でとらえれば、何が問題なのかよりわかりやすいのではないだろうか。

     

     あるいは、ビリー・ジーンに喧嘩腰の男性記者(?)が「そんなに男をやりこめたいのか」などと食って掛かるシーン。ここでも彼女は「同等の敬意が欲しいだけ」と端的に「論点」を示す。2人分の座席を1人占めしている男に、1人分空けてくれと要求しているだけなのに、「俺の席を奪うのか」と怒り出すのと同じ。なぜか我は被害者設定になる。これもまた毎度お馴染みの構図だ。


     ところで性差の問題とは離れるが、これらビリー・ジーンの振舞いの中で「なるほど」と最も教材めいていたのは、解説者の人選のくだりだ。
     


    映画の感想:舟を編む

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       テレビでやっていたのを見たので感想を。
       出版社の辞書制作の話だ。最初に思ったのは、学園モノみたいだなという違和感である。高校が舞台だと、秀才とドヤンキーがクラスメイト同士といった設定がしばしばあるが、高校の場合は偏差値で輪切りされるので、一時期の兵庫県のような制度でもやっていない限りは現実にはなかなかお目にかかれない。

       本作の主人公・馬締は、口下手なせいで営業部のお荷物状態だったのが、大学院で言語学を修めたという経歴を買われて辞書編集部にスカウトされる。だけど、こんな人、最初からそこに配属されるんでは? 一方で辞書部門の先輩社員・西岡は、こんなやつ出版社の入社試験に受からんやろというくらいものを知らない。人当たりと要領はよさそうなので、彼こそ営業向けだろう。

       

       適材適所をハズすというのは会社ではよくあることだから、秀才とヤンキーの同居よりはあり得る。ついでに、専門的な題材を扱うときにバカを一人登場させておくと、このキャラクターに「どういうこと?」と質問させることによって説明台詞を自然に挿入できる利便性がある。フィクションの定石ではある(のだが、個人的にはウンザリな手法)。まあ辞書作りの途方もない作業のため、時間がどんどん流れてこの違和感自体もすぐに消し飛んでしまうところは、作業の膨大さを間接的に示しているとはいえる。


       松田龍平に小林薫にと魅力的な役者がそろっていて、中でも晩年の加藤剛が「死期が近づいている」という設定で泣かせる。古臭い編集部の佇まいがインスタ映えなのもあり、それなり楽しめる仕上がりにはなっていると思う。ただ、肝心の題材が全く活かせていない点、かなり拍子抜けした。

       

       以前に、辞書作りを志望する学生のインターンシップを題材にしたドキュメンタリーを見たことがある。彼女も院卒だったっけか。かなり優秀な学生で、言葉や文章に対する思い入れも溢れ返っているような人だった。なので試しに語釈を書いてごらんとやらせてみると、素人目にはそれっぽい形で仕上げることができる。だけど担当社員からすると脇がガバ甘な記述で、この説明だとこれが駄目、これが抜けているなどと的確過ぎる指摘が飛んでくる。記憶も朧気だが、確かそんな内容だった。小銭稼ぎの原稿書きとは次元の違う厳密性と、インターネットの普及で存在意義がぐらぐらにぐらついている中での葛藤と模索がひしひしと伝わってきて刺激的な内容だった。

       

       というのを見ているので、余計に残念な内容に感じた。辞書作りは、ただただ背景としてしか登場しない。せいぜい既に述べたように、作業の性質上、主人公たちの半生のような長い時間をまたぐ物語になっている点が「辞書ならでは」としてあるだけか。

       

       たとえば、馬締が恋をすることで、監修者の「松本先生」が恋の語釈を書けと命じてくるくだり。恋の行く末に応じて語釈が仕上がる流れなのだが、この記述が馬締の恋物語とあまり関係があるとも思えず、肩透かしをくらう。ついでに「読めないラブレター」を書くくだりも、辞書の話なんだから「達筆過ぎて読めない」じゃなくて「言葉が難しくて読めない」であるべきなんでないのかな。それをヒロインかぐやが必死に辞書を引いて理解するでもいいし、オタクの馬締が「言葉を知ってるって、そういうことじゃないよね」と気づくでもいいし、人と思いを寄せあうっていうことと言葉の関係を何やかし示す必要があるでしょう、この設定なら。


       終始この調子なので、馬締がチャラ男の西岡に「言葉のなんたるかを教わりました」などと頭を下げるシーンも、え?そんなやりとりあったっけ?となってしまうし、「新語や誤用もどんどん載せるぞ」という新辞書の編集方針も忘れたころに台詞にチラっと出てくるだけだし、話運び全体も雑だった。

       見終わった後で、久々に辞書を引いてみようかしらと思わせられると映画としては成功なんだろうけど、違い意味で引きたくなってしまった。辞書ってもうちょっと面白いものだよね、という確認で。


       ま、面白い話の運び方なんてのは、辞書引いても載ってないけどね、と書いておけばとりあえずのまとまりがつきそうなものだが、案外そうでもない。例えば「文学」なんてのを引いてみると、結構勉強になる。「新明解国語辞典」限定かもしらんけど。手元にある人は是非。

       

      2013年日本
      監督:石井裕也
      出演:松田龍平、宮崎あおい、オダギリジョー


      楽しき玩具

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         ギターの練習をしているうちに、こんなメカに手を出してしまった。ギターアンプとエフェクターがセットになったアプリで、右に写っている銀色のアイコスみたいなメカを通してエレキギターと端末を接続する。

         アイコスどころか、かるーい、しぼーい外観・手触りにつき、実際手に取って「14000円です」って言われたらまず買わん気がする。店頭に売ってなかったのでネット経由で購入したから、そういうためらいとは無縁だった。

         ネット通販は実物が見れないからというデメリットが、メリットとして働くことがあるとは。ついでに正札よりかはだいぶ安く買えた。

         

         口コミにボロクソ書いている人もいたが、思ったよりかは全然楽しめる。最もポピュラーなエフェクターであるディストーションが別売なのはセコ過ぎだろとは思ったが、オーバードライブとコーラスは標準装備だからまあよい。ある程度、それっぽい音が出る。


         エレキギターとアコギでは、弾いていて楽しい曲が別なんだなと知った。8ビートのオーソドックスなロックはアコギで弾いてもあんまりおもしろくないが、エレキだと楽しいものだ。個人的には、エレキのミュートで刻む音が好きで、ああいうのはエレキならでは。あとエフェクターのせいで、意図せず格好いい具合に残響してて巧くなったような錯覚も味わえる。ギターの練習はアコギからやれというのは非常に正しいと思う次第。

         

         ただし相変わらず和音を弾いているだけである。アコギの場合はそれでもあまり不満がないけど、エレキでコピーしてると「コードなぞってるだけやん」とにわかに惨めになってくる。音源の音と似通ってくる分、差異が目に付きやすくなるせいだ。


         このアプリ、ベースアンプもついている。試しに使ってみたら、あれ?結構楽しい。ベースは自分のバンドの曲しかほとんど弾いたことがなかったから、人様の曲をなぞるのが妙に新鮮なのだ。


         こうして遊びの幅が3倍に広がってしまい、キリギリス化がますます進むことになる。受験生だったらセンター試験で完全にしくじってるな。おや、よく見たら机の上に在宅仕事の山が出来ているぞ・・・。


        【やっつけ映画評】クリード 炎の宿敵

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           「3」「4」と下降線を続けたロッキーシリーズの中で、「4」のドラゴは知名度と説得力(やたら強そうな雰囲気)だけは妙に高い悪役だったと思う。それだけといえばそれだけの作品にも思うが、ひとつ秀でているところがあればそれはいい映画だ。

           

           本作は「クリード」の第2作であり、ドラゴのその後でもある。無論、ロッキーシリーズの8作目でもある。ドラゴの説得力に比べると、ドラゴ息子は「クリード」前作の相手と見かけの印象がカブっている気もしてややインパクトに欠ける。冷酷無比な殺人マシーンその2を期待したいところだが、ドラゴが国家の全面バックアップで生み出されたのに対して、息子は貧しい環境で怨念だけでのし上がってきたような設定なので、どうしても泥臭い雰囲気にはなる。ソ連は崩壊したのだなあと改めて。

           

           このドラゴ親子を見て、「釣りキチ三平」の20何巻あたりにでてくる、有明海のムツカケ親子を思い出した。地元のムツカケ名人である小次郎に対して、無闇やたらと憎悪をたぎらせるヤバいおっさんと、そのスパルタ教育を受けたかなり人相の悪い息子が三平に挑んでくる。対する三平は父親がいないので、この父子鷹に嫉妬して暗黒面に堕ちてしまうからこちらもこちらで大変だ。いつもの天真爛漫さが消え「父ちゃんのおっぱいでもすってろ!」などと汚い言葉を吐く。ちょうどドラゴ息子に「このファザコン野郎!」と食って掛かるクリードと重なる。そしてヤバいムツカケ親子同様、無闇な憎悪にまみれているドラゴはもちろんのこと、父に盲従する息子も余計に心配になる。

           

           ロッキー×ドラゴの戦いは、精神×科学の戦いでもあった。雪原で遭難しかけたり、火あぶりになったり、大木を斧で切り倒したり、あんまりボクシングには意味がなさそうな精神論根性論的トレーニングを積んで鍛えるロッキーに対して、全面バックアップ付のドラゴは体に色々センサーを付けて、様々なトレーニングマシーンを駆使したり、何かのお薬を注射したりしている。スポーツの鍛錬における根性論信仰は日本に限った話ではない事実を目の当たりにする。試合はロッキーがわけのわからん底力を見せ、それにドラゴが混乱するというご都合主義展開を見せるから、結局根性論は作り話の中でしか力を持ちえないということを示しているともいえる。


           今作では、ドラゴ親子は金がないのでひたすら泥臭く練習するだけである。これに対してロッキーがクリードに授ける鍛錬は、またしても根性論だ。今度は雪原ではなく、灼熱のステップ地帯で熱中症になりながらのロードワークをしたり、(大木が生えていないからか)地面をわけもなく掘ったり、科学的に間違っているか、常識的に意味がなさそうな方法で鍛え上げていく。「接近戦の練習」のように、実際の試合と関連している練習も描かれてはいるが、全体的には何をしているのかよくわからない。

           それでもクリードの肉体が素晴らしいので、なんとなくそんなものかと見てしまう辺り、今作はドラゴ息子ではなく、クリードにビジュアル的説得力が担わされている。科学的トレーニングが一般化した現代においてはスポ根の生き残る道はないように見えて、現実世界ではやっていないだけにかえってフィクション的な演出としては有効ということを示しているようにも思う。ひっかかるけど。


           ボクシング部分はこのように、往年のロッキー節をなぞっているのであるが、今作はよくできた家族モノの側面を持っている。子供を授かるクリード夫妻の新米父母の話、ビアンカとクリード母の嫁姑関係、息子との関係改善を望みつつ放棄しつつもあるロッキー、などなど、家族関係の描写が多い。不幸なドラゴ親子と対比させる格好で登場するだけに、全体的には幸せに見えるのであるが、それぞれに色々不安が付きまとっている点では、どちらがいいとは一概に割り切れない。なかなか丁寧な描き方をしていると思う。

           このうち、赤ん坊がジムで果たす役割は、灼熱の乾燥帯で穴掘りをするよりもよほどボクシングの課題解決に説得力のある要素となっている。また、復讐心に憑りつかれるクリードに、母親が「お父さんを利用するな」と厳しく説教するシーンもよい。子が父を乗り越えるという普遍的なテーマの部分は、文学的な仕上がり具合だ。

           

           対して父にしごかれまくっているドラゴ息子は、こちらは母への怨念に憑りつかれている。会話の中だけでの登場かと思いきや、実際登場したからちょっと感動した。「ロッキー4」では、美人だけどいかにも冷血っぽい雰囲気でかなりの印象を残した女優であるが、時が流れ、貫禄のありすぎる佇まいに寒気すらした。

           この元妻に対してドラゴが見せる表情が実にやるせなく、自分の年齢・立場が息子よりもドラゴ寄りになっているせいもあり、見ていて大変に切なかった。ドルフ・ラングレンて演技巧いんだなあ。筋肉俳優で売り出したのがもったいないくらいだが、筋肉俳優としては結局パッとしなかった悲哀がこの演技力を生んでいるのかもと考えると、塞翁が馬。こちらもこちらで、ただの悪役ではない点、よくできていると思う。

           

           さて、前作で、なぜクリードはミュージシャンである恋人の曲で入場しないのだろう?と疑問を書いたが、今作は、この疑問に気づいたのか、ビアンカの曲でクリードが入場してくる。このシーンが、なんだかシュールで、格好いい演出のはずなのだが笑ってしまった。という蛇足で終わる。


          「CREED II」2018年アメリカ
          監督:スディーブン・ケープルJr.
          出演:マイケル・B・ジョーダン、テッサ・トンプソン、シルベスター・スタローン


          新春読Show

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             正月のお供は、この前も軽く触れたこちら。
             書店で見かけて何だか面白そうと思いつつ、鈍器のような厚さにちょっとおののいた。どうして手に取り、知ってしまったのだろうと後悔も覚えつつ、気になってしまった以上読むしかない。まあ、この前読んだ「アメリカ語ものがたり」上下巻と似たような分量であり、一冊にまとまっている分、圧迫感があるだけともいえるが、テーマがニュルンベルク裁判だから、内容の重みで体感ページ数も増すのである。


             といいつつ「ニュルンベルク裁判に関係した内容」という以上のことを何も知らずに読み始めた。ノンフィクションなのか、歴史書なのか、それとも小説なのかも把握しないまま。書店の配架場所からいって小説の可能性はなさそうなのだが、帯に森達也が「展開はまるでサスペンス」と書いているから若干混乱する。「これは映画や小説ではない」とあるから混乱するこちらがアホなのだが、でもニュルンベルク裁判で「サスペンス」と言われると、「手紙は憶えている」のような潜伏ナチ探しのような話かと想像してしまう。で、全然違うと。


             副題にあるように、「ジェノサイド」と「人道に対する罪」の概念の歴史が本書の大筋だ。ジェノサイドは、歴史の出来事や国際ニュースを評論する言説、あるいは映画やマンガの台詞の中でたまに見かける言葉であり、大抵は「大量虐殺」くらいの意味で使われている。
             これはニュルンベルク裁判の前に一人の法曹人によって考え出された造語で、正確には「大量虐殺」という意味ではない。ということを本書を読んで知った。厳密には誤用とはいえ、マンガや映画の台詞でも見かけるくらいには世間に浸透した言葉、それも法律用語を生み出したのは、それだけでも大したことだ。他の候補には「エクスターミネーション」があったそうだけど、これだとそんなに知られなかっただろう。

             

             人道に対する罪は、日本の場合、東京裁判のC級戦犯に該当する。C級という響きからなんとなくショボめのイメージがつきまとうが、A級、B級、C級という分類は別に罪の重大性の分類ではない。これは「級」という漢字のせいで、こちらはジェノサイドと違いネーミングをややしくじった例(A類、B類とでもした方がよかったんじゃないかと、これは別の本で読んだ指摘だ)。ジェノサイド同様、人道に対する罪も、ナチスの民族浄化的発想に基づく犯罪行為を裁くための概念として考え出されたので、東京裁判ではそんなに当てはまらず、結果、日本では馴染みが薄い。

             

             これらの概念を生み出したラファエル・レムキンとハーシュ・ラウダーパクトという2人の伝記が本書の主軸なのだが、これだけだとただの中公新書か講談社現代新書になりそうなところ、第一の主人公として著者の祖父が登場するのが本書のポイントだ。レオン・ブフホルツというこの祖父を一応の主人公としていることにより、本書はまことに不思議な本となっている。いうなれば、歴史書とドキュメンタリーと小説がごっちゃになったような印象を受ける点、「HHhH」を思い出し、あの本同様、後半に入ってからは一気読みだった。

             

             

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