年の瀬の買い物

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     正月の土産に、たまにはブランデーでも買ってみようと物色し、名前で選んだ。
     ウイスキーがすっかり定着する一方で、ブランデーは棚の面積を奪われ脇に追いやられている。俺自身もあまり味のイメージを持っていない。給与をもらうようになった20代のころ、すでにシングルモルトウイスキーのブームだった。入社半年研修というので、各地方に散らばっていた同期が久々に本社に集合すると、一部の酒飲みは「ボウモア」「ラフロイグ」等々覚えたての銘柄を必死に口にしていた(俺含む)ものだったが、「カミュのXOが」とイキっている同期はいなかった。

     

     一方で当時のおじさん文化の中ではブランデーはまだ根強かったと思う。付き合いでクラブのようなところに連れて行かれると、ヘネシーのVSOPが出てきて、シャンプー容器のような構造の水差しをホステスがプッシュして、強制的にというか自動的にというか、とにかく必ず水割りにして出てくる、というのが毎度のことだった。水割りは味がよくわからない上に酔いは回るから、楽しい思い出はちっともない。

     

     そういう事情で完全に視野から外れていたブランデーだが、急に買ってみようと思ったのは、ブランデー好きおじさんになったという加齢のせいか、それともひねくれているから流行らないものに興味が湧いたか。ま、両方だろう。

     

     知識がないので名前で選んだ。世界史履修者なら必ず教科書で名前は目にしているはずの有名人である。歴史好きとしては見過ごせない。購入理由はそれだけである。
     スペイン国王カルロス1世にして、神聖ローマ皇帝カール5世。神聖ローマ帝国は、現在のドイツ、オーストリア、チェコあたりに領土を構えていたから、スペインから1000キロ以上離れた国のボスを兼任していたことになる。ついでに生まれは確か現在のベルギー辺りで、好んで使っていたのはフランス語。初めて習った高校生のころ、さっぱりわけがわからなかった。今もよくわからない。主権国家という概念がなく、ヨーロッパの王族がことごとく親戚同士だったから、現代人からすると珍妙に見える現象が起こるのであるが、とにかく彼の出自であるハプスブルク家が勢い余っていた時代といえる。

     

     今年は宗教改革500周年に当たり、一部で盛り上がりをみせていたが、その中心人物であるルターと対立した皇帝としても知られる。お前の説はけしからんと議会に呼びつけつつ、ドイツ語がよくわからないのでルターが何を喋っているのかもちんぷんかんぷんで寝ていたらしい。俺様態度にもほどがあるが皇帝なので仕方がない。

     

     命名の由来は、醸造元のホームページを見ると、この世界皇帝的なところにあやかってのことらしいが、その割には値段は大したことがない(XOだと高いのだろうけど)。同じく国王名を冠したレミーマルタン・ルイ13世なんて、冗談みたいな値段がついている。これがスペインと、おフランスの違いだろうかとくだらないことを考えてしまう差だ。

     

     だが日本には清洲城信長鬼ころしがあるから、為政者の人気と酒の値段は反比例するのかもしれない。あと「下町のナポレオン」で有名な酒もあるが、ナポレオンは下町の生まれだ。「カルロス1世」の「ナポレオン」だったら、わけがわからなくなって面白かったが、ホームページを見ると、この普通のクラスとXOしかないもよう。コニャックじゃないからか。ちなみにカルロス1世の息子フェリペ2世は「太陽の沈まない国」「無敵艦隊」で知られ、ルイ13世の息子が、かのルイ14世。2人とも息子の方が派手な印象がある。

     

     肝心の味はまあ、ブランデーの味ですわ。ふわーっとカールい薫りが漂って、この軽さを味わうと、瓶を空にした後に、軽ロスになりそうな気がする。苦しい。酒の話なのに後味が悪い。


    写真がないのでわかりにくい話

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      うっかり寝過ごし甲子園。 講師遅延はどうにか回避。ツタれ気味なるお知る。

       

       冬本番で1年ぶりにコートを引っ張り出してみると、ずいぶんと色落ちしているのに気づいてしまった。元々は黒色だが、端という端が擦り切れて白っぽくなっている。これはまあ昨年ぐらいから自覚していたのだが、今年改めて見てみると、面の部分も、色落ちで赤っぽくなってしまっている箇所が目立ち、どうにも貧相である。さすがに大人としてはいただけない。買い替えの時期がとっくに来ている事実に直面してしまった。


       しかしバーゲンにならないと買う気がしない貧乏性が邪魔をする。というか、どうせ買うなら少々値の張るものを割引で買いたいではないか。特にコートのような大物は尚更。それで応急処置として、色落ちを染め直す方法を検索した。

       

       すると、世の中には素人向けの服飾用染料が売っていると知った。ただし、俺が来ているコートはポリエステル製で、この手の染料では染まらないという。いかんじゃないかとあれこれ検索していたら、「染めQ」を使えばいいとあった。スプレー塗料で「革・プラスチック・金属・木材・布のカラーチェンジに」という謳い文句の商品。これをささっとスプレーすると上手い具合に染まると、ネットには書いてある。

       

       早速ホームセンターで調達して試してみると、綺麗に染まった。黒だからというのもあろうが、どこが塗布した箇所かの境目もわからない。こりゃもう新調せずに済むわいと思ったが、たまたま通りかかった服屋のウインドー越しに見てしまった。このコート、いい感じじゃねーか・・・。

       高そうな店構えに警戒しながら、店内に入り値札を見ると意外に常識的価格。店員に進められるまま羽織ってみると、あらしっくり。とはいえ即決できるほど安いわけでもないので、年明けまで待とうと庶民感情が起動し、俺はもう一つの気になった商品を入手することにした。

       

       すでに触れた、染め直しの染料である。体験記のブログ等々を読むにつけ、どうにも試したくなってしまった。ホームセンターに行ったが、黒だけ品切れ。あれこれ巡ってユザワヤで入手した。年末の繁忙期にアマゾンは気が引けるという余計な遠慮のせいである。しかしホームセンター行ったりユザワヤ行ったり、模範的な演劇人のようではないか。


       ネットで知って買おうとしたのはこちら。英国製という惹句がそそる。さすが産業革命綿工業の国である。給湯機で賄えるぬるま湯で可、という手軽さが売りのようだ。ただし塩を大量に投入しないといけない。この会社には、高温で染めるタイプもあるが、こちらはお湯の手配が面倒な一方、塩は少しでよい。どういう理屈なのだろうか、化学の話、という以上のことはさっぱりわからない。値段は高温用の方がやや安い。
       そしてホームセンターでは見なかったが、ユザワヤには日本製の似たような商品も売っていた。百年企業の商品というのが、こちらもそそる。英国製より色の種類が多いのもよい。こちらも高温用とぬるま湯用の2種類がある。とりあえず英国製にはない色を買うことにした。高温の方が濃く染まると書いてあるので、面倒くさいが高温用を選んだ。

       

       作業としては、でかいバケツでジャバジャバとやらねばならないため、帰省して実家でやることにした。服をたくさん持って帰ったので荷物が多い。
       具体的な作業は、販売元のブログに詳しいのでそちらに譲るとして、俺が今回染めたのはまず、コートと同じく黒の染め直しである。綿の黒服は、洗濯を繰り返すと、そのうち緑っぽくなったり赤っぽくなったり、とにかく貧相な見栄えになる。いわゆる「ようかん色」というやつだ。これが漆黒に戻ればめでたい。

       

       大量のお湯に、大量の塩をまぜて、染料と衣料を投入したあと、ムラを防ぐためにたくさんかき混ぜる。実に大袈裟な作業で、父親はそばから「買った方が安いんでねえけ」と誰もが真っ先に想像することを言ってくる。染料は650円で、塩も業務スーパーのザ塩化ナトリウムみたいな冗談みたいな安さのを使っているとはいえ、労力もあわせると安物のシャツなら買った方が賢明だ。だけど、服屋で「同じようなやつ」を探すと大抵見つからないし、何より楽しい作業じゃないか。

       

       黒シャツ、黒パーカーは結構もとに戻った。着なくなったストライプのシャツを真っ黒にしてやろうと思ったが、柄が消えるほどには染まらないようで、黒ずんだストライプのシャツになった。これはこれでまあアリかという仕上がり。
       日本製の染料は、オレンジのシャツを再びオレンジで染め直した。20代のころ、若気の至りで買った1万円くらいのシャツであるが、こちらも鮮やかなオレンジに復活した(元はたしか若干光沢があったが、当たり前の話、さすがにそれは戻らない)。しかし、このシャツいつ着るんだ。スーツに濃い色のシャツを合わせても、残念ながら松田優作にはならず、漫才師の衣装みたいにしかならん。


       やってわかったのは、大きな衣類ほど非常に面倒くさいということで、Tシャツやシャツは気軽だけど、ジャケットやコートを染めるのはあまりやる気がしない。やる前は、「捨てたあのジャケットも染めればまだ全然着れたなあ」と後悔していたが、捨てていなくても染めていない気がする。一方で、Tシャツやシャツは非常に楽しい。今回は、色落ちを同系色に戻した作業ばかりだったが、次は黄ばんだ白シャツなんかを別の色にしてみたいところ(もちろんヨレヨレになってるのは駄目だけど)。Tシャツを1枚だけ同系色に染め直したが、プリント部分は全く影響がなかった。


      忘年会なのに過去を思い出すなど

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         毎年恒例の劇場忘年会。俺にとっては年に1日演劇人ヅラする日である、というのは半ば強がりで、忘年会なるものがとんと無縁になってしまっているので、要するに寂しさを紛らわせるための出席である。舞台をやっているときは、こういう寄合に顔を出すのが煩わしくて仕方なかったが、やっていないと第三者的で色々と楽ということもある。


         年齢だけでいうと重鎮みたいになってしまっているので、そうならないようによく知らない若者たちには意識的に敬語で話す。ある程度の顔馴染みには、翌日後悔しないように、発言をなるたけ抑制する。それで終電で帰ったから楽しんだのだろう。ずいぶんと大人になったものだ。

         

         大雑把に同世代の人の中には、現在も地道に続けている人々がたくさんいる(俺も再びやる気だけはある)。俺がよく知らない若人とも当然知り合いで、「おう」なんて気さくに話かけながら盛り上がっている。自分が彼ら若人の年齢だったころ、今の自分に相当する年齢の人々とはほとんどしゃべったことがない。俺自身が年かさの演劇人と接するのをわずらわしく感じて避けていたという個人的事情が大だが、彼らも同世代だけで話している傾向が強かったようにも思う。

         

         だからこちらも余計に避ける、という悪循環が嫌で、加齢とともに、自分は気さくな年長者でいようと思ったものであるが、その態度自体が若人には面倒くさいということに気づくまでに時間がかかってしまった。なので若人と気軽に話す彼らに勝手に冷や冷やしてしまった。中には「気心知れた」の悪乗りで、若い女性演劇人に下ネタを言っているのもいて、「おい、やめろ」と必死に火消に走るお節介をしてしまった。やめろと言った相手は、下卑た冗談を言う彼ではなく、過去の自分に対してだったと思う。慙愧。
         


        映画の感想:政治の映画2本

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           政治家、それも国家元首が主人公の作品を2つ見た。
           「マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙」。ダサい邦題だ。原題は「Margaret Thatcher」かと予想したが、「The Iron Lady」だった。「涙」をつけるところが邦題っぽいが、実際、「鉄の女」と「涙」が出てきたから内容通りの語彙選択だ。

           

           「鉄の女」は、主張を曲げない女性政治家に対してしばしば用いられる枕詞で、サッチャー以外にもそう呼ばれた政治家は、ウィキペディアが紹介するだけで十数人。でも政治家ってそういう仕事じゃないかしら。元首になる人ならなおさらのこと。要するに女だから、女は弱いという固定観念があるからこそ使われるのだろう。「鉄の男」はあまり聞かない。「鉄男」という映画が昔あったが、これは文字通り鉄になる男の話だった。「鉄人」は、頑健なスポーツ選手もしくは調理技術が長けてるっぽい人を指すから意味が異なる。
           「鉄の女」は過去の話ではなく、ドイツの現職首相にも用いられているのを見たことがある。「女帝」という陳腐にもほどがある表現も目にした。上沼恵美子じゃあるまいし。このような言語感覚が現在も流通しているのはいかがなものか。メルケルに何か枕をつけたいなら「ビール党」ではないのかと思うが、政治家に政党以外で「党」を使うとややこしい。

           

           タイトルだけを云々していると駄目な文芸選考委員のようであるが、このタイトルが割と中身を表しているように思う。
           「鉄の女の涙」から想像するのは、ときに冷血とも見える思い切った判断を下す豪腕の政治家でも、個人としては悲しみや孤独を抱えている――というような類型的な伝記ものである。テレビ局がやっつけで作るような、批評性皆無の顕彰まがいのあの手のような内容だ。本作は、引退後のサッチャーが、先立たれた夫の幻影と会話しながら過去を回想するという凝った構成ながら、全体的には表層的に来歴をなぞったようにしか見えなかった。政策判断の裏面や秘史が出てくるわけでもなく、当人の内面をえぐるわけでもなく、家族モノとして掘り下げるわけでもなく、回想スタイルを採用したのも、手際よくダイジェストでたどるための方便にしか見えなかった。どういう意図なのだろう。テンポがいいのと、無自覚な顕彰に陥らないように注意している点はうかがえるから、その辺は好感がもてる。

           

           作中ちょっとだけ登場する炭鉱労働者のストライキは、「パレードにようこそ」で描かれている舞台そのものだ。同性愛者の地位向上を訴える活動家が、サッチャーの炭鉱閉鎖に対抗する労働者と連帯しようと奮闘する非常に面白い映画だった。暴力として働く善意(道徳)と、手を差し伸べ、その手を握る理想形の善意が交差する感動的な作品だ。これを見ると「鉱」を虐げて何が鉄の女だとすっかり彼女が嫌いになってしまう。本作に期待したかったのは「さりとて首相にも一理ある」という反対側の視点だったのだが、「新自由主義」で済むような見出しレベルの描き方にとどまっていた。一つだけわかったのは、食料品店の娘から政治家にまでなった当人の負けん気と努力が小さな政府を志向させた点で、なりあがり系の人に多いタイプだと思うが、トワネット系ではないようだ。

           

           「リンカーン」。何のひねりもないタイトルながら、こちらは主題が明確だ。
           五十余年の生涯の最後の4カ月=4年続いた南北戦争の最後の4か月だけに的を絞っているところがその最大の理由だ。子供のころ読んだ伝記に登場する話はほとんど出てこない。的を絞るというのは、切り口が明確にもなる。


           この期間に何があったかといえば、奴隷制廃止を憲法に盛り込むための奮闘だ。南軍は和平したがっている。憲法をあきらめれば、これ以上国民を死なせることはない。一方で修正案を成立させるには、与党である共和党の温度差をまとめる必要があるし、それだけでは下院での票数が足りない。世界史を履修していれば結果は知っているはずだが、それでもどうなるのだろうとハラハラしてしまった。知らなければ余計だろう。そのようなエンタテイメント性もしっかり確保しつつ、奴隷制廃止という(後世から見れば)全くもって正しいことも、法制化するには色々難しいことがあることが示され、「法の支配」とは何か?といういい勉強にもなる。脇役の存在感も光っており、さすが手練れの監督による映画だと思わされる。

           

           この作品は与野党左右、双方に目配せしながら描いた「サッチャー」と異なり、作り手は思い切りリンカンに肩入れする立場である。奴隷制廃止を巡る尽力を顕彰しているともとれる。それでも鼻白むことがなかったのはなぜだろう。

           仮に「サッチャー」が思い切りサッチャー寄りの内容だったら党派性が鼻について辟易していたと思う。フィクションに政治を持ち込むのはいくらでもありえるが、党派を持ちこむのはいただけない。プロパガンダになってしまう。

           

           


          【やっつけ映画評】否定と肯定

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             ホロコースト否定本を書いている男と、ユダヤ系アメリカ人の歴史学者の法廷闘争。と聞いて想像する内容とは違う箇所も多々ある作品だった。

             

             原題は「denial」。否定という意味だが、ホロコーストの否定だけではなく、複数の意味を持たされていることが明かされる。そこを踏まえると、邦題の「否定と肯定」も味わい深いタイトルに思えてくる。


             大学で教鞭をとるデボラは、イギリス人でホロコースト否定論者のアービングに訴えられる。自著でアービングを嘘つきだと断じたのが名誉毀損だというのだ。歴史の真偽を法廷で争うという特異な事件でありつつ、作品内容としては法廷劇が中心というのが本作のミソであると思う。

             

             アービングは既視感のある男だ。今時のある種の人々とよく似ている。10年以上昔の実話がベースなので、時系列からいえば「信長が信成に似ているのではなく信成が信長に似ているのだ」という類の話になるのだが、とにかく彼の振舞いは近頃の「歴史戦」に淫している面々と重なる点が多々ある。

             例えば冒頭、デボラに「私と議論しろ」と公衆の面前で持ちかけておいて自分の言いたいことだけを隙間なくまくし立てるところとか、痛いところを突かれると半笑いでやり過ごすところとか、あと生き証人に対していくらでも恥知らずになれる点は、サンフランシスコでも同じようなことをやった「歴史戦」な日本人がいると聞き及んでいる。水泳を練習すると体が逆三角形になるのと同様、この類の破廉恥な主張を嬉々として散布すると、アービングのごとき手つき顔つき口ぶりになる医学的な理由でも存在するのだろうか。というくらいの重なりようだった。まあこれ、劇映画なので、少なくとも顔つき口ぶりについては、俳優による演技ではあるのだが(本人の映像をyoutubeでちらっと見たが物凄く似ている演技というわけではなさそう)。

             

             このような人が語る「真実」の裏付けとなる「歴史家がひた隠す史実」とか「資料」とかは、陰謀論と似たところがあり、一見すると筋が通っていて「え?ホント?!」と驚かされることも少なくない。だが実のところは本家の専門家にとっくに判定が下されていることがしばしばで、鵜呑みにすると恥をかく。よく言えば、江戸川乱歩「化人幻戯」がごとく、ミスリードに踊らされた上ひっくり返される推理小説のようなカタルシスをえることができるともいえる。ユダヤ問題については教科書程度のことしか知らないので、いったいどんな「真説」が語られ、どう覆されるのかを期待していたら、映画の本筋は別のところだった。

             

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