【やっつけ映画評】ラスト・プリンセス 大韓帝国最後の皇女

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     冒頭で「フィクションです」とストレートな断りが入る。潔く、割り切って作られた作品だ。主人公やその家族は実在だが、多くは(モデルがいるにせよ)架空の人物で、劇中起こる出来事も架空のものが中心となっている。実在の人物を扱った歴史モノなのにそれはどうなんだという議論は後回しにして、特に中盤からのスピーディな展開はさすが韓国といったところだが、残念ながら期待したほどではなかった。日本統治下を舞台にした最近の作品としては、「暗殺」というのもあるが、こちらもちょっと受け付けなかった。南北をテーマにした作品に比べると、こちらのテーマは今のところ傑作には出会えていない。南北に比べて扱いの難しいデリケートさがあるのだろうか。まあ単に2本しか見ていないせいだろう。


     2代14年で終わった大韓帝国の皇族(王族)だった女性・徳恵が主人公だ。実在の人物で、大枠(特に最初ら辺と最後ら辺)は実話に沿っているが、真ん中の色んなエピソードは、多くがフィクションである。実話に沿った部分について簡単な感想を先に書いておくと、「主権」とか「国民」とか、言葉としては知っているけど実感としてはわかりにくい事柄について考えさせられた。疎外されたとき、はじめてこれらの意味が実感を伴うものなんだなあ、などと、その程度の呑気な感想を持っただけなのだが。

     

     さて本作の物語の根幹部分は多くが作り話という点について。「フィクションです」と断っているしで、いくらでも好きにやればいいと思うが、歴史を題材にしている分、いくら断りを入れているとはいえ、何でもアリにしてしまうと白ける危険性はいくらでもある。例えば徳恵がやたら強いとか、日本政府を欺く狡知の持ち主とか、007のようなヒーロー仕立てにしてしまうと当然興醒めする。なので制作陣も、徳恵の周囲の人間を活躍させて当人はあくまで巻き込まれる格好でストーリーを演出している。


     上手い設定なのが、悪役が同じ朝鮮民族という設定だ。ハンというこの人自体は架空なのだろうが、こういう日本側に積極的に取り入った朝鮮人(韓国人)は当時たくさんいた。中国や北朝鮮では、彼のような対日協力者は日本の敗戦後、売国奴扱いで排斥されたが、韓国では、北朝鮮との対立という緊迫に直面していたこともあり、うまいこと重用された人もいる。こういう事実を踏まえての造形なので、実にベタな悪役ながら、一定のホントっぽさを出せていると思う。彼の存在によって、日韓の善悪二元論的に、構造が安直になることも防いでいる。歴史モノにおける作り事の造形方法と役割を、このハンという登場人物は象徴している。ま、だとすれば、単純な悪役ではなく「彼には彼の理屈がある」という描き方をしてほしかったところだ。その理屈に賛同できるかはともかく、ただの佞臣以上の姿勢を出すことで、監督が狙った奥行の複雑さをより鮮明に出来たはずだ。


     ハンとは逆に、徳恵に救いの手を差し伸べるのが、日本で地下活動をしている独立活動家たちである。彼らが画策する徳恵出国計画が中盤のクライマックスだ。桜田門事件という史実をモデルにしているようだが、全体的にはフィクションである。既に述べたように、この一連のシークエンス自体は手に汗握るものがあるし、決行を決めたくせに要所で煮え切らない英親王(徳恵の兄)の頼りなさも、「だから国が亡びちゃうんだよ」と野次りたくなる悲哀が漂い、味わい深い。だけど、この構成は要るのかなあというのが率直な感想だった。


     彼女の人生の数奇さは、国がなくなったこともさることながら、敵方である日本の敗戦後にもドンデン返さない悲劇が待っていることにある。この苛烈な運命が投げかけてくるのは、くり返しになるが、「主権」とか「国民」とか「国家」とは何ぞやという問いだと思う。脱走を画策する中で、計画に反対する王族が「今の安定した暮らしを失う」と理由を語るシーンがあるが、このような発想は現実の王族にもあったようだ。一見すると実に情けない、佞臣利権のアレ界隈の人々が涎を垂らしそうな台詞だが、まさしく「国家とは何ぞや」を投げかけてくる悲しく矛盾した印象的台詞だと思う。彼女の人生を描く際に作り話を設定するなら、こういった問いを主軸として炙り出すような題材を考えるべきではなかったか。(受け身的とはいえ)独立の闘士を背負わせるのは、少々趣旨が違うのではないかと思う。

     

     ま、朝鮮総督府時代のお話は、まさしく本邦の題材でもあるから、イマイチ不発の作品だったということは、今度はこちらの番ということでもある、と我が身の燃料にしておくとしよう。

     

    「덕혜옹주(徳恵翁主)」2016年韓国
    監督:ホ・ジノ
    出演:ソン・イェジン、パク・ヘイル、ユン・ジェムン


    映画の感想:君の名は。

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       テレビでやっていた録画をようやく見た。備忘録がてらネタバレで感想をいくつか。

       

       手垢のついたモチーフを思い切り主軸に置くのは、昔から憧れている。見始めて間もなく、同世代の男女が入れ替わるのでなく、〇〇と□□が入れ替わるのはどうだろうとか、自分なりの別案をあれこれ考え出したから、そういう夢想をこちらに誘発してくる点、よい作品なのだろうと思った。見ながら、お!違う時間の人間と入れ替わるのはどうだろう、なんて考えていたら、そういう話だったのには苦笑したが。

       

       入れ替わりについては、藤子F不二雄「未来ドロボウ」のドラマを見たときに、ごちゃごちゃ書いたことがある。そこでも書いているが、巨匠Fには、この入れ替わりモノがいくつかある。親子が入れ替わる話とか、若い男女とオッサンの計3人が入れ替わる話とか、少年が、娘を亡くした父親に、少年が死んだ娘と入替させられるという本作と若干かぶる作品もある。例の牧歌的な絵で短編だが、泣かせる内容だ。本作と若干かぶると書いたが、本作の場合は涙腺は刺激されなかった。理由は後で書く。

       

       一番好きなのは、ドラえもんに出てくるのび太としずかちゃんが入れ替わる話だ。体のパーツを入れ替える道具で、のび太がしずかちゃんの優秀な学力を拝借しようと頭を交換したら、結果体が入れ替わるだけで、頭はのび太のまま。子供のときは読んで混乱したものだった。つまり、入れ替わりが起きたときの、本人を決定する主体はどこにあるのかという哲学的な問いである。本作でも、入れ替わりが起きたとき、元の人格の特技がそのまま継承されている(瀧君が裁縫上手になったり、三葉がバスケで活躍したり)が、特技の源泉は果たして、意識なのか身体なのか。

       

       そんなことをつい考えてしまうのがSF要素が持つ面白さだと思う。本作の場合、入れ替わり以外にも、あれこれボンヤリ想像した。高度に写実的な背景画で、田舎の女子高生と東京の男子高生の暮らしを並べられたことから来る、同質性にまつわる些細な発見とか、大災害という展開に驚きつつも受け入れていることとか。後者についてだけ説明すると、東日本の震災前だったら、トンデモ展開にしか映らなかったと思う。何より作り手も思いつかないか、思いついてもアリエネーと没にするかじゃなかろうか。時間差の中で一種の文通をしつつも会えない男女、かつ片方に悲劇が待つ、というのは「イルマーレ」と同じだが、あちらの悲劇が交通事故止まりなのは、まあそりゃそうなるわね。ちなみに韓国は中国やインド同様、大陸型のデンジャラスな運転なので、交通事故死は日本より身近だ(ネットで検索したら、人口が日本の半分以下なのに死者数は日本よりもちょっと多い)

       

       とまあ、作品に誘発されて脳が活性化したのは楽しい時間だったが、肝心の作中における「入れ替わり」の役割が希薄だった印象。話を展開させるための道具にとどまり、二人の主人公にとって何かの影響があったかどうかといえば、何度も牴颪Ν瓩Δ僧が芽生えた、というくらいでしかない。話を転がすためのただの手段になってしまっていると思った(一方で先に紹介した巨匠Fの場合は入れ替わり自体に大きな意味があるので泣かせる)。

       

       話に中身がないとか、監督の描く女子が完全に男のエロ目線だとかの巷の批判も、この辺りに原因があるのではなかろうか。いずれにせよ、根幹部分の意義が腑に落ちなかったので、恋愛モノに期待してしまうせつなさを感じられなかったのが残念。

       

      2016年日本
      監督:新海誠
      出演:神木隆之介、上白石萌音、成田凌


      【やっつけ映画評】ダンケルク

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         フランスの海岸に追い詰められたイギリス軍兵士の撤退を描いた風変りな戦争映画だ。見終わって、「世界侵略: ロサンゼルス決戦」に似た雰囲気の作品だと思った。


         船で英仏海峡を渡って逃げることになるのだが、なにせ兵士の数が40万人もいるから、一度に全員出航できるはずもない。順番待ちがとんでもない状態になる中、これる船も限られている。「乗せてくれ!」「定員オーバーだ」というやり取りが繰り返されて、ようやく乗れたと思っても、敵の攻撃を受けて沈没する。40万総カンダタ状態の、蜘蛛の糸祭りである。

         

         蜘蛛の糸と異なるのは、糸を垂らしてくれるお釈迦様が複数いることだ。撤退する兵士、軍の依頼でそれを救いに来る民間船の船長、敵機の撃墜に奮闘する戦闘機パイロット。本作はこの三者の視点をテンポよく組み合わせながら展開し、台詞もキャラの立った登場人物もほとんど存在しない構成ながら(見事なくらい台詞が少ない)、スリリングな内容となっている。

         

         「世界侵略〜」と似ているのは、このスピーディな展開もさることながら、個々の視点からだけ描き、全体像がさっぱりわからない点だ。「撤退する兵士」の主人公トミーは、とにかく逃げようと、ずっこい手も使いながら、ひたすらにあくせくしているだけで、そもそも彼が何者なのかすらよくわからない。ドイツ軍に追い詰められているので逃げようとするが、何度も船が撃沈されてうまくいかない、ということがただ繰り返される描き方に徹している。

         

         「動員される民間船」の主人公ドーソンは、トミーよりは台詞が多く、背景も多少はわかる。印象的な台詞もあって、外見以外は最も主人公らしい主人公ともいえる。ただし、民間人なので当たり前だが、彼にも状況はさっぱり見えていない。そもそも今どのあたりにいるのかもよくわからないまま、とにかくダンケルクの海岸に向かう。ファリアを中心とする空軍もしかり。目の前の敵機撃墜をひたすら目指して飛んでいるだけなので、空から俯瞰した何かがわかるわけではない。

         

         こういうアイレベルでの描き方は、目立って新しいわけでもなく、それこそ「世界〜」のようなバカSFでも用いられているわけだが、本当っぽさを出す上では相当有効だと再認識させられる。本当っぽさを出すと、必然内容はしんどくなる。次々人が死ぬシーンがつらいからだが、本作の場合は「撤退」なので、やられることはあっても、殺すことがちっともない分、つらさも半分とはいえる。「世界〜」の場合、相手はわけのわからない生命体なので、爆殺しても心の痛痒はないが、戦争となると、実話でもあるし、敵を叩き潰すことが必ずしも爽快なわけではない。

         

         その点で、撤退という題材の選択は、まことに妙味である。作品紹介を初めに読んだときは、ピンとこなかったが、確かにこれは面白いテーマだ。
         当然ながら、撤退しただけでドイツ軍は何のダメージも受けていないまま映画は終わるから、特に何も解決していない。それでも何となく爽快感を覚えながら見終わったのは、ファリアの不敵な笑顔で締めくくるラストシーンによるところ大だが(彼の演者がトム・ハーディだと、この時点でようやく気付いた。バットマンに引き続き、何かと口が覆われている役だとくだらないことを考えた)、これまた人類の反撃が始まりそうなところで終わる「世界侵略〜」と重なる。

         実際、この後反撃が始まることを史実として知っているからくみ取れるだけのことだが、厳密には、作中で登場人物が指摘しているように、ドイツの勢力圏が広がったことでイギリスはバンバン空爆を受けることになる。それを思うとにわかには喜べないのだが、それでも爽快感があるのは、「生き残ること」の価値を強調しているからだろう。兵士たちは、どうにかこうにか引き揚げ生きながらえたことに安堵しつつも、己のカンダタ行為に自責の念もあり、やりきれない表情のままなのだが、「人間だもの」とばかりにそれもこれも許容している描き方は、まるで釈迦の掌のようで、ずいぶんと救われるのである。

         

         それにしても、戦争というのは大変だということがまざまざと伝わってくる作品だ。ひとえに40万人の移動という途方もなさが、よくわかる作りになっているからだ。気軽に戦争に同意する人は、こういう地味な大変さをまず見た方がいいのではないかと思わされる点、一風変わった視点からの強烈なメッセージに見えた。雪でごった返す(の2乗くらいの)東京の主要駅の映像を伝えるニュースを横目で見つつ。

         

        「DUNKIRK」2017年アメリカ
        監督:クリストファー・ノーラン
        出演:フィオン・ホワイトヘッド、マーク・ライランス、トム・ハーディ


        【やっつけ映画評】マンチェスター・バイ・ザ・シー

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           とても地味な作品だ。若いころに見ていたら、あまりピンとこなかったと思う。地味な作品を楽しむ素養は、30前後くらいのときには備えていたような記憶があるし、地味な作品に憧れて目指した時期もあった。でもおそらく、この映画は理解できなかったんじゃないかなあ。いくつかのシーンでぐっときてしまいながら、同時に「ぐっとこれること」に己の年齢を感じていた。

           

           年を取ったからわかることがあるし、もう失ってしまった感覚もあろうし、人生はその繰り返しだと思うが、ある感覚を失うこと(例えば、新作マンガとか新譜のレコードとかをチェックしないといてもたってもいられなくなっていたこととか、テレビに出ている見目麗しい女優等を見て心拍数が上昇することとか)が必ずしも不幸ではないように、「わかること」が増えることが必ずしもいいことではないのではなかろうかと、そんなことを思いながら見ていた。

           

           一番ぐっときたのは、二度目の酒場の乱闘シーンだった。自分から手を出した結果、周囲からぼこぼこにされるので自業自得な上、手を出したきっかけも、肩がぶつかっただけで、まったくもってしょうもない。お前はギザギザハートの子守歌かと呆れ返っても仕方のないシーンにも思う。だけど、共感してしまった。なんでだろうと考えて、「人生にはもう取返しのつかないことがある」ということを俺もいくつか垣間見てしまったからだと思った。

           

           時系列が行ったり来たりする構成だ。主人公のリーは、現在では無口で愛想がなく、むしろ積極的に他人に心を閉ざしている。翳りのある男前なので、要所要所でモテるのだが、ただ面倒くさそうにするだけだ(序盤の酒場で隣の肉感的な女性があやまってビールをかけてくるシーンは、いかにも何かが始まりそうで何も始まらない)。一方で過去のリーは、ステレオタイプなアメリカ人風味で、面倒なくらいよく喋る。

           

           中盤あたりで、その変化の原因がなぜか、過去にあったリーの過ちが明らかにされる。こういうやたらめったらな不幸を持ち出してくるのは、危険な手法だ。まるでメロドラマのようになってしまい、白けてしまうからだ。なのに地味な映画という印象を受ける。やり方がうまいのだろう。それは例えば、リーの人格に変化が見えること以外は、何の前触れもなくこの不幸が訪れる脚本構成であったり、少ない台詞の中で、ちょっとしたしぐさや表情で当人のキャラや互いの関係性を表現する演技力や演出であったり、ということだと思うが、結果、このリーが背負ったむやみやたらな不幸も、「時と場合によっては誰でも起こりうること」として表現できていると思う。

           


          新水俣で親身にマターを考えた(友人もいると尚よし)

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             取材という名の観光、というよりは社会科見学その2。今日は仕事前に、新幹線に乗った。20分超で新水俣に到着、下車した。
            九州新幹線は、既存の駅とつながらない「新〇〇」という駅だらけだ。何もないところに新駅を作っているから、予想通り駅前には国道があるのみ。コンビニがあるところがさすが新幹線というところか。駅舎の立派さと周辺の殺風景さは、まるで中国の新駅である。バスが来る前の間、客のいない土産物屋を見物していると、饅頭がばら売りしていたので、かるかん饅頭を一ついただいた。美味い。


             雪が舞う中、ようやくバスが現れ、山村のようなところを走り抜けると、水俣市街が現れた。ひなびた街なのだろうが、駅しかないようなところにしばらくいたので、やけにアーバンな印象を受けた。バスの窓ガラスが全部スモークなので、写真を撮る気が起こらないのが残念。

             

             やがて海が見え、バスは「エコパーク」という広大な埋め立て地へと進んでいく。道の駅があり、グラウンドがあり、貨物の荷上場のようなところがあり、とにかく広い。これの何がどう「エコ」なのかというのがミソである。

             エコパークをずんずん進んだところでバスを降りた。ここにあるのが、水俣病資料館である。入場無料。広さは西南戦争資料館と同じくらいか。パネル展示がメインで、この公害病の発覚から検証、認定に至る歴史を解説している。ある1つのテーマについて詳しく知るとき毎度思うことであるが、教科書程度の認識には、実際の紆余曲折や費やした時間の長さが欠落していることを痛感させられる。格闘した人がおり、別の理屈に依拠して牾米瓩靴真佑おり、さぼった人がおり、そうしていくつもの思惑がぶつかりあってすれ違って、ありえたかもしれない分岐点を正解もしくは不正解の側に通過して、今のこの結果があるのである。水俣病に限らず、同じような格好で翻弄され尊厳を毀損された人々は歴史の中にたくさんいて、水俣病について詳しくなくても、そういう悔しさを想像できる程度には己も勉強してきたのだろう。患者の人々の顔写真を並べたパネルにぐっときてしまった。

             

             ところで水俣病といえば、ユージン・スミスが有名で、ちょうど生誕百周年でもあるが、館内には展示がない。権利関係のことか、事情は知らない。一番有名な写真(社会の教科書にも載っていた入浴のやつ)は、互いの遺族の話し合いで非公開にしたらしい。過去に展覧会で見たことがある。一番印象に残っていたのは、さして有名ではない「怨」の旗が翻っている写真だったが、その旗を展示で見れたのはちょっと興奮した。ちなみにユージン・スミスは重ね焼きとかトリミングとか、作り込みを写真に積極的に適用したことで知られる。そうすると「水俣の真実」みたいな部分と、どう折り合いがつくのか、最初に聞いたときは、ちょっと困惑してしまったものだった。その点で「客観報道」などと、受け売りレベルでスカしたようなことを言う立場には強烈なカウンターとなっていて、とても魅力的な写真家だと思う。

             外に出ると海が見える。チッソが排出した汚泥を処理するために埋め立てたのがこの公園で、かつてはここが水俣湾であり、だから名前が「エコ」ということのようだ。ぱっと見、各地によくある(大阪にもある)失敗した臨海開発夢の跡、みたいな場所に見えるこのむやみな広大さが、ある意味最も強烈な狹玄┃瓩世隼廚辰拭3い鮓下ろすと、荒天の影響で波がしらが立っていて、まるで日本海のようで怖い。

             

             1時間に1本もないバスに乗り、熊本に戻った。昼食は太平燕。昨夜は有名店でラーメンを食うも、やはり麺が受け付けず気持ち悪くなってしまったが、こちらは春雨なので存分楽しめた。

             

             そうして仕事に向かい教壇に立った。昭和史の新興財閥が出てくる辺りで、「そのひとつがチッソの前身日窒コンツェルンです」と余談を披露したが、ちっそも何の反応もなかった。耳タコだから聞き流された、ということにしておく。



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