【やっつけ映画評】ホテル・ムンバイ

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     「ホテル・ルワンダ」のインド版のようなタイトルである。ホテルが武装勢力に襲われるのは同じ。といっても「帰ってきたムッソリーニ」ほどには同じではない。本作で襲ってくるのはイスラム過激派のテロリストなので、交渉の余地なく問答無用で殺してくる。限定的な空間内で、命からがら逃げまわる様子は「新感染」の方が近いといえそうだ。


     機関銃を持ち、かつ操れる人間相手に抵抗できることは「逃げる」「隠れる」くらいしかない、という現実を本作はよく表している。テロリストと警察以外の登場人物はとにかく逃げるか隠れるかしている。インド映画界にこの人以外イケメン枠の俳優はいないのか、というくらい毎度おなじみとなっているデーヴ・パテールも、手際のよさやコミュニケーション能力に卓越したところを見せるものの、基本は逃げて隠れてばかりだから、主人公要素は少ない。


     それでもぐいぐいと惹きつけてくるから見事な作品である。この緊迫感は実にインド映画らしからぬテンポ&展開だと思ったら、案の定、豪米との合作だった。踊りもしなければ聖人的バカも登場しない。こういうのは当のインド人にとってはどう見えるんだろう。


     テロリストたちは劇中「まだ子供じゃないか」と言われているので、かなり若い。若さゆえの潔癖さと貧しい生育環境を、どっかのおっさんに上手く利用されて実行犯に仕立て上げられているように描かれている。この辺の、それほど深入り・同情するわけでもなく、さりとてダイハードの悪役のようには描かない演出は上手い。

     おそらく彼らの話をじっくり聞けば、ある程度頷ける部分もあるのだろう。一方で被害者側は高級ホテルに泊まれる所得階層で、言動も若干鼻持ちならない人々が目立つ。だからどうというわけではないが、少なくとも背景まで踏み込まないと、毅然と断固たる態度、だけではなくならんわなあと思わされる。


     と書いて気づいたけど、「逃げる」「隠れる」以外に、もう一つあった。それこそ毅然と断固たるの類。「命をかけて抵抗する」である。

     


    【やっつけ映画評】帰ってきたムッソリーニ

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       ムッソリーニはヒトラーと並ぶ20世紀の悪役でかつ、ヒトラーが真似したファシストの先駆け男でもある。だのに知名度、注目度はずっと低く、例えば大阪市立図書館の蔵書検索では「ヒトラー」1942件(図書のみ)に対して「ムッソリーニ」151件、Movie Walkerの映画検索では同129件に対して40件と如実に差がついている。

       おかげでムッソリーニの方が先輩なのに、ついヒトラーの二番煎じのようなイメージをもってしまうが、本作においてその印象はさらに確定してしまったといえる。パクリでもパロディでもなく、モンテクリスト伯→巌窟王のような翻案作品といってよかろう。それくらい元作の「帰ってきたヒトラー」と同じだった。


       なぜか唐突に現代に甦ったムッソリーニが、物まね芸人と間違われてテレビでスターになる。大枠だけでなく、当初キヨスク的な売店の主に助けられてそこで新聞を読んで学習したり、旅先で犬を射殺したり、極右団体を訪問して論争したり、戦中世代の高齢者だけが本物と気づいたり、細かいエピソードも一緒である。なんならテレビ局の名前も同じで、この徹底ぶりは元作に敬意を表してということか。


       もちろんヒトラーではなくムッソリーニなので、当人の言動は当たり前だがそちらに合わせてある。そこで改めて気づかされるのは、どうしてヒトラーに影響を与えた男なのに二番煎じ格になってしまったかだ。言動がヒトラーに比べてそこまでキテレツではなく、ただの極右ポピュリストといった様子。見かけも、それなりの異形の相ではあろうが、ヒトラーほど特徴があるわけではない。

       

       なので裏を返せば、今もいくらでも現れる可能性がある御仁といえる。「右も左も力を失う中で俺しかいない」というような台詞を言うシーンがあるが、これなどまさしくトランプや、ブラジルのボルソナーロあたりとカブって聞こえる。大阪維新も同様。「新しい第三極」だとの期待が支持につながった勢力である。

       なので本家より「今でもありえる」という観点からゾッとする風刺に仕立てることができる題材だと思う。そこまで仕上げられると本家とはまた異なる傑作になりえたのでは、と想像すると惜しい。


       まあこれは、こちらがついテレビと政治にまつわる日本の状況を当てはめて見てしまうことからくる筋違いの期待かもしれない。とは思うものの、既視感を覚えるシーンもある。

       

       ムッソリーニを、ただのギャグ、ただの視聴率稼ぎ装置としてとらえるテレビ局社員たちの態度に業を煮やしたスタッフの1人が、ある日の会議で激昂しながら倫理観のなさを非難する。すると彼女に対してほぼ全員が「冗談の通じないやつ」「いやそういう話ちゃうやん」といった調子の半笑いを浮かべる。どこに既視感があるかといえば、俺自身がかつてそういう表情を浮かべたことがあるからだが、同じような態度を取るであろう業界人にもいくばくか心当たりがある。高須や百田らを面白がってご意見番扱いしているスポーツ新聞辺りも同じようなものだ。


       そこにあるのはメディア側の見識の浅はかさによる共犯関係であるが、それと松本人志の薄っぺらい時事放談や橋下徹のようなその場その場で言うことがまるで違うことを厭わない空虚な御仁に対して「一理ある」とみなす視点はごく近いところにあることが日本の事例からはわかる。

       

       これと同じく、甦ったムッソリーニ自身が政界で力を持つ展開は想像しにくくても(現実の彼も、ヒトラーに比べるとかなりアクロバティックな過程を経て政権の座についている)、彼が破壊して生まれた亀裂や穴ぼこに、別の人間が大穴開けて入り込むということはいくらでもあるのだと思う。「歴史は繰り返す」というのは、こういう形で行われるのだろう。

       

       そして日独伊三国同盟の最後の一角日本であるが、わが国の場合、現実世界がとっくに「帰ってきた」状態であるのがコロナ禍によって顕在化している。同じ感染症だから他国の成功例・失敗例を踏まえりゃいいのに他国に学ばない。それは日本が特殊だと思っている=他国を見下しているからで、つまりは科学軽視、数字軽視。なので個々人の心がけ(=精神論)偏重で、必然兵站軽視。まっとうな指摘は「頑張っているときに水を差す」と排除され、撤退できなくてずるずる。最後は神頼み。当然誰も責任なんて取らん。全部、「昭和陸軍の研究」あたりに出くてる話である。

       

       これら諸々の態度をひと言で表せという超難題に、「マスク2枚」という満額の答えをさらりと示してみせる彼らはある意味天才としかいいようがない。「帰ってきた誰それ」ならぬ、「返ってきたのがマスク2枚」である。そして本作のムッソリーニのように、唐突に何の脈絡もなく突然現れたわけではなく、ずっとそういうことをブレずにやってきて、それを積極的なり消極的なり支持してきた、そのただの必然の帰結である。カミュ「ペスト」の次にバカ売れしそうな本が見えてきたよジュンク堂の皆さん。


      「SONO TORNATO」2018年イタリア
      監督:ルカ・ミニエーロ
      出演:マッシモ・ポポリツィオ、フランク・マターノ、ステファニア・ロッカ


      【やっつけ映画評】新感染 ファイナル・エクスプレス

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        劇中何度も登場するデッキ部分の写真をかつて撮っていたのだった。

         

         未見だった数年前の話題作について、こういうご時世につきにわかに関心が湧いた。カミュ「ペスト」がバカ売れしているのと同じだ。ペストについてはNHKの「100分de名著」のテキストを読んで読了した気になっている。


         しかしながらパンデミック下の今、本作を見ると「いや感染症の怖さっててそういうことじゃないんだよ」と思えてしまって、ちょっと損した気分になった。コロナ禍以前に見ておくべきだったな。


         「ゾンビもの」といえるだろう。噛まれると感染し、間もなく人格を失いケダモノのように非感染者に襲い掛かってくる。そういう感染症が韓国内で流行する。主な舞台は韓国版新幹線のKTX車内で、ホラーというよりハイジャックやマシントラブルのパニック映画に近い。

         「新しい感染」という邦題(韓国に「新幹線」という特急列車はない上、感染と幹線は発音が異なる)と違ってこれといって新味はなく、よくあるモチーフを組み合わせただけといえばそうなのだが、そこは安定の韓国印、手垢のついた設定でおもしろく見せるのがすこぶる旨い。夜中に見始めて、眠くなったところで一旦停止しようと思っていたら、最後まで一気に見てしまった。

         

         ひとつは、この手の映画によくある「スリルを盛り上げるための予定調和的どん臭さ」がない点だ。電車内というスペースの限られた舞台設定とゾンビ風なくせに感染者の動きが俊敏なので、わざわざ転ぶ必要がないからだろうか。主人公の娘がやけに賢いのと、マ・ドンソクの安定の怪力ぶりが見ていて楽しい。

         

         リアルだなあと思ったのは、感染者がバイバイン式に一気に膨れ上がることがまずある。これは現在各国で見られることとも一致している。いうても3桁でしょ、と高をくくっているうちに5桁になる。ゾンビ風感染者があまりに一気に増えるので、ホラー性より不条理コメディのような滑稽さすら漂っている印象だ。

         政府が「感染者」ではなく「暴徒」と呼んでいるところの方が薄気味悪さがあって、こういう定義づけは政治の狡知というか権力そのものの現れの1つだと思わされる。感染者なら治療の必要があるが、暴徒だったら鎮圧するだけでよい。

         

         


        映画の感想:ファースト・マン

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           昨年、50周年記念だとかでアポロ11号が月面着陸した際の当時の中継を再放送していた。中継というのは、結果を知っている後代の人間にとってもリアルタイム感を感じられるものなんだなと割と感動した覚えがある。それと同時に、有名な出来事でも後の時代に伝わるのは一連の中のごく一部、という真理を再確認した。


           着陸に至るまでに、まあまあ細かくピンチがあったのは知らなかったし、着陸の際の台詞が「The Eagle Has Landed」というのも、これは有名だそうだが、恥ずかしながら知らなかった。字幕が「イーグルは舞い降りた」となっていたから、有名なスパイ小説&映画である「鷲は舞い降りた」(格好いいタイトルだが、結構地べたを這いずり回る物語である)を文字って言ったのかと勘違いした。「鷲は〜」の方が月面着陸の後に出版されているから、このスパイ小説がアームストロングの台詞をパクってタイトルにしている。

           ただ、字幕を「着陸した」ではなく「舞い降りた」にしているのは、おそらくこのスパイ小説の邦題の逆輸入だろう。おかげでまたどっちが先かこんがらがる。ちなみに本作の字幕も、「舞い降りた」になっていた。「風と共に去りぬ」同様、ほぼ直訳とはいえ印象に残るという点で見事な邦題である。


           本作も、その中継同様、当時のリアルタイムを疑似体験できる。ただし視点は中継ではなく、アームストロング当人。狭苦しい宇宙船内の顔面アップと手元アップの連続だけで描いている演出が功を奏している。これぞ実話をフィクションでやることの醍醐味といえよう。

           

           それにしてもこの息苦しい船内の様子が怖い。アポロに至るまで、アームストロングは何度か宇宙に行っているが、どのシーンも船内のきしみがすごくて今にも壊れるんじゃないかと思わされる。旅客機でも、特に離着陸のとき機体がギシギシいうたり、あと船でも海が荒れてるときなんか船体と海面がぶつかってバーン!と音がするものであるが、俺はああいうときに「南無阿弥陀仏」とにわか浄土真宗信者になる性質だもんで、ああ怖い。遣唐使船とまではいかなくても(造船技術が未熟だったので航海はほぼ博打だったとか)、リンドバーグの大西洋横断くらいの危うさはある。

           と思ったが、よくよく数えるとリンドバーグからアームストロングまで、40年くらいしか間はない。空を飛ぶことの発展てめちゃくちゃ早いんだなと思ったが、「Apple I」からiPhoneまでが30年だから、そんなものなのか?

           

           宇宙飛行士の家族たちはNASAの近くに集住しているのだが、同僚たちが事故で死んでいくから、近所づきあいが相当にキツい町内である。トップガンにおけるマザーグースがごとく、仲のいい同僚が命を散らし、2番目に月に降りたオルドリンは、その結果昇格(?)した超脇役だったというのが驚きつつ苦笑した。口さがないザコキャラ的な登場人物で、本作を見ると、こいつと月に行くのかよと若干絶望的な気分になる。当人は本作見たのかしら。


           当時、必ずしも世論は好意的ではなかった点が描かれているのも興味深い。中でもカート・ヴォネガットが反対していたシーンは、へえ〜と貴重な資料を見た気分だった。

           妙ちきりんなSFを書いてた御仁なのに、「税金はもっと暮らしに使うべきだ」とかって、えらく真面目な発言をしていた。それは別の人に任せればという気もせんでもないが、低所得者層が反発するのはよくわかる。戦争に使うよりはマシなのではと思いつつ、じゃあ五輪と比べるとどうなんだろうともなるわけで。そして現在、地球上には月に行けるロケットは存在していない。まあそれくらいの金食い虫ってことではあるのだろう。


           月のシーンもなかなか圧巻だった。夭折した娘をアームストロングが思い出すところで、がんは治せないのに月に行けるってのはどういう不条理なんだと思わされる。誰もいない、音もしない、岩と砂しかないひたすら荒涼とした景色に、「時間なるものは本当にあるのか」という「タイムトラベル」で読んだ話を思い出した。

           月面上で時間を意識しているのは、アームストロングとオルドリンの2人だけで、月にとってはただの珍客でしかない彼らがいなくなれば、同時に時を刻む存在も月面上にはいなくなる。誰のためでも何のためでもなく、月はただそこにあるだけだから、やはり時間というのはただの概念で、本当はそんなものないんじゃないかという気にさせられた。


          「FIRST MAN」2018年アメリカ
          監督:デイミアン・チャゼル
          出演:ライアン・ゴズリング、クレア・フォイ、ジェイソン・クラーク


          これはパイプではない Cesi n'est pas une pipe

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             例年のこの時期は繁忙期である。繁忙を構成する要素の1つが「時事」であるというのは昨年も書いた。昨年のニュースについて概説していく講義である。講義内容の性格上、前年の繰り越し部分よりも更新する部分が多いので予習が結構手間なのだ。


             資格試験の出版社が出している“時事総まとめ2021”みたいなテキスト(各社とも扱っている年+2の西暦を書くのは何でなんだろう。混乱するだけだ)を使って進めていくのであるが、ただただ法制度と統計、外交の合意内容なんかが機械的に書き並べてあるだけだから読んでもよくわからん。わからないだけならまだしも、読んでいて結構シンドイ。批評性がゼロだからだ。

             

             とにかく「成果」をひたすら並べているような記述となっているのは、この書籍のターゲット層がお役所の志望者だからということなのだろう。いわば志望先の仕事をまとめたような内容だから批判がない。就活業者は実際の採用担当より遥かにトミイ副部長な平伏追従を強いる傾向がきついことがしばしばだが、これもそれの現われなのだろうか。あるいはお役所界隈だけに、何かのお付き合いがあるとか。以前に類似の書籍の原稿を依頼されたことがあって、課題やデメリットなんかも盛り込んで書いたら「あなた左ですね」と言われたので、単に知性の乏しいのが作っているだけのことかもしれん。

             

             一応霞が関の人々は一般のイメージよりは遥かに仕事をしてるところはある。モリカケ桜の追及は、実は国会の審議時間全体からいうとごく一部にしか過ぎないという話とちょっと似たところはある。しかし、外交のような高度に政治的な話が顕著だが、公報通りに書くと政権の正史のようになるのが昨今の現状。なので読んでるとそのうち岩田巫女の声が聞こえてくる幻聴に苛まれる。巫女というか守護霊というか。

             

             このため他のソースに当たって補足していくことになる。改めて報道機関の記事で確認するとわかりやすくて腐ってもスナッパーを実感する。それでも昨今は限界を感じる。既存のフォーマットが通用しないからだ。

             

             記者会見ですと言って、全く記者会見のテイをなしていなかったら、記者会見になっていないと伝えないといけないと思うが、そういうフォーマットを持っていないので、「記者会見である」という前提は問うことなく、話された内容に対して論評する。饅頭ですと出されたものが石ころなのに、サイズが小さいとか色が悪いとか評しているような無意味さであるが、無意味なだけでなく、饅頭だとして伝えられ、何ならそう見えなくもない角度から撮影した絵を添えるから欺瞞であり、罪深くすらある。


             どうしてこうなったかといえば、饅頭ですといって出されたものは、サイズや味に議論の余地があるといはいえ、曲がりなりにも饅頭ではあるという建前の成立している前提で組み立てられたフォーマットしか持っていないからである。ではどうしてその建前が崩壊しているかといえば、その建前をぶっ壊すことが改革だとして歓迎されたからで、自ら求めて招いたことを語る語り口を持ち合わせていなかったということである。

             

             だもんで、半分在野のような末端の講師芸人風情が、未来ある若人相手にこれは饅頭ではないという役目を果たさなければならなくなるわけだが、そういう俺とて有効な語り口を持ち合わせているわけではないから、余計な苦労を強いられるのである。



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