映画の感想・新旧4本

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    ボルグ/マッケンロー 氷の男と炎の男

     「バトルオブセクシーズ」を見損ねたので、代わりと言っては何だがでテニスものを鑑賞した。大会5連覇がかかる終始無表情のチャンピオン。ボルグと、暴言の数々で悪童と呼ばれた新星マッケンローの対決、という実際にあったテニスの試合が題材となっている。天衣無縫の天才ハントと精密機械ラウダの対決を描いた「ラッシュ」と似たような話かと思ったら、どちらも付き合いづらい変人同士の対決という点、「完全なるチェックメイト」に重なって見えた。いずれに対しても感情移入できないので少々キツい作品だ。

     対照的な2人だが、子供のときはちょうど正反対だったことが描かれている。ボルグは癇癪持ちの困ったガキで、マッケンローは親のプレッシャーにがんじがらめのいい子ちゃんだった。ボルグはその剥き出しの感情をコントロールすることで強くなり、マッケンローは自分の殻を破ることで才能を開花させたのだろう。こういう天才的な人物はどこかに変人性が伴うものだし、勝利の重圧は常人には想像つかないものだから、ボルグは迷惑なほどの神経質になるしマッケンローは悪態をつく。だけど、大谷サンに代表される今時のいたって大人な爽やさと平然と同居できている選手と比較すると、割に合わないというか、彼らの生きづらさとは何なのだろうと同情してしまう。
     映画は、1980年のウインブルドンを1回戦から追いながら、やがて決勝で相まみえて死闘を演じる2人の生い立ちが、合間合間に差し挟まる構成だ。クライマックスの決勝のシーンは息詰まる緊張感があって見事だが、それまで語られてきた生い立ちの部分、つまり実は癇癪持ちを必死に押し殺してここまできたボルグと、いい子ちゃんを捨てて悪童になったけどそんな自分が好きではないマッケンローにとって、この試合の位置付けとは何なのかはよくわからなかった。冒頭で「この試合が彼らの人生を大きく変えることになった」と大仰に字幕で宣言しているから、余計に「?」が残った。
     毎度のことだが、欧米の映画がこの手の題材をやるときのそっくり度合はえげつない。特にボルグは本人だろこれ。

     

    「BORG/McENROE」2017年スウェーデン=デンマーク=フィンランド
    監督:ヤヌス・メッツ
    出演:スベリル・グドナソン、シャイア・ラブーフ

     


    希望のかなた

    「ル・アーヴルの靴みがき」の監督が、「ル・アーヴル〜」同様、難民問題を扱った作品だ。台詞ではなく映像で伝える技に優れた、教科書のような作品を撮る監督であるが、台詞が少なく淡々としているのですぐに内容を忘れてしまう。「ル・アーヴル〜」も、何か面白かった、くらいしか覚えていない・・・。
     時事性が強く深刻なテーマながら、とにかく抑揚がない。だのに温かくて笑える。特に「Imperial Sushi」のシーンは爆笑してしまった。何がそんなに可笑しいのかよくわからないのだが、登場人物たちが一所懸命なのが笑いを誘うのだろう。
     「フィンランド解放軍」を名乗るレイシストのチンピラ以外、善人と役人しか出てこない。妹の件を除けば何かが大きく前進するわけでもなく、妹だってこの先どうなるかが一番重要なのだがそこは描かれない。この大きな問題を、そこで収めてしまうのか、という描き方はかなり独特だと思うが、それがフィクションの切り口なのだということでもある。
     結局のところは目の前にいる人と人で世界はできているということか。言葉にするといかにも安いが、台詞が少ない映画だから言葉にすること自体分が悪い。ギター弾きが歌うシーンがやけに多いので、詩のような作風ともいえようか。俺にとっては相当に疎い分野であるが、どうにかパクりたい描き方だとも思う。

     難民審査のくだりは、その四角四面さに監督の静かな怒りを感じるが、日本の入管に比べればきちんとマトモな仕事をしているだけに見えてしまう。伝えられている人権侵害をこの監督のように描くことは可能だろうか。

     

    「TOIVON TUOLLA PUOLEN」2017年フィンランド
    監督:アキ・カウリスマキ
    出演:シェルワン・ハジ、サカリ・クオスマネン、イルッカ・コイヴラ

     

    スーパー・チューズデー 正義を売った日
     アメリカ大統領選を題材にした作品だ。民主党の有力候補のもとで選挙スタッフで働く優秀な青年が、清廉潔白な辣腕政治家であるはずの候補者の不正を知ってしまうという筋立てである。
     自らも積極的な政治的発言や活動で知られるジョージ・クルーニーが監督と候補者役を務めているだけに、それっぽい外見も相まって妙に説得力があって期待が高まるところなのだが、クリーンな候補者の裏の顔が実は下半身大胆男だったというのが、今の世相に照らすと矮小に見えてしまう。一人の女性の人生がぶっ壊れているから、重大な事態なのであって、矮小に見えてしまうこっちの感覚がおかしいのだけど。今はそういう時代になっちまってるんですわ、ということは再確認できる。
     最後は「え?終わり??」という締め方だが、これは候補者の不正を告発するかしないか「君ならどうする?」と突き付けているということだろうか。だとすると、口をつぐみそうになる理由は、保身や上昇志向よりは「大義」を設定した方がより悩ましくなったと思う。「確かにこの女性は不幸なことになったが、国のためにはこの男が必要だ」というような理屈である(一応そういう側面も描かれているが、話の展開上隠れてしまっている)。だとすれば、候補者を演じるのは、もっといかにも奔放そうな雰囲気の俳優が演じた方がいいと思う。いや、それよりも、性欲系ではない別の醜聞を設定するべきか。
     アメリカにしろ日本にしろ、従来なら辞任必至の問題が浮上してもそうなっていない理由の一つは、政治家に何か問題が発生して責任を取ることに国民が飽きてしまったということがあると思う。「そりゃあ不適切かもしれないけど、職責を果たすことが優先でしょ」という作用が働き寛容になる。無論、辞任にまでは当たらないものも中にはあるだろうが、一見些細に見えて、これを許してはならないという問題もあるはずで、打つべき釘はしっかり打っておかないと、後でたたって丸ごと崩壊する深刻な事態を招きかねないものである。
     本作の場合は人が死んでいるので看過できない事態なのだが、一見どうでもよく見える失言とか、そんな不祥事の方が問題提起としては有効だったのでは。たかだか7年前の作品だが、政治なり世相なり状況は大きく変わってしまっている。

     

    「The Ides of March」2011年アメリカ
    監督:ジョージ・クルーニー
    出演:ライアン・ゴズリング、ジョージ・クルーニー、フィリップ・シーモア・ホフマン

     


    アンコール!!
     年寄りの合唱団で歌うことを楽しみに生きている病気の妻と、頑迷な夫の物語だ。「007慰めの報酬」で都合よくボンドに(瞬時に)篭絡された上、オイルまみれにされて殺される何一ついいことのない役人を演じた女優が、とてもキュートな音楽教師を演じていて、余計なお世話ながら安堵した。
     夫は妻が病を押して参加することを快く思っておらず、しばしば「妻を守るために」合唱仲間から距離を取らせようとする。妻が没した後は(全く劇的ではない死去のシーンがリアルでちょっとつらかった)自ら進んで孤独を選ぼうとする。その姿に「愛、アムール」を思い出してしまったが、そうならなかったのはつながりだったり歌だったりで、その点「希望のかなた」とも重なってくる。世界は人であり歌なんだな。
     イギリス映画だが、イギリスで合唱というと「ギャレス・マローン」を思い出すが、あれと同様、審査員がやってきて評価が高ければ本選に出れるという大会にこの合唱団はエントリーする。「ギャレス〜」では、合唱の選曲やスタイルというのは幅が広くて自由度が高いものなんだなあと目から鱗だったのだが、それを見たことがある分、クライマックスの「一旦失格になる」流れは要らないんじゃない?と思った。


    「SONG FOR MARION」2012年イギリス
    監督:ポール・アンドリュー・ウィリアムズ
    出演:テレンス・スタンプ、ヴァネッサ・レッドグレイヴ、ジェマ・アータートン


    【やっつけ映画評】スターリンの葬送行進曲

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       邦題がふるっている。スターリン死後の権力争いのドタバタをコメディタッチで描いた作品、という概要によくマッチしている。冒頭に演奏会も出てくるしで。「チャイルド44」同様、ソ連が舞台なのに台詞が英語なのは、ロシアでこんな挑発的な内容が映画に出来るはずもないだろうから諦めるしかない。ただ、コメディにした狙いはいい選択ではなかったのではと思った。


       「清須会議」と似たような話だ。絶対的な独裁者(それはつまり恐怖の支配者でもある)の死後、取り巻きたちが合従連衡しつつ互いを出し抜こうとする。最終的に権力を握るのがフルシチョフというのは知っているが、途中がどうなのかというのは、専門家を除けば余程のロシア好きか社会主義者でなければ知らないのではなかろうか。当然俺もよく知らない。歴史モノの一つの醍醐味は、途中はどうだったのかの臨場感を味わえる点だ。
       単に経緯についての知識を仕入れるということではない。例えば織田や武田が強大な時期に、「実は弱小徳川につくのが結果的には一番有利」とは誰も予測できないわけで、その先の見えなさを後世の人間が実感するのは難しい。フィクションはそれを疑似体験できる点で歴史の解説本とは異なる。なので登場人物が必然の結果に向かうかのように描かれる歴史モノはあまり面白くない。「西郷どん」は割とその印象が強くあまり楽しめない。

       

       本作の場合、後継を争うマレンコフ、ベリヤ、モロトフ、ブルガーニン、カガノーヴィチ、フルシチョフのいずれについても、よく知らない俳優が演じている。知った俳優はピアニストを演じたオルガ・キュリレンコくらい。スターリンの息子ワシーリーを演じた俳優もやけに男前だったが、いずれも脇役だ。要するに、主要プレイヤーに主役っぽい俳優が誰もいないところが、カリスマ死後の先の見えなさをよく表している。

       

       ブラックコメディなので、史実を正確になぞっているわけではないということは見る前から想像はしているが、一方で、ネット情報によれば史実も結構踏まえているようだ(原作が衒学趣味のようにトリビアルな知識を盛り込んだマンガらしい)。例えばラストの裁判〜処刑のシーンについて、「あんな殺し方ありえねー」と感想を書いている人がいたが、ああいう死に方だったという説もあり、それを採用したとみられる。スターリンがぶっ倒れたとき、レコード機に演奏会の録音が載っていたのも本当のことのようだ。
      このような、一見作り話とみえて「実はホント」「実はホント説あり」といった要素が散りばめられているのは、どこまでが本当でどこからが創作か気になりだすから楽しい。「おんな城主直虎」でもよくあった。

       

       このような臨場感を整えた上で、問題はそれらをもって何を描くかだ。
       本作で強調されているのは、共産主義体制がしばしば陥る教条主義的な硬直性や回りくどさ、官僚主義的な責任の押しつけ合い、全体主義的な揚げ足取りといったことがまずある。スターリンの居室で大きな音がするが、勝手なことをして逮捕されたくないので、警備係は様子を見ようとせずにひたすらドアの警護を続ける。やがて発見されまだ息があるものの、医師を呼ぶには閣僚たちの議決がいる。独裁者に触れられるのは閣僚だけなので、その辺に警備の屈強な若者がいくらでもいるのに、オッサンたちがひいひい言いながら巨体を抱えて運ぶ。ところで有能な医師は全員収容所だから、藪医者しかいない――、といった具合である。
       もう一つ強調されているのは、権力争いの醜悪さで、スターリンの娘が到着すると、我先にお見舞い申し上げて歓心を買おうとするといった、わかりやすい出し抜き合いをプレイヤーたちは必死に演じている。

       

       独裁者死後の後継争いというせっかくの題材だが、これら2つはメインにしても仕方がないんじゃないかというのが感想だ。
       先に2つめからいえば、ゴマすりそれ自体を嗤っても安直な権力批判にしかならず、古さを拭えない。

       

       1つめの共産主義体制を嗤う部分は、制作しているのがいわゆる西側諸国になるので、どうしても露悪的に見えて鼻白む。対立していた片方が、相手の愚かさを皮肉るのは党派性がつきまとうからだ。ロシアでは本作が上映中止となり、いかにもロシア政府の閉鎖性を現わしているのだが、旧西側の国に言われてムっとする気分はわかる。西側が完全正義ではないし、西側にだってこの手のお役所的な滑稽さはいくらでもある。「ザーコーヴ」に反発する日本人と似たような感覚だといえる。
       むしろ、今時の世界で問題になっているのは、お役所仕事を徹底的に攻撃した結果起こっている制度の歪みや主旨の喪失だろう。「わたしは、ダニエル・ブレイク」で書いたことが該当する。特に彼らは政府の中枢を担う権力者なので、緊急事態とはいえ法手続きを重視していること自体は、嘲笑するよりその意義を改めて考えてしかるべきだと思う。ま、人命は優先されてしかるべきだと思いつつ、ぶっ倒れているのがスターリンなので助けなくていいんちゃうともつい思ってしまいつつ、であるが。

       

       その点でいうと、ドグマ的だったはずの彼らが、正当な手続きを踏まずイレギュラーな方法で狎亀銑瓩鮗孫圓垢襯薀好箸海修警句とすべき点だろう。恐怖支配の源がいなくなっても、それが継続されてしまう点だ。以下はネタバレになる。

       

       


      【La 美麗島粗誌】(24)嘉儀その3_物語

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         この交差点からさらにまっすぐ行くと、まさに錠者が訪れた野球場と、映画の序盤で出てくる神社の跡地がある。神社に集合させられた野球部員たちは、近藤監督から「走れ!」と命じられ神社から噴水、田んぼへと駆けていく。しつこいが、遠いな・・・・・・。スポーツ選手には走る距離でも、猛暑におっさんが歩く距離ではない。


         気候が優しい時期ならともかく、すでに汗だくなので近場の目的地を目指すこととした。檜意森活村という文創地区が噴水の北東にある。そちらを目指した。阿里山の林業に携わっていた人々の宿舎を改装した建物が並ぶエリアだと紹介されている。やがて説明通りの、日式建築の建物がいくつもある観光地っぽい区域が現れた。


         立ち並ぶ家屋の1軒が、「KANO」の撮影でも使われており、ユニホームなんかが軒先に飾られている。中はカフェで、映画に関連した品がいくつか飾られている。それだけといえばそれだけの場所だった。それ以外は、あまり興味が湧かないか、値の張るものか、あるいはアイスの類を売っている店で、そこそこの人出でにぎわっている割にはあまり楽しさを感じなかった。文創自体、まあまあ食傷気味にはなっている。


         そのまま北上すると北門という駅がある。ここから嘉儀駅まで戻ろうかと思ったら、阿里山鉄道の駅だった。かつて日本が木材を運んだ列車を観光列車として再利用している路線で、嘉儀の人気の観光スポットである。現在の阿里山鉄道は嘉儀駅発で、北門はただの途中の駅だが、かつてはここがターミナルだった。このため、駅前には広場があり、近くには日式家屋が立ち並んでいたわけだ。

         本数は物凄く少なく、駅に掲示された時刻表はすっかすか。当てが外れて駅前の土産物屋を覗いた。どうせロクなものは売ってやしまいと、ただ涼みに入ったようなものだったが、嘉儀農林のユニフォームを真似たTシャツが売っていて、願ったりかなったりの場所であった。


         白字に紺で「KANO」と書いているだけで、そのうえ大人の事情か微妙にデザインも違うのだが、まあいいだろう。兄への土産は毎度Tシャツなので、これで決定。自分も欲しくなったので色違いで2枚買った。兄弟でペアルック。いいじゃないか。店員が寄ってきて、こんなんもあるよと色々見せてくるが、小さいバットとか応援のしゃもじとか、いらないものばかりだった。

         駅前にはやけに渋い建物がある。元は住宅だったのが、→置屋→廃墟をへて、地元有志のカンパ(厳密には投資)で修繕され、現在はバックパッカー用の宿泊所&カフェとなっている。

         

         その隣の広場で休憩しながら思案した。「KANO」関連であと残っているのは神社跡の嘉儀公園、嘉儀農林があった嘉儀大学のキャンパスだ。大学には硬球をモチーフにしたモニュメントもある。どちらも遠い。特に大学は歩く距離ではない。そしてしみじみ実感しているのは、噴水の交差点を見てTシャツを買って、結構満足してしまっているということだった。もう十分じゃね?
         とりあえず、この近くにある獄政博物館にでも行ってみよう。予想したより近く、あっさり着いた。ここは1日4回の入館時刻が決まっていて、次の入場は1時間以上先だった。日差しも強烈で待ってもいれん。旅順監獄と似たような感じだし、これもまあいいかと嘉儀駅に戻ることにした。

         余談だが、この不気味な元監獄より、途中にあった「嘉儀大学付属国民実験小学」という学校の方がちょっとぞっとしてしまった。単に実験小学校という名前に浦沢直樹「MONSTER」に出てくる511キンダーハイムを思い出したからだが、まさかそんな学校のはずもないし、「実験」とはこの場合、どういう意味なのだろう。

         高雄の時点ですでに自覚してしまっていたが、日本統治関連の史跡も満洲のときに比べてあまり高揚しないのよね。よく知らないというのが一番の理由で、それは歴史の知識の有無ということより、満洲の場合「虹色のトロツキー」「龍―RON」「五色の虹」といった物語(3つめはノンフィクションだが物語的である)に触れていたことが、建築群や高粱畑を見たときの興奮の源となっていた。台湾でも「KANO」しかり「飲食男女」しかり、「蓬莱」や「意麺」だって、物語に後押しされて飛びついた類だ。このため、日本統治時代の遺構といっても、物語が伴わない分、大陸で見たときほど盛り上がれないのだった。

         そういえば、初めて甲子園に行ったときに感動したのも、KKコンビや松井秀喜や正津英志が躍動した場所、ではなくて「ドカベン」で何度も見た場所だからだった。誰かが紡いだよく出来た物語に乗っかりたいというのが自分の根底にある動機付けなのだった。文字にしてしまうと我ながらちょっとイタい印象すら漂うが、こんなもの好き好きだ。

         


         街並みを見物しながらブラブラと嘉儀駅まで戻った。碁盤目に整備されているので裏通りを適当に歩いても迷うことはない。駅前に雛肉飯の店があったので、嘉儀市内最後のミッションとばかりに店内に入った。注文すると牛丼並みのスピードで出てきたが、ご飯の上に鶏肉をのせてタレをかけた料理だから牛丼みたいなものだ。
         野菜なし棒棒鶏といったところか。タレは棒棒鶏と違って甘辛くて美味い。鶏は少々パサついていたが、セブンイレブンのおにぎりではまったく腑に落ちなかった味がようやく書き換えられて納得した。
         本日はいよいよ台北泊だ。なのでまたも高速鉄道嘉儀駅からのぞみ型エクスプレスに乗ってパスをさらに割安にしよう。


        【La 美麗島粗誌】(23)嘉儀その2_嘉農、金足、芋畑

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           この円形交差点は日本統治時代から現在に至るまで町のランドマーク的な存在で、中央噴水広場という。かつては「噴水池」と聞いて想像するシンプルな形状だった。映画「KANO」でも何度も出てくる。映画の序盤では噴水はまだ工事中で、中盤くらいで完成しているが、この地元のサイトによると映画の時代(1931)からさかのぼること約20年前、震災復興の都市計画の中で設計・建築されたらしい。

           空襲で損壊した後、民国時代になると池の中央に孫文像が設置されたが、2007年に老朽化で崩落、2014年、映画の公開に合わせてこの呉明捷像が出来た。つまり完全に便乗である。当人は早稲田に進学後、台湾に戻らず、プロになったわけでもないので、地元でも忘れられたヒーローになっていたということか。


           映画では、主人公の近藤監督から命じられ、嘉儀農林の選手たちが「甲子園!」と叫びながらこの噴水も含めた市内を走り回る様子が描かれている。市民は「何が甲子園だ、勉強しろ」と呆れていて、エースの呉明捷も馬鹿馬鹿しく思っている。そのボヤキを聞かされた初恋の相手(?)阿静は、声に出すことで実感が伴うのだと監督の思惑を代弁して呉をたしなめるのだが、実際こうして噴水前に佇んでみると「うーん、甲子園は遠いなー」と実感する。

           当時もラジオや新聞はあるにせよ、関西から遠く離れた島の、それも台北すらも遠い田舎町に生まれ育って、甲子園をリアルにイメージするのは相当困難だと思う。なので呉の戸惑いは妥当だし、阿静の洞察も正しいし、ここから甲子園行きを勝ち取ったのは、野球のレベル以前の心の持ちようとしても大したことを成し遂げたのだといえる。

           

           くしくも今年は100回目の大会だった。映画に出てくるのは17回大会なのでカブスの優勝並みに気が遠くなる。カブスはもっと長い「108年ぶり優勝」で、以前にも本ブログで触れたが、日本の場合、敗戦によって色々なものの連続性が切断されてしまったから「108年ぶり」などと一つながりのものとして語れるものがあまりない。そんな中、甲子園大会は1945年をまたいで継続している珍しい存在だ。記念の大会なのだから、かつて出場していた台湾や朝鮮半島の高校を21世紀枠で呼んでもよかったんじゃないか。いやあの枠は春の選抜か。そういう問題ではない。「レジェンド始球式」なるものに誰かゆかりの人を呼ぶのはアリだったかも。しかし松井秀喜はなぜストライクを投げようとしたのだろう。外角低めに大きく外れるボールをキメないと。


           この時点(8/5)からすると未来の話になるが、今年の大会は嘉儀農林同様、農業高校が快進撃を繰り広げ、嘉儀農林同様、一人で投げ続けたエースに限界がきて強豪相手に敗れ去った。ドラマ、ともいえるが、この80年ほど同じことをやっているともいえる。球数制限の指摘も一部OB(桑田)や雑誌記事等でなされていて、ひところよりはファンの意識も変わってきていると思うが、「難しい問題ですね」で結局のところは終わってしまっているのは変わらず。「やむなく規制をかける話」のように語られているが、大差がついて試合がぶっ壊れているのだからこのままじゃダメだろ。まともな試合をやらせたい、見たい、という観点から考えればもう少し酷使回避の議論も盛り上がるのではと思うのだが。


           ついでに金足農業が人気を集めたのは、他県からの寄せ集めではないという純血主義的な観点にかなっていた点もあろう。他県から呼び寄せた選手ばかりで構成されるチームはしばしば地元の支持を得にくい現状が相変わらずだから、逆に自県民ばかりだと、よその県民にまで支持が広がる。
           だが、嘉儀農林の場合、狠聾橘鵜瓩鬟繊璽爐鵬辰┐襪海箸排涵个気譴討い襦8興嗣韻箚疎欧了匐,燭舛魎泙爛繊璽犢柔は、日本人だけより地域密着型であるはずだが、違和感と蔑みをためらわずに披露する人物が作中2人登場しており、1人はかなり悪意を持っている。これは果たして地元主義と正反対の立場なのか、それとも表裏一体なのか。100回目の今大会では、外国にルーツがあるのだろうという顔つきの選手がさらに増えてきたから、考える価値は十分ある。

          このキノコ型に剪定されたガジュマルが並木になっている地区も市内にはある模様。

           

           ところで映画では、呉明捷とは別に、もう一人の呉が出ている。大阪人がいうところの「ごまめ」のような少年で、「将来は俺も嘉農に入るんだ〜」とはしゃぎながら、グラウンドの周りを駆け回っている。ほとんどストーリーと関係がないこの男児は、その後巨人〜阪神〜毎日で活躍する呉昌征(呉波)だとエンドロールでも明かされている。戦時中は農業高校で学んだ経歴から、甲子園のグラウンドを芋畑にする作業を任されていた(とNHKでやってた)。

           

           映画では、パパイアにまつわる農業知識が精神面を鼓舞する比喩として使われていたが、その後逆に野球場が農場になる。それも比喩でなく。どちらも土と密接に関係があるからといえばそうなのだが、条件が整ってしまうとおかしな組合せが生じてしまうという教訓だ。夏の大会は8/15と重なるため「戦争」と無縁ではいられないのだが、だったらより直接的な慰霊と記念の意味で、焼き芋かジャガバターでも売ったらどうか。暑苦しいな。


          【La 美麗島粗誌】(22)嘉儀その1_錠者と蓬莱

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            レンタサイクルが発達している。

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             台中―嘉儀は、区間車では2時間ほどかかる。朝食前に自強号の指定席を押さえておいてやはり正解だった。日曜だし、自強号はすぐ満席になる。1時間ほどで到着、台南に似た小ぶりの古い駅舎に立った。
             嘉儀は俺にとっては嘉儀農林とイコールであり、嘉儀観光もそこに尽きる。駅は「KANO」では中盤くらいに登場するが、若干説明が要る。


             この映画は、嘉儀農林と対戦したライバル高校エースの錠者(じょうしゃ)君が、軍人となった10余年後にあの夏を振り返るという構成で組み立てられている。錠者はフィリピンに出撃するため台湾北部の基隆から上陸し、鉄道で南下する。途中、嘉儀に到着すると、鉄道の待ち時間を利用してかつてのライバルの練習場を見に行くことにする。
             「すみません、嘉農の練習場はどこですか」
             「ああ、これをまっすぐだよ」
             と駅にいた人に聞いて歩き出すのだが、こうして実際駅舎に立つと、まず出てきた言葉は「遠いな」だった。片道3キロほどか。往復で1時間強、練習場に着いた錠者は一人芝居(一人儀式)をとっくりとしているから結構ギリギリに戻ってくる勘定になる。

            1933年の駅舎。駅前広場はごく最近整備されらしく、市長の実績として大々的に宣伝されていた。そこまでのものか?とつい思う

            日曜だからか、画家、書家、彫刻家らが実演中。

             とりあえずタバコを吸おう。台湾の喫煙事情はインドと似ている。屋内は禁煙なので飲食店やホテルなどすべて禁煙だ。また、公共の広場のような場所も禁煙の表示が出ている。このため駅などでは外に灰皿を置いているのだが、阿片窟のように奥に追いやられている日本と違って外に出てすぐくらいのところにある。その点では日本よりやさしい。路上が法律上どうなっているのか知らないが、路上で吸っている人間は結構見かける(中には大陸からの旅行者もいたかもしれないが)。


             嘉儀駅の場合、駅舎の外壁から数メートルの地面が赤線で囲われていて「この線から内側は禁煙」と書いてある。なので灰皿は置いていないが、赤線の外だと喫煙可だ。台鐵の駅は概ねこのようなシステムらしく、台北駅も同じく赤線が引いてあった(台北の場合はさすがに灰皿がたくさん置いてあったが)。
             要するにダメとOKの線引きがはっきりしていて合理的だ。日本の場合、ここはダメ、ここはダメ、と場当たり的に禁止場所を決めて行って結果総じて禁止になっているような格好で、まあ日本的といえばそう。

             

             さて正面の幹線道路を渡るには地下道を降りるようだ。日本同様、壁には広告が掲示してある。そのうちの一つで、嘉儀市長自ら雛肉飯を宣伝していた。出発前にホテルであれこれ調べたときには、「雛肉飯だけじゃない嘉儀のグルメ」というページに行き当たったが、肝心の雛肉飯をまだセブンイレブンのおにぎりでしか食べていないのだった。

             

             昼飯に食べようと考えつつ、俺は地上に出てお馴染み中山路を歩いた。国道1号線等と異なり、その他の都市の中山路とつながっているわけではない。単に名前が同じというだけだが、景色も割と同じだ。亭仔脚構造のビル、縦長看板、そして道路脇を埋め尽くすバイク――。

             すでに掲載したもろもろの写真にも、かなりの頻度で映り込んでいるのを見てもわかるように、台湾はバイクの数が尋常ではない。このブログで紹介した台湾映画でも主要登場人物の誰かがバイクに乗っている場面がすぐ出てくる。ただし大抵はホンダのCB125のようなタイプだが、現実の台湾はスクーターだらけだ。写真のように街中のコリドー沿いはバイクだらけになっているのが常。店舗の前にズラリ並んでいるので、どの店もバイク屋かと間違えそうになるくらいだ。

            こういう道路事情なので、レンタサイクルを利用した場合、自転車はどこを走ればいいのか悩む。

             駅前は実際にバイクの店が多いが、多くはレンタル屋である。日本と違って二輪の貸出が盛んなようだ。そして俺も旅行前はバイクを借りてアクセスの悪いところを巡るのもありかと考えていた。というのも台湾の場合、JAFで手続きをすれば現地で運転可能な書類を発行してくれる気軽な環境なのだ。だけどいざ現地に着くとそこまでの蛮勇がないことに実感した。結局JAFの書類の出番はなく、手数料4000円弱を捨てたようなものだった。

             あと余談だが、ナンバーの形状は日本とよく似ているのだが、日本でいう「品川」とか「なにわ」とか書いてある部分には「台湾省」と書いてあるところが何気に中華民国的である(「高雄市」などと市を書いているナンプレもあるが、これは直轄市とそれ以外の権限の違いだそう)。実質台湾省以外ないが、意気込みと建前は大陸も民国なのでこうなる。

             中山路をしばらく歩くと、「蓬莱」の看板が見え、「ここか」と足を止めた。
             関西人は「蓬莱」と聞くと551の豚まんを想像すると思うが、創業者はここ嘉儀の出身である。そしてその親戚筋に当たる人が営んでいるのがこの店だ。前掲書「タイワニーズ」から仕入れた知識で、店名とロゴの使用を許されてこのような看板を掲げている。ただし豚まんやアイスキャンデーを売っているわけではなく、パンとケーキの店だ。

             

             大陸(東北地方)では大連くらいでしか見かけなかった稀有な存在だが、台湾は日本同様パン屋を街中のあちこちで見つけることができる。いずれも外からガラス越しにチラっと見ただけだが、どれも日本のパン屋と似たような店構えだ。ところがこの蓬莱は、商品をラップで包んだ昭和のころのパン屋に近い。悪く言うと全体に湿気た印象だ。ただ「タイワニーズ」にも出てくるが、「蓬莱バーガー」は店内でジュウジュウと焼いて出しくくれる。これがこの店の看板商品だ。

             

            1つ40元なので、551の豚まんと同程度の価格


             美味そうな匂いがする。俺も買ってみることにしよう。ビックマックのような箱で渡され、一分も歩かないうちに最初の目的地が見えた。この辺りで食べるとしよう。行列の出来ている雛肉飯屋(元祖を名乗る有名店だそう)の隣に持ち帰り型紅茶屋があり、飲料も仕入れた。メニューがありすぎてよくわからないので、店員が勧めてきた柚子なんちゃらを買った。


             円形交差点の中心で躍動しているのが、呉明捷だ。俺は閉店している店舗前にあった椅子に腰かけ、蓬莱バーガーをかじった。見かけから抱いた想像を何も裏切らないとても普通の味だった。



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