映画の感想:ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド

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     話らしい話もない内容と聞いていたので勝手に短い作品だと思い込んでいたが、よくよく見れば「上映時間161分」とある。長い。話らしい話もなくどうしてそんなに長くなれるのだろうと不思議に思いながら見た。長い謎はすぐ解けて、一個一個のシークエンスが、よくある映画のテンポ感覚からするといちいち妙に長いからなんだな(例えば序盤の犬に餌をやるシーン。普通はあんなに長く要らんだろ)。割とサクサク展開していく映画を作っている監督のようなイメージがあるが、よくよく振り返ってみると、そこそんなに要る?っていうくらい、時によってやけに長いこと引っ張るのは昔からやっている。それを全体に適用した格好。


     ある時期のある地域の様子を、ストーリーがあるようなないような展開でだらだらねちねちと描き、パロディもあれこれ、となれば、これはもう映画におけるユリシーズといっていいのではないか。と、読まずに言っている。まあとにかく、この長ったらしい感じは不思議な面白さがあって、文学作品風味も感じたのだった。
     

     終盤の、とうとう青春の日々は終わるというような場面でストーンズの初期の代表曲「Out of time」が流れるところにジーンと感じ入ってしまい、この曲はこんないい曲だったのかと再認識させられる辺り、使い方も映画自身もよくできているのだろう。で、終わりかと思ったら全然そんなことはなく、ここから先、全く予想外の展開だった。そういえばこの監督、偽史を語るのもお得意だった。結構残酷なのになぜかすっとしてしまうアクションの見事さ含め。
     

     本作の中で重要かつ、かなり異質な存在が「マンソン・ファミリー」である。彼らが一体どういう存在なのかは、「ネタバレじゃなくて知っておかないと意味がわからない」と町山智浩が断ってラジオで紹介していた。確かに知らないと「こいつらのこのシーンは何なん?」となるかもしれない(どちらかというと爽やか女優シャロンのシーンの方が「何なん?」となりそうか)。で、おそらく現地アメリカでは、ほとんどの人が「ああ、あれか」と思いながら見ているだろう。
     

     だけどこれ、知らない方が面白いのかも、という気もした。俺の場合、そのラジオを聞いてなくても、事件自体はどこかで読んだことがあって超漠然とは知っていた。ロックバンドのマリリン・マンソンの名前の由来として知ったような気もするし、もっとゲスい雑誌の記事で読んだような気もする。おそらく両方だ。
     

     で、そういう気色の悪い集団だという知識があるので彼らが登場した時点で腹の奥が少々ざわざわとしてくるわけだが、知らなくてもどこか気味の悪い連中だと感じることは出来る演出になっている。ただしその気味の悪さは、いかにもこの後ゾンビに変身しそうだとかそういう恐怖丸わかりな調子ではなく、ただのキワモノ的な相容れない人たち、くらいの不気味さだ。「今はやりのヒッピーのうざい連中、の延長線上にいるかなり濃い連中」くらいの位置づけといおうか。


     それが実はそんなレベルではまったくなかったというのをこの後、実際のアメリカ社会は知るわけだが、同じことは日本社会でも経験することになる。麻原彰晃を面白キャラとして消費する人々、うさん臭さに眉を顰める人々、「ところどころついていけないけど、たまにマトモな筋の通ったことも言っている」と教団の本を読んでいた友人、ようそんな気色の悪い装丁の本を本棚に並べられるな、と呆れたがそれ以上は特に考えなかった俺、等々を思い出した。
     

     事前に知らない方が、その同時代感はより経験できたかもなあと、そんなことを考えさせられた上手い描き方だと思う。いかにもそういう存在として出てくるわけではないが、さりとてフツーの連中というわけでもないネジのはずれたサマが絶妙。俺の場合は、マンソンファミリーをうっすらと知っていただけだったから、見ている途中か見終わった後で、ああ!あれはアレか!と気づいてゾッとするという一番丁度いい触れ方が出来たのかも。
     

     後は備忘録。
     演技の中で最も難しいのではと常々思っている「下手な演技」が本作にも登場していて、これがなかなか見事だった。素人の棒読みの類ではなく、頑張っているけど下手くそな大根芝居。台詞を忘れてしまった惨めさを挽回しようと頑張れば頑張るほど要らない過剰さの上塗りになって滅茶苦茶ダサい演技になる辺り、見事だった。プリオは演技が上手いんだなあ。

     

     で、落ち目の役者役の彼が劇中で演じる西部劇の悪役の格好が、まるでバート・レイノルズだと思ってみていたら、実際バート・レイノルズをモデルにしたのだとネットの記事で読んだ。バート・レイノルズといえば「トランザム7000」だが、あの作品では、助手席に乗せた若い女が脚を伸ばしてフロントガラスをヒールでカツカツと蹴るシーンがある。滅茶苦茶行儀悪いなと子供心に妙に印象に残っていたんだけど、本作でも助手席に乗せたヒッピー娘がフロントガラスを足の裏でべたべたと触るシーンがあった。この監督は何かと「わかる人はわかる」パロディ、引用の類が多いので、「これももしかして?」とつい思ってしまう。デカいアメ車だと、こういう人って向こうじゃ普通にいるっていうだけのことだと思うんだけど。
     

     大脱走のシーンに代表されるように、作っている人間が一番面白いという作品だったと思うが、それが特に鼻につくでもなく客の側も楽しめる点、さすがは手練れの監督であり、楽しく作ったものを楽しめるというのは何かと幸せなことである。

     

    「ONCE UPON A TIME IN HOLLYWOOD」2019年アメリカ
    監督:クエンティン・タランティーノ
    出演:レオナルド・ディカプリオ、ブラッド・ピット、マーゴット・ロビー


    【巻ギュー充棟】牙

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       「五色の虹」に引き続き、またもや著者が中国の政府関係者にホテルで陰湿に絡まれるサスペンス型ドキュメンタリーの巻となっている。必然、中国の官憲相手に記者が1人で出来ることなど皆無に等しく、前作同様取材は核心の入口でシャットアウト。当人も末尾で述べているように、大して暴けたことはない。

       前作はそれでも歴史の話なので、他の取材先、他に書けることはいくらでもあったが、今作は現在進行形のテーマにつき取材は難航を極める。なのでボリュームも薄いわけだが、取材が難しい分、明らかになることは大してなくても読ませるところは多々あった。


       ただ、この話の流れなら、日本の現状はもう少し読みたいところだ。まあ会社員だけに、そこまで自由自在には動けんわなあ。交通費が会社持ちな分、海外取材は会社員の方にアドバンテージがあるが、どうしても範囲は所属に縛られるところはある。ジレンマだな。


       人生で象牙に接した経験は数えるほどしかなく、何でそこまで重宝されるのかは正直よくわからない素材だ。ダイヤ等宝石の類も特に興味がないが、綺麗だとは思うのでまだ欲しがる気持ちは想像つく。

       印刷屋で働いていたころ、一度だけ象牙を持ち込んで印鑑を注文してくる客を見た。先代社長のおやっさんは、「これに彫ってくれ」と客が差し出した印材を目にした瞬間「象牙か、好かんな…」とこぼしていた。海外旅行の好きな人だし自然環境問題にも関心があるからなのか、それとも不正に印材を入手していた場合の面倒ごとを嫌ってか、理由はよく知らないが、爺様世代の業界人も象牙を嫌うのかという点では意外な気がして印象に残っていた。あと独特の白さは確かに映えるものがあったのはよく覚えている。

       

       博物館でも何度か見た覚えがあるが、具体的に印象に残っているのは台湾の故宮博物院にあった象牙細工である。印材にも用いられるように、象牙は彫刻等の加工に非常にマッチしているわけだが、そのせいか細か過ぎる細工が過剰で、見ていてちょっと気持ち悪いくらいだった。

       大抵象牙の美術品にはその傾向があるが、台湾のあれは(さすが皇帝の秘蔵品といったところか)とにかく突出して細密で感動ではなく不気味さに鳥肌が立った。だけど同じものを見たことがある知人は「何で?あれ最高っしょ!」と言っていたのでやはり好きな人は好きなんだな。

       撮影可だったのであのときの写真を見返してみたが、共感できなかったせいか撮っていない。参考までにこんなやつ。改めてみると「マモー」を思い出すな…。

       ちなみに象牙の美術品を展示する場合、所管官庁に届け出がいるらしく、正直展示は面倒くさいというのが内部の率直な意見だと聞いたことがある。

       

       それで先日会った親戚からは、「死んだらこれあんたにあげる」と象牙の仏像を見せられた。1/144ガンダムくらいの小ぶりなサイズ。随分昔に東南アジアのどこかに旅行にいった際購入したという。そのせいか南伝仏教風の派手なデザインでカラフルに彩色されていて、ホンマに象牙かいな?と内心疑念が湧くが、この場合、偽物であってほしいという気もする。

       どっちにしろ、触った感じはまさに骨で、母親の骨を拾ったときを思い出した。やっぱり好かん。だいたい「死んだらあげる」っていっても、美術展示同様もろもろ面倒な手続きがあるんじゃないの、と思って調べてみたら、何もなかった。

       

       まあこの親戚同様、ありがたがる人は一定数いて、その伝統産業に従事している人も存在し、という中で国際会議で異論を唱える日本の立場はそれはそれで合理性があるのかもしれないが、果たしてホントにそれが理由か?という印象はある。伝統を主張しつつ、ホンマの伝統である沿岸捕鯨より南氷洋にこだわる捕鯨のあのわけのわからなさに通じるややこしげな何か。アフリカでヤバイ橋渡りながらの奮闘をした著者には申し訳ないが、その辺のところの方がもっと知りたい内容ではあった。

       

      『牙 アフリカゾウの「密猟組織」を追って』三浦英之 小学館2019


      UFOキャッチャー

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         近所の煙草屋のおやじが最近、急速に老けこんでいる。どうせ買うならコンビニよりも個人商店で、と考えつつ、まあそれでも営業時間等の関係でついコンビニに行ってしまうから、頻度としてはたまに行く程度。

         従来だと、「〇〇ください」「ええーっと、これですか?」「いやその隣」「ああこれ」くらいのやり取りで済んでいたのだが、最近はその4〜5倍かかるようになってしまった。

         

        「〇〇ください」
        「これですか」
        「その右隣」
        「これですか」←なぜか上段に行く。
        「いやその下」
        「これですか」
        「その右隣」
        「これですか」←やはり上に行く。
        「違います。その下の」
        「これですか」←今度はどうしてか右へ
        「その真下!」
        「これですか」←なぜか左に戻る

         

         まあ以前にこんなテンドンの王道状態だったので、今回は番号で伝えようと考えて再チャレンジ。
        「〇〇番ください」
        「これですか」
        「その右隣」
        「これですか」←なぜか上段に行く再放送。
        「いや〇〇番です(デカい声で)」
        「これですか」←聞いてない
        「その下!」
        「これですか」←どういうわけか真下ではなく左斜め下へ。
        「違います。その右の〇〇番」
        「これですか」←やはり上にいくリバイバル上映
        「その右下。〇〇番!」
        「これですねウインストン」
        「違う!」

         

         私はだんだんとこの状況がおもしろくなってきた(©深夜特急)。クレーンゲームと化している難しさだった(それでも買えた)。ご本人も「ウインストンで」と言ったとき、ここら辺で手を打ってくれくらいの印象が漂っていたから、わけのわからんことを言う客だ、くらいに思われているのかもしれない。申し訳ないことをした。

         今度は空箱持っていくことにしよう。敬遠してコンビニに行くという最も簡単な解決法を採ろうとはしないのが、巡り巡って何かしらの社会正義の実現になるのではないかと思うからで、煙草やめればという更に妥当な解決策も、この場合は落下速度を計算する高校一年の物理の問題の「ただし空気抵抗は除く」と同様、ただし除く、のである。


        特別展三国志 Three Kingdoms Unveling Story

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          ミュージアムは撮影可の時代に突入している。まあ本展覧会の場合、本来展示品を所蔵している中国の博物館は総じて撮影可なので必然そうなるんだろう。

           

           さて親戚の用事に向かう前に、上野へ。終了間際の「三国志」展の招待券が俺の手元にはあるのだった。
           休日かつ終了間際となると混雑必至ゆえ、開館前から並ぶことにしたのだが、到着するとすでに「J」の字くらいの列が門の前に出来ている。最後尾に並び読書しているうちに「Z」がいくつも重なる状態になっていた。


           後があるので早めに切り上げようと考えていたが、なかなかに面白くて無理だった。
           展示は大まか3種類に分けられる。1つは日本における三国志だ。「三国志」といっても、史書としての三国志と、フィクションとしての三国志演義があるのはよく知られた話。日本で広く流布(中国でも同じだが)したのは後者で、特に戦後は吉川英治の小説とそれをベースにした横山光輝のマンガ、NHKの人形劇、コーエーのコンピューターゲームあたりが定着に貢献した作品たちであろう。

           このうち、横山三国志の原画と、NHKの人形の展示があった。国立博物館での開催だし、キャッチコピーが「いざ、リアル三国志へ参らん」だから、これらの展示はあくまで脇役で、合間合間のブリッジのような役割として扱われていた。まあそれでも人気は一番ある。実際原画の力強さといったら。特に連載初頭は作者も若いし張り切ってるしで、線の活き活きした様子にかなり感動した。

           人形もしかりで、衣装の刺繍の精緻さはかなりのもの。ある程度定型をなぞりつつ、横山三国志等との違いを出そうという意気込みが、孫権の金髪あたりに出ていてよい。

           

           メインは中国の博物館が所蔵している歴史的文物だが、これが大きく2種類ある。1つは中国における「演義」。三国志の物語は唐〜宋〜元と長い歴史の中で徐々に形作られていったのだけど、「演義」の作者が明の羅漢中ということになっている通り、明代に確立され、清代で中国における決定版(毛宗崗本)が生まれ人口に膾炙した。なのでそれらの時代、フィクションをベースにした絵画が作られているわけだ。


           そこに描かれているのは日本人でもひと目で関羽だ孔明だとわかる姿なのだけど、それ以外のキャラクターも結構わかるもんで、なるほど日本での描かれ方も中国で流布したパブリックイメージを結構なぞっているんだなと思った。例えば呂布のバッタみたいな兜など。まあ当たり前といえば当たり前なのだが。


           残りは、ズバリ当時の文物だ。陵墓等からの出土品で、具体的には食器類や装身具、像、印鑑などである。まさにこれこそ「リアル三国志」の展示なのだが、最も人気がなさそうでもある。実際、後日に「友達と見に行ったら、全然面白くなかったといっていた」と知人の談を聞いた。あれらを興味深く見ていた人の多くは、どちらかというと博物館好きだったり考古学ファンだったりするような人たちではなかろうか。

           

           多くの人にとって三国志は、赤馬髭男の武勇や忠義、羽扇子白装束男の知謀といった、ヒーローたちの活躍が魅力である。中学生のころの俺も、もれなく同じ入口から入っているのだけど、加齢とともに軍人や政治家に感情移入することもできなくなった。自分がこの物語にあまた登場する知謀の士の誰ほどのインテリジェンスも持ち合わせていない現実を思い知るというのもあるし、周囲の上司も「登場した時点で敗北が決定している名前も覚えていない雑魚の太守たち」とそう変わらんことを目の当たりにし割と世間全体がそうだと知ったというものある。

           そうなってくると袁術とかの、全然人気ない勢力に興味がいったり、社会やら経済やら、英雄譚とは別の切り口を知りたいと思ったりする。

           

           なので、漢王朝時代の技術水準とか、弱小勢力のようでいて案外生産力・技術力は高かったらしい蜀漢の水準を窺わせる出土品なんかは見ていて楽しい。

           ただ一番面白かったのは、投石に使用されたという丸い石で、マンガの中でのさんざん出てくるやつの実物というのは、ただの石ながら「ホンマに投げとったんや」と感動する。土佐文旦くらいかとにかく思ったより結構大きい。あと、あまたいる登場人物のうち、唯一当人のハンコが残っているのが曹休ただ一人というのもおもしろかった。まあ曹休といわれても、そういやそんなやついたっけかくらいの記憶度合なのだけど。

           

          改めて写真で見るとシュールな展示

           

           もう一つの見どころは最近見つかった曹操の陵墓の再現コーナー。玄室の感じを柱だけで表現していて、洒落た演劇のセットのようになっている。そこには出土品の白い器が、従来の定説を覆すほど古い時代の「白磁」として紹介されているが、知人の壺先生は「あれは白磁ではない」とご立腹。単に白く塗っているだけで素材も製法がまるで違うとのことなのだけど、まあこのころの「白い器があればなあ」という欲求が、その後の技術革新につながりまるで異なる白い器が生まれるということなんだろう。そういう点では鳥獣戯画にマンガの嚆矢を見るよりはマシなんじゃないかしら。一緒かな。


           覚悟はしていたが、ミュージアムショップは散財の罠だらけだった。何だかんだ理屈をこねても、横山光輝のあのどこか牧歌的な絵は魅力的だもんで、絵葉書だのクリアファイルだのにされるとつい手が伸びてしまう。

           ただ、名場面や笑えるコマとされているのは、SNS上でかなり定型化されている部分があり、本展覧会の商品も、そのネット上のお約束をトレースしている格好。代表格が「待て/あわてるな/これは孔明の/罠だ」と「温州蜜柑で/ございます」。

           それを考えると少々白ける気分もあるので多少のブレーキにはなる。なのである程度冷静に自重してレジへ。げーっ、6700円!(←定番のコマのお約束


          馴染めない男と馴染んでくる男

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            雪のない富士山を見るのは初めてかも。乗り合わせたコーカソイド系外国人観光客が、周囲の日本人乗客がなぜ揃いもそろって窓の外を撮影しているのか「??」といった反応を見せる締まりのなさ。

             

             親戚の用事で東京に。
             今月も仕事で新幹線に乗ること自体は多いけど、すべて西行き。東京方面のホームに上るのは何年ぶりか。皮算用ではもっと多いはずなんだけどおかしいなあ。

             

             この日もそうだけど、新大阪駅の新幹線乗り場では、乗る前に喫煙コーナーに行くことが多い。そこには液晶モニターがあって、行き場を失くした煙草のCMが流れている。以前は、アイデアが降ってくるなんて嘘だというモチーフだったことは前に書いた。妥当な部分はあるにせよ、アイデアはやはり降りてくるもんだというような話である。

             

             最近見るのは、あのCMは随分マシだったんだなと思わされるような酷い内容である。

             加熱式煙草のCMで、3種類あるからシーンに応じて使い分けられますよといったようなことを訴えている。だもんで、若い男がどこでもドアのようなものであっちこっちに移動して、その場に合わせたタイプの加熱式を味わうという構成なのだけど、その「場」というのが、鼻持ちならない雰囲気のパーティーだったり鼻持ちならない雰囲気のBBQだったり、高そうなバーにジャズクラブ、都市のど真ん中でのスケボー遊び、と続く。

             

             で、こいつはどうやって生活してんの?

             

             そんなことを考えたのは、長髪を後ろで括ってカジュアルな格好であちこちウロウロしている30前半くらいの主人公の風体振舞いがまずある。そして、不労所得で暮らしている資産家なのかこいつは、という映像を映すそのモニターの下にいるのが総じてくたびれた様子のワイシャツ不機嫌男ども(一部女性)。誰が共感するんだこれ、というギャップの物凄さによるところ大である。


             しかし、資産家の割には鼻持ちならないパーティ&バーベキューに馴染めていない雰囲気が気にかかる。金とコネで貴族の仲間入りを果たしたけど宮廷サロンに居場所がなくて始終半笑いの大商人、とでもいうような様子である。
             このCMは最後、海辺の断崖で独り焚火をして黄昏ているところで終わるのだけど、そのどこかわからん断崖の遠くの方で、どこでもドアをくぐって別のもう一人が去っていく。スーツに帽子にアタッシェケースのいでたちで、それを見送る主人公は何かほっとしたようなやるせないような微妙な表情をしている。

             どうもはっきりしないラストなのだが、あのアタッシェケース後ろ姿は借金取りなのではないかと気が付き腑に落ちた。何のことはない、単に借金で遊びまくっているだけだった。まあ、金ないやつほど煙草やめてないという点では真実だな、と無理にひねり出すしか作ったやつの気が知れん。市場そのものが縮小している分野だから、必然CMもダサくなるのか。

             

             後日、そんな話を、仕事でたまに会う営業の人(喫煙者)に語ったら、「あのCMを、そんな視点で見るわけですねえ」と、まるで五島勉でも見るかのような顔つきをされてしまった。要するに、良くも悪くも何にも響いていないCMだということで、余計ダメやんけ。

             

             さて、煙草を吸わない人の中にはいまだに新幹線や特急列車に喫煙車があると思い込んでいる人がたまにいるが、とうの昔にそんなものはない。新幹線の場合、広くても3人、しばしば2人分しかスペースのないガラス張りの個室で吸うことになる。必然混むので面倒くさいからあんまり行かない。が、この日は小田原を過ぎた辺りでなんとなく向かったのだけど、2人分スペースの片方に座り込んでスマホをいじっているヤンキー風の男がいる。

             加熱式なので灰が落ちることもないから、たまにアリバイのように口をつけるだけ。このため実質一人分のスペースのところを数人が待つ状態になっていた。1人また1人と入れ替わる間、そいつはずーっとどこ吹く風で座り込んでスマホに夢中。さすがに腹も立ってくるので、「蹴とばすぞコラ」くらいの念力を送りながらガラス越しにその男を凝視していた。

             

             それでようやく男が立ち上がり、最後の待ち人1人になっていた俺と出口で鉢合わせた瞬間、その男が破顔一笑「カッコいいTシャツっすねえ〜」と、柔軟剤でふわっふわのタオルのような物腰で語り掛けてきて、虚を突かれた俺はただ「うん」と応じるだけだった。
             なるほどこの男はずっとそうやって生きているのか。全く賛同できないが、それはそれでひとつの処世術だわな。何か勉強になった。こいつをCMに出した方がいいんじゃないかとすら思わされた。



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