片道20分の船旅

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     「敷居が高い」という慣用句は、高級な寿司屋やイタリアブランドの服屋のような高くて気取って入りにくいことを指すのではなく、不義理のせいでその場に行きにくい状態をいう。正式な意味は、あまり用途がない。だったら高い寿司屋も「敷居が高い」でいいじゃないかと思うが、その珍しい正しい方の用途に直面した。

     

     出張ついでに瀬戸大橋を渡ったのは、骨付鳥を食べて、行きつけのバー「C」に行くのが半分であるが、もう半分は古い知り合いへの挨拶であった。
     会社員時代に世話になった人々のうち、若干名とは今も年賀状のやり取りがある。そのうちの一人Y氏は、最も恩のある一人である。自分の父親よりはるかに年上の御高齢であったが、とうとう今年の正月は年賀状が来なかった。亡くなったのか体調を崩したのか、ちょうど現地に気安い人が転勤になったので確認してもらったらちょうど1年ほど前の昨夏、永眠されたとの由。「私が生きてるうちに早くデビューして読ませてくれ」と昨年の年賀状にはあったが、間に合わなかった。

     

     せめてこの機会に線香をあげてこようと思ったが、会社を辞めて十余年、会いに行くこともなく不義理をぶっこいてきたから、実に「敷居が高い」。しかし、行くしかあるまい。どうせ後悔する。俺は朝から桟橋に立った。小ぶりの客船が接岸する。台風が近づいているせいか、停泊中の船はやけに揺れる。乗り込んだ途端、早速気持ち悪くなってきた俺はすぐに降りた。船員のおっさんが笑っている。定刻が近づいたので、とりあえず乗船し、ギリギリまでデッキで立って待った。客室よりはマシだ。しかし一向に出航しない。どうやら「職員が銀行に寄って遅れている」からだそうだ。これはそういう船なのだ。

     

     自転車の向かい風で整髪が乱れた中年男が現れ、ようやく船は離岸した。当時はもっと粗末な船で、航行中にデッキにいてもよかったが、今は客室内にいなければならなくなっていた。窓から遠ざかる街並みを眺めた。

     

     そうして20分。船は小島に接岸した。時間も距離も全然大したことはないが、海を隔て、1日4往復の便で結ばれるから、近いのか遠いのか、ちょっと微妙なところはある。そこがまた絶妙な絶望をもたらす島だったのだろうと毎度想像させられる。
    勝手知ったるはずの目的地には、迷いながらたどり着いた。久しぶりというのもあるが、狹臾鵜瓩旅睥隹修砲茲辰峠撒鑄分が色々改築され、景色がちょっと変わったというのもある。まあ十余年ぶりだから当たり前だ。

     

     「自治会」と看板を掲げた建物の敷居をまたぐと、事務机に森さんはいた。挨拶すると一瞬だけ怪訝そうな顔を挟み、すぐさま「ああ〜」と屈託なく迎えてくれた。敷居はまたいでみると思いのほか低いこともある。高くしているのは己の心なのだが、問題自体も相手の態度より己の心にあるから、森さんのウエルカムな対応によって何かが解決したわけではない。
     Y氏の件で、と用向きを述べると、「去年の8月だったねえ」と少し寂しそうな顔をした森さんは、「じゃあ早速いっておいでよ」と電話を取り、係の人に便宜を図ってくれた。

     

     この島の人たちは、ほとんどが亡くなると島内の納骨堂に収められる。現れた職員氏は、俺より少し年長と思しき女性で「どういうお知り合いで」と尋ねてくる。


     ここでも何度書いた話だ。会社員時代、自分の知っている範囲の世界がいかに狭かったのかを思い知らされた場所である。当時Y氏は森さんとともにここの島の自治会長を交代で務めていた人で、理知的で肝も座っていて、それでいて茶目っ気があり、俺はすっかりこの人の大きさに魅せられてしまっていた。
     「おかしな言い方ですが、なんというか、ウマが合う方でした」
     そういうと係の女性は「ああ、何か、わかります」と笑った。


     納骨堂にはたくさんの遺骨が亡くなった年月順に整然と並べられている。当然ながら順調に数が増え、その分生きている人は減っている。現在は50人ほどだというから、俺がよく訪れいていた十余年前の2割ほどになっている。Y氏の遺骨はたまたま棚の端の最上段に収まっていて、女性は「いかにもYさんらしい場所でしょ」と言った。随分弱ってはいたが、船に乗って買い物に出歩くくらいの元気はあったというが、風呂場で倒れてそのまま、という突然の出来事だったらしい。

     「線香をあげる」とはいうものの、線香の持ち合わせはなかったが、納骨堂なので常備してある。「お供えを買う」という世間知が、乗船前にギリギリで発動し、慌てて買った栗饅頭を備えて手を合わせた。自分でも驚くくらい長く手を合わせていた。「またいつでも来てくださいね」と言われ、敷居がどうとか余計なことを考えず、また来ようと思った。


    桐生と田中

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      こちらはサブトラック。昔はこんな立派なものはなかった。国体に向けて鋭意改装中。既存施設を使うから金がかからない国体だといいつつ、ほとんど全面改装の様相を呈している印象。

       

       9秒台が出たことよりも、その場所が故郷だったことに驚いた。家の近くじゃないか。俺も2回走ったことがある。あそこは走りやすいんだよなあ、とさも知ったように言ってみる。何せ地面がゴムだから。全国どこでもそうだ。

       

       一度目は、トラックにゴムが敷き詰められてまもない小学生のころだった。友達たちと忍び込んだ。牧歌的時代、牧歌的田舎、柵を乗り越える程度で入れたのだ。中に入ったのは別に走りたかったわけではなく、とにかく真新しい場所に入りたかっただけで、そのうち誰かが地面のゴム片をむしり、別の誰かが「俺青見つけた」「俺は黄色見つけた」と競争になった。色んな色でラインが引いてあるので、その部分のゴムをコレクションし出したのだ。そのうち、「コラお前ら!」と係のおっさんが現れて全速力で逃げた。

       これが一度目。しかし、誰もいないところに闖入してまんまと見つかって怒られるのだから、ちゃんと係員がいて、仕事してたということである。自分がおっさんになった今、同じことが出来るかというと、面倒だし、実害ないやろうから放っておけと我ながら言いそう。「コラ!」ってあんな通る声も出そうにない。

       

       二度目は、今度は正式に選手として。市の学校対抗の陸上大会のようなものに出場した。これも小学校のとき。リレーが400と1600(100×16人)の2つがあり、花形は400だから、どこの学校も一番速いのを4人揃えてくる。わが校もそうだった。ところが直前に先生が「他が400に力を入れるなら、こちらは1600に実力者をそろえた方が勝てる」と中国の故事のようなことを考え、メンバー入替を主催者に申請した。

       だが直前過ぎて「もう締め切った」と断られてしまう。諦めない先生は、替え玉をやることにした。400と1600の入替メンバーに、ゼッケンを交換させて、お互い自分がそいつだと自称するように命じたわけである。こうして1600に出る予定だった俺を含めた4人は、当初400に選ばれていた速い4人と互いに替え玉になることになった。不正は強豪が強豪をキープするためにやるのがマンガではお約束だが、実際は弱いやつがちょっとでも成り上がろうとして働くのである。まさかそれが義務教育の現場で、というのがちょっと凄いが、大人から命じられて秘密を抱えるミッションにドキドキワクワクしたのだから(少なくとも俺にとっては)貴重な経験であった。

       

       とにかくこうして俺は「田中」になった(当たり前だが田中は「森下」になった)。偶然、元の速いメンバーは4人中3人が田中で、出場前に裏手で整列しているとき、隣にいた別の学校の選手から「田中だらけで嘘みたいやな」と言われて「ギク!」となった。この話しかけてきた男子とはその後高校で席が隣同士になるが、この話のすごいところはその偶然ではなく、俺がそれに気づいた気持ちの悪い記憶力である。
       俺の出走位置は、自分の学校の応援席の前だった。事情を知らない応援団は目の前の選手に声援をおくってくれるが、当然ながら本名の大合唱である。俺は慌ててやめろやめろと手を振るが、ただ声援にこたえているお調子者のようにしか見えなかった。

       動揺しながらバトンを受け取ったが、すでに前の学校と大きく差をつけられており、誰とも競り合うことなく一人でトラックを駆け抜けた。実に走りやすかったことだけは今もはっきり覚えている。一方の1600mは、バトンの受け渡しに失敗して失格に。昔話のようなオチがついた。

       古い話を思い出したことに感謝する。特に陸上ファンでもないのに、まさか桐生選手にこんな個人的な感慨を勝手に抱く日が来ようとは。


      仕事でかけまわる(駄洒落)

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         駅からバスに揺られること20分程度の丘陵地にある。途中の市街地には、地元国立大の結構広大なキャンパスがあり、かつ今時らしく、国立といえど、私立の有名大学のようなシャレた趣をしているのが車窓からもわかる。乗り合わせた若人のうち、きらびやか組は大抵ここで降車し、今一つ冴えない組が居残り、坂を上ることとなる。

         

         そんなある意味パンクロックな諸君は、みんな真面目で熱心で、こちらも熱が入った。理系の大学につき、歴史の話は敬遠されるかと思ったが、杞憂だった。通常、学生の興味を喚起するため、いくつか歴史豆知識的小噺を挟むのだが、面白がっているのは自分だけというお寒い状況になりがちなところ、ここでは総じてウケた(よくてクスクス、せいぜいニヤっとする程度だが、通常そんな反応は超希少)。大変に心地よいのであるが、可能性としては2つ考えられる。1つは、何事にも興味を覚える質の高い学生が揃っている説。もう一つは、知的好奇心が満たされることがあまりないので、やたらと飢えている説。当然前者だと願いたい。 ちなみに、その分野の学問に関連した小噺がウケるのは、しゃべる側の技術の問題もさることながら、学生の知性が多いに関係しているという。これはどこかの大学の先生が言っていた話だが、なるほどそうかもしれない。その先生はこのため、「この話は面白いから笑うように」と前置きしてから披露するという。形から入ることで、理解力を高める狙いである。面白い試みだと思うが、自分自身でこれを実行する勇気は出ない。

         

         学食のカツカレーは美味かった。俺の数少ないサンプル調査による偏見によると、理系の大学はカレーが美味い傾向がある。実験等々で、大学にいる時間が必然的に長いからだろうか。ただし、今時の学生は、やたらと「唐揚げマヨネーズ丼」の類を食べ、カレーを食べている人は少ない。

         

         国立大が私立大のような雰囲気だったのに対して、こちらの校舎はかつての国立大のようだ。個人的には古臭い方が雰囲気があって気分的にも落ち着くところがあるのだが、今時はどこの大学も常にどこかを新築か改装工事している。見栄えを随時更新しないと客が入らないラブホテル経営をつい思い出してしまうのだが、とにかく綺麗じゃないと学生が集まらないらしい。そこへいくと、この大学は最近珍しい印象である。地元自治体がたんまり払うスキームを他で採用して展開しているからだろうかとか余計なことを想像してしまうが、それはさておき、とにかく退場いただくおっさん連中にはご退場いただいて、若人には存分に学んでいただきたいものだ。


        【アマステ(Amagasaki-State)×2888】(26)All The Young Dudes

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          この牛はいったいどこからきてどこへ行くのか。一度密着取材をしてみたいというT氏は、パキスタンの首相辞任等々を語るときと違って、実に楽しそうな顔をしていた。

           くたびれ切って、最後の晩餐は、ちょっとお高い店に入った。食ったことのなさそうなものを自力で選ぶことに挑戦したが、既視感のあるものが出てきた。まあ美味いからいいんだが。

           一個一個の料理にチャパティだの米だのが添えられるので、テーブルは炭水化物だらけになる(写真ではご飯しか映っていないが)。「お好み焼きとご飯」に代表される「炭水化物に炭水化物」がアイデンティティ(というよりは正確には「ありえない」と否定する人に対して「これが大阪やんか」と主張すること自体がアイデンティティ)の大阪人と似ているようで違うのは、こちらはいわば、料理を頼むといちいちご飯付きの定食として出てくるような恰好。

          手前がインド名物、大皿の取り皿。右の肉の横に玉ねぎがついているが、これは必ず添えられている。ミニトマトくらいの小さな玉ねぎの半切りの場合もしばしば。脂っこい口の中がスッキリする。

           

           このご飯はインドにつきインディカ米。日本ではタイ米でおなじみの米だ。1994年の米不足で「マズい米」として有名になってしまったが、パラパラかつふわふわしているのでカレーにはよく合う。本来はスパゲティと同じく炊くというより茹でて食べるようだが、そのせいかどうか、食感はパスタにちょっと似ている気もする。インドカレーの場合は日本の米より合うと思った。帰国してからインドカレー屋に一度行ったが、日本の米で食べると物足りなさを感じてしまったほどだ。

           

           種類がいろいろあるのは既に触れたが、写真の米はおそらくバスマティというインド北部やパキスタンで作られる米。ひじきのように細くて、どうやって精米するのだろうと不思議だった。ま、今回食べた穀類料理で最も美味かったのは南インドのドーサだが、なぜか朝しか食べないようで、昼や夜に注文しても出てこなかったレアな食べ物である。
           

           空港まで送っていくのは億劫なので車だけ手配すると、T氏が冷たいのと優しいのとの中間の世話を焼いてくれた。御礼に南インドの通訳女性がくれた贈り物をT氏に進呈した。わざわざ選んで買ってくれた心温まる品のはずだが、異文化交流の難儀さを思い知る全く理解できない(正直ちょっと気持ちの悪い)デザインの置物だった。完全に押し付けであるが、T氏は一言「ありがとうございます」と言った。


           空港に到着すると、すぐさま異変を感じた。慌てて紳士淑女マークを探し、メトロの個室を目指した。結構遠い。急がなければ惨事になるが、速足だと振動が下腹部の運動を刺激してしまうので、抜き足差し足の競歩のようになる。ようやく到着したが、全部埋まっていた。で絶望的な気分になるも、奇跡的にすぐ空いた。一人待っている風があったが、切羽詰まった顔で彼を窺うと、あきらめたように譲ってくれた。初めてインド人(空港なので正確に何人かは不明だが)と通じ合えた心温まる瞬間であった。やはりスパイスにはまだコンディションは万全ではなかったということか。それにしても車中で催さなかったのは幸いだった。


           深い安堵感のまま搭乗手続きをしたが、最後の最後に荷物検査の係官に難癖をつけられてライターを取り上げられた。ダイヤル式の100円ライターはOKのはずなんだが、こいつは気分で没収しやがったな。単に没収されるなら想定内だが、「ふてえやろうだ」くらいの顔で威圧されたからムカッ腹が立ってしまった。

           

           インドの国際線は夜の離陸が好きらしい。事前に調べた便はことごとく深夜か明け方のフライトだった。乗ったのは23時過ぎの便だが、すぐさま晩飯が出て断る羽目になった。インド人はお腹いっぱいのまま幸せな就寝なのだろうが、俺は寝たような寝ないような状態で再びバンコクで乗り換え手続き。行きと違ってやけに荷物検査で混み合っていたのだが、さもありなん、服も靴もことごとく脱がされやたらと念入りだった。

           関空に到着すると義姉から「下痢は大丈夫なのか」とメールが入り、なぜ知っているのだろうと不思議に思ったが、単にどうせ下痢をするだろうと予測してのことだった。電話して仔細を説明すると「インドの下痢はインドの薬しか効かんから」とD氏と同じことを言うから、やはりそういうものなのか。

           

           数日後、D氏T氏と共通の知り合いで、スケジュールが合えば俺も行きたいと言っていたTG氏と会い、土産話を肴に飲酒した。店を出て、締めのブラックコーヒーを飲もうと近くのマクドに寄ったら、店員の若い女性がいかにもな顔つきといかにもな名前の名札をしていたので「もしかしてインド?」と聞くと、「デリーの出身です」との返答だった。凄い偶然。隣の部屋に行ったらまた同じ部屋だったという映画「キューブ」を思い出してしまった(後日調べると在留インド人の総数は約3万人で女性は9千人弱。大阪は1200人ほどだから単純計算で女性は400人足らず。やはりなかなかの偶然だった)。インドのマクドは閉店しているが、日本のマクドはインド人女子が働いている。
           つい数日前にインドから帰国したばかりだというと、この美女は大いに喜んでくれ「どこ行ったんですか」という。
           「タージマハルと」
           「ふんふん」
           「トリバンドラム」
           「??」
           「クダングラム」
           「??」
           「あーあと、ガンジーが暗殺された場所」
           「え〜、汚くなかったですか」
           「??全然綺麗なところやったけど??」
           「でもゴミが流れてませんでした?」
           どうやらガンジス川と間違えているらしい。「ガンジー」というこちらの発音が悪かったか。「そうじゃなくて、ガンディー。マハトマ」というと、「ああ」と彼女は納得したが反応は薄かった。建国の父の存在は相当に薄らいでいる模様。

           TG氏は「日本に旅行してきたというインド人にどこに行ったのか聞いて、原敬の暗殺地って言われるみたいなもんだよなあ」と彼女に同情している。マハトマと原敬では存在感が違うだろうと岩手県民には申し訳ないことを思うが、まあそんなものかもしれない。言い出したTG氏も、よくよく聞くと原敬の暗殺地と浜口雄幸の暗殺地を混同していたし(どちらも東京駅で暗殺されたが浜口遭難の地の方が目立つ場所にある)。

           しかし日本語の流暢な女性だった。サヘル・ローズみたいな声の調子と喋り方だった。こんな優秀な若人が来てくれるのはなぜか、日本社会はよくよく考えた方がいいと思うよホント。後日、土産を渡しがてら姪に下痢とトイレの話を聞かせたら、「絶対行きたくない。一生日本でいい」とこちらの若人は途端鎖国してしまった。国際化に導く大人の責任は険しいものだ。
           


          【アマステ(Amagasaki-State)×2888】(25)T-Shirt Sun Tan

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             インド門を作ったのは統治時代のイギリスである。そんなかつての支配者が作った建築物がいまだに残っている理由は、第一次世界大戦のインド人戦没者の慰霊のためという役割のせいだろう。

             イギリス植民地だったので、インド人は大戦に駆り出された。門の最上部に刻まれた英文によると、西部戦線やメソポタミア、北アフリカ等に出征したほか、大戦に呼応してイギリスに反旗を翻したアフガニスタンとの戦争(第3次アフガン戦争)に関わった戦没者の慰霊とある。よくよく見ないとわからないが門には亡くなった人の名前を刻んでおり、その数は約8万とのこと。このため、門と言いつつ中は通れず、衛兵が警護している。

            はためく国旗はいずれも軍艦や空軍などの軍隊関連の旗。

            画像補正を思い切りかけてようやくうっすら見えた。

             

             そういう意味合いとは裏腹に、周辺は観光客と物売りでごった返している。最初に写真売りに捕まって(あからさまにカメラをぶら下げているのに売ろうとするところがいかにもインド風)、その後腕輪売りに捕まった。

            今となってはインスタ映えするスポットくらいの場所になっている印象だが、イギリスの植民地撤退の鮮やかすぎる狡猾さの現れだとも思う。

            ファインダー越しに目が合い、まんまとロックオンされ「3本100ルピー」から始まって、断り続けると「6本100ルピー」までいった。要らないものを増やされても仕方がない。慈善気分で買うなら3本の時点で決済したい方がよさそう。

             

             「まだ時間がありますよ」とこの日はT氏のホスピタリティが続き、ガンジー記念博物館に寄った。残念ながら閉館時刻が迫っており、博物館は見れなかったが、ネットの口コミサイトによると、相当おかしな展示をしているらしい。見れず残念。

            上の芝生は土足禁止。

             

             ガンジー暗殺の地に立つ記念館で、最後の足取りが示してある。これは映画「ガンジー」の冒頭場面ではないか。現場を訪れるとまた見直さないといけない気がする。来年は没後70周年になるので、T氏はどうせそのうち企画記事を書かねばならない。「ここはいいなあ」とブツブツ言いながら下見がてら写真を撮っている。静寂な(閉館時刻だからだろうが)で神聖な印象すら漂う空間である。

             土産物屋にガンジーTシャツを期待したが、やはりロクなものは売っていなかった。ところが館内には秀逸なデザインのロゴがある。これをそのままプリントしてくれれば相当イカしたシャツになるというに、なぜデキるのにやらない、と腹が立ってしまったので自分で画像を作ってみた。やっぱり恰好ええやないか。

             いざTシャツにしてみると、いったい何が書いてあるのか「月曜から夜ふかし」でよくやってる「Tシャツに書いてある外国語が恥ずかしい問題」に行き当たる。石碑からそのまま拝借しているから、「館内飲食禁止」くらいの意味かもしれない(特に糸車の下の長いやつに疑惑が)。でもこんなものどうやって調べるのだろう。最初はヒンディー文字(デーヴァナーガリー)一覧表を見て読解してみたが、文字構造が難しくてよくわからない。試しにグーグル翻訳を開くと、すごいもんだ、手書きで入力できる。それで見様見真似で入力してみたところ、裏面は判明した。

            「Swaraj」「Gandhi Smriti Village Industries」。前者は世界史の教科書にも出てくる「自治獲得」で「スワデーシ(国産品愛用)」と並ぶインドの自治獲得運動の標語である(糸車の下に書くならスワデーシの方ではないかとも思うが、ガンジーは国産品愛用のパフォーマンスとともに、ナショナルアイデンティティの形成のため糸車を常に回していたからこれでいいのだろう)。smritiはmemoryの意味だと訳された。ただし並べてみると意味がよくわからない。顔の石碑の下にあるのは、よく見ると書いてあることが少し違って「Gandhi Smriti Art Gallery」となるから、こっちを使えばよかった。

             問題はTシャツのおもて面で、「Sumana」と書いてあると翻訳されるのだが、肝心のsumanaが何かわからない。どうも人の名前によく使われる言葉のようだが、ガンジーのミドルネームにスマナがあるわけでもなく、もしかしてこの眼鏡男はガンジーではなくスマナさんなのか?んなアホなと思いつつ、以下の写真。

            敷地内にあるガンジー像。

            別の場所にあるガンジー像、ではなくて新山口駅前にある山頭火像。

             



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