新春飲酒Show

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     「黒いダイヤ」をただの正月の決まり事のように数切れ口に入れながら新年。珍しく快晴。
     ここ数年は、毎回若干値の張る洋酒を買って帰るのが習慣化している。先々月くらいに、同業の先達氏に誘われて久々にバーに行ったとき、酒道楽のこの方に薦められ、ポールジローなるブランデーをちょびっと舐めたら、まあ芳醇。これを買ってみようかしらと思っていたところ、三宮を訪れたときにやけに品ぞろえの豊富な酒屋と出くわし、早速物色したら、置いていた。


     うーん、しかしさすがに値が張るね。価格に若干たじろいで、今回はまあ・・・、とあっさり方針転換。代わりにポールジローの葡萄ジュースなるものが売っていたのでそれを購入したけど、これもジュースにしては馬鹿馬鹿しいくらい高額なので、まさしくこれ安物買いの銭失いなんじゃないか?


     というような話(言い訳)を帰省して家族にしていると、「ポールジローは美味い」と兄が威張り気味に言う。知ってたんかい。
    ついでに遠方の親戚が、「みんなでいい酒でも飲め」とお年玉?を送ってきたので、近所の酒屋を物色しに行った。店頭にあった高額候補はブランデーのクルボアジェ・エクストラなんたら、スコッチの有名ブランドの上位ランクのやつなど。兄に「どれがいい?」と聞いたら、「クルボアジェは美味いぞ」と、今度はさも普通のことのように言う。知ってるんかい。


     ところで俺が三宮で買って帰った洋酒は、台湾ウイスキーの「KAVALAN」。現地でやたらと宣伝していたので多少気にはなっていた。同じ店にいた会社員2人組が、こんだけ品ぞろえ豊富なのに、「えー、竹鶴これしかないんすか、じゃあ山崎は」などと品薄の日本製ばかり店員に質問していて、「他のこれらもウイスキーやで」と言いたくなるくらい、視野が狭かったので、日本でも英国でもなくあえての台湾がクールでしょ、とよくわからない見栄を張ったのもある。
     ただ残念ながら、価格の割に味は普通であった。マズイわけではなく、クセに乏しいのが不満というか。それでも従弟が「すげーうめー」とパカパカ飲んでいたので、甲斐はあった。


    帰省の読書

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       前日、友人と忘年会で肉をたらふく食べたら、帰宅して腹を下した。悲しい胃腸事情だ。おかげで早起きしてノンビリ座って帰省するつもりが、出遅れて混み合う特急で立ったまま国境の長いトンネルを超えると雪国であったの羽目になった。


       肉に懲りたわけではないが、直立姿勢の気を紛らわす旅のお供はこちら。

       発売と同時くらいに買っていて、期待通りっぽい印象だったので、こういう事態のためにとっておいた。夢中で読んでいると立っているのも大して気にならない。

       

       密漁の実態に迫った内容で、必然的に暴力団も絡んでくる。というわけでこのおどろおどろしいタイトルだ。こういうヤバい世界を取材したノンフィクションは、しばしば書き手に「裏社会に通じている」と誇示するかのような肩肘張った姿勢が垣間見えてそれがどうも苦手なのだが(似たような理由でヤクザ映画やヤンキー漫画も苦手)、この著者の場合、どこかちょっととぼけたような善良な感じが惹き込ませる。


       その一方で、このテーマが取材できる時点で当たり前なのだが、かなりの人脈と機動力に圧倒されるわけだが、突撃取材一辺倒ではなく、歴史研究的なアプローチの章もあって、こちらはちょっと予想外だった。特に北方領土近海の漁の話は、領土問題の地であるがゆえに領海って何?という前提を揺さぶる問いが横たわっていて、なるほど勉強不足だったなあ知らんことはいくらでもあるなあと多少恥じ入りながら面白く読んだ。頭の片隅で、先日見た昆布漁の写真展を思い出しつつ。

       

       本書に興味を持ったのは、著者自身がかなり以前に自身のツイッターで、ウナギ界隈のヤバさをほのめかしていたのをたまたま見たからだった。はてそんな恐ろしい実状なのだろうと勝手に妄想を膨らませていた分、なんとなくウナギの章に拍子抜けしてしまった感もあるが、要するにこれ、書けないことがそれだけ多いということなんだろう。それを想像するとゾッとる。

       

       「食べてるあなたも共犯者」と帯の惹句にはあるが、これはまあまさにその通り。非合法なマーケットの存在は、それを買う一般消費者がいるから成立するわけで、だったら買うのをやめときましょかという判断は考慮されてしかるべきだろう。無論、合法的な魚介もちゃんとあるし、それを生業にしている人々がいる以上、簡単な話ではないが、高級魚介を無邪気に喜ぶ態度は少なくとも慎むべきとは思った。映画「ブラッド・ダイヤモンド」は、まさしくそんな話だったっけか。

       

       そこへいくと南極海の鯨はもひとつわけのわからん話だ。市場規模と政府の強気がアンバランスな点象牙に似ているが、象牙と違ってナショナリズムが沸騰しやすいのは、食い物だからか。美味いやつは非常に美味いのだけど、美味いのが提供できる店は限られているから沸騰する人の多くは美味いのを食ったことがないと推計できる。話がわけのわからん自慢に逸れてきたのでこの辺で。


      年の瀬2

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         知人から夜に電話があり、そのまま夜中の3時くらいまで長電話だった。年齢上立場上、鬱屈しているものが鯨肉くらい在庫が貯まっているからだろう。そういう俺も個人事業主につき気の置けない間柄と暖簾をくぐって・・・、なんてことがまったくないので遠隔忘年会だなと内心思いながら、電話に応答しつつウイスキーを舐めていた。

         欠員が出たのに補充がない、と今時どこの企業でもありそうな愚痴をこぼすので、広河隆一でも採ったらどうかと助言した。少なくとも写真は巧いんじゃないか?(そうでもなかったりして)。すると翌日「茨城県庁がセクハラ処分の官僚を採用」というニュースが流れていて、おいおいホントにやってるやつがいるのかよ。

         

         さて話の流れで、本やサイトの選び方という議題になった。インターネットサイトが玉ゴミ混交なのはその本質上必然のことなのだが、書籍の世界でも同様の事情となっており、見分ける姿勢、いわゆるリテラシー的なものが重要になっている。大学1回生だと、検索結果のトップに出てきたものを何の疑いもなく引用してレポートを書いたりするものなので、引用可能なサイト、そうでないサイトの説明から始めなければならない。

         こういう事態に年寄りが呆れるのは勝手だが、物心ついたときからネット上にサイトが溢れている環境でまっさらなまま育っているのだから、きちんと教えるのがおっさんの責務である。そうでないとまとめサイトから引用してるくせに大口叩いている破廉恥な大人と、それを回収しない破廉恥な出版社を横行させるだけである。


         個人のブログ、まとめサイト、フリー素材の写真だらけで「いかがでしょうか」で終わる記事を引用するなとか、そんなことを教える。最近、ネット素材のテキトーな張り合わせで出来ている記事の末尾に「いかがでしょうか」がないケースも出てきているのだが、あれはよくない。この記事はせいぜい暇つぶし用ですよと明示する意味で、最後に「いかがでしょうか」と必ず書いてほしいものだ。

         

         書籍についてはもう少し難しい。青林堂の本だと表紙がいかにもあやしげだから、あれはあれで良心的といえるかもしれない。名のある出版社が酷い本を出しているのは、話題の幻冬舎しかり講談社しかり。まあ本がすべて良心的ではないというのは昔からあることで今に始まったわけではないが、まず数の問題がある。書店の「歴史」「政治」「海外事情」といったコーナーは、昨今、アレ界隈の書籍で汚染が激しい。いよいよ資格試験の分野にも浸食してきたという話は以前に書いた

         

         脱線するが、ちょっと前に稲田朋美の「日本は聖徳太子のころから民主主義」という衆院での演説が話題になったが、かの試験の問題文に使われていたのも同じような趣旨の文章だった。この界隈は、狭いサークル内で互いに受け売りし合っているもので(だから労せずどんどん出せるという強みがある)、その一端が衆院という結構な表舞台に顔覗かせた格好であり、別に彼女の持論というわけではない。なので発言の是非を云々するよりも、このサークル内受け売りもたれあい構造を解明していく方が重要なのだが、幻冬舎の件でそれが続々と詳らかになっているのは素晴らしいことだ。

         

         話を戻すと、向学心旺盛かつまっさらな若人(年寄りもそうだが)に見分けるリテラシーを身につけろというのも無責任な話だ。書店の側も売るならせめてコーナーは分けてほしいものだ。どうせ購買層は共通なのだから、ジャンルに分けられているよりも買いやすい。分類名が「アレ」くらいしか思いつかないのだが、何か適当な名称はあるだろうか。「お目覚め」だろうか。そしてその書棚は、ツタヤのエロビデオコーナーのようにカーテンの奥に設置するといい。隣国を罵倒したくてしょうがないという隠微な欲求を持つ人にとっては、より興奮する演出ともなるだろう。知人曰くは「そのうちマトモな本の方がカーテンの奥においやられそうだが」とのことだが。

         

         ただし新書の場合は、新書という規格に含まれる分、単行本のように単独には扱いにくい。というか、書店の対応に頼るばかりでなく、こちらも爛螢謄薀掘辞瓩鮗けなければならない。結局は出典の明示という論文レポートの作法にたどり着く。ただしこれも万能ではない。ライトな読者層を想定している場合には省くこともあるからで、これはこれで一部で議論になっている。

         

         学生に対しては「本を読んでいない」という前提で説明するので、まずは新書・選書あたりから入ってはどうかという助言になる。その際に一定程度信頼のおける新書と、玉石混交度合の高い新書、ほとんど泡沫、と出版社ごとの概要を示したことはあるが、平均値の話でしかないのも確か。あとは「帯に腕組みした著者の写真があるやつはとりあえずやめとけ」と言ったら、後ろで見ていた教授だけ爆笑していた。これだとアレ界隈ではない人も一部含まれるが、まあいい。

         

         結局は「薦める」に行き着くのかもね。自分だって「これを読め」と周囲の薦めの積み重ねがあったものだ。年末なので張り切って図書館で色々借りたが、電車移動が多いときほど読み進むといういつもの矛盾にぶつかっている。

         とりあえず↓これ

        から取り掛かっているのだが、上下巻分のボリュームだ。どうやら新しい才能が続出してるっぽい雰囲気の韓国の小説も借りてきたけど、たどり着けるのやら。


        年の瀬1

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           外形上の仕事納めで、某私大へ。年に2度ほど依頼がある単発の講義で、たまにしかないので毎度担当営業の人が同行してくる。
          この若い男性とは、ことさら気が合うわけでもなく、ことさら合わないわけでもなく、つまり仕事上はスムーズに話が進む相手であるが、それ以上の付き合いや会話は特にないという間柄。なので毎回、講義前後の事務作業の打合せとか、仕事の延長線上の雑談くらいしか話したことがなかった。

           

           ところが、ちょっと前に、彼の同僚たちと話す機会があったときに、どうやらロックバンドをやっているらしいと聞いた。「詳しくは知らないが、パンクバンドで絶叫しているらしいですよ」。これは当人が「ロックバンド」にはちょっとそぐわない非常に真面目臭い、カタブツ的な印象さえある外見をしているせいだろう。反動で過剰なイメージが独り歩きしているに違いない。それにしても気になってくる。

           

           というわけで、この日、ちょっとした空き時間の間に頃合いを見計らって尋ねことにした。
           「あの・・・、ちょっと小耳にはさんだんですけど、バンドやってるんすか?」
           「はい」
           独り歩きしている噂のせいだろう。俺の尋ね方はやや慎重さ多めだったのだが、彼の返答は実にあっさりしたものだった。「大阪市内に住んでるんですか?」「はい」くらいの軽い調子。
           「どんな感じの?」
           「どう、ですかねえ、まあ、普通の感じの・・・」
           「ハードコアパンクなんじゃないかと噂している人がいたんですが」
           「まあ、ギターのやつがメタルとか好きなんで、リフがそっち系の感じはありますが笑」
           本人はもうちょっと軽めのものが好きっぽい印象で、ついでに担当はベース。ステージの中央で髪を逆立て中指を立てながら四文字英単語を絶叫しているわけでもなんでもなかった。やはり噂は噂。若干の真実を含みつつ、全体的には相違が多いのだった。

           

           それで彼と、帰りの電車もやけに話し込んでしまった。ライブの頻度や全体の技量は我らより断然上という印象なので、色々質問しつつ、今年の持論の「台湾でライブやるべし」を語りつつ。まあバンドに限らず趣味は社会の潤滑油だよね、とまとめようとしてふと考え込んだ。それは果たして本当だろうか。

           

           例えば音楽を「聴く」だけの趣味だったら、ここまで話は盛り上がらなさそう。そもそも細分化されたジャンルごとに趣味に合う/合わないがある上、年齢にもしばしば相関するから、年が離れている分あまり重なるところがなさそう。これは読書とか映画とかにも同じことがいえる。

           

           じゃあ「やる」趣味の場合はというと、草野球とかフットサルの場合、特に仕事関係の間柄だと「試合しようよ」という話になったら面倒くさいから黙っておこうという深謀が働きそうな気もする。やってないので知らないが。知ってる世界でいえば、演劇だと変な警戒心が働いて黙るというのはよくある。「映画好き」と名乗る片方がタイタニックしか知らなくて、片方が小津安全部見た人だと、互いが互いに舌打ちをする。「タイタニックしか知らなくて映画好き自称すんなよ」「うるせえよスノッブエリート野郎」といった具合。これと似たような状況を避けたがる警戒心、といえば少しは伝わるだろうか。この場合、必ずしも作品の話ではなく、立場のある誰それさんを知っている知らないというケースの方が多いかも。いずれにせよ面倒臭いので適当に誤魔化してやり過ごすことも珍しくないものだった。
           そう考えると、こうしてリラックスして話せるのは音楽の特性だろうか。などと考えつつ年の瀬。


          【やっつけ映画評】共犯者たち

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             「共犯者たち」。確かにそんな内容なんだけど、ちょっと格好良過ぎやしないすかね。虎の意を受けて威を借るスネ夫たちがこれでもかと登場しては、総じて取材から逃げ回る様子が延々と繰り返される杉田某大会状態。こんな連中に「共犯者」なんて、ちょっと格好よさげな表現は勿体ない。「逃げ回る恥知らずたち」くらいがちょうどじゃないかしら。

             

             李明博〜朴槿恵政権がマスコミ対策に躍起になった事実は、彼女が失脚した後、日本でも知られる話となった。政権に批判的と目される芸能人のリストが作られ、レギュラー番組を失った芸人がいたり、「1987」もそんな状況下で神経尖らせながら制作されたと聞く。
             本丸は当然報道部門で、主要放送局では閣僚の不正を暴いたり政策の問題点を追及するような部門の閉鎖、番組の打切り、政権を批判したキャスターの降板等々が相次ぐことになる。NHKに限られる日本と異なり、いずれのテレビ局も、公益法人や公社が株主だったりで公共放送の性格を持つ分、政治が介入しやすい仕組みになっていることが背景としては大きいようだ。極端な例では李明博の側近だった人が社長に就任しているケースも紹介されているから「芸能人リスト」よりも介入の仕方が結構あからさま。いわゆる「息のかかった人」を経営陣なり株主の公益法人の理事に送り込むことで、矜持のある社員を制作部門、報道部門から追い出し、骨抜きにしていく。

             

             だけど本当に原因はトップの人事だけなのかしらと疑問には思った。
             本作で示される風景は、日本でも既視感がたっぷりだ。経営陣に息のかかった人間を送り込むことで、組織は政権の不正を追及する記者を追い出し、政権に批判的なニュースはひたすらネグって天気等のあたりさわりのなさそうな話題にことさらに時間を費やす。全部NHKで見たよ。こうなっている最大の理由は、官邸周辺からの圧力があり、その空気を先回りしてくみ取って、命じられていないことまでせっせと精を出すそれこそ忖度茶坊主幹部がいるからであるが、「一部の不心得者が大多数の良識ある職員の口を封じている」というわけでは決してない。現場にも現状を肯定している人が少なからずいるからこその実態のはずだ(職員個人の政治信条が問題なのではない。与党支持だろうと野党支持だろうと、ニュースをネグるのは別次元のことだ)。

             

             理由はいくつか考えられて、一つは田崎のスシローさんみたいに、政局情報のキャッチと禅問答の解読しかやったことがないので政権の振舞いが常軌を逸してきても同じ姿勢しかとれないケース。いわゆる正常化バイアスのようなものが働いて、異常事態なのに従来通用していた枠内でしか物事を把握できないので結果、思考回路が御用記者風味になってしまう。ただ、韓国の場合は弾圧と民主化の歴史が激しかった歴史を持つ分、この手の人は少ないかもしれない。

             

             もう一つは「ペンタゴン・ペーパーズ」でも描かれていたが、権力者にくっついているうちに同化してしまったり信仰のような感情を抱いたりしてしまうケース。ブラッドリーのような優秀な記者でも、ケネディという人気者の政治家にくっついていると色んなものを見らんふりしてしまうのだから、いくらでもこうなることは考えられる。そりゃまあケネディみたいな人気者ならわからんでもないが、李明博や朴槿恵ってそんなカリスマ性あったっけ?という疑問もつきまとうが、強引なやり方を好む政治家と記者は、通底する部分がありがちだと思う。朝の話を昼のニュースに、という高速自転車操業を日々繰り返す仕事な上、ある程度物事に白黒つけないと商品にならないから、必然せっかちで強引になる。そうすると法令に四角四面かつ何事も慎重な公務員が無能に見えてきて、彼らをこき下ろす政治家がとても有能で正しく見えてくる。そこにシンプルな正義感が加わると、いっちょあがりである。こちらは韓国にもいくらでもいそうな気はするけど、どうなんだろう。

             

             映画の中に、そういう人も一部出てきはするが、背景的にちらっと映っているだけでインタビュー等の積極的な形では登場しない。このため上部構造×下部構造の対立のような図式しか示されないが、果たしてそれが正確な姿なんだろうか? ま、長々書いた割には、こちらは脇の話の、ただのふとした疑問。

             

             政権側からの介入によって現場が変質していく様子を見ていると、報道のあるべき姿を改めて考えさせられてしまう。こちらが本題。
             

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