映画の感想:カーマイン・ストリート・ギター

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     ニューヨークのギター工房の1週間を撮ったドキュメンタリーの小品。格好いいタイトルだが、単にその工房の屋号であり、屋号の由来は住所地の名前に過ぎない。十三の十三屋と一緒。

     19世紀の建物の廃材からエレキやアコギを作って販売しているという物語性が面白いのであるが、店主のリックが「考えてみれば廃材使ってギターにするなんておもしろいよな。木材に新たな命を吹き込むんだ」と、自分で映画の趣旨を全部言ってた。それ自分で言うたらあかんやつやん。
     原材料費も抑えられるから合理的経営。ゴミ置き場や火事現場からくすねてくるときもあるというから、横領の薫りも漂うのだがアメリカの刑法はよく知らない。

     

     そういう店に、顧客であるプロのミュージシャンが現れては駄弁って、を繰り返す。よく知らない人ばかりだと思って見ていたら、ジム・ジャームッシュが登場。こいつは何か出てきそうな気がした、と思ったのは、おそらく予告かチラシかで見ていたからだろう。

     音がおかしいと自分のアコギを店主に見せると、弦を交換して解決。「故障かなと思ったら→コンセントはつながってますか?」レベルのトラブルである。弦なんか自分で替えろ。完全に映りに来ただけだな、こいつは。

     

     工房だからルーティン的な動きばかりなのだろう。劇映画のような安定したカットが多く、あまりドキュメンタリーぽくない。話らしい話もないけど、たまにささやかなドラマがあり、あとは木材やギターのうんちくが人によってはおもしろい、という全体の趣がジム・ジャームッシュのようであった。若干鼻につく。

     工房が舞台なのに、制作過程の描き方があまり詳しくない、そのソフトタッチなおしゃれ感のせいだろうな。あとテレキャスタータイプのばっかり出てきて、アコースティックギターも含めたそれ以外のギターがろくに出てこないところも個人的には消化不良。

     

     The Killsのギタリストが、事故で左手中指にマヒが残り中指なしの奏法を研究した、というくだりで、「ネックが太い方がいいよ」と出してきて弾かせると、お〜確かにと当人も感動するシーンが、プロを見せつけてくる数少ない場面だった。このバンドは昔、フェスか前座で見た覚えがある。あとチャーリー・セクストンがすげー格好いいのに驚いた。吉川晃司みたいないい年の取り方をしている。

     

     彼もそうだが、顧客のほとんどが中年以上。店主のリックからしておそらく60をとっくに過ぎているだろうし、劇中の台詞では携帯もPCも持たない頑固者である。つまり、エレキギターもロックも、すっかりそういう世代向けの存在になっているということだ。

     弟子のシンディは台詞によると25歳だから、中卒で舞妓を目指す女子くらいレアな存在に思えてくる。パンクロッカーみたいなアイラインにウルフカットというスタイルも絶滅危惧種だが、ボーイフレンドもモトリークルーみたいな格好をしているから、あんまり友達いなさそうだ。


     とにかくプロのギター弾きが現れては試し弾きしていくわけだが、当たり前の話、全員すごくうまいので、楽器屋の居心地の悪さの重量級を見せられた気分になってそわそわしっぱなしだった(楽器屋で試し弾きしている店員や客は大抵これ見よがしなので、俺のようなへたっぴはいたたまれなくなってすぐ店を出てしまう)。

     まあギターの音の良し悪しも大して聞き分けられないんだけど、今持っている安物が音が悪いのははっきりしているので少々値の張るのが欲しいのは欲しいのであるが、テレキャスターがそんなに好きではないのであまり購買意欲はそそられなかった。

     

    蛇足:削りたてのネックを客がすりすり触るシーンで、リックが「そげが刺さるぞ」と笑うのであるが、父親が口にするの以外で「そげ」という言葉と初めて遭遇した。どっかのおっさんが言ってるならともかく字幕だからちょっと驚いた。ネットの辞書によると関西方言とのことらしいが、はて。

     

    CARMINE STREET GUITARS
    2018年カナダ
    監督 ロン・マン


    【やっつけ映画評】13th 憲法修正第13条

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       家にいる時間が長くなる中、いよいよ動画配信の契約をするかと思っていたが、なんだかんだでいまだにしていない。NetflixとAmazonには気になるドキュメンタリーがいくつかあって、儲けている企業の面目躍如な一面がある。本作もそのうちの1つで、4年前の作品だがアメリカでの状勢を受けて注目が集まっている。そのせいか無料公開されていた。無料公開が社会貢献の1つなら、見るのもまた貢献の1つだろうて。


       何せ、予想はしていたが、アメリカの動きに対する日本の報道の語り口の幼稚さといったら。こんなんだから映画を見るだけでも大層立派な行為になってしまう。「デモ擁護=左派」という冷戦構造みたいな頭で逆張りをする連中の惨状はいうまでもない。声を上げることに苦言を呈したいならジャッキー・ロビンソンくらい引き合いに出せ。どうせ知らんやろうから「42」見ろ。


       そしてデモ側に理解を示す番組や記事にもだめだこりゃが目立つ。大卒の選抜者が束になって町山智浩1人に勝てていないんだもんなあ。極めつけがNHK。どうせ「トランプ寄りに作るのが無難だろう」という党派性に基づく判断だったのだろうが、それで当のアメリカから怒られてるから世話はない。保身のためにひたすら媚びへつらってるのに、逆に怒りを買って当の御主人様に殺される北斗の拳のウサを思い出した。我らが公共放送がウサ!国会で証人喚問するレベルだろこれ。

       だもんで、無料公開のドキュメンタリーくらい見ろって話なんである。

       

       タイトルにある合衆国憲法修正第13条の成立過程はスピルバーグの「リンカーン」に詳しい。リンカンの代名詞でもある奴隷解放宣言を恒久化するため憲法修正に奮闘する姿が描かれている。リンカンの主張には正義があるが、修正案を通過させるための強引な手法にはアウトの薫りが漂うところが面白い映画である。

       

       あの作品では今一つ触れられていなかったこの条文の犒雖瓩ら本作は出発している。
       奴隷が解放されれば、「それでも夜は明ける」のラストで「窃盗だ!訴えるぞこの野郎!」と、奴隷を1人失っただけでぎゃあぎゃあわめいていたあの陰湿な農場主なんかは完全なるビジネスモデル崩壊の憂き目に遭う。というわけで条文の穴である「except as a punishment for crime(犯罪の刑罰を除き)」に目をつけ、黒人を次々しょっぴいて犯罪者にすることで、奴隷扱いを継続することになる。
       こうして黒人=犯罪者という図式が作られ、奴隷解放の大義は霞むことになる。「有色人専用」による隔離が常態化してもいく。「それでも夜は〜」のソロモンが、序盤で白人の興行主たちと高そうなレストランで会食するシーンがあるが、その120年後を舞台にした「グリーンブック」では、そういう店に黒人のドクター・シャーリーは入店できないから、むしろ退行しとるがなという話である。


       ここまでが映画の序盤だ。その後、特にレーガン政権以降、この「黒人=犯罪者」の図式が票の獲得のために利用され受刑者が激増していく。この刑事司法部分のいびつな肥大化を本作は主題としている。
       アメリカは建国段階から記録が残る稀有な国とよく言われるが、同じく黒人差別問題も起点がどこなのかがはっきりしているんだなと、ここまでの歴史ダイジェストを見せられて思った。アメリカの場合は建国から現在に至るまで同じ体制が続いているから連続性が明確というのもある。

       とにかく黒人に限らず、現在の差別問題も必ず歴史とセットになっているから、リビジョニストは罪深い。「日本人はどうせ差別を理解できないから、せめて歴史をきちんと教えろ」という指摘を見たことがあるが、近代史をちゃんと押さえておかないと、こういう議論そのものが成立しなくなるのは間違いない。
       ちょうど軍艦島を巡って徴用工の差別は聞いたことがないという島民の証言を掲示して、というニュースがあった。そりゃ差別なんか「聞いたことない」に決まってる。「それでも夜は明ける」の農園主もどうせ「差別なんかなかった」って言うよ。自覚がないし興味もないんだから。なのである意味歴史の実相を伝えてるんだよこれは。

       問題はそれを学術的にどう評価するかであり、この記事みたいに「韓国が問題視する可能性もある」じゃなくてお前が問題視しろという話である。センター長が「政治的意図はなかった」と言う(この場合、正確には「党派的」だろうが)のと同様、「韓国が問題視」も党派的。ろくに意味を持たない。俺はいいけど部長が何て言うかなあじゃねえよ。「政治的意図は」なんて愚にもつかないコメントと同じ土俵に乗ってどうするんだ。記者もデスクもこの映画見ろ。


       NHKも、アメリカに怒られた途端動画を削除して謝罪しているが、「配慮が欠け不快な思いをさせお詫び」だから何が問題なのか完全に無知だと自白している。恥の上塗り。

       環境問題と同じく全世界的な問題だから、よくわかりませーんてのは信用問題にも関わりおたくらの好きな政治的にも非常にマズイんだけどな。その辺のコーチ屋の半額で研修したるよ。全然意味ある内容にできる自信あるし。映画見せるだけやけど。

       

       さて本作は、一応反対の立場の共和党議員らにもインタビューしているのだが、人選に悪意があるのではないかと穿ってみてしまうほど、ツルンとしたいけ好かないのばかりだった。一方、マイケル・ムーアやジョージ・ルーカスが蛇蝎のごとく嫌っている共和党の大物ニュート・ギングリッチが黒人側に理解を示す発言をしているのは「へー」というところだった。ま、マイケル・ムーアの語り口でしかよく知らないからだろうけど。

       

       本作が明らかにしているのは、奴隷制度がなくなった後も、黒人ないしは中南米移民も含めた有色人をスケープゴートにすることによって延命を図ってきた仕組みが形を変えながらずーっと続いてきているということである。
       なのでデモのこの拡大ぶりは何も不思議ではない。一方、全く融和を図るポーズすら見せようとしないトランプも、単に彼が特異な人物というだけでなく、デモ側の主張を受け入れることで失うものがある、というのを物凄く恐れているからなんだろうなとも理解した。100分程度で勉強になった。これ丸パクリして取材しなおすだけで、日本じゃ町山の番組以外では誰も指摘してないことをえぐる特集なり記事なりが出来るじゃん。会議会議で出来たアニメが「ウサ」だから、会議やめて映画見てパクれ。


       合間合間には、ブリッジ的にブラックミュージックが差し挟まれる。あまり詳しくない分野だが、俺でも知ってる名前でいうと、ニーナ・シモン、パブリック・エネミー、アッシャーなど。歌詞にも字幕があって、そこで歌われていることは、まさしく本作で描かれていることそのものだった。無論、だから選んで使っているんだろうけど、つまりは昔から公然と歌われてきたことで、知られざる実相でもなんでもなく、ずっとそうだったということなんだな。これも勉強になった。

       

      「13th」2016年アメリカ
      監督:エヴァ・デュヴァネイ


      【やっつけ映画評】それでも夜は明ける

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         公開当時くらいに、かっしゃんから「見ました?」と聞かれ、見てないと答えたら推薦の辞をいくつかくれた作品だった。かっしゃんが映画を薦めてくるのも珍しいと思ったが、後で振り返るに、俺なら当然見ているだろうと期待していたのだろう。見ていなかった上、その何か月か後にも同じ質問をされて未見だったから、がっかりされに違いない。というかそういう反応だった。


         あれからずいぶんたって、ようやく見た。こういういかにも重そうな作品は公開当時に見るべきだ。後になるほど気圧されてなかなか手が伸びない。しかしアメリカでの動きを見ていれば、今見ずしていつ見るというのか。「俺が薦めたときだよ」とヤツの声が聞こえてくる。

         

         実際、ストーリー紹介から想像する通りの重い作品なのだが、予想と違ってよく出来た娯楽映画のようなスピーディーな展開に引き込まれた。特に序盤はカットバックを多用して、時間軸を複雑にしているから、ミステリでも見ているような格好で興味をそそられた。ああいう時間の行ったり来たりは、手法としてすっかり定番化している分、安易に映る危険性があると思うが、その点かなりうまく作っているのだろう。


         ミステリ的展開が可能なのは、主人公の素性が少々特殊だからだ。北部の自由州から拉致されて奴隷州に売られていった人がいるというのを初めて知った。奴隷の子として生まれ育ったわけではないので、そうだった人々よりも現状に対する疑問なり反発なり怒りなりを抱きやすい。その点で現代人向けのドラマにはうってつけの主人公といえる(不遜な物言いだが)。そして何より「本来帰るべき場所がある」というのが他の奴隷との何よりの違いである。これは後で触れる。


         1940〜50年ごろが舞台なので、南北戦争の20〜10年前になる。このころのアメリカは、州ごとに奴隷制度の有無が分かれていて、北部は総じて奴隷なしの自由州、一方の奴隷州は南部に集中している。主人公ソロモンはニューヨーク州でバイオリニストとして暮らしているので奴隷ではない。劇中でも何度か「自由黒人だ」と主張している。ソロモンは詐欺に遭う格好で拉致され奴隷商人に売られることになる。


         本作は奴隷とは何かをわかりやすく示している。奴隷とは「動産」である。例えばソロモンが、彼を恨む白人に殺されそうになるシーンで、止めに入った別の白人は「お前のやってることは財産権の侵害だ(人のものを勝手に牴す瓩里如法廚覆匹鳩拗陲垢襦最終的にソロモンをニューヨークに連れ帰ろうとする支援者に対して、彼を狃衢瓩垢詛西貅腓蓮◆崟狹陲澄」と噛み付いている。農耕馬かトラクターと同じような存在である。当然移動の自由も職業選択の自由もなく、ソロモンが狄場瓩鯏勝垢箸垢襪里蓮⊇衢者が金に困って彼を売却するからである。


         牛馬を丁寧に世話する飼い主とそうでない飼い主がいるかのごとく、奴隷の扱いも所有者によって相当異なる。ソロモンが最初に買われる材木商は、比較的イイ人であるが、彼よりも奴隷を厚遇した実例は珍しくなかったらしい。快適な住居と十分な食事を与えられた奴隷も存在していたようだ。そしてこの材木商がいかにイイ人であったとしても、ソロモンが奴隷であることには変わりはないし、その後出てくるいかにも典型的な陰湿農場主とも本質的に違いはない。映画の中では、この材木商が苦悶しながら母子の別離に賛同するシーンや、ソロモンを売り払うシーンによって、その本質的な差異のなさを表している。

         つまり、厚遇であることでもって奴隷であることの否定にはならないという点で、なぜ慰安婦が性奴隷と訳されるのかもよくわかる。日本の芸能人がしばしば奴隷契約と喩えられるのも、この選べなさが類似しているからだ。

         

         ソロモンの脱出に大きな役割を担うことになるカナダ人の建築家は、人道主義の立場から奴隷制を非難して陰湿綿花野郎の不興を買うのであるが、このシーンもなかなか面白かった。
         南北戦争についてしばしば、「奴隷を巡る対立ではなく経済政策(貿易政策)を巡る対立だ」と語られる。俺もある時期までそう理解していた。しかし「というのは間違いであれは奴隷を巡る戦いである」という学者の指摘を読んで、あれれどっちなんだと思って関連書籍をいくつか見たものだった。

         「奴隷ではなく経済」というのは史料解釈に基づいて生まれた説だそうだが、俺のような素人にとってそちらの方がいかにも正しく見える理由の一つは、ヒューマニズムよりも経済の方が遥かに政治的動機としてホントっぽく映るからである。奴隷に原因を見るのは、道徳的な正しさの強調という点で子供向けの学習漫画的解釈にいかにも思える。いやあホントのところは金さ、という方がいかにもリアルである。

         

         という方が浅慮だと、この建築家と陰湿BrownSugar男との討論は示している。奴隷制の廃止は当時のリアルな政治課題のひとつで、今でいう環境問題のような世界的な問題でもあった。南部の農園主にとっては死活問題という金の話になるのも環境問題とちょっと似ている。ちなみにカナダを支配していたフランスもイギリスも、アメリカより奴隷制廃止は早い。「リンカーン」でも、南部と和睦すると奴隷制が温存される恐れがあるからと、徹底抗戦を選び、そのためいかがなものかなセコい工作をするくだりが描かれている。

         


        映画の感想:卒業

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           なまめかしい脚がどーんと手前に配置された写真で有名な古典。今更見た。作品の知名度以上に場面写真がここまで有名な作品も珍しいのではないか。まあ俺が内容をほぼ何も知らないのに写真を知っているというだけのことだが、この写真から想像される展開で半分。残り半分はやばめのストーカー展開だった。正直、なんだこれは、という感想になった。


           いかにも甘っちょろい雰囲気の大学卒業したての若人ベンジャミンが、色気あるマダムに誘われるのだが、いよいよエロいことになるまでには結構長くてじらされる。そのくせいざそういうことになると、濡れ場は特に描かれず肩透かし。ついでにあの有名な写真は、脚線美で誘惑しているのではなく、口論になって帰り支度をしている場面なのだった。

           その点、「E.T.」のポスターの指合わせにちょっと似ている。「そんなシーンはない」というわけでもないのだが、ポスターからイメージされるのとは角度も意味合いもだいぶ違う。本作の場合、結局その場では仲直りして再び服を脱ぎ出すので誘惑効果はあったのかもしれないが。


           その後、マダムの娘と恋に落ちるというおぞましハードな三角関係になり、虻蜂取らず。それでも娘にぞっこんのベンジャミンは付きまとい行為に勤しむ。
           冒頭のシーンによると、彼は卒業の際に親戚や父親の友人が集まって祝賀パーティーを開くような家の産である。世襲議員の家ってこんな感じなのかしら、と、鼻持ちならなさが先に立つのだが、その偏見を裏切らない青二才ぶりのまま話が展開していくので、自身の若いころと重なる部分もないではないが、好感なり共感なりはちっとも持てない。それがストーカーとくれば何をかいわんや。一体これは何の映画だったのだろうと頭を抱えてしまった。


           おそらく本作は、公開当時ならおもしろかったのだが、今となってはその魅力を感じるのは難しいということなのだと思う。ネット上の記事を見ると、公開当時の関口宏の談として「ベンジャミンはもうひとりの僕だった」と紹介しており、全然格好よくない未熟さと危うさばかりが目に付く駄目ぶり&それがゆえの発露としての花嫁強奪という無鉄砲ぶりに、等身大の若者的な共感を抱いたということなのだろう。もしかすると俺がもっと若かったら面白く見たのかもしれないが、未熟な主人公というモチーフはすっかり定番化したところがあるから陳腐に思ったかもしれない。


           こういうことはそれほど珍しいことではない。このブログで取り上げた映画だと、「第三の男」「ある日どこかで」が当てはまる。公開当時に放っていた(と伝え聞く)輝きを今感じるのは難しい。

           ある作品が、時とともに色あせて見えていくのは寂しいことではあるのだが、それだけならまだマシなんだなとここ最近の国際ニュースを見ていると思わされる。

           

           


          行ったのはちょうど半分7つほど

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             知った猝襪療広瓩僚性から電話があって呼び出された。俺の故郷のミニシアターで広報を担当している若人が来るという。「あんた同郷やろ、おいでおいで」。巷間いう「飲んで応援」を一切やっていなかったし、よい機会だろう。

             

             十三駅の横丁を通り抜けていくと、概ねどの店も開いていて、概ねどこの店も狭苦しい店内に酔客が溢れている。中にはカラオケに興じている店もあり、第2波の既定路線ぶりを確認させられた。マスクして歩いているのが実にばかばかしくなる。

             くだんの店も、狭い店内、俺と店員入れて全部で6人。ドアを開け、多少距離を取っているとはいえ、酒を飲みながらデカい声でそれなりの時間話すのだから、まあナンセンスだ。


             その故郷のミニシアターについては、館長を主人公としたドキュメンタリーを見たことがある。名物館長が急逝して、俺と同世代の息子が後を継ぐことになるのだが、自身は東京で会社員をしている上、映画館経営専業では全く食えないので二足の草鞋になる。会社はある程度理解を示してくれているのだけど、有給を使い切ってさらに欠勤をするから給料も減るし、行ったり来たりも大変だし、何よりこの中途半端な具合は自己嫌悪にもなるというものだ。妻が理解を示してくれているからどうにかやれているといった様子である。


             番組の中でははっきりとは示されていなかったが、この館長はそれほど映画マニアというわけでもなさそう。会社員やってて子供が幼いと、仮に好きだとしてもなかなか見に行くのは難しいだろうしで、廃業を選んでも誰も責められん。当人にもその選択はちらつくのであるが、ミニシアターの常、客層が濃いからその熱烈な思いに触れるとそう簡単にやめますわとも言えず。「決めれない…」と自身の優柔不断を嘆く様は、そりゃそうだろうと好感を持ちながら見た。結局決めないし、現在もその状況のままらしい。ま、それでいけてるんならそれでいいんじゃない。


             それで店で紹介された広報担当氏も、生業は別にあってボランティアのような格好で勤めているといい、ここの店の店主が十三の良心・第七藝術劇場の広報をしている縁で、たまに関西の劇場めぐりをする際に店に寄るとの由。

             

             かのメトロという映画館は、子供時代の俺からすると「ようわからんつまらん映画をやっている場所」だった。親がタダ券をもらったとか、そういうときに何の作品かもわからず行って、特にいい印象もなかったくらいの記憶しかない。
             大学生になり、そういう映画館で映画を見る行為は「格好いい」のだという価値観を知ることになる。当初は単なるスノッブ気取りだと思っていたが、ハリウッド以外にいくらでも面白い映画がある事実をやがて知った。都会と田舎の文化格差を痛感させられた出来事でもある。大阪出身の連中は、10代にしてすでにスピルバーグやルーカス以外にもいくらでも才能ある作り手がいることを知っていた。

             こうしてようやくメトロの価値を知ったわけだが、アホの大学生なりに当時の俺が考えたのは、早晩あの劇場は経営が立ち行かなくなるだろうから、俺が金持ちになって買い取って故郷の文化を守ろうという野心だった。誤算は金持ちになっていないことだが、そもそもなろうとしたことが一度もないのでなれるはずがない。

             

             というわけで、この広報氏のような地元の志高い面々によって手弁当で担われているのが正解の未来なのであった。そのような映画に通じた同郷人は、俺にとっては「中村優子と実家が近所」というショボ過ぎる自慢話を前提説明不要で披露できる相手であることを意味する。久々にしゃべったなこのくだらん話。

             

             この日は他に、壮年の常連男性2人組がいたのだが、そのうちの1人、中抜き業最大手の元社員の人と、この広報氏が揃いのTシャツを着ていた。我らの映画館を守ろうぜというような英語メッセージをあしらっていて、コロナで営業中止になった映画館の支援グッズのようなものである。「これ背中が最高やで」と店主が言う通り、背中には関西のミニシアターのロゴがずらり並んでいる。


             「これいいな…。ナナゲイに売っとんすか?」と店主に聞くと、電話して聞いてやるという。ちょうど閉館の微妙な時間帯だったので好意に甘えたのだが、スタッフ各位、明日のイベントの準備でバタついていたらしく、めちゃくちゃ恐縮しながら館の敷居をまたぐことになった。
             先ほどの2人が来ていたのは黒色で、これは注文販売のみの扱い、店頭販売は白だけになるけどいいですかと言われ、全然問題ないっすと平身低頭。サイズはLですかといわれそうですねえと返答したが、見せてもらうと妙にデカい。すんませんMで、とMを購入したのだが、それでも世間のMより少々大きかった。

             こういうミニシアターで、特に社会問題系のシリアスな作品を見に来る層は、なぜか痩身体型の人が多いから、このサイズだと購買層をちょっとハズしてるんじゃないか?と要らぬ心配をした。

             

            そのうち黄ばんだら、こんな具合に染めるつもりの染屋しぐさがすっかり定着。



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